オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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STAGE40. 支配者失望スル/飛びカウ失策とジェネラる(14)

 さて、ここ王都リ・エスティーゼは午後9時を迎える。

 アインズが帝国へ乗り込む前にソリュシャンからの〈伝言(メッセージ)〉で、王国戦士長と会合の約束をした時間だ。

 仮面姿の支配者は、ナーベラル扮する替え玉の魔法詠唱者(ニセアインズ)と代わり、約10分前からロ・レンテ城のヴァランシア宮殿3階の滞在部屋に居る。

 そうしていつもの一人掛けのソファーへ悠々と座り、ほんのひと時を寛ぐ。

 この部屋の時間は外とは違って優しく平和に流れている。

 一般メイド服の格好に身を包むツアレはその中で、以前より艶の増したその綺麗な金髪を揺らしつつ、今日も愛しのご主人様の傍で幸せな一日が過ごせた事への感謝の気持ちから、目を無意識に熱くうるうるとさせていた。

 一行のうち、先日からルベドはご主人様の御用のため王都内へ出て不在であるが、(あるじ)を始めユリにソリュシャン、シズは変わらず優しく共にあり仲良く過ごしている。ツアレにとって優雅な三度の食事、お茶会や王城内のお散歩に入浴等々(などなど)一日一日が贅沢だ。

 彼女が残念なのは、未だにご主人様から閨へのお誘いがない事ぐらい……いや、あと妹のことである。以前は苦々しい屈辱の日々において、妹の事をいつも考えていたとふと思い出す。最近、それが少し減ったように感じた。これはもしや――と思い掛け、目を閉じ頭を一度左右に振ったツアレは仕事へ戻る。

 そんな中で、部屋の両開きの扉がノックされた。直ぐユリが扉へと来訪者の対応に向かう。

 これから絶対的支配者(アインズ)は、竜王軍団に対する旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)として取る戦術について説明を行う会談に出るのだ。

 声が漏れる〈伝言(メッセージ)〉を使うため、役交代の入れ替わり時にベランダへ出た不可視化中のナーベラルから、会談に関する戦士長側からの申し送りも受けた。

 今よりアインズはガゼフに連れられ、国王らの待つという王城側の国王執務室へ向かう予定だ。

 このような状況から配下(エンリ)(さら)われた一件は全て無事に解決したのだろうか。

 

 

 いや―――そういう訳では()()()()()()……。

 

 

 依然として、この時間もエンリは帝国のど真ん中へ小鬼(ゴブリン)軍団5000と共に残っている。

 

(はぁ……)

 

 支配者は問題が四方へ山積みになってきたなと今日(こんにち)を思い、心の中で小さく溜息を一つ吐くとソファーから立ち上がり、ユリが扉を開け招いた厳つい顔にガッシリした体躯の戦士長へと歩を進める。握手する右手を差し出しながら。

 入室するガゼフは、応対に出てくれた眼鏡美人のユリへと精一杯の笑顔を向けていた。一般的には『暑苦しい』という表現が的確かと思う。

 彼はユリへの約束を当然忘れてはいない――昼食会への再度の誘いについてをだ。

 しかし、臨戦態勢へ移行し始めたリ・エスティーゼ王国総軍にあって王家領や王城を守る戦士騎馬隊の隊長に、昼の最中(さなか)30分を超える暇な時間があるはずもなく、次の約束はまだ告げられていない。

 ただ、戦闘前には「もし生き残ったら」という言い回しで決定的な想いを伝えるつもりでいる。

 立ったまま握手を交わしたアインズとガゼフは、すぐ滞在部屋をあとにし国王の執務室へと慎重に向かった。

 

 夜の国王の執務室での会談――それは例外なく陰謀色が濃いものである。そのため反国王派も警戒しており、通常の建屋の出入り口を使うと感知されてしまう。だが、国王の執務室前には、幾つかの部屋から隠し通路を経て到達が可能になっていた。

 それらの一つを通り、ガゼフとゴウン氏は衛兵の立つ国王の執務室へと辿り着く。

 なお、夜の密談という場でもあり、客人の仮面装着については不問となっている。

 中へ通されると二人の内、ゴウン氏には席が用意されていた。

 部屋の中にはナーベラルからの申し送り通りで、国王ランポッサIII世の他に大貴族が1名と大臣代行がおり、大臣代行は黄金細工の椅子へ座る国王の左横に立つ。大貴族というのはレエブン侯であり、国王の左斜め前の三人掛けの椅子へ座っていた。

 反国王派のレエブン侯が裏で国王派へついている事実を、ゴウン氏はガゼフから隠し通路を進む途中で聞いていたのでこの場で驚く事はなかった。まあ仮面で表情は見せていないので同じなのだが。

 ゴウン氏が彼等に会釈すると、ランポッサIII世より「客人は右のそちらへ掛けられよ」と勧められた。巨躯の客人は王国六大貴族の一人が座る席の正面ローテーブル越しの、国王右斜め前に置かれた二人掛けの椅子へと腰掛ける。ローテーブル上には、王国北西部の大きめの地図が開かれていた。

 仮面の客人はまだ一介の旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だが、間近に控える竜王軍団との戦いの裏の主力であり第二王女殿下の婚約者。王国戦士長とはすでに異なる立場といえる。

 国王から、椅子に腰掛けたゴウン氏へと万感の籠った言葉が掛かる。

 

「娘に会われたかな?」

 

 ランポッサIII世の質問はあくまでも嫁に差し出そうとしている第二王女ルトラーの事だろう。

 一昨日の昼過ぎに会って、アーグランド評議国の情報を色々と聞かせて貰ったところである。

 最後に「次回はゆっくり、これからの二人のお話をしたいですわ」と、熱い瞳で告げられて。

 でも王もまさか、国家にとっての『玉』である第三王女のラナーまでもとは考えていない様子。

 早くも夜中に数回逢瀬の如くひっそりと会い、ベッドに横たわる彼女の華麗な薄着(シースルー)の姿態までも拝見させられ済み。

 ゴウン氏は、会う(たび)に親密度を微妙な形で健気に高めようと励む国王陛下の()()を思い出す。

 

「はい、(どちらも)美しく聡明でしっかりされていると感じました」

 

 国王は将来の義理の息子となるかも知れない者からの、娘の足の件に不満を漏らすでもなく、当たり障りのない穏やかな物腰での答えに満足したのか「……左様か」とだけ返す。

 その間にガゼフは定位置である国王の右横へと立った。

 顔ぶれが揃ったみたいで、大臣代行が進行役なのか静かに話し出す。

 

「それでは皆様、此度の竜王軍団との大戦における、我が軍の反撃について整理しお伝えしたいと思います。我が軍の兵力は――」

 

 大臣代行からまず伝えられたのは、本日18時時点の王都に集結の終わった戦力数。

 緊急招集後僅か10日間で王都と周辺の大都市や諸侯の兵を中心にその数約12万。士気は低めだが国家存亡に際し、国王からの催促状もあり貴族達が招集へ厳罰令も出し過去最速の異常な迅速さをみせているようだ。あと4日以内で軍勢はエ・ランテルからの3万も含め20万まで増える見通し。冒険者達も王都へ入った精鋭等は既に650チームを超えたとも語られた。

 対策会議の場で耳にした、近隣の兵力20万と精鋭冒険者700チームは当初の予定通り揃いそうである。流石に後のない乾坤一擲の戦いというところだろうか。

 そして次におさらいも兼ね、王国軍の表側として取る作戦の話が机上の地図を指示棒で指しつつ始まる。中位の冒険者達を含め竜軍団に対し勝る兵力数を活かした、分散による時間を稼ぐための囮作戦と言うべきものだとし説明が進む。すでに進行中の計画では、即応出来た王都の常備兵と工作兵等2万を使い北部の旧大都市周辺の穀倉地帯各所へ400箇所もの仮設の補給施設が設置済で、数日後に500箇所全ての準備を終えると聞く。

 作戦の表側主力は上位の冒険者達であり、彼らが(ドラゴン)を各個撃破していくというもの。

 ただし竜王に対してだけは、現時点での情報で手に負えない存在の為、囮として逃げ回るのみという形だ。今次の戦争では竜軍団の3割撃破のみが目標とされている。

 ここまで大臣代行から作戦について皆へと伝えられると、(おもむろ)にレエブン侯が口を開く。

 

「さて。私は立案当初、竜王が余りに強すぎるため“蒼の薔薇”には終始引き付けてもらう事だけを考えていました。しかし今回、その役目へ――密かにゴウン殿一行も加わってもらいたいのですが、いかがか? 無論、竜王への戦術については一任という事で」

 

 この王家側とレエブン侯の思惑についてだが、ゴウン氏の案を重用したり一行だけを前面で戦わせようとは元々考えていないものであった。

 それはゴウン氏主導の結果、彼等だけで見事に勝ってしまった場合、王国内のパワーバランスが大きく揺らぐと考えたからに他ならない。戦後、辺境で小領の独立自治区の領主だけなら無視も出来るが、第二王女の夫という立ち位置は依然として権力にもかなり近いといえる。

 救国の功績と実力を背景に、仮面の彼を次期国王にと担ぎ出す者がきっと出て来るだろう。

 加えてレエブン侯の密かに描く次代の王国像は、血の気多く戦いを好むバルブロ第一王子ではなく、武の争いからは一歩下がるザナック第二王子の擁立である。そこから始まる盤石なヴァイセルフ王家の治世が侯爵家の幼い愛息には必要、という思考で今も動いている。

 だからゴウン氏には単独で軍中央の先頭に立ってもらうのではなく、王家や六大貴族等の率いるリ・エスティーゼ王国総軍の只の(いち)小隊という地味な立場で動いてもらいたいのだ。

 

「……(うーむ)」

 

 この時の支配者(アインズ)は目的の方向が違う為に、侯爵画策の王国側の思惑を余り理解していなかった。

 レエブン侯の案に、ゴウン氏は改めて単純になるほどと思う。竜王の供回りを圧倒的な王国側の兵数で少しずつ自然に引き剥がし、竜王を手薄にした段階で因縁のある“蒼の薔薇”が現れる。そして竜王を(おび)き出しての支配者一行によるトドメ。これなら竜王を倒した時点で勝敗が決定的になるだろうと。

 だが絶対的支配者としては、やはりこの『大舞台』で直ぐに勝負がついてもらっては困るのだ。

 人類側に絶望的苦戦を長々としてもらい、有名な『蒼の薔薇』にも敗れ去ってもらった上で、窮地を見かねたプレイヤー達に出て来てもらうまでは。

 そこで初めてプレイヤー達と共にアインズ・ウール・ゴウンの実力を見せ名声も得るのである。

 王国内が総崩れの死屍累々で酷い状況となっても、嘗てのトップ十傑ギルドのプレイヤー技を駆使し、竜王だけ絶対的支配者自らが半殺しにして早期に確保すれば、後は竜王軍団の撤退の件も含めどうとでもなると……。

 そのためにと、ゴウン氏は答え始める。

 

「竜王は恐らく、難度で軽く200以上あるでしょう……ですが、倒す事は可能だと思います」

「おおっ」

「“蒼の薔薇”との共闘を受けられると? これは、頼もしい限り」

「素晴らしい」

「やはり、ゴウン殿……」

 

 国王や六大貴族、大臣代行は感嘆の声を上げ、そして戦士長は薄々予想していた実力の片鱗を語った友人へ満足し口許を緩める。

 しかし、仮面の客人の発言には続きがあった。

 

「ただ一つ、大きい問題があります」

「なんでしょうか?」

 

 国王や戦士長らがハッとする中で、いち早くレエブン侯が問うた。

 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は単に己の要望をもっともらしく述べる。

 

「今回の強大な敵へ私が決定打を撃つためには――長時間、魔力を溜める事が必要です。それも支援魔法を起動して目標を認識した後からとなります。補足後、連れの者らに護衛してもらいつつ後方へ一時下がり一定時間備えなければ」

 

 勿論、支配者にそんな必要はない。

 

「っ?!」

「なんと」

「そ、それは……」

 

 ゴウン氏の言葉に、国王やレエブン侯と戦士長から驚きの声が起こった。

 この戦いの決定的な鍵を握る者が、戦場で直ぐに使えないという恐怖。

 そんな彼等の様子すら楽しむかのように、支配者の考えがブレる事はない。

 

「相手は竜王。普通の攻撃が通じる敵ではない事をよくご理解ください。私にもすぐに出来る事と出来ない事があるのです」

「むう」

「「……」」

「ゴウン殿……」

 

 この時のゴウン氏の表情は、仮面によって誰も(うかが)い知る事が出来なかった。

 その仮面の下の、満面でほくそ笑む顔を……。

 だがレエブン侯や国王達は、この直後にゴウン氏から発せられた言葉で納得するに至る。

 絶対的支配者はこの場の者に語り聞かせた。人間にとって限界という領域と比べる形でだ。

 

 

 

「なぜなら、私が竜王へと放つ魔法は――第6位階よりも上位の魔法だからです」

 

 

 

 第6位階より上は、あの帝国の大魔法使いフールーダ・パラダインの()るう魔法位階を上回る神話域の水準である。

 それほどの魔法を放つためならば、膨大に魔力が必要なのは当然と思えた。

 

「おおぉ……それは凄い。前人未踏の域じゃ。ならば無理は言えぬのう、レエブン侯」

「はい、確かに。それほどのものなら仕方がないですな」

「……(前人未踏……)」

「第7位階以上の魔法……か(もしやそれは、陽光聖典の者達を消し去った魔法では……)」

 

 こうして夜の国王執務室での会談の結果、絶対的支配者の予定通り、今次大戦の戦闘に関し『ゴウン氏の放つ決定的な一撃の時間を稼ぐ』という重要事項も極秘裏に追加される模様。

 これでアインズは、堂々と後方で高みの見物が出来るというものである。

 冒険者達を含むリ・エスティーゼ王国軍は、5日後午後より王都から順次進軍を始め動き出す方向で、3日後の午後に開かれるという戦時戦略会議にて決議する予定が告げられる。また『蒼の薔薇』との一時連携に伴い、彼女等との打ち合わせ会合の場も戦時戦略会議までに用意される事も決まる。

 大臣の和平使節団も並行して動いているが、『北西部穀倉地帯の戦い』の開戦は早ければ9日後との予想で王国軍は動き始める。

 

 そろそろ席を立とうかという会談の最後に、レエブン侯が仮面の魔法詠唱者へ尋ねてきた。

 

「そうそう、ゴウン殿。この戦いで貴殿は貴族派閥の方々に対し、どう動かれるつもりかな?」

 

 この侯爵も反国王派の会合に六大貴族として参加し、先日よりゴウン氏がボウロロープ侯爵やリットン伯爵等から大金や若い娘達に屋敷まで贈られ、表戦力として期待熱き存在であると見知っている者だ。

 レエブン侯も反国王派のフリをするため手を汚す部分もあり、ゴウン氏の得たモノや行動を細かく暴露するつもりはない。『力ある者が全てに優遇されるのは当然の権利』という貴族思考は侯爵にも健在であった。

 ただ今回、ゴウン氏と共に反国王派大貴族からの呼びかけへ応える形で主力として動くのは、王国裏社会の最大組織『八本指』の戦力と聞く。優秀な元オリハルコン級冒険者チーム等を私軍内に持つレエブン侯としても、かの地下犯罪組織はアダマンタイト級の水準と噂の『六腕』達を擁したかなり手強い連中で、王国を腐らせる(やから)と前々から警戒している相手だ。

 『八本指』の戦力とゴウン氏の共闘会談についても、ガゼフ発国王経由で詳細の一部を聞いている。それは武闘派の八本指側と、魔法詠唱者を中心とするゴウン氏達とでは中々戦術面で連携方針が纏まらず、話が進んでいないという事を。

 まあその話はアインズの告げたニセ情報なのだが。

 これらについて、戦士長の「見ず知らずの自分達騎馬隊や村民を助ける仁徳を見せたゴウン殿が、人殺しや弱者を食い物にし利を得ている八本指の、その警備部門等の連中と合意するのは難しいはず」という見解も国王より伝わっており、レエブン自身も同様に考えた。

 だからゴウン氏の取る今後の対応が結構気になったのだ。

 

 しかし――現実のゴウン氏と八本指との関係は、多くを裏切りズブズブである。

 

 絶対的支配者の垣間見せた大スケールの極悪さと超越的力に心酔した八本指警備部門トップのゼロは、配下の『六腕』や暗殺部門のトップ達も引き込み、巨大な裏組織八本指の方針を反国王派大貴族達寄りからすでにゴウン氏の意見に同調させていた。

 賄賂として、強大な魔法詠唱者へ金貨1万数千枚以上を渡している関係でもある。

 加えてゼロが最早ゴウン氏の傘下になってでも裏切るつもりがない事で、絶対的支配者の裏の極悪評価は表に出ることもなく、絶妙といえるバランスを見せ始めていた。

 今後、至高の御方の率いるナザリックがみせるだろう王国や人類圏でのアクドイ行為の多くは、彼ら八本指やズーラーノーンの名の下で行われた事になる可能性が膨らんでいく……。

 そんな裏の面を微塵も知らないレエブン侯へ、ゴウン氏が質問に対し答える。

 

「かの大貴族の方々が最も要望されているのは、概ね領地を守る事ではと思います。ですからそれを結果的に達せられれば問題ないでしょう。ただ、貴族派の共闘戦力には王国裏社会側の大組織所属である者等がいます。どうも思想的にも妥協点が少なくて。別々に動く可能性も完全に否定出来ない現状ですが、一応調整の峠は何とか越え掛けている感じかと」

「ふむ。此度に限り竜達に勝てば結果は同じですか、なるほど……しかしゴウン殿、貴殿も大変ですね」

「貴族派と名高いレエブン侯からこの場で(ねぎら)って頂けるとは、ふっ」

 

 仮面の客人からの返しの言葉に国王ランポッサIII世も相槌を打つ。

 

「全くだな、はははっ」

「なんとも、はは」

「くっくくく」

 

 国王につられ大臣代行や戦士長からも笑いが起こり、この会談は和やかさのある中で午後10時を迎える前に終わった。

 秘密の通路を通り、ガゼフとゴウン氏は王城建屋内の別棟1階の部屋へと現れる。

 そこから裏手を回る形でヴァランシア宮殿の入口まで戻って来ると支配者と戦士長は別れた。

 

 御方は宮殿3階に()る滞在部屋へと戻り、一人掛けのソファーに暫し腰掛ける。

 壁際に置かれた時計の時刻午後10時15分を横目で確認したアインズは、ツアレが飲み物を用意するため奥の家事室へ下がると同時に、再び間髪をいれず動き出す。

 

「ナーベラル、後は任せる」

「畏まりました」

「ユリ達も引き続きこの場を頼む。私は()()()がある」

「承りました」

「……了解」

 

 絶対的支配者は依然ユリやシズ、ソリュシャン達へ多くを語らず。

 それは、(あるじ)直属の配下エンリが外部の者に連れ去られたという事実――これにどういった反応をみせるのかへ不安が残ったからだ。

 この場のプレアデス達とエンリは、ネムを含めカルネ村のエモット家で数日の交流があった。先程ニグレドのネムへの反応も見ており、万一直情的に動かれては困ると……。

 ただ、この件についてデミウルゴスは兎も角、アウラを見れば随分冷静……というか「あたし達ナザリックに挑戦者ですか?」と対戦相手が見つかった風で嬉しそうにすら感じた。

 恐らくアウラにすれば、ナザリック配下とはいえエンリとの関係がまだ薄く、この世界の人間という部分が大きいと思われる。

 やはり受け止め方にもNPC達で個性が出ている様子だ。

 

 一方で至高の御方から詳細を聞かされない事は、ユリ達としても内心で気になる。

 しかし、それは些細な事かも知れないのだ。また秘め事かもしれない。そのような事を一々伺うのは無礼に近い。

 だからこそ、プレアデス達は普段の主の行動について余計な事を多く問わない。

 告げられないのなら、その者達は聞く必要のない事なのだと理解に努める。彼女達は至高の御方の意向に従い貢献する事こそが、最大の存在意義なのだから。

 

「ではな」

 

 〈転移門(ゲート)〉を開くとアインズは急く姿を感じさせないようにして王城の宮殿より姿を消した。

 

 仮面を外した彼が現れたのは、言うまでも無くバハルス帝国の帝都アーウィンタールだ。

 一方アーグランド評議国側では、今現在キョウが潜入調査をしているはずだ。

 またルベドを長時間放置するのも少し危険だ。エンリ姉妹の様子をいつ楽しむのか分かったものではないからだ。

 幸い、()()の存在は本当に随分助かっている……。

 

(まさに――情けは人の溜め(為)ならず――か)

 

 あそこで偶然、奴隷少女を助けたことは意外に大きかったと感慨深く思えた。

 

 そしてここ帝都での展開は、名声への影響から直接介入に微妙な立場であった御方の、予想した斜め上の筋書きで動きをみせ始めているのだ……。

 その詳細は、今から3時間程前まで遡る――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニグレドのいた氷結牢獄を後にしたアインズが、ナザリック地下大墳墓で友好保護地域のカルネ村から配下を(さら)った賊への制裁軍を急遽編成し移動出撃する直前のこと。

 帝国魔法省内敷地にて――。

 エンリへ協力した成り行きで、()()()()の重低音のあと出現した1000体を軽く超える小鬼(ゴブリン)軍団にあっという間で辺りを取り囲まれ、しばし呆然としていたアルシェ・フルトであった。

 

『もしかの時に身を守ってくれるお守りです。でも森の傍に居ないといけないの』

 

 エンリのこの言葉で、アルシェは森から森へ移動する類の脱出に画期的な魔法アイテムではと期待していた。

 でもそんな少し童話的考えは森と同色とはいえ、緑のムサ苦しい状況に見事打ち砕かれて……。

 彼女は当然の疑問を、同じ陣幕内で横に立つ一介の村娘と思っていた少女へと向ける。

 

「エモットさん……あなたは何者ですか?」

「わ、私は……」

 

 問われたが、彼女(エンリ)自身もまだ状況を整理しきれない。

 修羅場を潜って来た少女(アルシェ)の鋭く強烈な視線も受け、思わずエンリは答えに詰まる――。

 

 

 

 今、バハルス帝国首都の地へ忽然と現れた数千体の小鬼(ゴブリン)軍団は、唯一の主人にして人間の司令官エンリ・エモットからの指示を待ち望んでいた。

 故に正面より襲い来た〈火球(ファイヤーボール)〉群の対処でも、軍団の魔法部隊が受け止め〈炎竜巻(ファイヤー・トルネード)〉並みと化した巨大な風の渦を、人間の魔法詠唱者部隊側へとまだ押し込まず保留している。

 それを実行すれば、攻撃を放ってきた相手へ甚大な被害を与え、非常に優位な局面を作り出せることは間違いない。

 綸巾(かんぎん)を被り凛々しい髭に羽扇を持った小鬼(ゴブリン)軍師が、軍団の中から主人である村娘の傍へ急ぎ近寄り一礼すると確認する。

 

「私は現在、代行的に軍団の指揮を執る者。エンリ()()()()、展開途中の当方でありますがこの場での規模、戦力ともすでに相手より優勢ですぞ。このまま、あの火炎の渦を敵側へ押し込み反撃されますか?」

 

 その内容と状況に、エンリの横へ立つアルシェは緊張する。

 村娘は先のアルシェの質問にまだ答えていなかった。故に制服装備の少女側の邪推は拡大する。

 

(将軍閣下?! ……やっぱり、この人は帝国民の――人類の敵なの?)

