艦娘でも提督でもない生まれ変わり方   作:奥の手

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時雨が好きだけれども。
なぜか書いていると朝雲と山城が可愛くなっていく。


第二十五話 月と湯けむりと蜂蜜ワインⅢ

座り心地の良い執務イスに深く腰掛け、机を挟んだ向かいに立つ扶桑を見る。

体の前で両手を合わせ、儚げな笑みを浮かべる彼女は、いつもと変わらないおっとりした口調で話を切り出した。

 

「まずは、無事の帰還を感謝します。提督」

「私からもだよ扶桑。よく艦隊を守ってくれた」

「いえ…………本当の意味で輸送艦隊が無事だったのは、あの少年のおかげです」

「確かに彼の存在は大切だ。だが居ただけで艦隊が無事に帰投できるわけではない。私は、扶桑に任せて良かったと思っている」

「もったいないお言葉です。ありがとうございます」

「そうかしこまらないでくれ」

 

言いながら自分の顔が綻ぶのがわかった。

 

何よりも良い結果に転んでいるのだ。

輸送艦隊は無事。誰一人欠けることなくまたここに集まることが出来た。

東京の空も一事はどうなることかと思ったが、奇跡的にも被害は出ていない。

 

何かが大きく変わったにも関わらず、こうして代わり映え無い現状があることに安堵の息をもらしてしまう。

 

だが、それでもいいと思う。

 

現状の問題は山積みだが、それはこれから対処していくことであって、過ぎた危機に胸をなで下ろすことを誰が咎められるだろうか。

本当に、みんな無事で良かった。

 

「さて……」

 

気持ちを切り替えよう。

私は鞄から紙の束をおもむろに取り出すと、それを扶桑へと手渡した。

 

「これは?」

「明日からの作戦書だ。飯を食い終わったら、コピーして全員に渡そうと思っているが…………見て欲しいのは最初のページだ」

 

扶桑は紙束をしばらく眺めていた。

その表情がだんだんと険しくなる。

 

右へ左へと動く彼女の瞳が紙の最後まで来て止まり、一度まぶたを閉じてから開かれると、不安な面持ちで私へと問いかけてきた。

 

「硫黄島といい舞鶴といい、通信機から聞いたお話より現状はだいぶ厳しいですね」

「敵に新種が含まれているというだけでも困りものだよ。加えて硫黄島はマズイ。喉元に銃口を突きつけられている気分だ」

「…………提督、どうなさるおつもりで」

「そうだな」

 

どう答えればいいのか考えたが、出せるようなものではなかった。なにより不確定要素が多すぎる。

だからこそ、今現在わかっていることは伝えておく。

 

「舞鶴の方まで私が面倒を見ることにはならんと思うが、硫黄島攻略の全権は私にある。偵察を行い、戦力を見極め、最少の消費で最大の結果を出さねばなるまい。それもあまり時間がない」

「厳しいですね……」

 

まったくだ、と思わず苦笑してしまうが、しかし偵察の権限は土佐(とさ)中将が持っている。それを考えると私の艦隊から出鼻で戦力が削られることはないので、少し負担が減るのは喜ばしい。

 

偵察だって危険は危険だ。海域の性質がどれ程変わったのかは未知数だが、高をくくっていい仕事ではない。土佐中将がどれ程やれるのか、あまり期待はしていないが任せるより他はない。

 

そして今現在、その偵察のための出撃するポイントがどこからなのかわからない。

候補はいくつかあるのだろうが、硫黄島から直線距離で最も近いこの鎮守府が利用される確率は、非常に高い。

 

それに伴ってある問題が浮上する。少年のことだ。

 

「扶桑、最後のページにも目を通してくれ」

「わかりました」

 

扶桑が言われるままページをめくり、せわしなく目線を動かして読み解いていく。

 

そこに書かれているのは、少年をこの場所から遠ざける為の計画内容だ。

 

少年が海域の攻略上重要な役割を果たすのは目に見えている。だがだからといって海へ出すわけにはいかない。

当然、彼の存在が海軍本部に知れ渡れば、事情など関係無しに海域攻略のために使われてしまう。

 

まともに航行することも出来ない彼を、並み居る敵陣へ放り込んで艦隊の進路を決定させるなど不可能に等しい。にもかかわらずあいつら(海軍本部)はそれをしようとするだろう。

 

それだけは避けたい。いずれ少年を海域の攻略のために登用するにしても、それは彼が満足に海を動けるようになってからだ。今じゃない。

 

