プロ雀士、日常の記録   作:Lounge

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雑誌の特集風にとある選手と所属チームの過去を書いてみました。

恵比寿エンジェルバズーカのイメージは野球でいう巨人、サッカーでいう東京ヴェルディみたいな感じです。


前日譚:Angel Bazooka~皇帝の凋落と復活~

 Angel Bazooka~皇帝の凋落と復活~(編:Number編集部)

 

 

 2018年シーズン、M1ジ・リーグを制したのは恵比寿エンジェルバズーカだった。

 かつて「皇帝」と呼ばれた古の常勝軍団にとって、待ちに待った15年ぶりの優勝。それは、大きなあやまちを犯したこのチームが罪をみそぐのに15年という歳月を要したということを示している。

 

 

 

[皇帝の玉座は、あっさりと砕け散った。]

 

 2002年、囲い込み疑惑を振りきって小鍛治健夜を獲得した恵比寿は向かうところ敵なしの強豪であった。名選手、名監督、名采配。すべてを備えた「皇帝」に抗える者などいるはずがなかった。

 チームにひずみが生じたのは2004年のことだった。選手の賭博図利疑惑が持ち上がったのである。

 皇帝に降りかかった黒い霧。選手をかばい全ての責任を負った名伯楽・熊倉トシは追われるようにチームを去った。

 この年、恵比寿は17年ぶりに優勝旗を奪われる。その後14年もの長きにわたってこのチームが低迷を続けるとは、このとき誰も想像していなかった。

 

 

 

[勝ち続けるエースは、やがてチームの分裂をまねいた。]

 

 熊倉のあとを引き継いだのは、かつて恵比寿のV10を熊倉とともに支えた烏谷(からすや)マキである。この頃のジ・リーグでは名古屋が台頭し、すぐに大宮が取って代わるが、烏谷率いる恵比寿はこの2チームと五分に組みながら重要な一戦に弱く優勝を逃しつづけていた。それが「皇帝」のメンバーにかかるプレッシャーによるものか、はたまた現役時「ツイてないカラスヤ」のあだ名を奉られた烏谷の生来のツキのなさが災いしたのかはわからない。いずれにせよ烏谷は優勝旗をなかなか奪還できず、その焦りからか計算できるエース小鍛治にだんだん依存するようになっていく。

 小鍛治は勝ち続けた。しかし、他の選手は当時スランプに陥るなどして成績が今一つ伸びない者ばかりでチームとしての勝ち星を奪いきることができない。そういった選手たちの一部に、勝てないことへの焦りや自分への不甲斐なさや怒りをごまかそうと、勝ち続ける小鍛治や彼女を重用する烏谷に対し理不尽な怒りをぶつける者が現れはじめ、やがて彼女たちは小鍛治・烏谷派と反小鍛治・烏谷派に分かれて派閥争いをはじめた。残念なことに、優しい性格の烏谷は彼女たちを力で押さえつけることはできなかった。

 低迷するチーム、派閥争いに明け暮れやる気をなくしていく選手たち。耳をふさいで勝ちを稼いできても、かけられるのは賛辞ではなく理不尽な罵倒と皮肉。腐っていく恵比寿の環境は、小鍛治と烏谷を徐々に蝕んでいった。

 2008年10月、烏谷は何者かに階段から突き落とされ足の骨を折った。我慢の限界に達した小鍛治は恵比寿を出て地元茨城に帰り、かねてから誘われていた新チームへ参加しようと決意、慕っていた烏谷も連れていこうと口説き落とした。同年オフに小鍛治と烏谷は恵比寿を去り、ともに新チームつくばの立ち上げメンバーに名を連ねた。

 

 

 

[「新しい風」は、チームをどん底に追いやった。]

 

 烏谷の退任を受けて、恵比寿フロントは不可解な動きを見せた。小鍛治派と見られていた主力メンバーたちを次々に放出、さらに後任の監督には「新しい風を呼び込むため」という名目でプロ経験のない男性である渡辺俊一(わたなべしゅんいち)を起用。渡辺はチームのとある選手(後述)に縁があり、このためチーム内パワーバランスの崩壊が噂された。

 今振り返ってみれば、このとき恵比寿はプロチームとして一度「死んだ」のだろう。渡辺体制下で恵比寿は史上最悪の暗黒時代に突入する。

 現場の「常識」やしがらみにとらわれない采配をテーマとして掲げた渡辺は、たしかに常識にとらわれない珍采配を連発。いくら監督の力量や采配に結果が大きく左右されない麻雀であるとはいえ、限度というものがある。チームは坂道を転げ落ちるかのように連敗街道をひた走る。