 

 目の前の無防備に見える村娘へ即時、殺傷力のある魔法を放つのは可能だ。しかし、それは周辺の強力な小鬼(ゴブリン)達から己が確実に殺されることも意味した。アルシェは、妹達の為にまだ死ねない。また会話など接して2時間程だが、エンリ・エモットという娘が悪い子には見えないのだ。

 それに第一、この村娘を殺しても小鬼(ゴブリン)軍団を止められるとも思えない。

 ここはまず――窓口として『将軍閣下』と呼ばれたエモット嬢を生かし、交渉する方が最善と判断する。

 エンリとしては、状況に思考が追いついていなかった。

 ただ、目の前の羽扇を持つ者と、怪物(モンスター)軍団が笛により呼び出した存在であり、最高の協力者達であろうことは理解している。だから彼女は最優先事項を告げる。

 

「ダメですっ。攻撃は受けたけど、今ああして攻撃を無力化し私達の力を見せることは出来てると思います。外部からの相手の援軍もまだ未知数ですし、だから――私は交渉を希望します」

「……どのような形でしょうか?」

「まず、炎の混ざるこの渦を上空へと飛ばして消し、私の声を敵陣まで届けて欲しいのですけど」

「心得ましたぞ、エンリ将軍閣下。お任せを」

 

 小鬼(ゴブリン)軍師は主人へ一礼ののち数歩下がると、脇へ控える伝令へ軍団内指示を伝える。

 

「魔法砲撃隊及び魔法支援団へ伝令。将軍閣下が敵陣へ勧告する声を届けて欲しいとご要望だ。魔法支援団より1名をこの場へ()させよ。準備が整い次第、現状の〈竜巻(トルネード)〉を天空へと移動し霧散させ一時消し去るよう私が指示する。その後、すぐ勧告のお声を相手方へ流すのだ」

「はっ、畏まりました」

 

 そのやり取りの様子を横で見ていたアルシェが、別件をエンリへと問う。

 

「……魔法省の装備を着ている私って、拘束や攻撃されないの?」

「多分大丈夫です。皆さん、フルトさんは私が困ってた時の味方だって分かってますから。それよりも、さっきのフルトさんの“私が何者”って問いだけど――」

 

 アルシェへ笑顔を向けていたエンリだが、一瞬視線を落としたあと難しい表情に変わった。

 自分の今からの立場と行動について、組み立て始めていたのだ。

 まず、エンリの目的はカルネ村へ無事に帰る事である。しかし、祖国よりも強大であろうこのバハルス帝国の首都で亜人の軍勢を出現させてしまっている。これは空前絶後の大問題以外の何物でもない。

 

 ――もう歴史に名を刻み、消す事の……後戻りの出来ない状況であると認識出来た。

 

 目的を成就するにはもはや、軍事行動で訴えるか、あとは上位の政治交渉しかありえない。

 でもエンリは()()()、軍事行動へ訴えようとは思っていない。

 彼女個人として、自身の村から誘拐されたことは問題だが、今現在殺意を抱く水準には程遠い感情でいる。妹や村人が殺され、手酷い形で大事な貞操を散々に散らされていれば、そういう思いに至ったかもしれないけれど……。

 騎士団にカルネ村が襲われた状況を思い出し、この数で争いになればこの都市だけでなく帝国内各地で村の惨劇を軽く上回る事態になるのは容易に想像される。また、人とも共存出来る程の気のいい小鬼(ゴブリン)達にも犠牲が出るだろう。そのため、戦いは可能なら避けたかった。

 あと、この状況はエンリ自身の行動の結果でもある。

 彼女は旦那様の配下であるが、今、彼の名前を出すことは大いに躊躇われた。出した瞬間に、村の救世主で王城へも招待されている『アインズ・ウール・ゴウン』の名が傷つくであろう事を許せるはずもない。

 それに、旦那様の大森林への侵攻から始まるという『世界征服』計画はまだ何も動き出していないのだ。エンリ個人が引き起こした事象で、勝手に魁となる事は許されない。なので。

 

 

(ここは――私が〝将軍〟として前に出て帝国と交渉するしかない。あぁ、旦那(アインズ)様……ネム……)

 

 

 心で震えつつも覚悟を決めたエンリは、アルシェの目を見ながら自身について伝える。

 

「私は、王国辺境の小村カルネ村に住む娘、エンリ・エモット。それは嘘じゃないです。でも、大切なお守りで予想以上の軍団を呼び出し、先程から彼等の“将軍”となってしまった事も事実だと思います。だけど信じて欲しい。私は平和に村へ帰りたいだけなんです。だから、戦いが起こらないように努めるつもり。今から――この国の最上層部の人達と交渉して」

「えっ? それって……皇帝ジルクニフ陛下とも?」

 

 目の前の戦いで、魔法省側は先制魔法攻撃を完全に食い止められた状況だ。だが魔法省の部隊は、先程から手を変えて来る様子すらまだ見せない。こちらの数が増える前に潰すのが得策と思うのに。アルシェは魔法省側が攻めあぐねていると理解する。

 一方、エンリから見て羽扇を持ち脇へ控える軍団指揮者の小鬼(ゴブリン)にはまだ余裕が窺える。こちらが強く大きい戦力だと皇帝に認識されれば、十分交渉の余地は存在するはずだ。

 だから将軍少女はアルシェへ、皇帝との交渉もという話についてひとつ小さく頷いた。

 直後、伝令により軍団内の魔法支援団から1体の魔法詠唱者の小鬼が陣幕内へ現れる。脇にいた小鬼(ゴブリン)軍師は、その者と共に連れ立ちエンリの下へ再度近寄る。

 

「エンリ将軍閣下。では声を先に〈録音〉させて頂きます。その後、この〈竜巻〉を消し去ると同時に〈拡声〉にて相手方へ伝えます。連中へ勧告する内容はもうお決まりですかな?」

「はい」

 

 そうして、エンリの声は即時〈録音〉された。記録媒体はもちろん魔法詠唱者の頭の中だ。

 魔法詠唱者の小鬼はエンリの声を聞き届けると、軍師からの指示を受け陣幕内から出て行った。

 エンリの勧告の内容を横で聞いていたアルシェが尋ねる。

 

「本気なのね」

「はい」

 

 将軍少女は、力強く制服装備の少女へと頷く。

 そうして、2分ほどするとエンリ達の軍団の前へ展開されていた〈竜巻(トルネード)〉に気流の変化が起こり、地上を離れ上空へどんどん登って行くと高高度で霧散し消滅した。

 その直後、エンリの若い声が周囲へと響く。

 

『バハルス帝国魔法省の皆さん、私はこの小鬼(ゴブリン)の大軍団を率いる――()()()()()()()エンリ・エモット()()です』

 

 突如流れる声に、竜巻が消えた事での帝国魔法省側のざわつきは止まる。声は続く。

 

『私は本日、この地の責任者であり有名なパラダイン様によって突然、トブの大森林南端傍のリ・エスティーゼ王国辺境の小村カルネ村より拘束を受け連れて来られました。この小鬼(ゴブリン)軍団は、私自身を守るために呼び寄せたものです。故にこの責の多くは、パラダイン様に負ってもらうほかありません! 代償として――』

 

 パラダインという責任者の名の部分で彼女の声は大きくなった。

 このあと続く言葉でエンリが求めたのは、「無血退去による帰路の国内通行の許可」と「半月分の食料」、そして「地下に閉じ込めてある1体の黒い鎧の怪物死の騎士(デス・ナイト)の引き渡し」である。

 帰路に関しては、大街道と西部の穀倉地帯について、帝国騎士数名が先導を行い街道沿いの宿場街などの迂回にも応じるというもの。食料もジュゲム達の日々の消費量から算出は容易だ。

 「魔法詠唱者フルトの同行」については、ヘタに目立っては彼女や身内も大変になるだろうと敢えて『捕虜1名』とし名前は伝えなかった。囚われの魔法詠唱者としていれば、アルシェの帝国での立場は変わらないとも思って。

 

『私は、この場であなた方帝国との戦いを考えてはいません。ただひとえに、軍団のトブの大森林までの無血退去を望みます。先程御覧の様に、魔法戦で当方の力はご理解いただけたものと考えています。以上について、皇帝陛下の承認を求めます。今より当方は、2時間お待ちします。よろしくお願いします』

 

 これを聞き終えた魔法省側の内部は、一般魔法詠唱者隊員や建物内の職員を中心に騒然となる。

 

「何っ、あの偉大な方が隣国の村娘の拘束と拉致だと?!」

「これ程大規模な戦力で現れて、こいつら撤退希望なのか」

「おのれ、パラダイン様に限ってあり得ない話を!」

「おい、死の騎士(デス・ナイト)っていえば、あのカッツェ平野に現れるっていう伝説的モンスターじゃ?」

「はぁ、どういうことよ? そんなモノ、地下に置いてある訳が――」

「これは間違いなく、敵の虚言だろう」

「でも、本当なら……どうなるんだ?」

「「「……」」」

「まさか、嘘ですよね……?」

 

 帝国の長年の英雄フールーダにとって、強烈な暴露話の連続である。

 まず、エンリの拉致については、フールーダの高弟達でも一部しか知らない事象であった。皇帝にも「そうか、任せる」と一応話が通ってはいる。だが、本日とは()()()()()()()()

 その拉致した少女が、帝国の帝都アーウィンタールへ甚大な脅威を運んで来たという現状。

 これだけでも事実ならば、バハルス帝国主席宮廷魔法使いといえども――無視出来ない大きい失態である。

 更に、地下に封印する禁忌の死の騎士(デス・ナイト)の存在までも語られていた……。

 

「な、なんということだ……」

「……師よ……」

 

 先程村娘のエンリと、地下の死の騎士(デス・ナイト)の部屋まで同行した高弟達は頭を抱え愕然とした表情に変わっていく。

 どちらに転んでも酷い状況になることがみえていた。

 村娘の発言を認めれば偉大なる師が窮地に立ち、拒否すればこの帝都は火の海だろうと。

 国家にとって大きな判断という事実は、その決断を皇帝へ投げるのに時間を取らせない事を助けた。フールーダの高弟達は、警戒態勢の部隊内で集まり、「仕方がないでしょう」と直ちに師の行動とエンリの要求が含まれる第二の報告の使いを皇城へと送り出す。

 それと共に、エモット将軍の率いる小鬼(ゴブリン)軍団へ対し、魔法省側も皇帝陛下に確認する間は『停戦』する旨を伝えた。

 

 

 

 

 魔法省側が『帝国にとって未曽有の大局の判断』について、皇帝ジルクニフへ丸投げの形で使いを送り、一応エンリ側と『停戦』の状態に移行して20分程を()る。

 小さい森から既に30分間も続々と(あふ)れ出ていた小鬼(ゴブリン)軍団は、遂に5000体へ近付いていた。先程より森からの登場数が緩やかに減少をみせている。なお、軍団の出現する為の時間が森の大きさによることは誰も知らない……。

 ようやく出現は終わりかと思ったエンリのそんな思考の中へ、以前聞いた不思議な音が鳴る。

 

(――?)

 

 直後によく知る声が頭に流れて来た。

 

『エンリ、私だ。無事のようだな、良かった。今、そちらの状況は近くから魔法で見えている』

 

 アインズは、5分程前となるが護衛のアウラとそのシモベ達と共に魔法省の敷地外傍の緑地群内にある小さめの森林へ〈転移門(ゲート)〉で登場し、デミウルゴスらを見送った後の今も身を隠していた。日が沈んで真っ暗の中、先程から防御対策しつつ〈千里眼(クレアボヤンス)〉と〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で数分様子を見ながら、これから取るべき正解の行動に悩んでいる状況だ。

 王国にいるはずの謎の旅の魔法詠唱者が、この場に姿を現すという意味はあらゆる点で大きい。彼がエンリ率いる小鬼(ゴブリン)軍団側に立てば、話を見聞きした者の考えは恐らく人類に敵対する存在としての認識へ収束するだろう。

 物や想いを積み重ねるのに時間が必要でも、ブチ壊すのは一瞬で足りる事を誰もが知っている。

 ゆえに軽々しく動けないのだ。

 でも現在、エンリ側と共に帝国側の部隊内も戦闘を中断している様子に思えたことで、少し落ち着いて基本的な対応から始めようと、アインズはまず正確な状況を確認する為にエンリへの通話へ踏み切っていた。

 

「――ア……(インズ様っ!)」

 

 自力脱出を心掛けつつも、当然待ち焦がれていた愛しの旦那様からの声に、エンリは目を見開き思わず声を上げかける。しかしフルト嬢の存在を思い出し声を押し殺すと、彼女から顔を背け数歩離れ口許を右手で隠すと小声になった。

 

「……(すみません。私、(さら)われちゃって御迷惑を――)」

『お前が無事ならそれでよい。一応援軍(ハムスケ他)も連れて来ているぞ』

「――ぁ、はぃ(あぁっ)」

 

 あの強大なナザリックを統べる旦那様が、囚われの自分へと態々(わざわざ)兵を率いての救援に加え、その伴侶らしい優しい言葉も聞き、エンリは乙女として頬を染めつつ感激し口許に手を当てたまま固まる。

 一方で傍に立つアルシェは当然、そんな将軍少女の突発的挙動不審の様子に声を掛ける。

 

「……エモットさん、一体どうしたの?」

「えっと、あの……そう、くしゃみかな? 大丈夫ですよ、大丈夫!」

「んん?」

 

 魔法省仕様の制服装備の少女は眉を顰め首を傾げる。

 丸めた背を見せていたエンリは、アルシェからの疑惑の目に慌てて背筋を伸ばし向き直ると、左手を後ろへ回した姿勢で愛想笑いの顔と胸横辺りで右手を違う違うと振りつつ再度取り繕う。

 

「なんでもないですよ……なんでもっ」

 

 だがやっぱりメチャメチャ怪しい。多分に隠し切れていない感じだ。

 エンリが思い切りもよく、割り切る性格とはいえ、基本は明るく活発で人がよい所為かもしれない。

 アルシェからの少し警戒する視線がエンリへと向けられ続ける。この帝国が祖国であり、元とはいえ貴族の誇りを依然として持つ彼女からすれば、脅威度の非常に高い亜人の軍団をこの帝都へ招いている少女を全面的に信じるのは難しいのだ。

 そういった二人の少女達の微妙な雰囲気を〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉の映像で見ていたアインズが感じ取る。

 絶対的支配者は、エンリの横に立っている金髪で小柄の魔法省の少女兵を、紅い光点で容赦なく射貫く様に睨んでいた。そうして繋ぎっぱなしの〈伝言(メッセージ)〉で問い掛ける。

 

『エンリよ、その傍にいる娘――そいつはお前を攫った一味の者か?』

 

 旦那様の様子は見えないものの、尋ねてくる声のトーンが随分下がって彼女には聞こえた……。

 フルト嬢へ旦那様が明らかに容赦ない敵意を向けようとしているのが感じ取れたのだ。

 エンリは、少し目と口を開いて硬直気味になる。マズイと思った。エンリにとって彼女はこの地での最大の恩人であり、大きく見ればナザリックへの協力者とも言える。

 だから、エンリはアルシェと向かい合いながら、ハッキリと旦那(アインズ)様へ説明する風に伝えた。

 

「アルシェ・フルトさん、私が本当に困っていた時によくここまで連れ出してくれました。この地で唯一の大事な協力者である貴方に今一度感謝します。本当にありがとうございます」

 

 改まって礼を告げられた形のアルシェは複雑な表情を浮かべつつも「うん」とだけ返す。

 それを聞いた森の中で暗闇に佇むアインズは、目を閉じる様に紅色の(まなこ)の光を落とすと呟く。

 

「そうか……良く分かった」

 

 装備が帝国側の兵と同じ娘であるが、アインズ直属の配下エンリの窮地を救ってくれた者だという。支配者が改めてアルシェ・フルトなる魔法詠唱者装備の少女の様子を見ると、確かに逃げようという雰囲気は感じられない。

 詳しい理由は分からないが本当に『協力者』なのだろう。

 ならば、こちらものち程何か恩を返すべきと考えた。ただアインズは今、この『新ゴブリン軍団が人間の大都市へ湧き出た』状況をどう収束させるかと、街中へ潜みまだ見ぬ敵である人攫い集団への制裁が優先事項と判断している。

 エンリは、旦那様の声のトーンの戻りからフルト嬢への敵意が消えた事を感じ取りホッとする。

 でも彼女は改めて緊張する。

 旦那(アインズ)様の怒りが、次に帝国魔法省の部隊へと向けられるのではという予感に。

 単純に考えれば貰った角笛で数千の小鬼(ゴブリン)軍団が登場した事から、元持ち主の絶対的支配者の力量はそれを遥かに上回るモノだと考えるのは自然である。また、ひと月程前にカルネ村を襲ったスレイン法国の者達の結末を村娘は思い出す。

 スレイン法国の特殊部隊との戦闘については村外で戦場跡しか見ていない。だが、村へ攻め込んでいた騎士団50人以上のほぼ全員を、平常心と思われた時に容赦なく短時間で殺害した旦那(アインズ)様達が、この地で怒りのまま本気を出せばどうなる事だろうかと――。

 エンリの説明はまだまだアインズにとって、不十分に思われた。とは言え今、この場にフルト嬢を残して退席するのもどうかと思える。大量の小鬼(ゴブリン)達に対してフルト嬢が不安がるはずだ。

 だからエンリは再びアルシェへ尋ねるように旦那様へ伝える。

 

「ねえ、フルトさん。先程、私が皇帝陛下宛でこの軍団をトブの大森林に無血退去させる希望を打診したけれど、私を単独で攫った帝国魔法省の最高責任者であるフールーダ・パラダイン老が竜軍団への攻撃でお城に不在でも承認されると思いますか?」

 

 エンリの話は、アインズに衝撃を与えた。

 

(えっ? 犯人は都市の街中に巣くう人身売買の一党じゃないのか?)

 

 アインズの怒りの対象は、あくまでもエンリを(さら)った犯人達なのだ。

 正直、この地へ来る際も人類国家の帝国軍とはまだ無用の戦闘を避けたいという考えでいた。

 なので今、エンリと対峙している帝国の100名程の部隊については『絶望のオーラIII』辺りで軽く気絶でもさせ戦闘不能に追い込んだ隙に、一瞬の内で広域不可視化した小鬼(ゴブリン)軍団を〈転移門(ゲート)〉で順次撤退させるぐらいの案を考え始めている。その矢先の情報である。

 エンリの口から聞こえて来たのは、単なる小組織の賊ではなかったという事実……実行犯が帝国魔法省の要人という話。

 でも支配者の思考には疑問符が並ぶ。

 

(なぜ……? どうして、バハルス帝国の者が村娘のエンリを攫ったんだよ?)

 

 既にエンリは無事な事で、怒りよりもその部分が支配者の思考の中でクローズアップされる。

 今回の件が起こるまで、帝国の情報にまだ余り関心の無かったアインズは、寝耳に水の気持ちで一杯になっていた。

 あと、どうやらエンリはバハルス帝国の皇帝へ小鬼(ゴブリン)軍団の無血退去を提案している模様だ。

 エンリからの質問に少し考えてアルシェが答える。

 

「退去承認の可能性はあると思う。明らかにこちら側有利にもかかわらずの状況での提案から、退去希望が真実だという大きい理由付けになるはず。そして帝都に亜人軍団の侵入を許した事は問題で留意点になると考えるけど、この帝都が戦場になる事や攻撃による軍の甚大な損失を天秤に乗せれば無血退去は良案だと受け取れる。帝国には今、王国の竜軍団撃退という足枷も有るから」

 

 将軍少女と魔法詠唱者の娘の語りはこの後も数分続く。

 〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉の映像とエンリの語りしかアインズへは届かないが、彼女の言葉に絶対的支配者は耳を傾けた。そして話が終る頃、現状における立場や概要は掴めたように思えた。

 ナザリックやアインズの存在には触れず、エンリがトブの大森林に暮らす亜人の一軍団を率いる将軍を名乗った事や、連れ去られた理由が死の騎士(デス・ナイト)を操った魔法を帝国魔法省最高責任者のフールーダ・パラなんとかが恐らく軍事転用目的で求めた為であり、魔法省の地下に閉じ込められた哀れな死の騎士(デス・ナイト)の引き渡しをエンリが求めている等々。

 支配者やナザリックにとって、帝国の地で混乱を生んでしまった小鬼(ゴブリン)の大軍団の呼び出しはマイナス要素。だがそれはアインズ自身も知らなかった予想外の不可抗力的状態であり、その後の対応を含め小規模なカルネ村の指揮官に留まらない広い視野での少女の判断と行動力に驚きと満足感を覚えていた。

 絶対なる主は、この世界に在るもので新しくナザリックへ加わる即戦力を求めている。直属の配下エンリの能力が意外に高い事と忠実な5000体の小鬼(ゴブリン)軍団は大きいプラス要素である。

 それと彼等大軍団が『ゴブリン将軍の角笛』の真の能力なのだとアインズは理解した。

 これは正直に嬉しい誤算と言えよう。

 ただ、少女の温和な対応内容に対し、絶対的支配者としては少し()()()()と思った。

 

 

 本来なら少なくとも、そう――帝国魔法省最高責任者の〝首〟を追加要求したいところである。

 

 

 しかしアインズも、難題となるそれを今要求するのはエンリに対し酷な様に思えた。

 フールーダなる者への慈悲は一切ない。ただ頑張っているエンリへの負担を単に気遣ったのだ。ここは機密であった死の騎士(デス・ナイト)が、帝国の飲めそうな厳しい代償という所だと考えたのだろう。折角彼女がアインズやナザリックの名を出さずに帝国と交渉してくれているのである。

 そう、人間の魔法詠唱者如きは、またいつでも簡単に縊り殺せる。

 だから支配者は、可愛い〝将軍〟に免じて帝国へひとつ貸しというつもりで、アルシェ・フルトとの会話が途切れた配下の少女へと伝える。

 

「エンリよ、私は近くから静かに見届けよう。暫定だがお前には()()()()()()()()()としてこの場での帝国との交渉を任せる。無事にその軍団を連れて帰ってこい。定住地や食料確保については、移動が始まる段階で私の方から指示しよう。それと――あとで地位に見合う制服を届けさせる。通話上限時間を超えるので、一旦ここで切るぞ、ではな」

 

 〈転移門(ゲート)〉を使用しての撤退も、色々と憶測を呼ぶと思われるので今回は避けることにする。エンリが連れ帰ってくると信じ任せて。

 アインズの傍には、住居の造形に慣れたアウラとトブの大森林の南方一帯を制するハムスケがいる。流石に人間の小村へあの小鬼(ゴブリン)の大軍団を住まわせるのは無理があると感じ、最終的に数百棟を建築する必要があるとはいえ、作業面も含め特に問題はないはずだ。

 5000という個体数は多いが、新国家の首都となる小都市の地盤普請事業が新規で間近に控えていることもある。労働力としてアンデッド以外の手も欲しい所であった。

 決して悪くない展開。

 また支配者は、今のエンリへ帝国側上位者との交渉でそれなりの服装が必要だろうとも考えた。

 

「(えっ、私が正式に将軍として?)……」

 

 支配者の言葉を聞き終えた村娘のエンリは内心で驚きつつも、周囲の小鬼(ゴブリン)兵を見回しているアルシェの目を盗むと、見ているだろう旦那(アインズ)様へ無言でひとつ大きく頷く。

 将軍という響きは全く慣れないが、既に大軍団を呼び出し混乱させている責任から逃げる事は出来ないと腹を括っていた。

 それにしてもとエンリは思う。5000体もの配下が突如増えようと容易く受け入れてしまえる旦那様は懐広く偉大で本当に心強い存在であると。

 

(私、お慕いしているアインズ様のために、この御役目を精一杯頑張ります!)

 

 すでにエンリには後顧の憂いなど無く、この瞬間より安心してアインズ配下の将軍という考えで全力をもって行動を開始する事が出来た。

 

 

 

 

 アインズのエンリへの指示を横で聞いていたアウラは、ここで少しでも至高の御方の役に立とうと短めの綺麗な金髪を元気に揺らしながら笑顔で可愛く具申してくる。

 

「あの、アインズ様。(さら)った敵が少し強そうなら、あたしが相手をしようかと思いますが?」

「悪いなアウラ。エンリの話だと犯人は竜軍団を迎撃するために王国へ向かったようだ」

「そうですか、残念。あっ、じゃあ、その不届きな犯人を追い掛けて竜ごと殺しちゃいますか?」

 

 元気でにこやかに微笑むアウラにすればどれも造作もない()()。竜王が例えLv.100だとしてもアウラとシモベ達が組めばテイムすら可能だ。

 この新世界で大陸を震わせる程の強者達ですら、尊く大好きな(あるじ)の手を煩わせる必要は微塵もないと言わんばかりである。

 彼女は帝都への出現当初、この都市内の強者を広域で探査し大した者はいないと支配者へ知らせてくれていた。ハムスケと良い勝負の出来そうな者が小鬼(ゴブリン)軍団配下を除けば3体程でLv.40を超える者はおらず、エンリの連れている軍団でも都市の全人口を容易く殲滅出来るはずだと。小鬼(ゴブリン)軍団の近衛隊にはLv.43のレッドキャップが10体以上もいたからだ。

 後は帝国がどれほどの秘蔵アイテムを持っているかという話ぐらいである。

 

「ありがとう、アウラ。だが今回の事はエンリが帝国の者らと話を付けてくれるようだ」

 

 アウラの懸命に役立とうと頑張る意思と姿を可愛く思い、アインズは見上げてくる闇妖精(ダークエルフ)の頭を大きい手で優しくナデナデしてやる。

 

「あっ、アインズ様……分かりましたぁ」

 

 アウラとしては、この場で役立てていないことを少し気にしつつも、頬を染めて(あるじ)の撫でに逆らうことなく可愛く目を閉じ甘えていた。また同時にエンリへついて今後、アインズ様の傍でずっとご寵愛を頂く気であれば、役にも立ちつつ身に振り掛かる問題の一つや二つ、容易に自力で解決出来るぐらいでなくては困ると考えている。

 この新世界からナザリックへ加わった筆頭のお手並み拝見という感じだ。

 守護者(アウラ)様の殿へ甘える光景を見てハムスケは自分もと思うが、アウラの引き連れるLv.90にも届くシモベ達の足元にも及ばない立場を考えて自粛する。

 ハムスケもエンリ同様、確かにアインズ直属ではあるが、腹を見せて撫でてもらえるかというペットの立ち位置。褒めてもらうには、やはり役立つしかない。

 

「殿、エンリ殿の移動時に(それがし)も同行したいでござるよ!」

 

 ハムスケからの上申に、アインズはこのあとエンリへの制服の届け役としてまず決めていたが、その先も少し考える。

 アウラによると、エンリの率いる小鬼(ゴブリン)軍団の戦力には魔法部隊が少数しかいない模様だ。ハムスケは死の騎士(デス・ナイト)を凌ぐ戦闘力を持ちながら結構効果の高い魔法も使える。非常時ならともかくそれなりの安全を確認し確保出来た現在、最上位の階層守護者のアウラやシモベ達ほどの戦力をエンリへ数日付けるのは過剰に思えた。

 

「……(んー、ちょうどいいかもしれないなぁ)いいだろう。このあとエンリへの制服をお前に託すつもりであった。そのままエンリの軍団と森まで行動し援護してやれ。森の方は数日なら村の警備担当が少し兼務すれば問題ないはずだ」

「殿、ありがとうでござる! 頑張るでござるよ!」

 

 ハムスケは上体を起こし、前足を浮かせて体の上半身を嬉しさで小刻みに上下へ震わせた。

 その和む平和な様子にアインズは、あと――ルベドにどうこの件を伝えるかと考え始める。

 いっそのことネムもここへ連れて来て『帝国でエンリとネムに姉妹仲良く少し仕事をしてもらっている』とでも告げ、苦しい言い訳をしようかと思い浮かべていた……そんな時だ。

 支配者の思考へ電子音と続いて、とても可愛いらしい声が流れる。

 但し、彼女の声はまたとても恐縮気味であった。

 

『アインズさま……エントマでございます。実は、護衛対象としていたンフィーレア・バレアレがネムと共に、攫われたカルネ村指揮官のエンリ救出のため、恐らくアインズ様が今ご滞在と聞くそちらの大都市へ向かったとご報告を……。――続けての失態、お詫びのしようもございません!』

 

 御方の居場所はアルベド辺りに聞いたのだろう。

 最後で申し訳なさそうに謝るエントマは、まだカルネ村近くのトブの大森林の中に居た。

 彼女は元々、御方から蟲達を使って()()()()()()()について命じられている。先までエンリ捜索へ注力し続けていた彼女には、アウラからの申し送りも余り無く、それらがまだ変更されていないこともあり非常に動きづらい立場のままだ。

 一旦確保していた護衛対象のンフィーレアが、ネムと死の騎士(デス・ナイト)小鬼(ゴブリン)らと村を離れた事を村に残った2体の蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の片方から報告を受けたが、どちらを優先すべきかでしばらく悩み、今連絡をして来た形だ。

 

「(なにぃ……)ンフィーレアとネムが……?」

 

 (うめ)くように名前を語る絶対的支配者。

 今の時刻は午後7時45分を過ぎたところ。

 

『アインズ様、罰は後でいかようにでも。しかし先にお知らせを――』

 

 忠実な蟲愛でるエントマは(あるじ)へと健気に村で得た情報を述べてくれる。

 そんな戦闘メイドからの知らせは、カルネ村で行方不明だったエンリ配下の小鬼(ゴブリン)の生存と、(さら)った実行犯と思われる杖を持ち白い衣装を着た老人の話であった。

 実行犯についてはエンリから『帝国魔法省の最高責任者のフールーダ・パラダイ何某(なにがし)』だという部分は頭に残っていたが、それが老人だとここでアインズは初めて気が付く。「老」の部分を聞き逃していた。

 その部分の認識と、後でエンリに確認すれば裏付けがきちんととれる貴重な情報となった。

 ンフィーレアとネムの一団がカルネ村を出たのは、おおよそ15分程前だと言う。

 『――以上です』と最後まで告げたエントマは、支配者からの御裁きを待つように沈黙する。

 そんな様子に、アインズはよくよく考えた。

 まず事件が起こったのは彼女の警備時間外なのだ。

 また、少々厳しくなってきたスケジュールのエントマへ追加で警備を命じた上で、カルネ村に不慣れな彼女をここで強く責めるのは余りに酷だと思えた。

 これではパワハラ横行のブラック企業と変わらない。

 

「(一番悪いのは穴のある警備をさせていた俺自身だ……エントマ、お前は悪くない……)……現場も混乱していた。エントマよ、今回は不問とする。お前はそのままカルネ村の警備を頼む」

『え? えぇっ!?』

 

 二度もの続けての大失態で、激しい叱責を受けたうえで勅命による死罪を静かに覚悟していたエントマは、理解出来ない風に驚く。

 そういう不安の滲む様子の彼女へ絶対的支配者は穏やかに威厳をもって伝える。

 

「エントマよ、慣れない場所での懸命な捜索と丁寧な報告、ご苦労だったな。命令に変更はない。このまま明朝の時間まで予定通り警備をしっかりと頼む。ンフィーレアとネムについてはこちらで対処する、安心しろ」

 

 既に明日の朝5時よりエントマのいない時間は、盗賊娘のフランチェスカをカルネ村警備に充てる予定である。

 そして不問は最終決定事項である。異論的考えも許されない。

 

『は、はい! ありがとうございます、アインズ様っ』

 

 エントマは、支配者の温かい言葉の中に寛大さを知って強く感動し、胸を熱くしつつ礼を述べると〈伝言(メッセージ)〉を終了した。

 

 

 

 

 通話を終えた至高の御方へと、静かに横で待っていた闇妖精(ダークエルフ)の双子の姉が聞き覚えのある人間の名に加え「こちらで対処する」との御言葉も耳に入り、少し緊張気味で尋ねる。

 

「カルネ村のンフィーレアとネムが、どうかしましたか? 御用であればあたしにお任せを」

 

 ネムが絶対的支配者直属の配下であり、ンフィーレアは特殊能力の重要人物だと守護者達も全員理解している。

 今、至高の御方の近くにいる守護者はアウラだけだ。

 護衛の仕事と平行して可能な事は、全てシモベ達と処理するつもりでいる。

 アインズはアウラへと髑髏の顔を向けながら答える。

 

「ンフィーレアとネムが村を出てエンリを救出するため、こちらに向かっているそうだ」

「えっ、その二人でですか?」

「いや、村にいた蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)1体を筆頭に死の騎士(デス・ナイト)を高速移動の足にして小鬼(ゴブリン)軍団の連中も連れているようだ」

 

 村の周辺でもっとも危険度の高いトブの大森林を詳細に探索したアウラは、森の南側や東側に蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)へ対抗出来るモンスターはいない事を把握していた。

 

「そうですか。では、ここまでは一応安全かもしれませんね」

「……そうだな(……んっ?)」

 

 だがここで、ふとアインズは重大な事に気付く。

 死の騎士(デス・ナイト)達は兎も角、どうやって村に居た蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を随行させたんだろう……と。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)のレベルは実に50以上ある上位アンデッドだ。

 死の騎士(デス・ナイト)達を逆に従える力や立場を持っていたはずである。

 

蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が隊の先頭に立って率いているという訳でもないだろうし……一体どうなってるんだよ?)

