島津飛翔記   作:慶伊徹

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二十二話 島津義久との一時

 

 

十一月三日、申の刻。

覚悟を決めれば光陰矢の如し。

九州の最南端に位置する薩摩国でも晩秋に差し掛かり、肌寒い季節となった今日この頃、俺は変わらずに日夜政務に追われていた。

金山開発を歳久様に擦りつけたと言えど、仕事は全く少なくならない。むしろ段々と増えている気がする。

砂糖製造に関しては相変わらず。堺と博多は言うに及ばず、他の主要な貿易港とも直接取引を行い始めてから更に儲ける事となった。

港湾整備は年々落ち着いてきた。坊津と鹿児島の港は、最初の計画通りに区画整理を行ったお陰で片田舎だと蔑まれていた薩摩と思えない程、活気だけでなく整然とした街並みへ成熟した。

商人の接待は順調の一言。

軍団編成は筆舌にし難い。日向方面の軍団は佐土原城の城主であらせられる島津義弘様に一任されているから無視するとして、問題は肥後方面に向ける軍団の編成である。

今後の事を鑑みれば、とにかく俺を認めてくれている武将で固めるべきかもしれないが、そうなると家中の不協和音を増長させてしまう。家を二つに割った内乱が起きる可能性も小さくない。

そうなると、此処は一つ、実績作りと家中統一を同時に行ってしまうのが上策かもしれんなぁ。

遠行外交に関しては一定の成果を得た。二日後に鍋島直茂が薩摩国へ到着する予定だ。これで無事に龍造寺家との同盟は締結される。毛利家にも順次手を伸ばしており、綺麗な献金を行っている事から朝廷や幕府からの島津家の印象は殊更良くなっていたりする。

改めて現在の状況を整理してみると、喫緊の問題は軍団編成のみか。

無論、砂糖製造を増やす為に人手を補充しないといけない上、側室となる鍋島直茂に対する策も考え直さなければならず、一月後に予定している戦の準備も進めていかなくてはならん。

うん、こりゃ仕事も増えるわ。

貴久様が働かなくなったせいでもあるから、半分は俺の責任だけど。

こうなったら歳久様に砂糖製造の件も丸投げしようかな。九州を統一したら様々な事業と改革をするつもりだし、今の内から歳久様の政務能力に頼るのも間違いじゃないんだ!

というかーー。

そろそろ突っ込まなくちゃなぁ。

 

「仕事に戻りませぬか、義久様」

 

机に向かって正座している俺。

その太股に頭を置いている島津義久様。

所謂、膝枕の状態である。

男の膝枕など何が楽しいのか皆目見当も付かないけれど、義久様が穏やかな表情を浮かべているだけで俺の疑問など瑣末ごとに過ぎない。

但し問題点を一つ挙げるなら、義久様の分まで俺が仕事をしていると言う事だろうか。

 

「もう少しだけ、このままで」

 

義久様は縋るように俺の足に手を置く。

主君の余りに可愛らしい仕草に、義久様の絹のような美しく繊細な髪に手を這わせてしまう。

瞑目する三洲一の美女。気持ち良さそうに吐息を漏らす様は昨夜の情景を思い起こさせるに充分な色香を放っており、思わず生唾を飲み込んでしまった。

いやいやーー。

ここで許してしまえば三十分前と同じだ。

心を鬼にして退いてもらうように進言せねば。

 

「四半刻前にも同じ内容をお聞きしましたぞ」

「源太くんが嫌ならしょうがないわね〜」

「嫌という訳ではござらぬ。しかし既に二刻もこの状態であります故、そろそろ足の痺れが限界に達しておる状態で」

 

義久様に退いてもらいたい本当で、最大の理由。

それは尿意が限界なんだよ。

物の見事に膀胱が破裂しそう。

厠で小便を放出しないと病気になってしまいそうな気がする、マジで。

 

「あらあら〜。私と一緒ね〜」

 

にも拘らず、義久様は嬉しそうに微笑んだ。

 

「義久様の場合は足腰でありましょう」

「あらあら〜。昨夜、狼さんに襲われちゃったからよ〜。何回も制止したのに言う事聞かない子だったわ」

「……」

「それで、狼さん。何か弁明はあるかしら〜?」

 

俺と義久様は結ばれている。

十月十九日に覚悟を決めた俺は、善は急げと翌日に義久様へ己の心境を語った。昔から好いていた事、立場と身分から一度は断ろうと思った事、歳久様のお陰で目が醒めた事、これから一生貴女を護る事など。今思い返せば黒歴史の数々である。

だが、義久様は泣いて喜んでくださった。

その後は挨拶回りに明け暮れ、貴久様のご機嫌を取ることに終始し、最終的に祝言の用意は歳久様たちが取り纏めてくれた。

そして昨日、二日掛かりの祝言を終え、待ちに待った初夜を迎えた。前世で初体験は済ませていたものの、絶対に有り得ないと断じていた女性と身体を重ねられると想像しただけで猛り、義久様の制止を振り切って何回もハッスルしてしまった。

