艦娘でも提督でもない生まれ変わり方   作:奥の手

36 / 40
第三十一話 死にもの狂いの鬼ごっこⅢ

真っ青な空に、空気を叩き潰す轟音が鳴り響いた。

腹の底を震わせるその音を聞き、立ち尽くす夕立は、

 

「あ……う、うそ……だよ、ね?」

 

震える声でつぶやいた。

 

視線の先ではもうもうと黒煙が昇っている。

青いペンキを撒いたようなきれいな空に、火の粉と(すす)のない交ぜになった黒煙は、遠慮を知らずに空へと昇っていた。

 

手のひらから力が抜ける。

 

ばちゃ、と足元で音がして、大切な二連装高角砲が海面へと滑り落ちた。

鉄でできているはずのそれは、しかし沈むこともなく、夕立の足元でいつまでも漂っている。

 

だが彼女は、大切な装備を落としたことにも気が付かなかった。

 

足の力が抜ける。

 

周囲の音が遠くなる。

 

急速に世界から色が失われていき、青かった空は灰色に、白かった雲は鈍色に、空を飛んでいる何か黒い小さなものは、もう、何の色になったのかわからなかった。

 

「あ…………そっか………」

 

わかった、わかったよ。

 

これ、夢かもしれない。

 

そうだよ、夢、だよ。きっと。

 

ほら、だって、もう目が覚めそうだよ。

 

ほら、ほら。

 

いつものようにベットから起きて、目覚まし時計を止めて。

 

洗面所に行って、顔を洗って。

 

髪をといて、制服に着替えて。

 

それから、それから。

 

あ………それから、おはようって、あいさつをするんだ。

朝ごはんを食べる前に、おはようって。

いただきますって。

 

いつもの食パンと、いつものマーガリン。

瓶に入った冷たい牛乳。

 

〝おはよう〟っていわなきゃ。

 

広くはないけど、私の一番大好きな場所で。

みんなが、三人が集まる(・・・・・・)この場所で。

 

大好きなパパと、大好きなママに。

 

あれ? なんだろう。

 

なにか、思い出せない。

大事なことを忘れてる。

 

パパと、ママに、おはようって。

パパと、ママに……。

 

パパ………? ママ………?

 

あれ……? え……?

 

うそ。

 

うそ、でしょ?

 

ねぇ、ねぇ……。

 

なに、これ。

え、え、え――――。

 

 

 

 

「赤城さん! 夕立をお願いします!!」

「任せてッ」

 

加賀の挙げた一声で、赤城は即座に動きだした。

弓を背中へ回し、両手を空ける。

 

糸の切れたように気を失い、海面へ倒れこんでいる夕立のもとへ、すぐさま駆け寄り停止することなくその腰に手をまわして担ぎ上げる。

 

直後、ほんの数瞬遅れて、夕立のいた場所が爆発した。

深海棲艦の航空機による爆撃だった。

 

額に冷や汗をかきながら、降りかかる海水を頭から浴びる。

 

目に見える危険をすんでのところで回避した赤城は、しかし欠片も安堵することがない。

 

(これは……相当に……ッ!)

 

マズいかもしれない。

 

六十年という長い期間、戦場に身を置いてきた赤城は、直感からして夕立の精神状態が最悪であることを悟っていた。

 

経験が長ければいろいろな事態に直面する。

 

望ましくない事が多かった。

 

今回もそうだろうか。

 

いいや、違う。きっとちがう。

夕立のこの経験は、そんなぬるいものではない。

 

望ましくない、なんてあいまいな表現では効かないほどに、これは最悪を極める局面。

 

助かりようのない敵襲と、取り戻しようのない大切な人。

 

…………夕立はもう、かえってこられないかもしれない。

 

赤城はぐったりとした彼女を肩に抱いたまま、頭の中を巡らせていた。

 

青かった空には無数の敵機がひしめき合い、気に障る羽音をまき散らし、7人の艦娘たちを分断する勢いで、やつらは対艦爆弾を落としている。

 

耳が衝撃でやられそうになる。

水しぶきが遠慮容赦なく降りかかり、海面はもはや面とは呼べないほどに隆起していた。

 

「……でも」

 

ここで、あきらめるという選択肢はない。

 

すぐに思考を切り替える。

嘆いていても今を変えることはまずできない。

 

