島津飛翔記   作:慶伊徹

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二十三話 相良義陽への砲撃

 

 

十二月一日、肥後国南部。

木枯らしの吹き荒ぶ初冬の夕暮れ時。

俺こと島津忠棟率いる6000の大軍が、相良義陽の居城である『人吉城』を一重二重に取り囲んでいた。

支城である原城に本陣を構えた俺は、各武将に対して、遠巻きに包囲するだけで無理な強攻は絶対にするなと下知した。

人吉城は北側の球磨川、西側の胸川の清流を天然の堀とした上に、東側と南側は丘陵の断崖に堀を巡らせた要害堅固な城である。

丘陵の山頂部に本丸。その西北に二の丸を置き、三の丸と総曲輪も配している。知識としては理解していても、改めて直視する事で、人吉城が丘陵の上に築かれた石垣造りの守り易く攻め難い城であると再認識できた。

人吉城の守兵は約2000。主だった武将は深水長智を筆頭に、上村頼興、赤池長任、丸目長恵等が確認されている。

いずれも相良義陽を支える有能な武将だ。

3倍の兵力を誇ろうとも無理な強攻を行えば手痛い損失を喰らいかねん。

大友家との決戦を考慮すれば、島津兵を無闇に失うわけにいかないからな。一兵でも多く帰還させることが肝要である。

だが、下手に時間を掛けるのも下策。

阿蘇家を始めとした肥後の有力武家に介入されてしまう危険性が高まるからだ。

特に大友家は拙い。ここで日向に南進されては島津家にとって限りなく面倒なことになる。

故に島津軍を三つに分けた上で、対応策を講じる暇も与えない程の速度で進軍させたのだ。

つまり、俺が取るべき上策は一つだけと言えた。

 

「申し上げます!」

 

早速行動に移そうとした途端のこと。

本陣に駆け込むは一人の島津兵。

佐敷城、もしくは鍋城で何かあったのか?

俺は片膝を付いたその者に対し大仰に頷いた。

 

「苦しゅうない。申せ」

「はっ。山田有信殿より報せあり。先日、遂に佐敷城を陥落せしめた由に御座りまする」

 

瞬間、近習たちが喜びの声を挙げた。

流石は山田有信殿である。

包囲して僅か三日で佐敷城を落とすとは。

史実だと、四万の大友軍に包囲された高城を島津家久と共に少ない守兵で護りきった武将として有名だ。しかし、史実よりも十年以上早い三洲平定を成し遂げた為、山田有信ではなく新納忠元が高城の城主となっていた。

大口城から挙兵したのは一週間前。佐敷城を取り囲んだのは四日前。そして落城させたのは昨日。想定より幾らか早い支城陥落の報は、此方の落城を相当楽にさせる事だろうよ。

 

「うむ。味方の被害を知らせよ」

「死傷者の数は100程度に御座りますれば、いつ何時でも1000の手勢を率いて人吉城に進軍可能との仰せです」

「その必要無し。此方もそろそろ終いよ。負傷者の労いを最優先させるようにと山田殿にお伝えあるべし」

「承知仕りました!」

 

負傷者の数は100程度か。

有信殿が率いたのは2000だとすれば、被害の程度としては許容範囲内である。流石に300を超すような死傷者を出してしまうようであれば割りに合わないけども。

客観的な判断として人吉城も陥落間近だ。

有信殿には先に大口城へ帰還してもらおう。

歳久様曰く、論功行賞にて佐敷城一帯を与えるつもりらしいからなぁ。その準備も必要だろうさ。

肥後中部を支配する阿蘇家。その中で最も有能な武将、甲斐宗運に対する抑えの役目を期待しているに違いない。

正直な話、俺も甲斐宗運は怖いです。

 

「さて、残るは人吉城と鍋城か」

 

何にせよ、残る支城は鍋城一つ。

既に人吉城は丸裸も同然と言えよう。

降伏の使者は遣わせてあるが、深水長智の入れ知恵のせいか交渉は遅々として進まない。

此方が譲歩すれば今すぐにでも降伏するだろう。

だが、それは出来ない理由があった。

此度の出兵は俺の実績作りも兼ねている。

相良義陽相手に大幅な譲歩をしたとなれば、家中から舐められること必至。史実よりも譲歩したら俺の負けだと判定して構わない程である。

 

