艦娘でも提督でもない生まれ変わり方   作:奥の手

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改めまして本編が動き始めます。


第十七話 小さな体に小さなコンパスⅠ

目が覚めた。

 

先ず始めに聞こえたのは、窓を叩く激しい雨音だった。

 

体を起こして周りを見ると、自分の寝ていた部屋が時雨お姉さんの所だと認識できた。

ただ部屋全体が薄暗い。不気味さすらも感じてしまう。

 

窓の向こう側を見ると、なるほど太陽は全くその光を出していない。薄暗いのも納得できる。

今日は雨。かなり激しい大雨だ。

 

壁に掛けてある時計を見上げると、時刻は午前十一時を指していた。

 

少し起きるのが遅かったかな。

でも昨日は夜中の三時にお風呂に入って、そのまま眠ってしまったから、こんな時間になるのも仕方がないだろう。

 

むしろ睡眠時間にして七時間とちょっと。まだ少し眠たい。

二度寝しようか。

 

そう考えた瞬間に空腹感が襲ってきた。ころころとお腹が鳴っている。

朝ご飯を食べないと。いや、もう昼ご飯か。

 

「…………時雨お姉さん、どこ行ったのかな」

 

不意に不安が襲ってきた。

 

時雨お姉さんが隣にいない。

 

そうわかった途端に体の芯を氷のようにさみしさが襲う。

たまらず掛け布団の端を強く握った。何か、何か良くないことが起きているような気がする。

 

このままこのベッドで寝ることは出来ない。眠気なんてもう欠片もなかった。

 

誰かと話がしたい。たまらなくさみしい。

もしかすると今、この鎮守府には僕一人しかいないんじゃないだろうか。

 

みんなに置いてけぼりにされたかもしれない、と考えると、その不安はいっそう強いものになってしまった。

 

「妖精さん。いるかな? お話したいよ」

『おはよう少年。何かな』

 

十二㎝単装砲の妖精だった。頭の中で直接声が響いている。

 

その声を聞いた瞬間に、ほんの少し、不安やさみしさが薄らいだ。

 

「よかった…………いてくれてよかった」

『わたしはどこにも行かないよ』

「うん。そうだけど、その、なんか…………ありがとう」

『ふむ? よくわからんが、不安に思う必要は無いよ。時雨は仕事だし、ネルソン提督は下の執務室にいるはずだ。そんなに寂しがるな』

「うん。そっか…………わかった。ありがとう、妖精さん」

『ははは、ずいぶんとしおらしくなったな。昨日は〝妖精〟と呼んでいた気がするが』

「そうかな?」

 

あまり覚えがないけれど、なんだか妖精さんと呼ぶほうがしっくり来るから今後はそう呼ぼう。

 

部屋は依然と薄暗い。響いているのは僕の声だけだった。

ぬぐえない不安は孤独から来ていた。

 

何をしたらいいか思いつかない。

とりあえず、妖精さんを頼ろうと想った。

 

「妖精さん、僕はこれから何をすればいいの?」

『とりあえず左足の傷を見てごらん』

「わかった」

 

掛け布団をどけてベッドの下の方で折りたたむ。

そのまま、左足に視線を移す。

 

「あれ?」

 

そこには包帯もガーゼも巻かれていない。

 

足の裏をのぞき見る。

 

何もなかった。きれいさっぱり、傷跡すらも残らずすべすべお肌がそこにはあった。

 

「妖精さん? これ、どうしたんだろ」

『昨日風呂に入ったのは覚えてるかい』

「うん」

『わたしは君の頭で寝ていたから、君を召喚した妖精から又聞きしただけなんだがな――――』

 

妖精さんは一度区切ると、突如ベッドの上に姿を現した。

人形のような相貌。明るめの茶髪を後ろで一つに括っている。服装はセーラー服。

紛れもなく昨日の夜に見た、あの妖精さんだった。

 

見知った姿が目に見えると、心の中の不安がまた少しだけ溶けた気がした。

 

『…………こっちの方が安心するようだね』

「うん。ありがとう」

『君の頭にいたら〝さみしいよこわいよ〟とばかり流れて来て、こちらが申し訳なく思ってしまう』

 

妖精さんはクスリと笑った。

そっか、僕の感情は筒抜けだったのか。でももう大丈夫。

一人じゃなくなった。

 