赤城は叫んだ。

 

「被害の報告を!!」

 

脱出から間髪入れずにここまでの攻撃を受けている。

 

ヘリから落ちた時に、誰かケガをしたかもしれない。

波に取られて動けず、攻撃の餌食になったかもしれない。

 

いま自分の両足が海面についていること自体、奇跡なのだ。

 

全員の無事を祈る、しかし――――

 

柱のように左右で海面が吹き上がる、そのすぐ間を勢いよく潜り抜けながら、赤城は隊内無線に集中した。

 

 

『――――ザッ――ジッ――――すず――……なし! 繰り返す、五十鈴、阿武隈は無事よ。損害なし!!』

 

 

赤城の耳に入ったのは、まず五十鈴の声だった。

続いて阿武隈が、

 

『問題ありません、反撃します!』

 

大きな声でそう無線機越しに伝え、五十鈴の名を呼びながら回線を切った。

 

(よかった、彼女たちは無事。あとは、大和と雪風の確認をッ!)

 

そう思った矢先、身体を前から押さえつけられるような感覚がした。

遅れて、耳と腹と胸に衝撃が走る。

 

「……え?」

 

何が起きた?

なんで、なにが、おきているの?

 

あ、いや、そんな、ばかな。

 

脳が、爆弾の直撃を受けたことを認知した。

 

身体が浮く。

 

海面から両足が離れ、つま先から雫が糸を引くように離れていき、熱風がそれを一瞬にして焼き尽くす。

 

赤城は両腕に力を込めた。

ゆっくりとした世界の中で、身体がばらばらになりそうな衝撃を受けてもなお、夕立だけは絶対に離さまいとして。

 

歯を食いしばって衝撃に耐える。

胸が熱風であぶられる。

夕立を守ろうと赤城は中空で身をひねり、爆風と炎熱が完全に届ききる前に、彼女を胸の中へと抱き留めようとした。

 

その努力は実る。

 

「ぐ――――かはッ!」

 

すさまじい勢いの爆風に背中から叩き付けられ、肺の中の空気が無理やり外に押し出された。

それでも赤城は、両手にしっかりと夕立を抱きとめていた。

 

海面に落ちる。

 

横倒しのまま何度か転がり、止まり、そして、

 

「…………あ、ははは。すごい、わね」

 

自分が生きていることに、感嘆した。

 

海面に引き込まれない。

それは轟沈を(まぬが)れた証だった。

 

だが。

 

「もう、むり、ですね」

 

身体が動かない。

 

怖い。

 

何十年と戦っておきながら、生まれて初めて死に最も近い状況へと追いやられていた。

 

怖い。

怖い。

 

力が入らない。

 

起き上がって、夕立を担いで、主機を動かして舵を取り、一刻も早くここから逃げないといけないのに。

 

何をしなければいけないかはよくわかっているのに、赤城はもう立てなかった。

 

足の力が入らない。

 

夕立を抱きとめた腕からも、徐々に力が抜けていく。

 

右手が海面に滑り落ちる。

左手が夕立の身体に引っかかる。

 

もう抱きとめているとは言えなかった。

添い寝をするかのように、赤城と夕立は降りしきる爆撃のさなかで海面に横たわる。

 

「……ごめん……なさい、土佐……中将……」

 

夕立を守り通すことは叶わない。

 

赤城が悪いわけではなかったが、それでも謝らずにはいられなかった。

 

ほかの子たちは無事だろうか。

 

加賀は? さっきは無事だった。

でも今の私たちのように、攻撃を受けたかもしれない。

立ち上がれないかもしれない。

 

ほかの子も。

 

大和も、雪風も、結局確認ができなかった。

 

もうこの海面上にいないかもしれない。

 

「……あぁ、そう……これが、戦うって、ことなのね」

 

六十年も戦って、戦って、戦い抜いてすこし気が抜けていた。

 

心のどこかで、絶対に死なないと思っていた。

 

昨日無事だったから今日も無事という保証はどこにもないのに。

 

私たちのしていることは――――そういえば、戦争だった。

 

 

赤城と夕立の横たえた場所に、一発の対艦爆弾が落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!」

 

無数の弾丸が飛来した。

 

雪風の切り裂くような砲声と叫び声。

 

