島津飛翔記   作:慶伊徹

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三十四話 戸次道雪との妥協

 

 

八月二十五日、申の刻。

史実で言う『耳川の戦い』に似ている『高城川の戦い』と呼称されるようになった此度の合戦は島津家の大勝利に終わった。

大友勢は死者7000余、負傷者8200余。

島津勢は死者1500余、負傷者4500余。

両軍の主力同士が互いに『釣り野伏』と『釣り野伏返し』を行って、松原の陣と本陣以外を包囲殲滅する合戦だったからな。

加えて、倍以上の軍勢を駆逐してもなお余裕を残していた家久様と忠元殿の部隊が、豊後方面へと逃げ行く大友兵を適度に追撃した事も要因の一つとなっている。

うん、島津四姉妹の高能力を改めて思い知った。

義久様は全軍を纏め上げて、義弘様と家久様は僅かな時間で敵陣を陥落させて、歳久様は25000の兵士たちに必要な兵糧などを抜かりなく手配してみせたんだ。

流石は例の一族だと噂されるだけある。

軍配を握る俺からしたら頼もしい限りです。

 

「…………」

 

今回の勝利で島津家は南九州の覇権を握った。

大友家の発展と維持に貢献してきた多くの重臣や有力武将を討ち取り、ならびに数多くの兵力すら刈り取ったのだ。

大友家の衰退は決定事項である。

日向へ南侵する余力など残ってないだろう。

決戦に敗北して僅か三日しか経っていないのにも拘らず、筑後や筑前の国人衆は大友家から離反しようか迷っていると聞く。

当然ながら下手人は俺です。

間者と忍を用いて噂を流している。

隣の国人衆が他勢力に靡いているようだとかそんな感じで。すると、機に聡い国人衆は御家の存続を図るために焦り出すのだ。

特に肥後北部には大量の忍を放っている。

人数が多い分、様々な噂が飛び交っていることは想像に難くない。今頃はてんやわんやの騒ぎだろうな。

だが、龍造寺家も頑張っている。

高橋紹運に妨害されて筑前は奪えなかったが、秋月氏を寝返りさせる事に成功。磐石な体制を築いてから筑後方面へ侵攻を開始したらしい。

正直な話、これは予想外だった。

将来的な事を鑑みれば、龍造寺隆信に筑後を奪われてしまうのは痛手である。肥後と接している上に北征の邪魔だ。

それでも利点はある。

龍造寺隆信の魂胆が垣間見えたからだ。

何か画策しているようだな、肥前の熊は。

直茂とももう一度ちゃんと話し合わないと。

まぁ、それは肥後北部を併合してからで構わないか。

 

「ふふ。ようやく来ましたか」

 

義弘様は佐土原城に帰還。

家久様は5000の軍勢を纏めている最中だ。

そして俺こと島津忠棟は、高城にて今回の戦後処理と肥後北部に攻め込む為の様々な準備に追われていた。

予想よりも多かった島津勢の被害。

短期決戦のお蔭で兵糧に関しては余裕がある。10000の大軍を二ヶ月間養えるだけの米はあるんだが、そもそも傷付いた兵士を戦場に送り込むのは無理があるからな。

事前に建てていた計画よりも少ない兵力で進軍するつもりだ。九月中旬までに肥後北部を平定するつもりだから忙しい事など自明の理である。

さりとてーー。

俺には優先してやらねばならない事があった。

陰鬱な空気が支配する座敷牢。

俺は敗軍の将である戸次道雪と向き合った。

鬼道雪の異名を持つ名将は流石に肝が据わっているというか、まるで動じることなく穏和な微笑みを浮かべている。

 

「遅くなりました、道雪殿」

 

堺に居を構える商人の娘、雪。

坊津と鹿児島に視察へ赴いた際、二度も悩みを解決してくれた。雪さんがいなかったら、俺はこの場に存在していないに違いない。

恐ろしくなる程、心の波長が合う女性だった。

そんな女性が敵将として座敷牢に囚われている

戸次道雪という本来の正体で目の前にいる。

再会した嬉しさと虚偽を知った悲しさ。

二つの相反した感情が螺旋状に絡み合いながら混ざり合っていた。

 

「雪とは、呼んでくれないのですね?」

 

悲しそうに目を伏せる道雪殿。

黒戸次を握る手に力を込めていた。

悔しいのか、それとも怒っているのか。

頑丈な格子を挟んで対峙する俺には判別できなかった。

 

「呼べませんよ。貴女は、戸次道雪ですから」

「成る程、確かに忠棟殿の言う通りです」

 

