島津飛翔記   作:慶伊徹

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二十四話 鍋島直茂への提案

 

 

一月三日、未の刻。

人吉城攻略から一月が経過。

無事に新年を迎えられた為、主立った諸将が内城へ集結した。日向国や大隈国からもだ。

島津家当主たる貴久様に新年のご挨拶を申し上げた俺は、その足で弟君であらせられる島津忠将様の下に赴き、志布志港の発展度合いを拝聴した。

未だに肝付家の残党が蠢く大隈国。

その本城、肝付城の城主が忠将様である。

如何に優秀な忠将様と言えど苦労なさっているらしく、様々な助言を求められた為、俺の知り得る限りの対応策を進言させてもらった。

昔から忠将様には助けられているからな。

こういう所で恩返しせねば後に差し支える。

忠将様曰く、今年の6月までに志布志港を島津水軍の拠点となり得る規模にまで発展させてみせるとの事。

頼もしい限りである。

これで兵站の確保と兵士の移動が容易くなる。

大友家との合戦も優位に進める事が出来る筈だ。

それはさて置きーー。

忠将様にまで義久様との関係を弄られるとは。

私は前々からこうなると予知しておったぞ、と高笑いされた時は島津の血って濃いんだなと呆れてしまった。

某の婿入りに反対しないのですかと尋ねると、お主は狐だからなと訳のわからない答えで誤魔化された部分など島津忠良様に瓜二つだった。

俺ってば狐みたいだと思われてんのか?

だとすると徳川家康に勝てっこねぇぞ、俺。

全国各地にある狐と狸の勝負は、その殆どが狸の勝利で終わっている。

狐と狸では格が違うのかもしれんな。

どちらにしろ、徳川家康と相争う前に天下を統一する計画だけども。徳川家は有能な家臣が多過ぎる。酒井忠次とか本多忠勝とか井伊直政とか榊原康政とか!

正面からぶつかり合いたくないです!

 

「お久しゅう御座りまする、義弘様」

 

手炙り火鉢を挟んで対峙するは島津義弘様。

三洲平定の際、最も武功を挙げた島津の切り札。

九州のみに非ず、日ノ本全土でも『鬼島津』と呼ばれて恐れられている姫武将である。

外見だけなら見目麗しい姫君なんだがなぁ。

短く切り揃えられた黒髪は風に靡くだけで甘い香りを散らし、琥珀の双眸は凛々しくも優しげな色を発している。

城主を経験したからだろうか。

身に纏う覇気は自然と頭を垂れさせる力強さだ。

義久様や歳久様、家久様だけでなく、義弘様も日向国で益々ご成長なされているようで、俺としても嬉しい限りである。

 

「もう。源太ってば何も変わってない。義ねぇのお婿さんになったのに相変わらず堅苦しいって」

「何を申されますか。義久様を娶ろうとも某は島津家の一家臣に御座りまする。それよりも日向国の生活は如何に?」

「順調だよ」

 

一家臣云々は無視されたらしい。

いつもの事だから気にしてないけども。

 

「ほう」

「国人衆が大人しくしてる間に色々と進めておかないと。千歯扱きの普及、港の拡張なんかは薩摩にいた頃と変わらないからね」

 

大友家に敗れない限り、国人衆は反発しないな。

佐土原城には義弘様が君臨している上に、高城には新納忠元殿がおられる。

他にも有能な武将を各支城に配置しているんだ。

反発したくても不可能と言えよう。

問題があるとすれば大友家の南進時である。

奴らは機に聡いからな。

一体幾つの国人衆が裏切るのか。

今の内、冷静に見極めておかないといかん。

 

「重畳至極なり。軍備の方はどうなされておりまするか?」

「特に問題ないかな。源太に進言された通り、高城を大増築させてるけど」

「大友家の南下進路を想定すれば、高城は目の上のたん瘤に等しく。必ずや通らねばならない場所にありまする故、前以て堅牢な城に作り変えておく事が決戦の行方を左右すると愚考する次第」

 

近い将来に起こる大友家の南下。

その際、戸次道雪、もしくは高橋紹運が参加してなければ高城の大増築も取り越し苦労で終わる。

だが、念には念を入れておく。

史実と異なり、門司合戦で毛利家に大勝利を収めた大友家と二十年早い肥後南部の平定を終えた島津家による高城の戦いは、史実通りに行かない可能性など九割を軽く越している。

今の内に国崩しを二十門ぐらい配備しておく事も考慮すべきだろうな。

 

