「知ってたけどさ。これは酷いぞ」
眼前に広がる断崖絶壁の崖。
天然の要害に築かれた山城として、まさに教科書通りに攻め難く守り易いを体現した岩剣城の全容を視認しながら俺は人知れず嘆息してしまう。
力攻めは愚策。どうしようもないな。
朝から晩まで力攻めすれば落とせるかもしれんが島津側の被害甚大となるだけだ。
今後のことを考えれば兵の消耗はなるべく避けたい。
下手すれば初陣の義久様か義弘様、そして元服したばかりの歳久様のどなたかが討死する可能性もある。
被害を抑えるためには、貴久様の思惑通りに戦を進めるしかねぇ。史実通りに行こう。
基本的に余計な事はするべきじゃない。
俺の発言権もまだまだ低いからな。
加治木城を包囲した蒲生範清を中心とする連合軍を釣る。野戦で勝利を飾る。岩剣城の城主を討ち取って混乱を助長させて一気に城内を占領。この大まかな流れに沿って、後は俺が少し修正すれば問題ない筈である。
その為に岩剣城の北部に陣取った訳だしな。
「ねぇ、源太」
「如何なされましたか、義弘様」
隣で不安そうに得物を持つ島津義弘様。俺と同い年だ。12歳になったばかり。しかしながら小柄な身体から考えられぬ程の槍の名手として名高く、此度の戦でも多大な槍働きを期待されている島津貴久様の次女であった。
史実でも武勇の誉れ高く『鬼島津』と恐れられた猛将だ。
有名なのは島津の退き口であろうか。関ヶ原の合戦で西軍敗北が決定的となった後、家康本陣に向けて異例の敵中突破による退却を図り、捨て奸と呼ばれる戦法を駆使し、紆余曲折ありながらも最終的に無事に薩摩本国へ帰国を果たした。
そんな島津義弘もこの世界だと可愛らしい少女である。青を基調とした鎧に身を包み、短く纏められた黒髪は麗しく芳しい。だが普段は快活な琥珀の双眸だけは、これから起こるであろう合戦のせいか小さく不安げに揺れていた。
「この戦、勝てるよね?」
将来は戦国時代でも屈指の猛将。
それでも未だ12歳の身の上である。
しかも初陣。不安にもなろう。
あまりに多くを求めるのは酷というものだ。
俺は義弘様を落ち着かせるように極めて冷静な口調で断言する。
「無論です。負ける要素が見当たりませぬ」
つか、俺は何でこんなに平静を保ってられるんだろうか。ふと気になった。
初陣だ。人が沢山死ぬんだ。負ける可能性だって微粒子レベルで存在するんだ。
なのにどうしてだろう。
気にしたら負けなのか?
これも伊集院忠棟の優秀さのお陰なのかな。
「岩剣城の堅牢さは私でもわかるよ。どうして負ける要素がないって言い切れるわけ?」
「義弘様。貴久様の考えた策の本質はどのようなものでしょうか?」
「蒲生たちを誘き寄せるんでしょ?」
「然り」
「でも、誘き寄せられなかったからどうするの?」
現在、蒲生たちは2500の兵を率いて加治木城を包囲している。
3年前に反島津連合から袂を絶った肝付兼演の守る城を落とし、北薩と西大隈から島津家の勢力を叩き出す為だ。
ここまでは史実と変わらない。
対して加治木城を守るのは肝付兼演だけではない。蒲生範清の謀叛を予想してあった島津家は2年の間に加治木城の応急普請を行った上に、貴久様の弟君であらせられる島津忠将様に200の兵を預け、前もって派遣してあった。これらの処置によって加治木城陥落の可能性は限りなく低くなったと言えよう。
「蒲生たちが加治木城を落とすのに腐心したら忠将叔父さんも危ないよ」
加治木城は、東を除いた三方は急峻な大地の上に築かれている。つまり山城だ。元々から堅城だったが、応急普請によって更に堅牢な城と化し、守将は貴久様の弟で島津家の血を引く優秀な忠将様である。
故にーー。
岩剣城を攻められていると知った蒲生範清の取れる選択肢は三つしかない。
一つは岩剣城を捨てて、兵の消耗も無視して加治木城を猛勢にて落とす。もう一つは加治木城から岩剣城へ兵を動かして祁答院良重の救援に向かう。最後に連合軍を解散させて本城へ戻る。このどれかである。
だが、渋谷氏を始めとした祁答院氏、入来院氏、菱刈氏、北原氏らを加えた連合軍を結成した時点で何も戦果を得ずに引き下がることは許されない。加えて加治木城の堅牢さ。
この二つの要因から蒲生範清の取れる選択は実質一つだけだ。
「心配には及びませぬ。奴らは必ず誘き出されます。岩剣城を攻められていると知れば必ず。何しろ岩剣城を抜かれれば蒲生本城は目と鼻の先。加治木城を攻略している場合ではありますまい」
