つたない物語ですが、それでも応援して下さる読者の方々に心より感謝します。
「死にもの狂いの鬼ごっこ」編、始まります。
恵と満潮を執務室から送り出し、一人残った山城の方を見る。
少し疲れたような顔をしている。
「すまんな、山城」
「満潮も満潮で、どうして素直に言えないんですかね」
「性格だろう。上手くフォローしてやってくれ」
「それ私がすることなんですか………」
「仲良いだろ? 風呂もよく一緒だし、飯もいつも隣じゃないか」
「たまたまです」
真顔でそう返した山城は、執務室から出ようと扉に手を掛けた。
その背中に慌てて声をかける。
「あぁ、山城、すまんが扶桑を呼んできてくれ」
「わかりました」
頷き、パタンと扉が閉められるのを見て、私も執務机に腰掛ける。
午後一時に到着する横須賀からの増援。
その輸送ヘリに同乗して、土佐中将とその指揮下にある艦娘も一緒に乗ってくるらしい。
「んで、その指揮下の艦娘というのが、夕立一人だけとはいったいどういう嫌がらせだ」
思わず独りごちてしまう。
それほどにばかばかしい。
追加で送られてきた情報によると、もう舞鶴のことを心配する必要がないのでだいぶ時間に余裕が生まれた、と本部は考えているそうだ。
それに伴って偵察や攻撃も、急ぐ必要は無いと決定してしまったらしい。
こいつらの脳みそはいったい何色なのか、一度開いて見てみたい。
のんびり動いて東京が火の海になったら誰が責任を取るのか。
蜻蛉大将だな。ああかわいそう。
「バカもここまで行くと笑いが出るな……」
出てくるのは苦笑だが。
これは推測だが、土佐中将の泊地が日本海側に面していることもあって、そこから輸送しようとすると今日中には無理なのだろう。
多大な金を払ってまで早急に運ぶ必要は無いと判断したのか、それとも私の指揮下の艦娘もいるし、増援も送ったのだからそれらを駆使して偵察も攻撃もしろというのか。
果たしてどちらなのかはわからんが、指揮官と秘書艦だけ送って〝偵察隊〟とさせる辺りに思わず閉口してしまう。
正直こうなると土佐中将がここに来る意味がわからん。
「…………さて」
机の上のペンを取り、頭を切り換えて今後のことに集中する。
と、意気込んだところにコンコンと二回ノックが響いた。
「入って良いぞ」
「失礼します。お呼びでしょうか」
扶桑だった。
「忙しいかもしれんが頼み事をしてもらえるか」
「構いませんわ。艤装の手入れはもう済みましたし、ちょうど手持ちぶさたでした」
「それはよかった。土佐中将のために、部屋を用意してもらえるか? あと、今晩のために男湯の方も頼む。妖精に言えばやってくれる」
「了解です」
一礼して執務室から出て行く扶桑を横目に、私は机の上の書類に目を落とす。
硫黄島からの攻撃はまだ無い。
いつ来ても大丈夫なように、手は打ってある。
最上の偵察機を飛ばして、周囲に異常があれば部屋から無線機でこちらに連絡するよう伝えた。
知らせがあれば、ものの三十秒で私の艦隊は臨戦態勢に移れる。
そういう訓練をいままで行ってきた。場所が場所なだけにな。
最上には酷なことをしたが、彼女がこの作戦で働くのはこの一回きりのつもりだ。
あとは余裕が出るまで休んで欲しい。
「…………敵も、偵察とは言えあれだけの痛手を負ったのだ。そうすぐには動けんだろう」
奴らの攻撃は早くても今日の晩か。
そういった見立てがあってこそ、少年の輸送や増援艦隊をヘリで動かすことに決めたのだ。
ふと時計を見ると、もうあと三十分ほどでフレンダが来る事に気が付いた。
少年を送り出すための用意は出来ている。
着替えと…………いや着替えだけか。
むしろフレンダの所では買い物が出来るから、足りない物は現地で調達すればいい。
お小遣いを握らせとくか。
○
鎮守府の玄関口から、恵を引き連れて外に出る。
すぐ目の前では、着陸しようとホバリングする迷彩柄の巨体が、轟音を出して浮いていた。
ローターが生み出す風に、私の髪が暴れてしまう。
左手一本では抑えにくいな。くくっておけば良かった。
まぁいまさらか。
土を踏み固めて出来たヘリポートに、一機の大型輸送機が着陸した。
パタパタパタパタ――――とせわしなくまわっていたローターが、次第に速度を落とし、ヒュインヒュインという音になってくると、風ももう気にならない。
