時刻は夕方。
太陽がオレンジ色の光を放ちながら西の空に沈んでいく。
僕はお山座りの体制で浜辺に腰を下ろしたまま、ざぶざぶいっている波の様子をボーッと眺めていた。
「ゴーヤさんそろそろかなぁ……」
泳いで帰ってくるのを出迎えるためにこうして座っているのだけれども、一向に姿は現れない。
増援艦隊のみんなが斉藤さんのヘリコプターに乗せられてこの鎮守府に到着したのはついさっき。
ちょうど僕が浜辺に出るために玄関をくぐった時だ。
その時はフレンダさんも一緒にいて、ふたりで増援艦隊のみんなを出迎えた。
僕の事やフレンダさんのことについて特に疑問を持ったり質問してくるような人はいなかったけど、ただ赤城さんと加賀さんだけはフレンダさんの顔を見てものすごく驚いていた。
その時フレンダさんが二人だけに聞こえる声で「ひさしぶり」とあいさつをした。
最初どうして〝久しぶり〟なのかわからなかったけれど、そういえばと思い出す。
フレンダさんを捕まえた時に赤城さんも加賀さんもその作戦にかかわっていたはずだ。
ネルソン提督の話から考えればあの二人はフレンダさんの正体を知っているし、それどころか六十年来の知り合いということになる。
別に隠し事に対して僕がどうこうするわけじゃないけど、秘密を共有する仲間が増えただけでなんとなくうれしい気持ちになった。
「……ん?」
ふと気が付くと沖のほうに人影が見える。
影はどんどん大きくなって、数分もするとよく見えるところまで近づいてきた。
ゴーヤさんだった。
僕は立ち上がってズボンのお尻に着いた砂を手で払うと、ゴーヤさんに手を振りつつ大きな声で「おかえりなさぁーい」と言ってみた。
足の着くところまで来たのか、立ち上がって僕の存在に気が付いたゴーヤさんは手を振り返してくれて、そのまま僕の目の前まで波をかき分けながら進み、
「お出迎えでち?」
「はい!」
「ただいまー」
そう返してくれた。
てっきり疲れ切っているかと思ったけど、表情を見るにまったくそんな感じはない。
近所のコンビニへ行って帰ってきた程度のようすだ。
「ゴーヤさん、疲れてないんですか?」
「ん? ぜんぜん何ともないでち」
すっごい……。
行くよぉ、と言って先を歩き出したゴーヤさんを追って、潮の香りがほんのりとする帰り道を僕は速足でついていく。
太陽はわずかな残滓を空にひきながら、西の海に沈んでいった。
○
「フレンダさん、ネルソン提督はまだ起きませんか?」
「起きないねぇ」
鎮守府に帰るとゴーヤさんはシャワーを浴びにドックへ向かったので、僕はフレンダさんを探して廊下をさまよっていた。
首尾よく見つけられたので気になっていることを聞いたんだけど、そっかまだ起きてないらしい。
「大丈夫ですかね?」
「なにが?」
「えっと、ネルソン提督の意識がない時に敵が攻めてきたりとか……」
「あぁそれは問題ないよ。赤城と加賀が夜偵――――夜でも敵を探せる飛行機を飛ばしたし、一応お姉ちゃんの艦隊はいつでも動けるからね」
どうやら心配はないらしい。
夜の間に不意打ちとかあるかもしれないと思ったけど、気にすることはなさそうだ。
「じゃあ、今日はこのあとどうするんですか?」
「私? それとも
「どっちもですかね……あと、僕は何をしたらいいでしょうか」
「んーとね、まず私はお姉ちゃんから代理で指揮権を任されてるからその仕事をするかな。睡眠はさっき取ったし余裕余裕」
言いながらフレンダさんはポケットからメモを取り出してちらっと見た。
「それから艦隊のことだけど、増援のほうは精神的にちょっと消耗してそうだから今晩はゆっくり休んでもらうよ。お姉ちゃんが目を覚まさないと次の行動は決めかねるし、とりあえずはね」
「わかりました」
「あ、それと……」
言い淀んだフレンダさんは眉根を寄せて、んーっと唸ったかと思うと落ち着いた動作で膝を曲げた。
わざわざ僕の目線に合わせるということは、大切なことかもしれない。
「こんなこと任せるのはお門違いって、わかってはいるんだけどね」
そう前置きをしながらフレンダさんは困ったような笑顔で、
「夕立のフォローをしてあげてほしいんだ。今は医務室のベットで横になってる」
「夕立さんの、ですか」
「私が行くより君が寄り添ってあげたほうがいい気がするんだよ」
夕立さんがどういう状況に置かれているのかは女神さんから聞いている。
でも僕にどうにかできるようなことだろうか。家族が亡くなるなんてあまりにも遠い話に思えて、現に今も現実味がないから、なんというか…………フォローと言われても何をすればいいのかわからない。
素直にそのことを伝えると、