『話を戻そうか』

「うん」

『昨日君が風呂に入って眠っているうちに、ネルソン提督がある実験をした』

「どんな実験?」

『君を艦娘用の高速修復材に浸けることだ。艦娘がダメージを負ったとき、あれに浸けると瞬時に回復、傷もふさがる』

「へぇ~すごい。そんなのがあるんだ」

『で、それを君に使ったら結構な効果が現れたということだ』

「傷が無くなってるのはそのせい?」

『そうだ。艦娘程じゃないが君の傷の修復は瞬時にして進んだようだ』

「へぇ…………」

 

怪我をしてもすぐに治るのか。世の中にはすごいものがあるんだな。

 

「それじゃあ今度から怪我したら、そこに浸かっていればいいんだね」

『高速修復材は貴重なものだ。ドッグに入るぐらいなら良いだろうけど、あれはそんなにぽんぽん使うものじゃない』

「あ、そうなんだ。うんわかった」

 

頷きながら答える。

でもそうか。傷が瞬時に治るなんて魔法みたいだけど、だったらなおさら貴重なものだよね。

怪我しないように気を付けるのは当たり前。

 

そこまで考えると、ふと、自分の中から不安な気持ちが取りさらっていることに気がついた。

そして代わりに空腹感が襲ってくる。今度は大きくお腹が鳴った。

 

「…………もうぜんぜん怖くなんか無いよ。妖精さん、ありがとう」

『不安なときにはまた話をして上げよう』

「うん。お願いね」

 

元気が出て来た。薄暗い部屋がさっきよりほんの少し明るく感じた。

 

『少年、下に行こう。ネルソン提督の所に行って何か食べ物を貰ってこよう』

「わかった。服はこのままでいいかな?」

 

昨日目覚めた時と服装は替わっていない、ダボダボでかなり大きな青ジャージ。相変わらず時雨お姉さんの香りがする。

 

『着替えた方が良いだろう。時雨のタンスから拝借しよう』

「勝手に借りて怒られないかな?」

『今朝、時雨から頼まれたからな。君が起きたら着替えさせてくれって』

「そっか」

 

彼女と仲直りできて私も安心だ、と妖精さんは小さく呟いた。何のことだろう? まぁいっか。

 

ベッドから降りて恐る恐る左足を床に付ける。

痛みはまったく走らなかった。改めて感心した。

 

「ほんとに治ってる」

『そりゃそうさ。あぁ……自分で着替えられるか? わたしじゃ流石に小さいから手伝うことは叶わんぞ』

「で、出来るよひとりで!」

 

タンスの前まで行き、どこの引き出しを開ければいいのか迷ってしまった。

迷うと言っても一番上の引き出しには背が届かない。

とりあえず下から見てみようかな。

 

ガラッ。

 

「…………」

『時雨はこんなのを穿いているのか』

 

タンスの上から妖精さんが覗き込んでいる。

丁寧に収納されたきれいな布の陳列は、いわゆる下着。わかりやすく言うとパンツだった。

 

白いものから黒いもの、薄いピンクのものも見えている。

実にバリエーションに富んだカラフルな桃源郷がそこにはあった。

 

頬が赤くなるのを感じながらそっと引き出しを元に戻す。

 

「…………言わないでね」

『わたしだって命は惜しい。墓場まで共に持っていこう』

 

下から二番目を開ける。こちらはトレーニングウェアだった。

 

『ここから借りよう』

「うん」

 

どれにしようか迷った。時雨お姉さんのお気に入りとかあるのだろうか。それを借りるのはちょっと遠慮した方が良いだろう。

 

「どれを借りたらいいのかな」

『そこの黄色いのなんてどうだ』

 

言われたとおり、一番手前にあった黄色いジャージを引っ張り出す。

サイズは今まで借りていたものと全く同じ。というかたぶんこのサイズしかないだろう。

 

「これにする」

『三着で見事に信号機だな』

「そういえばそうだね」

 

小さく笑みがこぼれた。

 

手早く青ジャージを脱いで丁寧にたたみ、黄色ジャージを身につける。

袖と裾をまくり上げて、青ジャージを小脇に抱えて、妖精さんを肩に乗せる。

 