道雪殿は可笑しそうに口許を緩める。

何もかもを諦めているような表情だった。

それが酷く気に入らなかった。

俺は苛立ちを押さえ込んでから口を開いた。

只でさえ時間が無いんだ。

単刀直入に行かないと、俺の心も耐えられない。

 

「貴女は島津家に仕える気がありますか?」

「結論を急ぐのですね、忠棟殿」

「余計な問答は不要だと心得ていますから」

「不要と言い切るのは性急でしょう」

「それはーー」

「いえ、私は島津義久殿に仕えるつもりなど毛頭ありません。これでも大友家の武将。二君に仕えるなど武士としてあるまじき行いですから」

「道雪殿ならそう仰るとわかっていましたよ」

 

三年前、坊津で耳にした言葉を思い出す。

主家が隆盛しているときは忠勤に励んで功名を競う者は多くいる。しかし主家が衰えたときに一命を掛けて尽くそうとする者は稀である。武家に生まれた者として恩と仁義を忘れるものは鳥獣以下だと口にした道雪殿だからこそ、勧誘に対する答えなどわかりきっていた。

それでも座敷牢を訪れたのは諦められないから。

日ノ本に於いて五指に入る名将である戸次道雪を家臣に出来たら、島津家の天下統一に弾みが付くという打算的な理由もあるけれど、命の恩人である彼女を何もせず見殺しにすることなんて出来なかった。

結果、道雪殿は勧誘を拒否した。

なら、俺の取れる行動なんて一つだけだろ。

 

「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」

「何なりと。答えられる範囲なら答えますよ」

「どのようにすれば、道雪殿は島津家に仕えてくれますか?」

 

恥も外聞も投げ捨てた説得だ。

島津家宰相が敵将に泣いて縋り付くなんて。

例え雷神たる戸次道雪を島津家に仕えさせる為と言えども、このような失態を家中の諸将が知れば反発必至だろう。

名家たる島津家を愚弄するつもりなのかと。

島津忠棟を支持している方々も反旗を翻すかもしれない。権力闘争、もしく御家騒動の危険性を孕んでいる行為だった。

だとしても見殺しにできないんだから仕方ない。

バレなきゃいいんだよ、こんなもんは。

 

「そうですねぇ」

 

頬に手を当てる道雪殿。

俺は格子を掴みながら早口で言う。

 

「道雪殿のお蔭で、俺は島津家の宰相となりました。ある程度の融通を効かす事ができます。義久に頼んで道雪殿を城主に任命することも可能ですよ」

「私情を挟むのですか?」

「道雪殿を島津家中に迎い入れる事ができるのなら、家宰として失格という評価すら甘んじて受け入れましょう。評価など幾らでも取り戻しますから問題ありません」

「義久殿がお許しになるのですか?」

「既に許可は貰っています。俺に一任すると」

 

義久とは話を付けてある。

三日前に本陣で俺の狼狽えぶりを懸念した義久から聞いてきたんだ。戸次道雪と何か昔ながらの因縁でもあるのかと。

正直に全てを話した。

坊津で出会い、酒を酌み交わして、背中を押してくれて、鹿児島で再会した時は権力闘争で疲れ切っていた俺を励ましてくれたことなどを。

頭を下げて頼んだ。

どうか戸次道雪を殺さないでくれと。

義久は苦笑しながら今回の一件を任せてくれた。

 

「良い信頼関係ですね」

 

権力闘争を乗り越えた。

主君と家臣の垣根も超えたんだ。

今では二人三脚で目標に向かっている。

だけどそれは、戸次道雪のお蔭でもある。

 

「ええ。貴女が背中を押してくれたからですよ」

 

俺は強く頷いた。

道雪殿は相好を崩した。

 

「あらあら」

「条件を申し出てください、道雪殿」

 

どちらが敗軍の将なのか。

苦笑しながらも俺は頭を下げた。

 

「その前に、三つほど尋ねさせてもらいます」

 

条件の前に尋ねたい事って。

いや、話に乗って来ただけで儲け物だ。

後は俺の返答次第なのだから気張らないと!

 

「はい」

「もしも先の決戦で忠棟殿が敗れたとして、今の私と同じ境遇になった時、貴方は主君の恩義を忘れて大友家に仕えますか?」

 

答えなど決まっている。

 

「仕えます」

 

俺は即座に首を縦に振った。

道雪殿は意外そうな表情を浮かべた。

 

「ほう?」

「俺が狗になる事で、主君の命を救えるのなら」

「敵にでも尻尾を振ると?」

 

番犬のように鳴いても構わない。

島津家の存続と義久の命を救えるなら。

俺の誇りなど投げ捨てても問題無いんだよ。

その場を切り抜ければ何でも出来るんだからな。

 

