艦娘でも提督でもない生まれ変わり方   作:奥の手

35 / 40
第三十話 死にもの狂いの鬼ごっこⅡ

太平洋。

 

はるか遠い昔に、穏やかな波の様子からとってそう名付けられたこの海は、今も相変わらず静かである。

 

絶賛するほど綺麗なわけではない。

見るだけで惚れるような透き通った海ではない。

 

しかしそれで十分なのだ。

 

深海棲艦に占められた海域は、ドス黒く、ねばっこく、闇をも思わせる死の海域へと変貌する。

 

横須賀から飛び立って四百キロの海域。

ここは、黒くも無ければ敵もいない。

 

それを思えばこの何の変哲もない穏やかな海は天国である。

 

代わり映えのない平和な海に、一機のヘリが飛んでいた。

 

土佐中将とその秘書艦。

増援の艦娘6名。

パイロット2名。

 

総勢10人を乗せた大型の輸送ヘリは、青々とした空にローターの音を溶け込ませながら、静かな空を飛んでいた。

 

「提督さん、あとどれくらいで着くっぽい?」

 

鈍色の艤装と高角砲を装備した長い金髪の艦娘――――夕立が、隣に座る男へ首を傾げた。

 

その視線の先には中年の男がいる。

土佐中将だ。

 

白い軍服に身を包んだ彼は、腕時計に目を落としながら答えた。

 

「あと一時間くらいだな」

「えー……このイス固くて、お尻が痛いっぽいー……」

「ガマンだ。それと、あまり気を抜くんじゃないぞ」

「わかってるっぽい」

 

敵のいない海域とは言え、海に出ているのは確かだ。

 

いつどこから対空砲弾が飛んでくるかわからない。

 

一応のレーダーは張ってあるし、敵の電探にひっかからないよう機体そのものにも工夫はしてある。

 

だがそこまで対策を取っていても、襲われれば危険なことに変わりはない。

気を抜いてはいけないのだ。

 

「たったの一時間だ。ネルソン提督の鎮守府に着いたら、作戦会議と硫黄島偵察の手順を決める。決まるまでは小休止となるだろうから、それまでの辛抱だ」

「はーい」

 

土佐中将は夕立から視線をあげて辺りを見回す。

 

増援の艦娘は六人。

大和、赤城、加賀、五十鈴、阿武隈、雪風。

 

全員が艤装を付けている。

すぐにでも戦える状態である。

 

しかしその彼女達の表情に険しさはなく、隣に座る戦友と談笑に興じていた。

 

土佐中将は心中、こんなもので良いのかと疑った。

 

大きな戦いになる。

下手をしたら死ぬ娘が出るかもしれない。

 

だと言うのに彼女達は、暗い顔をするどころか、いつもと変わらない笑顔をずっと浮かべているのだ。

 

そんな事で良いのかと思う。

そんな具合で戦えるのかと。

 

もちろん信じていないわけではない。

 

彼女達の所属は横須賀だ。

きっとそれなりに練度も高い。あの横須賀なのだから。

 

そうは思ってもやはり、この目の前で笑顔を浮かべる横須賀の艦娘達に、不満を抱かずには居られなかった。

 

原因はある。

隣に座る、夕立の表情が優れないのだ。

 

いや、はたから見れば夕立は笑顔である。

いつもと変わらず、そして横須賀の連中と同じように笑みを浮かべている。

 

だがしかし、夕立が――――この子が生まれたときからその様子を見てきたからこそ、わかることがある。

 

夕立は確かに笑っている。

 

でも偽りだ。

 

緊張と恐怖で引きつりそうな顔を、貼り付けた笑みで誤魔化している。

 

明るい声で質問してくるのも、そう言った感情を悟られないため。

知られたくないがため。

 

この子はよく、自分の感情を隠そうとする。

 

「夕立」

「なに? 提督さん」

「肩の力ぐらいは、もう少し抜いて良いぞ」

「…………うん」

 

今の私から彼女に出来ることはこれくらいだ。

 

横須賀の艦娘達は、どうして笑っていられるのだろうか。

 

彼女達も偽りの笑みを張っているのだろうか?