 

 一行の主要メンバーとしては、ンフィーレアとネム……あとジュゲムぐらいだ。

 ナザリックの名持ちNPC達なら、確かに低レベルでも関係なく指示できるだろうと絶対的支配者は考える。

 

「(でもまあ、ジュゲムはないな。……バレアレ少年もそんなレアアイテムは持っていないだろうし……すると、ネムか?! いや……それは流石に……しかし、あの恐怖公にも気に入られて、護衛を付けて貰っているぐらいだからなぁ。ニグレドらも大事にしているし……んー、ありえるのかもな)…………」

「アインズ様、なにか気になる点でも?」

 

 すでに自己解決した感じだが、不思議がっていた雰囲気の支配者へアウラが声を掛けた。

 余計な疑問に思えバツが悪いので、支配者は別のもっともらしい考えを伝える。

 

「(う、)うむ。エントマにも伝えた事であるし、一応、こちらからの監視役を付けておこうかと思ってな」

「そうですね! では、あたしの配下から1体か2体出しましょうか?」

 

 ここにいるアウラ配下のシモベ達10体は皆精鋭ぞろいだ。

 ただ彼等は、アウラの最大のスキルであるテイムを行使する際に当然居たほうがいい存在。

 クアイエッセ探索時のように短時間離れる程度であればそれを選んだが、やはり初めての地で長時間は不安が残る。常に油断しない方がいいと判断する。

 

「いや、護衛であるお前達は今のまま残しておきたい。ここは召喚しよう」

 

 アウラとしては少し残念な思いもあるが、確かに今は至高の御方を守るのが最重要の役目であり当然納得した。

 

「分かりました」

 

 アインズは個人で手持ちのユグドラシル金貨を使いモンスターを2体召喚した。内1体は連絡用だ。

 そのモンスターの名はヒューマノイドで忍者系統の〝ハンゾウ〟である。

 レベルは80を超えており、隠密発見能力が優れている。今回の護衛・探索で正に打って付けのモンスターだ。

 ナザリックの支配者は、ここでふとエンリの妹のネムは兎も角、それにしてもとバレアレ少年の行動力に恐れ入る。

 

(あの少年はエンリのことが随分好きなようだからなぁ……)

 

 この世界は力と共に貧富によっても差が非常に激しい。

 その中で彼は大都市に構える裕福な有名店を迷うことなくあっさりと出て、危険も多いあの辺境の小村へ引っ越して来るとか、もはや尋常ではないエンリへの想いが伝わる。

 とはいえ当のエンリについて、少年と仲良くも今の所、その気が全くないように見える。

 

(……エンリか……)

 

 支配者はエンリからの幾つもある熱い告白シーンやエモット家での配下入りの様子を思い出す。

 知らないそれらもあり薬師の少年は必死になってカルネ村へ来たのだろう。

 ただアインズ自身は魔法や脅しで少女へ忠誠を無理強いしているわけではない。加入許可の根拠は、単に人間の村の窓口的存在であり、拠点として都合もよかったという事だけであった。

 

 しかし今――カルネ村のゴウン邸は疲れた支配者の憩いの場所へとなりつつある。

 

 最近のエンリは、ナザリックにとって今後も人間との窓口として傍に居て貰わないと不都合にも思える娘だ。彼女へは美人というよりも、ネムとともに健気で「可愛い子」との気持ちもある。

 加えて、先程からすでに5000体程の絶対忠誠を持つ軍団の指揮官。

 この新世界において正に欲する新しい戦力で、その指揮官は得難い人材と言えよう。

 

(ん? もしエンリが少年に魅かれてくっついた場合、これらがナザリックから離反する可能性も出て来るのか?)

 

 アインズの認識において、ンフィーレアはエンリのためだけに近くへ居ると考えていた……。

 配下の恋愛に、あくまでも中立という立場でいたい絶対的支配者として、バレアレ少年には悪いがこのまま貧乏くじを引いていてほしいところだ。

 現状、主として少年に先んじてエンリへは手を差し伸べている。だが、少年の方が危険に身を晒しての救出行為と考えた場合、人の心や愛とはどう動くのか誰にも分からないのだ。

 

 そう例え本人らでさえも――。

 

 もろもろの答えの出ない迷宮的想いに、アインズは眼光を一度落として思考を元に戻す。

 さて、エントマに告げたとは言え、強力なモンスターを別で用意したのにはそれなりの理由がある。

 ネムに〈伝言(メッセージ)〉で連絡を取ることや指示も可能だが……ンフィーレアに全てがバレる場合を考えていた。

 少年は、未だにナザリックや「世界征服」も含めアインズの暗躍について何も知らないのだ。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の件も、あの後ネムは「キョウが一応って残して行ってくれたのかも」と無理やりっぽい理由で押し切っていた。

 そういった事情を知らないアインズであるが、少年に余計な情報は与えたくない。

 アインズは呼び出したハンゾウへ一行の現状戦力を考えて「この大都市を目指しているンフィーレアとネムを()()()()で探し出し、安全を確保しつつ陰から見守り異変があれば連絡せよ」と、少年らの顔と姿の知識を〈記憶共有(シェア・メモリー)〉によって分け与えて送り出した。

 

 

 

 

 

 

 帝国の絢爛豪華な皇城の中央塔一角にある皇帝ジルクニフの執務室。

 高級感漂う燃える様な赤い絨毯の敷き詰められたこの場へ、先程突如出現した全く謎である小鬼(ゴブリン)の大軍団と対する魔法省敷地内交戦の一報が届いてから、早くも20分が過ぎようとしている。

 普段は整えられているはずの綺麗な金髪が乱れたジルクニフは、苦悶の表情のまま机へ肘を突き頭を抱えた状態で沈黙し視線を天板の一点で止めたままだ。

 静かに壁際の大時計の針がまたひとつカチリと進んでいく。

 この場の空気は先程から最悪といってもいい――。

 

 

 執務室へ、まず魔法省内に大量の小鬼(ゴブリン)集団出現と交戦の知らせが届き、続いて直ぐに巨木のモンスターの襲来について帝国四騎士の一人であるニンブル・アーク・ディル・アノックが報告に飛び込んで来ていた。

 ジルクニフ自身、相手が人類ではなく怪しいモンスターの軍で国内へ侵攻されると、これほど不安になるものなのかを初めて実感し思い知る。

 それにはこの時、帝国軍でもっとも頼りにするフールーダが不在というのもあるだろうとも。

 若き皇帝は『爺』を力強く思い、とても頼りにしていたのだと……。

 一度首を左右へ振ったジルクニフは、ニンブルと秘書官ロウネ・ヴァミリネンに状況と周辺の戦力を改めて確認し始める。

 皇帝は、まず2000体以上もの小鬼(ゴブリン)の軍団だけでも自分の采配で対処できないかと考えた。『逸脱者』フールーダ・パラダインは帝国の誇る最後の切り札である。

 それを支えに、ジルクニフはまず現帝国残存戦力での対策を組み立てる。

 皇城や帝都にいる騎士団は第一軍を始め皇室兵団(ロイヤル・ガード)の部隊他1万1000ぐらいは居て直ぐに集まるはずだ。これに魔法省の部隊も加えればなんとかなるだろう。

 だが、大きさを聞いた巨木のモンスターはこの皇城中央塔以上の巨体があるという。

 

(くそ、周辺の大都市から早急に4個軍程の騎士団をなんとかかき集めて……足止めが出来るのか? ……ここは、やはり爺しか……)

 

 戦いでは、大きく被害を受ける前に常に先制攻撃すべきなのだ。

 鮮血帝のジルクニフだからこそ、後手に回れば厳しいことはよく理解しているつもりである。

 苦しいなと、煮詰まっていた時であった。

 

「陛下、小鬼(ゴブリン)集団に関する続報を持って参りました!」

 

 そう言って、新たな魔法省からの伝令が執務室へと入って来た。

 伝令が矢継ぎ早に概要を述べる。

 

「敵、小鬼(ゴブリン)集団は新規出現数が漸く減り始め、あくまでも現時点での推定でありますが――約5000体近くで落ち着く模様」

「ご、5000だと(くっ、多すぎるだろうがっ)……」

 

 帝国の主は、より険しい表情で先程の騎士戦力では到底厳しい数だと判断する。

 魔法省隊員の言葉は続く。

 

「ただその指揮官で〝将軍〟位を名乗る小娘から自軍団の無血退去要望の申し入れがありました」

「なにっ? 内容を正確に詳しく述べよ」

「はっ」

 

 ジルクニフは魔法省の魔法詠唱者隊員が伝える内容を一通り黙って聞いていた。

 途中の表情は、フールーダの人攫いに関する糾弾とデス・ナイトの存在が周りに漏れた部分で、流石に少し眉を顰める。

 とはいえ、怪物は爺により数十年間問題なく地下で秘匿封印保管出来ていた事実から不問とする考えだ。また爺自身での人攫いの件についても、軍事技術面で大きく国益に関する「作戦」としてフールーダの正当性を述べ、全て皇帝の命での事だとし自ら庇うつもりでいる。

 皇帝はこの段階で、フールーダが死の戦士(デス・ナイト)を使役すると言っていた王国辺境の村娘が『トブの大森林の将軍』を名乗っている事を理解する。

 その娘の要求はシンプル。

 村から誘拐したのは帝国魔法省の最高責任者であり、その罪と償いにおいて大森林までの無血退去の許可と糧食、加えて元になった死の戦士(デス・ナイト)の引き渡し、以上の承諾である。

 なお拒否したときの事は、何も聞いてないという。

 

(おのれ、エンリ・エモットとか言う小娘め……語るまでもないということだろうなっ)

 

 皇帝としては大いに苦々しい。

 強力な魔法を使う兵まで存在する小鬼(ゴブリン)5000体の軍団がいるわけで、この優麗な帝都アーウィンタール並びに帝国全土で大暴れし、地上における血塗れの地獄絵図でも見せようと言う事だろう……。

 

 どう考えても圧倒的に――小娘側が有利。

 

 色々と国内事情を考え、ジルクニフは先程から10分以上も沈黙して綿密に思考し続けているが、帝都周辺の現有戦力を考えると決定的な打開策は皆無であった。

 

(正に屈辱だっ……弱い王国のド田舎の村娘ごときに偉大なる帝国がいいように振り回されようとは。それにしても……竜軍団という強大な敵が迫っているこの大事な時期に……とんでもないものを呼び込んでくれたな爺よ……)

 

 それでも、現帝国や皇帝へのフールーダ・パラダインの貢献度は勝る。

 フールーダ自身の持つ戦力としての力は、今も常に健在なのだ。

 またあの老人の魔法への探求癖について尋常ではない事も知っていた。

 呆れつつも、皇帝の心にある爺への信頼と重要度の天秤は全く傾かない。

 幸いにどうやら小娘側のフールーダ・パラダインへの「罪」は、地下で封印中の死の戦士(デス・ナイト)引き渡しという部分に置き換わっている模様。

 これで帝国側も絶対に飲めない話ではない。

 

(仕方ない。他にも大きい問題が発生している。帝国として受諾しか選択の余地はない――)

 

 こう考えた時、皇帝の思考に一気に解決する閃きが起こった。

 ジルクニフの受かべていた苦悶の表情が、嬉しさへ狂気すら混ざるものに変貌していく。

 大机の椅子にゆっくりと背を預けたバハルス帝国皇帝は、自信満々に告げた。

 

「――()()()()()()の申し出を受けよう。……ふっ、ふふふ」

 

 真面目に語ったかと思いきや、彼は自ら噴きだしていた。

 その様子は、部屋でずっと立ちつくしている周りの者にとって訳が不明で少し不気味に見える。

 余りのプレッシャーに気が触れたのではないか……とだ。

 皇帝は正面に立つ伝令や周りのニンブルとロウネへ確認する様に口を開いて問う。

 

「確か、街道選択や先導は我が軍の兵がしていいはずだったな?」

 

 主の笑いと何の関係か分からず、秘書官が不思議そうに回答しつつ尋ねる。

 

「はい。今聞いた内容なら、先方からそのように告げられていたようですが、何か……?」

「ふふっ、この時期の帝国西方の穀倉地帯は、雨上がりの午前中に濃い霧がよく出るはずだ」

 

 それを聞いた秘書官の顔色が一気に変わっていく。

 

「陛下……ま、まさか」

小鬼(ゴブリン)軍団を霧に閉ざされた巨樹のモンスターへぶつける。はははっ。化物どもには共倒れしてもらうのが、最良とは思わないか?」

 

 追い込まれたジルクニフに、嘗ての容赦ない鮮血帝の思考が蘇って来ていた。

 

「しかし……もしそのようなことが相手に発覚すれば……」

「ヴァミリネン、大事なことを忘れているようだな。そうなっても、我々帝国には爺が―――大賢者フールーダ・パラダインがいる。問題は全くないっ。大丈夫だ! ははははは――」

 

 世界でも有数の使い手、第6位階魔法詠唱者の存在に皇帝は絶対の自信をのぞかせる。

 皇帝ジルクニフは有無を言わさず即刻、出撃したフールーダを一時呼び戻す様に、近衛である皇室兵団(ロイヤル・ガード)のジャイアント・イーグルの隊へ緊急出撃を指示した。

 鷹はもともと夜目は凄く利き夜間飛行も大丈夫なのである。

 10分程で密命を帯びた2体のジャイアント・イーグルが南西へと皇城から飛び立って行った。

 

 

 

 

 森から集めたのか薪を篝火として配置し、帝国魔法省の敷地一角を占領する小鬼(ゴブリン)兵5000を率いるエンリ将軍の元へバハルス帝国からの正式な使者3名が現れた時、それを出迎える『トブの大森林』軍団の中に小部屋程もある一際大きい体をしたモンスターの姿があった。その見た目は明らかに周辺の小鬼(ゴブリン)達とは異なる。

 目にした皇帝の使者達は、皆感嘆気に意味が揃う感じで順に(つぶや)いていく。

 

「なんという立派な魔獣なのだ……」

「おぉぉ、これは凄い……まさか……噂の〝森の賢王〟では?」

「驚いた……これほど力強い風格を感じさせる姿をしているのか……」

 

 ナゼか大絶賛である。

 絶対的支配者の感じていた愛らしい「ハムスター」姿だが、どうやらこの新世界の彼等にはとても偉大な雄姿をした存在に見えている模様……。

 帝都アーウィンタールは、午後8時20分を過ぎていた。

 

 

 20分程前、ハムスケはアウラの不可視化によって共に〈飛行(フライ)〉で連れてこられ、エンリ達の軍団後方にあった小さい森の中に放り込まれていた。それは一旦アインズがナザリックの第10階層の旧個室まで戻って取って来た特別な衣装を預かり、それをエンリへ届けそのまま軍団と森への帰還に物理と魔法攻撃の両面で援護も兼ね同行するためである。

 巨体ながら軽快な動きで、ハムスケは森の中から将軍率いる軍団の後方へ現れた。

 召喚された小鬼(ゴブリン)らは、主であるエンリの気質や知識を一部引き継いでいる。

 なのでハムスケの姿と「エンリ殿への用向きにつき、ここを通してもらうでござるよ」という言葉で味方と認識し、陣地後方へもしっかりと配置されている重装甲歩兵隊などが割とスムーズに道を開いてくれていた。

 そして身軽にエンリのいる陣幕を外側から上を飛び越えて入り、器用に少女の前へ降り立つ。

 

「エンリ殿、森の賢王でござる。さあ、お届け物でござるよ。こちらが制服でござる」

 

 アインズは、ハムスケの語尾が独特の所為で、敬語が曖昧に聞こえるのも考慮していた。

 また、「誰から」は告げないようにも指導してここへ送り出している。

 

「わっ?! まあ……(ここでは、通り名の方がいいのかも……)森の賢王さん」

「(ひぃぃーー)っ! …………えっ……も、森の……賢王さん?」

 

 エンリも驚いたが、もっと驚いたのは横に居たアルシェである。

 修羅場を潜って来ているからこそ空気で危険と彼女は感じる。且つ、このモンスターが誇る大きな魔法力が鮮明に視えており、いきなり見知らぬ大柄の獣が現れたことで、思わず数歩下がり逃げ出す感じの態勢になる。

 しかし直ぐ目の前に立つ、その巨体の素晴らしい雄姿を見て少し感動する。

 小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)のような亜人独特の異質さではなく、全体に勇壮で気高さを感じるフォルムなのだっ。

 

「初めましてでござるな? 人間の魔法詠唱者(マジック・キャスター)よ。某は『森の賢王』でござる」

 

 一応アインズと共に〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で様子を見ており、支配者からも「この地で難儀したエンリに協力した者だ、一応守ってやれ」と告げられてもいる。

 なので、ナザリックの者ではないがハムスケも敵対行動は取らず穏便に会話する。

 その落ち着いた話しの様子に、先から周囲の小鬼(ゴブリン)らに慣れてきたアルシェは、この立派な魔獣もエンリの関係者だと理解する。

 

「ど、どうも。アルシェ・フルトです」

 

 だが、ずいぶん遅れて後方から来た感じと、エンリには臣下の姿勢を取っていない行動、そして『森の賢王』という二つ名。

 

 アルシェは、それらからこの魔獣が――『トブの大森林』を治める者ではと理解する。

 

 そして、村から(さら)われた事を知って救出にこの場へと駆けつけて来たのだろうと考えた。アルシェの考えを肯定する様に、『森の賢王』を名乗った者がエンリへと伝える。

 

「カルネ村も大変でござったよ。村人達や(それがし)も周辺を随分探したでござる」

「すみません、心配を掛けちゃって。ネムやンフィーに(軍団の)皆は?」

「あー、某は村へ入れないから詳しく見たわけではなく(軍団の者から)聞いただけでござるが、一応村内は落ち着いているみたいでござるよ――」

 

 そこまで聞いたエンリが旦那(アインズ)様も来ているし「そうですよね」と言い出した時だ。

 ハムスケの言葉は終わっていなく、続いてトンデモナイ事実が告げられた。

 

「――少年とネム達が強い仲間達(死の戦士(デス・ナイト)ら)を連れてこちらに向かったから、もう村ですることは余りないでござろうし」

「はいぃ?!」

 

 エンリは話の内容に驚きつつ自分の耳を疑った。

 ンフィーレアはナザリックの重要人物である。警備も戦闘メイドのエントマに頼んでいたのだ。それなのに村から出れるという事がありえるのかと。

 しかし、目の前のハムスケは間違いなく旦那(アインズ)様からの使いである。

 

(じゃあ、ネム達は旦那(アインズ)様からの指示や許可をもらってるってことかな……?)

 

 そう考えるのは支配者を信じている彼女には自然であった。守る力が大きいからこそ、より楽観寄りに考える流れになる。気遣いのある旦那(アインズ)様であるし、彼らの出発時間にズレがある気もするが結果は同じとして、ンフィーレア達は「エンリを出迎えるオマケ」という位置がピッタリにも思えた。

 あと、確かに死の戦士(デス・ナイト)達の護衛力は十分で、移動速度も相当早い。

 ただエンリは、この帝都とカルネ村の距離がどれぐらいあるのかを知らなかった。そのため、いつ頃到着しそうかを全く予測出来なかった。

 完全に、『いつどこで出会うかはお楽しみ』のお膳立てが整っている……。

 

(……うん。きっと、旦那様が把握しているのなら全く問題ない……よね)

 

 エンリには、この場で多くのやるべきことがある。ンフィーレアとネム一行については、アインズ様へ任せた方が良いと判断する。

 ハムスケもアルシェのいるこの場では、殿の存在を口に出せないので沈黙した。それを見たエンリも話を別に振る。

 

「――まあ、大丈夫よね。会えるのが明後日以降かもしれないし。それよりも、森の賢王さん――服を持って来ていただけたんですね?」

「そうでござる。これを今、渡すでござるよ」

 

 ハムスケはエンリの判断を肯定し頷きつつ巻いた長い尻尾を伸ばすと、その先に括られた包みを解いて中の服と装備一式をエンリへ渡す。

 エンリはそれをしっかりと両手で受け取る。見るからに高級感のある光沢と材質の衣装装備であった。羽織る立派なコートまであり、武器として見事な剣も一振り添えられている。

 配下を指揮する将軍を名乗るのだ。相手を殺傷する道具である武器は持てない、などと言える訳もない。

 エンリは一度目を静かに閉じる。そうして、次にぱっと力強く瞼を開くと周りの屈強そうな小鬼(ゴブリン)兵達へ告げる。

 

「着替えます。陣幕の一角に布で着替える場所をお願いします」

「ははっ、エンリ将軍閣下っ」

 

 そう言って小鬼(ゴブリン)軍師が羽扇を翳し率先して指示を出す。

 

「さあでは、そこの二名。向こうに置いてある予備の陣幕を使ってそこの一部の区画を区切り、閣下のお着替えの場所をご用意せよ。あと、雌の小鬼(ゴブリン)兵を3名連れて来るのです。閣下のお着換えを手伝わせる」

「「はっ、直ちに」」

 

 小鬼(ゴブリン)軍師より命じられた者らは敬礼後、テキパキと指示通りに行動する。

 エンリは用意された場所と、手伝いの兵等によって無事着替えを終わった。

 着替えの場所から出てきたエンリの姿に、アルシェを始め、軍師を筆頭に周辺の小鬼(ゴブリン)兵らは驚き「閣下っ、なんと凛々しい」「おおお」「万歳ーーっ」と歓声まで上がった程であった―――。

 

 

 陣幕の中、その新装備を身に付けたエンリが、この場へ迎えたバハルス帝国の使者3名の前で静かに椅子へ座っていた。

 だが使者達はまず、場の少し脇に居て威圧感のあった巨体の魔獣(ハムスケ)に目を奪われてしまう。

 しかし、魔獣の立ち位置はこの場の中心ではないことに、使者達は直ぐに気付く。

 その中心に居る人物の姿を視界に捉えると、ベージュと金糸の線の意匠のある礼服で身を包む帝国の使者達は、目の前の余りに洗練され高級度の高い衣装に驚嘆し目を大きく開き見入る。

 将軍は、炎の如き鮮烈な赤と黒の素晴らしい()()へ最高級の紅色のコートを羽織っていた。

 頭へと被る漆黒の軍帽にも、正面へ意匠の凝った希少金属のプレートが輝き、紅のラインが鮮明に入った見事なものであった。

 

 

 そう――炎莉(エンリ)将軍はパンドラズ・アクターの軍服のレッドカラーバージョンを着ているのだっ。

 

 

 故に衣装としての強度と防御力は最上クラスの水準だ。各種の防御・対策機能も付加されており、この新世界ではほぼ入手不可能だろう。

 そして腰に差す細身の洋剣もなんと遺産級(レガシー)アイテムである。

 臨時とは言え将軍である。ナザリックの領域守護者階級に近い扱いでアインズは衣装と装備を用意していた。

 立派な衣装を見て固まっていた使者達だが、間もなく急速にその顔色が青くなっていく。

 もちろんそれは、見事な装いの将軍を無視する形でいきなり無礼な態度を取ってしまっていたからだ。

 将軍を名乗るが、相手は王国辺境の田舎に住む一介の村娘と聞いていた。きっと身形は貧相に違いないと考えるのに異論を挟む者はいないはず。それなのに現在目の前に映る者の服装は、皇帝陛下の衣装にも引けは取らないだろう洗練さを放っている。

 話の相違の大きさに仕方がないともいえるが、エンリ側には全く関係の無い話である。

 彼等の代表が直ちに頭を大きく下げて告げる。他の二人も続いて同じ姿勢へ変わる。

 

「エモット将軍閣下っ、御挨拶が遅れて申し訳ない。無礼の段ご容赦いただきたい。我々はバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス陛下の名代としてこの場へと罷り越した」

 

 代表で名乗った皇帝秘書官の彼は、ロウネに並ぶ優秀な男だ。

 万事に精通した男であったが、それほどの文官でも想定外の事は存在する。

 もはや目の前の人物を『田舎の村娘』として見る事は出来ない。それは帝国に深刻な事態を及ぼすと直感していた。

 どんな皮肉の言葉を受けるかと緊張し難しい顔になった3名に対して、エンリは言葉を返す。

 

「大丈夫です、気にしていませんから。無理もないと思いますので……。御使者の訪問を歓迎します。どうぞ、そこへお座り下さい」

 

 簡易的な木製の椅子へ勧めに従い座りつつ、代表の秘書官は将軍の声を聞き僅かに――『おやっ?』と感じた。

 それは確かに権力を握る者達の持つ威圧ある雰囲気ではなかったように感じたからである。

 また彼にとり、目の前の指揮官を始め、軍団へ関し解せない点が多すぎた。なぜ『森の賢王』がこの場に居るのかという話。そしてその魔獣がこの軍団の中心に居ない事実。加えて将軍少女が身に付けた凄い衣装の存在や、5000の軍団を一体どうやって連れて来たのか……等々。

 しかし、たとえ真実を語って貰っても結局事態が大きく変わるものでもなく、貰えるとも思えない。

 

