島津飛翔記   作:慶伊徹

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二十六話 島津義久との会議

 

 

 

屏風絵は美術品であり、城を飾る装飾品である。

その価値は大内義隆が狩野元信に宛てた発注書から垣間見える。

一双分代、三十五貫文。一貫文はおよそ二石、一石は人が一年間に消費する米の量だ。つまり七十人分の一年間に当たる金額が狩野元信に支払われたことになる。

そしてーー。

戦国時代を代表する絵師集団は狩野派である。

その絵画は、戦国時代以降の大名や武将たちの生活風景になくてはならない存在であった。

九州の南端に位置する薩摩国。そこを支配する島津家の城とて例外ではなく、いつ見ても広間の側面に描かれた質実剛健な障壁画の数々に圧倒されてしまう。

これを描いた狩野松栄は天才だと思う。

史実でも狩野元信や狩野永徳の陰に隠れてしまっているが、この世界だと彼の人柄は温和で善良な人物だった。

史実の様に長生きする事を願っている。

だから、俺が長生きする事も願ってほしいです。

正室と側室から無言で見下ろされている現状、無事に朝日を拝める気がしない。いつまでも黙っている訳にもいかず、意を決して口火を切ることにした。

 

「夫婦会議、で御座りまするか?」

「そうよ〜。最近、源太くんの行動が目に余るもの。直茂も同意してくれたから思わず開いちゃったわ〜」

 

目に余る、とな?

 

「お言葉ながら義久様に異を唱えまする。某の行動が目に余るとは心外の至り。この島津忠棟、島津家発展の為に日夜粉骨砕身努力して政務に励んでおりまするぞ」

 

むしろ最近は忙しいぐらいだ。

政務に関しては滞りなく済ませているけど。

南蛮人から買った鉄砲の数は万を超えた。

三洲平定時に使った兵糧も改めて溜め直した。

触手を伸ばしておいた毛利家から色よい返事も来た。龍造寺家も決戦の時まで無事に持ち堪えられるだろう。

相良征伐の功績で俺の婿養子入りも承認済み。

新納親子とも仲直りした。他の武断派とも気負いなく言葉を交わせる程度には仲を深めたぐらいである。

これに加えて、一月前から工業都市の建設も始めた。

いつまでも馬鹿の一つ覚えみたいに南蛮商人から鉄砲を買う訳にいかない理由がある。

大友家との決戦に勝利した後、肥後すらも平定した暁には溜め込んでいた政策を打ち出していくつもりだ。

その政策には莫大な金銭が必要となる。

正直、今からでも薩摩街道の大々的な整備を行いたい訳なんだが、甲斐宗運が肥後北部から南下したきたら不味いしなぁ。

ーー閑話休題。

義久様は笑顔で手のひらをヒラヒラとさせる。

 

「政務に関しては文句なんてないわよ〜。その時はお父さんと一緒に登城を命ずるわ。夫婦会議だと最初に言ったでしょう?」

「確かに申しておりましたが……」

「旦那様、奥方様は夜の事について申し上げたき議があるとの事。私とて、一月前から幾度ご注進なさろうかと考えておりました」

 

直茂の言葉で理解した。

夫婦会議とはよく言った物だ。

だけど、疑念が一つ膨れ上がった。

何故夜のことを一々話し合うんだろうか?

 

「成る程。伽の事、で御座いますかな?」

「正解。でも、源太くんってば、どうして呼び出されたか見当もつかないって顔してるわね〜」

「ご明察かと、奥方様」

「ご理解致しかねまする」

 

本当にわからない。

あり得る話をすれば、俺が超絶下手なのか。

いやーまさかねぇ。

義久様は別として、直茂は良く気絶するぐらい感じてる。その度に起こしてるけどさ。

もしかして演技だったりするのか?

だとしたら何処まで万能超人なんだ、この女。

 

「そうーー。私、残念だわ〜」

「奥方様、お気を沈めになりませんよう」

「ありがとう、直茂」

「なんと勿体なきお言葉」

 

いつの間にか仲良くなってる。

良いことなんだろうけど、義久様と直茂が結託したら絶対に勝てない気がするのは俺だけか。

 

「伽の最中に失態を犯したならば平伏して陳謝する所存なれど、その詳細を知らない事には話になりますまい」

 

だから早く話して下さい。

言外に叫ぶ俺を眺めながら、義久様は頬に手を当てた。

 

「尤もな意見ねぇ」

「して、某の失態とは如何に」

「二つあるわぁ。一つは仕方ない事だけど」

「ええ。それは生まれつきの物でありますから」

「一体何の話を……」

 

生まれつきって何?