もしも蒲生範清がトチ狂って加治木城に留まるなら、島津側は岩剣城を兵糧攻めしつつ帖佐平山城を落とせばよい。
加治木城救援はその後でも十分に間に合う計算だ。蒲生本城に攻め込むことも可能となろう。まぁ、あり得ない未来図だけどさ。
「おびき出してしまえば勝利は目前。背後から忠将様が撃って出て、我々は万全の状態で待ち構えます。後は二つか三つほど策を巡らせればお味方の大勝、間違いなしでございます」
初めての拝謁の際、調子に乗った受け答えのせいか、その後何度か貴久様に意見を求められたことがあり、これまた自重せずに史実より有利な状況に持ち込めるような献策をしてしまった。
その最たるものが東郷氏への工作でありまして。伊達に2年前から準備していないのだ。
自信満々な口調が功を奏したのか、懇切丁寧に説明し終えると義弘様は明るく元気に頷いた。最早不安げな様子は垣間見れない。
「そっか。源太が言うなら大丈夫よね!」
「もったいなきお言葉。義弘様は他の将兵を動揺させないよう、普段通りのお姿でおられますようお願い致します」
「うん!」
手槍を扱きながら義弘様は去っていく。
踵を返した義弘様の背中を眺める俺。
少女の身ながら、人の上に立つ者が備えるに相応しい凛々しさと逞しさを感じ取れた。
一刻前は見えぬ負け戦を連想して怯えていたのに、自信を取り戻しただけで膨れ上がる覇気は島津貴久様の次女であることを否が応でも考えさせられてしまう。
「よくもまぁ、あそこまで口が回るものよ」
「た、忠良様!?」
全く気配を感じなかった。
気が付けば隣で腕組みをしている初老の翁。
岩剣城に進軍する最中、初めてご尊顔を拝謁したばかり。島津四姉妹の祖父、即ち貴久様の父君であらせられ、父子揃って『島津家中興の祖』と称えられるほどの名君であった御仁は島津忠良様である。
驚愕に目を見開き、慌てて片膝を付く俺。
しかし忠良様は「よいよい」と破顔しつつ岩剣城を見上げた。
「伊集院家の麒麟児。なるほど、噂には聞いておったが確かに12歳の小僧と思えぬ口の回りようじゃな」
忠良様の耳にまで届いてたのかよ。
嬉しいやら恥ずかしいやら。
流石に砂糖や千歯扱きの件は聞いてない筈。
何しろ貴久様に家督を譲った後は加世田城にて半ば隠居の身であったのだ。
岩剣城の戦いに参陣することは史実からわかってたし、言葉を交わせたら不躾ながら頼みたいことが一つ有ったんだが、貴久様に負けず劣らずの威圧を醸し出す翁と相対した俺はぶっちゃけ呑まれそうになっていた。
「はっ。恐れ入りましてござりまする」
咄嗟に答える。
忠良様は一点を見つめたまま言い放つ。
「義弘の不安は当然のものじゃ。未だ武将として未熟である証じゃが、初陣であるなら尚更のう」
「今はもう、不安を抱いていないかと」
「お主の口八丁に乗せられてな。アレでも儂の孫娘。心底勝つと信じておる相手の言葉でなければああも容易く不安は払拭されぬ」
頭を振って口を閉ざした忠良様は初めて俺を見た。30センチ近い身長の差から見下すように見下ろし、一挙手一投足を見逃さないように注視する様はまるで尋問しているみたいである。
自然と喉が鳴った。
ゴクリ、と生唾を飲み込む。
腰に差した刀で斬られる未来が脳裏に浮かんだ。下手なことを言えば殺される。失礼ながらこの時、本気で命の危険を感じた。
「問いだ、小僧。岩剣城をどう見る?」
「天然の要害に築かれた堅城かと」
「であるか。ならば力攻めは愚策であるな」
「はっ。故に貴久様も策を用いました」
「蒲生範清らを釣るか。決戦はどこぞ?」
内城にて行われた評定に忠良様は参列していない。貴久様の策に関しては断片的に聞いただけだろう。
にも関わらず本質を理解している。
義弘様と違うのはやはり経験であろう。
貴久様と共に争乱の最中に遭った薩摩平定を成し遂げたのは伊達ではないということだ。
「岩剣城北部、平松かと」
間髪入れず答える。
史実でも平松で野戦を行い、激戦の結果、島津軍は勝利を収める。不満があるとすれば岩剣城にも猛攻を仕掛けていた故に被害甚大となり、戦後に蒲生氏や祁答院氏を追撃できなくなったことである。
ならばこの世界では一気に攻め落とさねばならない。
「ふむ。お主が此処に陣取ったのは己で武功を挙げる為か?」
「否。伏兵を用い、数少ない損害で最大限の勝利を得る為であります。俺は祖父に呆れられるほど武術の才がありませんから」
「ふ、ふははははは!」
何故か大笑いする忠良様。
陣の周囲を固める兵士たちが何事かと此方を見る。こっち見んなよ。恥ずかしいだろ!