「す、すごい……」
感嘆の声をもらしながら、恵が目を輝かせていた。
体の前で両手がぷるぷると震えている。
「あれに乗ってしばしの旅となる。楽しみか?」
「えっと……わくわくするけど、やっぱり寂しいです」
「ははは、正直だな。まぁこっちはなるべく早く片付ける。時雨とはちょっとの間離れるが、向こうでも退屈はしないと思うぞ。海に出て練習したかったら、ゴーヤに教えてもらえばいい」
「ゴーヤさんって、でも潜水艦ですよね?」
「やつは大体のことが出来る」
艤装の使い方ぐらいなら、フレンダでもゴーヤでも教えてくれるだろう。
ヘリのローターが慣性でゆるゆると回り、エンジンが切られた頃、ドアが勢いよく開いた。
「おねえええええええええちゃああああああ――――」
叫びながら両手を広げて私の所まで走ってきて、しかし視線が私の隣にいる恵を捕らえると、
「ぁぁぁぁぁ………ゲホッ、こほん――――久しぶり、お姉ちゃん」
落ち着いた声でフレンダは挨拶をした。
「こっちが、例の少年かな? 初めまして」
「は、初めまして、恵といいます! よろしくお願いします!!」
「おぉ…………うん、よろしく。フレンダだよ」
フレンダの豹変ぶりに恵の目が白黒しているが、あえて何も言わないでおこう。
彼女も相変わらずでなによりだ。
二人はお互いに握手をし、手を離した恵がどこかそわそわしていることに気が付いた。
なんだろう、トイレか? ……ではないな。フレンダの後ろを見ている。
あ。
「フレンダ、恵に見学させてやっても良いか?」
「もちろんいいよ」
了解を取る。
なるほどヘリに興味があるとはな。
男の子だからか? いつかの本で読んだ気がするが、どこかくすぐられるのだろう。
可愛い盛りだ。
「よく見ておいで」
フレンダの言葉に、ぱあぁっと満面の笑みを浮かべた恵は、嬉しそうにお礼を言って、ヘリの所まで走っていった。
その様子を見送ったフレンダは、振り返って私の目をまっすぐに見る。
「…………久しぶりだね、お姉ちゃん。もう5年になるよ」
「あぁ。元気そうで何よりだ」
フレンダの目が、次第にユラユラと揺れだして、堪えきれなかった涙が頬を伝った。
「お姉ちゃん、抱き付いて良い?」
「いいぞ」
震える手をおずおずと伸ばし、私の肩に指先が触れると、フレンダは勢いよく私に抱き付いた。
すすり泣く声を耳元に聞きながら、私も左手でフレンダの背を撫でる。
彼女の体温は暖かく、痛いくらいに締め付けてきた両腕は、確かに、懐かしいフレンダのものだった。
私は両手では彼女を抱けない。
代わりに、足りない右手の分、左手に思いを込めて彼女の背をとんと叩いた。
そうするとフレンダは涙声で、私にだけ聞こえる声で、
「お姉ちゃん」
「なんだ」
「キスして良い?」
「それはやめておけ」
フレンダからは見えないが、ちらちらと恵がこちらを覗いている。
教育上よろしくない。
○
ヘリの操縦士は初老の男性だった。斉藤さんと言うらしい。
私は応接室に彼とフレンダを招き、扶桑にお茶を入れて貰ってから、お互いに話を進めていった。
ただし、フレンダが深海棲艦であったことは内緒だ。
最初はフレンダの持ってきたお土産についての話から始まった。
最上のためにいろいろ買ってきてくれたことに感謝を言いつつ、なぜ最上の状態を知っているのか問い詰めると、青い顔をしながら彼女はあっさりと白状した。
全く気が付かなかったが、目の前に撮影機が現れると納得した。
小さい、手のひらサイズなのだ。おまけに消える。
すごいなこれ。没収。
他にもフレンダは、硫黄島奪還作戦に向けて多くの装備を持ってきてくれた。
駆逐艦用が多かったが、電探関係が豊富であったのと、対空装備を中心にしてくれたのは助かる。
だいぶ戦力が底上げされるぞ。ありがとなフレンダ。
だが盗撮はゆるさん。
そして話の内容は、本題である輸送について。
正式な仕事なので依頼書も作ったし、もちろん偽装書なので、その辺りの口封じを斉藤さんにしておく。
フレンダと繋がりが深いので信用できないわけではないのだが、一応な。念のため。
「以上です。輸送に関しての詳細を秘匿することに、ご了承いただけますか」
「もちろんです」
書類にサインをして貰い、本人の押印を確認して、手続きは終了である。
