艦娘でも提督でもない生まれ変わり方   作:奥の手

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添い寝から始まる少年視点。


第二十八話 その白い小さな布

良い香りがした。

 

甘いような、引き込まれるような、でもどこか跳ね返ってくる感じのする。

 

まどろみの中で鼻をくすぐるその香りは、でも僕の記憶にはない物だった。

 

「ん……あさ……?」

 

もうずいぶんと聞き慣れた自分の幼い声で、目を覚ます。

 

体は俯せだった。起き上がらずにそのままぼーっとする。

 

「んん……」

 

小さな手でまぶたを軽くこすって、ぼやけた視界を少しずつ鮮明にしていく。

 

すぐ近くに何かあった。まだ見えない。

もうちょっと強くこすると、目の前に何があるのか見えてきた。

 

栗色の髪の毛が、小さくユラユラと揺れていた。

 

「おはよ。よく眠れたかしら?」

 

こしょこしょ声でそう囁かれ、頭を撫でられる。

あぁ、時雨お姉さんじゃない。嫌じゃないけど、時雨お姉さんじゃない。

 

「…………おはようございます。朝雲さん」

「ええ、今朝は君にプレゼントがあるわよ」

 

起きたばかりでまだハッキリとしない頭を持ち上げて、柔らかなベッドの上に体を起こす。

 

正座のような座り方をしようとしたら、足の間にお尻がすっと落ちてしまった。

よく見る女の子座りかな。

まぁ、足が痛いわけじゃないし、これでいっか。

 

だんだんとハッキリしてきた意識を使って、辺りを見回す。

 

見慣れた部屋じゃない。

時雨お姉さんの部屋とは違っていた。

 

似たような木づくりだけど、置いてある物が少し違う。

 

「ええっと……ここどこ?」

「私の部屋よ。あ、もしかして時雨の方が良かった……?」

 

目の前で少しだけしょんぼりした朝雲さんに、慌てて僕は首を振った。

 

「ううん。全然嫌じゃないよ。でもなんで」

「なんとなく、ね。人肌恋しかった……じゃないけど、ほんとに、ただなんとなく一緒に寝たかったのよ」

 

そんな気分になるときもあるのかな。

ハッキリとは、僕にはわからなかった。

 

朝雲さんと一緒に寝たこと自体は嫌じゃないし、というか、もの凄くよく眠ってしまって昨日どこで寝始めたのかあまり覚えてないから、そんなに気にとめるようなことじゃなかった。

 

それよりさっき朝雲さんが言ったことのほうが気になった。

 

「プレゼントって、何のことですか?」

「じゃーん」

 

そう言いながら朝雲さんが体の前に出したのは、墨で文字が書かれた紙だった。

 

漢字が書いてある。えっと……〝恵〟?

 

「これは、なんですか」

「君の名前。思い出せないみたいだし、やっぱり無いと不便でしょ? 艦隊のみんなで集まって決めたのよ。あ、最上はちょっとした事情で参加してないんだけどね」

「なんて読むんですか?」

「〝けい〟よ。今日から君は恵くん……あ、恵のほうが親しみあるかな」

「恵……僕の、名前……」

 

聞いた途端、何かがすとんと心の中で落ち着いたような気がした。

 

いままで浮ついて漂っていた何かが、ちゃんと足を付けて地面に立っているような感覚。

 

「うれしい……うれしいです! ありがとうございます!!」

「喜んでもらえて何よりね。さ、着替えましょ」

 

明るくそう言いながら、朝雲さんはベットの影から紙袋を取り出した。

 

着替え、という単語を聞いて思い出した。

僕は昨日お風呂から上がって、何を着た? 

 

すぐに自分の体に目を落とす。

 

「あ…………」

 

僕は青いパジャマを着ていた。

 

サイズの合っていないジャージじゃなくて、ちゃんとぴったりと体にあった、青いチェックのパジャマ。

 

昨日お風呂から上がってもの凄く眠たくて、時雨お姉さんに服を着せて貰ったのは何となく覚えている。

 

そのあとは、うーん…………何したか思い出せない。

でもこの服は、着せてもらったのを覚えてる。

 

すると何かが頭の中を走った。

 

一瞬よぎったそれは、時間にして一秒もしないうちに大きくふくれていって、僕はどうしようも無く確認したくなって、穿いているズボンの腰回りに手を掛けた。

 

そのままぱかっとのぞき見る。

視線は自分のおへその下。

 

……。

…………あ。

 

はいてる。僕パンツはいてる。

 

え?