付き合いの短い私にはわからない。

 

そうだとしたら別に良い。

夕立と同じなら、別に良い。

 

だがもし彼女達の余裕が、たとえ無意識であっても、見せつける形で夕立を苦しめているのだとしたら。

 

私は――――

 

「…………いや、よそう。そんな事を私が考えてはいけない」

 

 

 

 

土佐中将を乗せた輸送ヘリが周囲の異常に気が付いたのは、大和の言葉からだった。

 

大和は耳に手を当てていた。

 

ついさっきまで隣に座る加賀と話をしていたのだが、急に口をつぐみ、険しい表情をつくり出した。

 

眉根を寄せて中空を見ながら、電探からの反応を探る大和に、加賀がそっと話しかける。

 

「…………どうされましたか」

「対空電探に感ありです。ヘリの中だからかもしれませんが、その数を把握しかねています」

「ッ!」

 

大和の言葉を聞いた土佐中将は、すぐに立ち上がり、ヘリのパイロットへ機内電話をつなげた。

 

「聞こえるか!」

『中将、どうされましたか!?』

「敵だ! …………大和、方角と数は?」

「方角は北西、数はまだわかりませんが、少なくはありません!」

『聞こえました、了解です! 高度を下げた後にこのままネルソン大佐の基地まで飛びます!!』

「引き返した方が良いのではないか?」

『いえ、返す距離の方が長いです! このままの進路で飛び続けます!!』

 

コックピットからの有線が切れるなり、一瞬の浮遊感から、機体が高度を下げたのがわかった。

 

土佐中将は窓から外を覗き見る。

 

目に見える範囲に異常はない。

 

「大和、距離は?」

「およそ百キロです。敵の方が速いため、追いつかれる可能性は大きいです」

「もっと早くに気がつけなかったのか!?」

「す、すみません。ヘリの中からでは、レーダーが思うように飛ばせなかったので…………」

 

大和が申し訳なさそうに深く頭を下げた。

 

加賀と話し込んでいたから、とは死んでも言わないだろう。

いや、そもそも本当にレーダーが飛びにくかったのかもしれない。

 

いずれにしても結果は変わらない。

 

百キロなんぞあっという間だ。

戦闘機と輸送ヘリではウサギとカメの競争になる。

 

「どうすれば…………」

 

歯がみする。

何か打つ手はないかと考えるが、この輸送ヘリには敵機を迎撃できるほどの充分な装備がない。

 

いや――――まて、ちがうぞ。

 

「大和、ヘリからの対空戦闘は可能か」

「あ、えっと、出来ると思います」

「お前は撃てるのか?」

「いえ、私ではちょっと…………ですが、対空戦闘をする前に、赤城と加賀に迎撃させてはどうでしょうか」

 

土佐中将は狐に摘まれたような顔をした。

 

すぐに表情を引き締め、確かにその通りだと何度か頷き、赤城と加賀に向き直る。

 

「できるか?」

「善処します」

「やります」

 

頷くなり二人は矢をつがえた。

 

土佐中将がヘリの扉まで行き、手を掛け、一気に開け放つ。

 

猛烈な風が全身を叩き込む。

 

艦娘全員の髪が暴れ、土佐中将が片手で軍帽を押さえながら叫んだ。

 

「頼むぞ! 赤城、加賀!!」

「頑張るのはこの子達ですからね!」

「鎧袖一触……とは行かないでしょうが、なるべく頼みます」

 

ピュウッ。

 

と風を切る音が聞こえたかと思うと、放たれた矢は戦闘機へと姿を変え、高度を上げていった。

 

続けてもう2本と計3本。

 

二人合わせて6本の矢、機体総数にして24機が飛び立っていった。

 

「……………」

 

その後ろで、大和は静かに瞳を閉じていた。

意識は自分の対空電探。

 

ヘリの扉が一時的に開けられたため、敵の正確な方角とその規模を割り出せると思ったからだ。

 

