艦娘でも提督でもない生まれ変わり方   作:奥の手

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やっと少年の視点へ戻ってきました。
長かった…………。


第二十三話 月と湯けむりと蜂蜜ワインⅠ

窓から見た空は澄んだ青に染まっていた。

雨があがって、そよ風が心地よく入り、暖かい光が差し込んでいる。

 

ここは食堂。僕は、遅い朝食兼昼食を食べていた。

 

「味は濃くありませんか?」

「ちょうど良いです。すごく美味しいですよ」

 

食堂のテーブル、僕の向かい側に座る扶桑さんは、やわらかな笑みを浮かべながら聞いてきてくれた。

 

テーブルにはピラフとオムレツ、レタスとキュウリ、デザートにプリンが運ばれている。

 

やさしい味付けのこれら料理は全て扶桑さんが作ってくれた物だ。量も調節してくれて、小さめのお皿に盛りつけてくれたのでちゃんと残さず食べられる。

 

輸送艦隊は無事に目的地へ到着。

ネルソン提督からも、先程連絡があった。

 

大変だったらしい。こちらも相当に冷や汗をかく事態だったけど、向こうはそれ以上に直接命が危なかったんだとか。

 

でも、あの人が死ぬ想像は、実のところできなかった。死にそうにない。率直にそう思う。

 

ネルソン提督と時雨お姉さんは夕方には帰るらしい。輸送艦隊を連れて。

 

大型のヘリを用意して、輸送艦隊の五人を乗っけて一緒に帰ると言っていた。

理由はやっぱり危険だからだろう。

 

僕と羅針盤の妖精さんの力が無ければ、もう海を渡ることは自殺行為に等しくなる。

そしてその妖精さんは遠いところを測定するのには膨大な力が必要だと言っていた。

 

今もまだ眠っている。それを考えると、うかつに海上を経由することは出来ないのかも。

 

ふと、気になった。

 

「扶桑さん」

「ん、どうしました?」

「僕がいないともう海には出られないんですよね」

「航海してすぐに囲まれるわけではないと思いますが、遠洋航行はまずできないでしょうね」

「それって、日本全国のどこでもそういう事になっているんですか?」

「うーん。もしなっていたら大変ですけど、かといって私達にどうにか出来る問題ではないですからねぇ」

「あ…………そうですよね」

 

とくん、と心臓に一瞬の緊張が走った。

 

ネルソン提督の報告にあった〝駆逐艦と軽、重巡洋艦を包囲した敵艦隊〟ってどう考えても羅針盤から外れてたから出てきたんだろうし、だとすると…………うん。

 

「僕も早く海に出られるようにならないといけない気がします」

「羅針盤のことですか?」

「はい」

「確かにそうですね。…………ですが、焦ってはいけませんよ。訓練も受けたことがないんです。しっかり練習して、最低でも艦隊行動が取れるようになってからじゃないと」

「でも、硫黄島はどうするんですか? 一週間しかないってネルソン提督は言ってました」

「提督はきっとあなたを使うつもりはありませんよ」

「え?」

「ここから硫黄島までは六百キロほどです。当然羅針盤がないと危険であることは変わりませんが、提督は何か考えをお持ちのような気がします」

「考え……ですか」

「はい。元々あの方は戦争のプロです。四十年近くも戦って、お話にあった前の世界でも三十年以上戦っています。海の上の戦いで、羅針盤がないから出来ないなんて事はあの方は言いませんよ」

 

確かに、そうかもしれない。

心配する必要は無いかな。何せネルソン提督だ。

扶桑さんの言うとおり、どうにでもして上手くやっちゃう人なんだ。

 

硫黄島以外の、日本各地の艦娘の航行についてもそのうち何かあるかもしれない。僕が大きく関わってくることなのは間違いないけれど、それまでにやれることは決まっている。

 

海に出られるようにする。硫黄島には間に合わなくても、それ以外できっとみんなの力になってみせる。

それがこの世界で僕がいる意味だから。

 

そう心に呟いて、ふわふわのオムレツを一口すくって口へ運んだ。

 

 

二十分後。

 

ごはんを食べ終えて、自分で食器を片付けるために厨房へ運んだ。

背が足りなくてシンクの中に入れるのに苦戦していると、後ろから扶桑さんが抱きかかえてくれて、水の中にお皿をつけられた。

背が足りないってこんなところで苦労するのか。

 

扶桑さんはシンクの前に立ち、お皿を洗おうとスポンジを手にする。

 