「まぁ、御家騒動を起こすつもりですが……」

「正直ですね。私も貴方ならそうすると思いましたよ。それでも貴方に大友家へ仕えるように色々と施していたでしょうが」

 

一瞬、背筋が凍った。

 

「色々……?」

「ええ。今となっては無用な想像でしたね」

「ひどく気になるんですが」

「お気になさらず。さて、二つ目の問いです。何故、貴方はそれほどまでして私を島津家にお仕えさせたいのですか?」

 

答えなんて決まっている。

九九の計算よりも簡単である。

俺だって戸次道雪が雪さんと全く無関係な人物だったら、島津家宰相の地位と反比例するようなほど下手に出ていない。

もっと威圧的に交渉していた。

高圧的に軍門に下れと催促していたと思う。

恥ずかしがる必要なんてないんだ。

鹿児島で再会した時に正面から告げているんだからな。

 

「道雪殿が大事な人だからに決まっています」

「は、はぁ。……はい?」

 

目を白黒させる道雪殿。

鬼道雪の貫禄は何処へやらだ。

 

「信じていませんね?」

「い、いえ、そのようなことはーー」

「道雪殿は俺にとって大事な人なんです。坊津では背中を押してくれました。鹿児島では見失っていたモノを取り戻させてくれました。命の恩人と呼んでも過言じゃないんです」

「え、あ、うぅ……」

「出生を偽られても、敵将だったとしても、そんなことは笑い飛ばしてしまえそうな程、俺は貴女を大事に想っているんです!」

 

力強く宣言する。

全くもって格子が邪魔だ。

見張りの兵士がいるから壊せないけど。

格子なんて無かったら座敷牢に足を踏み入れてるだろうな。目の前で頭を下げたり、場合によったらお酒だって酌み交わしても構わない。

道雪殿は賢い方である。

此処で俺に危害を加えても何一つ利にならないとわかっている筈だ。だというのに、本当に邪魔なんですけどこの無駄に頑丈な格子は!

 

「わかりました。わかりましたからっ!」

「ご理解頂けましたか!?」

「え、えぇ。ーー全く、もう。熱いですね」

 

頬を紅潮させる道雪殿。

パタパタと手で仰ぐ様は可愛らしい限り。

耳から首筋まで真っ赤にさせる辺り初心そうである。

 

「夏ですから」

「そういう意味ではありません!」

 

瞬間、吠えられた。

はぁはぁと呼吸を荒げている。

あれ、もしかして選択を間違えてしまったか。

直茂からの助言通りにしたつもりだったんだが。

まさか騙されたのかと首を傾げる俺。

道雪殿は呼吸を整えてから冷静に言葉を紡いだ。

 

「では、最後の問いです」

「はい。噓偽りなくお答えします」

 

一拍。

 

「三年前の約束、覚えていますか?」

「坊津の時に交わした約束の事なら。将来、無事に再会できた時はお互いの目標を手助けしようという約束でしたよね?」

「……貴方は朴念仁かと思っていました」

 

目を見開く道雪殿。

まさに心外の至りだ。

約束を忘れるなんてことする筈がない。

特に女性と交わした約束事なら尚更である。

つーか、朴念仁って何だよ。

これでも異性からの好意に敏感ですよ、俺は。

 

「それはつまり約束を忘れているだろうと?」

「覚えているのなら問題ありませんよ」

「罵倒された気がします」

「褒めたんです。さて、質問は終わりです」

 

何処に褒めた要素があったんだ?

道雪殿の言葉を反芻する俺だった。

何にせよーー。

三つの質問に答えた。

嘘偽りなく本心から答えたんだ。

これで駄目ならどうしようかなぁ。

最後は泣き落としという手段があるけども。

 

「どう、でしたか?」

「安心しなさい。貴方にお仕えします」

 

刹那、全身の力が抜けた。

余りの安心感故に格子から手を離す。

 

「……良かったぁぁああ」

 

口から漏れ出た感想は歓喜と安堵に包まれていた。

 

「ふふ。島津の今士元たる貴方にそこまで喜ばれると悪い気はしませんね。但し、条件が三つほどありますよ」

 

え?

