艦娘でも提督でもない生まれ変わり方   作:奥の手

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第一話 どこかは分かって、誰だ俺

 

 

音が聞こえる。

 

水の音だ。

 

それほど大きくはなく、ちょうどタオルの水を絞っているような、そんな小さな水の音だ。

 

目を開けたい。

今何が起きているのか知りたい。

 

しかしその欲求とは裏腹に、まぶたは重く、体も沈み込むようにしてぴくりとも動かない。

 

「ぅ……」

 

小さなうめき声が漏れる。その声が自分の耳に入る。

根拠はないが自分は生きているのかもしれないという希望が感じられた。

 

「動いちゃダメだよ、大丈夫だから」

 

不意に声が聞こえた。頭のすぐ側から、やさしい、しかしまだ幼さの残る少女の声がした。

 

「こ、こ……は?」

 

弱々しい自分の声が発せられる。

少女の声よりも幼い。

 

そうか、今の俺は大分若返っていたんだったな。幼児化と言う方が正しいだろうが。

 

「ボクの部屋だよ。時間は夜の……九時を回ってるね」

 

夜の九時。ずいぶんと寝ていたように感じる。

 

重いまぶたに渾身の力を入れて目を開ける。

ふるふると視界が揺れながら、徐々に、ここがどんなところで、自分がどういう状態なのかを理解した。

 

死んではいないようだ。

 

天井は木造で、白熱電球がぶら下がっている。

枕元にもスタンド電気が光っている。

どちらも強すぎず弱すぎない、柔らかく暖かい光を発していた。

 

そして自分は横たわっている。

ここは少女の自室だと言った。

 

ならば自分が今寝ているのは、きっと少女のベットだろう。

肌触りの良いシーツと薄い掛け布団が体を包んでくれていた。

…………衣服は、どうやら身につけていないらしい。

 

「びっくりしたよ。朝のランニングをしてたら小さな男の子が倒れてるんだもの。それも裸で、足に木の棒まで刺してさ……何があったの?」

 

スタンド電気に少女の顔が照らされていた。

 

黒い髪を三つ編みにして左の肩口から垂らしている。

瞳の色はすんだ青。セルビアンブルーというのかな。

精悍な顔立ちは、幼さと、頼もしさの両方が感じられた。

 

「……わからないん、です。気がついたら、裸で、浜辺にいて……何も飲めなくて、それで」

 

いい終わる前に、そういえば足はどうなったのかと疑問に思った。

あれほど痛かった足が、今は何ともないのだ。

 

気になったので聞こうとしたが先に少女が口を開いた。

 

「そうか……君もなのかな」

 

明らかにその一言は、俺に向けてというよりも独り言に近かった。

何のことか分からなかったが、言いながら少女は、ボトルをこちらに渡してくれた。

 

先程の水音はこれだったのか。

 

「気を失っている間にも何度か口に入れたんだけど、まだ足りないだろうからしっかり飲んでおくんだよ。薄めたスポーツドリンクだから」

 

ボトルを両手で受け取る。片手では持ちきれない。

ボトルが大きいのではなく、単に俺の手が小さかった。

 

少女は俺の背中に手を回してくれて、ゆっくりと、ベットの上に座らせてくれた。

下半身は掛け布団で隠れているがやはり何も着ていない。恥ずかしい。

 

「あの…………助けて頂いてありがとうございます」

「気にすることはないよ、ほら飲んで。ゆっくりね」

 

少女はそう言うと部屋の中を少し移動して、タンスと思われる所からスポーツウェアを上下セットで取り出した。

 

俺はそれを横目で見ながらボトルを口に付け、傾ける。

丁度良く薄まってよく冷えたスポーツドリンクは、体に染み渡り、もはや脱水症状の影は微塵も残っていなかった。

 

…………いや嘘、まだ体がだるいからそれは言い過ぎだ。

でもまぁだいぶ楽にはなった。

 

少女が戻ってくる。

両手に抱えられていたのは、赤い布地に白い線が入った、よく見る長袖ジャージだった。

 

「丁度いい大きさの服がないから、これでガマンしてね」

「あ、ありがとうございます。その……体もなんだかさっぱりしてて」

「足の手当のついでにね、昼間に濡らしたタオルで拭いておいたんだ。また後で拭いてあげるよ」

 