そして実際に割り出せた。

 

大和の対空電探には、はっきりと敵の数が映し出されていた。

 

「え…………」

 

嘘かと思う。

自分の中に出された結果を、まず嘘かと思う。

 

何度も読み返す。

何度も見直す。

何度も感じ直す。

 

それでも、そこに出された結果は変わらなかった。

 

両手が、震えていた。

 

「と、土佐……中将……」

 

ヘリの扉が閉められ、一切の物音がしない静かな機体の中、大和のかすれた声が響く。

 

全員の視線が大和に集まる。

 

真っ青な顔で彼女は、粘つく喉から震える声を絞り出した。

 

「…………敵機の数が、八百を超えています」

 

 

 

 

「うそ、でしょ?」

 

五十鈴が眉根を寄せながら、大和に問いかけた。

 

この場にいる誰もがその言葉を聞いた。

そして誰もがその言葉を自分のものとした。

 

嘘だ。

 

そんなの嘘だ。

 

絶対に嘘だ。嘘であって欲しい。

 

願望の籠もった視線は、しかし首を横に振る大和の言葉であっけないほどに散らされる。

 

「私の対空電探で、この反応です。障害物はありません。ヘリの扉が開かれた時に読み取ったのですよ…………私だって……こんなの…………」

 

彼女は膝から崩れ落ち、力なく肩を落とした。

 

絶望的。

そんな安直な言葉がまかり通るほど、この世で恐ろしいことはない。

 

土佐中将は、どうすれば良いのかと考えた。

 

八百機。

 

八百機だ。

 

昨日闘った8倍の敵だ。

 

冗談かと思う。

全く笑えない冗談である。

 

冗談であって欲しかった。

 

だがもうどうしようもない。

これから出来ることは何だろうか。

 

輸送ヘリがどれだけ早く飛んだとしても、ネルソン提督の元へたどり着く前に、川のように飛んでくる敵機に飲み込まれてしまう。

 

よしんば逃げ切ったところで、八百機など、さすがのネルソン提督でもやりようがないだろう。

 

赤城と加賀がさっき飛ばした24機の戦闘機。

 

あれがいつまで持つ?

あれがどこまで持つ?

 

戦力差33倍だぞ。

 

一体どうやって、我々が生き残れるというのだ。

 

ない。

 

ことごとく無い。

 

まず間違いなく私は死ぬ。

パイロットも死ぬ。

 

夕立は? 夕立はどうなる?

 

自力で航行してネルソン提督の鎮守府までたどり着ければ、あるいは…………。

 

いや、むりだ。

この子はそんなに強くない。

 

対空戦闘もそれほど得意じゃない。

生きて敵機の中を何百キロもは進めない。

 

「提督さん」

 

ふと、土佐中将の袖を、夕立が握りしめた。

 

その手は震えていた。

 

土佐中将は夕立を見下ろすも、しかし彼女を慰める言葉は何一つとして思いつかない。

 

そのまま力なく呟いた。

 

「…………私には、もうどうすれば良いのかわからんよ」

「そんなこと言わないで欲しいっぽい……嘘でも良いから、大丈夫って言って欲しいっぽい」

「だが…………」

 

嘘をついて何になる。

 

敵の数が多すぎる。

 

こうしている間にも刻一刻と奴らは近づいてきているのだ。

その事実は、いくら慰めるための嘘をついたところで、変わらない。

 

笑顔で笑いかけても、明るく取り繕っても、もう助かる見込みはゼロに等しい。

 

「夕立、我々は…………」

 

口ごもった土佐中将は、しかしそこではたと気が付いた。

 

我々。

 

そうか。

我々なのだ。

 

ここには七人もの艦娘がいる。

全員が幸いにも対空戦闘を経験している。

 

この輸送機が攻撃をされても、この輸送機が墜落しても。

 

彼女達なら行けるかもしれない。

 

七人いれば、連携を取れば。

 

夕立一人ではないのだ。

彼女達で一つなのだ。

 

一つの艦隊として、そしてそれを指揮する提督が居れば――――。

 

