時雨がいた場所はこの建物の隣、連絡通路で繋がった別棟である。
会議室にいるトップ連中が秘書官として連れてきた艦娘達だ。会議中、彼女たちは仲良くお茶をしたり訓練に励んだり装備の点検をしたりして時間を潰す。
各々の提督の選定で、秘書官は選ばれている。
練度が最も高い者。個人的に気に入られている者。日替わりで交代している者。
要するに選び方はてんでバラバラ、同じ艦娘であるということ以外は、あそこに集まるのは所属や能力が全く違った子達になる。
時雨も当然その一人で、私の場合はいつもは扶桑が秘書官なのだが、今回は輸送艦隊のこともあるため臨時で時雨を登用している。
その時雨が、余り見せない切羽詰まった表情で、ノックもせずに扉を開け放した。
「百機近い爆撃機がこっちに向かってるッ!!」
私の方を向いて叫んでいた。
一瞬、言葉の意味を理解出来なかった。
場がシンと静まりかえり、時雨の荒い息だけが響く。
私と時雨の目があった。
「…………時雨、ノックはしような」
「ごめん提督。急いでたんだ」
「な、なにがあったんだ!!」
突然、先程までうなだれていた男がイスを鳴らして立ち上がった。
四十代前半だが私から見れば若造だ。
その若造が続ける。
「説明してくれ! 爆撃機って、確かなのか!?」
「大和が対空電探に反応があったって。数は約百機。嵐で多少の誤差はあるかもしれないけどって」
その言葉を聞いて大将が唸った。
戦艦大和。彼女を秘書官としているのはこの老人、海軍総司令官であるこの人だ。
「大和の索敵に掛かったならば、間違いあるまい。こうなることを危惧して対空電探を持たせていたからな」
そうなのか、なかなか優秀じゃないか。見損なっていたようなので評価を上げる必要があるな。
大将は続けた。
「時雨よ、大和は今どこにおる」
「対空戦闘の用意をしてる。装備保管庫からいろいろ引っ張り出してくるって」
「わかった。お前達、住民への退避命令、および対空装備の配備と、戦力の確保じゃ。いそげ」
言われるやいなや、大将から近いところに座っていた何人かがすぐさま立ち上がり、会議室を去っていった。
住民の避難指示や戦力確保については彼等が動く。
私には他にやるべき事があるだろう。別に動く必要は無い。
イスに深く腰掛けたまま、事の顛末を考える。
「…………」
時雨が嘘を着く理由は無いし、大和が索敵ミスをした可能性もない。確認は自分で取れないが、取る必要がないのが事実である。
だがおかしい。
硫黄島が落ちてからまだ三時間しか経っていない。たった三時間だ。
どんな精鋭が飛行場設営を超高速で行ったとしても、三時間で完成するわけがない。深海棲艦なら可能なのか? いや、奴らに陸地をどうのこうの出来る手段はそうそう持って無いと、経験上判断出来る。
だとするならば、考えられるのは一つだろう。
艦載機を爆撃機として飛ばせることの出来る敵。海に出ることなく、しかし陸地を開設することもなく、その中間の存在でありながら爆撃機を飛ばせるような奴。
まだ見ない新たな敵が硫黄島には巣くっている。
「時雨、敵機の到着まであとどのくらいだ」
「一時間も無いと思う。大和はそう言ってたよ」
なるほどな、タイムリミットは一時間。
対空装備をどれほど配備できるかにもよるだろうが、まともにぶつかると百機は恐らく防ぎ切らん。
「ふむ…………大将」
「どうした」
「作戦立案は私がしてもよろしいですか」
「もとよりそのつもりじゃ。その…………君しかおらんじゃろう」
「それもそうですね」
私と大将は苦笑いを浮かべながら頷いた。
ちょっと場所を変えて考えるか。外の空気を吸いながらの方がいいだろう。
煮詰まったわけではないが見落としていることがありそうだ。
「大将、少し席を外してもよろしいですか」
「かまわんが、なにか良い案が浮かびそうかね」
「検討はあります。外はこの嵐ですから、敵もまともには飛べないでしょう」
そう言い残して、私は会議室をあとにした。時雨もそれに着いてきた。
○
一階の玄関口から外を目指す。
この施設は海に隣接しており、海軍本部の建物でありながら関東方面の鎮守府としても機能している。ここの提督はあの大将だ。
だから戦力や装備はそこそこ集まるだろう。対空というカテゴリのみで絞るとどうなるかは未知数だが。
扉を開け、外に出ると猛烈な風と雨が吹いていた。
厚い雨雲が空を覆い、太陽の光は全く出て居らず、夜は何時間も前に明けたはずなのにあたりはまったく薄暗い。