 

「僕のパンツ!?」

 

思わず声に出してしまった。

すっとんきょんな声だった。

 

「昨日、ネルソン提督が服屋さんで買ったのよ。横須賀の周りには子供服も売ってるから。私達がちょうど合流した頃だったわね、一緒に選んだのよ」

 

朝雲さんは目を細めて嬉しそうにそう言い、紙袋からいくつかの服を取り出した。

 

どれも子供用で、オシャレな物から動きやすそうな物までそろっている。

 

色とりどり、形も様々な子供服を視界の端に捕らえながら、僕は、久しぶりに下半身の安泰を取り戻せたことに感動した。

 

こんなにもパンツをはけることが嬉しいことだったなんて。

ありがとうございますネルソン提督。本当にありがとうございます。

 

もうこれでおまたがスースーして不安になることもありません。

 

…………満潮さんにも、これでもう怒られないよね。

ちょっと恥ずかしいけど、あとで見せにいってみようか。もうちゃんとはいてるよって。

 

よし、そうしよう。

 

「どれでも好きなのを選んでみて。選びながら、今朝決まったことをかいつまんで説明するから」

 

そういいながら朝雲さんはベッドから降りて、机の上に置いてあったクリップボードを手に取った。

 

僕はその様子を目で追っていたけれど、クリップボードを持ってベッドまで戻ってきてくれたので、並べられている服に視線を戻した。

 

本当にいろいろある。

 

黒っぽい制服みたいなのもあるし、デニムの短パンに何かキャラクターが描かれたTシャツもある。

 

……え、あれ。あれあれ。

 

スカートもある。スカートだ。

 

どう見てもひらひらした、女の子が穿くためのスカートがある。

 

ショッキングピンクと黒のチェック柄のひらひらしたスカートが。

 

僕はそれを指さしながら朝雲さんの方をみた。

 

一応間違っているかも知れないので確認を取る。

 

「あの、これ、スカートですよね?」

「ええそうよ」

 

間違いはなかった。

 

じゃあ、今度は誤解されているかも知れないので確認を取る。

 

「僕、男ですよね?」

「昨日一緒にお風呂入ったし、そうよね。私初めて見ちゃったんだけど、やっぱり恵は男よね?」

 

最初ヘリから見たときは艦娘かと思ったけど、と朝雲さんは付け足した。

 

そうだよね。僕は男だよね。みんな知ってるよね。

 

「…………なんで、スカートがあるんですか」

「選んだのはネルソン司令だから、司令に直接聞いてみればいいじゃない」

 

そんな事をこともなげに言った朝雲さんは、とても愉快そうに笑っていた。

 

 

 

 

「恵に関係のあることは、これくらいね」

 

バンザイをした状態から黄色いシャツを着させてもらい、下はデニムの短パンを穿かせてもらう。

 

スカートなんて絶対には穿くもんか。

ネルソン提督にはあとでちゃんと話してもらうよ!

 

「はい、足」

「うん」

 

僕は朝雲さんに、昨日と今日の朝決まったことを聞かされた。

 

大きく僕に関わるのは、僕がフレンダさんの所へ送られること。

安全のために避難するのと、僕自身のことをデータに取るために、研究施設へ送るらしい。

 

羅針盤かなぁ。そうだよね。

 

昨日は寝ちゃって、羅針盤のことは夕方の電話でしか話せてないんだけど、ネルソン提督には、もしかすると扶桑さんがちゃんと話してくれたのかも。

 

というか僕自身も妖精さんから聞いたことしかわからないし、きっと僕が直接何か説明しなきゃいけないってわけじゃないよね。

 

でもそっか。僕、フレンダさんの所へ行くんだ。

 

そう思うと寂しいなぁ。

二週間ぐらい、時雨お姉さんに会えないんだよね。

 

それに、フレンダさんって優しいのかなぁ。

ネルソン提督のあの話だと、もともとは深海棲艦なんだよね。

 

いまはその事を隠してるって言ってたけど、もしかしたらもの凄く怖い人かも。

 

「ねぇ、朝雲さん」

「なに?」

「フレンダさんって、どんな人?」

「変わった人だけど、何というかよくわからないわね。会う度にテンションが違う人かしら。あ、でもネルソン司令が大好きよ。これはいつ会っても変わらないわ」

「…………怖くはない?」

「怒ったところは見たこと無いし、別に怖い人じゃないわ」

 