「恐るべき速さと正確さ。これが島津の戦なのですね。この鍋島直茂、感服致しました」

 

傍らに立つ特徴的な緑色の髪を持つ姫武将。

名を鍋島直茂。龍造寺隆信の義妹だ。

そして何の因果なのか俺の側室であったりする。

十一月二十日に祝言を挙げた。

つまるところ初夜は済ませてある。

というか陣中の夜伽は直茂としか出来ないしな。

にも拘らず、俺と鍋島直茂は未だに他人行儀な会話しか行っていなかった。

 

「感服するほどの事でもあるまいて。真幸院の戦いで敗北し、求心力を失った相良家は内乱一歩手前の状態であった。我らはその間隙を突いただけよ」

「その隙を見逃さず、三方から進軍せしめた島津の先見性と柔軟性。加え、他家に介入されぬように情報網を遮断した上、それでもなお速さに固執する様は、相良義陽殿にしてみれば挽回の可能性すら断ち切る所業でありましょう」

 

何故、鍋島直茂が本陣にいるのか。

理由は簡単。彼女たっての願いで相良家攻めに参加させることになってしまったのだ。

人吉盆地の入り口で赤池長任と一戦交えた際も、人吉城の周囲に築かれた支城攻めの時も、俺がどうするか尋ねた直後に最善手を答えてみせた。

これだけでも、史実通り相当な戦略家である事がわかった故に俺の疑惑は大きなっていった。

史実と同じく面従腹背の輩か、と。

有能であれば有能な分、慇懃な態度を取られれば取られる分、俺の疑念が膨らんでしまう事ぐらい察知してそうなものだがな、こいつなら。

歴史知識に振り回されていると理解している。

それでも、こればかりはどうしようもなかった。

だって鍋島直茂怖ぇもん!

俺いらないんじゃねと何度思わされた事か!

万能超人とはよく言った物だ。言い得て妙すぎるだろ!

 

「直茂ならば如何とする?」

「この状況を作られた時点で敗北必然。私なら一戦交えた後に降伏します」

「島津家に己を高く売る為か?」

「御意」

「そもそもな話、お主ならこの状況となる前に手を打っておるだろうに。無用な仮定の話であったな」

「無論、私なら内乱の起きる芽も摘めましょう」

 

謙遜しているのか。

それとも素直なのか。

はたまた何か画策しているのか。

二週間足らずの問答では腹の内など読めん。

身体は交わっても、心は遠く離れている状態だからなぁ。何というか頭が痛くなる。

義久様の言いつけ通り仲良くしたいんだが。

 

「吉報に御座りまするぞ!」

 

やれやれ、と肩を竦めた直後。

人吉城の包囲をしていた肝付兼盛殿が足早に本陣へ参られた。流れるように平伏する。まるで主君へ報告するような動作であった。

兼盛殿とは共に加久藤城を守った間柄である。

義久様を娶り、島津の名を戴いたとしても、俺は変わらずに島津家へ忠誠を誓っている。

つまりは兼盛殿と同じ立場だ。

出来ることなら同等に言葉を交わしたいが、見た目によらず頑固者として知られる肝付兼盛殿は聞く耳持たないだろう。

 

「兼盛殿か。どうか楽にして下され」

 

悠然と胡座でも掻いて下さい、お願いします。

言外に込めた悲痛な願いも、頑固一徹な兼盛殿は首を横に振ることで声もなく却下した。

 

「家久様からの報せによりますれば、鍋城を落とした由に御座ります。現在、2000の島津兵と共に此方へ向かってきているとのこと」

「重畳至極。忠堯殿も無事であらせられるか?」

「付け込みにより一番槍を挙げたと。戦功華々しいと家久様も褒めておりましたな」

「益々結構」

 

新納忠元殿のご子息である新納忠堯殿。

経験を積んでいくほど父親譲りの統率と武勇を誇るようになった島津家でも有数の猛将である。

六年前に起こった岩剣城の戦いで、個人的に蟠りのあった忠堯殿が一番槍となり、華々しい戦功を得たのは有難いことだ。

 

「何はともあれ。これで人吉城と相良義陽殿の命運は切れました。援軍の来ない籠城戦は城兵の士気を際限なく落としていくでしょう」

 