赤城と夕立めがけてまっすぐ降っていた対艦爆弾は、弾幕を浴びて横に大きく軌道をそらし、信管を狙い打たれ、二人に爆風が届くこともなく空の途中で爆散した。

 

身の丈に迫るほどの巨大な対空機銃を、雪風は膝立ちに構えている。

続けざま、二人に爆弾を落とした敵機を狙う。

 

「雪風の! 大事な仲間に! なんてことをしてくれるんですかッ!!!」

 

感情をむき出しに引き金を引く。

 

弾丸は吸い込まれるようにして敵機を射抜き、鮮やかなオレンジの炎を吹かせ、海へと叩き落した。

 

攻撃の手を止めない。

 

狙いを次から次へと変えつつも、確実にサイトした敵を打ち抜いていく。

 

立ち上がる。手は止めない。

 

赤城と夕立の上空を飛び回る敵機に、絶対に攻撃させたくない一心で雪風は引き金を引き続けた。

 

前進。

二人のもとへ向かう。

 

敵機は執拗な対空攻撃を嫌ったのか、ほんの少しだけ赤城達から遠ざかる。

 

それを確認した雪風は対空機銃の弾倉を交換すると、額に玉の汗を浮かべながら泣きそうな声で、

 

「しっかりしてください! 二人とも!!」

 

すぐさま駆け寄った。

一度空をにらみつけ、攻撃してきそうな敵がひとまずいないことを確認してから、しゃがみこんで赤城の様子を探る。

 

「雪、風……逃げ……て」

 

赤城の艤装は海面に浮いているのが奇跡といえるほどに、片っ端から吹き飛んでいた。

 

口の端から吐血しているのがわかる。

 

(防護膜があっても、身体にダメージが……)

 

赤城の生身の身体がどれほどの状況かはわからない。

しかし艤装はもう確実に、曳航もままならないほどに落ちている。

 

夕立のほうを見る。

 

赤城よりはダメージが少ない。

外見上、艤装はまだ動かせる。

 

でも。

 

意識がない。

 

どうして意識がないのか一瞬考え、考え、考え抜いて出た答えに、雪風は首を横に振った。

 

夕立と土佐中将が親子であったことを思い出す。

ヘリの中でずっと、夕立は土佐中将から離れなかったことを思い出す。

 

「…………」

 

島を見た。

 

いまだに黒煙はもうもうと上がり、その出所では赤々とした炎が上がっている。

 

「……無理も、ないですね。だけど夕立のお父さんのおかげで、雪風たちは助かりました」

 

敵機は土佐中将の思惑通り、無人島の上を大多数が旋回している。

もしあれがなかったら、あそこにいるすべての機体から攻撃をされていた。

 

絶対に助からなかった。

 

「ありがとう、ございます。土佐司令官」

 

まぶたの奥が熱くなる。

 

涙で視界がゆがみ始める中、これではいけないと急いでぬぐい、もう一度島を仰ぎ見た。

 

重苦しく耳障りな音を響かせながら、敵がひしめきあっている大きな無人島の上空を。

 

やつらは、ただただ飛び回っていた。

 

「……? あれ……?」

 

ただ、飛んでいた。

 

 

 

 

執務室。

 

カーテンは閉め切られ、書類が積み重なり、照明を最小限にした薄暗い部屋で、三枚のモニターはこうこうと戦場を映し出していた。

 

私は執務机に着いたまま何も言えず、モニターを眺め続ける。

 

「…………」

 

手のひらが熱くなる。

胸の奥がじくじくと痛み、自責の念が押しつぶしてくる。

 

遅かった。それは間違いない。

 

七人の艦娘は生きているが、ヘリの操縦士と土佐中将はだめだった。

 

もっと早くに偵察ができていたら。

もっと早くにこの事態に気付いていたら。

 

何かできたかもしれない。

今更遅いのは百も承知だが、後悔の念が波のように襲ってくる。

 

どうしてだ。

何がいけなかった。

なぜこうなった。

 

私にできることは何だ。

私がしなければいけなかったことは。

私がしなければいけないことは。

 

これからどうする。

何をすればいい。

 

私は、なんだ、なにが、どうすれば――――。

 

「ねぇお姉ちゃん」

 

しんと静まり返った執務室に、唐突と、フレンダの声が小さく響いた。

 

「どうした」

「もしヘリが墜落したこととか、何人かが犠牲になったことを責めてるなら、それは違うからね」

「…………わかっている」

 