つーか、一つじゃないのかよ。

これも伽に関する事だった場合、俺は直茂の事を見つめ直さないといけない。勿論良い意味で。

意外と人間らしいところがあるじゃないかと。

尤も、ハニートラップの可能性が増えた為に、今まで通り最大限の警戒を行っていくつもりだけどさ。

 

「単刀直入に尋ねるわよ、源太くん」

「御意」

 

真剣味溢れる義久様の声。

反射的に頭を下げる俺こと島津忠棟。

判決を待つ罪人のような心持ちで過ぎる一秒。

あまりに遅すぎる時の流れに苛立ちが募る中、義久様は透き通る声で尋ねた。

 

 

「どうして最近、私と一緒に床に入らないの?」

 

 

撤退しなければならぬ!

少なくとも義久様から直茂に視線を移さねばならぬ!

 

「……直茂、お主が喋ったのか?」

「先程申した通り、初めは旦那様に直接進言しようかと思っていたのですが、先に奥方様からご相談を賜りまして」

「もう半月も源太くんと寝ていないわ〜」

 

いやいやいや!

そんなこと広間で話す事かよ。

誰かに聞かれたら物笑いの種となる。

貴久様のお耳に入ったら殺されてしまうぞ、俺。

 

「こ、声を控えてくださりませ」

「大丈夫よ〜。三太夫くんが忍衆と一緒に部屋の周囲を警戒してるから〜。聞かれる危険性はないわねぇ」

「だからと言って、大声で話す事でもありますまい」

「私に飽きてしまったのかしら〜」

「あぁ、もう!」

 

人の話聞けよ。

頼むから聞いてくれよ。

そして三太夫、お前は何をしてんだ。

豊後国で寺社勢力の内情を調べてこいって言ったばかりだろうが。大友宗麟の南蛮狂いを最大限に活用しないと早期決着は見込めねぇんだぞ!

俺の家臣じゃなくて義久様の家臣になっちまったのか、お前!

 

「旦那様、正直に話すしかないかと愚考します」

「元はと言えばお主の……。いや、義久様に説明しなかった某の失態か」

 

直茂に当たるのはあまりに身勝手。

元はと言えば俺が蒔いてしまった種である。

己で刈り取るのが道理というものであろうな。

説明しなくても義久様ならご理解なさっていると思っていたんだが、もしも不安にさせてしまったなら反省すべきだと思う。

 

「端的にお答えするならば、大友家との戦を鑑みた故に御座りまする。今身籠れば、総大将たる義久様の御出馬が危ぶまれると考えた次第」

「私が総大将?」

「無論。大友家との決戦時、島津軍を率いる総大将は島津家次期当主であらせられる義久様を於いて他になく。義弘様は別動隊の大将となりましょうな」

「島津家の当主はお父さんよ?」

「殿にあらせられましては内城にて北方を睨むご予定に御座りまする」

 

事前に上へ話は通してある。

義久様の総大将就任を最後まで渋っていた貴久様だったが、最後は歳久様の可愛らしいお願い攻撃で呆気なく陥落した。

正論で土台を作り、後は感情に訴える。

交渉の基本とでも言うべきか。

それでも、チョロいなと思ったのは秘密である。

何にせよーー。

義久様が総大将として大友家を撃退しつつ、貴久様が予備戦力を保持したまま薩摩国に残るのは、今後の情勢を鑑みても必要不可欠な配置なのだ。

此処で一気に決めなくては戦後の取り分が少なくなる上に、九州統一とて二年遅くなる計算だからなぁ。

 

「私に武功を挙げさせるって聞いたけど、まさか全軍の総大将だなんて驚いたわ〜」

「ご理解なされたのなら重畳至極」

 

だと思った俺が馬鹿でした。

次は直茂が爆弾を投下してきやがった。

 

「旦那様にお尋ねします。毎夜の如く私の床に参られるのは何故でありましょうか?」

「そうねぇ。私より直茂の方が良いの?」

「確かに私と旦那様の相性は非常に良いものと思われます。だからこそ、毎夜私の床に渡ってくるのでしょう」

「あらぁ、直茂ってば知らないのかしら。源太くんってば胸の大きい女性が好みなのよ〜。初めて会った時もチラチラって見てきたんだからぁ」

「なんと。旦那様は嘘吐きだったのですね」

「嘘吐きって?」

「私の胸をお美しいと褒めてくださいました。大きすぎるのも考えものだと。直茂ぐらいがちょうど良い大きさだと何度も仰って下さいました」

「大は小を兼ねるって言葉、知ってるかしら」

「垂れてしまう物に嫉妬など致しません」

「あらあらぁ。源太くんに聞くのが一番ね〜」

「同意致します。して旦那様、私と奥方様のどちらに夜伽の軍配が上がりましょうか?」

 