 

「……条件があるんですか?」

 

そういえば条件が無いとは言ってなかったな。

島津家に仕える条件を告げる前に、俺に対して三つほど尋ねたい事があると口にしただけだった。

完全に忘れてました。

無論、条件を突き付けられるなんて想定の範囲内。

余程の事でない限りは受け入れるつもりである。

 

「駄目ですか?」

「いえ、そんなことは。条件の内容にも依りますが」

 

流石に島津領を全部差し出せとか。

正室である義久と別れろとか。

久朗と寝ろとか言われたら断るしかない。

 

「一つは、大友家の存続です」

 

ほう、一つ目から核心的な部分を突くな。

大友家の忠臣たる戸次道雪なら提示するだろう。

予想していた条件の一つだ。

承知する前に確かめなくてはならない。

真顔に戻った俺は低い声音で問い掛けた。

 

「豊後を見逃せと仰るのですか?」

「そこまでは求めません。貴方が天下を狙っている事は知っていますからね。私が欲しているのは宗麟様の身の安全です」

 

成る程、と理解した。

先ほどの問答に意味はあったんだ。

道雪殿が発した最初の問いに対し、俺こと島津忠棟は義久の命を守れるのなら敵軍に仕えても構わないと答えた。

あの時点で勝負が決していた。

俺から必要な台詞を引き出した段階で、道雪殿からしてみたら後の問答は茶番に過ぎなかったんだろうな。

何せ俺自身が仕える条件を口にしたんだ。

道雪殿に適用させられないとしたら嘘になる。

いやーー。

これが俺たちの落とし所って奴か。

 

「成る程、一本取られましたね」

「それでどうなのですか?」

「承知しました。島津忠棟の名に於いて大友家は滅ぼさないと約束します。いや、誓詞血判をもって誓いましょう」

「誓詞血判など無くとも、私は忠棟殿を信じていますよ」

「道雪殿の信頼を頂けるとは光栄の極みです」

 

当然、島津家が九州を掌握する。

大友家は相良家ほどに没落するだろう。

それでも御家の存続を願うあたり律儀な方だ。

 

「二つ目は、私は島津義久殿には仕えないという事です」

 

まさかの卓袱台返し。

今までの時間は何だったのか。

俺を弄んでいたのかと双眸を鋭くした。

道雪殿は春の芝生のように明るく笑った。

 

「二君に仕えるなど不忠の極み。しかし、約束を守らないのは仁義に悖ります。故に、私は忠棟殿の家臣となりましょう」

 

道雪殿が俺の家臣に?

 

「充分な禄を与えられませんよ?」

 

城主でもなければ、地頭でもないんだ。

与えられる物は無駄に溜まった金子ぐらい。

鬼道雪を家臣とするのに全くもって足りない気がする。

 

「無用です。宗麟様の命を救えて、貴方との約束を守れるなら。本来なら此処で死んでいる身ですからね」

 

なのに道雪殿は朗らかに微笑んだ。

なら、俺も腹を括るしかないだろうが

 

「道雪殿を巧く扱えるように精進します」

「期待していますよ。さて、三つ目ですが……」

 

一拍。

 

「雪、と呼んでください」

 

悲しげな表情は悪戯っ子のように。

憂いを帯びた声音は喜色を孕んでいた。

目を丸くする俺に、道雪殿はクスクスと笑った。

 

「道雪殿?」

「それが、最後の条件です」

 

そうか。

条件なら仕方ないな。

道雪殿を家臣とする為に必要なら。

島津家宰相と大友家の大黒柱。

二人が手を組むには様々な大義名分が必要だ。

当然ながら仲良くする為にも同様で。

俺たちには地位がある。世間体が存在する。

不器用だとしても、一つ一つに意味合いを持たせないといけない。いやはや、全くもって面倒な事だと思うよ。

 

「わかりました、雪さん」

「雪だけで構いませんよ?」

「いや、何かもう、雪さんで定着しましたから」

「まぁ、良いでしょう」

 

俺より二つ歳上だしな。

年長者を敬うのが当然だ。

そんな俺に対する当て付けか、道雪殿は頭を下げた。

 

「これからよろしくお願いしますね、殿」

 

うぉおおお!

背中がゾワッてした!

変な汗も掻いちゃったんだけど!

 

「あ、それは駄目です。殿はやめて下さい!」

 

うん、改めて理解した。

俺は人の上に立つ人間ではないと。

義弘様や雪さんに殿とか呼ばれるだけで罪悪感が溢れ出す。出来るとしても戦場や内政に於いて指示を与えるだけだ。

自信は取り戻したよ。

雪さんに勝って磐石な物にしたさ。

だとしても生来の気質とか関係しているわけで。

その事を充分に把握しているのか、雪さんは苦笑した。

 

「ふふ。冗談ですよ、忠棟殿」

「勘弁してくださいよ、雪さん」

 

手強い家臣に項垂れる俺。

だからなのか、全く気付かなかった。

 

 

 

見張りの兵士がそそくさと何処かへ消えた事を。

 

 

 

 

 





本日の要点。

1、忠棟「道雪殿を説得しなきゃ(使命感)」


2、道雪「雪と呼ばせなきゃ(使命感)」


3、兵士「義久様に報告しなきゃ(使命感)」

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