 さらに悪いことに、選手の成績は以前にもまして悪化していた。否、悲惨な成績なのにレギュラーから外れない選手がいた。派閥争いを制した反小鍛治派が選手起用に口を出したり好き放題していたのである。

 穴だらけの采配、愛人起用、腐りきったチーム。かつて小鍛治を慕っていたというだけで干された元エースやチームの環境にうんざりした若手などが次々にチームを去り、気づけば恵比寿はM1残留争いを強いられるまでに落ちぶれていた。それでもフロントは渡辺を解任せず、ファンたちはたまの勝利に一縷の希望をつないで恵比寿の復活を願い続けた。

 

 しかし、渡辺はフロントとファンたちをあまりにも手酷く裏切った。

 

 

 

[そして、皇帝は二度死んだ。]

 

 2013年シーズン、最終戦。名古屋と残留争いをしていた恵比寿は、負ければ降格が決まるこの一戦であっけなく敗れ、M2降格が決定した。

 三局連続で役満を振り込みトビ終了。あまりにも不自然だ。振り込んだ相手が全て名古屋だったこともファンたちの疑念を呼び、イカサマが囁かれ、内部告発とされる怪文書も飛び交いはじめた。

 はたして、試合から二週間後、恵比寿エンジェルバズーカと名古屋セントラルドラゴンズは両チーム間で八百長行為があったことを発表した。日本最古のプロ麻雀チーム2チームが起こしたこの不祥事は、対応を誤ればプロ麻雀そのものを殺しかねない大きすぎるものだった。

 中心人物は3人。恵比寿の渡辺監督、名古屋の高木仁子(たかぎにこ)監督、そして渡辺の「愛人」にして恵比寿の「天皇」こと内川佑実(うちかわゆみ)である。内川は2004年の賭博麻雀事件の主犯と見られており、また反小鍛治派の筆頭で烏谷に怪我を負わせた犯人ではないかとの噂もある、いわゆる「チームの癌」であった。

 なんとしてもM1に残留したい高木が渡辺に10億円を渡し、先鋒に渋谷を送ると予告。渡辺は内川に5億円を渡して先鋒に送り、内川が積極的に渋谷に振り込む敗退行為を行った。以上が事件の全貌である。

 プロ麻雀協会は3人を永久追放、関与していないと主張した渋谷にも厳重注意を与えた。再試合は行われないと決まり、恵比寿の降格も揺るがなかった。

 恵比寿フロントは任命責任を問われ、GMと編成部長、オーナーが辞任した。一時はチーム解散も噂されたものの選手たちの尽力により恵比寿の存続は許された。

 ようやく「癌」を完全に排除したとはいえ、解散まで取り沙汰されたチームの監督を引き受けようとする人物はおらず、フロントはチーム内に後継者となる生け贄を求めた。そして、プロ4年目ではあるが高校麻雀の優勝校を率いた経験のある赤土晴絵を選手兼任監督・GMに任命、全権と全責任を押しつけて逃げた。

 

 

 

[「どん底のさらに下」からのリスタート。]

 

 舵取りをできる人材が一人残らずチームを去り、M2に落ちた恵比寿のあとを一手に託された赤土は、エースへの道を諦め自らチーム再建の旗振り役となるしかなかった。

 プロの世界を離れて後進の育成にあたっていた熊倉を呼び戻してGM職を委譲し、新しい人材の発掘を進める一方で、赤土はチームに冷酷なまでに徹底した実力・若手主義を採った。

 監督就任のあいさつで赤土はこう発言している。

「来シーズンはどん底のさらに下から始まります。ここまで追い込まれても何の手も打たなかった、打てなかった者にはいずれ然るべき責任を取ってもらいますが、まずやることはもといた場所に帰ること、ナ・リーグではなくジ・リーグに帰ることです」

 積極的な若手起用は中堅層の冷遇につながり、軋轢を生む。しかし、渡辺体制下で内川を筆頭に好き放題やっていた実力のない中堅層より、干されながらも個人戦などで研鑽を積んできた若手のフレッシュな力のほうがチームの勝利には必要なのだ。それを中堅層の彼女たちもまた理解していて、またしても理不尽な怒りを若手にぶつけはじめるようになる。そんな状況を赤土は見逃さなかった。