一瞬のためらい。

とっさに嘘をついた私の顔を、フレンダはゆっくりと微笑みながらのぞき込んできた。

 

「今の間がすべてだよ。口ではそう言ってもわかるんだから。お姉ちゃん、ちょっといいかな?」

 

立ったまま腰を曲げ、椅子に座る私の頬を両手で包み、額と額をそっと合わせてささやく。

 

「……お姉ちゃんは優しいよ。そこがとってもいいところ。でもね、だったら、自分にも少しくらい優しくして。じゃなきゃお姉ちゃん壊れちゃうよ?」

「軍人が自分に甘くなったら、それこそ壊れだ」

「負うべきものが責任で、負わなくてもいいものまで負うのが責任感なんだよ」

「…………」

 

言わんとしていることはわかる。

 

だがなフレンダ、責任感のない人間にこの職は務まらない。

 

――――そう、そうだな。

 

そのとおりだ。責任あってこそ務まるもの。

 

後悔することが起きたなら、次の行動に活かすべきだ。

 

自分の行いを悔い、今度こそはと改める。

 

すっと、胸の内で何かが晴れたのを感じた。

 

「……すべて負って、初めて指揮官だろう。責任も後悔も、負ってすべてが私になる」

「むぅ」

 

ぷく、と不満げに頬を膨らませたフレンダは、しかしゆっくりと私から離ると、肩をすくめながら微笑んだ。

 

「ぜんっぜん私の話聞いてくれないじゃん…………まぁでも、もう大丈夫そうだね」

「おかげさまでな」

 

本当に、この子は頭がいい。

私が踏み外しそうになると、いつも行くべき道のヒントを出してくれる。

 

助かる。

良い妹を持ったものだ。

 

――――さて。

 

「では、どうしようか」

 

気持ちを切り替える。

 

懐から鉄砲アメを一つ取り出し、口の中に放り込む。

隣のフレンダにも一つあげてから、ころころと舌の上でその味を堪能する。

 

同時に、頭をフル回転させる。

 

増援艦隊の七人を救うためには何ができるのか。

 

ここから艦隊を出すことはできない。

当然、本土からの手助けも望めない。

 

もたもたしていては彼女たちまで失うことになりかねないが、しかしこの状況。

切り抜けるには困難を極める。

 

考えろ、考えるんだ。

現場では何が起きている?

 

ヘリが墜落した。

 

艦娘は海の上。

 

そこを攻撃する敵機の数は?

 

襲来した奴らのすべてではない。

 

だいたい百とちょっとだ。実際に攻撃しているのはそのくらいしかいない。

 

いづれもが爆弾を落とし、魚雷を落とし、海面が変わるほどに爆ぜさせる。

 

「……?」

 

ん? いや、まてよ。

 

何かおかしいぞ。

 

モニターをもう一度よく見直す。

 

三枚に映る鮮明な画像。

そのなかの無人島に目を向ける。

 

墜落したヘリがもうもうと黒煙を上げている。

島と海の境目は、東側が切り立った崖と横穴。

西に砂浜を持ち、中央に広い森がある、そんな無人の島。

 

その上空。

 

おびただしいほどの敵が、島の周囲をぐるぐると飛んでいる。

 

違和感の正体はこれだった。

 

ヘリが墜落した地点を確認しているにしても、数が多すぎる。

あれはどう考えても墜落した機体を狙うために飛んでいるのだろう。

 

だが、おかしなことに一つの攻撃もしていない。

追い打ちをかけることもなく、通り過ぎることもなく、ただただ周囲を旋回している。

 

攻撃していないのか、それとも、

 

「……できないのか?」

 

転瞬、頭の中でめぐる考えに一つの筋が見えた。

 

使えるアイデアかどうかはわからない。確認が必要だ。

 

「フレンダ」

「なに?」

「対艦爆弾を陸地に使う場合、高度はどのくらい必要なんだ?」

 

陸地攻撃用の爆弾と対艦攻撃用の爆弾とでは、その性質が大きく異なる。

 

対艦攻撃を想定している場合、装甲をぶち抜いたうえで炸薬を活かすために、弾殻を厚くして爆弾そのものの強度を増している。

 

つまり低空から陸地に落としても爆発しない。

 

