艦娘でも提督でもない生まれ変わり方   作:奥の手

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これは「あの日」に関わる話です。
すこし暗いかもしれません。そのような心づもりでお願いします。

少年が世界にやって来る一年前のお話です。

ネルソン提督視点でお送りします。




挿話 10月24日~25日

「ふぅ…………だいぶ片付いたか」

 

山のような書類に目を通し、判を押しては崩していく。

毎日のこの仕事も、今日の分はそろそろ終わりそうだった。

 

時計を見る。日付があともう少しで変わる。

 

壁に掛けたカレンダーには、今日と明日の所に赤いバツ印が打ってあり、その横には同じく赤い字で〝休暇日〟と書いてある。

 

私の休暇ではない。現にこうして夜中まで、薄暗い執務室でテーブルライトに照らされながら仕事をしている。

 

艦娘の休暇だ。私の指揮下にある総勢七名の艦娘の。

彼女達のために私は今日明日の丸々2日、一切の訓練も戦闘も任務も放棄することを義務づけている。

艤装すらもつけさせない。

 

10月24日と25日。この2日間は、彼女達に戦争をさせてはいけない。

 

 

「……寝る前に少し散歩でもするか」

 

執務室をあとにして、夜間灯火の柔らかい光に照らされている鎮守府の廊下を歩く。

木の床を靴が叩き、コツコツと鳴るその音は、控えめに反響して廊下の奥へと去っていった。

 

「さて」

 

一度食堂の冷蔵庫へ寄り、中から缶コーヒーを取りだして、制服のポケットに忍ばせる。

 

玄関口から外に出ると、少し冷える風が、潮の香りを含みながら鼻をかすめて通り去った。

 

もう秋だな。きっと明日は冷え込むぞ。

 

「海か。丘か……丘だな」

 

浜辺へ続く道とは反対方向、ジャングルの中を通り抜け、小高い丘に向かう道を行く。

 

小さな山になっているこの先には、お情け程度の展望台が設けてある。夕日と朝日を拝むなら、あそこで鉄砲飴と缶コーヒーを飲みながらぼーっとしてるのが一番いい。

 

細い道を月明かりの青白い光に照らされながら、足下に注意して丘を登った。

 

目的地が見えると、その階段を上り、円状に作られている最上階へ到着する。

 

「……みつけた」

 

二人いた。時雨と満潮だ。

 

月下に照らされた淡い桃髪と美しい黒髪は、どちらも結われていなかった。

 

二人は並んで展望台の柵に肘をつき、海面を照らす夜月を眺めている。

 

私の存在には気付いているだろう。でも振り向かない。

後ろから近づいて、二人の間に入り込み、白い鉄柵に肘を付けた。

 

「……抜け出した懲罰は受けるわよ」

 

満潮がぶっきらぼうに言い放った。

 

「いや、いい。私も抜け出している。お互い様だ」

「そう。何でここに来たかは聞かないでよ」

「わかりきったことを聞くつもりはない」

 

私は小さく笑いながら、ポケットから缶コーヒーを取り出した。

プルタブを引き、ぷしゅっと音を立てて開いたそれを一口煽る。

 

そして満潮に差し出した。

 

「飲むか?」

「いらない」

「そうか。時雨は?」

「飲まないよ。でもありがとう」

「あぁ」

 

もう一口飲む。香ばしい薫りが鼻を抜ける。疲れた体には最高だ。

 

そして月に視線を戻す。時雨も満潮も口を開かず、ただただ青白いそれを眺めていた。

 

 

「……なんか、こんな夜はやっぱり眠れないね」

 

唐突に時雨が呟いた。

 

私はそれに続ける。

 

「今日だからか?」

「そうかも。…………満潮はどう思う」

「おなじよ。ぐっすり出来る方がどうかしてるわ」

「眠って忘れる方法もある」

「私には無理」

「ボクも無理かな」

 

私は、自然と口元が緩むのを感じていた。

 

「まぁそうだな。私も、こんな夜は特に眠れん」

 

言いながらコーヒーを傾ける。

 

潮風が月明かりに透ける白髪を、ほんの少し揺らした。

 