気を失っている間、きっと全身くまなく見られているんだろうな、とは思った。

恥ずかしかったがそれよりも、命を救ってくれた目の前の少女……いや、今の俺から見るとお姉さんに、俺は心から感謝した。

 

「ほんとうに、ありがとうございます」

「いいよいいよ。ボクも楽しませて貰ったから」

「…………?」

 

ちょっと言っている意味が分からない。

 

「君の体を拭くときに、いろいろと興味深いことが分かったんだ」

 

お姉さんはニコリと笑った。いや、その……その笑顔の意味は何でしょうか。

 

「あぁそうだそうだ。自己紹介がまだだったね」

 

お姉さんはこちらの心中不安を微塵も感じていないようなそぶりで、やはり明るい微笑みを浮かべながら右手を差し出してきた。

 

「ボクは白露型駆逐艦2番艦〝時雨〟だよ。よろしくね。君の名前は?」

「…………あ……れ……?」

 

全身の血が凍りついた。

 

時雨お姉さんの自己紹介の意味がわからないというのもある。

 

でもそんなことより、もっと、根本的に、気にかけていてもおかしくないことに俺は今まで気付いていなかった。

 

とたんに胸が苦しくなり、喉が急激に呼吸を阻む。

 

俺の名前は、何なんだ。

 

 ○

 

数分後。

 

部屋の中には、裸でベッドに座っている男児がいた。俺だ。

 

時雨お姉さんが晩ごはんを持ってきてくれるというので、俺はその言葉に甘えて部屋で待つことにした。

その間にジャージを着ようとしたら、あろう事か手伝うと言いだしたので、流石にそれは断った。

 

これくらい一人で出来る。

 

「…………」

 

と思っていたが出来なかった。

 

思うように手足が動かせない。

 

脱水症状と熱中症が悪かったのか、包帯の巻かれた足にそっとズボンを通そうとして同じ穴に足が両方入ってしまい、しかも抜けなくなった。

 

仕方がないので上を着ようとしたら今度は袖の所に頭が入ってしまい前が見えず、そのまま腕まで絡まった。

 

回復したと思っていたが、幼い体であれは深刻なダメージだったらしい。思いどおり手足が動いてくれなかった。

 

よく考えれば、というか考えなくとも、目覚めた時点で目も開けられない状態だったのに回復できているはずがないだろう。

 

もぞもぞと芋虫のように動く。

手足が余計に動かせなくなる。

 

結局このジャージ迷路からは脱出できそうに無かったので、とてつもなく恥ずかしいが時雨お姉さんを待つことにする。

 

…………以前の、高校生になるはずだった俺から見れば彼女は年下だが、今のこの体からはもうそんな風には思えない。

 

人間の適応能力とか、アイデンティティとでも言うのだろうか。

 

他人から見た自分の容姿が幼かったら、例え中身が高校新入生だったとしても振る舞いや考え方の節々で見た目相応の行動をとってしまう。

 

つまり下半身のあそこだけが露出して、体の上下に衣服を絡め付けた男児がベットで転がってもぞもぞしているという現象が起きても、何とか言い訳が出来ると思う。

 

違うか。違うな。

 

「な、なにしてるのさ」

 

クスクスという小さな笑いと共に、時雨お姉さんは部屋に戻ってきてくれた。

 

「だから手伝うって言ったんだよ。まだ思い通りに動けなかったでしょ?」

「はい……」

 

ぐうの音もでない。

 

「よい、しょっと。はい、これでいいかな?」

 

手際よく服の袖を通してくれて、足の方も、裾が大分長いがちゃんと腰の位置までズボンをあげてくれた。

恥ずかしさで耳まで赤くなっているのがバレなければいいけれど。

 

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいよ。無理もないからね」

 

顔が赤いのは見破られていた。

あそこを間近に見られていたことが恥ずかしかったのだが、どうやら芋虫状態になっていたことが恥ずかしいのだと勘違いしてくれた。

 

いやどちらも羞恥の極みだが。

 

時雨お姉さんの持ってきた料理はおかゆだった。

湯気が出ている。

中に緑色の葉っぱが小さくなって入っているから、ほうれん草か何かだろう。

 

体に良さそうだ。

 

俺はベッドに座ったまま、おかゆへと手を伸ばした。

すると、

 