「…………よろしくお願いします、斉藤さん」
「任せて下さい。いやね、実は私にも息子がいるんです。ちょうど同じくらいの」
「ほお」
「安全第一で運んで見せます」
白い歯をきらりと見せた初老の男性は、引き締まった肉体も相まって、なかなかに頼もしかった。
任せたぞ、斉藤君。
「ところでお姉ちゃん」
「どうした?」
「いつ出発しようか」
「あぁ、それはもう――――」
なるべく早いほうが良いだろう。
そう答えようとした瞬間だった。
『提督、大変ッ! ボクの偵察機が撃墜された!!』
ポケットに入れていた無線機から、慌てた最上の声が、応接室に響き渡った。
○
鎮守府から沖合三百キロのところで通信が途絶えた最上の偵察機は、まず間違いなく敵に撃ち落とされていた。
途絶える間際、白い機体に襲われたという報告があったらしいので、恐らくは敵の航空隊だ。
艦隊の対空砲にやられたわけじゃない。
撃ち落とされただけでも相当にマズイが、状況はいっそう最悪だった。
偵察機は私の鎮守府から西へ行ったところで落とされた。
つまり、この場所からフレンダの研究所まで飛び立つことは出来ない。
もし飛ぼうものなら敵機ひしめく死の空をかいくぐっての飛行になる。冗談じゃない。
そんなハイリスクを負わせてまで恵を送るわけにはいかない。
執務机に座りながら、あくまで冷静に、最上の報告にあったとおりの情報を周辺の海図に書き入れていく。
斉藤さんは現在、客室で待機して貰っている。
言っちゃ悪いがこんな状況で鎮守府内をうろうろされては邪魔だ。
扶桑以下、最上を除く六名の艦娘には、艤装を付けて待機命令を出している。
ゴーヤにも臨時で私の指揮下に入ってもらい、これで七名。
いつでも出撃できる状態である。
もし私の鎮守府に敵機が近づこうものなら、対空電探でその方角と距離がわかる。
撃ち落としてやる。一発もここへは触れさせん。
自分の思考を机の上の海図へ向ける。
「距離と方角、敵の侵攻方向は北であることを考えると、目標は横須賀か……?」
「…………たぶんちがうよ」
執務机に座っている私の横では、フレンダが立ったまま海図をのぞき込んでいる。
その表情は真剣そのものであり、彼女が時折見せる、本気の顔だった。
情報が少ないゆえに、頭脳を借りる。
「規模がわからないから断定はできないけど、でも昨日の今日で同じルートから攻撃を仕掛けるとは考えにくいよ。横須賀じゃない」
私が
ほんの数十時間前に戦力を計るために送った強襲偵察隊が、残存戦力10パーセント未満で帰ってきた。
そんなところに、同じ方法で、同じ方角から再び攻撃を仕掛けるだろうか。
答えは否だ。あまりにも無謀すぎる。対策を取られていると真っ先に考える。
ではどう見る? 私ならどう動く?
きっと間に何かないか探すだろう。
中継地点になるような。方角を変えて攻めるための布石となるような場所を探す。
つまりここだ。
「西から迂回して横須賀を攻撃していると見せかけ、本当の目標はこの鎮守府か」
「あり得るけど、でもどうして三百キロも離れるの? 航続距離は無限じゃない。遠回りして機動力が無くなるくらいなら、空母が接近して叩くはずだよ。私ならそうする」
ごもっともだ。迂回するにしても、三百キロもの距離を取る理由にはならない。
なんだ。一体何がしたいんだあいつらは。
いや、まて、落ち着け。
冷静さを欠いたら負けだ。こういう時にこそ落ち着き、考えろ。
「…………迂回、目標………北上でないとしたら、西回りで何が出来る……?」
横須賀からこの鎮守府まで約七百キロある。
この鎮守府から硫黄島まで約六百キロある。
もしも取りたい敵の島に、増援をよこせる輸送路があったら?
もしも相手にしなければならない敵が、増えてしまうとしたら?
もしそれが、空を使う道だとしたら?
――――瞬間、頭の中で何かがはじけた。
「分、断……」
凍りのような悪寒。
即座に立ち上がり、無線機のスイッチを全て入れ、全周囲回線にしてヘッドフォンを耳に当てる。
同時に叫んだ。
「フレンダ!! 今何時だッ!!!」
「え、えっと、12時をちょっと過ぎたところ」
頭がクラクラする。
目の前に火花が散る。
頼む、頼む、冗談じゃないぞ。
無事でいてくれ、頼むから。
――――土佐中将を乗せた輸送ヘリからは、救難信号が出されていた。