で、あればとるべき手段はそう残っていない。もっとも確実なのは彼を隠し通すことだ。

 

この鎮守府が出撃ポイントになる可能性が高い以上、海軍のお偉方も何人かここへ来る。

その目全てを欺くのは不可能なので別の場所へ移すのだ。

 

ただ、この想定はやや雑である。

 

これから数日間、少なくとも硫黄島を奪還し終わるまで、この鎮守府は敵の攻撃目標となってもおかしくないのだ。

天気予報が晴れときどき十トン爆弾になるかもしれないこの場所に、海軍のお偉方が集まるかどうかは、正直彼等の気合い次第だ。

 

どっちにしろ少年をこの場所に置きたくはない。雨が降るから家に籠もるのとはわけが違う。降ってくるのは焼夷弾か爆弾だ。それを思えば、やはり少年は別の場所へ移すほか無い。

 

しかしまぁそう簡単に輸送ヘリなど使えるわけじゃないのもまた事実なのだ。これがやっかいで、どうしようかと頭をひねって、結果的に出した答えは――――

 

「提督、これ、ここに書いてあることをそのままの意味で取ると、あの子が〝艤装〟扱いなのですが…………」

「そのとおり。少年を何とかしてこの場所から遠ざけたいが、輸送ヘリは笛を鳴らして呼べるようなものじゃない。彼には悪いが〝装備〟になりすまして、とある場所へ送られてもらう」

 

扶桑の顔が晴れない。少年を荷物扱いすることに反対なのだろうか?

 

「提督……これは、偽装工作ですよ。重罪です。本部に知れると、提督の身が危ないです」

「あぁ、なんだそんなことか」

「そんなことってッ…………!!」

 

声を荒げた扶桑は、机に両手をついて身を乗り出してきた。

 

「なぜ…………普通に少年を送り出すことは出来ませんか!?」

「本部に少年の存在が漏れるのはマズイ。少なく見積もっても今明かして良い状況ではない」

「で、でも……これでは提督が……」

 

私のことを本気で案じていくれているようだった。

そうまで心配してくれるのは嬉しいが、扶桑が思うほど危ない橋を渡っているわけじゃない。

 

「扶桑、少し落ち着いて、よく聞くんだ」

「……はい」

「偽装とは言え装備を送ることに偽るつもりはない。いくつかの装備と一緒に〝ついで〟で少年を送るのだ。だからもし本部にバレても言い訳は効くし、少年が何者かと聞かれても適当にはぐらかすことはできる」

「軍の施設に子どもが紛れ込んでいることそのものを咎められる可能性があります」

「あったとしてもたいしたことじゃない。私の身内だとか扶桑の子どもだとか何とでも言い訳は付く」

「…………私の子ども、というのは確実に嘘がばれます」

「うん、今のは無しだ。私の子供というのもまずい。隠し子になる。生前からあまりそういうものに良い思い出がない」

 

遠い昔の事だが、子どもがらみで一悶着合ったのは事実だ。

 

「まぁ、扶桑が思うほど危ないわけではないよ。私の首はこの程度では飛ばんし、そもそも発覚したらの話だ。バカ正直になって取り返しの付かないことになるぐらいなら、私は嘘をえらぶ」

 

扶桑の顔は未だに晴れず、複雑そうな面持ちだったが、とりあえず納得してくれたのか、小さく頷きながら身を引いてくれた。

 

さて。

 

少年の移送には2、3日掛かるかもしれん。準備期間と実際の手配を考えたらそのくらいだろう。

ただ、お偉いさんが動くのにはもっと掛かる。そういう意味ではそこまで急ぐ必要は無いかもしれんが、不測の事態はつきものだ。

 

今夜にでも送り先にコンタクトを取って、受け入れ体勢を整えて貰おう。早ければ早いほうがいい。

 

「さて、扶桑。話はこんなところだが、なにか気になる点はあるか?」

「少年のことについては全員にお話しする予定でしょうか」

「一応な」

「わかりました」

 

儚げな笑みを浮かべるが、扶桑の表情にはまだ影が残る。全て取り除くことなど不可能かも知れないが、こうも秘書艦を不安がらせては指揮官として後ろめたいものを感じる。

 

私は席を立って扶桑の肩を軽く叩き、

 