「でもたぶんあのままじゃマズいんだよ。人間の精神科学は専門外だけど、それでもあのままじゃ夕立にとって良くないのは明確だね。別に放っておいてもいいんだけどさ、お姉ちゃんなら絶対にそんな事しないでしょ?」
「そうですね。そのままにするとは思えません」
「お姉ちゃんは私に艦隊を託してあの力を使ったんだ。じゃあ、私がお姉ちゃんの代わりに動かないといけないって思って…………うまく言えないけど、何とかならないかな」
と言われましても……。
僕一人にできることではないかな。
そう、僕一人には。
「時雨お姉さんに相談してみます」
「時雨に? なぜ?」
「何かいい方法を教えてくれそうな気がするからです」
フレンダさんは一瞬きょとんとしたけど、すぐに笑顔で何度かうなずきながら、
「そうだね、困ったときには相談だ」
と言って僕の頭をなでてくれた。
「ただ私は一緒には行けないんだ。赤城と加賀の偵察指揮を執らなきゃいけないから、しばらく執務室にこもるよ。………任せっきりで本当に申し訳ないんだけど、頼むよ」
「大丈夫です、任せてください!」
申し訳なさそうな表情をしながらも、フレンダさんは執務室へと向かっていった。
さて、じゃあ僕は時雨お姉さんからアドバイスをもらって、それから夕立さんとお話ししてみよう。
いまいちフォローと言ってもできそうな気がしないけど、何もしないよりはずっといいのかな、とも思うし。
そうと決まればまず移動だ。二階へ上がって時雨お姉さんの部屋へ――――。
「待ちなさい」
突然呼び止められた。
○
ぞわ、と背中が総毛立つような感触に襲われる。
聞いただけでなぜか足ががくがくしてしまうその声に、僕は震えながら振り返った。
「は、はいぃ」
「なんでそんなに怖がるのよ…………」
小さくぼやいた満潮さんを、恐る恐る見上げる。
額に手を当てながらため息をついていた。
「あ、あの、なんでしょうか」
か細くなってしまった声をのどから絞り出しながら、頭の中では今朝の出来事を思い出す。
満潮さんは僕のことをとっても怒っている、と僕は勝手に思い込んでいた。
いろいろあってネルソン提督の前で満潮さん本人から教えてもらった。べつに僕に対して怒っているわけではないって。
それどころか満潮さんは僕の体調のことを案じて、言い方はきつかったけど「もうあんな格好で海へは出るな」と言ってくれていたそうだ。山城さんから後で聞いただけだけど。
つまり怒られているわけでも、まして嫌われているわけでもない。
そのはずなんだけど……なぜか足がすくんでしまう。この人に相対すると恐怖で身体が震えてしまう。
「さっきの話、もう少し詳しく聞かせなさ――――コホン、聞かせてもらえるかしら?」
満潮さんの声で僕の意識は現実に引き戻された。
「は、はい」
「場所を移動するわよ。立ち話も疲れるわ」
満潮さんは手に持っていた主砲をなぜか僕から見えない位置まで移動させつつ、ついてこいと手招きをしながら廊下を進んでいった。
力が抜けそうになる足を頑張って動かし、僕も後についていく。
○
満潮さんの部屋に案内された。
二階へ上ったので時雨お姉さんの部屋の前を通ったのだけど、ついてこいと言われたのを無視して時雨お姉さんの部屋に入るわけにはいかない。
そんな度胸はもっていない。
「来なさい」
ぶっきらぼうにそういう満潮さんに連れられて、僕も部屋に入る。
木造の調度品と電化製品、いくつかの装飾品が並ぶも特にこれと言って目立つことはない、普通の部屋だった。
てっきりドクロとか飾ってあるのかと想像していたので、ちょっとホッとしてしまう。
「ベッドに座ってなさい。お茶を用意するわ」
「え、あの……」
「いいから」
「はい……」
言われるがままにする。
満潮さんは部屋の隅にある小さな冷蔵庫からお茶の入ったボトルを取り出すと、コップが並べられている棚から二つ取り出して、お茶をいれてから両手に持って僕のほうへ来た。
「はい」
「あ、ありがとうございます」
「気にすることないわ」
隣に座る。
なんだこの状況。なんかよくわからないけど、僕は今あの満潮さんの部屋でお茶をもらっているのか?
な、なん、なんで?
いや呼ばれたし付いてこいと言われたからついてきたまでだけど、なんというか状況に頭がついてこない。
いつの間にか足の震えも止まっている。
「まだ私の事怖がるつもり――――じゃなくって、怖いかしら?」
「えっと、もし、怖いって言ったら何かされますか…………?」
おそるおそる満潮さんの顔を覗き見ると、いつかの時雨お姉さんが見せたような、いたずらっぽい笑顔を浮かべていた。
にー、と。
「そうね、怖くなくなるまで抱きしめてあげるわ」
「??????!?!?!?」
んんんんんんん!!??