「ッ!! そうか! 指揮権を移すぞ!!!」

「え?」

 

目を丸くする夕立を横目に、土佐中将はパイロットへの機内電話をとった。

 

つなぎ一番、パイロットの慌てふためく声が漏れる。

 

『ち、中将! 西の方角に、無数の敵機がぁ!!』

「落ち着け。いいか、メーデーを出せ。ここからならネルソン大佐の鎮守府まで届くはずだ」

『わ、わかりました。あの、中将! 我々は、大丈夫なのですか!?』

「運次第だ」

 

言って、一方的に通信を打ち切る。

 

――――運次第、か。

 

その通りだ。

途方もない運試し。

 

「全員、聞いてくれ」

 

視線を集める。

 

赤城と加賀は二人で何かを話していたが、一旦中断してこちらを向いた。

 

「君たちの指揮権を無線越しにネルソン提督へ移す。繋がり次第、ネルソン提督の指揮下のもと行動するように」

 

え? と言う声がいくつか上がった。

 

この場で指揮権を委譲すると言うことは、もう土佐中将からの指令は聞かなくても良いと言うことである。

 

ことにこれから戦闘行為をしようというのであれば、指揮権を他人に移すという行動は、そのまま〝指揮官を守れ〟という命令が出せなくなることを示す。

 

その場にいる全員が、土佐中将の目的を計りかねていた。

 

怪訝の視線に当てられて肩をすくめながら、土佐中将は続ける。

 

「私からは最期の指令を言い渡す。徹底的に抵抗しろ。絶対に諦めるな。死にもの狂いでネルソン提督の所まで逃げるのだ」

「て、提督さん? それじゃあ、提督さんが、まるで死んじゃうように、聞こえるっぽ……い……そんなの……」

「安心しろ夕立。初めから死ぬと決めたわけじゃない」

 

土佐中将は夕立の頭を優しく撫で、安心させるようにそう言って、しばらくするとヘリの扉を見た。

 

「敵が対空機銃の射程に入り次第、そこの扉から撃つ。雪風、出来るか?」

「もちろんですッ!! でも、全部はちょっと…………」

「雪風だけではない。全員だ。全員で撃って弾幕を張る」

 

それが出来るだけの大きさは、この出入り口にはある。

 

弾幕を張る。

 

それだけで十分などとは思わない。

 

だがもし、敵が少しでもこちらに近づくのを躊躇ってくれれば。

 

彼女達(艦娘)は生き残れる。

脱出する隙を作れるだろう。

 

本当は今すぐにでも逃がしたい。

 

しかし、ここにいるこの子達は、きっと反対するだろう。

彼女達は断固として断る。

 

なら納得させて、その上で逃がすより他はない。

 

「提督、意見具申の許可を」

 

加賀が手を挙げていた。

先程赤城と相談していた内容だろうか。

 

土佐中将は一つ頷き、続きを促した。

 

「私達はもう少し航空隊を出せます。弾幕を張る前に、低空からの抗戦をさせて下さい」

 

提案は、私達も闘わせろ、と言うものだった。

 

しかし土佐中将は首を縦に振らなかった。

 

「だめだ」

「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「君らの力を必要とする時が、もっと後に来る。そこで出せなくなると困るからだ」

「ですが……」

「これは命令ではない。お願いだ。だから無視してくれても構わんが…………今出すのは控えて欲しい、加賀、赤城。わかってもらえるか」

 

今出して、後の戦闘で出せなくなれば、空はあっという間に黒く染まる。

 

抵抗になるかはわからない。

後で出したからと言って生き残るとは限らない。

 

だがそれでも、今じゃない。

赤城と加賀の戦力をこのタイミングで使うことだけは愚策だと、この私でもわかる。

 

ゆえに許可できない。

 

土佐中将の強い眼差しは、加賀と赤城を納得させるのに足るものだった。

 

赤城は加賀の袖を少しだけ引いて下がらせ、意向に従うことを示した。

 

土佐中将が全員を見る。

 

踵をそろえる。

背筋を伸ばす。

 