「心配は無用だ。実は偽装工作など今に始まった話では無い」

「え?」

「経験値ゼロで本部の目を欺いているわけではないのだよ。励ましになるかわからんが、こんなことは些細なひとつの嘘に過ぎん」

 

自然と笑みがこぼれる。

思い浮かべたのは白衣姿で、私とおそろいの白い髪、澄んだ黄色い大きな瞳。

 

海軍本部どころか、世間を未だに何十年も騙し続けてられていることをほくそ笑みながら、カレーを作るべく厨房へと向かった。

 

 

 

 

硫黄島からの夜間襲撃を警戒して、今この建物は明かりを最小限に落としている。全員が風呂から上がってすぐに、灯火制限を敷いた。

 

久しぶりに大勢が集まったこの食堂も、明かりが外に漏れないよう、机の上にいくつかのカンテラを置いて光源にしている。

オレンジ色の弱い光がじんわりと辺りを照らしているが、生活するのに困るほど暗いわけじゃない。むしろ暖かみのある、心地よいとも言える空間がそこには広がっていた。

 

「なんだかキャンプみたいね。これはこれで良いと思わない?」

 

朝雲が声を弾ませながら隣に話しかけているが、かけられている本人はまぶたをシパシパとさせながら弱い返事で頷いている。

 

少年は眠そうだった。さっきから何度も目をこすっている。

 

今日は初めて海に出たそうだ。

慣れぬ操作に全身を海水漬けにし、さっきまで風呂に入っていて、丁度良く体が温まっているのだろう。くたくただろうな。そりゃ眠くもなる。

 

「ごはん食べたらすぐに寝よう。それまでがんばるんだよ」

「時雨お姉さん…………眠たい」

「がまんがまん」

 

困り顔を浮かべながらも時雨はしっかりと少年の面倒を見てくれている。

 

まだ鎮守府から少年を移す話はしていないが、よくよく考えると少年が一番懐いているのはこの時雨のような気がする。

引き離してしまうのは少年の為にも時雨の為にもやや心が痛むが、なに、硫黄島攻略までの辛抱だ。長くても二週間かからんだろう。

 

食卓には九人分のカレーが並んでいる。

 

さて食べようかという時になって、一人足りないことに気が付いた。

 

「…………最上か」

「はぁ…………そうね。疲れてるのか知らないけど、ドックで眠っておぼれかけたから、先に上がって寝てるのよ。ちょっと呼んでくるわ」

 

言いながら満潮は盛大な溜息をもう一度つき、席を立って食堂を後にした。

 

ドックで溺れるほど疲れているのか? どうしたんだ最上。

 

その時、偶然、うつらうつらしていた少年が目を覚まし、時雨のそでを両手で握ったのが目に入った。

満潮を目で追っているが…………あれは怖がっている? なぜだ?

 

なんだかよくわからんがちょっと面白いものを見た気分だ。今後の観察がはかどりそうだな。

 

「…………そんなに怖い?」

 

朝雲が小さな声で少年に訊いているのが、私の耳にも届いた。山城と扶桑と山雲は何やら別で話し合いをしているので、朝雲の声は、近くに座っている私と、時雨と少年にしか聞こえていない。

 

どれどれ。何の話かな。

 

「満潮はね、ああやって態度だけ見ると人を攻撃しているように見えるけど、あの子自身はそんなつもり全然無いのよ」

「でも…………」

「君が怖がる気持ちはわかるけど、ほら、怒られることしてなければ怒るような人じゃないわよ」

「…………僕怒られることしちゃってたから」

 

少年の表情が先程から暗いのはそのせいか。眠そうにしているが常に怯えているように見えるのは満潮のせい――――今の会話の感じだと、確実に満潮がなにかやらかしたようだな。

しかも分が悪いことに、たぶん満潮は怖がらせるつもりで少年と接しているわけじゃない。

 

こりゃどっかで助け船を出してやらんとあいつ(満潮)グレるぞ。

 

しばらくすると満潮と最上が帰ってきた。

後ろを付いてきた最上はだいぶ疲れているようで、愛想笑いを浮かべながらも動作の節々に疲労が感じられる。

 

「待たせちゃってごめん、みんな」

「かまわんよ。食べよう」

 

最上が疲れている。

……これはちょっと、明日最上を使うのは避けた方が良いと思うほどに。

輸送艦隊全員がやや疲れているようには感じるのだが、彼女一人だけこうまで疲弊している理由が思い当たらなかった。

 

まぁ、疲労を抜いてやれば大丈夫か。

 