玄関口の白熱灯は灯ったままだった。そこに横殴りの雨が吹き込んでいる。
「来るときよりも酷くなっているな。これでは帰りのヘリが心配だ」
「鎮守府の方は大丈夫かな?」
「扶桑達か。あそこはあれでも意外と頑丈だ。台風程度では吹っ飛ばん」
「あ、うん、それもそうだけど…………空爆とか」
「大丈夫だろう。占領したてほやほやの状態で、戦力も固めずに二正面作戦を立てるなど愚かにも程がある。そんな相手ならこの戦いは楽に終わるな」
「確かにそうかも」
納得したように何度か時雨がうなずいた。
「…………」
顔を上げて外を眺める。強い風に雨が踊り、木の葉や枝も地面をせわしなく動いている。
かなり風が強い。まともに編隊を組んでの空爆はできんだろう。
状況をもう一度整理しようか。
敵の数は約百機。
天候は嵐。風も強く、まとまっての編隊飛行は至難の業。
さらにこちらの艦載機は、この天候では飛ばせない。よって空での迎撃は不可である。
出来ることは対空砲での牽制や機銃による撃墜のみ。
残された時間は一時間弱。
さあどうするか。あまりよろしい状況じゃ無いぞ。考えろネルソン。
私の頭なら、そして過去の情報を照らし合わせれば、答えが出ないはずはない。
「提督」
「どうした時雨」
「敵って、どんな高さで飛んでくるのかな」
「ん?」
「ほら、この雨と風でしょ? 普通の高度で攻めて来るとは思えないんだけど…………」
真っ黒な空を仰ぎ見る。小さな木の葉がいくつか空で舞っていた。
舌の上で鉄砲飴を何度か転がす。右へ左へ前へ後ろへ。黒糖の上品な甘さが脳の回転をフルにしてくれる。
しばらく無言で思索するうちに、一つの結論が思い浮かんだ。
「答えよう」
「うん」
「恐らく低空で来る。高度一万メートル以上まで飛べば雨雲は関係なしに飛行できるだろうが、だとしたら爆弾を落とすことは出来ない。レーダーシステムがあるわけでもないので、雲の上から遥か下界に落とすのは無理だ。だから低空、二千メートル以内に現れる」
「じゃあ、低い位置から飛んでくるなら、ボク達で向かい撃つことはできるよね?」
「できる。だが風が強いのでこちらの対空砲もそう簡単には当たらんだろう。弾道が逸れるのは目に見えている」
「じゃあどうするの?」
時雨は首を傾げながらこちらを覗き込んだ。
その顔にいくつか雨粒が飛んできて、玄関口の白熱灯に鈍く小さく反射した。
「…………」
ひらめいた。この天候ならばあれしかない。
「――――探照灯を使う。スエズの奇跡をここでやる」
○
会議室前。
「時雨はここで待っていてくれ」
「わかった」
中に入る。そこにいたのは二人だけだった。
大将と、土佐中将だ。
「他の方々はどうされたんですか?」
私の質問に答えたのは土佐中将だった。
「…………住民の避難誘導に乗じて、シェルター内に避難した」
おいおい冗談だろ。
もうそいつら全員クビ切ってくれよ。敵前逃亡は死刑でいいだろう。使えないとか言うレベルを遥かに超えているぞ。
「…………ふざけてますね」
「そう怒るなネルソン君」
「怒るのが当然に思えるのですが大将」
「彼等に今死なれては、舞鶴での作戦指揮に支障が出る。あまり人が多すぎても指揮系統が混乱するじゃろうしな。これでよいのじゃ」
大将が容認するのは構わないが、まがいなりにも軍のトップに立つ人間が市民と共に尻尾巻いて隠れるのはどうなのかね。
怒りを通り越して呆れがくるとは、なるほど今のこんな気持ちか。
だがもうそんな事に構っている時間はない。
残った人間だけでもいい。戦力と設備があれば私が何とかしてみせる。
…………よく考えると、この若造は残ったのだな。とんだバカだったが根性だけは座ってるのか。見直したぞ。
「土佐中将、大将、お聞き下さい」
「うむ。その前に一つ良いかネルソン君」
「はい、なんでしょう?」
「私の名前は
「………………」
なんてことだ。名前を忘れていることを悟られてしまったか。
いやいやまずいな。失礼なんてレベルではないぞ。
「大変申しわけありませんでした」
「よい。不老ではいちいち覚えておくのもつらかろう」
「…………いままで、一部を除いてろくな人間がいませんでしたので。記憶するのも煩わしかったんです」
「私はどうかね」
「そこそこ尊敬に値します。死ぬまで覚えておきましょう。土佐中将も」
「ははは、正直なお人じゃ」
蜻蛉大将は気分を害するようでもなく、むしろ私とのやりとりを楽しんでいるように思えた。
かなり人としてダメな部分を私は見せたつもりだったのだが、気に入られてしまったのか……?