その結果がコレである。

朝になっても義久様は足腰に力が入らず、処女を失った際の痛みから政務に支障を来した為、比較的元気な俺が肩代わりしているという事だ。

つまりコレも俺の自業自得だったりする。

 

「……弁明の次第もありませぬ」

「あらあら。そう落ち込まないで、源太くん。怒っているわけじゃないのよ〜。昨夜の事は私も嬉しかったから」

 

あんなに求めてくれて、と続けた義久様の顔は真っ赤に熟した林檎のようだった。

うん、可愛い。歳上に思えない可憐さだ。

時折見せてくれる唯の島津義久としての顔が愛おしくてたまらない。今回の我が儘も、二日後に薩摩へ到着する鍋島直茂に対しての物だろうな。

義久様本人から平等に愛してあげてねと忠告された手前、誠心誠意努力するつもりだが、面従腹背の鍋島直茂相手に無垢な愛情を向ける事ができるかどうか自信などまったくないのだが。

一週間前に、本当にそれで宜しいのですか、と尋ねてみた結果、義久様は静かに微笑むだけで明確に答えてくれなかった。

ーーと。

義久様の真意を図ろうと見つめ続けた所為か、小首を傾げた主君は悪戯でも思い付いたように囁いた。

 

「あらあら。そんなに見つめられると恥ずかしいわ〜。まだお昼だけど、口付けでも、する?」

 

魅力的な誘惑は空気を弛緩させた。

朝から始めた政務は終わりを見せている。

色香に惑わされたからか、尿意も引っ込んだ。

加えて、そんな目尻を下げた蠱惑的な表情を見せられれば我慢など出来るはずも無く、俺は花を摘み取るような感覚で義久様の頬に手を伸ばした。

 

「義久様がよろしければ何時でも」

「もう。駄目よ〜。こういう時は呼び方が違うでしょ?」

「あっ……。すまない、義久」

「はい」

 

よく出来ました、と首肯する義久様。

言葉では義久と呼び捨てに出来るものの、心の中では敬称を辞められずにいる。

きっと、心の底から島津義久の事を己が主君であると認めてしまっているからだろうな。

良い事なのか悪い事なのか。

真剣に思慮すべき事柄であろうとも、眼前に迫る義久様の瑞々しい唇に意識が吸い込まれていく。

駄目だなあ。

意志をしっかり持たないといかんのに。

だけど今は、とにかく義久様との接吻を楽しもうと顔を下げた瞬間の事だった。

 

「にゃあ」

 

可愛らしい鳴き声。

机の上から発した小気味良い音。

顔面にへばりつく白い体毛を持つ動物。

つまるところ『猫』である。

結果として義久様の魅了が解け、瞬時に意識を覚醒させた俺は白猫のミケを顔から引き剥がした。

 

「にゃあ」

 

肉球の付いた手をクイクイと動かしながら得意気に鳴くミケ。

してやったり、と言わんばかりだ。

前々から悪戯好きな面を見せる白猫だったが、最近は俺と義久様の逢瀬を邪魔したりしてくる。

絶妙な感覚で、まるで普段から監視しているように。

そんな姿も可愛いから良いけどさ。

小さな鼻をツンツンと突いても、身動ぎするだけで引っ掻いてこないしな。

嫉妬か、嫉妬なのか。

あははは、可愛いなぁこやつめ。

 

「…………」

 

白猫と戯れることで気付かなかった。

ミケと仲睦まじく遊ぶ俺を、義久様が嬉しそうでいて、それでも困ったように微笑んでいる事に。

 

 

 

 

◾︎

 

 

 

 

 

同じ頃、豊後国の臼杵城。

戸次道雪は不安げな面持ちで空を見つめていた。

昨夜から広がる雨雲は今にも決壊し、秋雨を齎しそうである。それだけなら許容範囲内だ。

しかし、雷鳴でも轟いてしまえばーー。

そんな想像だけでも身体が震えてしまう。

幼少期の精神的外傷は『雷神』と恐れられる戸次道雪すらも無力化する程に残忍で強力であった。

 

「嫌な天気ですね」

「襖を閉めないのですか、義姉上」

 

傍らに立つのは高橋紹運。

普段の凜とした姿は鳴りを潜め、心配そうに義理の姉を見つめる姫武将に対し、戸次道雪は微笑みを返した。

 

「例え一時だけ目を逸らした所で雷が鳴ってしまえば同じ事ですよ、紹運」

「義姉上の仰る事はご尤も。されど心の平穏は得られましょう。無理に雷鳴と向き合う必要はないかと」

「心配には及びません。最近は少しだけ慣れてきたのです」

「…………」

「そのような顔はお止しなさい。紹運、貴女も理解できるでしょう。島津家と干戈を交える日、雷が鳴り響いていたから敗れました、では笑い話にもならない事を」

 