「その高城なんだけど、家ちゃんを派遣する事って出来るかな?」

 

南蛮商人から鉄砲と国崩しを買い占めなくては。

様々な事に使っても有り余る金銭の使い道を模索していると、義弘様が火鉢の前で手を擦り合わせながら口を開いた。

 

「家久様を?」

「うん。忠元を信用してない訳じゃないけど、家ちゃんが守将として高城入りした方が良いと思うの」

 

ふむ、成る程な。

心優しい義弘様らしい考えだ。

瞬時に義弘様の思惑を看破した俺は苦笑した。

 

「島津家は絶対に救援に来る、と高城の兵士に知らしめる為ならば効果的でありましょうな」

「えへへ、でしょ。それにお父さんと話し合ったりしたんだけど、家ちゃんもご祖父様の言葉通りに成長してるらしくて。きっと活躍すると思うんだ」

 

島津忠良様のお言葉か。

義久は三州の総大将たるの材徳自ら備わり、義弘は雄武英略を以て他に傑出し、歳久は始終の利害を察するの智計並びなく、家久は軍法戦術に妙を得たり。

まさに慧眼の至りと言えよう。

義久様は総大将として天下を狙える器を持つ。

義弘様は鬼神と崇め奉られる程の武勇を持つ。

歳久様は一を聞いて十を知る知略を磨き上げた。

家久様は俺の想像を超える戦術家となった。

未だ成長途中でありながら、島津四姉妹は期待以上の成果を挙げている。

少しでも俺がその手助けをできていれば幸いである。

 

「相良家との戦でも武功を挙げてましたからな」

 

うんうん、と頷く。

鍋城陥落は非常に助かった。

後に相良殿も、支城を全て落とされたと知った瞬間が最も絶望したと仰っておられたぐらいだ。

ーーと。

相良家という単語を聞いた義弘様は目を細めた。

先程の嬉しそうな笑顔は何処へやら。

能面の如く冷たい表情のまま俺に詰問を始めた。

 

「ーーそういえば聞いたよ。源太ってば、相良家との戦で鍋島直茂を連れて行ったんでしょ?」

「その情報、何処からお耳に入れたのですか!」

「お父さんから」

「…………」

 

あの野郎……ッ。

親バカな姿を見せられても、城下町で酔っ払って潰れている所を介抱してやっても、悪意全開で俺に仕事を多く割り振ってる事を知っても、常に尊敬の念を送り続けた俺を裏切りやがったなッ!?

 

「それだけじゃなくて、事ある毎に直茂の献策を認めたりした事も聞いちゃった」

「そ、それも貴久様からお聞きに?」

「これは別口。誰かは言わないけどね」

 

答えを聞かずとも確信できる。

義弘様に囁いた輩は不幸忍者だ。

東郷重位に密告する理由はない。兼盛殿や有川殿にしても同じ事。小姓や近習は問題外である。

つまり、百地三太夫しか有り得ない訳だ。

人吉城に国崩しを叩き込む直前、何やら不吉な事も呟いていたしな。

見事に状況証拠は出揃ってるぞ。

あの野郎、今度は義久様から義弘様に鞍替えか!

 

「迂闊だよ、源太」

 

平坦な声で咎める義弘様。

普段なら謝罪する場面だが、どうしてなのか俺は言い訳を始めてしまった。

 

「其方ならば如何する、と尋ねたまでに御座りまする」

「相手は龍造寺隆信の義妹。今は同盟を結んだ相手でも此方の手を知らしめるのは危険だって。一流の軍略家らしいじゃない、直茂って」

「ご安心くだされ。偶然にも、直茂の提案した策と某の考えておった策が全て一致していただけに御座りまする。お気に召す必要はないかと」

 

俺と献策が同じなら大した事はない。

いざとなれば対処可能だということだ。

一流の軍略家だと聞いた時は焦ったけどな。

無理して慌てる必要はない。

鍋島直茂の思惑を看破するのは、大友家との決戦に勝利した後でも遅くないだろう。龍造寺隆信とて島津家が大友家に敗れることを良しとしていないのは明白なんだから。

 

「源太の策と、一致してた?」

「御意」

「す、全て?」

「如何にも」

 

にも拘わらずーー。

義弘様は愕然とした面持ちで尋ねてきた。

何をそんなに驚いているのか。

俺は小首を傾げながら即答で返答した。

すると義弘様は顎に手を置いて瞑目した後、唐突に話題を切り替えた。

 