「僕も洗うの、手伝います」

「え? 別に大丈夫ですよ」

「でも他にすることありませんし」

「うーん…………それもそうですね。ちょっと待ってて下さいね」

 

そう言うと扶桑さんはパタパタと走って食堂へ行き、イスを一つ持ってきてシンクの前においてくれた。

コレで背が届く。というか、よく考えたら僕邪魔なだけかもしれない。

 

でもイスまで運んできてくれて今更「やっぱりいいや」は流石にダメだ。そんな失礼なことは出来ない。

 

「んしょ……」

「洗剤で滑らさないように気を付けて下さいね」

「はい」

 

スポンジで泡立たせ、皿を洗って、シンクにおいた物を扶桑さんが仕上げにもう一度洗ってきれいにすすぐ。

 

僕の洗ったあとのお皿はどう考えても力不足で汚れが落とせていなかった。

…………これだめじゃん。完全に邪魔者じゃん。

 

でも扶桑さんは何も言わず、ただずっとやさしげな笑顔のまま隣でお皿を洗っていた。

 

 

全ての食器を洗い終わってから、二人で厨房を立ち去ろうとしたときに。

僕は前を行く扶桑さんに思い切って聞いてみた。

 

「艤装を貸して下さい」

「だめです」

 

振り絞った勇気が音を立てて散った気がした。

 

「私の艤装なんて使ったらペチャンコになっちゃいますよ」

「あ」

 

そう言えば扶桑さんって、山城さんのお姉さんか。って事はあんなに大きな物を背負って戦うのか。

そりゃ僕が背負ったらせんべいみたいになっちゃうかも。

 

でももう今日から、今すぐにでも練習を始めたいんだ。一分でも早くみんなの役に立てるようになりたいから。

 

その気持ちを素直に伝えた。

 

扶桑さんはいくらか悩み、悩んで、最終的に僕の前にかがんで目線の高さを合わせると、

 

「私の艤装は貸せませんが、満潮の予備の艤装がありますから、それを使わせて貰いましょう」

 

え、満潮って確かあの怖い人か…………。

 

「だ、大丈夫なんですか? あんな怖い人の物を勝手に借り――――あ、こ、怖い人じゃないです」

「ふふふ、大丈夫ですよ。確かにきついことを言いますけど、やさしい子です。私から借りる旨は伝えておきますから」

「じゃあ…………よろしくお願いします」

 

ぺこりと頭を下げる。やった、これで練習できる。

でも本当に大丈夫なんだろうか……。ちょっと不安だ。

 

 

「これが〝艤装〟です」

 

装備保管庫という札があった部屋から、扶桑さんはいくつかの物を持ってきて、鎮守府の玄関口に並べてくれた。

 

今両手で差し出された物は、ランドセルより少し大きいぐらいの、ごてごてした機械だった。

 

「これが艤装……」

 

革紐の付き方から、ランドセルのようにして背負うことはわかった。たしかモニターの中の駆逐艦の人達もそんな感じで背負っていた。

 

袖のかなり余るジャージをまくり上げてから、その、満潮さんの艤装を背負ってみる。

 

「あ、ちょっとそのままで居て下さいね」

 

扶桑さんは僕の後ろに回り、何やら細長い布を取り出してジャージの袖と背負った艤装とをくくりつけた。

 

「これでこの長い袖を気にする必要はありませんね」

「おぉ、すごい」

 

たしかに落ちてこない。ぴったりまくり上げたまま固定できている。

 

「ありがとうございます」

「いえいえ。サイズが合わない服装ではケガをしちゃいますからね。次は下です」

「下?」

 

え…………うん。確かに足の方もかなりすそが余っていて、たくし上げてもずり落ちてくる。

 

「これを穿きましょう」

 

そう言って満面の笑みを浮かべる扶桑さんの両手には、プリーツスカート(・・・・・・・・)が握られていた。

 

「――――ひっ!」

「そんな怯えた顔をして…………どうしたんですか?」

「いやどうしたって、ちょ、ちょっと待って下さい! 何でスカートを!? 誰のですか!?」

「満潮のですよ」

「お願いしますそれだけはやめてください!」

 

たしかに裾がこのままだと危ないのはわかる。けど何でスカートが出てくるんだ。

 

「そのままでは危ないですし、スカートなら裾を心配する必要がありませんからね」

「周りの目を心配します!」

「私しかいませんよ」

「うぅ…………」

 

いや扶桑さんに見られるのも恥ずかしいのですが。

 

でもこれ穿かないと練習させませんと言われたらどうすることも出来ない。

そもそも僕にはサイズの合う服がないのだから。

 