土佐中将も、心なしか私に好気の目を向けている。恨まれるようなことはしたが、そんな目を向けられる覚えは無いぞ。
相変わらずニコニコとしたままの蜻蛉大将がゆっくりと、まるで独り言のように呟いた。
「決心がいった。やはり君は娘のようじゃな」
「なぜ今そのような事を」
「死なせるわけにはいかんからじゃよ」
「…………?」
「シェルターに退避したまえ」
「はぁ!?」
なにを、え……つまり、私に逃げろと言っているのかこの爺さんは。
「なぜですか!」
「君はこの国にとって必要じゃ。権力争いに埋められてしまっているが、誰もが君を尊敬しておるし、頼りにしておる。こんなところで死ぬのはいかん」
「それはつまり、私は生き残り、あなた達はここで死ぬという意味ですか」
「死ぬと決まったわけではない。君から作戦を聞き、私と土佐君が指揮を執る」
「必要ありません。私は戦えます」
「聞き分けの出来んお人じゃなぁ…………必ず安全である保証はないのじゃ。百機というのが多いか少ないかで言えば、多い。全てが爆撃機ならばとんでもない規模じゃ」
「だからこそです。私も尽力させて下さい!」
「…………」
蜻蛉大将は机に肘を突き、自分の両手を目の高さで組んだ。笑顔はもう消えていた。
眼光が鋭い。今まで見てきたどの大将とも、この人は何かが違った。
根底にあるのは私と同じなのかもしれない。国のために戦う。責務のために戦う。
権力や地位のためではなく、自分の守るべき者のために戦うという姿勢そのものが。
こんな人間がいたんだな。本部の連中はほとんどが腐っていると思っていたが、この人は、そのほとんどには入っていない。
だが、それと私が退避するのは別問題だ。
いくら彼が頼み込もうと、悪いが私は職務を全うしないで逃げるなど、そんな事はありえない。
「どうしても退かんかね」
「退きません。退く意味がありません」
「なぜじゃ」
「こんな事でいちいち自分の命を秤にかけていては、戦場になど出られません」
「ふ…………ふふ、ふはははははははは」
蜻蛉大将は高らかに笑った。笑い、満足そうに何度も頷き、土佐中将に向き直った。彼はイスに座ってこちらを静かに眺めていた。
「やはりそうじゃろうな。土佐君よ、どうだね」
「彼女の覚悟に勝てる人間はいないでしょう。少なくとも私では無理です。やはり尊敬しますよね」
土佐中将が苦笑いを浮かべながら首を振っていた。話が見えない。
「何の話ですか、土佐中将」
「いやね、数刻前の会議で私は硫黄島の偵察を任されたろう」
「ええ」
「ありがとな。私の力では、その任に着くことはできなかった。これで復讐できる」
「復讐…………ですか?」
「そうだ。今日来ていなかったふたりのうちのひとりは、硫黄島の守備隊だ。そして私の親友だよ」
なんだと。では、あのバカみたいな発言は全部演技だったのか。
言われてみれば妙に芝居くさかった気もするが、だが、もし私が硫黄島偵察の任を具申しなかったら、無駄骨だったんじゃ……。
いや、もしかすると蜻蛉大将とも仲がいいのか。きっとそうだな。
だから事前に話を聞き、あらかじめ硫黄島関連で関わる事を確約した上で、会議で流れを〝この人が硫黄島の案件に関わる〟と、その場にいる全員に示したかったのか。横槍を刺されないように。
根性だけではない。バカでもない。優秀かどうかはわからんが、少なくとも先を見越して判断出来る人物か。
本部の無能集団と一緒にするのは間違いだ。