冷静に敵方を分析する直茂。

対照的に兼盛殿は顔を赤くして詰め寄ってきた。

 

「忠棟殿、遂に総攻撃を仕掛けまするか?」

 

相変わらずの目力である。覇気すら感じる。

俺を押し倒そうとした川上久朗の目を思い出して背筋が震えた。

許したけど会いたくねぇ。

義弘様に迷惑かけてないだろうな、アイツ。

 

「否。兼盛殿、それは浅慮という物です」

 

兼盛殿の進言を直茂が否定した。

 

「ならば直茂殿は如何なさるおつもりで?」

「彼らは降伏勧告に応じています。未だ人吉城が落ちないのは交渉が難儀しているだけ。即ち此処で力攻めに移行するのは愚策に等しいでしょう」

「それは我々が譲歩せよと仰せか」

「私ならば譲歩します。その後、時間を掛けて相良家の力を削いでいくでしょう。しかし、旦那様は別の策がお有りの様子。其方をお伺いするべきかと思います」

 

声を荒げる兼盛殿に対し、鍋島直茂は飄々とした態度を崩さぬまま横目で俺を流し見る。

倣うように兼盛殿も視線を此方に移した。

唐突な振りである。勘弁してくれ。

俺の代わりに答えたなら最後まで言い切れよ。

そんな文句を吐きたいが、相良家攻めの最終局面である。無用な問答は時間の無駄だ。相良義陽に考える時間を与えずに、速攻で人吉城を落とすのが上策であろう。

 

「忠棟殿、如何なさるご所存か」

「力攻めは下策。譲歩するのもまた下策なり。時間を掛けず、我々の示す条件で降伏させるのが上策でありましょうな」

「して、その方法は?」

 

先ずは忍衆を用いた情報の浸透だ。

佐敷城と鍋城が陥落した事を人吉城の将兵に遍く知らしめる。士気はがた落ち、内通者も多く現れることだろうよ。

支城を全て落とされ、確実に援軍が来ないと理解すれば相良義陽と深水長智も態度を軟化させるに違いあるまい。

だとしても、大友家の脅威が差し迫っている中、島津家とて長い期間の出兵は嫌がるとわかっている彼らは条件を突き付けてくるのは明白である。

だからこそーー。

取れる選択肢は残り一つだ。

 

「アレを使いまする。本丸に叩き込めば、相良義陽とて降伏に応じましょう」

 

指差す先にあるのは南蛮商人から購入した一品。

日本には存在しない筈の大型火器である。

正式名称は『フランキ砲』。

史実だと、1576年にキリシタン大名の大友宗麟が布教に来たポルトガル宣教師から輸入したとされている。

日本で最初の大砲と言われる代物だ。

輸入された2門のフランキ砲はその大きな威力から『国崩し』と名づけられた。これは敵の国をも崩すという意味であったものの、家中の者はこれが自国を崩すという意味にも繋がるとして忌み嫌ったとも言われる。その後、大友家は島津家に蹂躙されることになったんだから皮肉な話だ。

しかし、大友宗麟の臼杵城篭城の際は、その巨大な砲弾と威力で島津軍を驚かせた挙句、見事退却させたのだから有効な武器であることは否定できまい。

 

「国崩しをお使いになると?」

 

すみません、命名したの俺です。

大友宗麟の代わりに輸入したのも俺です。

この時代だと火縄銃ですら日ノ本全土に浸透していないのだ。大砲の威力と轟音は日本人からしてみたら全く未知数と言える。

九州統一の為に有効活用させてもらうつもりだ。

その手始めに人吉城を攻略してみせようじゃないか。

 

「無論。鑑賞の為に引っ張ってきたつもりは毛頭ござらぬ。兵器は使ってこそ意味を成します故」

「成る程、相分かった。ならば私は人吉城の包囲に戻りましょう。忠棟殿、くれぐれもお味方にお当てならぬように」

「兼盛殿の申すことよ」

 

国崩しの弾は火縄銃と同じ鉛玉。

射程は300から400メートルにも及ぶ。

人吉城から原城まで約300メートルだ。

つまり本陣から斉射しても届く計算となる。

勿論、万全を期して相良兵の弓矢の届かない所からぶちかますつもりだけども。

兼盛殿が本陣から下がるのに合わせて、股肱の忠臣である三太夫を呼んだ。

 