ゆっくりと敬礼をして、そのまま静かな声で彼は言った。

 

「みんな、頼んだぞ」

 

各々が頷いた。

 

夕立に、いつもの笑顔は影も残っていなかった。

 

 

 

 

「初撃は雪風が勤めます! 合図で皆さんは、雪風の打ったところの周囲に弾をばらまいて下さいッ!!」

「「「了解」」」

 

ヘリの扉が開け放たれ、勢いのある風が顔を、腹を、足を叩いていく。

 

雪風は自分の身長の九割を占めているライフル型の対空機銃を抱えたまま、伏射の姿勢を取った。

 

土佐中将の目に、そのバカでかい装備が映り込む。

 

艦娘の艤装は形にとらわれることがない。

 

最も構えやすく、最も撃ちやすい形を追求した結果、最近開発される装備は、世の中に出回る銃器の形を取ったものが多くなってきている。

 

雪風の抱える対空機銃も、名前だけは〝対空機銃〟だが、どうみても対物ライフルであった。

 

原理はわからない。

この形のどこに大量の弾を連射できる機構があるのかわからない。

 

それでも雪風は、自分の抱える装備が、一体どんな扱い方をすれば一番望む形で活躍してくれるのかを知っていた。

 

俯せのまま頬をストックに押し当てる。

 

左手でそれを抱え込む。

右手の人差し指を軽く曲げる。

 

トリガーにほんの僅かだけ触れておく。

 

「ターゲット、エイム」

 

すぐ後ろにいる大和にも聞こえないような、小さな声で雪風は呟いた。

 

自分でも驚くほど冷たい声音だった。

 

スコープの高倍率越しに見る世界には、黒い十字線と、それにぴったりと重なる白い敵機が見えている。

 

距離は五千メートル。

 

この対空機銃なら、届く。

 

連射が効く。射程もある。

 

でもそれでも、五千メートルは遠い。

 

ほんの数秒で敵は近づいてくるだろうけど、でも遠い。

当たるかどうかはわからない。

 

だからこそ彼女、雪風は祈った。

 

太平洋戦争で〝幸運艦〟とうたわれた奇跡を。

 

そして〝白い死神〟として自分の中にいるあの妖精のことを。

 

彼はスコープが嫌いだったそうだけど、相手は人間じゃないんだから、別にいい。

 

「…………幸運の女神にキスを。ファイア」

 

息を止めて引き金を引く。

 

耳を叩いた轟音が、立て続けに鳴り響く。

 

反動で銃口が跳ね上がるのを利用し、一番最初に狙いを付けた敵機より上のやつに弾を叩き込む。

 

一発も外さない、それでいて途絶えない。

 

連続して吐き出された大口径の弾は、一つも逸れることなく、初弾が命中した敵の周囲10機を火だるまにした。

 

「今です! 撃って下さいッ!!」

 

雪風が叫んだのと、五十鈴、阿武隈、大和、夕立の砲火がうなりを挙げたのは同時だった。

 

弾幕と呼ぶにふさわしい物量であった。

 

大和の絶え間ない掃射。

五十鈴、阿武隈の刈り取るような射撃。

正確無比に敵を沈め込む雪風の弾。

広範囲に射撃し敵を攪乱させる夕立の砲撃。

 

土佐中将の目には優勢に見えた。

 

青い空を塗りつぶす敵の先頭が、真っ赤に火を噴いているのだから。

 

「これは…………いける、のか?」

 

思わずそう呟いた。

 

だが空戦は、そんな一部分だけを見て優劣が決められるほど簡単ではなかった。

 

銃声が鳴り響く機内に、聞き慣れない、否聞こえてはいけない音が反響した。

 

金属を高速で打ち付けるような音。

直後、尋常でない悲鳴が聞こえてきた。

 

「しまったッ!!」

 

土佐中将はコックピットの方を見る。

 

扉一枚隔てたその先には、二人の操縦士が居るはずだ。

 

悲鳴はそこから聞こえてくる。

 