そっか。じゃあ、安心かな。

 

時雨お姉さんと離ればなれになるのは嫌だし、そのうえ怖い人と二週間も一緒だったら、僕はもう逃げ出すしかない。

 

大丈夫かなぁ。たぶん。

 

「他に聞きたいこととか、ある?」

「今日の朝ご飯は何ですか?」

「何だったかしら。司令と山雲が作ってるから、美味しいごはんが出るのは間違いないわ」

「楽しみです!」

 

おなかへった。

 

そっとおへその辺りをさすりながら、僕はベッドから降りて、朝雲さんが残りの服を紙袋へしまうのを手伝った。

 

しまい終わると、朝雲さんは机のほうへ。

僕はベッドのふちに座る。

 

鎮守府のみんなはもう起きているらしい。

 

時計を見ると午前7時をちょっとだけ過ぎていた。

 

フレンダさんが迎えに来るのが11時だから、それまでに、時雨お姉さんにお別れの挨拶をしなきゃ。

 

あぁ――――いやだな。

 

時雨お姉さんとあえなくなるの、なんかいやだなぁ。

 

「……あの、朝雲さん」

「ん?」

 

朝雲さんは机で、立ったままクリップボードの紙に何かを書いていた。

 

ペンを止めてこちらを見てくれた。

 

「僕、どうしても、フレンダさんの所に行かなきゃダメですか?」

「あー…………」

 

朝雲さんはペンを頬にあてて、視線をあげてほんのちょっとの間何かを考えていた。

 

不意に僕の方へ目線を戻して、申し訳なさそうに眉尻を下げながら、

 

「恵がここに残ると、万が一があったときに命が危ないわ。守りきれる保証がない。もし恵の身に何かあったら、一番悲しむのは誰かしら?」

「…………時雨お姉さん、かな」

「あたり。時雨は君をフレンダさんの所へ送るのに、反対してはいなかったわ」

 

そっか。よく考えれば、そうだよね。

 

僕のわがままで時雨お姉さんに心配をかけるのはダメだ。

 

「わかりました。ごめんなさい」

「謝る必要なんて無いわよ。ほら、そろそろ出ても良いでしょうし、食堂に行くわよ」

「……?」

 

なにか変な言い方だった。

 

出ても良い? 

 

「部屋から出ちゃいけなかったんですか?」

「そうなのよ。司令からの通達」

「何かあったんですか」

 

ほんのちょっと心拍数が上がった。

 

別に朝雲さんの態度が切迫していたわけじゃないから、そんな大事件……時雨お姉さんに何かあったりとかはしないと思うけど、でも部屋から出ちゃダメって、なにがあったんだろう。

 

「べつにたいしたことじゃないわよ。恵が心配する事じゃないし、したってどうしょうもないわ」

 

肩をすくめながら朝雲さんはそう言い、手に持っていたペンをクリップボードと一緒にテーブルにおいて、ベッドに腰掛けている僕の方へ来た。

 

「じ、自分で歩けます」

「そう? まぁいいけど」

 

あぶない。だっこされるところだった。

もう足にケガなんて無いんだし、さっきは勢いで着替えを手伝って貰ったけど、もうちゃんと自分で出来るから。

 

子ども扱いしないで欲しいな。

 

僕は朝雲さんに手を引かれながら食堂へ向かった。

 

 

 

 

朝食はトーストにジャムを塗った物と、コンソメスープ、ベーコンサラダだった。

デザートに杏仁豆腐がある。これ美味しいよね。

 

「「「いただきます」」」

 

ネルソン提督以外の全員が席について、挨拶をした。

 

さっき廊下で朝雲さんから聞いたけど、提督は今、執務室に籠もっているらしい。

ごはんだけ作って自分は食べないのかなぁ。

 

朝ご飯を食べないのは体に悪いってどこかで聞いたから、あとで持っていってあげようかな。

 

などと考えていると扶桑さんがもう、全員が食卓に着く前に持っていったらしい。

じゃあいっか。

 

自分の分のトーストをかじっていると、食べたことのない味が口の中に広がって、少し驚いた。

 

あ、これジャムの味だ。

もしかしてこの赤いのトマト? トマトのジャムなの?