義久様も小首を傾げてどうしたのって聞いてこないで!
忠良様は口許を綻ばせたまま続けた。
「武術の才を持たぬと宣言する武将など初めて見たわ。麒麟児と持て囃された愚か者と思いきや己が分を弁えておる。不思議な小僧じゃな」
「もったいなきお言葉」
身の丈を知り、分を弁える。
現代社会でも必要なことである、
出る杭は打たれるというしな。
残念なことにあまりにも異質な存在は叩かれてしまうのだ。織田信長の奇行然り。時代時代に合った思想や行動を厳守しないと俺も何時うつけ者と断じられるかわからない。
島津家家中の信頼を手に入れる為には常に冷静で、驕らず、着々と功績を重ねていく他ない訳だ。
まぁ面倒くさいけどな。
忠良様には見抜かれているらしく、軽く頭を叩かれた。
「無駄な謙遜じゃ。して、貴久に献策したのか?」
「平松に関してはまだでございます」
「それは義久に武功を立てさせる為か?」
「忠良様のご慧眼には敵いませぬな」
「小僧の申すことよ」
カラカラと快活に笑う忠良様。
年老いて皺の寄った優しげな顔の笑うお姿は英傑と思えず、知らぬ人が見れば孫の言葉に喜ぶ好々爺にしか見えないだろう。
「じゃがお主は元服したての小僧よ。例え理に叶っていようとも実績の伴っていないお主の策では新納忠元、鎌田政年は納得せんじゃろうな」
史実だと島津忠良の四天王と称された内の2人の名前は耳にしただけで心臓が震える。
新納忠元、鎌田政年。
何度か話したことはあるが、あの2人を説き伏せられるような実績を確かに俺は持っていない。だが、その件については考えがある。
「承知致してござりまする。故に評定の際に義久様から献策してもらおうと愚考しております」
「ならぬ!」
瞬間、一喝された。
近くで叫ばないでくれよ。耳が痛ぇよ。
義久様も大丈夫かしらって心配しないで。なんだか心まで痛くなるから。取り敢えず放っておいてくださいお願いします。
「自ら考えた策は己が口で献策すべし。責任を主君に押し付けるなどもっての外じゃ!」
それだと新納さんや鎌田さんが納得しないって言ったのは忠良様じゃん。
俺だって理解してるから仕方なく義久様から献策して貰おうと考えたのに。
「なれど、俺ではーー」
「心配するでない。儂がおる」
「忠良様?」
「評定の際はお主も参列せよ。義久の筆頭家老なのじゃから早めに経験しておくに限るからな。貴久には儂から伝えておこう」
え?
マジで?
戦評定に参加できるの、俺が?
元服して2年の若造では島津家の戦や今後を左右する評定に参列する権利を持たない。貴久様からしてみれば陪臣でしかないからだ。
島津家家中を唸らせる功績を立てるか、直接の君主である義久様が家督を継いで直臣となるか、そのいずれかで無ければ参加を許されないだろう。
早くても三年後だと予想してたのに。
忠良様万歳!
島津日新斎様万歳!
何が功を奏するかわからないもんだな!