何を言ってるんだこの人は!?
こんなこと言う人だったのか!?
自分でもわかるほど狼狽してしまったが、ふと見た満潮さんも平常ではなさそうだった。
満潮さんは見る見るうちに頬を赤くしていき、コップを持っていない方の手で顔を隠しながら、
「……山城のばかぁ……言っちゃったじゃない…………」
蚊の泣くような声で呟いた。
「あ、あの、満潮さん?」
「…………別に、あんたに好かれたいわけじゃないわよ。でも見るたびに怖がられてちゃ私だってたまらないのよ。その辺わかってよね」
頬を赤くしながらそう小さく漏らした満潮さんに、僕はもう恐怖心なんて微塵も感じていなかった。
そして心の中でつぶやいた。
山城さん、本当にありがとうございました。
○
「ふぅ…………まぁ、その件はいいのよ。過ぎた話。それでさっきのフレンダさんとの話を聞かせてくれるかしら」
「あ、はい」
居住まいを正して部屋の空気が少し変わったことを感じ取る。
仕切りなおした満潮さんに、僕はなるべく丁寧に説明した。
まず夕立さんのお父さんが戦死したことと、そのせいで夕立さんが意識を失うほどにショックを受けたこと。
フレンダさんはそのことを危惧していて、このまま夕立さんを放っては置けないと思っていること。
付け加えて、フレンダさんから直接は言われてないけれど僕は赤城さんのことも言っておいた。
モニター越しに見えていた、赤城さんがずっと夕立さんをかばうように立ちまわっていたことを。
そしてそれら一連の流れから、僕が夕立さんにフォローを入れるよう任されたこと。
最後に、僕は何をしたらいいのかわからないから時雨お姉さんに相談しようとしていること。
そこまで話し終えてから顔を上げると、満潮さんは難しい表情になっていた。
眉根にしわを寄せたまま、首を振る。
「時雨に相談してはダメよ」
「え?」
予想もしない一言。
「なぜですか」
「落ち着いて、よく聞きなさい」
先ほどの様子とは打って変わった調子で、満潮さんはそう前置きした。
なんだろうか。
「ネルソン司令の艦隊――――つまり私たちの艦隊の中で、唯一親を失っているのが私と時雨よ」
え?
「私の話は…………まぁ、両親が小さいころに交通事故でね。だから、私は別に、私の問題だから別にいいわ。大事なのはそこじゃない」
一瞬だけ声が震えたような気がしたけど、まだ満潮さんの話は終わっていない。
何も言わず続きを聞く。
「でも時雨は違うのよ。あの子は深海棲艦に親兄弟を殺されているの」
――――――――は?
「そしてあの子は今でも、それを完全に乗り越えてはいない。記憶の奥底にしまっていても、何かのはずみで呼び出してしまうことがあるわ。今まで何度かあったのよ」
「そんな、だって、全然そんなそぶりは…………」
「五年一緒にいてやっと気が付くくらいよ。詳しい話は司令から聞いたの。あの子は、時雨は、艦娘として配属される予定だった当日に長崎県沖の離島で襲撃を受けた。家族もろともね」
そんな、それはおかしい。
だってネルソン提督は言っていたじゃないか。最終防衛線を超えて侵攻されたことは――――。
あ。
あぁ…………あぁそうか。そうだったのか。
〝大きな〟侵攻がないだけで、島や離島は襲われているのか。
時雨お姉さんは、艦娘になる当日にその襲撃で両親を、兄弟を。
「…………あんまりじゃないですか」
「艤装の記憶のせいもあるけど、あの子はもっと根本から〝大事な人を失うこと〟に傷を抱えているわ。そのことまでフレンダさんは知らないのよ」
時雨お姉さんが僕のことを人一倍気にかけてくれる理由がわかった。
わかってしまった。
家族の影を僕に重ねてしまっている。
そんな時雨お姉さんに今回の夕立さんの話なんてしてはいけない。
間違っても僕からなんて、絶対に。
そして同時に僕の中で強く決心したことがある。
時雨お姉さんを守りたい。守られるだけ、思われるだけの存在ではなく、時雨お姉さんを悲しませないで済む強さを手にしたい。
絶対に、絶対にだ。
ふと顔を上げると、満潮さんは静かに僕の前へ立っていた。
「夕立の話は私が受け持つわ」
今の話の流れなら当然そう言うだろうと思ったけど、僕もはいそうですかと簡単には見過ごせない。
なぜか。
さっきの話をしていて満潮さんの声が一瞬震えたからだ。
この人だって両親が亡くなったことを完全に乗り越えてはいない。
僕はそう思い、
「でも満潮さんもお父さんとお母さんが――――」
言いかけて、満潮さんの表情を見て僕の言葉は消え去った。
「大切な人は、今度こそ自分で守るのよ。あの子も私も、そのための艦娘よ」