 

「私が作りましたぁ~」

 

不思議そうな顔で食べていたからかな、左隣に座っていた山雲さんが、おっとりした声でそう言った。

 

「おいしいです。初めて食べました」

「そう言ってもらえると嬉しいわぁ~」

 

お腹が空いていたからか、トーストを一枚ぺろりと平らげてしまい、スープもサラダも残さず食べられた。

 

デザートの杏仁豆腐を食べようと手を伸ばしたとき、

 

「あれ」

 

ふと周りを見るとみんなはもう食べ終えて、片付けをするために席を立ち始めていた。

 

い、急がなきゃ。のんびりしちゃってたかもしれない。

 

焦るとモタついてうまく蓋が開けられなかったのを、右隣に座っていた時雨お姉さんがひょいと取って開けてくれた。

 

時雨お姉さんはもう全部食べ終わってる。トレイの上には空の食器しかない。

 

「ゆっくりでいいよ。まだ出撃じゃないし」

 

ニッコリと微笑みながら、僕が全部食べ終わるまで、隣に座って待っててくれた。

 

 

 

 

「ちょっと僕は装備の点検をするから、そうだね……僕の部屋で待っててくれる?」

「わかりました」

「机の引き出しの一番上に、ちょっとしたおもちゃもあるから、それで遊んでて良いよ」

 

手を振りながら装備保管室へ消えていった時雨お姉さんに、僕は見えなくなるまで手を振り返して、そのあと階段を上がっていった。

 

「あ」

「あ……」

 

登り切った先に満潮さんが居た。

右手に砲身が二つある装備を持っていて、左手はそこに添えられてる。

 

そしてばっちり目があった。

 

とたん、僕の体がなぜか震えだして、息が上手く吸えなくなる。

 

満潮さんの目を見たまま離すことが出来ない。

満潮さんも早く行ってくれればいいのに、どういうわけか僕の方をじっと見て立ち止まってる。

 

じゃない、立ってるだけじゃない、見てるだけじゃない。

 

睨んでるんだ。満潮さんは怒った目でまっすぐに僕の目を睨んでる。

 

「あ、あの……」

「なに?」

 

どうにか震える声でそういった直後、満潮さんは眉根を寄せながら射るような口調でそう言った。

 

そして持っている艤装の砲身がこっちに向いた。

 

イライラしたように左手でこめかみを掻いたと同時に、右手が少し動いて、真っ黒な穴が二つ、僕のお腹に向けられた。

 

あぁ、怒ってるんだ。

 

僕が昨日、パンツをはかないまま満潮さんの制服を着ていたから。

それにまだちゃんと謝れていないから、許しも貰っていない。

 

だからどこにも行かずに、睨んで、こうして、無言で砲身を向けて〝謝れ〟ってしてるんだ。

 

で、でも、ちゃんと、僕は今、ネルソン提督が買ってきてくれた白いパンツをはいてるから。

 

だからたぶん、これを……穿いてる所を見せれば…………怒られないよね? 

 

撃たれない、よね?

 

「……ヒック……エグ………グスン」

 

鼻水と涙が止まらない。

小さな嗚咽が廊下に響いている。

 

恐怖でがくがくと震える足を肩幅に開く。

 

大粒の涙が、羞恥で染まった頬を伝って床を濡らす。

 

僕は、震えながらズボンをおろした。

 

それから満潮さんによく見えるように、両手でシャツをたくし上げた。

 

「エッグ……ヒッ、ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい……ちゃんと、はいてますから、もう許して下さい……」

「…………」

 

満潮さんは何も言わないまま、じっと僕の目を睨んだまま、大砲の砲身を向けたまま、ぴくりとも動かず立っていた。

 

 

――――――――○――――――――

 

 

執務室。

 

鉄砲飴を口の中で転がしながら、増援の艦娘をどう活用するか考えていると、控えめなノックが聞こえてきた。

 

「入って良いぞー」

「失礼します」

 

声の主は山城だった。

 

ドアを開けて入ってきたのは、山城に続いて満潮と、目元を赤く腫らした恵だった。

 

満潮が信じられないほど申し訳なさそうな顔をしている。

 

…………なんか、何があったのかちょっと想像できてしまうぞ。

 

その後数分掛けて、第一発見者である山城から、鎮守府の廊下で強制わいせつ紛いの事件が起きたことを報告された。

 

いや、まぁ――――はたからするとそう見えてしまいかねない事件が起きただけなので、とりあえず満潮が言いたかったことと、少年が盛大な勘違いを働いていたことを、お互いに謝罪して不問とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




泣いて謝りながらパンツを見せつけてくる幼児を前にして、どうすればいいのか本気でわからず固まってしまう満潮の回。

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