全員が席に着き、挨拶をしてから、おのおのがカレーをほおばっていく。

少年の為に少し甘めに作ってある。

一応、机には一味唐辛子を用意しているが、誰も手を付ける者はいなかった。

 

「そう言えば、自己紹介とかどうします?」

 

山城が目の前のカレー山を半分ほど切り崩した頃、私の方へ聞いてきた。

 

時雨と扶桑以外はこの少年と顔を合わせるのは初めてになる。

 

ここへ帰る輸送ヘリの中でいくらか少年についての話はしておいたが、紹介の時間を取るのも悪くないかもな。

ただ、当の本人が眠そうにしているからなるべく手短にしてあげたいと思う。

 

「食べ終わったらやろう。お茶を飲みながら」

 

納得したように頷き、山城は再び山を消す作業に移った。

 

その様子を眠気なまこで見ていた少年は、睡魔と戦いながら時雨にカレーを食べさせて貰っていたが、全員が食べ終わる頃には半分ほど残して完全に夢の世界へと行ってしまった。

 

残念ながら少年本人とのお話は出来そうにない。まぁ明日の朝すればいいだろう。

 

 

 

 

皿を片付け終わって、さてどうしたものか考える。

 

少年は食堂のイスを二つ並べた上でスヤスヤと寝息を立てている。このままここに寝かせておくのはマズイ。風邪を引く体なのかどうかわからんが、もし引いてしまうとしたらこのままではいかん。

 

「時雨、部屋に連れて行ってもらっても良いか?」

「いいけど……提督、実はね」

「ん?」

「今日は朝雲が一緒に寝たいって。この子と」

 

振り返ると、照れているのか頬を掻きながら朝雲が立っていた。

 

「べ、別にどうしてもってわけじゃないけどさ、一日だけで良いから、ちょっと一緒に寝たいなって…………司令、ダメかな?」

「時雨がいいなら良いだろう。私の許可を取ることではないぞ」

「ほんと? 時雨からは了解取ってるから、じゃあ、今日は私の部屋で」

 

連れて行くよ、と一言残して、軽々と少年を抱き上げた朝雲は自室へと運んでいった。

 

いつの間に仲良くなっていたのか。だからさっき少年の隣に座って話をしていたのかな。

 

朝雲と普段仲良くしている山雲の様子が気になるが、先程はたいして動きを見せなかった。

とはいっても、べつに朝雲と少年が仲良くしていたからといって、気にするほどでもないか。

 

…………思えば、山雲はここへ来た当初、扶桑と山城に声をかけられる度に腹痛を訴えていたな。原因が何となく推察できたからあえて放っていたが、自然と打ち解けることが出来たようだし。

 

もしかすると満潮の件は、私が手出ししない方が良いかもしれん。まだ様子見だ。

 

と、ひとり物思いにふけっていると大事なことを思い出した。

 

「時雨」

「なに?」

「艦隊の全員に、このあと食堂へ集まるよう伝えておいてくれ」

「わかった」

 

走り去る時雨の背中を見送ってから、私も食堂を後にして、執務室へと向かう。

 

 

 

 

作戦書を持って再び食堂へと来た時には、少年以外の全員が集まって座っていた。

テーブルには紅茶とクッキーが置かれている。いつもの光景だ。

 

「まずはこれに目を通してくれ」

 

紙を配る。

カンテラの淡いオレンジ色の光では若干書類が読みづらいが、仕方がない。ガマンしてもらおう。

 

作戦書の内容は、硫黄島が占拠されていることと舞鶴が攻撃を受けていること。

それに伴って明日からの硫黄島奪還作戦についてが書かれている。少年の輸送に関しては記載していない。

 

彼女達はしばらく無言で読んでいたが、満潮が口を開いた。

 

「質問いいかしら」

「どうぞ」

「横須賀からの増援…………これは、詳細はないの?」

「増援と言いつついくらかの艦娘が送られてくるだけだ。来るのは明日だが時間までは決まっていない」

「全部あなたが指揮するの?」

「攻撃はな。偵察は土佐中将という方が来る。たぶん、ここを拠点にするだろうから、場合によっては偵察も攻撃もその人とやるかもしれん」

「使えるのかしら……」

 

満潮が苦虫を噛みつぶしたような顔でそう呟いたのを、ここにいる全員が聞き取った。容赦ないな。

私が肩をすくめて苦笑していると、今度は時雨が手を挙げた。

 