 なお帝国の使者達が『森の賢王』について知っていたのは、小鬼(ゴブリン)大軍団が『トブの大森林』の部隊と名乗ったからで、帝国情報局の資料を調べるのは当然である。

 また帝国は『トブの大森林』の東部外縁で稀に演習を行なっている事も手伝い、皇帝秘書官の護衛として噂も含めて大森林に詳しい精鋭騎士2名をこの場へ付けていたからだ。

 ただアルシェは、先程「エモットさん、『森の賢王』……さんはこの軍団の主ではないの?」と尋ねている。ハムスケがアインズ配下なのは、まだ村人を始め他者の知らない事実。

 それに対して、エンリは目を随分とパチパチしながら数秒後に(必死で)こう答えている。

 

「(えーっと、……)縄張りが違う……お隣さん、かな」

 

 嘘は言っていないと思い、新米将軍はニッコリと微笑んだ。

 

「そ、そうでござるよなぁ、エンリ殿っ」

 

 そう告げて横でウンウンと小刻みに頷く『森の賢王』。

 アルシェとしてはそれらの様子に大きな違和感を覚えるも、『森の賢王』がエモット嬢と友好関係であり、将軍少女率いる5000の小鬼(ゴブリン)軍団の上に居ない事だけは確かだと理解する。

 つまり、やはりこの大軍団で帝国を生かすも殺すもエモット嬢次第だという事が、アルシェの思考の中で改めて確定したのであった……。

 

 さて話は帝国の使者達に戻る。

 秘書官は、皇帝からの使命を達成するために話を進めだす。

 

「では早速ですが、本題に入りたいと思います。貴殿からの戦闘を回避し帝国内からの退去案に対して、主よりの返事をお持ちしました」

 

 エンリの表情が正に真剣さを帯びたものへ変わる。

 帝国で今後の歴史に大殺戮者として『血塗れのエンリ・エモット』と名を残すかの瀬戸際なのであるから。

 

「では、お聞きしましょう」

 

 エンリの返事に、秘書官は手に持っていた書簡筒から巻かれた羊皮紙を取り出し、紐を解いて広げると10項目程度の覚書を順次読み上げていく。

 その内容は――『貴殿旗下の部隊が帝国側へ戦闘行動を取らない限り、トブの大森林に移動完了するまで帝国全軍は敵対しない』『今回の元となった死の戦士(デス・ナイト)を引き渡す(但し搬出・運搬は貴殿側で願う)』『行軍に対し金貨2万枚と糧食()()()()を提供』や『領内の行軍は全て帝国側の先導小隊の指示に従って頂く』等もあり、エンリの要望と譲歩をほぼ飲んだものであった。細かいところでは『足に付けられた警報装置の魔法省側の解除』も入っている。

 聞いた中で少し気になったのが『行軍時の周辺安全確保や悪天候により数日宿営地に留める場合あり』の項目だ。エンリとしては、森への早い帰還を考えれば、多少の雨天でも行軍しようかと考えている。

 しかし帝国側にも都合があるのは理解する。また提供される物資だが、行軍期間は流石に10日もあれば余裕だと考えていて、戻った後の数日分を確保する意味で多く伝えていた。その食料が更に多めというのも金貨2万枚と共に気前がいいと少し思ったが、行軍に数日の停滞が起こる事を考えてだと判断する。

 なおエンリはこの時、金貨2万枚と聞いても非常に冷静であった。これは全てナザリックの軍団へと提供されたものだと考えていたからだ。

 だが皇帝ジルクニフ側にすれば、敵が喜びそうな誠意の一つとして当然将軍個人への施し感の高いモノと言っていい。

 一通り内容を述べ終えた秘書官は、皇帝のサインが入った羊皮紙をゆっくり丁寧に巻くと高級な紐で縛り、書簡筒へ納めて将軍の前へと置いて差し出した。

 その間にエンリは目を閉じたり、視線を周囲へ僅かに彷徨わせる風に聞いた内容を頭の中で反芻すると、その書簡筒を受け取り帝国の使者達へ向かって伝える。

 

「内容について確認しました。皇帝陛下のご英断に感謝します。我々は無血退去します。指示があれば今からでも構いませんので、よろしくお願いします」

 

 その言葉を聞き、交渉は纏まったと皇帝秘書官を始め護衛騎士達も心からほっとする。

 

「エモット将軍閣下、ありがとうございます」

 

 なお――この使者達は皇帝ジルクニフの真の壮大で卑怯な計画を知らない。

 皇帝秘書官は、この後について知らせる。

 

「これから帝国各所への手配となりますので、本日の移動はございません。話がまとまり次第、まず地下の死の戦士(デス・ナイト)を引き渡す様にと告げられております。なので明日の朝に引き渡しを行う事になるかと存じます。それまではこの地へ留まって頂きたいのですが」

「分かりました」

 

 エンリの答えに秘書官は満足する。だがこの直後、少し困った風に述べる。

 

「ただ、申し訳ありませんが閣下の軍勢を安全に収容出来る施設がございません。閣下と側近の方々については施設をご提供できるのですが……あと、そちらの――」

 

 実は、皇城の執務室のやり取り段階から皇帝も余り気に掛けず、文書の中に記されながら話題に上がらなかった事項がひとつ存在する。

 それは、魔法省一般魔法詠唱者職員捕虜1名の扱いについてだ。

 もちろん彼女の名はアルシェ・フルト。

 今はエンリ側でそれっぽく見せる為に、手首を前で括られた彼女の両脇には聖騎士風の屈強そうな小鬼(ゴブリン)が張り付いている。

 書簡の文面では名目上、エンリ側の要望により『小鬼(ゴブリン)軍団撤収までの安全の為、同行をさせる』という話で記載されている。

 大儀に犠牲は付き物。それが皇帝ジルクニフ側の総意である。

 皇帝秘書官がアルシェに関して発言しようとする段階で、将軍少女が割って入る。

 

「――()()()()については、当面こちらで任せてくれませんか? 考えがありますので。それと、これから森まで宿泊施設はないでしょうから、私達はこの場の滞在で構いません」

「はっ。では……そのように。合意しました件、直ちに皇帝陛下へ伝えた上で順次、糧食等をここへ運ばせますので」

 

 確かに秘書官からすれば、帝国をすぐ全面的に信用する様では逆に怪しくも思えた。

 そして帝国の安全と無事を考えれば一般職員の捕虜1名ぐらいへ目を瞑るのは、帝国と皇帝に仕える秘書官として普通の判断である――。

 皇帝の使者達は席から立ち上がると、もう捕虜の存在を忘れたように見る事も無く将軍へと一礼し陣幕を出ると、足早に小鬼(ゴブリン)軍団の陣地を去って行った。

 

 皇帝の使者達が引き上げた軍団陣幕内は穏やかな空気に変わる。

 それは、皇帝からの使者達が下がるのに呼応して、対峙していた約100名程の魔法省魔法詠唱者部隊も監視要員と思われる8名を残し一気に引き上げた事も寄与する。

 割と広めの陣幕内には簡易ながら机や椅子が置かれ、エンリ将軍にハムスケと縄を解かれたアルシェ、小鬼(ゴブリン)では軍師を筆頭に、近衛隊5名と聖騎士隊5名、一般装備の伝令小鬼兵3名が居た。

 先程のアルシェの扱いについては、彼女自身がエンリへ「悪いけれど」と進言していた。

 捕虜という待遇であれば、アルシェやフルト家は被害者という立場。

 エンリとしては悪役になるが、恩を少し返せる事や魔法省魔法詠唱者がここにいる理屈も通る事もあり快諾していた。

 

「ふーっ、なんとかなったかな」

「お疲れ様でございます、閣下。上手くいきましたな」

 

 将軍の言葉へ、羽扇で仰ぎつつ小鬼(ゴブリン)軍師が笑顔で伝えた。

 

「凄いわね……助かった」

 

 そう言いつつアルシェは、先程からのエモット嬢の度胸と柔軟な対応に目を見張る。

 自分はワーカーで修羅場を潜って来てそれなりに自信のある身ではあるが、同じ状況へ置かれた時にこれほど見事な大立ち回りを出来るとは思えない。

 

 というか――高位の魔獣と対等に会話し、大軍団を登場させる混乱の状態から、あっという間で兵達と現状を完全に掌握し率いる姿は、本当に『ナニモノ?』という水準だ。

 

 おまけに相手は貴族どころでは無く、大国であるバハルス帝国そのものなのであるっ。

 そして圧倒的な立場で、アルシェの超難題までも容易にほぼ解消してしまっていた……。

 

(本当に凄い……)

 

 魔法詠唱者の少女にすれば、あとは10日後ぐらいに王国の大都市エ・ランテルで『フォーサイト』の仲間達と可愛い双子の妹達を探し再会するだけである。

 

 

 

 

 陣幕内や周辺について、ここまで概ね一連の流れに関し〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を使い魔法省から近い森の繁みの中で見ていた絶対的支配者の元へ、デミウルゴスが帝都アーウィンタール周辺の詳細調査を終えて帰ってくる。

 

「アインズ様、デミウルゴス以下三魔将達、只今無事に戻りました」

「うむ。デミウルゴスを始め、皆、周辺調査ご苦労」

 

 威厳を漂わせつつ、そう言って支配者は忠実なる最上位悪魔と配下らを労う。

 至高の御方のそこに在るべき態度と言葉に、傍で跪くデミウルゴスはまず満足する。

 

「誠にありがたき幸せ。報告書につきましてはナザリックに戻り次第纏め、近日中には提出いたします」

「そうか――」

 

 そんな態度と裏腹に、内心ではエンリの件が全然解決していない状況について、弁解の言葉はどう表現すればいいのかこの一時間、悩んでいたアインズであった。

 でも当然の如く、デミウルゴスが満足するほどの『完璧ないい訳』を思い付くわけも無く、仕方なく支配者は告げる。

 

「――さて、エンリの件についてだが――」

 

 ここまで言葉が進んだとき、デミウルゴスの両目の宝石眼が燦然と輝く。

 

(おぉぉぉーーー、遂に至高の御方が放つ輝ける次の一手が始まるのですねっ)

 

 期待で一気に思考力と興奮度が増す最上位悪魔。

 それに全く気付く事もなく、アインズは()()()()と語っていく。

 

「――よく聞け。まあ、私に少し考えがあってな(特に……いや、全然ないんだけど、この惨状を収めるにはエンリの案がちょっといいかなーと)――この場はこのまま一旦エンリに『トブの大森林』の将軍を名乗らせ任せることにした。犯人であった帝国魔法省の責任者でフールーダなる人間などいつでも殺せるしな。(ううっ、あと何て言えばいいんだ。……あ、そうだっ)帝国内のプレイヤーの存在も分かるかもしれん……ふふふっ、楽しみはこれからだ」

 

 まさに()()()()()()()()()語った内容にデミウルゴスは――。

 

「左様でございますか。(ぉぉおお、追加の布石を交えられ深淵にも届く、新たに楽し気なお考えのご様子。この私でも直ぐには読み切れない程とはっ!)いずれも――素晴らしきお考えかと」

 

 もちろん主による、更なる輝ける一手の行く末に興味が湧き、異論などあろうはずがない。

 またここで臣下如きが結末を先に知ろうとすることは、御方の楽しみを奪う事にもなるためデミウルゴスは早々に立ち去る。

 

「では、周辺は安定しているようですしお傍にはアウラもおりますので、私は先にナザリックでの仕事に戻ります」

「うむ、色々とご苦労だった」

「はっ、では失礼いたします」

 

 そう言って、主へと尽くす(うやうや)しい礼を終えると、デミウルゴスは魔将軍らとともにこの地から消えた。

 アウラが至高の御方の精悍な骸骨の横顔を見ながらニッコリする。

 

(流石、アインズ様っ。あのデミウルゴスを感心させる策なんて想像もつかないけど。それに、これでアインズ様と二人きり)

 

 一方、支配者は内心で大いに安堵していた。

 

「……(ふぃーー、どうなるかと思ったが失望はされてないみたいで、助かった……)」

 

 だが、彼の大いなる苦悶はここで終わらない。

 

 

(さて次は――ルベドなんだが……どう言えば納得するかなぁ)

 

 

 そう。夜中にエモット姉妹を観察される前に、先に告げておかなければならない。

 取り返しがつかない事態は……ナザリックの平和だけは、守らなければならないのだっ。

 恐らくキョウの妹となった()()への、姉妹大好き天使からの『姉妹仲良し講座』はまだ続いているはず。

 ヤルなら早い方がいい。

 

 極限の難題への苦悶が、疲労を知らないはずの絶対的支配者の思考を追い詰める……。

 

 思わずここでアインズは、両手で頭を抱えてしまった。

 御方の異変に、ずっと傍で時折可愛く見上げて来るアウラが慌てて気付く。

 

「あ、アインズ様っ、どうかしましたか!?」

 

 御用や問題があれば即対応、それが傍に控える階層守護者の使命である。

 至高の御方あっての彼女達と言える。

 他の全てを犠牲にしてもアインズ様への献身は最優先されるのだ。

 心配そうなアウラの姿が目に入り、主は姿勢を直ぐに正す。

 

「あ、大丈夫だ。もう8時50分(ルベド……ガゼフや国王達との会談のあとでも大丈夫だよなぁ……)だと思ってな」

 

 絶対的支配者は時間に追われている気がしつつも、胸を張り威厳ある姿でアウラへと弁明した。

 気負っていた支配者は、時間切れでルベドへの報告が伸びた事へ単に疲れたのだ。

 

「アウラよ。私はこれより約束で王城へ行く。何か変化があれば即時に知らせよ」

「はい、分かりました。……アインズ様、無理はしないでください。面倒な連中はあたしが全部始末しますので。言い付けてもらえれば例え地の果てまでもっ」

 

 小さい両拳をギュッと握って真剣な表情で可愛く健気に訴えるアウラの姿を見て、アインズは『自分がしっかりしないと周りを無用で不安にさせるんだな』と再認識する。

 そんな闇妖精の姉の右肩へ、(あるじ)は全ての指が神器級(ゴッズ)やレアアイテムの指輪で飾られた白骨の手を優しく置くと語る。

 

「本当に大丈夫だ。今のアウラの可愛い応援で元気が出た」

「――っ! ……はぃ……」

 

 また『可愛い』と言われてアウラは思わずポゥとなり顔を赤らめていた。

 

「ではな。この場はしばらく頼んだ」

「はい!」

 

 元気なアウラの言葉に見送られ、アインズは「〈転移門(ゲート)〉」と告げると、王城でガゼフや国王らと深夜会談へ臨むため、一旦この地を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日の夜中未明に愛しのモモンから連絡を受けた、漆黒聖典第9席次女剣士クレマンティーヌ。

 その時のモモンからの指示は『待機』であった。

 彼女には漆黒聖典のメンバーとしてスレイン法国へ無事に戻ってもらう事が、絶対的支配者の基本計画である。

 そんな漆黒聖典の戦車隊は、昨日に続き本日も移動することなく王都リ・エスティーゼから30キロ程北東にある大森林の中で待機し続けている。

 この状況は、戦車1台でリ・ボウロロールに在るスレイン法国秘密支部へ『至宝とカイレ消失』と『隊長敗北』等の報告へ向かい、そのままエ・ランテルの秘密支部で本国からの『竜王軍団への対処』指示を貰いに行くセドランの小隊が戻ってくるまで続く予定だ。

 

 

 しかし――クレマンティーヌにはそれが耐えられなかった。

 

 

(モモンちゃんは今も王都にいるんだよね……それでアーグランド評議国に有利な工作をしてるんだよね)

 

 3日前、(ドラゴン)を利用して兄を討った状況から、彼女はモモンとマーベロがアーグランド評議国からの密偵だと思い込んでいる。

 状況は完璧であった。一介の冒険者である漆黒の戦士が複数の竜と連携など王国や帝国、そして法国でも考えられない作戦。疑う余地がない。

 でもクレマンティーヌにすれば、そんな事はもはや全く気にしない。

 大事なのは兎に角、モモンが傍にいることであるから。

 

 全世界が敵でも構わない――それが彼女の愛である。

 

(モモンちゃん、会いたいよー)

 

 先日は逃亡者として法国と評議国から追われるのはマズイという判断から、モモンの指示に従いここへと戻ってきた彼女である。

 格下のマーベロに助けられたのはかなり悔しいが、あれほど強力な魔法は評議国から享受されたアイテムを利用したのだろう。

 今、漆黒聖典の部隊は大森林北西端から500メートル程入った、少し開けている場へと戦車を円陣にした状態で野営中だ。

 その中心で火が焚かれているが、午後10時を回りそろそろメンバーで夜番2名を残し就寝の時間に近付く。

 聖典のメンバーはセドラン達3名と行方不明としている兄を除いた8名が、基本的に火の周りを囲む形で寝転んだり座ったりしている。御者役の一般兵達は遠慮して脇で固まっていた。この場を離れなければ別に戦車の中で過ごすのもありだ。

 そんな時、クレマンティーヌが漆黒聖典の『隊長』へ思い切って直訴する。

 

「隊長っ。あのー、竜王軍団に関しての情報を王都リ・エスティーゼに潜入して調査したいのですがー。 ――兄の仇も討つための情報を得ると言う意味でも」

 

 前半の言葉は遊びかとも思ったが、後半の言葉を聞いた周囲の全員の視線が女剣士に集まる。

 

「……んー、確かに一理あるか」

 

 現状、ただ漠然と此処で待つだけでは能がない。詳細な敵情報は戦うためにも必要だ。

 

 近くに良い情報源の場所が確かにある――。

 

 ここにいるメンバーを見回すが……どうも装備や表情に一癖、二癖ある連中ばかり。

 その中で、目の前の彼女は女騎士風の落ち着いた感じの装備だ。

 装備自体は法国でも超級クラスであるが、知る者が見なければ見逃すだろう。

 また普段、クレマンティーヌはローブを纏っている事でもある。

 ここで、女剣士の小隊長である『神聖呪歌』からもフォローが入った。

 

「そうね……クレマンティーヌなら、適任で大丈夫じゃないかしら」

 

 先日の詫びもある形で強力に推してくれていた。

 クレマンティーヌは真面目な表情を変えずに、心の中で狂気にほくそ笑む。

 

(ぷぷっ、バーカ。まんまと引っかかってくれちゃってー、ありがとーねーっ)

 

 クレマンティーヌのいつもと違う落ち着いた様子を見て、『隊長』は決断した。

 

「いいだろう。君は潜入にも慣れてるだろうし、王国軍と竜王軍団の動向に関する調査を命じる。そうだな、まず5日間で頼む。明日から数えて5日目の晩に報告の為、ここへ復帰せよ。それまでは単独行動を許可する。セドラン達もまだそれぐらい掛かるだろうしな」

「了解―。じゃあ、早速夜陰に紛れてちょっと調べてきまーす」

 

 クレマンティーヌは右手を曲げて皆に「じゃ」とポーズを見せると、戦車傍に繋がれた軍馬を一頭拝借して、華麗に飛乗り大森林の闇の中へと消えて行った。

 

(モモンちゃん、モモンちゃん、モモンちゃーーーん! 今から行くから待ってねーーー!)

 

 もう、クレマンティーヌの思考にはモモンの顔しか浮かんでいなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 国王ランポッサIII世や六大貴族のレエブン侯、王国戦士長ガゼフらとの深夜会談を終え、王都から帝都へと〈転移門(ゲート)〉にて移動を終えたアインズ。魔法省の敷地外傍の緑地群内にある小さめの森林へ帰って来た。

 勿論、出迎えるのは護衛のアウラと〈転移門〉が開くと同時に整列したそのシモベ達10体である。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様っ」

「うむ、今戻った。変わりはない――」

 

 その時だ。支配者は、何やら突如ゾワリと悪寒が走った気がした。

 

「――っ?!」

 

 彼には何か……遠い遠い声(モモンチャーーン)を聞いたように感じたのだ。

 アウラが、(あるじ)にまたお疲れでも出たのかと少し心配げに見上げてくる。

 

「アインズ様、何か?」

「……いや、問題ない」

 

 時刻は午後10時16分辺り。

 しかしアウラは反応していない事から、それは完全に空耳で気の所為だろう。悪寒もアイテムにより冷気系にも耐性があるのだから。 

 アインズは気を取り直して、再度アウラへ尋ねる。

 

「連絡は無かったし、こちらは特に変わりはないか?」

「はい。〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で見ていましたが、人間側から物資の搬入があって食事の準備と食事をして、今は就寝の準備中ですね。周辺にも脅威は確認出来てないですし、今晩は大丈夫そうですよ」

「ふむ、分かった。ご苦労だったな」

 

 至高の御方は横目で映像を眺めつつ、自然とアウラの頭を撫でてやる。

 闇妖精(ダークエルフ)の姉はニコニコと嬉しそうにそれを受けていた。彼女としては、御方と二人きりで、撫でまで貰える最高のお仕事状況に笑顔が自然に溢れていく。

 だが、ここでアウラが真顔になった。そしてアインズへと告げる。

 

「アインズ様、ハンゾウが1体戻って来ますよ」

「そうか」

 

 どうやらこの都市の周囲に網を張っていた甲斐があったらしい。

 ンフィーレア一行のカルネ村からの動きについて、ある程度方角は絞れているが流石に帝国も広いので行き違いになる確率は小さくないと思い、支配者は待ち伏せする手を指示していた。

 それから3分ほど待つと、ハンゾウがアインズの前へと現れた。

 膝を折って畏まると主に指示されていた内容を伝える。

 

「アインズ様、御命令の一行を無事に補足しました。護衛対象のンフィーレア、ネムは健在でございます。他、死の騎士(デス・ナイト)3体に分乗した小鬼(ゴブリン)達が13体、上空に非実体化した蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を1体確認しました」

「よしよし。どの辺りだ?」

「はっ。最終確認位置はこの都市から西南西に約20キロの位置でしたが、高速での移動でしたので今はこの場所から10キロ圏には入っているかと」

「なるほど、ご苦労であった。ではお前は戻って、次の動向情報を運んでこい」

「はっ。では、これにて失礼を」

 

 そう告げると、ハンゾウは中腰のまま高速で後ろを見ずに下がって行く形で、直ぐ背後に広がる森の木々の合間の闇に消えて行った。

 エントマからンフィーレア達が午後7時半前にカルネ村を出たと聞いていたが、迷わずに3時間と少しでここまで来たことになる。恐らく蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)がいた事で上空から先行させ、調べつつ直線的に来れたからだろうと予想する。

 アインズの安心した様子を見て、アウラは同じ様に嬉しそうに伝える。

 

「よかったですね」

 

 御方が嬉しそうだと、守護者達も自然と穏やかである。

 

「うむ。既にナザリックの一員で重要な者達だからな」

「そうですね」

 

 アウラは主へと答えながら、先程のお疲れの様子から『世界征服』には、この世界の人材や戦力も手として確かに必要なのではと真剣に考え始めていた。

 一方、至高の御方はこれで()()へのピースは埋まる。

 絶対的支配者は、いよいよ残された次の修羅場的難題に向き合う。

 

 

 ――――有無を言わさずルベド対応の時間である。

 

 

 先程9時前に挑戦しようとしたが、アインズはそれが『誤りだった』と今は考えている。

 

(……待ったなしだよな。午後10時を回ってるし。()()はもう眠っている時間のはずだ)

 

 この夜の絶対的支配者のルベドへ関する予想は抜群に冴えていた。

 午後9時を前に、まだ幼い()()は眠気に負けていたのだ……。

 だが、それも偶然の助けになる。人類であるが現在はキョウの妹。ルベドはとても気に入り、自分用のベッドで寝かせると、姉のキョウと仲良く寝た時の寝顔と情景を思い浮かべつつ20分程も堪能する。

 ()()はナザリックの平和にとって値千金の時間を稼いでくれていた。加入からの期間を考えれば、貢献度は驚異的水準で非常に高い子である。

 そのあと、モフモフの白き翼を繕いながら慎重な選考の末に最上級天使(ルベド)は、午後9時半前より王国王城ヴァランシア宮殿滞在部屋のプレアデス姉妹の様子を〈千里眼(クレアボヤンス)〉により現在まで存分に堪能しニヤニヤしていた。

 今午後10時を回り、そろそろルベドは次のターゲット候補対象について、カロ四姉妹かリッセンバッハ三姉妹へと迷い始めていた。

 

(――ん、どちらを先にしよう)

 

 カロ四姉妹の下の可愛い3名は共に同じベッドで休むのだ。まだ小さい三姉妹のスヤスヤと眠る寝顔と寝姿、これは天使の世界……。

 一方、リッセンバッハ三姉妹は王都内ゴウン屋敷の使用人部屋に置かれた三段ベッドで休んでいる。これが実は穴場で、斜め上方俯瞰から見ると大人びた三姉妹の寝顔と寝姿が同時に楽しめる。

 ルベドにとって、どちらも捨てがたい絶景であった――。

 だがここで、なんとルベドは選択肢から余りに想定外で急すぎる運命的展開を選択したのだ。

 

(――後に残して――――()()()先にエモット姉妹を見て堪能しよう)

 

 現在、当然カルネ村のゴウン邸には1階の姉のベッドで仲良く眠る姉妹の姿はない。

 決してあってはならない状況へ……ナザリックの、いや新世界の終焉と思われる(とき)が迫った。

 正にその瞬間。

 

 

 

『――ルベド、私だ』

 

 

 

 電子音の後に、至高の御方の声がルベドの思考内へと鮮明に響いた。

 流石は絶対的支配者、アインズ・ウール・ゴウン様である。

 彼はこれまでも幾度か見せてきた、超ギリギリでの偶然的危機回避能力の実力を、ここでも存分に発揮してみせる。

 主は続けて最強天使へ話し掛けた。

 

『今、時間は大丈夫か? 落ち着いている感じか』

 

 同好の同志でもあり敬愛するご主人様でもある者からの〈伝言(メッセージ)〉を受け、ルベドは重要な趣味を一旦中止する。

 

「アインズ様、ミヤはもう寝ている。問題ない。先程から各所の姉妹達を見ていた」

『……そうか』

 

 ミヤが起きていて『講座』が続いていれば問題であったかも知れない……。

 また、姉妹達の絶対的プライバシーが大いに気になるところではある。

 だがアインズはそれらを口にせず、とりあえず了解をとった事で本題に入る。

 

 

 

『実はな、今日の夕方前に―――エンリが誘拐された』

 

 

 

 支配者には、この時点で次の瞬間が予想出来ていない。

 卑劣な誘拐行為により仲良しのエンリ・ネム姉妹が、無残にも引き裂かれる事態となった。

 それは人類種によって行われた暴挙であり、『姉妹同好会』の()()()会員が無事に許す展開を予想できそうにない……。

 また、そんな姉妹を守り切れなかったのは、一体――誰か?