「行って下さい提督! ここでヘリが落ちては犬死にです!!」

「わかっているッ!!」

 

大和の言葉に叫び、駆け出す。

 

大した距離じゃない。

10メートルあるかないかだ。

 

いやそれでも10メートル。

 

扉にたどり着き、ノブに手を掛け、鍵がかかっていることに気が付いたときには、ヘリが傾き初めていた。

 

悲鳴が聞こえない。

 

まずい。このままではまずい。

 

「くっそ!」

 

上着の内側から、支給された拳銃を取り出す。

ドアノブの上から数発叩き込む。

 

勘だ。どこを撃てば鍵が壊せるかなど知らなかった。

 

だがその勘は当たったようで、勢いよく蹴破ったドアは、破損した鍵をバラバラに散らしながら開いてくれた。

 

コックピットは地獄だった。

 

上から掃射され、一人は即死、もう一人は右手と左足が飛んでいた。

すでに息もない。

 

だが即死を免れた方の操縦士は、最後の力を振り絞ったのか、ベルトで左手を操縦桿に固定していた。

 

土佐中将は大急ぎでその死体を席から引きずり下ろす。

 

「よくがんばった。ゆっくり休んでくれ」

 

呟き、ベルトを外し、残った左手を胸に持って行ってやる。

 

それも一瞬、すぐさま操縦桿を握り直す。

 

「動、けぇ!」

 

渾身の力で重い操縦桿を操り、機体を元の位置に戻す。

 

横目に、地図が映っていた。

 

現在位置との照合がすぐに出来るものだった。

 

「こ、れは……ッく!!」

 

地図から顔を上げる。

すぐ目の前に、漆黒の機体が突っ込んできた。

 

操縦桿を倒す。

弾はいくつかが逸れ、ほとんどが機体の左側に命中した。

 

打ち付ける鉄の音と、危険を知らせるアラームがコックピットに鳴り響く。

 

だがそんな事は露にもかけず、力の限り機体を振る。

 

速度を落とさず旋回する。

 

上昇していった敵機の急降下射撃を食らえば、自分もまた横に転がる死体と同じ運命をたどる。

 

そんなわけにはいかない。まだ、後ろに居る艦娘達を逃がせていない。

 

「ちっくしょおおおおお!!!!」

 

叫び、操縦桿を倒す。

すぐ目の前に広がる、血しぶきとひび割れでよく見えないガラス越しに、敵機の曳光弾が全て外れたのを確認できた。

 

その時同時に、赤濡れたガラス越しに青々とした島が見えたのは、彼の人生で最大の幸運だったかもしれない。

 

一瞬で地図と照らし合わせる。

ネルソン提督の島ではない。

 

だが無人島だ。一般人の巻き添えは心配ない。

 

――――イチかバチかあれに掛けるッ!!!

 

ヘリを急降下。

 

海面から僅か三十メートル付近まで機体を降ろす。

 

血だらけのガラス越しに、上空を蝿のように飛び回る敵機が見えていた。

 

無数の機銃が火を放つ。

 

吸い込まれるようにしてヘリに向かっていた。

 

土佐中将の目には、曳航弾道でハッキリと見えるその銃撃が、恐ろしく遅いものに感じられた。

 

――――あぁ、これが、死に際か。

――――いや、まだ、死ねんッ!

 

「ッッッアアアアアアアアアアアアァァァ!!!」

 

折れんばかりの力で操縦桿を倒す。

 

機体が横を向く。

 

テールローターが敵の銃撃で吹き飛ぶのが見えた。

 

そんなところがコックピットから見えたと言うことは、このヘリは、今真っ二つになったのだと、彼は頭の中で冷静に判断出来た。

 

スローモーションで世界が動く。

 

機体の右側から、いや、今は下になっている場所から、人が落ちていくのが見えた。

 

大和だ。

 

五十鈴だ。

 

雪風だ。

 

阿武隈だ。

 

赤城だ。

 

加賀だ。

 

――――夕立、だ。

 

よかった。

 

彼女達が艦娘で、よかった。

 