「送られて来る艦娘は? もうわかってるの?」

「大和は確実に来る。あとはわからんが、舞鶴に回す戦力と関東を守るための戦力以外は極力送ると言っていた。たぶんもうあと四人くらいだろう」

「へぇ~すごいわね~」

「大和……? 誰かしら」

 

彼女の名前を知っている者もいるようだが、知らない者もいるようだった。

 

大和についての簡単な情報を伝えると、その偵察能力の高さを聞いてどよめきが起こる。

ただし戦闘で使えないことを告げると何とも微妙な顔になった。気持ちはわかるぞ。私もきっとこんな顔になっていたと思う。

 

「他に質問は」

「は~い」

 

山雲が気の抜ける声で返事をしながら手を挙げる。

 

「あの子のことで~す。いないと、敵に囲まれちゃいますよね~?」

 

少年のことだった。

 

話題に出ると思っていたし、この機を見計らっていた。ちょうどいい。

 

先刻の扶桑との話を全員に伝え、海域の攻略は少年無しで行うことを説明する。

 

「あの子無しで、取り返せるの~?」

「できる。というより、本来戦場はそういうものだ」

 

私はそう信じて疑わない。

 

少年がいれば確かに楽なのだろう。輸送艦隊の報告では、少年が指示した方角には最大で六隻の敵しかいなかったと聞く。

 

――――そんなものは戦場ではない。私が経験した海戦は、そんなオママゴトとは比べものにならない。

 

ゆえに、少年がいないと島一つすら取り返せないなどという事があってはならない。そんな事に落ちぶれてしまえば、私は過去の栄光をドブに捨てることになる。

 

栄誉に掛けて勝利を誓う。

 

「それと、少年の存在は本部から隠し通す。お偉いさんがここへ来ることになっても大丈夫なように、少年を別の場所へ送る。あとは、この場が危険だからだな。疎開だ」

「よくわかりました~」

 

山雲がのんびりと頷きながらクッキーへと手を伸ばし、一つ摘んでサクサクと食べ始めた。

私も一つ摘んで口へ放り込む。バターを良く練り込んであるからだろう、市販品だがなかなかうまい。紅茶に合う。

 

舌鼓を打っていると、最上が右手に紅茶を持ちながら、眠そうな顔で左手を挙げていた。

 

「って事は、明日来る横須賀の艦娘にも知られない方が良い?」

「少年が海域の航行上重要な人物だ、というのが知られなければ大丈夫だ。べつにこの場所にいる事自体を隠す必要は無いし、最悪、送られてくる艦娘に口止めしておけばいい」

「ばれたりしない?」

「ばれたときには、あちらさん(海軍本部)の出方で我々の身の振り方を変える」

 

〝考える〟ではなく〝変える〟のだ。

少年の存在がもし万が一にでも本部に知れたら。そして本部が、私の想定するような行動をとったら。

 

迷わず身の振り方を変える。もうその決意は、少年と出会ったときからしている。少年の能力云々には関係のない次元の話だ。

 

言外に込めてしまった私の思いに、もしかすると扶桑は気付いたのかも知れない。

わたしの目を見て離さない。

眉根を寄せている。怪訝と不安の交じった表情。

 

ただ私はその話をここでするつもりはないし、あくまでそれは〝最悪の事態〟になったらのことだ。私の想定する中で最も悪い方向へ傾いたら、の話だ。

 

ゆえに要らぬ心配をさせるのは御法度だし、まして扶桑がその事を考えるのは望ましくない。扶桑の目を見て、出来る限り微笑んでやる。それ以上考えなくていいと。

 

伝わったようだ。少し困った顔をしているが、小さく頷くと表情を和らげた。

 

私はすぐに全員の方を向き、

 

「…………さて、まぁこんな感じで明日からやって欲しい。簡単な形ですまないが、ブリーフィングは以上だ」

 

席を立ち、自分の分のカップを下げようとしたところを山雲に引き留められた。

 

「司令さ~ん? 作戦会議は終わったんだけど~山雲、ちょっと気になることがあって~」

「なにかね」

「あの子の名前とか、あとさっき言ってたお土産とか~」

 

おっと、そうだよな。たしかに大事なことだ。

 

「とりあえず土産だな」

 

急いで執務室に戻って、いくつかある紙袋をひっさげて食堂へ戻る。

 

全員に東京で買ってきたお土産を配っていく。お菓子だったり、キーホルダーだったりしたが、普段の労いと明日からの応援の意味を込めて渡していく。

 