「策の通りに進んでるっぽいね、大旦那」

「当初の手筈より二日早いがな。山田殿と家久様のお陰よ」

「大旦那の場合、時間だけ当てにならないねぇ」

「その事は申すな。俺の力不足に他ならぬ。まさに反省すべき点よ。だが策に変わりなし。俺の頼み事はわかるな?」

「勿論。もう数人の忍を放ってるって」

「相変わらず手回しの良い事だ」

「人使いの荒い大旦那のせいなんだよなぁ」

「金子は充分に払っておろうが」

「休みが欲しいかなぁって」

「阿呆。大友家との決戦が終わるまで無しだ」

「鬼か!?」

「ならばお前は金棒であろうな」

「ーー成る程、それはそれで悪くないかも」

「であろう?」

 

三太夫と小気味良い会話を楽しんでいると、傍らに立つ鍋島直茂から訝しげな視線が飛んできた。

軽薄な不幸忍者から視線を移すと、直茂は気まずそうに咳払いした。

 

「どうした、直茂」

「なんでもありません」

「無用な虚言はいらぬぞ。早う申せ」

「なんでも御座いません」

「うぅむ。お主も強情な奴よな」

「然り。私は可愛げのない女で御座います」

 

少し機嫌を悪くした直茂は押し黙った。

こうなると暖簾に腕押し。

自他共に認める女心に疎い島津忠棟では、女性の機嫌を一朝一夕に回復させる事は出来ない。となれば、取り敢えず鍋島直茂は放っておこう。

今は人吉城を陥落せしめる事が重要だ。

戌の刻に国崩しを喰らわせば降伏しよう。

 

「大旦那」

 

今後の予定を脳内で組み立てる中、三太夫が耳打ちしてきた。

 

「何だ?」

「義女将さんに直女将さんの事、相談したら?」

「義久様に側室のことで相談なんかできるか!」

「変なところで臆病者だなぁ。律儀というか何というか。義女将さんなら笑って流しそうだけど」

「五月蝿い。お主はお主の仕事をせんか」

「はいはい。オレの出番かなぁ、こうなると」

 

音もなく姿を消した三太夫。

なにやら変な事を口走っていた。

頼むから、余計なお節介を企んでくれるなよ。

あの不幸忍者は前科持ちだ。

喉元過ぎれば熱さ忘れるとよく言う。

義久様に無用な事を吹き込まぬように監視しとかなくては。

ーーあれ?

ーー何かこれって。

浮気現場を目撃された旦那みたいじゃねぇか、俺。

 

 

 

 

 

▪️

 

 

 

 

 

十二月一日、戌の刻。

島津忠棟の下知によって発射された国崩し。

それらは人吉城の石垣を越えて、本丸と二の丸を襲撃。屋敷の柱を吹き飛ばす威力、火縄銃を凌駕する轟音から数多の守兵は腰を抜かす。

十門の国崩しは断続的に火を噴いた。

四半刻が経過した頃、遂に相良義陽のすぐ傍らに着弾。直接当たらなくとも、国崩しの衝撃から怪我を負った相良義陽は降伏を決意する。

翌日未明、相良義陽は剃髪した姿で島津軍の本陣に来訪。人吉城を明け渡す代わりに城兵の命を嘆願した。

島津忠棟は相良義陽の願いを快諾。

此処に相良家と島津家の合戦は終わりを迎えた。

島津家は薩摩、大隈、日向に加えて、肥後南部も勢力下に収める。相良義陽は島津家の家臣に組み込まれ、鍋城一帯を与えられることになった。

 

 

 

「隆信様、島津家は貴方様の想像以上にお強い」

 

薩摩へ帰還する最中だった。

宿泊する寺の一室には、今夜の伽を終えた一組の男女が同じ布団で横になっていた。

穏やかな寝顔を浮かべる島津忠棟の頬を撫でながら、相変わらず無表情のままで鍋島直茂は独白する。

 

「果たして、私の策通りに事が運ぶのか」

 

細い指は忠棟の顎を伝い、唇を押した。

 

「お手並み拝見としましょうか、旦那様」

 






本日の要点。

1、伊集院忠棟→島津忠棟。

2、相良義陽に勝利。肥後南部を攻略。

3、鍋島直茂、何かを画策中。

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