 そんな思考の連鎖が起きれば……と、絶対的支配者すら本来ならば震える場面。

 

 しかし、嘘はいずれバレると分かっている。だから今、彼はまず真実を伝えていた。

 

 すでに夕方からカルネ村とナザリック地下大墳墓全体で騒ぎとなっている。

 至高の御方であるアインズ自身が先頭で動いているのだ。隠ぺいはもう不可能と言える。

 今伝わっていないのは王城の宮殿と評議国にいる者達だけに過ぎない。

 強者双方の見えない思惑が交錯する中、暫しの沈黙の後、ルベドが淡々と言葉を紡ぐ。

 

「状況は? 私の力が今、必要か? たとえ、敵に竜王(ドラゴンロード)が100体いても問題ない。一言私に『倒せ』と言えばいい」

 

 声のトーンと内容だけで彼女の憤怒の大きさが伝わって来た。

 ただ事件時の夕方前からは既にかなり時間が経過している。その事が逆にルベドを落ち着かせているのだろう。

 絶対的支配者は慎重に事実を伝える。

 

『現状、当面の問題は概ね解決された。それもエンリ自身の手でな。ただ――姉妹はまだ再会出来ていない』

「な、なんという酷い状況だ……。犯行者は成敗されているのか?」

 

 再会未達の内容に、ルベドの怒りの直球が込められてきていた。

 なお、ルベドの重要点は一般的な常識と大きくずれている。

 アインズの嘗ての社会人としての豊富な営業経験は、それを多分に看破しつつあった。

 でも、ここからはアインズも理由付けが難しい事になるところだ。ルベドが納得出来る言葉を伝えられるか自信はない。

 しかし、それでもルベドへと語って聞かせる。

 

『再会出来ていない最大の理由は、エンリからの私、アインズ・ウール・ゴウンへの優しい配慮に起因する。彼女は今居る遠方地から容易に動けない。また、犯行者も存命だ。ナザリックの総意として、犯人が個人や小規模な組織程度なら、勿論塵も残さないつもりでいた。ところが、実行犯は一大人類国家の要人であったのだ。これをエンリ自身が、私やナザリックの名を出さずに上手く収めてくれた。この姉エンリの努力を主として無駄には出来まい? あと妹のネムは今、姉の元に向かっている最中だ』

「むぅ……」

 

 ルベドも敬愛する同志の名と、彼から知らされた道理の通る内容と再会が近い現状に押し黙る。今は自分の力が必要でないだろうことも理解して。

 そんな彼女が尋ねてくる。

 

「今、どこにいる?」

『……バハルス帝国だ。お前の今居る評議国の東が王国。その東にある国だ』

 

 一瞬の躊躇があったが、支配者はそのまま教えた。

 ルベドは続けて静かに問う。

 

「アインズ様は――ここへいつ帰って来る?」

 

 それに対し、天使の主は穏やかに答える。

 

『状況は、非常に落ち着いている。護衛にはアウラとシモベ達がすぐ横へ居て守ってくれている。今夜中に宿へ戻る。明日は予定通り評議国の中央都を目指すぞ』

「分かった。ここでアインズ様の御帰りをお待ちしている」

『うむ、ではな』

 

 ――アインズは、そのまま〈伝言(メッセージ)〉は無事に終了させた。

 

(よし。よしよしよしっ!)

 

 アインズは心の中で大いに喜んだ。でも、アウラが傍に居る為に支配者としてガッツポーズはとれなかったが。

 ナザリックの平和はナゼか守られた……。

 アインズにも不思議だった。

 なぜあのルベドに、失望感や激情を交えての原因や落ち度等を問い詰められなかったのかについてだ。

 その理由は……NPC達で誰も気が付いていないと思われているが、ルベドだけは気が付いている事がある。

 

 

 それは――至高の御方々が完璧な存在ではないということだ。

 

 

 ルベドは元々、至高の41人に対して敬意や忠誠など無かった存在として作られている。

 なので、彼等への評価は冷静である。

 そのため御方も「ミスをする」という単純な事であるが、当たり前の知識を彼女は持っているのだ。

 それにルベド自身も戦闘力には、特に近接戦闘については現在、あらゆる者に対し無双出来る自信がある。しかしそんな自分も……嘗て姉達との関係改善は全く上手く出来なかったのだ。

 各個体には得手不得手がある事を十分理解している。

 だから、改めて失望したりすることはない。

 今回も速やかな対処を、『姉妹同好会』の会長で総責任者のアインズ自身が先頭で対処してくれ解決していると認識した。

 故に今回、ほぼマイナス点はなく、逆にルベドのアインズへの信頼度はまた上がった。

 そのためルベドは引き下がり、最後は平和に落ち着いたということなのだが……未だ誰もそれを知らない――。

 

 

 アインズはその後すぐ、王城のユリへも〈伝言(メッセージ)〉を繋ぎ、解決の流れが十分見えた形のエンリ誘拐の件を知らせていた。

 だが以後も、この件に関して御方のミスという話はどこからも一切出なかった。それは、『これも御方の遠大な計画の一つ』という話が何故か、ナザリックへと戻ったデミウルゴスから速やかにアルベド経由で上位NPC達のみへと秘匿的にフォローされていたからである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ンフィーレア・バレアレの発案と主を護りたい小鬼(ゴブリン)のジュゲムらが同調し、ネム・エモットのネゴシエーターの力が集束して結成された、カルネ村エンリ救出部隊。

 彼等はカルネ村から一路北東方向へ、まず王国内に広がる帝国との緩衝地帯となっている草原を死の騎士(デス・ナイト)達が激走する形で進んでいく。

 分かり易く言えばトブの大森林の南から東方外縁部の外側を走るイメージになる。

 ちなみにナザリック地下大墳墓の北側傍を通過しているが、友好地域の住民達であるため不問とされている。この時、アルベドからエントマへ問い合わせがあったが、至高の御方側で対処するとの通達を受けた直後で統括へもそう伝えての流れだ。

 そんな一行の移動速度は時速で70キロ以上出ているだろうか。おまけに5名ずつを乗せつつも、死の騎士達は全く疲労しないと聞くアンデッドの特性を存分に発揮する形だ。

 また、進路の確認誘導と護衛を兼ねて上空へは蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)がいてくれた。

 ンフィーレアは全く知らないが、一応ネムは蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の強さについても聞いている。この隊には屈強な強さを誇る死の騎士が3体もいるが、その総合戦力よりも蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の方が強いという事実をだ。

 とはいえ、ネムも死の騎士(デス・ナイト)達の強さへの認識は漠然としている。

 『騎士の小隊よりもうんと強い』ぐらいの感覚だ。

 まさか彼等1体だけでも、隣国である大帝国の全騎士団と対抗出来る可能性があるなどと夢にも思っていなかった……。

 

 一行は、帝国主力騎士団に対し明らかな過剰戦力である。

 

 そんな事は全く知らない救出部隊であったが、1時間を超えて進みすでに帝国内へ入ったかと思われた辺りで、上空に舞い少し先行していた蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が、ネムの所へと急速降下して傍へと近付いて来た。

 そして、少女へと何やら叫ぶように伝えてくる。

 

「クォォォココォー……コォォクオォーーーー」

 

 一応この救出部隊の隊長は、帝国地理についてもある程度知る知識豊富なンフィーレアであるが、アンデッドの言葉は流石に専門外。分かるのはこのメンバーではネムしかいない。

 そしてアンデッド達は全てネムに従っていた……。

 ンフィーレアや小鬼(ゴブリン)達の指示は基本的に聞いてくれない。ネムから口添いの「お願い」と言われた時だけなのだ。

 そのアンデッドの1体、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)からの知らせにネムは――驚く。

 

 

「えっ? 巨木のバケモノ?! この先にいるの?」

 

 

 そう、ンフィーレア一行は、先日『トブの大森林』で大暴れをした巨木のモンスターを、気が付けば後方から追う形で進んでいたのである。

 さらに蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が伝える。

 

「コォォー……クォ……ォコォークォーー」

「……本当に? 本当にあなたより凄いの?」

 

 意外な内容に、ネムの動揺した言葉が出た。

 少女の問いへ初めから蒼い顔色のアンデッドが一つ頷く。

 距離は北東へ約10キロ程で、この先にいるようだ。平原といっても多少の起伏はある。夜暗も関係ない死の騎士一行からはまだ見えないが、速度は遅くすぐに追い付くのは子供でも理解出来た。

 先頭のルイス君に乗るネムは、右後方を走る死の騎士(デス・ナイト)の頭にしがみつくンフィーレアに向かって叫ぶ。

 

「ンフィー君! この先に、大きいモンスターの障害物があるみたいなんだけどー、どうするーーー?」

「えーー!? じゃあ、ちょっと一旦止まろうかー」

 

 単に障害物なら避ければいいが、『モンスター』が付いていた。

 少し意味が分からないが、ここはもうバハルス帝国の領内だと思われる。

 先日エ・ランテルで聞いた竜軍団の件ももう帝国へ伝わっているだろうし、用心は一応した方がいいとの判断。

 なお国境については、長年王国側からの威圧などなく、王国側で緩衝地帯を作っている程で、腰が引けて見えている状況を反映してか、帝国側では特に警備などはしていない。基本的に王国も帝国も、各村や各都市で侵入者を警戒する体制だ。

 ンフィーレアの停止指示を、ネムがルイス君ら死の騎士(デス・ナイト)達へ告げ部隊は草原で止まる。並走していた蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)もだ。

 死の騎士(デス・ナイト)上で少年は、内容を再度確認する。

 

「障害物のモンスターって聞こえたけど、どれぐらいの大きさか分かる?」

 

 彼の言葉はアンデッドにも一応聞こえている。蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)がネムへ唸りのような声で伝えると、ネムが少年へ回答する。

 

「えーとね、全体だと板塀で囲ったカルネ村ぐらいの広さがあるらしいよ」

「は、はぁ?」

「高さも、トブの大森林で有数の大木ぐらい、100メートルとかあるみたいだって」

「「「………」」」

 

 途方もない大きさに思えた。ジュゲムやカイジャリ達も顔を見合わせ、首を傾げながら唖然として聞いている。

 更にネムは語る。

 

「外見は大木を中心に太い蔓が周りでとぐろを巻いてて寄り集まった形に見えるみたい。でね――それが低速でほぼ東北東に動いているって」

 

 ネムの言葉を聞き終えても、ンフィーレアの他、全員がしばらく沈黙していた。

 とんでもない状況に思える。

 でも、これはあくまでバハルス帝国内の問題である。

 しかし、今後の進路はほぼ魔法省のある帝都の方向を示している事は容易に予想できた。

 そこには、少年の想い人であり少女の姉で、小鬼(ゴブリン)達の主でもあるエンリが囚われているはずなのだ。

 少年が堪らず重要なポイントを口にする。

 

「その怪物、帝都寄りで向かってるね。時間がどれぐらいあるのかな?」

 

 ンフィーレアの知識では、大都市エ・ランテルから帝都アーウィンタールまでは約270キロと聞いている。なので近いはずのカルネ村からなら直線で240キロないぐらいと考えていた。また彼の予想で、現在位置は帝都まであと130キロ程。

 時速500メートルだと260時間あるが、時速4キロだと1日半程度しかない。

 エンリ救出へ大きい障害になる可能性も残る。

 ここで、ネムが蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に可愛くお願いする。

 

「あのー、どれぐらいの速さで動いているか、近くで調べてもらえないですか、ダメ? 私達は、距離をとって大木さんの南を安全に真っ直ぐ抜けて行くから」

 

 ネムも時間を無駄に出来ないと思い、移動を再開しつつ調査をこの部隊最強の戦士に頼む。

 ただ蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)としては、ある程度の指示は任務の範疇内と割り切るが、あくまでもンフィーレアを傍で護衛するのが最大の目的。

 危険度の高い強大なモンスターへ接近するのは、幾分躊躇われる依頼である。

 すると、ネムの乗る死の騎士(デス・ナイト)のルイス君が声を上げた。

 

「ォォオオアァァーー」

 

 そのネムとアンデッドにしか分からない『少年は任せろ』という自信溢れる意に、部隊最強の戦士は一拍置くと応える。

 

「……コォー」

 

 聞こえてきたそれは『分かった』と周囲の皆に伝わるものであった。

 巨木の行動は、少年の安全確保にもいずれ影響の有る必要情報と考えられたからだ。

 馬上の彼はネムに改めて頷くと、馬の踵を返し背を向け非実体化すると、上空へそして巨木の怪物に向かって空中へと駆けて行った。

 ネムが部隊長のンフィーレアへ元気に声を掛ける。

 

「馬に乗った騎士さんが調べに行ってくれたよ。さ、行こう、ンフィー君!」

「うん。ただ帝国の哨戒兵が周囲にいる可能性があるから注意して。じゃあみんな出発!」

 

 ネムが「お願い」すると、3体の死の騎士(デス・ナイト)は草原を疾走し始める。

 

 10分ほどすると、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が部隊へと無事に帰って来た。

 彼は巨木から十分距離を取って並走することで速度を測ったという。巨木の進行は時速1キロ程だとネム経由でンフィーレアへ伝えられる。

 つまりまだ100時間以上の猶予は有りそうである。

 とはいっても、今の速度が続けばという不安定な条件でだ。

 結局今は、『一刻も早く帝都へ辿り着きエンリを救出し脱出する』という事が最良であるとの結論に達する。

 現状の延長線上の成功を目指すのみであり、ンフィーレアとネム、ジュゲムらはそのまま風の如く真っ直ぐに帝都を目指した。

 

 

 

 カルネ村からの救出部隊が村を出て3時間近く経った頃。

 上空の蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が知らせてきた、前遠方へバハルス帝国帝都アーウィンタールの灯が見えるとの報に、地を滑る形で駆ける一行は湧く。

 ンフィーレア達は、帝国内の村や都市を避けつつもほぼ直線的に230キロ程走破して来た。

 そうして、午後10時40分へ近い時間に帝都外縁部まで到達する。

 帝都外縁部は高く分厚い堅固な城壁で守られており、4つある正門からしか出入り出来ない。

 部隊は一度、到達位置で最寄りの繁みに身を隠す形で全員が死の騎士(デス・ナイト)から降りる。そうしてまず魔法省や帝都内の様子についての情報収集を始めた。

 

 しかしその結果――大問題が発覚する。

 

 都市上空より魔法省の位置調査から戻って来た蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の話によると、魔法省と共に上空からエンリ本人を発見出来たのだが、どういう訳か彼女は小鬼(ゴブリン)数千の軍団に護られているという。また、現在その軍団は整然とし戦闘状態中には見えなかったとも告げられる。

 その話を聞き、ネムはピンと来た。多分姉が首へ下げていたお守りの角笛を使っただろう事に。

 でもネムには今一つ状況と話がよく分からない。

 ここで、幼い少女の頭に浮かんだのはアインズ様の事だ。

 

(アインズ様がお姉ちゃんへ何かしてくれたのかな?)

 

 ネムは、エントマ様達ナザリック勢が動いて2時間でも行方が知れなかった為に必死で村を飛び出し、姉の救出作戦第一でここまで頭が一杯になっていた。通報はしたし、それから3時間程経っている。ただ、あのお方ならこんな軍団が必要とも思えない。やはり姉の角笛の力だろうと考える。

 

(んー。お姉ちゃん、攫われたはずだけど……。小鬼(ゴブリン)さん達のお陰で開放されて、帝国の魔法使いのお爺ちゃんと仲直りしたのかなー?)

 

 でも妹は、小鬼(ゴブリン)の数がいくら何でも多すぎると思った。

 

(あと50人ぐらいなら頑張れば、皆で村に住めそうだけどー。お姉ちゃん、村に食べ物も少ないし何千人も住めないよー。どうしてそんなに大勢呼んじゃったの?)

 

 子供心に純粋な感想である。

 最近、彼女は姉の傍で色々と手伝いをするようになり、村の事情にも随分詳しくなった。

 カルネ村は以前から貧困域の村であったこと。エンリの家は薬も商っていたから、村では上位に入っていたが税を納めると基本どこの家も余裕は無いなど。

 そして税から残った食料は、村全体でもそれほど余裕がある訳ではない事を知った。

 幼い少女には考えもしなかった大人の事情。

 食べ物の重要さを知って、ネムはもう食べ物を一切残さなくなっている。

 そのため少し姉の行き過ぎた行動に不満が出たのだ。

 そんな色々考える風でもあり怒った様子にも見える顔のネムに、まだ話を聞いていないジュゲムとンフィーレアが用件を早くと尋ねてくる。

 

「ネムさん、姐さんは!? 何か問題が?」

「ネム、どうだったの!? エンリは、魔法省の場所は分かったの? それとも厳重すぎて入れないとか? うわ、まさか魔法省はもうこの都市じゃなかったとか……」

 

 彼が数年前に読んだ本は、15年程も前に書かれた帝国紹介の書物であったのだ。

 少年はエンリの居場所へ近付き焦り始めていた。犯人が著名な老人とはいえ巨大な組織に誘拐などされれば、何をされていてもオカシクはないっ。

 魔法詠唱者でもある少年は、〈魅了(チャーム)〉でも食らえば仲良く同衾も難しい話ではないとも考えている。

 

「ぁぁ(あ、エンリィィ)……」

 

 若さ溢れる妄想が爆発しかけて、ンフィーレアが顔に両手を当てて悩み出そうとした時に、ネムの口がその首に下げている角笛を見せながら動き出す。

 

「魔法省は見つかったって。位置はここから、外周壁に沿って北側へ2キロぐらい行った所が近いって。あとお姉ちゃんが――新しい何千もいる小鬼(ゴブリン)の大集団を呼び出してるみたい。凄い数だけど、多分この笛の力だと思う。集団の周りに相手はいなくて、戦っている感じは無いって事だけど。どうしよう、ンフィー君……」

 

 魔法省の存在を聞き、顔をパッと上げて気を取り直したが、ネムから難題を振られたンフィーレアは即答出来ない。

 問いには不明点が多すぎた。

 少年はナザリックの存在をまだ全く知らない。

 でも少年の頭へ真っ先に浮かんだのは、恋敵である村の英雄的魔法詠唱者(マジックキャスター)アインズ様の存在。

 以前エンリが笛を使った時には19名しか出てこなかった事実。それが今回数千。この軍団はどこから来たのか、なぜ戦っていないのか。

 そして――エンリは何故、まだ帝都の魔法省内の地へ留まっているのか。

 色々考えつつも最も気に掛かる事がある。

 

 少年は今も、アインズ様がエンリを先に助けてしまわないかとずっと恐れている。

 

 でも今、あの方は遠い王都に居て、留守を守るキョウも2日前から大森林内へ探索に出かけている。いくら優秀な彼の関係者でも知らない事へ即応は難しいはずだと考えていた。

 この世界は危険が多く、守ってくれる男性に女性が強く魅かれるのはオーソドックスな事。

 高いポイントが稼げる今回の機会を少年は絶対に逃したくないとし、帝都まで男らしく必死で来ているのだ。薬師の少年はカルネ村の惨劇で既に一度彼女を救えなかったから……。

 だから今回、どうにかしてエンリの心を引き寄せ、偉大な盟主にも先んじたいのだ。エンリから感謝の『チュー』が貰えるかもしれないとの考えも盛大にチラついていた。

 鼻先へのニンジン効果で、馬車馬のように少年の思考は俄然高速で回る。

 あれから3時間。蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が村にまだ残っていると聞くし、森のキョウさんへ知らせが届き村側で動きがあるかもしれないと。でもこの帝都は、カルネ村からは230キロ以上の距離があった。また通常の〈飛行(フライ)〉では死の騎士(デス・ナイト)程のスピードは出ないはずとも。知らない場所への移動は、魔法でも容易では無い事を魔法詠唱者の彼は知っている。

 ンフィーレア少年はエンリへ「僕が助けに来たよ」と早く伝えたいのだ。

 

 再び魔法省内でのエンリの現状へ少年の思考が回帰する。

 エンリの傍の小鬼(ゴブリン)の大集団は一応角笛の力だろうと冷静に考えてみた。

 ならば、いくらなんでも帝国側がそれに気付いていない事はありえない。また、ここは帝都内であり単に行動を見逃しているという事も考えられない。つまり合意の上で戦闘が発生していない状態と考えるのが自然だ。

 ならば、ンフィーレア達が勝手に場を乱すことは少し待つべきだろう。

 そしてエンリの軍団の動きを見てからの行動が最善だと直ぐに判断する。この辺りは、流石に冷静さに加え知性と理性的な考えを持つ少年と言えた。

 少年より先にジュゲムが告げる。

 

「その軍団は、ほぼ間違いなく味方ですね。全員が姐さんを死守するはずですよ。俺達と同じぐらいの連中が揃ってるなら相当の戦力でしょう。ひとまず安心してもいいんじゃないですかね?」

 

 確かに、屈強なジュゲム達19人は(ゴールド)級冒険者チーム3つ分ぐらいの戦力。

 それの250倍以上の規模となれば、国家規模の軍団戦力といえる。

 帝国といえども手出しには十分な戦力と検討が必要に思えた。

 ンフィーレアの思考の中で予想が立ち始め、皆へ話し始める。

 

「もしそうだとすれば、帝国と何らかの交渉と合意があっての今の状態なんだと思うよ。普通に考えて、此処は帝都内だしそれほどの戦力を相手に対抗戦力を傍に置いていないのは違和感が大きすぎるからね。僕達は、エンリの行動に合わせる必要があると思う」

 

 ンフィーレアの発言に、ジュゲムとネムは頷く。

 ただやはり、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)による上空からの情報だけでは少なすぎた。

 そこで、ンフィーレアは二つの計を指示し実行していく。

 

 一つは帝都内潜入である。

 大門はこの時間も2箇所は開いている。とはいえ、人外がほとんどである部隊全員がそこから入れるとは到底思えない。

 少年には帝都北方の山脈から都市の東を抜けて南の湖まで河が流れていて、一部を都市内へ水源として引き込んでいるという知識があった。

 そこで、ネム経由で蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に場所を特定してもらい、一旦全員で帝都東方側へ移動する。

 帝都東側外郭璧に築かれた用水の取り入れ口は水中に1メートル以上水没しており、更に取り入れ口の3メートル奥には頑丈な鋼鉄の柵が1メートル離して二重で設けられており、侵入は困難に思えた。

 常識で考えればまず無理であるが、この部隊には余り通用しない。水中でも間口は十分にあり蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)がレベル58のハイパワーで鋼鉄の柵を引き千切ってくれた。

 それが完了してから重たい死の騎士(デス・ナイト)達にしがみつく形で1分以内で水中を全員が帝都内へと突破する。

 エンリに対するンフィーレアの行動は非常にダイナミックであった……。

 

 一行は用水路を辿り、都市内の公園で上陸すると、林に潜んで一段落する。

 ンフィーレアは生活魔法の〈乾燥(ドライ)〉をネム他数名へ実行した。流石に全員へは消費が激しいので皆納得する。夏場なので夜でもそれ程寒い訳ではない。

 さて、魔法省は都市の西側にあり反対側となる。直ぐに移動したいところだが、あと数時間過ぎた夜明け前の方が適していた。だから先にンフィーレアのもう一つの計を実行する。

 それは当然、帝都内におけるエンリ軍団と帝国軍の動向情報収集だ。

 ここで意外に重宝されたのがカイジャリである。

 彼には――フールーダから掛けられた強力な『認識阻害の魔法』がまだ効いていた。

 単独行動すれば、一般人はまず誰も亜人の彼を意識しないのだ。

 それは今でも、カイジャリが大声か、強く掴まれた者でなければ認識出来ないので効果は間違いない。

 フールーダとしては、小鬼(ゴブリン)を1日ぐらいは眠らせておくつもりであったのだろう。各魔法への抗力は個体差がある。カイジャリは眠気に抗力が高かった模様。

 先程の水中行軍での雫が落ちればバレるので〈乾燥(ドライ)〉を掛けられたカイジャリと、ンフィーレア自身が情報集めに出る。多少危険だが少し地理を把握しているし、エンリの為ならばと率先した。

 ンフィーレアは、鼻の利くものには弱いが視覚を誤魔化す〈屈折(リフレクター)〉が使える。それを後方からしか見付けられないという形で実行し中腰気味になり、少年の肩へ手を置くカイジャリをすぐ後ろへ立たせれば、ネムやジュゲムらからンフィーレアがほぼ見えない事も確認出来た。

 時刻はもう深夜に近いが、此処は大都市の帝都。エ・ランテル同様、まだ街の明かりが残っているところは多いはずである。

 時間を置くことなく、急ぎンフィーレア達2名は情報集めへと出ていく。一応蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が上空から護衛には就いていた。背に乗せて貰えれば最高なのだが、彼等は非実体化しないと飛べないので、残念ながら空中では乗せてもらうことが出来ない。また完全透明化しているわけでもないので、街中では超低空で隠れながら飛ぶ必要もあった。遠方の皇城周辺上空を時々、近衛である皇室兵団(ロイヤル・ガード)のジャイアント・イーグルが夜間警戒で飛行しているのが見えたためだ。

 見送った残りのメンバーは、公園の林の中で装備や服を乾かしつつネムを中心に結果を待つ事とした。

 ただこの機にと間もなく、歴戦の姿をしたジュゲムがネムへ重要な事を尋ねていた。

 

「ネムさん、御屋形様はまだ動いていないと思いますか? 既に4時間は経ってますぜ。村を出る時に連絡を入れてますし、俺にはもう動かれた結果、こうなっているんじゃねぇかと」

「じゃあ、アインズ様から私達に連絡が無いのは?」

「それは姐さん側の件は急ぎで大きいですし、こちらに――ンフィーの兄さんが居るからじゃないですかね」

 

 小鬼(ゴブリン)18名を率いるジュゲムは、いつもエンリの立場も考えている。

 魔法による直接連絡については、エンリがアインズと会話しているのをネムや小鬼(ゴブリン)達も見て知っていた。

 ナザリックについては少年にまだ秘匿されている事も、エンリの配下として守らなければならない。だからここまで御屋形様関連の話は出来なかったのだ。

 しかし、今ここにンフィーレアは居ない。

 アンデッド達も全て御屋形様の陣営の者らだ。問題はない。

 ジュゲムの難しい展開の絡む言葉にネムは、ネゴシエーターとしての力で考える。

 

「ぁ……うわぁ……もしかすると、ンフィー君をすぐにお姉ちゃんに会わせない方がいいのかな」

「我々がどこで合流するか、問題になる可能性がありますしね」

 

 今、姉エンリの率いる現戦力と帝国軍がアインズ様の助けで話が纏まっているとする。

 そこへ、これだけの余剰戦力が別で『話に聞いていない形で突然登場』した場合、「一体どうなっているのか?」と再度大きい問題になって揉めないだろうかと。

 また揉めた難問の際中に少年が傍にいれば、エンリはアインズ様との綿密な連絡も取りにくくなると――。

 ネムは両手を頬へ強く押し当てて『困った』という表情を作る。

 

「どうしよう……」

 

 幼い少女ネムとジュゲムは大いに悩み始める。少年が戻るまでに何か良案を捻り出そうとしていた。

 

 

 

 アインズの目には帝都アーウィンタールの人通りの(まば)らな裏通りを、中腰でカイジャリとまるで電車ゴッコをしながら歩く滑稽なンフィーレア達の姿が〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を通して写っていた。

 御方の特殊技術(スキル)〈魔法的視力強化/透明看破〉により、二人はアインズから丸見えであった。

 支配者は、先程から完全に落ち着き就寝時間に移行し始めたエンリの陣地側ではなく、不安要素が高そうなカルネ村部隊を見ている。

 ハンゾウの1体が訪れ、「彼等は帝都の南西から東へ移り、都市の用水取入れ口から侵入したよし」との知らせを受けてだ。

 アインズは、先程からいっそのことンフィーレアへも自身の力とナザリックの存在をバラそうかとも考えた。そうすれば、彼等はまだ帝国に発見されていない小部隊なので撤退させるのは簡単だと。