「接地面の性質によりけりだけど、相当上がらないと爆発しないよ。まして土なんてね、中途半端なところから落としたら地面に突き刺さるだけだよ」

「わかった」

 

逆に高度が上がると爆発するわけだが、その代わり狙いはつけられない。

狙いをつけるために低空を飛べば、爆弾は効力を発揮せず、無用の長物となる。

 

この状況から考えられる、我々に取れる手段とは。

 

――――森の中からの対空攻撃。

 

敵はこちらの位置をつかめない。

掴もうと低く飛べば爆弾が使い物にならない上、逆に我々は敵を狙いやすくなる。

 

作戦としては及第点だろう。

決定的な問題が残るが。

 

「あの数、どう出るのか……」

 

敵が物量を活かしてそこかしこに落とす可能性があること。

爆弾の雨を降らし、狙いなどつけず、ただただ面で攻めてくる。

そんな事態になると困る。

 

島の上空を飛んでいる大量の連中と、いまなお艦娘に攻撃を仕掛けている百近い敵機。

これらが一斉に降らせて来たら、隠れるうんぬんの意味がない。

 

どうする? やり過ごすか?

 

……そうだな、それしかない。

 

何もこちらからすべてを削る必要はない。

 

敵の燃料も無尽蔵というわけではないのだ。

ならば、いつまでもああして飛び回っているということも考えにくい。

 

いつか動く。動いてくる。

 

それさえやり過ごせば勝機はある。

 

「よし」

 

無線機のスイッチを入れ、モニターの向こうの彼女たちに繋いだ。

 

「――――増援艦隊諸君、こちらネルソンだ。島の東側に岸壁がある。横穴を見つけて退避せよ。繰り返す――――」

 

二度、三度と同じ指令を出す。

 

四度目で雪風との相互通信がかかった。

 

『ネルソン司令! 赤城さんと夕立が!!』

「雪風大丈夫だ、聞こえている。モニターでは詳しい状況が見えないから報告してくれ」

 

モニター越しに赤城が爆撃を受けたのは見えていた。

だが詳しいダメージまでは確認できていない。

 

すぐそばにいる雪風は、涙を必死に抑えた声で訴えた。

 

『赤城さんが、対艦攻撃に当たって、艤装がなくなって、あと、あと……ヒック……エグッ……』

「雪風、落ち着け、大丈夫だ」

『赤城さんが……ヒッ……し、死んじゃう……エッ……グ……助けて、司令……!』

 

雪風の嗚咽が止まらなくなった。

 

「どうなっているのか報告してくれ」

『血が、血が止まらないんです!』

 

…………血?

 

急いでモニターを操作し、周囲の状況を一度確認してから、目いっぱいにクローズアップをかける。

 

雪風が赤城を抱き上げているのがわかった。

なるべくはっきりと見えるところまで拡大し、その惨状を見て、

 

「なんだ、これは……」

 

息を飲む光景が横たわっていた。

 

赤城の胸元は真っ赤に染まり、海水によってそれが斑紋上に広がっている。

口元から首にかけては肌色の見える部分がない。

 

「吐血してるね」

 

フレンダものぞき込み、手元のメモ用紙に何やら書き込みをし始めた。

 

「お姉ちゃん、あれマズいよ。肺のどっちかが傷ついて、大量に出血してる。いくら艦娘でも内臓が逝ったら沈む沈まないの次元じゃなくなるよ」

「だが防護膜を無視してあんなことになるのか……? だとしたら」

「赤城は事実、あの様子だよ。爆弾一発であんなことになるのは私も信じられないけど、でも現実がそうなってる」

 

何が起きているのか。

 

――――ふと、今朝がたのことを思い出した。

 

最上の身に何があった?

 

あれは、ここ六十年、艦娘という概念にはなかったことじゃないか。

 

そしてただの人間には起きること。

 

人間に起きることが、艦娘にも起きた。

 

では、今まで艦娘にあったものは?