大友家の予定通りに事が進むなら、来年の8月頃に島津家と決戦に及ぶ手筈となっている。

既に梅雨は明けているだろう。

だが、決戦日に雷雨とならない保証など皆無だ。

ならば少しでも雷鳴に慣れておく必要がある。雷に震えて指揮が取れず、大友軍を敗北に導いてしまえば悔やんでも悔やみきれない。

伊集院忠棟の妄執を祓えなければ、死んでも死にきれない。

 

「その時は角隅殿にお任せすればーー」

「島津軍の戦略を練るのは伊集院忠棟です。一瞬の油断もなりません。宗麟様か私、もしくは紹運が全軍の指揮を取らねば大友軍は敗北します」

 

戸次道雪の予測だと、大友宗麟は総大将として軍に参列するも指揮を執ることは無い。現在の様に戦時でも南蛮の宗教にお祈りを捧げるだろう。

そして高橋紹運は筑前か豊前へ派遣される。龍造寺家と毛利家を牽制する為に。角隅石宗も合意済みである。

つまり、日向にて指揮を執る事が可能なのは戸次道雪一人。天候が優れなかった場合、大友軍は島津軍になす術なく蹂躙されてしまう。

 

「義姉上は伊集院忠棟を恐れすぎです!」

 

気弱過ぎる戸次道雪の発言に、高橋紹運は声を荒げた。

大友家は北九州に覇を唱える大大名。短期間で躍進を続ける島津家は脅威かもしれないが、それでも長年北九州に君臨し続けた大友家との国力の差は如何ともし難い物がある。

それは歴とした事実だ。

戸次道雪とて否定するつもりなどない。

 

「ただ恐れている訳ではありませんよ、紹運」

 

黒戸次を強く握り締める。

伊集院忠棟と出逢った事を思い出す。

二年前、晩夏でも特に暑い日であった。

午の刻から強い雨が滴り落ち、雷が荒ぶり、戸次道雪は坊津の片隅で寒さと恐怖から打ち震えていた。其処に現れたのは三人の南蛮人。いやらしい笑みを浮かべ、異なる言語で話かけてきた男たちから逃げるように、戸次道雪は震える手で車椅子を動かした。

しかし、ぬかるんだ道は移動しづらい。

追い付いた南蛮人に腕を掴まれ、引っ張られそうになった時、颯爽と現れたのは利発そうな少年であった。

異国の言語を扱う彼は舌打ちした後、懐から金子を取り出した。南蛮人に投げて寄越した後、速やかに車椅子を押してその場から離れたのである。

その後、彼の知的な発言に興味を惹かれ、黒戸次を改良してもらった。意気投合した末、二日目には戸次道雪からお酒を勧め、結果として伊集院忠棟の苦悩と弱点を知った。

 

「義姉上は門司合戦で大友家を勝利に導いた武将です。九州、いや西国でも義姉上より合戦に秀でた武将はおりません!」

「ふふ、それは過大な評価ですよ」

「ーー決してそのような事は」

「ありがとう、紹運」

 

高橋紹運の言葉を遮るように礼を述べた。

確かに終始毛利軍の有利に進んでいた合戦をひっくり返す事に成功した。大友家だけでなく、まさに『九州一の弓取り』だと称される声も少なくなかった。

それでも西国一は有り得ない。

何故ならーー。

門司合戦で相対した彼女たちは凄まじかった。

国人衆から成り上がった『謀神』毛利元就。

大軍を手足のように動かす『智将』小早川隆景。

高橋紹運と互角に結び合う『猛将』吉川元春。

正直、門司合戦で勝敗をひっくり返せたのは運が良かったから。二者択一で正解を引き当てる事が出来たからだ。

そんな戸次道雪の内情を察したのか、高橋紹運はこれ以上言葉を荒立てようとせずに静かに問い掛けた。

 

「……義姉上は、どうして伊集院忠棟を危険視するのですか」

「彼と二年前に出会っている事は話しましたね」

「はい。言葉を交わした事もあると」

「常人と異なる発想、的確な判断能力、処理能力の速さ、そしてーー目的を達成する為なら己すら殺しかねない危うさ。大真面目に天下を語った時の双眸から、この子は私たちと違う視点に立っているのだと気付きました」

「義姉上は伊集院忠棟に勝ちたいのですか?」

「いいえ。それは違いますよ、紹運」

「ならば何を……」

 

今ならわかる。

あの時、戸次道雪の腕を掴んだのは奴隷商人だ。

雷雨が去ったのは一刻も後のこと。もしも伊集院忠棟が助けてくれなかったら、今頃は遠い異国の地で想像もつかない事を強要されていただろう。

彼は命の恩人である。

道雪が自ら酌をした初めての男性でもある。

そんな彼は、主君を天下人にする為に命を燃やすつもりでいる。幼い頃の約束を果たす為に、全てを引き受けて潰れようとしている。

だからーー。

だから、道雪はーー。

 

「私は、あの者を止めてあげたいのです」

 

否、止めなくてはならない。

そして、最後に交わした約束を果たしに行く。

 

 

「彼を、救ってあげたいのです」

 

 





本日の要点。

1、島津義久と婚約。

2、ラブラブな模様。

3、道雪、弱点を克服中。

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