「君ならば、私を硫黄島に近づけてくれると思っていた。泊地の一指揮官に過ぎない私では、こんな大きな作戦には関われないからな」
「そんな事は…………いえ、それよりも、御友人の冥福を」
「かまわん。軍人にはつきものだ」
土佐中将は柔らかく笑いながら、そのまま続けた。
「出来れば君には、退避して欲しかったんだがね。やはりだめか」
「だめです」
「うん、まぁそれもそうだな。私も戦うと決めている。大将も」
「そうじゃ」
蜻蛉大将も、小さく笑いながら返事をした。
全員戦う。ここに残る。誰一人として退避しない。
本部の連中の中でも特別、彼等は違うだろう。
権力や地位のためではない戦い方を、この二人は出来る。違いない。
「では……もうあまり時間がありません。考えついた作戦をお話ししてもよろしいでしょうか」
「たのむ」
「よい」
私もイスに座り、作戦の概要を説明した。
○
「なんというぶっ飛んだ発想じゃ」
「東京を丸々隠すというのか。信じられん」
蜻蛉大将も土佐中将も見事に目を丸くした。
それもそうだ。奇抜極まる作戦である。
第二次世界大戦期。
スエズ運河をドイツ爆撃機に狙われていたイギリス軍は、ある人物を登用した。
彼の名はジャスパー・マスケリン。職業はマジシャンだ。
スエズ運河への爆撃を何とかして回避するために、彼が取った作戦は〝ニセモノ〟だ。
光と音。これを全く関係のないところでスエズ運河のように造り出して、爆撃機の目を狂わせる。
ニセモノのスエズ運河を造り、本物は遠く離れたところでそのなりを隠す。
作戦は見事に成功し、ニセモノの運河に攻撃が集中、本物は守り切れたというわけだ。
これをやる。
関東方面のこの鎮守府から離れた海まで艦娘を出し、大量の探照灯であたかも東京の防空網がそこにあるように思わせる。
敵はその後方を攻撃するはずだ。だがあるのは闇と雨と霧に隠れたただの海。本物の東京はそこより遥か先にある。
探照灯の位置で対空機銃、そのずっと後方で対空砲と三式弾装填済みの戦艦を配備し、徹底的にたたき落とす。
「この作戦で行きましょう」
「良いな」
蜻蛉大将は深く頷いた。土佐中将も、浅く何度も頷いて、同意を表してくれている。
「戦力はどれ程集まりましたか」
「戦艦は大和、長門、陸奥の三隻。軽巡並びに重巡がそれぞれ四隻ずつ、駆逐艦は八隻が出撃可能じゃ」
「対空装備は」
「戦艦の三人には三式弾がフルで渡せるわい。そのほかも、対空機銃、対空砲共に申し分ない」
「探照灯は」
「駆逐の子らに持たせよう。八つもあれば足りるかね?」
「充分でしょう。防空網が海岸線より遥かに前であることがバレ無ければそれでよいのです」
言った後、鉄砲飴がいつの間にか溶けて無くなっていた事に気が付く。
懐から取り出し、一つ口の中へほおる。
その様子を土佐中将が凝視していた。
「…………噂はやはり本当なのだな」
「なにがです?」
「ネルソン提督は鉄砲飴を常になめている」
「つ、常にではないですよ。作戦立案だったり、作戦指揮中はなめていないと落ち着きませんけど」
いいながらもう一つ取り出し、
「どうぞ、土佐中将」
「お、では頂こうか」
「蜻蛉大将も」
「ふむ、もらおうかね」
三人それぞれが口に入れ、中でコロコロと転がす。
白髪の目立つ老人と、四十代に入ったおっさんと、眼帯黒マントの若い女が机を囲って飴をなめる。
こんな光景はここでしか見られんだろうな。
「うまいな」
「ですね」
「でしょう」
さて、作戦開始だ。