「……そう。仲良くできてるの?」

「政略結婚であります故、心を通わせる事は些か難しく。されど軍略に関する話をすれば盛り上がる時もありまして」

 

隠すように早口となる俺。

だが、ブスッという音が部屋に木霊した。

火鉢に溜まった灰に突き刺さる火箸。それを力強く握る義弘様は、物凄く良い笑顔で問うた。

 

「つまり?」

「……上手くいっておりません」

「義ねぇは何て言ってるの?」

「直茂とも仲良くしてね、としかお聞きしておりませぬ」

「そうなんだ」

 

ため息一つ。

 

「源太ってさ、普段は臆病者だよね」

「武士たる者、常在戦場の心持ちで日々を過ごしておりまれば、臆病風に吹かれた事など一度も御座いませぬ」

「わたしに嘘吐くの?」

「……義久様に相談するのは勘弁してくだされ」

 

男の意地が掛かってる。

主君である義久様を娶った僅か二週間後に側室を戴くとは。加えて、陣中の夜伽も含めれば、交わった回数も同じぐらいという有様である。

こんな状況で義久様に相談なんて出来ようか。

 

「義ねぇは正室でしょ。側室の事を相談しにくいのはわかるけど、相談されない方が相手を傷付けるって」

「面目次第も御座いませぬ」

「まぁ、源太なら仕方ないのかなぁ」

「義弘様の中で、某の人物像が如何なる形となっているか垣間見えた気が致しまするぞ」

「戦場だと頼りになるんだけどね」

「平時では役立たずだと仰せか」

「むしろ女性関係だと役立たずだと思うよ」

「おぉう」

 

辛辣だが的確な一言に反論できず。

俺は火鉢の中の炭をひたすら弄る作業を続けた。

普通の女性が相手なら強気に出れるんだ。

だけどさ。

正室は島津義久様で、側室は鍋島直茂なんだぞ。

尻窄まりするのも致し方ないと思うんですよ。

特に側室の方が問題だ。

真面目なのか、気を許していないのか。

笑ってくれないし、不必要な会話は避けるしな。

 

「ま、現状は理解したから。源太も頑張ってね」

「義弘様なら如何致しまするか?」

「さぁ?」

「そんな殺生な」

「こういうのって自分で考えないと駄目だよ。大丈夫だって。真っ直ぐ向き合っていれば、源太なら直茂の心を掴めるから」

 

力強い一言だった。

何故か罪悪感を覚えてしまう。

実感の込もった台詞のように感じ取れた。

だからなのか、反論も賛成も出来ずに項垂れた。

 

「それならば、宜しいのですが」

 

うん、と義弘様は頷いた。

 

「頑張れ。……ところでさ、ミケはどこ?」

「この時間ならば散歩していると思われます。義弘様がお呼びになれば直ぐに現れるかと」

「了解。じゃあね、源太。佐土原城に戻る前にまたお話でもしよ」

「至極恐悦に御座りまする」

 

立ち上がった義弘様に平伏する。

日向国の現状を知る事ができた上に、少なからず直茂の事で相談もできた。

まさに有意義な午後だった。

最後まで忠臣の姿勢を貫く俺に、義弘様は悲しくも可笑しそうに頬を緩めたのだった。

 

「最後まで堅苦しいんだから、もう」

 

 

 

 

 

▪️

 

 

 

 

 

同日、酉の刻。

夕餉を終えた鍋島直茂は縁側に佇んでいた。

雲一つない清涼な夜空。

内城を燦々と照らす満月。

新春の挨拶宜しく冷たい風が頬を撫でた。

これこそ花鳥風月。自然の美しさに心躍る。

肥前にいた頃は心休まる日などなかった。

有馬家と大友家の脅威から、如何にして主家を守れば良いのか。どのような策を用いて現状を打破すべきなのか。

自然を愛でる暇もなく、恋をする暇もなかった。

生まれてきて初めてであった。

このように心穏やかなまま夜を迎えるのは。

 

「……」

 

薩摩国は安定している。

大隈の肝付家、日向の伊東家、肥後南部の相良家を征伐した今日、島津家の本国たる薩摩を直接的に脅かす存在は一つしかいない。

押しも押されもせぬ大大名、豊後の大友家だ。

だが、直茂の予想からして、彼らの動き出す時期は早くとも今年の夏頃。故に半年間は戦のない平和な一時を過ごせるということになる。

冬は火鉢の側で身体を寄せ合い、春は桜並木の下で愛を紡ぎ、夏は心落ち着く潮騒を聞くことが出来よう。

其処に本当の恋心は存在しない。

鍋島直茂と島津忠棟は仮面を被ったまま。

互いが互いを信用せず、腹を割って話そうともせず、ただ無為に時を過ごすだけなら、心を通わせる事など先ず不可能である。

仕方がないと割り切ることも可能だ。

二人は軍師。そういう生き方しか知らない生き物なのだから。

 