 しかしそれは、あの少年を猛烈に突き動かす純粋で尊いモノを完全に打ち壊すような感覚があった。また何か負けたような気もするので、今一度考えて直して今に至る。

 

(とりあえず、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)がいるし、死ぬことはないだろう)

 

 支配者からそう見られていた少年は、カイジャリと共に約2時間半に渡り10軒を超えて酒場や軍事関連の駐留所へと侵入し聞き耳を立て続けた。

 特に酒場では声や物音が大きく、全く気付かれる要素が無かった。流石に夜中の静かな帝国の軍事駐在施設は、慎重に遠方から石などを使い侵入者検知魔法の有無を確認した上で、足音を殺しながらゆっくりと近付いて退散時にも気を使ったが。

 そうして、無事にンフィーレアとカイジャリは皆の待つ公園へと戻って来た。

 ただ、得た情報は余り芳しくない。

 もう昨日になるが、魔法省の敷地内部で大魔法実験らしき天に(そび)える巨大な〈炎竜巻(ファイヤー・トルネード)〉が10分程も見られたという話題や、先日から戦時下移行しているが昨日は夜に入って帝都内で騎士や軍属へ非常招集が掛けられた事実と、騎士団が都市の騎馬だまりへ数百騎ごとに分散待機の動きがある事を掴んだぐらいである。

 一番情報として欲しかったエンリの小鬼(ゴブリン)大軍団については、緘口令でも出ているのか、どこの酒場でも噂すら全く話題には上がっていなかった。

 そのため、今朝からの動きが全く掴めない形の結果となっている。

 逆に言えばエンリの大軍団は帝都内で大きい戦闘も起こさず、帝国と交渉が完了している可能性が益々高いと思われた。

 最有力の予想案としては、小鬼(ゴブリン)大軍団の不戦での移動だ。亜人の軍団に領土を踏み歩かれるという帝国の威信失墜は兎も角、これは両者に大きな利点を有し十分あり得るだろう。次点案は大軍団の条件付き降伏。魔法省から出られない状態で、帝国側に巨大な〈炎竜巻(ファイヤー・トルネード)〉を見せられて屈したという展開。エンリが助かれば良いという軍団の考えに基づくものだが、エンリ自身飲まないと少年は思える。それにあの大軍団は相当強いはずだと。

 公園までの帰路、周囲を警戒し殆ど会話出来ない事から少年はそんな事を考えつつ歩いていた。

 林の中でンフィーレアとカイジャリを出迎えたのはジュゲムとゴコウ達である。ネムを見るとルイス君が仁王立ちし見守る形の足元で布の上へ横になって眠っていた……。無理もない。

 少女なりに精一杯頑張ったが流石のネムも、日付を超えた辺りでまどろみ、この時間は完全に夢の中である。

 ンフィーレアも流石に疲れていたが、休む前にとジュゲムらへ得た情報の通知を行なった。

 一通り伝えたところで「ひとつ話が」とジュゲムから少年へ、ネムと考えた案が語られる。まあ案と言うか、エンリが苦境に立つ事はしない予想への誘発なのだが。

 それは少年にとって少し無情な内容。

 

「これは、先程ネムさんと気が付いた事なんですがね、今我々の戦力が姐さんの軍団に合流すると――話が纏まった風にも見える帝国とまた揉める口実にならないかって」

「……そ、それは……否定できない……ね」

 

 空に居れば良い蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)と、ネムにンフィーレア自身も葉っぱの緑系の汁を体へ塗る事や13名の小鬼(ゴブリン)らは誤魔化せても、黒くて巨躯の死の騎士(デス・ナイト)3体は無理に思える。部隊としてここまで来た以上、加わるなら全員でが前提だ。

 少年は、徐々に小さくなっていく声に伴い、視線が下がり表情が段々と沈み固まっていった。早く会いたいが、それが致命的な問題に発展しては意味がないと。

 でも、しかし、だが、それでも、何のために、いや、されば、ところが、まだしも、だけど……と少年の心の中で激しい葛藤が実に7分ほど続く。

 その結果、彼の口から出てきた妥協の言葉は――。

 

 

「――様子を見よう」

 

 

 彼は、これから少し仮眠を取って日の出前に潜伏の難しい帝都内から一時退去し、小鬼(ゴブリン)の大軍団の動きに合わせて行動する方針へと転換する。

 でも、ンフィーレアとしてこれだけはしておきたいという事があった。

 少年は腰から携帯用の筆記用具を取り出し、2分ほどで羊皮紙へと全力の想いと真心を込めて10行ほどの短い手紙を書き上げる。

 それは『大好きなエンリ・エモット嬢へ』で始まり、『君の隣人で親友のンフィーレア・バレアレより』で締められていた。

 間の数行には、エンリを助けるためにンフィーレア自身で思い立ち、ネムを始めカルネ村から救援部隊のメンバーを結成し出てきた事と、今帝都内東方の公園にまで来ている事、こちらの戦力の存在が遅れて発覚すると問題になる可能性の事、故に夜が明ける前に都市外へ一旦退去し周辺で様子をみる事、最後に早く会いたいという思いと帝都からは一刻も早く脱出するべき事を熱く綴ったものである。

 ネムはもう寝ていた。

 しかし、ンフィーレアは地上に降りていた蒼い顔の空を駆けられる()へと近付く。

 そして書いた手紙を差し出しつつ真剣に語る。

 

「エンリまでこれを届けてほしい。よろしくお願いします」

 

 頭を大きく下げたまま気持ちで蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)へと託す。

 すると――蒼い顔の彼は、手紙を少年の手から無言で受け取ると鎧装備内へ挟む形で非実体化に成功し上空へと駆け上がって行った。

 

(僕もああやって晴れた夜空を駆け上がって、すぐにでも会いに行きたいよ……エンリ……)

 

 手紙が無くなった感覚で顔を上げたンフィーレアは、仲間の蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が見えなくなるまで長い前髪の間から覗く目で見送った。

 

 少年の想いを乗せた上空を進む蒼き馬の戦士は、一路帝都西方側を目指す。

 帝都内には高い建物もあり、王城周辺から離れたそれらを盾にする形で、少し北側回りで迂回気味に帝国魔法省へと近付いて行く。

 15分弱で、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)は目的地へと到着した。

 魔法省の建物側には監視の魔法詠唱者が居る為、陣地背後の森側へと目立つことなく慎重に降り実体化する。

 ふと彼の右前方から風を感じ、突然の声が掛かる。

 

「貴殿は、カルネ村の衛士の一人でござるな」

 

 巨体でも木々の間を敏速で軽快に間を詰めてハムスケが現れていた。

 勿論、彼女は軍団の護衛で周辺警戒をしていたのだ。傍に動きの速い小鬼(ゴブリン)聖騎士団の10体も控えている。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)は告げる。

 

「クコォォォォーコオォォォーー」

「て、がみでござるか? エンリ殿に? 申し訳ないが、言ってることの半分ぐらいしか分からないでござるよ。エンリ殿はもうすぐ寝そうなので、急ぐでござるよ」

 

 そう言ってハムスケが先導し、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)、聖騎士団らが陣内を続いた。

 陣幕の一角、着替え用に分けられた部屋に、エンリとアルシェは寝床を其々造って貰っていた。

 とは言っても、低い木の板間に布を数枚積んで少し厚みを作り白いシーツをかぶせた程度だ。

 そこへ横になろうとしたところで、声が掛かった。

 

「エンリ殿、起きてたら来て欲しいでござる。てがみなる物が届いてござるよ」

「は、はい。ちょっと待ってね」

 

 アルシェとエンリはもう休む為、下着に掛け布を巻いている姿になっていた。起きあがろうとした小柄の少女に手で起きなくていいよと合図し、村娘の服を被って着たエンリは垂れ幕を潜って外へ出る。

 すると、カルネ村で見た事のあるモンスターがいた。

 彼は先にハムスケへ向けた内容で再度、「クコォォォォーコオォォォーー」と馬上からエンリへ告げつつ手紙を差し出す。

 

「え? ンフィーレアから手紙!?」

 

 受け取ると四つ折りの羊皮紙を開く。

 そこには、お出迎えのサプライズにしては早いし、少し違う熱い内容にも思えるけれど、昔から変わらない少年の真っ直ぐさが出ていた。

 ありがたくもあり、旦那様を持つ身として困る部分もあり――そんな手紙であった。

 とはいえ少年ももう立派なカルネ村の住人で大事な隣人である。

 エンリはンフィーレアへの返信を羊皮紙の裏側へ、周囲を見回し見つけた細い枝の棒と葉っぱを数枚潰した汁のインクで2行ほど書き上げる。

 

「届けて頂きありがとうございます。返信もお願いしますね」

 

 少女は逆折りにした羊皮紙を蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)へと手渡した。

 彼は一つ頷くと、ハムスケを先頭に陣幕を速やかに去って行く。

 エンリ・エモットは、手紙にこう書いた。

 

『ンフィーレア・バレアレ様、心配してくれて、来てくれて本当にありがとう。とても嬉しいよ。ネムをお願いね。これからカルネ村へ帰ります。すぐに会えるから。隣人で親友のエンリ・エモットより』

 

 帝都内へ亜人の大軍団を呼び出すと言う暴挙で人類史に名を刻み、且つエンリ将軍にとっての波乱続きの誘拐一日目はこうして終わった……。

 

 

 

 公園の林の片隅で蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)へとお礼を言いつつ、返信を貰ったンフィーレアは、とりあえず二度喜んだ。

 

(エンリは帰って来るっ! 隣人で親友って、凄く近くて仲良しだよねっ)

 

 更に何とか身内になりたい薬師ンフィーレア少年の敵地での闘いはまだ数日続く―――。

 

 

 

 

 

 

 アインズはンフィーレア少年が手紙を書き始めた辺りで、アウラ達をナザリックへと帰し、自身も評議国へ戻る事を決めた。

 ネムの、姉との再会はお預けだが双方の安全は確保済であり、昨日が今日に変わったぐらいの事だと思える。

 なので支配者はハンゾウの片方へと〈伝言(メッセージ)〉を繋ぐ。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。連絡役のハンゾウ、聞こえているか?」

「はっ。ご心配ありませぬ」

 

 鮮明ながら小声で返って来た。ンフィーレア達と距離が近いのかもしれない。

 アインズは用件だけ短く告げる。

 

「連絡役は一時なしだ。お前も護衛に回れ。連絡・確認はこちらからする」

「はっ、全て御下知通りに」

 

 連絡が終ると、支配者はアウラ達へと指示する。

 

「アウラと、そのシモベ達よ。長い時間ご苦労であった。もう朝まで動きはないだろう。お前達はナザリックへ帰還せよ。エンリとンフィーレアとネムへの監視については第九階層の統合管制室へ引き継がせてくれ。私は評議国へ戻る」

「わかりました、アインズ様。エンリ達についての監視指示はお任せくださいっ」

「うむ。〈転移門(ゲート)〉」

 

 アインズはまず、ナザリック地下大墳墓の中央霊廟の正面出入り口前へ繋げてやる。

 シモベ達を先に通したあと、アウラは告げる。

 

「じゃあ、アインズ様、お先に失礼します。あっ、例の踊りの方は何時でも大丈夫ですから、では」

「おっ、そうか。ならマーレと共に、近いうち声を掛けよう」

 

 アウラ達に頼んでから、まだ丸3日程度しか経過してなかったが。

 主の返事を聞くと、可愛く笑顔で最後に手を振って、ぴょんと飛び込む感じに〈転移門(ゲート)〉へと消えて行った。

 もちろん、最後まで彼女が残ったのは出来るだけアインズ様と一緒に居たかったという乙女心である。

 そしてアインズはナザリック地下大墳墓への〈転移門〉を閉じると、アーグランド評議国の宿部屋へと〈転移門(ゲート)〉を開き、その中へと消えて行く。

 既に午前2時を回っていた。

 そろそろキョウが『ゲイリング大商会』の潜入調査から戻って来るか、待っている頃である。

 明日の中央都へ乗り込む事にアインズは集中し始めていく。

 

 

 そのためかアインズはこの時より、何かを忘れている気がしていた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 空へ雲の広がった翌朝の帝国魔法省の敷地内では、朝の8時過ぎから死の騎士(デス・ナイト)の引き渡しが行われた。

 帝国魔法省側は、まず塔を含む封印施設の開放を行い、地下の螺旋階段下の全扉等を開くと周辺から総撤退した。

 変わって、赤と黒の美しい軍服衣装を身に纏ったエモット将軍が、陣地から小鬼(ゴブリン)兵の精鋭300を率いて死の騎士(デス・ナイト)の封印されし敷地内最奥の塔へと向かう。エンリの両脇へ軍団最強の戦士レッドキャップスが付き、先頭を固めつつ10体程で奥へと進む。

 地下へ5階分程も続く螺旋階段の降り場の床へ錠前の鍵の束が残されていた。

 それを拾い上げ、エンリらが階段を地下へと降り切ったその時である。

 

「オオオァァァアアアアアアアーーーー!」

 

 突如、何枚も開かれた扉の奥から死の騎士(デス・ナイト)の叫び声が急に上がったのだ。

 その声のもとへ将軍達が進むと、昨日見た柱へと縛られたままの黒い巨躯の姿が再び現れた。

 彼の黒い歪な顔から紅い強烈な視線が、ギロリとエンリに向けられる。

 しかし、その瞬間から死の騎士(デス・ナイト)の叫び声が止まった。

 

「助けに来ましたよ。 さあ、彼の鎖を外してあげて下さい」

 

 指揮官の声にレッドキャップ達が、剛力で柱へと死の騎士(デス・ナイト)を縛っていた太い鎖を力強く引き千切る。

 最後は、大きい鉄球を繋ぐ手足の丈夫な金具の鍵を、先の錠前の鍵の束を使い外してやる。

 こうして魔法省の地下へと封印されていた死の騎士(デス・ナイト)は無事に解放された。

 

「オオオァァァォォォ……オアアアァァァ」

 

 

 彼は、エンリへと礼を述べ、そして当然の様に――配下へと加わった。

 

 帝国魔法省に居たフールーダの高弟らや魔法詠唱者隊員達が遠巻きで見ている中を、最奥の塔より撤収してきた小鬼(ゴブリン)兵らから一際飛び出た黒い鎧を纏う巨躯の騎士が歩を進める。

 その彼の右腕と肩にエンリ将軍が座る形での行進であった……。

 人外らの堂々たる隊列を目の前に見て、魔法詠唱者隊員の一人が額へ冷や汗を浮かべながら思わず言葉を溢す。

 

「……じょ、冗談じゃない。俺には分かるぞ。あんな化け物達、パラダイン老以外に殺せるわけがない。そ、それを容易く従えているあの若い人間の女の姿をしたヤツは一体なんなんだ……」

「お、おい。気持ちは分かるがここでは口を慎め。殺されるぞ」

 

 並んで見入る者達のほどんど全てが恐怖する中、建屋の端へ人知れず隠れる形で立ち、フードを深く被って顔を隠した小柄な一人の男の目がキラキラと輝いている。

 

「おお! す、素晴らしいっ……。村でも見たが、あの地下の死の騎士(デス・ナイト)が今まさに従っているっ。私が自身の手で叶えたかった数十年夢見ていた光景……あの魔法を何としても手に入れたいものだ。……いや、必ず手に入れる……あの娘は私だけのモノだっ」

 

 己の欲望と興奮に肩を震わせるその人物は、急遽帝国の王国国境から呼び戻されて来た者。

 帝国の主席魔法使い、フールーダ・パラダイン。

 真っ先に帝国の最高権力者である皇帝ジルクニフの元へと出頭するように言われ、帝都まで舞い戻って来た男である。

 今、『認識阻害の魔法』を自分へと施し、これだけは見ておきたいとこの場に来ていた。

 フールーダは一応今朝の午前4時過ぎ、既に朝として起きて執務室で本日の公務を進めていたジルクニフの前へ現れている。

 帝都からの伝令者が街道沿いの国境砦傍の宿泊施設まで知らせて来たのは、午前3時過ぎであった。フールーダも寝ていた時間であったが、皇帝の緊急命令により起こされ、帝都での事態急変と巨木モンスターの襲来対応で一時的帰還が指示されたのだ。

 執務室の大机へ座る皇帝を前にして、今回の失態を知りつつも普段と変わらない雰囲気の老師。

 基本的にこの大賢者は、貴重な魔法が己の手に入ればあとはどうでもいいと考えている。

 

「お呼びにより、一時遠征を配下に代行させ急ぎ戻って来ましたぞ、陛下」

「……爺、話は聞いているか?」

 

 意外にもジルクニフはいつも通りでにこやかに話し出した。

 他の者なら……秘書官ロウネら側近や帝国四騎士、帝国八騎士団団長や各省責任者、各神殿神官長に大貴族達でさえも許していない。いや許されるはずがない。だが、この大魔法使いだけは、歴代の、そして現皇帝と帝国への貢献度と信用度で次元の違う存在であった。

 

「はい。逃亡した村娘が亜人の軍団を呼び寄せ、魔法省の者らの攻撃を抑え込みながら死の騎士(デス・ナイト)の引き渡しと無血退去を申し出たとか。また西方の穀倉地帯へトブの大森林から巨木のモンスターが現れたとも」

「そんな感じだ」

 

 ジルクニフは爺を今後も叱責しようとは一切考えていない。

 今は、それこそ終わった事で最も非効率で非生産的な行動と考えられた。

 これから必要なのは、爺フールーダの持つ他者を圧倒する高位魔法と魔力量なのである。

 皇帝は要点を話しつつ帝国魔法省最高責任者へと命じる。

 

「本日より帝都から領土内を移動をさせる亜人の軍団を帝国騎士団誘導のもと、巨樹のモンスターへとぶつける。その生き残った側を爺が高位魔法を持って絶命させ帝国内より完全に排除せよ。巨木のモンスターとの激突の後は全て任せる。これはバハルス帝国皇帝としての命令である」

 

 『任せる』という事は別に魔法省等の残存戦力を自由に使っても構わないという指示。

 フールーダは伸びた白い眉毛の下から瞳を覗かせ、長く白い顎鬚を扱きつつ僅かに一拍の間考慮すると口を開く。

 

「その命令、確かにこの魔法省最高責任者フールーダ・パラダインが受けましたぞ」

「うむ、頼むぞ爺。以上だ」

 

 忙しい身でもあり皇帝は多くを語らない。

 今回の命令には、秘匿していた死の騎士(デス・ナイト)と村娘も攻撃排除対象に含めている。完遂すれば綺麗に清算されるのだ。鮮血帝としてこれ以上の語りは余計というものである。

 一方フールーダは、『また表では死んだ事にすればいい』と考えていた。

 爺にとって――皇帝の命令よりも未知の魔法の方が、何倍も重要なのだ。概ね結果を出せば文句を言われる事も無い。

 死の騎士(デス・ナイト)についてはカルネ村にもいるわけで、()()死の騎士にもう用はない。小鬼(ゴブリン)の軍団もいらない。巨木のモンスターは一度実際に見ておく必要が有るだろう。だが基本豪火には弱いはずで、早晩木の燃えカスになる物体に過ぎないと。

 そういった事を思い出しつつ、フールーダは死の騎士(デス・ナイト)の肩に座る立派な衣装装備を身に付けた村娘エンリへと、再び新魔法への熱い視線を向けていく――。

 

 

 

 何やら途中で気持ち悪い視線を感じつつも、この状況ではと諦め気味のエンリであったが、軍団の陣幕へ戻ると帝国軍の昨晩来た騎士の使者2名が早くもやって来た。

 彼等曰く午前9時半より、魔法省敷地内及び帝都内からの移動を開始する準備が()()()で整っている旨の『知らせ』を伝える。

 これは『命令』出来ない話で、連絡水準となる事項なのだ。

 帝国からの通知に対して、椅子に掛けるエンリは頷くと述べる。

 

「こちらもそれまでに移動準備を進めておきます。先導をよろしくお願いします」

「今の閣下の御言葉を持ち帰り伝えます」

 

 使者2名はその様に告げて皇城へと戻って行った。

 昨夜、エンリ達小鬼(ゴブリン)大軍団へは金貨や糧食物資と共に荷馬車も供与されていた。帝国としては早く移動してもらう事に関し、必要経費は惜しまないという感じだ。

 その馬車群へ、寝具的な布類もエンリ自らの実演を参考指示に軍団の手で畳んで積み込み終えており、死の騎士(デス・ナイト)受け取り前には動ける形にほぼなっていた。

 捕虜であるアルシェは帝国軍の手前、見張りに雌の小鬼(ゴブリン)2体を付けていれば陣内で自由という形式をとっている。軍団内では護衛付きと言った方が分かり易い。

 後ろに続く形なので、意識しなければアルシェ一人という感じだ。

 彼女は曇天の空模様を見つつ思う。

 

(不思議……昨日の朝とは別世界ね)

 

 24時間前はまだ、隣国へすら轟く帝国魔法省の一般魔法詠唱者職員として頑張ろうと張り切って、雲間から眩しい陽の光の射す魔法省の晴れやかな正面門を潜っている頃の時間であった。

 それが、今や穢れた帝国に見切りを付け、その大国を力で圧倒する亜人の軍団内で闊歩している自分が居るのだ。今日だけでなく、明日からもどうなっていくのか全く不明である。

 ただ……このまま帝国魔法省の中で腐って行くよりかは良い気もしていた。

 帝国の使者来訪により席を外す為、陣内を見ていたアルシェが陣幕内へ戻って来ると、軍団長が優しく声を掛けてくれる。

 

「何か困ったことがあったら言ってね」

 

 アルシェの不思議は同時に、これだけの大軍団と一流貴族の蓄財に匹敵する金貨2万枚を得たにもかかわらず、全く人が変わっていない将軍エモット嬢へも向く。

 彼女は、ご立派な……典型的な田舎の村娘に見えていたのに、どういう精神構造をしているのかと。

 ただ、こういった金や権力での変化の無い姿に――尊敬の念が出て来ていた。

 

(本来、上に立つ者はこうでなくてはいけない。彼女は立派な人物だ)

 

 また一方で、肝が太いというのか、ナゼか弱々しさを感じないのだ。これまで見た所、指示も随所で的確さをみせており、もし帝国が戦いを挑んで来ても、正面から受けると決めれば凄い戦いを見せるのではと思えた。

 

 午前9時半より帝国八騎士団第一軍の精鋭騎馬15騎に先導される形で、帝国魔法省の敷地からエンリ率いる小鬼(ゴブリン)大軍団の移動が始まった。

 帝国騎士団第一軍の全軍1万騎余他、都市内の予備役及び皇城の衛兵から輜重兵の一部までが、都市内外経路封鎖と警備に充てられた。

 皇帝ジルクニフも、昨日より帝都内と自身の精神と金髪までを激しく掻き乱される要因となったその憎き女将軍の姿を一目、仇として記憶に焼き付けようと密かに経路傍の高さのある軍関連施設内の窓際へ立ち行軍列を観覧する。

 

「……亜人どもが帝都内を歩いておるわ。おのれ、女将軍め――」

 

 亜人については帝都内の闘技場で、冒険者達と小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)との対戦も、数度は見ていて目新しいものではない。

 なので、目が行ったのは小部屋程の体躯があり遠目にも立派な姿をした『森の賢王』と黒鎧で巨躯の死の騎士(デス・ナイト)、そして一際赤と黒で壮麗な軍服に漆黒の軍帽、最高級の紅色のコートを羽織った人物。

 夏だが、温湿調整もされた装備服であり彼女が汗をかくことは余りない。

 その娘の姿をジルクニフの眼が捉えた時だ。

 

 少女は飛び切りの美人ではない。だがナゼか――衝撃を受けていた。

 

 見事な衣装を見た為か……何かよくわからないまま、気が付けば彼は無言になっており、女将軍の姿は視界内で随分小さくなっていた。

 そのまま、エンリの大軍団一行は帝都アーウィンタールの()西()()()を出て、帝国騎士隊の先導指示通りに街道を南西へと進み始める。

 

 

 

 エンリ率いる軍団の帝都アーウィンタール退去の知らせを、5分遅れで蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)から受けたンフィーレア達カルネ村エンリ救出部隊である。

 

 しかし――昼間は部隊として不用意に動けなかった。

 

 人前に出て問題なく動けそうなのは、少年と幼い少女と認識阻害状態中のカイジャリだけであった。

 彼等は今朝仮眠を終えて4時半ごろから帝都内を脱出。

 取り敢えず、トブの大森林の近い帝都西側まで移動し、昼間も十分身を隠せる林を見つけるとそこに陣取っている。

 先程、村から持参した食料を食べ終えたところだ。一応少年の防水魔法で、水中移動での水による侵食は防いだのでまだ数日は傷まないはずだ。

 部隊が目立ち見つかってはエンリ達の問題になりかねず、ここはアンデッドであり不眠で疲労しない蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に頼るしかない。

 ンフィーレアはネム経由で空を自在に駆けられる彼へ、遠方からの追跡をお願いした。

 

 

 

 

 こうして、エンリ将軍率いる『トブの大森林』軍団は、帝国から退去するための堂々たる進軍を開始した。

 ただそれは巨木のモンスターとの邂逅が近付いているという事と―――帝国の未来が自業自得になる瞬間が一歩一歩確実に迫っているということである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. そういえば、あの人達は今

 

 

 カルネ村を襲ってアインズ一行に討たれたニセ帝国騎士団のスレイン法国騎士ら50程の死体。

 夜陰に紛れて回収された内、5体が食料等に回されている。

 隊長だったベリュースは、ナザリックの大宴会で出てきた死者の魔法使い(エルダーリッチ)ベリュー=3として死体を中位アンデットの基として再利用され、現在エントマ配下となっていた。

 

『フフフフ、私は死者の魔法使い(エルダーリッチ)ベリュー。アインズ様万歳!』

 

 どうやら名まで与えられたことで、忠誠心は大丈夫そうだ。

 死者の魔法使い(エルダーリッチ)は新たに6体作られている。

 また騎士ロンデスは、平均よりレベル2高い死の騎士(デス・ナイト)としてナザリック内で待機中。

 一方、死体の内の1体が実験で魂喰らい(ソウルイーター)になっている。

 更にロンデスの次にレベルの高かった騎士の1体が、実験で軍馬ともに蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)へ。

 あとの残りは全て死の騎士(デス・ナイト)に生まれ変わっていた。

 カルネ村近郊の先に滅ぼされた村々から集められた数百体の死体の山と、盗賊団の死体も順次有効的に再利用中だ。

 ただ、上位アンデッド蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)については、軍馬の死体が切れた段階で作成できていない。どうやら人間だけや下位の一般馬とでは無理らしい。

 彼ら新生アンデッドの活躍の場は近い――。

 

 クアイエッセ・ハゼイア・クインティア。

 クレマンティーヌの兄である彼の肉体は現在、第五階層”氷河”で冷凍保存されている。人間として最高峰のレベル40に近い肉体と武技も使えるということで、実験や蘇生も含めた利用方法を検討中である。