勘弁してくれ。

修羅場は御免被る。

さっきまで二人とも仲良かったのに。

義久様は笑顔のままで、直茂は涼しげな表情で睨み合う様は筆舌にし難い物があった。

そもそも直茂から好意を向けられた事なんて一度もないんだが、どうして義久様に対してだけこんなにも敵意を剥き出しにしてるんだか。

離間の計だとしても浅はか過ぎる。

他に何か計略を張り巡らしているとしたら、直茂はなにを狙っているんだろうか。

何はともあれ、一先ず答えを出すしかあるまい。

 

「……義久様、かな」

 

抱いた後の充足感が果てしない。

俺って幸せ者だなと心の底から思える。

だから義久様を選んだ。

当の本人は嬉しそうに何度も頷く。

 

「うんうん」

「……奥方様に勝てずとも致し方無し。されど床に渡る回数は私の方が上ですよ、奥方様」

「そうねぇ。ーー源太くん、主君の命令よ。七日に四日は私と寝る事。いいわよね〜?」

「成りませぬ。もしもお子が出来たら如何致すご所存か!」

「一緒に寝るだけよ〜」

「夜伽はなさらぬと申される訳ですな?」

「えぇ、源太くんが我慢できたらだけどね〜」

「大抵の場合、義久様から押し倒してくるではありませぬか……」

 

意外や意外、義久様は積極的な女性だ。

日頃のマイペースな行動を裏切るように、床の間だと俺は常に主導権を握られっぱなしである。

二つ歳上だから。生涯の主君だから。

様々な理由は考えられるけども、俺個人の意見を述べるとしたら義久様はガチの肉食系女子だと思います。それでいて、お淑やかな部分も持ち合わせているんだから反則的な女性と言えよう。

昼は淑女の如く清楚で、夜は娼婦の如く淫らで。

古今東西、男性が求める妻の在り方を体現したのが島津義久という女性だった。

 

「だって源太くんが可愛いんだもの」

「某とて武士の一人なれば可愛いという表現は屈辱の極みなり」

「ミケと日向ぼっこしてる時とか」

「何故それを知ってーーっ!」

「猫が好きだものねぇ、源太くん」

「好きで御座るが、いつも日向ぼっこしている訳ではなく……」

「ミケにニャーニャー言ってたらしいわねぇ」

「うわぁああああ」

 

誰に見られたんだ。

誰に聞かれたんだよ。

ミケと遊ぶ時は周囲を警戒していたのに。

誰も居ないことを確認してから戯れていたのに。

下手人は誰だ。まさか三太夫なのか。

もしもそうだった場合、減給で済まされねぇぞ。

ーーそれから。

義久様に弄られること四半刻が過ぎた。

羞恥心から顔を真っ赤にして俯く俺と何故か充実感を漂わす義久様の両名を顔色を窺いつつ、今まで口数の少なかった直茂が口を開いた。

 

「奥方様、そろそろもう一つの内容に移っても構わぬでしょうか」

「あらぁ。忘れる所だったわね〜」

「なんとっ。まだあると申されますか」

 

俺の心は既に崩壊寸前だ。

むしろ最早弄る所など無いだろうに。

ご容赦下さいと言わんばかりに平伏する俺。

だが、義久様は相変わらず真意の読めない笑みを浮かべるだけだった。

 

「ふふふ、さっきのは私からの不満だもの」

 

つまり次は直茂の不満か。

 

「旦那様にご意見なさるなど無礼千万だと知りながら、一つ物申したい議が御座います。宜しいでしょうか」

「毒を食らわば皿まで。忌憚なく申してみよ」

 

覚悟は決めた。

義久様の御前である。

直茂とて分別の付いた不満を漏らすに違い無い。

そう思っていた時期が俺にもありましたね、ええ。

 

 

「旦那様は子種がないのですか?」

 

 

なん、だと……?