 M2降格の翌年、恵比寿はあっさりM1ジ・リーグに復帰。中堅層を窓際に追いやり若手を大いに使った恵比寿はそれでもなおM2リーグで無双の強さを誇り、8月の終わりには15試合を残してM2リーグ優勝を決めたのである。

 この年のオフシーズン、恵比寿は在籍10年以上の選手全員に戦力外通告を突きつける。

 かつての強かった時代を知る選手を一人残さず追放することで、一部選手の「私たちは本気出してないだけ」という勘違いをなくす…という名目だったが、実際のところは「戦犯」の処分とチームに生じかけていたひずみの解消、そして年上の選手を一掃してチームの赤土独裁体制を確立するという複数の目的を一気に解決する強行手段でもあったのだろう。

 大胆な若返りを図った恵比寿は2015年シーズンをジ・リーグ4位で終え、プレーオフに進出する。これが現在に至るまでの赤土体制下での最低成績である。

 

 

 

[元・皇帝は、ふたたび玉座を目指す。]

 

 ひとまずプレーオフに出られる程度まで盛りかえしてきた恵比寿であったが、赤土はそこで満足しなかった。このころ新世代エースとして大星淡が定着したこともあってか、赤土はしばしば優勝を意識した発言をするようになる。

 当時のジ・リーグは大宮一強状態で、解説陣の予想でも赤土では瑞原に勝てないだろうという声が大多数を占めていた。しかし、2016年シーズン、赤土はその下馬評をくつがえしハートビーツ大宮に直接対決で勝ち越した。ただ、他チームとの対戦成績の差で玉座奪回はかなわなかった。

 翌シーズン、主力メンバーがスランプに陥りスタートダッシュを大失敗した恵比寿は、それでも夏場に大宮が失速するとその機に乗じて一気に差を詰めた。しかし、あと一歩のところで大宮に粘られ、結局序盤の出遅れが響いた恵比寿はまたしても2位に甘んじる羽目になった。

 このころ、根底から崩壊したチームをたった一人で背負わされたにもかかわらず、わずか3年でまともに戦えるまでに建て直した功績を称えられ、赤土は「恵比寿のレジェンド」「恵比寿のメシア」といったあだ名を奉られたが、一方で口の悪いOGからは「烏谷二世」と呼ばれるようになる。驚くべきスピードで暗黒から立ち直ったとはいえ、烏谷体制の時のように土壇場で負けてしまう恵比寿に対し、地獄の記憶を早くも忘れたファンたちからの風当たりは厳しくなりつつあった。また、M2降格時に逃げたOGの一部が恵比寿の復権を見て、赤土を追い出し後釜に座ろうと画策しているとの噂も聞こえていた。

 不穏な空気にあてられ選手が萎縮することを避けるためか、赤土は2018年シーズン開幕前に「優勝宣言」を発表した。

「今年は優勝しますよ。できなきゃ監督やめます。その代わり、今年優勝したら自称OGの皆さんは二度とOG面してしゃしゃり出てこないでくださいね。迷惑ですから」

 それが勝負、取引ってもんでしょう?テレビカメラに向かって不適な笑みを浮かべ、赤土はテレビの向こうにいるはずのOGたちに他チームごと喧嘩を売った。

 これを受けて、解説陣の予想は大半が大宮を優勝予想。恵比寿はあてつけのように最下位予想が並び、他チームを挑発しすぎだなどとピントのずれた批判も噴出した。

 しかし、蓋を開けてみれば大宮は不調。一方の恵比寿は開幕から連勝に連勝を重ね、オールスター戦の時点で2位大阪に大差をつけ首位に立っていた。

 そのまま勢いを崩すこともなく、9月7日。恵比寿は15年ぶりに優勝旗をその手に取り戻した。

 

 

 

[ふたたび手にした優勝旗の価値。]

 

 15年前の賭博麻雀事件に端を発したビッグチームの低迷と腐敗。それを乗り越えて恵比寿を復活に導いた赤土は正に恵比寿のレジェンドと呼んでいいだろう。

 しかし、彼女らにとってはここからが正念場であるとも言える。ふたたび玉座に登り、かつてと同じように慢心と腐敗にまみれるチームと成り果てては辿る道も過去と同じ。地獄から帰ってきた彼女たちが、その記憶を風化させずに優勝旗を守り続けることはできるのか。

 奪還した優勝旗は、生まれ変わった恵比寿の王冠であり、新たな枷でもある。


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