落ちた先が海で、よかった。

 

あれなら助かる。

あれなら動ける。

 

動いて、逃げて、逃げて、逃げ続け、どうか、ネルソン提督の所までたどり着いてくれ。

 

このヘリが囮になる。

島に落ちれば、火の手が上がる。

 

ほんの少しでも時間は稼げる。

 

ネルソン提督への目印にもなる。

指揮権は今、彼女にある。

 

航空映像から火の手を見つけて、大和達にたどり着いてくれれば。

 

うまくいけば、ネルソン提督から、助けを寄越してくれるかもしれない。

 

「……うまく、いけばいいなぁ」

 

地面が近い。

 

腕に、力が入らない。

 

足も、力が入らない。

 

天と地が逆さまだった。

ヘリはひっくり返っていた。

 

緑豊かな無人島が、視界の上から迫ってくる。

 

その時だった。

 

 

白く、ゆっくりとした、それでいて鮮明な光景が目の前に広がった。

 

 

 

――――○――――

 

 

 

――――あぁ、これ、病院だ。

 

あの子が生まれたときの光景だ。

 

妻は笑って、私は泣いて、あの子はそれ以上に、元気よく泣いていた。

 

でも、元気そうに見えても、あの子は病気だったんだよなぁ。

 

妻の病が、遺伝子から感染していた。

 

 

――――こんどは、風呂か。

 

あの子を初めて風呂に入れた。

 

膝の上に乗るような、小さな、小さな体だった。

 

 

――――初めて、あの子が立った日。

 

リビングだった。

 

テレビを一緒に見ていたら、不意にソファにつかまって。

 

つかまって、立ったと思ったら、私の方に飛び込んできたのだ。

 

よく覚えている。

 

思わず私が泣いてしまったのも、よく覚えている。

 

 

――――今度は、始めて行った遊園地か。

 

観覧車を怖がっていたな。

 

でもジェットコースターは好きだった。

 

 

――――テストで百点を取った日。

 

晩飯は確か、あぁ、そうだ。

 

焼きそばだ。あの子の大好物だった。

 

お祝いに焼きそばだ。喜んでいたな。

 

 

――――あの子が、体調を崩したとき。

 

気が気ではなかった。

 

仕事も全て休み、付きっ切りで看病した。

 

病院の診断は残酷だった。

 

遺伝した病に、蝕まれていた。

 

長い間、入院生活を送ることになった。

 

 

――――妻を、病気で無くした日。

 

こんな所まで見てしまうのか。

 

いや、でも、仕方がない。

 

忘れることなど出来ないからな。

 

あの子は一晩中泣いていた。

 

何週間も、元気がなかった。

 

 

――――あの子が、艦娘になった日。

 

病は、艦娘を殺せない。

 

永くても15だと言われていたあの子は。

 

あの子は、妻を殺した病に、殺されなくなった。

 

嬉しかった。

 

これほど嬉しいことはない。

 

あの子は艦娘に、〝駆逐艦夕立〟に救われた。

 

 

――――泊地に、私と夕立が就任した日。

 

二人だけだった。

 

配属初日に、たった二人でパーティーを開いた。

 

一ヶ月もすれば他の艦娘も配属された。

 

夕立は、友達が出来て嬉しそうだった。

 

 

――――泊地の島で、縁日に出た日。

 

調子に乗ってかき氷と焼きそばを食べ過ぎていたな。

 

本当によく食べていた。

 

翌朝。

 

制服のホックが閉まらないと、泣きついてきた。

 

よく覚えているよ。

 

わざわざゴムに変えてあげたんだっけな。

 

あれでよく出撃できたもんだ。

 

 

 

あぁ、これは、あのときの――――。

 

 

 

――――○――――

 

 

 

ずいぶんと、長かったと思う。

白い光景はゆっくりと流れ、止まり、徐々に光を失っていった。

 

 

そうか、もう終わるのか。

最期の最期に、いいものが見られたな。

 

ありがとう。

本当に、幸せだった。

 

 

――――夕立。どうか、長生きするんだぞ。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。