「服も一人で着られないのに、御飯が一人で食べられるとは思わないな、ボクは」

 

おっしゃるとおりで。

時雨お姉さんはニコニコしながら、スプーンでおかゆを掬うと、何度かふーふーと息を吹きかけて冷ました上で,俺の口まで運んでくれた。

 

照れるような気恥ずかしいような気持ちが最初はしたが、それよりも二日ぶりの食事は涙が出るほど美味しかった。

 

「ふふ、泣かなくてもいいじゃないか」

 

…………本当に泣いてしまっていたらしい。

 

濃いめの味付けは、きっと熱中症で失っていた塩分を摂るためだろう。

ほうれん草が入っている理由は分からないが、やっぱり体のことを考えてくれているのだろうか。

 

底知れない優しさを感じ、目からあふれる涙を止めることが出来なかった。

生き延びた安堵もそこに上乗せされている。

 

「とても、とてもおいしいです」

「よかった。あとで提督にそう伝えとくよ。提督が作ってくれたんだよ、このおかゆ」

 

時雨お姉さんが作ったわけではないらしい。そして、作り主の名前に違和感を覚えた。

 

「ていとく……?」

 

聞き覚えのない単語だった。

 

「そう。ボク達のリーダーとか司令官、と言った方が分かりやすいかな」

「あの、それなんですけど」

 

さっきの自己紹介の時に気になったことだ。

 

俺自身のことについては、また後で相談してくれるらしい。

記憶のない事実に取り乱しかけたが、時雨お姉さんは「大丈夫、大丈夫」と慰めてくれた。

 

もう落ち着いたから話をしてもいいような気がしたが、タイミングがいいので時雨お姉さんの事について質問をしてみる。

こちらも気になっていたことだ。

 

「さっき言ってた〝駆逐艦〟って、あれ軍艦のことですよね?」

「うん。そうだよ」

「時雨お姉さんは、軍艦なんですか」

「うーん……」

 

なにか困ったような表情を浮かべた。

 

「ボクは、というかボク達は艦娘っていうひとつの役割を与えられた人間なんだ」

「かんむす?」

「そう。聞いたこと、ないかな?」

 

ない。

 

駆逐艦と言う言葉はこの世界に来る前に何度か聞いたことがある。たしか社会の、歴史の授業だ。

 

でも〝艦娘(かんむす)〟なんて言葉は聞いたことがない。

 

「なんなんですか、艦娘って」

「うー……ん。今ここで詳しく教えてあげてもいいんだけどね。たぶん、提督から話を聞いた方がいいと思うんだ」

 

言えない事情があるという風な感じではなく、どう説明すると分かりやすいだろうかと考えた末に、その〝提督〟から話を聞いた方がいい、といったニュアンスだった。

 

なぜかは分からない。この世界のことなのだから誰でもいいんじゃないかなとは思ったが、これだけお世話になった彼女がそう言っているのだから、やっぱり何か考えがあってのことだろう。

 

時雨お姉さんは、残りのおかゆも全て食べさせてくれて、食べ終えると俺は両手を合わせてごちそうさまをした。

 

「提督との話はまた明日にしようか。今日はもう体を拭いて寝た方がいいよ」

「はい」

「それじゃ、ちょっと待っててね」

 

言うと、時雨お姉さんは空の食器を持って部屋から出て行った。

 

それにしてもだ。

 

「提督、艦娘、駆逐艦…………?」

 

艦娘というのが何かはよく分からない。

 

ただ、司令官、駆逐艦といった軍事用語が出た時点で、あまり穏やかな世界の話ではないような気がする。

 

もしかするとここは戦場で、彼女は兵士で、俺は捕虜か何かと間違えられているのかもしれない。

 

いや、捕虜はないか。

だったらあんなに手厚い看護はしてくれない。

捕虜のために傷の手当てをして、自室のベットを貸して、あげく体まで拭いてくれる。

そんな都合のいい戦場はないだろう。

 

そこまで考えて、ふと、部屋を出る前の時雨お姉さんの言葉を思い出す。

 

――――体を拭いて……寝る、だと。

 

耳まで羞恥の色に染まったのと、湯気の出ているお湯に柔らかそうなタオルを手にした時雨お姉さんが部屋に帰ってくるのはほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ノーマル時雨は瞳の色がブルーなんですね。

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