たいていが喜んでくれたが、時雨と朝雲はそわそわしていた。

お土産よりも大事なものがあるといった感じだ。いやもうわかるよ。ごもっともだ。

 

「提督、それで……」

「あの子の名前、無いんでしょ? どうするつもりなの?」

 

二人して心配そうに聞いてくる。

 

確かにその通り、彼には名前がない。いや、あるのだろうが本人が思い出せない以上無いのと同義だ。

 

思えばずっと〝少年〟と呼んできた。今まではそれでよかったかもしれんが、これからもそのままではさすがに問題だ。

明日来る横須賀の艦娘からも怪しまれないために、名前ぐらいは考えておかないと誤魔化しようがない。

 

とは言え。

 

「どうしようかね」

 

本当にどうしようか。

 

頭を抱えていると、山城が呟いた。お土産の一つである艦艇型〝扶桑〟の小さなキーホルダーを、キラキラした目でほおずりしている。涎がたれている。

 

「装備の名前からもじってあげるとか、羅針盤に関係のある名前にしてあげとけば良いんじゃないんですか? 私は姉さまが付けた名前ならどんなものでもいいですが」

「山城、嬉しいのだけどちょっと口を拭きましょう………」

 

扶桑がティッシュで山城の口を拭っているのを横目に、ふと考える。

 

山城の言うとおりだ。彼の能力にあった名前なら、彼自身も納得するだろうし、何よりきっとすぐ覚えられる。

名前がないというのは確かに不便だろう。時雨が前に話していたが、彼は名前が思い出せなくて取り乱したこともあったそうだし、それくらい大事なものだ。

 

わかりやすい名前を付けてあげた方が良い。

 

「羅針盤から考える、か。いいかもしれん。彼の役目によく合うような」

「安直すぎることはない……?」

 

時雨が首を傾げている。

まぁ確かにそうかもしれんが、

 

「わかりやすい方が良いだろう。小難しい名前より、すっと彼を認識できた方が良い」

「たとえば?」

「コンパス君とか」

 

一瞬、薄暗い食堂の時間が止まった。

直後に強烈な大ブーイングを食らい、結局少年の名前は私以外の艦娘全員で吟味することとなった。

 

悪くないと思うんだがコンパス君。わかりやすいだろう。何でダメなんだ…………。

 

名前は明日の朝までにいろいろと候補を出して、早朝、決めてから少年へプレゼントするそうだ。

みんな疲れているだろうにどこからそんな元気が出るのか。これが若さか。そうか。

 

ふと、壁に掛けてある時計を見る。

 

そろそろいい時間だろう。最上が居眠りを始めている。

私と扶桑はまだ風呂にも入ってないし、ここでお開きにしよう。

 

 

 

 

風呂から上がり、扶桑と別れた私は自室に向かう前に執務室へと入った。

 

薄暗い部屋のデスクライトのみを点灯させ、パソコンを立ち上げてメールソフトを開く。

 

送る内容をどうしようか数分考え、結局あまり着飾らずに用件だけを伝えることにした。

 

『なるべく早い期日、可能なら三日以内にそちらへ人間を一人送るので、二週間ほどかくまって欲しいこと』

『送る人間は私と同じように異世界から来ていること』

『海域の特性が変質したと思われること。そしてその原因が彼にあり、出来るのならば解析して欲しいということ』

『最後に、絶対に本部の人間に彼の存在がバレないようにして欲しいこと』

 

 

フレンダ研究所へ当てたそのメールの返信は、3分と経たず帰ってきた。

 

『おっけー。お姉ちゃんのお願いとあらば、なんでもござれだよ!』

 

元気の良い奴だ。

 

『ところで輸送機の手配とかもうしてるの?』

 

フレンダからの返信は質問で終わっていた。答えない理由は無い。

 

『書類は作っているがまだ依頼には出していない。明日早くに要請しようと思うが、移送する人間は極秘扱いだ。つまり要請内容を偽装して装備の輸送扱いにしているので、本部のバカ共はただの運送だと思ってすぐ動かんかもしれん』

 

30秒で帰ってきた。

 

『じゃあ私のヘリで迎えに行くよッ!! 5年ぶりのお姉ちゃんの顔、楽しみにしてるから!!!』

 

――――――――はぁ!?

 

 

 

 

 

 

 

 




朝雲がツンツンしているのかと思いきやそんな事はなかった。

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