いやいや、でも…………。

 

「…………僕、パンツはいてないんですよ」

「あれ? え、そうなんですか?」

「サイズがありませんし、そもそも男物の下着がここには…………」

 

僕の顔から火が出そうだった。耳まで熱い。

 

「うーん、まぁでも一緒にお風呂に入った身です。この際気にしないで下さい」

「えぇー……」

 

そんなムチャな。

 

「穿かないと訓練はお預けです…………と言うより、その裾ではどうすることも出来ませんよ」

「う、上みたいに縛れないんですか?」

「無理です。股下を艤装で止めることになるので、もし転けたら潰れますよ?」

 

何が潰れるとは言わなかったけど想像はつく。それは嫌だ。

 

練習はしたい。海に出たい。

モニターの中の光景に憧れている自分がいる事は、否定しない。カッコイイと思ったんだ。

でも、上半身ジャージで下半身はノーパンスカートの男児なんて何が格好いいんだ。

 

訓練はしたいけど、スカートを穿くなんて抵抗がありすぎる。

 

でも、今すぐにでも海に出たいし、練習がしたい。

 

背に……腹は代えられないかな…………。

 

「…………わかりました。穿きます」

「よかった。どうぞ」

 

扶桑さんに手渡され、広げて、その薄い紺色のプリーツスカートを眺めてみる。

眺めたところで恥ずかしさは消えなかった。

 

「ちょ、ちょっとの間だけでいいですから、後ろ向いててくれますか」

「ええ。いいですよ」

 

扶桑さんが背中を向けたのを確認し、ジャージのズボンの腰紐をほどいてずり下げる。

 

スカートの穴に両足を入れ、腰まで上げて、肩紐を両方の肩に引っかけた。

 

「できました」

「はーい。…………あ、長さを調節しますね」

 

扶桑さんは膝立ちのまま肩紐に手を伸ばし、スカート丈が膝より少し下になるくらいで調節した。

 

足下から股に掛けてが恐ろしくスースーする。

スカートってこんなに不安になるのか。女子はよくこんな物を穿いて外を歩けるな。

 

「どう…………ですか」

「やっぱりジャージでは様になりませんね」

「さ、様なんてどうでも良いですよ!」

 

耳からも火が出そうだ。

恥ずかしさで頭から湯気がでてるかも。

 

「み、見えてはないですか?」

「何がです?」

「いじわるしないで下さいぃ……」

「ふふふ、大丈夫ですよ」

 

よかった。とりあえず、よかった。

 

「これでもう練習しても、いいんですよね?」

「はい。あぁ、あとはこれを履いてください」

 

渡されたのは靴だった。ごてごてしていて、手に持つと重くて、こんな物を履いて自由に走り回るのは多分無理だろうなと思った。

でもこれは海の上を移動するための靴だ。陸地はたぶん関係ない。

 

履いてみるとぴったりだった。満潮さんと足のサイズが一緒……? いや、なんか今、靴の方が僕の体に合わせてシュッとなった気がするんだけど、気のせいかな。気のせい…………かな? だよね。

 

近くにあった姿鏡に目をやると、そこには上半身を黄色いジャージで包み込み、薄い紺色のプリーツスカートを肩紐で吊った5歳くらいの男児が、恥ずかしそうに立っていた。泣きたい。

 

幼い顔立ちと、男の子にしては少し長めの黒髪が、表情を隠して中性的に見せてはくれるけれど、悶絶死しそうなことには変わりなかった。

 

「いきましょうかね」

「はい」

 

玄関口から外に出る。扶桑さんは何も背負っていない。

恥ずかしさでまだ顔は赤いだろうけど、鏡で見た自分の姿を記憶の彼方に吹っ飛ばしたら、少しは平常心が帰ってきた。

 

落ち着くと、扶桑さんが何も背負っていないことに疑問を持つ。

 

「扶桑さんも一緒に海へ出ると思ったんですが……出ないんですか?」

「浅瀬で試しに浮いてみるだけなので、私は陸から見ています。浜辺に行きましょう」

 

そうなのか。

 

鎮守府から出てしばらく歩く。獣道のような、轍のような、踏み固められた土の続く道だ。見覚えがある。

 

浜辺についた。

 

「せっかくですからこれも持ってみましょう。弾は抜いてあります」

 

手渡されたのは銃のような物だった。

 

「これ、もしかして…………」

『わたしだよ。十二㎝単装砲だ』

 