 

「は?」

「あらまぁ」

「旦那様と身体を重ねること早五ヶ月。未だに懐妊の症状が現れず、もしや旦那様には子種が無いのではと不審に思い、このような場を設けさせてもらった次第です」

「それは困るわぁ。跡取りは必要だもの」

「御意。旦那様に子種が無いのなら由々しき事態です」

「ま、待て。子種がおらぬと決め付けるには時期尚早ではないか。お子が授かるかどうかは運にもよる」

 

慌てて二人の間に割り込む俺。

種無しで有名な豊臣秀吉でもあるまいに。

伽を始めてから僅か五ヶ月だ。

現代だと十年間授からない夫婦もいる。

平均でも子作りを開始して一年ほど掛かるのが妊娠だと聞いた。五ヶ月で子種が無いと決め付けるのは早計の至りだ。

無論、此処は戦国時代。

ヨーロッパの王侯貴族と違い、養子に家督を継がせても構わぬ仕組みと言えども、跡継ぎを産めない女性に向けられる視線は当然の如く冷ややかである。

だから焦っているのか。

俺個人の意見を申すなら、義久様には九州を統一するまで妊娠して欲しくないんだけどな。

 

「旦那様、敵を知り己を知れば百戦危うからずと言うではありませんか。子種がいるかどうか早急に確かめなければなりますまい」

「あらぁ。確かめることができるの、直茂」

「大陸の書物に書かれておりました。一度の伽で八回ほど果てることが出来る男は確実に種を持っていると」

「何ていう書物だ、それは!」

 

聞いたことねぇぞ、そんな検査法!

 

「八回は多いわね〜」

「然り。ですが旦那様には頑張ってもらわねばなりますまい。お子が出来ないとなれば島津家の存続にすら関わりましょう」

「最悪、跡継ぎ問題に発展してしまうもの」

「内乱の原因となりますからね。加えて、頼朝公の頃から続く名家として名高い島津家の血を絶やすのは言語道断です」

 

張り上げた抗議の声すらなんのその。

義久様と直茂の間で話は完結してしまった。

確かに子種がいないのならば由々しき事態だ。義久様に子供が出来なければ跡継ぎの問題も再浮上する。結果として島津家の血を絶やすことになれば、俺こと島津忠棟は史実以上の逆臣と成り果ててしまう。

解決方法は一つだけ。

俺にも子種があると証明する他あるまい。

直茂の申す通りに八回果てればいいんだろ。

 

「ーー頑張らせていただきまする」

「うふふ、なら今日から頑張ってもらおうかしらね〜。今夜は譲ってくれるわよね、直茂」

「奥方様の願いならば。私は明日にでも」

「……二日連続は勘弁してくだされ」

 

俺は肩を落とした。

腹上死しても知らんぞ。

いや、男として幸せな死に方かもしれないが。

さりとて俺は薩摩の武士だ。

伊集院忠倉を父に持つ島津家の武将である。

死ぬとするなら戦場か、主君を天下人へ押し上げた後か。そのどちらかだと決めている。

 

「夫婦会議とやらは、これで終わりですかな?」

 

ともあれ無事に乗り切った。

小姓に頼んで精力の付く食材を手に入れよう。

今日と明日が俺の天王山と言える。

平均で四回。なのに、その二倍である八回。

意識をしっかり保たなければ黒歴史確定事案だ。

何とか回避しなければと既に今夜と明日の夜に想いを馳せる俺だったが、それを嗜めるように義久様は唇を尖らしたのだった。

 

「何を言ってるのかしら〜、源太くんてば」

 

俺の嫌な予感探知機は第六感と呼べる所まで洗練済み。

戦場に於いても役に立つだろう。

実際、赤池長任と干戈を交えた時も働いた代物である。

ある意味レーダー染みた物が最大級の警報を発した。

 

「はい?」

「これは第一回夫婦会議よぉ」

「私と奥方様、それに義弘様、歳久様、家久様と話し合った結果、七日に一度は夫婦会議を開くことに決定致しました。旦那様に関しましては拒否権が無いとのことです」

 

鍋島直茂と島津四姉妹による話し合いって何?

大友家でも軽く潰してしまいそうな面子だけど、その矛先が俺だけに向けられるって何なんだよ一体!

 

 

「弘ちゃんにも幸せになって欲しいものね〜」

 

 

何かを小声で呟かれた義久様。

その隣で何故か顔を伏せる直茂。

絶賛大混乱中の俺は何一つ気付かずにいた。

その事を近い将来、後悔してしまう事となる。

 

 

「婿養子って立場弱いなぁ」

 

 

心の底から溜め息が漏れた。





本日の要点。

1、忠棟に子種なし説浮上。


2、第一回夫婦会議終了(終わるとは言ってない)。



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