 

おい。

 

おいまさか。

 

「……フレンダ」

「その先、あんまり言いたくないんだけど…………艦娘、たぶん人間になっちゃったね。防護膜なんて期待できないよ」

 

完全に消えたわけではない。

もし消えていたら赤城は影も形も残らないだろう。

 

だが艦娘の生身の体を守っていた防護膜は、これまでの耐久力を失ったということだ。

 

爆撃をもろに受ければ内臓の一つや二つが逝く。

 

笑えん。ふざけるなよどうなっているんだ。

 

こんな状況で。

こんな境遇で。

 

本当に戦えるのか。

 

『て、提督……』

「赤城、しゃべるな!!」

 

無線越しに今にも消えそうな赤城の声が聞こえた。

まだ死んでいない。

 

だが長くはもたないぞ。

 

雪風の嗚咽交じりの声と、赤城の弱々しい呼吸音が聞こえる中、別の通信が入った。

 

『ネルソン提督、聞こえますか?』

 

大和からの通信だった。

 

「大和、無事か!?」

『こちらは大丈夫ですが、加賀が敵の攻撃を受けて艤装を失いました』

 

モニターを見る。最悪の事態が一瞬頭をよぎる。

しかし、そこに映っている人影はいくつかが重なっているものの、しっかりと七人分あった。

 

「沈んではいないのだな!?」

『今は私の背中で眠っています』

「大和、お前のダメージは?」

『少しもらっていますが、身体のほうはぴんぴんしていますよ!』

 

明るい声だった。

状況を理解していないわけじゃない。わかったうえでわざと明るくふるまっている。

 

無線はすべての者に開放してある。

つまり今意識のあるものは、赤城が死にかけていることと加賀がもう海上に立てないことを知った。

 

「……五十鈴は? 阿武隈は大丈夫なのか?」

『私たちは大丈夫よ! それよりどうするつもりなの!?』

 

叫び声が返ってくる。

 

よかった、二人とも無事らしい。

伊達に改装を重ねているわけではないということか。

 

しかし……。

 

モニターを見る。

敵は相変わらずの攻撃性を保ち、主に五十鈴と阿武隈にヘイトを寄せていた。

 

二人がうまく引き付けている。

 

そのおかげで赤城の周囲には敵が来ていないし、大和のところにもそれほど多くは来ていない。

 

彼女は両手がふさがっていても、かまわず機銃で対抗できることが救いである。

 

「どうすればいい。赤城は、どうすれば……」

 

気が焦りだす。

マズいぞ。今度こそはマズいぞ。

 

赤城を失えば、加賀は下手すると使い物にならなくなる。

ともすれば航空戦力はなくなり、硫黄島からの攻撃に対処する方法が大幅に減る。

 

いや、それだけじゃない。

 

そもそも艦娘の定義が変わった。

 

何が変わったのか未知数だが、少なくともダメージを受ければ死に直結する。

沈む沈まないではなく純粋に明確な死を迎えることになる。

 

それは今現在行われているこの戦いでも同じだ。

 

赤城と加賀は、このままでは何もできない。

横穴へ退避させることも、海の上で戦わせることも。

 

百歩譲って加賀を大和が運びきれるとして、赤城はどうしようもない。

雪風が運ぶことは不可能であり、夕立を雪風に任せるしかない。

 

――――赤城を見捨てれば、残りの者は助かる。

 

――――それは戦略としては正しいのだろう。だがそれでいいとは微塵も思わない。

 

頭が痛い。

 

悪い方向に流される。

思考が黒く染まっていく。

 

もう、赤城を見捨てる考えしか思いつかない。

 

このまま硬直すれば赤城だけでなく雪風と夕立まで失うことになる。

それは絶対にあってはならない。

 

決めねば、ならない。

 

「…………全艦に通達。戦っている者も、手を休めることなく聞いてくれ」

 

重い思考を無理やり動かす。

 

言いたくない。

 

だが指揮官としてできることは、その最大の責務は決断することにある。

 

私が下すしかない。

 

「現時刻をもって、赤城を艦隊から外し――――」

 

そこまで言った時だった。

 

『おいおいネルソン』

 

目の前の机に、柔らかな光とともに小さな彼女は腕組みをしながら現れた。

 

『確かに優秀な指揮官は即時の決断を求められる。でもだからって忘れられちゃあ困るなぁ』

「………女神?」

 

青いはっぴ姿の彼女は、よく通る声で、

 

『応急修理女神、ここに参上! ってね』

 

口元を不敵にゆがませながらそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




奇跡は、割とすぐ近くに落ちている。 by奥の手

随分とお待たせしました。新しい相棒が無事届きましたので、のそのそと更新を再開していこうと思います。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。