 あと彼のもたらした装備品類も別で保管され研究されている形だ。

 特に彼の指にはまっていた10個で1セットの召喚指輪は、最上位モンスターをも保持・召喚可能と言うレアアイテムであった。

 妹と再会されると少し面倒なので、その部分で支配者が蘇生には難色を示していると言う。

 

 

 

 弱肉強食であるこの世界の村長も当然ピンキリである。

 領主と癒着し私腹を肥やすヤツもいるが、それでも大半は周辺住民と共存している以上、村民寄りの立場で行動している者が多い。

 村人達の信任を得る者がその役を引き受けるので、村においては非常に大きな影響力がある。

 それは、和をとって世襲する場合もあったりなかったりで民主的な部分と言えよう。

 さて、カルネ村は周辺の辺境村と共に国王の直轄地で、税の取り立てもエ・ランテルから派遣されていて貴族領と比べればかなりマシな徴税官である。貧しい土地でもあり、幸い長年に渡り国からの無茶は無い。

 今の村長は元々前村長の一人息子で、それを継いだ形である。温厚で面倒見が良かった彼は慕われて、すんなりと皆から当代の村長に選ばれた。

 彼はそれなりに頑張って来た。ただ村長夫婦には平凡な性格の一人娘しか生まれず、既に村の農夫へと嫁いでいた。

 一応、義理の息子は性格のいい青年といえるも、村を任せるには少し不安があった。

 なので村長自身が健康でいたので、行ける所まで自分が頑張ろうと過ごしていた。

 

 そんな中で――いきなり大切な村は異国の騎士団に襲われる。

 

 顔見知りの村人達が3分の1も死んでしまう悲劇……。

 長年トブの大森林の脅威から伝説の『森の賢王』に守られ、油断して何も村の危機管理が出来ていなかった。これは紛れもなく村長の過失だろう。

 彼は、大きい衰退を逃れられない村への不安と、村民を率いていく自信を大きく失った。

 

(私如きに、このまま村長の身である資格はない……)

 

 その考えに拍車をかけたのが、カルネ村の絶体絶命の窮地を救ってくれたアインズ・ウール・ゴウンを名乗る旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)様が村へ残ってくれた事だ。

 彼はあの有名な王国戦士長にも認められ、更になんと国王陛下にまで王城へと招かれているほどの人物。

 かの御仁は両親を失った村娘の一人を見染め気に入り、その家に残ってくれている。

 またその村娘――エモット家の長女は利口で活発で、幼いころから何故か人を引き付け引っ張る気質を持っていたように思う。良い例が大都市から時々来ていた有名で裕福な『バレアレ薬品店』の御曹司で天才薬師の少年だ。村長にすれば、あの少年とくっつかなかったのは不思議なことであるが……。

 

 村娘エンリ――まだ村へ来たばかりの恩人へ村長をさせるのは難しいが、その嫁ならばと――。

 

 更に都合よくエンリが魔法詠唱者から頂いたと言う、間違いなく高価な魔法アイテムで小鬼(ゴブリン)の小隊を「村の護衛に」という名目で呼び出していた。

 その兵1体で、村一番の戦力であったラッチモンを優に凌ぐ強さで、もはや彼女が村の軍事部分を握る位置に立った。

 ただ、流石にいきなり「村長」を若い村娘に告げるのは、年長者として無責任というものだろう。故に村長はまず、「村の防衛責任者」へエンリを任命する。

 少女は、予想通りその利口さと部下になった小鬼(ゴブリン)達や、協力関係というアインズ様が生み出し村人の仇を討った敬畏の存在である死の騎士(デス・ナイト)達、そして村人らも含めて人を率いる才を発揮して、円滑に村運営の大きい部分を回すに至っている。

 村長は近頃強く思う。

 

(ふう。もういつ村長を譲っても大丈夫だろう)

 

 最近、大都市から2人と他国の騎士に襲われた別村の生き残りの3人だが村の仲間に加わった。

 村の人口は、亜人を含めれば3ケタへと回復し活気も出て来ており、あの惨劇から劇的と言える回復を見せていて村長の顔は日々穏やかになってきている。

 たった一点、気になるのは、大都市から来たあの御曹司で薬師の少年の存在だ。

 明らかに若い村娘エンリへの激しい横恋慕を感じさせる。

 村の英雄で、エンリの旦那であるアインズ様とエンリを交えて面会したとも聞く。

 村へ引っ越して来て2日目に村長が作業小屋候補の家へと案内しながら、ふと冗談で「逃した好物の獲物は随分と大きかったんじゃないかね」と尋ねたのだ。

 あとで思うと、村長は純な少年を派手に煽ってしまったとしか思えなく……少し後悔している。

 その時に少年からとんでもないことを聞いていた――信じられないが。

 

「僕は……まだ諦めた訳では――――いえ、なんでもないです」

 

 幸い「何を?」とは確認していない。

 一抹の不安を村長は「私は何も聞いていない」と記憶の奥へ全てを押し込んでいた。

 

 

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグの妹、ビルデバルド=カーマイダリス。体長は25メートル以上もあり、その全身は翼も含め見事な黒紅の鱗を輝かせる優美な姿を持ち、潜在的総合戦闘力は大陸北西部で有数を誇る程だ。だが現在、彼女はスキルを常時使用し自身の強さについてステータスを幾分下げて見せていた。もちろんそれは、昔から知る『お姉ちゃん』の水準に気を遣っての話である……。

 アーグランド評議国建国時、彼女は姉の復活を一族揃って待っており戦闘には一切参加していない。なので彼女の一族からの参加は、義勇兵として出た僅か竜兵3体にとどまる。

 そのため、部族の実力がありながら永久評議員7名に名は列せず、一般評議員の末席のひとつという位置にあった。

 また彼女は普段、己の力を大して振るう事は無かった。

 だから長年、国内では随分と力が過小評価されてきたのである。先の対ガテンバーグ国討滅戦でも参加しなかったのは、きっと彼女を筆頭に「実は凄く臆病で弱かったからだろう」というもっぱらの噂であった。

 しかし――それはとんでもない間違いであった。

 100年以上前になるが里を訪問し、偉大な母と姉を馬鹿にしてしまった愚か者の火精霊系種族の評議員が現れたことで、その飛び抜けた実力が全国へ鳴り響いた。

 

 背丈5メートル越えの難度200に近い護衛ゴーレムを、たった一撃で粉砕してみせたから。

 

 彼女の実力は古老の竜王(エインシャント・ドラゴンロード)でも化物級であったのだ。

 以来、評議会で彼女に喧嘩を売る者はいない。

 そんなビルデバルドだが、ずっと姉を待ち竜王は名乗らず。また強さ故か、一族にも他の竜族からも彼女へ言い寄る殿方も現れず――。

 だが転機が来た。

 大望の竜王である姉がついに約500年ぶりで復活したのだ。

 ゼザリオルグは煉獄の竜王らしく、一族内の屈強の者ら300余を率いて人類へ報復としての殲滅戦争を仕掛け、颯爽と評議国から隣国の人類国家へ出撃して行った。

 

 ところが華々しい姉の進撃は、隣国の一つ目の大都市を廃虚にしたところで停滞が始まる。

 一つは軍団内で敵都市殲滅という大戦果を背景に、この侵攻へ関して一応ながら評議国承認でという動きがあった事。

 そしてもう一つがゼザリオルグの強引で大規模なこの侵攻行為に対し、国内で戦争に異を唱える永久評議員を中心とした保守派の連中や、中立派ながら戦争の裏で派閥勢力拡大と大儲けを企む新興勢力らの利権勢評議員連中までぶら下がり始め、古い永久評議員達との軋轢が頂点に近付き、議会情勢が混沌としてきた事だ。

 姉の英雄的行為へ対し、議会の連中はまるで評議国の御荷物的扱いを思わせており、妹のビルデバルドは非常に憤怒が溜まって来ている。

 交戦派の彼女は竜王らしい、暴れまわる強いお姉ちゃんが大好きなのである。

 一方で中立の連中の多くを率いるゲイリング評議員は、まず戦場で大量に確保出来そうな人間奴隷で大儲けしたいらしく、欲を丸出しで交戦派へ接触して来ていた。

 ゲイリング評議員の要望はハッキリしている。

 ビルデバルドを中央都にもある広大な滞在屋敷へ招くと、彼はひとつの密約の内容を告げる。

 

「戦場で得た全捕虜の7割を無償提供して欲しい。そうすれば、我らの派閥は交戦に関して賛成へと回りますぞ。あと食料や必要品に関してご所望ならば、更に2割分の捕虜提供でいかがかな? ブヒッ、グヘヘヘッ」

 

 姉のゼザリオルグからは当面の援助物資と引き換えに、先日攻略した大都市捕虜の一部譲渡という形で早速近日に相互輸送が始まる話で纏まっていたが、欲深い豚鬼(オーク)の評議員は全然満足できなかったのである。

 ゲイリング評議員の難度は140程度。新興勢力の者としては、強さはそれなりらしい。

 だが下品さは最後の笑いでも如実に伝わって来るトップクラスの豚野郎な感じだ。

 それに彼が率いる傘下の『ゲイリング大商会』系列は評議国でも有数の経済圏を持つ。

 彼等の要求は、姉と一族の軍団が少なくない死者まで出して得た人類圏側の捕虜の実に9割を寄越せと言って来ていた……。

 ゼザリオルグの炎竜部族は、実力はあったが長年に渡りビルデバルドが財宝類を集めることなく静かに暮らしていた為、それほど裕福ではなかったのだ。姉達は食料などを現地調達という形で隣国へ乗り込んでいる。

 評議国の多数決による最終意向や手厚い援助を得るには、現状でこのゲスの率いる派閥と手を組むしかなかった。

 勿論、「取り分が余りに多すぎる」「他に頼むぞ」「我らの力を侮るなよ」との文句も告げた。

 しかし巧者のゲイリングは「手回しには色々と必要でしてな」「ほう、私以外の他の者が話を聞こうとしましたかな?」「私達や国内に被害が出れば姉上君への助力は難しいでしょうなぁ」と周辺や交戦派の議員の多くへも手を回していたのだ。

 なにせ、彼ら中立派の経済力や影響を受けると、食料や武器、生活必需品を抑えられてしまい評議国内での日常に大きな不便が起こるのを評議員の多くが知っており避けようとした……。

 目の前の豚は、それらの話も余裕の笑顔に「ブヒッ、ブヒッ」と交えながら会話の端々に滲ませ語る。

 周囲の動きを完全に抑えられていることを思い知ったビルデバルドは、遂に右の前足を振るわせつつも、苦渋の選択による言葉を述べていく。

 

「分かった……よろしく頼む、ゲイリング殿」

 

 横の繋がりや知人も少なく、実のところ交渉力と政治力が苦手で低かったビルデバルドは、建国前の共同戦線を始め、評議国の合議体制にずっと馴染めていないのだ……。

 

(くすん……お姉ちゃん……私、役立たずの力不足でゴメンね……)

 

 交渉が終り、竜王の妹が長い首を垂らし下を向きつつ巨体ながらトボトボと廊下を歩く。

 ビルデバルドは後方で高笑いの声が微かに聞こえるゲイリング評議員の広大な邸宅から外に出ると、翼を広げ日が西へ傾き始めた空へ足早に去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 『死の支配者』は当然、彼らの死後をも支配する

 

 

 アインズとガゼフは密談場所であった国王執務室を離れ、夜の王城内を回り込みながら宮殿へと向かう。このときになると警戒場所からも距離が空き、小声での会話が自然と起こる。

 その中で戦士長は当然ユリの事もあったが、それよりも先にカルネ村近郊での陽光聖典の件について尋ねて来た。無論、周囲への油断無く秘匿事項は伏せた形でだ。

 

「ゴウン殿、やはりあの村へ来た異国の連中へは上位の魔法で攻撃されたのか?」

 

 それに対し、横を歩く仮面の魔法詠唱者は前を向いたまま泰然と返した。

 

「彼等はまあ……(ドラゴン)程の強敵ではなかったので違う魔法でですが。あの敵には――見知らぬ遠方へと飛んでもらいました。ですので、今も生きているのかは分かりません」

「ほぉ」

 

 ガゼフはあの時の、魔法での戦士騎馬隊隊員らごと入れ替わったカルネ村での経験を思い出し、確かにゴウン氏なら可能だと再認識していた。そういう事ならばあっさりと無傷での完全勝利にも納得がいく。ただ、遠方と言っても戦士長の常識から距離に相違があった。

 

「では再び現れる可能性もあると?」

 

 それに対してアインズは顔を戦士長へとゆっくりと向け静かに答える。

 

「未開の恐るべき怪物達から生き残れれば……そうですね」

「……(相変わらず厳しい御仁だな)なるほど」

 

 ガゼフは理解した。陽光聖典の連中が、恐らく大陸中央部寄りの想像を絶する地域まで飛ばされたのではと。

 ゴウン氏一行は旅の途中にそれらの地域を見て来て生き残り、今ここにいるのだろう。

 この人類圏で精鋭のスレイン法国の特殊部隊といえども、相手の規模や強さが分からない怪物等の巣窟地帯へ放り込まれれば、いずれ餌になるしかない……。

 納得気味の顔に変わった戦士長へ今度はアインズより問い掛ける。

 

「そういえば、先ほども大臣代行より聞きましたが、戦士長殿も確認されている貴族方の兵の集結具合は何も問題もなく順調ですか?」

「ええ。隊同士での小さいいざこざは勿論有るが、今のところは。あぁ……ただ1件――先日近郊の男爵の隊列が王都への道すがらに冒険者風の異常者から襲われ、兵達の多くが殺されて男爵は片腕を失い重傷を負ったと聞いている。幸いにも王都の神殿で手当てを受け、命に別状はないらしいが」

 

 その話に、仮面に隠された支配者の紅き光点が僅かに細まった様にみえた。

 

「そうですか。随分とお気の毒な話ですね」

 

 アインズはそれだけを返す。

 戦士長はこの件の話をまだ少し続ける。

 

「しかし()()()()()に、その目撃された犯人とそれを最後に倒したと思われる騎士の姿が――消えたらしい」

「それはまた一体……」

 

 聞けば、一度は逃げ出した兵達が現場へ戻って来て、男爵の腕を縛り止血し助け馬車へと運んでいる間に、こと切れていたはずの二つの死体が無くなっていたというのである。

 

「幾分おぞましい話になり申し訳ない」

「いえいえ」

 

 そう返すアインズの仮面の下の表情は、まずまず計画通りという笑みを感じさせた。

 元黒服の男ゴドウは生き残れば、狂った記憶で余計な事をべらべらと喋るかも知れず、フューリスも腕を失った上で死に直面し大いに恐怖したはずで結果良しと。

 ゴドウは死亡後、自動アイテムでアンデッド化したのである。傍の騎士の死体は、当面の仲間として連れ去ったのだ。男爵の右腕も共に……。

 フューリスが死んでも、ゴドウがルプスレギナからのアイテムを使いアンデッド化して去る予定であった。死した後まで有効に使う事が、地上の物資を無駄にしない事へも繋がるとして。

 これが、最近の絶対的支配者の考えでもある。

 

 間もなくアインズとガゼフ両者の視界に、ヴァランシア宮殿の入口が見えて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. シズ デレた その瞬間

 

 

 ガゼフと宮殿前で分かれ、用件が一つ済み気持ちを次へと切り替えるアインズ。

 絶対的支配者は宮殿正面玄関から中へ進み、赤絨毯の階段を上って3階の宿泊部屋前へと戻る。

 午後10時を回り、平時の就寝時間を過ぎた宮殿内は階段や廊下に設置の〈永続光(コンティニュアルライト)〉が光量を落とされて灯る。

 扉を叩くとユリが優しい笑顔で恭しく開けてくれ、「おかえりなさいませ」と整列した(王国、法国、帝国で)三国一だろう可愛く美人揃いのメイド達の出迎えを支配者は受ける。無論、不可視化のナーベラルもお出迎えの礼を壁際でだがしてくれていた。

 

「うむ」

 

 アインズの(あるじ)らしい重みのある声が、人間のツアレも含めメイド達へと届く。

 その声に彼女達は安心感を覚える。特にプレアデス達は、自らの存在意義を感じさせてくれる唯一無二の存在の帰還を認識するのだ。

 本日は入浴日でなく、本来午後10時ならこの部屋もツアレの就寝を含め自由な時間帯に入る。しかし主が城内の用向きで動いている場合は当然、主を待ち続けるのがメイドというもの。

 そのため左腰に魔銃を差すシズも、無表情ながら内心では気を張って大切なご主人様の帰還を待ち続けていた。その桃色の長く美しい髪を垂らし頭を下げる彼女の前を、主が堂々と通り過ぎる。

 支配者の通過を機に頭をゆっくりと一斉に上げたメイド達は、アインズの動きを見守る。

 その視線群の中で彼は、先程シズが心を込めてカバーを取り換え綺麗に整え終えた、いつもの一人掛けのソファーへとゆっくり座り寛ぐ。

 そこからメイド達は、持ち場へ戻ったり帰還した主へ手拭きや飲み物を用意したりと動き出す。

 シズ・デルタは立ち位置へと戻りつつ、視界の中でソファーへ満足気に座るご主人様(アインズ)の様子にホッとしメイドとしての充実感と幸せを感じていた。その喜怒哀楽の少ない表情からは(うかが)い知れないが。

 彼女の体内は、頭部を含め全てが機械仕掛けである。

 

 しかし、その(ハート)は熱く豊かな感情を有していた――。

 

 シズは、日頃から自分自身を他の者達とは少し違う存在だと感じている。

 なぜなら彼女は他の姉妹達やナザリックのNPCらと違い、痛みという感覚を一切持たない。異常があれば返って来るのは不具合内容と『ERROR』という情報だけなのだ。だから、死や損傷に対しての恐怖は余り感じていない。

 でも――至高の御方へ関する感情は別のように思われた。

 

(……ずっと傍で……お護りしたい――)

 

 身体を構成するパーツの中でも心臓部(コア)にあるのだろう思考を司る器官がそう叫ぶのだ。

 シズはこの新世界へ来てから主との同行が増え、多く傍に仕えることが出来てとても嬉しい。

 以前は第九階層の一角で長年ずっと待機のみであったから……。

 彼女は自身を戦闘兵器と理解している。だからこそ主に使ってもらっての存在だと考えている。

 ところがこの新世界へ来てすぐ、自動人形(オートマトン)の彼女にとって衝撃的な事件が起こったのだ。

 ナザリックから支配者と共に、敵規模の不明な近場の小村らしき集落へ出撃したまでは凄く良かったのである。これで、主の盾として散る事が出来れば最高の存在意義を見い出せると。

 そのはずが、なんと強敵の登場が危ぶまれた時、「私より後ろへ下がれ」と護るべき御方に護られてしまうという事態に直面してしまう。

 戦闘兵器であるシズは、本気で拒否しようとした。

 でも不思議である。その主の言葉がとても暖かく、そして嬉しかったのだ……。

 

(……アインズ様……)

 

 多分その時点からだろう。彼女は心臓部(コア)の温度が僅かな上昇と鼓動を始めたように感じた。

 そして下等な無礼者を1名、魔銃で撃ち殺し仕事を終えたあとの事も興味深い。

 シズは護られた上に支配者から「良い反応であったな」とお声をいただいてしまう。

 

 更に革命的なのは絶対的支配者からのご褒美――撫で(ナデ)である。

 

 オカシイのだ。最高精度を誇る体内の全センサーに変わった反応は全くみられない。

 ところが心臓部(コア)が、そして(ハート)が激しく鼓動し非常に熱く感じていく。頬の外装も赤身を帯びていく気がする。

 極め付けにそれでいて『ERROR』が全く出ないのだっ。

 シズには訳が分からない……。

 

(――なぜ?)

 

 しかし、それは共に村まで草原を歩いていたソリュシャンの小声の一言で納得出来た気がした。

 

「ふふっ、アインズ様からの“愛”をとても感じますわね」

 

 

 そう、これが『愛』なのだと彼女は初めて認識した。

 

 

 その時、シズの口許が初めて微かに緩んで見えたことへ気付く者は誰もいなかったが……。

 今日もヴァランシア宮殿の滞在部屋の壁際へ立ち、相変わらず無表情のシズである。

 しかし、御方へ向けられているその機械仕掛けのイエローグリーンの瞳が放つ、ターゲットスコープ的視線には熱い『愛』が籠っているのだ。

 

(……アインズ様……私の最期の一瞬まで……ずっとお傍で―――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 この星の世界は、どの地も雄大な自然がどこまでも広がり本当にとても美しい。

 その輝ける地平線から再び日が昇り、新しい朝を迎える。

 昨晩はイロイロあったけれども……。

 さてアインズ一行は、本日予定通りこのアーグランド評議国小都市サルバレの西北西120キロ程にある首都の中央都へと向かう。

 目的は、竜王軍団の苦戦情報が入った段階で、中央評議会にて王国からの竜軍団撤退へと方針転換させる事。

 

 つまり、有力派閥を動かす実力者豚鬼(オーク)族長の1体、ゲイリング評議員の懐柔だ。

 

 この実現に(あるじ)は、昨晩も大商会本店及び議員宅へ侵入し早朝に帰還したハーフネコマタのキョウより聞いた情報を数時間整理し、午前10時を前に出立の準備を整え動き始める。

 なおこれら評議国への潜入工作は、殆どルベドの忠誠心維持対策の一環である。

 やると口にした以上、支配者にはただ行動あるのみ……。

 

 

 

 アインズが未明の午前2時過ぎに宿へと戻って来た直後、隣の部屋からルベドが〈転移(テレポーテーション)〉して来た。

 見ると、ルベドの顔には不満が滲んでいる。

 

 そう――誘拐されたエンリに、ネムがまだ再会出来ていないからだっ。

 

 あの後、どれほどの時間〈千里眼(クレアボヤンス)〉で見ていたのかワカラナイ。しかし彼女の可愛くも恐ろしい態度が今の感情を物語っている。

 ルベドはアインズの胴にあっさり抱き付き、上目遣いで見上げつつ告げてきていた。

 

「プンプン。アインズ様、これは一体どういう事だ?」

 

 返事次第では締め殺されかねない鯖折り(サバオリ)体勢に移行済だ……。

 この部屋に護衛として控えていた2体のレッドキャップス達は何も出来ず、最早見ている事しか出来ない。

 一瞬での間合いの詰めは見事。流石は近接戦闘で無類の強さを見せていただけの事はある逸材。

 接触され完全に逃げ場はなく、〈転移(テレポーテーション)〉するよりも折る方が確実に早いだろう。

 アインズは観念し、ルベドを――両手で優しく抱き返しながら答えを考える。

 勿論、時々右手で頭を撫でてやる事も忘れない。すると最強の守護天使は、純白でモフモフの羽根を僅かにパタパタしてくれるのだ。

 甘えに来ているのか、殺しに来ているのか不明だが、アインズは状況が甘くない事を理解している。

 だから、更に強力な餌を撒いて行く。

 

「そうそう、先程アウラから姉妹で披露する出し物の準備が出来たとの知らせを受けたぞ」

「素晴らしいっ! ――ハッ……むむむ」

 

 逃れられない彼女自身の(さが)を思い知らせなくてはいけない。その素晴らしい踊りは、支配者と一緒でなくては見れないのだと。

 これで今、容易には手を出せないはずとアインズの骸骨の口許がニヤリと思わず緩む。

 絶対的支配者は更に完全なるトドメをこの天使へと刺しに行く。

 

「ルベド、お前はエンリ達の手紙のやり取りを見たか?」

 

 支配者の胸の中から見上げつつ、彼女は上目遣いに小さく頷く。

 でもそれは、男が姉のエンリへ手紙を書いたに過ぎない。それはつまらない。

 ところが――。

 

「姉の返信を少年から見せて貰った妹ネムの笑顔を、今朝だと思うがお前も見たはずだ」

「――ぁ、あああーーっ」

 

 姉妹守護天使は鮮明にネムの可愛い笑顔を思い出し、そして大きく声を上げていた。

 

 姉妹の仲とは、会う姿だけを見るのが全てでは無い事にルベドは改めて気付く。

 

 アインズは勿論その様子までは見ていない。しかし――この可愛い天使は絶対に最後まで見ているだろうと考えていた。

 絶対的支配者は完全勝利を確信しつつ一言優しく問う。

 

「どうだ?」

「ア、アインズ様……凄い。――上級者過ぎる。尊敬するっ」

 

 ルベドは誤りを認め御方の腰から手を離すと、彼の胸へと何度も頬をスリスリして甘えた。

 アインズは、ルベドの紺の綺麗で艶やかな髪を優しく撫でつつ心の中で小さく「ふぅ」と胸を撫でおろす。

 こうしてアインズの腰と、またしてもナザリックの平和は無事に守られた――。

 

 

 

 その後、ミヤの話等ルベドとの触れ合いもそこそこ(彼女の姉妹話は尽きないの)で終え、調査に出ているキョウもまだ戻って来そうにないので、支配者は次に冒険者モモン役のパンドラズ・アクターへと繋ぎ昨日になるが1日の様子を確認した。

 モモン達には大した動きも無く、怪しまれないよう昼間に外出したぐらいとの事。

 マーレにも繋ぎ、1日の働きを労う言葉を掛けた。また、姉から踊りの話を聞いた事を伝えると「が、頑張ります」と可愛く返してくれた。

 冒険者担当との確認を終わらせ支配者は、次の確認先を考える。

 王城へは、3時間程前に繋いだところなので、次に竜王国のセバスへと繋いでみた。

 彼等が乗り込んでから初めての通話である。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。セバス、私だ。今、大丈夫か?」

「これは、アインズ様。はい、大丈夫でございます」

 

 〈伝言(メッセージ)〉の場合は本人の声しか聞こえない為、周りの状況は分からない。

 セバスの返しの言葉に、支配者は竜王国の様子を問う。

 

「戦況はどうだ? かなり厳しい話は聞いているが?」

「はい。前線都市はいずれもかなり切迫する形で拮抗しております。南北に三つ並んだ都市の内、北から二つは手堅い守りをしておりますが、南の都市が少し都市の造りが弱いようでしたので、そこへ部屋を借り拠点を置いて対処しております」

「なるほどな」

 

 その後、滞在する部屋や都市の話、獣人(ビーストマン)側の増援の動きについて10分弱会話が続いた。

 

「まあ、くれぐれも()()()()()ようにな」

 

 アインズの気掛かりはそれぐらいである。

 殆どが難度30程度の獣人(ビーストマン)達では、戦力的にセバスとルプスレギナをどうこう出来るとは思えない。

 その懸念に対してセバスは(あるじ)の命であり、自信を持って当然との言葉を返す。

 

「もちろんでございます、アインズ様。今のところ――特に大した事は何も」

 

 どうやら、先日粉砕した敵のゴーレムはザコ過ぎたらしい……法国対策の超秘密兵器がだ。

 

「そうか、ではよろしく頼むぞ」

「はい、畏まりました」

「ではな」

 

 終始普段通りのセバスの口調に絶対的支配者はすっかり安心して通話を切った。

 ちなみに、この会話の間にセバスは獣人(ビーストマン)兵を50体以上間引いていた……。

 

 どうもキョウの戻りはまだ遅いようなので、この隙にアインズは一旦ナザリックへ日課を熟しに〈転移門(ゲート)〉を開き移動する。

 まず第二階層で30分ほどアンデッド作成の後、第九階層のアインズの執務室で統括及び階層守護者との打ち合わせ(新小鬼(ゴブリン)軍団の居住区開発他)に各種書類の確認と承認作業を1時間半程。そして再出立の間際には統合管制室で一応エンリ達の状況確認もして午前5時を前に評議国の宿部屋へ戻って来た。