『では、いざ食事をとりに』

「はーい」

 

時雨お姉さんの部屋を後にした。

 

 

 

 

執務室前。

 

ここに来る途中に一度洗濯室に寄り、カゴの中に青ジャージを入れておいた。

それと、念のため食堂を覗いたけど扶桑さんも時雨お姉さんもいなかった。もちろんネルソン提督も。

 

廊下と階段は電気が付いていた。まるで台風でも来ているかのように外は大雨と風が強く吹いていた。

 

執務室の扉を見上げる。

 

「たぶんここにいるんだよね」

『たぶんな』

 

息をのみ、なぜかはわからないけどちょっと緊張する体を落ち着かせて、ドアを二度ノックした。

 

コンコン。

 

「あ、目が覚めましたか? 入って良いですよ」

「あれ?」

『扶桑か?』

 

ドアの向こうからした声は、ネルソン提督のものではなかった。

 

「失礼します」

「どうぞ」

 

ドアを開ける。

昨日の朝見た執務室とは、ちょっとだけ雰囲気が変わっていた。

机の上にはモニターと無線機。積み上がった書類と地図みたいなのもある。

 

そしてその机の向こう側には、ヘッドホンをした扶桑さんがモニターを睨みながら座っていた。

 

その表情は、儚げな笑みでも柔らかな表情でもなく、何かマズイ状況が起きているかのような苦しそうな顔だった。

 

『扶桑? どうしたんだ』

 

肩にいる妖精さんが聞いてくれた。

 

「やや想定外の事態が起こってしまいました」

「ネルソン提督はどこに?」

「海軍本部です。今朝方迎えが来て、時雨とヘリで向かいました」

『それで指揮を扶桑が代わりに?』

「ええそうです。妹の山城達の方も、かなり状況が逼迫(ひっぱく)しています」

 

山城?

 

もしかして、この鎮守府から出ている残りのネルソン提督の艦隊か?

 

うん、この状況から見るに間違いなくそうだ。

 

『何があったのか教えてくれ』

「今は無理です。山城達の方が片づいてからにして下さい」

 

その声は切羽詰まっていた。

 

僕は駆けだして扶桑さんの隣に立つ。

 

モニターの中には、航空映像のように高い箇所から鮮明に海上を映し出す様子が写っていた。

 

「これは…………?」

『なにッ!』

 

妖精さんが声をあげる。驚愕の声そのものだった。

 

『輸送任務だろう!? なぜこんな状況になっている!』

「敵の偵察機に掛かってしまったようです」

 

何が起きているのか僕の目にはわからなかった。

けど、広い海の映像には、真ん中に普通の船舶と、その周囲を囲むようにして進んでいる五つの人影が見えた。

 

船舶はそれほど大きくない。全長三十メートル。漁船ぐらいの起きさで、コンテナのような箱を積んでいる。

 

その船舶を等間隔で円になるように囲っているのが、おそらくネルソン提督の艦隊だろう。

 

そしてそこからだいぶ離れた位置。

 

距離がどれ程なのかはわからないけど、扇状に、山城さん達の進行方向を阻むようにして黒い点々の集団が展開している。

 

「何あの黒いの…………?」

『少年、よく見ておくんだ。あれが深海棲艦だ』

「え」

 

じゃあ敵? でも、え、だってこの数は…………えぇっ!?

 

「て、敵だらけじゃん!」

『五十はいるだろうな。戦艦クラスも見える。これでは輸送任務どころではない』

 

妖精さんの言葉に扶桑さんが頷いた。

無線機のスイッチを入れ、ダイヤルをいくつか回す。

 

「こちらネルソン艦隊本部。聞こえますか?」

『姉様!?』

 

無線機の横のスピーカーから驚いたような声が聞こえてきた。

 

「状況は最悪です。把握していますか?」

『最上の偵察機から入電がありましたが、未帰還です。恐らく撃墜されました…………』

 

スピーカーからやや落ち込んだ声が聞こえてくる。

しかしすぐに、また元気な様子でしゃべり始めた。

 

『でも扶桑姉様が見守って下さるなら私はいくらでも戦えますわ!』

『アンタが戦えても船が沈んじゃ意味ないのよッ!!』

 

別の声が飛んできた。焦ったような、そして怒気を含んだ声である。

 