「感謝の言葉もありませぬ!」
「よいよい」
「忠良様、そのご厚意を無下にするようで心苦しいですが、此度の戦が終わり次第、一つ献策したい義がござりまする」
「儂にか?」
「はっ」
「ふむふむ。なれば死する訳にもいかんな」
はっはっはっ。
高笑いしながら立ち去る忠良様の背中に向けて一礼した後、俺は喜びのあまりスキップしながら義久様の元へ急いだのだった。
■
島津忠良は本陣へ馬を走らせた。
堅牢な岩剣城を攻め立て始めるのは明朝である。息子である貴久と二つ三つ言葉を交わらせる時間は十二分に有った。
本陣を守護する兵士たちが元当主の存在に片膝を付く。家臣たちも同様だ。彼らに挨拶するのは戦が終わってからにしよう。
今は久方ぶりに心踊る生意気な小僧について貴久と語らねばならないのだから。
「忠良様、お久しぶりでございまする。本陣に何用であられますか?」
「おぉ、忠朗か。お主も老けたのう」
「人であるなら誰でも老けまする」
「忠朗の申すことよ」
伊集院忠棟の生意気さは祖父譲りか。
間に挟まれている伊集院忠倉は何とも面白みのない真面目な男であるのが悔やまれる。父譲りなのか能吏として有能だからこそ島津家家中でも一目置かれているのだがーー。
閑話休題。その話はまた今度である。
「貴久はおるか?」
「殿ならば此方におられます」
「ふむ。忠朗も付いてこい。此度の訪問、お主の孫息子に関することじゃぞ」
「忠棟のーー。承知仕りました」
貴久の筆頭家老として参陣している伊集院忠朗に案内され、忠良は貴久と3日ぶりに相対する。余計な問答は脇に置いて、すぐさま本題に移った。
「先程な、例の麒麟児と会ってきたぞ」
「忠棟ですか。孫が如何なされましたか?」
忠朗の疑問に、忠良は簡潔に答えた。
「今後の戦評定に参加させる。異論は認めんぞ。既に小僧と約束して来たのでな」
「父上、忠棟は未だ12歳の身ですぞ!」
「義久の筆頭家老なのだろう。早めに経験を積ませておくに限る。此度の戦に勝てば、本格的に大隈平定に取り掛かるのであれば尚更のう」
「しかし早すぎまする。我々が承知したとしても、忠元や政年らは反対するでしょうな」
「其方とは儂が話を通す。お主に話したのは島津家当主が承諾したという裏付けを欲しただけよ」
新納忠元にしろ、鎌田政年にしろ、貴久からならいざ知らず元当主である忠良から頼まれれば断りづらいだろう。
当主の貴久によるお墨付きがあれば尚更だ。
加えて伊集院忠棟は次期当主である島津義久の筆頭家老である。これら3つの要素を鑑みれば、首を縦に振らざるを得ない。
「父上が誰かを優遇するのは珍しいですな」
「全くです」
「貴久よ。儂がお主の娘たちをどう評したか憶えておるか?」
「? 勿論でございます」
島津忠良は島津四姉妹をこう評した。
『義久は三州の総大将たるの材徳自ら備わり、義弘は雄武英略を以て他に傑出し、歳久は終始の利害を察するの智計並びなく、家久は軍法戦術に妙を得たり』と。
一昨年の事である。
義久は12歳、義弘は10歳、歳久と家久は8歳と7歳という幼さでありながら、忠良は彼女たちの才能を見極めて将来を期待していた。
だがこう思っていた。
彼女たちの才能を結集したとしても、薩摩大隈日向の三州もしくは九州統一を成し遂げるのが精一杯だろうと。
天下には僅かに届かないだろうと。
「儂はのう、貴久。あの生意気な小僧に義久たちが持ち得ない『才』を見た。一瞬ではあったが夢を見たのだ。島津家が天下を取るという夢をな」
「父上……」
「忠棟の戦評定の参加、良いな?」
眼を閉じて押し黙る貴久に念を押すと、現当主の隣に佇む忠朗が先に諦めたように肩を竦めた。
忠朗は思考する。
元当主の人物眼は並外れた物があると。
その御仁が天下を取るに必要な人材だと評したのだ。仕方ない。この翁も孫のためなら泥を被ろうではないかと決意した。
「忠良様にこうも認められるとは。私には出来過ぎた孫でございますな」
筆頭家老の諦観な口調を聞き、貴久も腹を括ったらしい。嘆息を一つ。手にした扇子を膝に叩き付け、共に薩摩平定を成し遂げた肉親を見上げる。
「父上」
「どうした?」
「俺は2年前、忠棟と言葉を交わした際、奴を龐士元の生まれ変わりだと評しました」
「大陸の鳳雛か。ふはははは、なるほどなるほど。それは言い得て妙かもしれんなぁ!」
「戦評定の参加、俺も了承しました」
「そうかそうか。儂は今から忠元たちの元へ急ぐのでな。これにて御免」
本陣に訪れた時のように、忠良は年齢を感じさせない動きで乗馬し、風の如く新納忠元の敷いた陣へ駆けていくのだった。