 するとフサフサな毛並みのネコマタ状態のキョウが既に情報調査から戻って来ているのはいいが、確認も無く()()()()()アインズの滞在する男部屋側の中に立っていた。

 絶対的支配者の登場に猫耳や髭を揺らし臣下としての礼をとるキョウ。

 だがここで、アインズには()()()なにやら不機嫌そうに見えた。

 絶対的支配者は、この原因へピンと思い当る。

 

 そういえば――キョウにも何も知らせていなかったと……(ヤバイ)。

 

 

「お帰りなさいませ、アインズ様。ところで……何か私に仰るべきことはございませんか?」

 

 どう見ても、これはルベドから殆ど聞いている態度にみえた。

 気付くとすでに、脇へ居るレッドキャップス達5名も緊張の表情で固まり、直立のまま微動だにしていない……。

 彼女は、戦闘メイド六連星(プレアデス)らから引き継いで友好保護対象地域のカルネ村をナザリック地下大墳墓の名の下、正式な立場で守る者。

 正当継承者として、キョウは少し怒った表情で質問を向けてきていた。

 昔からいる他のNPC達はアインズへの遠慮があると思うも、この子は転移後に調整し稼働した正に我が子のようなNPC。更に善としての心もあり、この怒りはまさに正論で正当。

 

(娘に怒られる、父親の気持ちってこんな感じなのか……これは……コワイ)

 

 支配者の精悍な頭蓋骨の眼窩(がんか)に灯る赤い光点の目が思わず右へと泳いだ。

 しかし、至高の御方として逃げる訳にはいかない。

 咄嗟にアインズ・ウール・ゴウンとして吐いてしまった言葉はこれ。

 

 

「――御苦労」

 

 

 だが彼女の右目と眉がつり上がる瞬間に、次の言葉を即時に早口でモモンガ的に両手を広げ宥めながら語り掛ける。

 

「――いやあのな、何を優先すべきか私も悩んだのだ。お前がカルネ村の現責任者であることは分かっているし、エンリと仲良しである事も理解しているつもりだ。あの、その、つまりだな―――連日忙しく仕事に集中しているお前に、余計な心配を掛けたくなかったのだ」

 

 最後の言葉を聞いた時、キョウの態度に変化が出た。

 右手をぎゅっと握るとそれを豊かな胸元へと当てるポーズで上目遣いに探る姿へ変わる。

 そして、確認するように尋ねて来る。

 

「……本当に、ですか?」

「本当だ。だから、まず私自身が動いたのだ」

 

 頷きつつ、至高の御方は語気を強めながら落ち着いて伝えた。続いて語り聞かせる。

 

「まあ、結果はエンリ自身の上手い判断に因るところも大きいが、ナザリックの支配者として最大限助力出来ているはずだ」

「……はい、確かに」

 

 キョウは、現状を総合的に判断すると『犯人に対しての直接的処罰』がないけれど、それ以外は丸く納まっていると考えられた。

 この地でのキョウの潜入調査についてもだ。もし、最悪彼女がエンリの件で抜けた場合、調査が遅れ、評議国でのスケジュールが狂うことになる。また残って調査続行時も、誘拐の報告を聞いていたら興奮して冷静に調査を実行できたかも怪しい。ミスをして潜入が発覚し大事(おおごと)になって……それらは(あるじ)の計画全体に影響が出るかもしれないのだ。

 更に、エンリ救出で(はや)ったキョウが帝国で戦うような状況になった場合、帝国での問題も同時に発生する事となる。

 冷静に考えれば、現状よりも良い状況になったり良策とは到底思えなかった……。

 目の前のネコマタ娘の様子がまた変わった。

 己の早計さで元気なくシュンとしてしまう。

 そんなキョウへ、絶対的支配者は傍へ寄ると優しく頭を撫でつつ声を掛ける。

 

「キョウよ、お前はこの1日、受け持った仕事をきちんと熟してきたのだろう? ――それでいいのではないか。本当にお前の力が必要な時があれば、今回の役目みたいに私が直々で声を掛ける。それを待て」

「はい。アインズ様。もぅ――」

 

 謝ろうとしたキョウへと被せるように告げる。

 

「よい、不問とする。お前の真剣さは十分伝わった。まず知識を増やし視野を広くせよ。そうすれば見えて来るものが多くなり、判断材料は増える。これも良い経験だろう(お互いにな)」

 

 彼女は稼働して間もない者で、経験が絶対的に少ない。

 今の件ぐらいなら、しばらく目を瞑ろうとアインズは考える。

 それにNPC達の士気も考えれば叱るのは、まるで反省をしない場合や、もしくは致命的な事象か、繰り返しの愚かしいミスが妥当であろう。

 アインズとしても、配下対応の教訓の一つとなった。

 それからすぐ、アインズは気落ち風のキョウを褒めフォローしつつ、持ち直させ報告を受ける。

 彼女の情報はゲイリング評議員に関する中々面白い話が集められており、交渉の手札が増えそうである。話を一通り聞いてこれまでの要点を書き出しキョウと二人で整理すると、もう朝9時を迎えていた。

 

 

 

 絶対的支配者達一行の中央都への出発予定時間は午前10時である。

 でも子供にはそれまで役目は無い。

 

「ふぁぁ」

 

 平和な朝である。ここに虐待や『新鮮なお肉』としての死の恐怖は皆無。

 元奴隷少女()()はアインズと姉のキョウ達の居る隣室で8時頃から起き出していた。

 

(暖か……)

 

 ベッドで薄めの掛け布の中でゴロゴロ。

 これが安らぎという気持ちなのか、まだそれすらもよく知らない。

 添い寝をしてくれていたルベドが、すぐ相手をしてくれて嬉しい。中でもたまにしてくれる、5メートル程の天井へ届きそうな絶妙の連続投擲による『高い高い』が最高だ……「キャッキャ」という声が出てしまうほどに――。

 

 ルベドは、アインズ達の動きを待って少女と戯れていた。

 9時を15分弱過ぎた頃に一行達は朝食をとると、午前10時の少し前に出発の準備を整え終った。そのまま商業地区内の宿泊していた宿を引き払い、都市の北西側正門を抜け街道を進む予定。

 先頭にはキョウが立ち、小鬼(ゴブリン)レッドキャップ5体が続きその後ろにアインズ、ルベドの順とする。

 子供の()()については、先日と同じく不可視化するルベドが大事に抱えると言い張る。キョウの妹なのだが、完全に情が移ったかの勢いである。

 ミヤも外はまだ怖いのか、出発前からルベドとキョウの傍から離れずいた。宿に入った日から彼女は、キョウが街中で探し買い求めた下着や肌着を身に付けており、服も先程アインズがデーターライブラリから可愛いものを見繕って提供され着替え中。

 間もなく似合いの可愛らしい服へ青紫色系のローブを纏った姿が、アインズを始め皆の前で披露された。

 髪は切り落とされて坊主頭のため、当分は合わせた青紫色系の綺麗な布を巻いて被る。

 食材として奴隷繁殖飼育区画『牧場』で隔離人生を送り、死の恐怖を味わった幼い少女ミヤ。それが幸いなのか、まだ先入観となる知識をそれほど持たないこともあり、思いのほか異形種への抵抗はなかった。

 逆に助けてもらったという温かい記憶で占められていく。

 

「ありがと、ございます。アインズさま、姉さま、ルベドさま、皆さん。ボクは嬉しです」

 

 髑髏顔の支配者を始め、皆へ優しい笑顔でペコリと頭を下げ礼を述べた。

 

「うむ。ミヤよ、私や姉達に孝行しナザリックを大切にせよ」

「はいっ」

 

 アインズは恩には恩を、礼には礼を返す者。幼年で人間だからという差別はしない。

 大きな優しい手で御方はミヤの頭を撫でてやった。彼女はくすぐったそうにはにかむ。

 この幼女は、まだ全く知るはずもない。

 自身が既に世界の勝ち組の中でも頂点の一員に居る事を。

 彼女の義理の姉のキョウは、ナザリック地下大墳墓の主、アインズ・ウール・ゴウンの生み出したNPCなのである。支配者にとっては娘も同然なのだ。

 ――これはもう、オソロシイ。

 

 そう、ナザリック地下大墳墓守護者統括(アルベド)の反応が。

 

 この娘がネムの様に強い事を祈るばかりである……。

 準備万端の支配者ら9名は、意気揚々と小都市サルバレを後にした。

 

 

 

 一行がアーグランド評議国の首都、中央都へ着いたのは午前11時前の事。出発から僅かに1時間足らずだ。

 もちろん正直に120キロも地上を歩く訳もなく。

 彼等は滞在していた都市の門を出て30分ほど歩いたところで休憩する振りをしつつ、脇道の通る人気(ひとけ)のない林の中からアインズの〈転移門(ゲート)〉で思い切りフェードインフェードアウト的ショートカットを実行していた。

 そして、支配者一行の再出現した場所は中央都南西側の近郊。中央都において小都市サルバレから最も遠い位置になった。これは無論、行動経路の偽装でもある。

 北東へ20分程歩いて到達した中央都の大門での検問は、先の小都市と同じ様に顔や身形の確認のみで名前を問われることはされず問題なく侵入出来た。

 まあネコマタのキョウに対し、胸も大きく随分美人だと獣人(ビーストマン)の雄の守衛が数人、色目を使って来て困ったぐらいだ。

 こんな時のためのLv.43を誇る用心棒小鬼(ゴブリン)レッドキャップスである。

 難度129が5体も居れば、並みの衛兵では束になってもどうにもならない水準といえる。

 争うまでも無くレッドキャップスの気迫ある睨みだけで獣人(ビーストマン)の雄達は、慌てて目を逸らし諦めた。

 そうして、アインズ達は都市内の道を進んでいく。

 都市は旧人類国家の首都だった場所で、廃墟とはならずエ・ランテルと同様に半径3キロ程の円形で二重の外周壁に護られて大通りも石畳で整備されていた。外周壁門は全て巨大な塔の下に設けられている形だ。中央都周辺に住む亜人個体数は約15万。

 門から大通りを進みすぐ、支配者一行は噴水の有る休憩場へ寄ると、早速キョウに都市内のレベル上位者の探査をしてもらう。なおアインズ、ルベド、キョウは最上位アイテムで誤魔化しているので、バレることはない。

 すると、Lv.50を超えるものが9体。その中で更にLv.70を超える者も2体確認された。

 

「ほぉ」

 

 アインズは思わず小声を上げる。

 Lv.70――ここまで来るとユリらプレアデス達一人一人では装備差を考えなければ概ね撃破される水準。ここに居るレッドキャップスが総掛かりでも確実に全滅するだろう相手だ。

 武技を使う相手であれば、キョウと互角程度かもしれない……。

 ただしそれでも――ルベドやアインズにすれば子供以下の水準でしかないが。

 とはいえレベル水準から言えば最大で第10位階魔法の使える域である。能力不明なアイテム等にも留意が必要だ。

 絶対に油断してはならないだろう。

 とはいえ過剰反応していてもしょうがなく、支配者はさっさと次の行動へ移ることにする。

 勿論まず宿探しである。あと数日この地で過ごす予定であり拠点は重要となる。

 人間の子供の()()を連れて歩くのも当面避けておきたい。

 初めての地であり、まずは各所を歩いて見て回るほかないと支配者達は移動を開始する。

 ついでなので、評議会の大議事堂やゲイリング大商会の首都店舗、商業地、住宅街など旅人でも見て回れる範囲を見聞して回る。

 その最中、僅かに気になったのは()()の気持ち。

 この中央都でも、人間の奴隷がそこかしこに溢れている。亜人より弱者の彼等は打たれこき使われ、正に働く生きた道具であった。

 それでもやはりこれが評議国都市の日常で情景。他者に優しくないアインズ達はただ通り過ぎる。

 ()()自身も実体験から良く分かっていた。

 

 全ては自分の力で運命を変えるしかないのだ、と。

 

 途中で12時を迎え、昼食として通りの店で手軽な軽食を持ち帰りで買い、人目のない所で休憩という形で頂く。()()小鬼(ゴブリン)達は食事が必要であった。姉のキョウとルベドは付き合って共に食べている。

 アインズだけが、その様子を見てのんびりと寛いでいた。

 中央都の今日の天気は、雲も見えるが陽が眩しい良い空模様である。

 1時間程のあと、一行は再び都市内を観光気分で回遊を再開し、夕方前の4時頃に見て回った中で幾つか見つけた宿屋の一軒に部屋を求めた。

 ここでも2部屋を借りて二手に分かれる形をとる。路銀はまだまだ残っていてあと半月は問題ない。足らなければ、またンフィーレアからの献上品の下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を1、2本手放せば済む話だ。

 拠点は出来たので、アインズは早速――挨拶に行く事に決めた。

 

 当然目的である、ゲーリング評議員の首都屋敷だ。

 

 ルベドには宿屋で()()小鬼(ゴブリン)1体と残ってもらって、妨害対策した〈千里眼(クレアボヤンス)〉でのバックアップを頼む。〈転移(テレポーテーション)〉で随時乱入は可能だ。

 キョウを先頭に小鬼(ゴブリン)レッドキャップ4体と完全不可知化のアインズが宿を出て行く。時間は午後5時前。まだ日没までは2時間程残している。

 先程、評議員の屋敷傍は通っているので、覚えのある道を辿り5分程で到着した。

 歩いて赴けば足元を見られるだろうと、金の粒1銀の粒10で結構いい屋根の無いオープンの4頭立て馬車(キャリッジ)を借りてそれで乗り付ける。

 奴の屋敷は、商業地から離れた閑静な邸宅地の中でも一際建物の大きさと広大さを持っている。皮肉にも広さにより、多少の音では隣家まで届かないという好条件物件だ。

 表立っての用件は――『南方の獣人(ビーストマン)の国への人間奴隷輸出計画による大口購入依頼』である。

 小都市サルバレにある本店の者らからの必要関連事項の聞き出しを、キョウはここ数日の潜入調査の過程で行なってきた。今朝、アインズとの作業である程度手順も決めている。

 キョウは、『ゲイリング大商会』と中央都でも取引の有る『カデロイオザ商会』の名を出し、商会所属商人名ドレティプフと名乗った。

 今日はあくまでも顔見せの繋ぎである。勝負は明日辺りを予定していた。

 また本来、商談の話は『ゲイリング大商会』の中央都店へ持って行くべきだが、この大量奴隷入荷関連は未だ大商会幹部内でも裏で秘密の話。

 屋敷の門前の警護所から中へ伺いが走る。屋敷にゲイリングが居ない可能性もあったが、キョウの話では必ずヤツには『凄腕の護衛』が付いている情報を得ており、その反応がこの屋敷内に確認出来ていた。

 

 その者達はLv.50を超えるものが3体。その中で更にLv.72が1体いた。

 

 豚鬼(オーク)のゲイリング評議員が屋敷内に居るのは間違いない。

 屋敷の鋼鉄門が重々しい金属音を鳴らしつつ開いた。人間の目には結構歪に見えるが豚鬼(オーク)的には高級な門構えなのだろう。

 門前の警護所から、豚鼻でお腹を見せつつも黒い上着とズボンを着た執事っぽい豚鬼(オーク)が現れる。

 

「……主がお会いするそうです。あ、その前に、商会所属の(あかし)を見せて貰えますかな?」

 

 そう、書面類が余り発達していない評議国では、物と信用により証明する形が多い。

 

「はいはい、そうですね。ではこちらを」

 

 もちろん、キョウはこの国の一般的商人の取引ルールについても聞き出している。そして、該当商会の支店からも証となるものを拝借していた。抜かりはない。

 ただ、この国の商人に服装の法則があるのかまで詳しく分からない。

 現在(あるじ)から借りた灰色のローブを纏い、顔だけしか見せていないキョウは腰の小物入れから、5センチほどの希少金属に宝石の嵌った型の証を提示する。

 これらに信憑性を持たせるため、態々『カデロイオザ商会』勢力が強いという南西地方に通じる門から通って来ていた。尋問はなかったが、特徴のあるキョウ達の一行が通ったことの問い合わせが門側へあってもクリア出来るはずだと。

 執事っぽい黒服の豚鬼(オーク)はそれを受け取り少し持ち上げ陽光に翳す。宝石を通し掌に映った模様を見て彼は呟く。

 

「確かに。では、こちらでございます」

 

 そうして、ドレティプフと護衛達として、キョウ達は屋敷の中へと招かれる。

 泥とレンガと木材で建てられた人類からみればもっさりとした建物だ。所々に金や宝石細工が見えるも、それが美しいとは中々思えない造形が続く。

 ただ建物には窓と扉が全ての部屋に付いていた。

 黒服の豚鬼(オーク)に先導され、キョウ達は応接室なのか大扉を潜り講堂程の高さと広さの部屋へと通される。6名はとりあえず立ったままテーブルや椅子も置かれた室内を見回す風に佇む。

 その部屋へ、使用人らしき豚鬼(オーク)が数人いたが、アインズらと入れ替わるように1体が扉を開閉し出て行った。

 廊下を歩く途中よりアインズから〈伝言(メッセージ)〉を繋がれているキョウが口許に握った手を当てて小声で伝えてきた。

 

「……(アインズ様、バレています。今、扉を出た者が扉横の警備へ『ニセモノだ』と告げて奥へ――)」

「(なにぃ、クソッ)」

 

 彼女は特殊技術(スキル)マスターアサシンにより随時周辺の盗聴も実施している。

 恐らく、ドレティプフなる人物をよく知っている者がいたのだろうと、アインズは判断した。

 だが、キョウは続いて伝えてくる。

 

「(でも、どうやら話を聞いたゲイリング評議員本人は、このまま我々に会うみたいですよ。ただし、護衛を連れてますけれど)」

「(そうか……やむを得ん、芝居はここまでだな。とりあえず材料を並べて、交渉失敗なら――あとは力でゴリ押すぞ)」

「(はいっ)」

 

 アインズは、実に三段構えでこの場へと望んでいた。

 つかみの偽商人、商魂&政治的裏交渉材料、最後に剛腕力である。まだ二つを残している。

 

 

 

 完全不可知化の絶対的支配者アインズは、交渉用の仮面下の赤き眼光を激しく煌めかせていた。

 

 

 




参考)エンリ誘拐の時系列
PM―4:30頃 カイジャリ昏睡。エンリ、フールーダにより誘拐される(38話)
PM―4:45頃 エンリ、魔法省で目覚める(39話)
PM―5:00前 カルネ村でエンリ不明で騒動になる(39話)
PM―5:00過 エンリ捜索にエントマ経由でナザリック側も参加(39話)
PM―5:45頃 エンリ、地下のデス・ナイトとの邂逅(39話)
PM―6:30過 エンリとアルシェ、脱走(39話)
PM―6:45頃 エンリ、笛使用(39話)
PM―6:50頃 カイジャリ目覚め、ンフィーとネムへ報告(39話)
PM―7:00頃 ゴブリン軍団と魔法省と交戦開始(39話)
日没
PM―7:05過 エントマからアインズへエンリ行方不明報告(38話)
PM―7:10頃 ジルクニフ、魔法省の交戦と巨樹の報告受ける(39話)
PM―7:15前 エンリ、魔法省勢へ無血退去提案(39話)
PM―7:15頃 アインズ、ニグレドの能力でエンリ確認(39話)
PM―7:30前 ンフィーとネムがエンリ救出に出発(39話)
PM―7:30頃 アインズ、アウラら帝都へ。デミウルゴスは周辺調査へ(39話)
PM―7:30過 ジルクニフへエンリの提案届く(40話)
PM―7:45頃 アインズ、ンフィーとネムのエンリ救出の動きを知る(40話)
PM―7:45過 ジルクニフ、秘策指示(40話)
PM―8:00前 ハムスケ、制服をエンリに届ける(40話)
PM―8:20過 帝国使者来訪。停戦し無血退去合意、20分程で終了(40話)
PM―8:45頃 デミウルゴス、調査終了しナザリックへ帰還(40話)
PM―8:50頃 アインズ、王城へ移動する(40話)





参考)作品全般の話を凄くボカした概要っぽいあらすじ

1話-37話
ユグドラシル最終日にモモンガは、遊びでNPC達の設定変更をしてしまう。
24時を超え、気が付けば新世界へ来てしまったナザリック。
モモンガから名を改名したアインズは、スレイン法国の偽装部隊をカルネ村で撃破し、エンリ姉妹とガゼフを助ける。
情報集めでモモンとして冒険者を始め、狂気の女他、いつの間にか地道に協力者を増やしつつ、アインズとしては国王より招待され王都へも赴く。
しかし、復活した竜王が軍団を率いて突如戦争が始まる。
アインズは、表向きガゼフを助ける名目で王都へ居座る。
一方、法国も裏で動き出す。
王国は王女が暗躍し蒼の薔薇などを戦地へ派遣。敵情報持ち帰りに成功する。
平和なナザリックでは正式にアインズの改名と野望発表式典を行い、大宴会も開催。
王国は和平案を模索しつつも戦争の本格的準備に入る。そんな会議の最中にアインズは窮地の論戦を展開。
またエ・ランテルでの問題をモモンが裏で解決しつつ、続いて竜王国の問題まで舞い込み、更に王都ではアインズが裏の組織とも接触する。
やがて、法国から潜行して来た戦力が竜王の軍団とついに激突し、局地で静かなる激闘が起こった。アインズはそれを利用し背後で幾つかの目的を達成。
竜王国問題の時間稼ぎで、ナザリックから送り込んだ面々が活動開始。
王城では王女がアインズを取り込もうと暗躍して----。
そして帝国も、カルネ村に興味をもった大賢者が徐々に首を突っ込みつつあった……。

注)アインズによるナデナデが時折発生します(本作品の仕様です)
注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています


38話:支配者失望する/新タナル計画/フ-ル躍動(12)
アインズの何気ない一言は、守護者達の新計画を生み出していく。
漆黒の戦士モモンらは王都でエ・ランテル冒険者組合遠征員の点呼日を迎えた。
アインズが、ガゼフへ「とある要望」(密かに王国の王女らを巻き込んでいる)を出す。
同日、絶対的支配者は元凶のルベド他を伴い某隣国へ潜入する。
某隣国3日目の夜にアインズはトンデモナイ知らせを受けた……。

P.S. アルシェが妹達を救うべく難題解決に意外な手段を取る。
P.S. 某隣国2日目に展開されたアインズ様の楽しい散策劇をお楽しみください。
P.S. ナザリックのメイドのお話。
P.S. NPC達と新計画について。


39話:支配者失望する/森ノ異変ト囚ワレノエンリ(13)
法国へ「至宝とカイレ」と「対竜王」に関する情報が伝わる。そして神官長会議が開かれた。
王国と竜軍団の和平交渉における、それぞれの思惑は。
帝国内でイジャニーヤに動きあり。
エンリがふと目覚めたそこは……。そこで人類史上とんでもない事態が発生する。
エンリのピンチにアインズを始め、ンフィーレアとネムも立ち上がる。

P.S. そんな中、関係のないところで地方貴族は災難に遭う。
P.S. そして、ニグンはマイペース。
P.S. 一方、トブの大森林では激しくも後味の悪い戦いがあった。

注)分かりにくい部分は、やはり本作品を全編読んでもらうしか……(宣伝)



参考)31-37話の内容を凄くボカした概要っぽいあらすじ

31話:支配者失望する/墓地デノ出会ハ突然ニ(5)
カルネ村のエンリは自分の大きな失態に気が付いて、なんとかしようと……。
クレマンティーヌから十二高弟の者の話を聞き、アインズは奴の計画の実行を不快に思い……。
アインズとイチャつきたいエンリだったが……。
P.S. 駄々っ子マーレ。

32話:支配者失望する/遠征ト新依頼ト会談ト(6)
エ・ランテルから冒険者達が出陣する。
エ・ランテルの門外でモモンは意外な人物に会って……。
王国で裏社会組織との深夜会合へのお誘い。
P.S. 竜軍団は遺体を喪失。
P.S. ラナーの不思議な心境。

33話:支配者失望する/会合ノ六腕/帝国ノ罪(7)
アインズ一行は深夜会合に出るも……。
フールーダは、とある一報に歓喜する。
アダマンタイト級冒険者チームのお話。
王国から竜軍団へ、和平使節団が出発。
P.S. 王都屋敷の人間メイド、リッセンバッハ三姉妹について。
P.S. 邪魔されるニニャ。
P.S. 深夜会合は計算通りに。

34話:支配者失望する/5つノ告白ト7つノ嘘(8)
アインズはガゼフの館へ赴き、彼の個人相談に乗る。
ニニャの独白タイム。
ガゼフは国王から難題を頼まれる。
支配者、ラナーと密会す。
P.S. リッセンバッハ三姉妹は大金を目の前にして……。
P.S. ンフィーレアとブリタのカルネ村生活。
P.S. ナーベ発、伝言ゲーム。
P.S. ニグンの野望(欲望)。
P.S. 竜王は強敵と急な遭遇をして……つづく。

35話:支配者失望する/嫁ト、ソシテ闘イハ始マッタ(9)
(長い…)
守護者女子会。
クレマンティーヌ、漆黒聖典部隊へ合流。
アインズ「伝言ゲーム」を処理する。
アインズはナザリックの戦力で難敵に当たることを決める。
アルベドが決意を持って指揮官を熱望す。
ついでにナザリックの竜王国への対応も決定。
王城にて、アインズはガゼフから対竜軍団戦参戦のために、難題を押し付けられる。
その夜、第二回深夜会合。
翌日にニニャとのデート。
その後にアインザックらと腕試し。終了直後から某国対策へ。
次の日、王国の和平使節団が竜王と会見。
ナザリックの難敵への作戦が実行される。
少し遅れてクレマンティーヌは長年の願望を果たす。
そのころ竜王は強敵と対峙する……まだつづく。
P.S. ガゼフ、アインズに気付かれ
P.S. ツアレの気のせい

36話:支配者失望ス/混迷ノ帝国/隊長VS竜王 (10)
アルシェ登場。
イジャニーヤと藍色の髪の男のお話。
帝国に「王国への竜軍団侵攻」が伝わり、帝国四騎士へも激震が走る。
クレマンティーヌへモモンが告白か。
激闘の竜王戦決着?
P.S. その裏で守護天使暗躍。
P.S. ガゼフは大望の昼食会へ。
P.S. 危うしのクレマンティーヌ。
P.S. シャルティアに吸血鬼の配下が増えた。
P.S. 幼い姉妹は「きらきら」が好き。

37話:支配者失望する/竜王国ニテ/姉妹ト主ト(11)
滅亡の瀬戸際の竜王国。女王の妹が帰還する。
竜王国の東方三都市攻防戦と暗躍するナザリックの影。
ナザリックにおける奪取作戦成功者へのアインズの労い。
ルベドへ対し、絶対的支配者の思い切った決断が……。
竜軍団へ向け帝国の選抜精鋭が出陣を開始。
アルシェ、父親の計画を知る。
P.S. 竜王国で暗躍する影、やりすぎる。
P.S. アウラとマーレは踊りたい。
P.S. ナザリックBARにて。



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