その声に向かって扶桑さんが話しかける。

 

「満潮、よく聞いて」

『なによ!』

「すぐに回頭してその海域から離れなさい」

『出来ないわ。そんな事をしたら輸送任務は失敗よ』

「失敗でも構いません、船を捨てて逃げなさい。もしそのまま進行すれば、間違いなくあなたたちは沈んでしまいます」

『わかってるわよ! 出来ないって言ってるでしょう!!』

 

満潮と呼ばれた人が怒鳴り散らした。

 

「妖精さん」

『どうした少年』

「どうにかして勝てないの? 五十隻って、そんなに多い数なの?」

『計算してみろ。海の戦いは船舶の数を二乗したらその艦隊の兵力になる』

「二乗……山城さん達が五人だから、二十五で、敵が五十としたら――――」

 

五十の二乗がすぐに出ない。ええと――――えぇ……。

 

「…………二十五対…………二千五百」

『ご名答。で、勝てると思うか?』

 

首を横に振らざるを得ない。

 

モニターを見る。輸送船の集団と黒い扇は着々とその距離を詰めていた。

 

扶桑さんが無線機に叫びかける。

 

「山城! すぐにその海域を戻りなさい!!」

『姉様の命令ですから戻りたいのは山々ですが、後ろは潜水艦隊が迫っているんです!』

「ッ! 爆雷は!?」

『朝雲と山雲がありったけ投下しましたが、勢いを押さえるぐらいにしかなりませんでした』

「なんてこと…………」

 

扶桑さんが両手で顔を覆った。前髪がぐしゃぐしゃになる。

その肩は震えていた。

 

どうにも嫌な空気が流れ始める。楽観出来る雰囲気ではない。

心から、さっきとは違う不安が襲ってくる。

 

自然と僕の声も焦りを含んだものになる。

 

「妖精さん、このままじゃ山城さん達が……どうにかならないの!?」

『わたしにはどうしょうもないよ』

「ネルソン提督は? ネルソン提督に聞いたら、この状況もどうにか出来るんじゃないの?」

 

質問には、かすれた声で扶桑さんが答えてくれた。

 

「…………提督は、海軍トップの会談中です。こちらから連絡の届かないところにいます」

 

絶望的。

 

なんで、どうして、こんなことに。

 

『緊急事態用の打電は?』

「とっくの昔に打っています。まったく届いている気配がないので、もしかすると提督の身にも何かあったのかもしれません」

 

そんな……。

 

目の前が暗くなる。

 

モニターを見据えると、黒い扇と船舶の距離は先程よりも縮まっている。今にも扇状に大砲の発射炎がのぼるかもしれない。

 

そうなったら終わりだ。

 

会ったことも、話したこともない人たちだけど、あそこにいるのは扶桑さんの妹と時雨お姉さんの友達だ。

 

何もしなくて良いわけがない。

助けなくて良いわけがない。

 

助けたい。このままここで指をくわえて見ているだけなんて、そんな、そんなのはあんまりだ。

 

しかしどうすればいいのか思いも付かず、僕は無意識に口を開いた。

 

「どうにか出来ないの……?」

「今考えてます! 黙っててッ!!」

『扶桑!』

 

扶桑さんの叫びは僕に向けてのものだった。妖精さんがそれを咎める。

 

『当たる相手を間違えるな! 少年にわめいて何になる!!』

「あ…………ッ……ごめんなさい……」

 

一度僕を見て、申し訳なさそうに視線を落とした。

いや、僕も、何も出来ないくせに無神経に呟いただけだ。悪いのは僕だ。

 

「扶桑さんは……悪くありません。だれも……」

 

扶桑さんの肩が震えている、頬に一筋の涙が伝う。

 

「こんな事になるなら……私も……行けば良かった……」

『それはちがう。行ってもどうにもならん』

 

妖精さんが首を振る。その表情には、同じように焦りが浮かんでいた。

 

沈黙が流れる。重い空気が執務室をいっぱいにする。

 

しかし静寂は一瞬だった。

 

『姉様!! 指示をッ!!!』

「――――ッ!」

 

モニターを見る。その中で、黒い扇がチカチカと瞬いていた。

 

 

 

 

始まった。絶望的な砲戦が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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