「身体の相性は良さそうですが……。あれは?」

 

ここ一ヶ月の伽を反芻する直茂。

その視界に白い体毛を持つ動物が映った。

長い尻尾をユラユラと揺らして、三角形に似た二つの耳は忙しなく左右に動き、円らな瞳は純真無垢な心を表し、穢れを知らない白い毛は全身を覆っていた。

皆まで言わずともわかる。

可愛すぎる白猫が縁側の脇で毛繕いしていた。

 

「……か、かわいい」

 

直茂は一瞬で心奪われた。

肥前にいた頃から猫は大好きだった。

にゃあ、と鳴いた事は数知れず。その度に無視されること三割。差し出した手を引っ掻かれること七割。まさしく全戦全敗であった。

薩摩国ではお猫様がいても無視しよう。

そんな決心を抱いていたのにも拘わらず、直茂の手は無意識の内に白猫へと伸びていた。

どうせ引っ掻かれる。

もしくは飛び退いて威嚇される。

過去の経験から予知できる結果であるものの、一筋の希望を胸に伸ばした手の平はーー。

 

「え……?」

 

ーー空中を掠めるに終わった。

引っ掻かれたのならわかる。飛び退かれたのなら理解できる。しかし、瞬きを終えるよりも短い間隔の合間に白猫の姿は消えてしまった。

一体なにが起きたのか。

数瞬呆然とした鍋島直茂を、まるで嘲笑うような猫の鳴き声と女性の声が縁側に響いた。

 

「にゃあ」

「ミケったら大人しくて。久し振りに会えて嬉しいのはわかるけど。毛並みも良いし、健康そうだし、ちゃんと源太に可愛がって貰えた?」

「にゃあ」

「そう。良かったね、ミケ」

「にゃあ!」

 

隣に黒髪の女性が立っていた。

白猫を抱き上げたまま、慈愛の笑みを浮かべてその全身を撫で回している。

白猫ーーミケは気持ち良さそうに喉を鳴らした。

呆気に取られた直茂は直ぐに顔を引き締め、手を戻して姿勢を正した。黒髪の女性が何者なのか気付いたからだ。

 

「ご機嫌麗しく、義弘様」

 

佐土原城城主、島津義弘。

島津貴久の次女であり、龍造寺家内部でも第一級の要注意人物として警戒されていた。

鬼島津という異名は伊達ではない。

新年の挨拶時、遠目からでも視認しておいた。

島津義弘の存在も直茂の進退を決定付ける要因なのだから。

 

「こうやって話すのは初めてだね、鍋島直茂殿」

 

義弘はミケを抱えたまま答える。

その目に敵意はなく、悪意の欠片もない。

この出会いは偶然の産物だと発しているようだ。

ーー否。

軍師ならば必然を考慮すべき。

何故わざわざ義弘が直茂の下に参じたのか。

少なすぎる情報の中で理由を見つけようとする鍋島直茂は平伏に近い格好で返答した。

 

「次期当主の妹君と話すなど恐れ多い事です」

「そういう堅い所は源太そっくりなんだ。やり辛いなぁ」

「して、如何ようなご用件でしょうか」

「そうだね。話したい事は山程あるし、誰が聞いてるかわからない場所で話すような事でもないから、ちょっと源太の言葉を借りてみるとーー」

 

一拍。二拍。三拍。

長すぎる沈黙に耐え切れなくなった。

顔を上げた直茂の目に映ったのは、邪気の無い笑顔を貼り付けた義弘が右手の親指で部屋を指している姿だった。

 

「少しの間、顔貸してくれないかな、直茂殿」

「…………今から、でしょうか?」

「あらぁ。何か用事でもあったかしら〜?」

 

背後から訪れる聞き慣れた声。

振り返った直茂の肩に手を置いた島津義久は心優しい笑顔のまま近くの部屋を指差した。

 

 

 

 

「少し、女の子だけでお話しましょう?」

 

 

 





本日の要点。

1、忠棟ヘタレ疑惑。

2、直茂、薩摩国の平穏に心打たれる。

3、義久と義弘から女子会への参加をお願いされる。

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