手に持ったものから声がした。妖精さんの声だった。

 

『進水式か』

「え、そうなの?」

 

扶桑さんの方へ向くが、

 

「いえ、ただちょっと浮いてみるだけです。ちゃんと訓練して一人前になったら、正式に挙げましょう」

『そうか』

 

そっか。まぁそうだよね。

 

僕はその、十二㎝単装砲の重みを確かに受け取った。

ずっしりとしていて、頼もしくて、でもどこか儚かった。

 

これが兵器。これが兵装。これが、艦娘の武器なんだ。

 

「では、ちょっとだけ前へ進んでみて下さい」

「普通に歩くようにすればいいんですか?」

「そうですよ」

 

言われるまま浜辺を進んで海面へと足を付ける。

満ち引きで砂と海水が交互に足元を撫でていくが、海水が来た時だけ、ふわりと浮いているような感覚がした。

 

ついには完全に海面へ立つ。深さは膝下くらいしかないけれど、僕は、今確かに海の上に立っていた。

 

「す、すごい…………すごいよ! みてみて!!」

「はい。上手に出来ていますよ」

『ちゃんと立てているじゃないか』

 

気を抜いたら足を滑らせそうだった。氷の上に立っているような感覚がする。

 

「これで、どうすれば進めるんですか?」

「前へ行くイメージをして下さい。イメージです。アイススケートをするつもりで、ゆっくりと進む想像を」

 

前へ行くイメージ。前へ、前へ…………。

 

足下から少しだけ波が出た。パチャパチャと控えめな音を立てて、背中の艤装からはほんの少しの振動を感じる。

 

そして進んだ。歩く速度よりもずっと遅いけど、少しずつ僕は海面を滑っていた。

 

「や、やった! やったよ扶桑さん!!」

「はい。でも気を抜くと――――」

 

扶桑さんの顔を見ようと振り返ったその瞬間。

僕は扶桑さんが逆さまに立っている光景を目にしていた。数瞬遅れて頭から海面に突っ込んだことは言うまでもない。

 

 

それから休憩をはさみつつ四時間ほど、僕は扶桑さんに見守られながら浅瀬で動き回っていた。

 

ある程度進めるようにはなったけれど、まだ小走り程度までしか速度が出ない。あと、曲がれない。曲がり方がわからない。

十二㎝単装砲の妖精さんと扶桑さんは、

 

『初めてでこれならまだいいセンスだろう』

「そうですね。私もそう思います」

 

と言っていたけれど、四時間の間に僕は全身が海水漬けになっていた。二桁は確実に転けている。

センス…………本当にいいのか疑わしい。

 

水を滴らせながら浜辺に上がると、

 

「そろそろ提督とみんなが帰ってくる頃ですね」

 

夕日がオレンジ色に輝いていることに今更ながら気がついた。

海面にキラキラと反射しているその様子を見て、

 

「…………扶桑さん」

「何ですか?」

「今日の夕飯はカレーがいいです」

「ふふふ。いいですよ。材料もありますからそうしましょう」

 

無性にカレーが食べたくなった。

 

 

鎮守府への帰り道。

 

遠くからヘリの音が聞こえてきた。パタパタパタパタという軽い音が徐々に近づき、だんだんと大きく力強くなってくると、僕らの上空を通り過ぎていった。

 

僕は走った。扶桑さんが何か言ったような気がしたけれどよく聞こえなかったので構わず走った。

 

鎮守府が見えると、その前の広場には迷彩柄の大きなヘリコプターが止まっていた。

 

「わぁ…………」

 

初めてこんな間近で見た。

強そうな兵装がヘリの両脇にたくさん付いている。人知れず心が躍っていた。

 

ローターの回転速度が急激に上がる。ヒュィィンと風をきる音が耳を叩き、足元に強い風が流れ込んできた。

離陸するようだ。

 

ふわっと浮くと、その迷彩柄の巨体はあっという間に上空へと飛んでいき、高い木が遮る緑の向こうへ姿を消した。

 

「すごいや。あんなにおっきな音で飛ぶんだぁ…………」

 

ヘリが去った方向を見ながら思わず呟く。

 

 

直後、聞き慣れないけれども耳に残る声が聞こえてきた。

 

「…………何でパンツはいてないのよ」

 

夕日に照らされた二つ括りの桃色髪、冷淡な印象を抱かせるツリ上がった目。

 

腕組みをしながら吐き捨てるようにそう言った少女から、僕は慌てて目線を逸らした。

 

オレンジ色の地面は、少しばかり涙で歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 


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