そろそろ、話を切り出してもいいだろうか。

いつまでもこうしているわけには、いかないからな。

 

逡巡はほんの僅かの間。

 

小さく息を吸い、なるべく自然に、なるべく当たり障りのないように呟いた。

 

「やはり、つらいか?」

 

二人のどちらかに向けて聞いたわけではない。

どちらにも、あるいは艦娘という全ての存在に問いかけたかったのかもしれない。

 

答えたのは満潮だった。

 

「……そうね」

「泣きたいなら私の胸に来てもいいぞ」

「いやよ」

「私は元気づけているつもりなのだよ。どうかね? 元気は出そうかい」

「ばっかみたい」

 

突き放すように言った満潮だが、その声音にいつもの強さはなかった。

 

私は少しだけ考えた。

 

あと一歩、彼女に近づくにはどうすれば良いか。

考え、ゆっくりと問いかけた。

 

「君は、どんな思いでここに立つ?」

 

満潮の方を見る。

 

彼女の表情が消えた。

視線が下がり、まぶたが揺れ、肩を震わせながら呟いた。

 

「……悔しいわ。でも私には何も出来ない。助けられないし、私の手なんて、みんなには届かないわ」

「ちがう。今の君は強い。守れるだけの力がある」

「そうね、そうかもしれないわ。わかってるけど…………でももう、私がいるところは……」

 

満潮の頬が一筋だけ、月の光に反射した。

 

「私の……私は、どこにいればいいのよ……居場所なんて、どこにも……」

「ちゃんとある。〝満潮〟も〝君〟も、ここにいればいい。君の座る場所は、ここにある」

 

満潮は何も言わなかった。

 

ただひたすら、あふれ出す涙を堪えようとして、それでも耐えられずに顔を伏せた。

 

くぐもった彼女のむせび泣く声は、明るい夜月に吸い込まれていった。

 

 

 

 

どれくらいそうしていただろうか。

 

私も時雨も何も言わない、静かな時間だけが緩やかに過ぎ去った。

 

遠く聞こえる波の音に紛れて、満潮は弱々しく口を開く。

 

「…………もう、大丈夫よ。だからほっといて」

「そうはいかん。部下を思うのは私の勤めだ」

「…………」

 

満潮は顔を上げて服の袖で目をこすると、私の方を睨んできた。

赤く腫らした瞳でまっすぐにこちらを見据えている。

 

しかしふいっ、とすぐに目線をそらし、何も言わないまま階段の方へと歩き出す。

 

振り返って彼女を見る。

 

時雨も何か言いたそうに、満潮の行方を目で追っていた。

 

だが口を開いたのは満潮だった。

 

「……席、預けるわよ」

 

蚊の鳴くような小さな声。それを海風が、確かに運んでくれた。

 

「まかせとけ」

 

階段を下りる彼女の横顔は、ほんの少し赤かった。

 

時雨にもそれは見えていたらしい。

 

「今日の満潮、やけに素直だったね」

「たまには本音を言わせてやらんとな。今日は特に」

「最近は結構わかるようになったでしょ? 何が言いたいかとか」

「年単位で世話をしていれば誰でもわかるもんだ。反抗期の子どもみたいで、これはこれで楽しいけどな」

 

時雨は鉄柵にもたれかかったまま苦笑した。

 

「あんまり子供扱いしちゃダメだよ提督」

「扱いと考え方は別物だ」

「うん?」

「子供だと思いながら大人のように扱う。保護者とは等しくそうあるべきだ。女性は特にな」

「含蓄があるね。さすが子育てのプロ」

「誰も成人式を迎えんのだがな」

「年取らないから?」

「そのとおり」

 

くす、と時雨は微笑んだ。

 

月明かりの青白い光は、彼女の顔をぼんやりと浮かび上がらせている。

 

その表情はまだ明るい。だがもうじきだろう。

 

彼女と私はもう約十年間、この関係を保っている。

上司と部下。指揮官と兵士。相棒と仲間。

秘書艦こそ扶桑に任せてはいるものの、ここ十年ほどで最も長く一緒にいる者と言えば、時雨の他にはいない。

 

そしてこんな月の夜は、これでもう何度目か。

 

艦娘は自分の艤装を通してあの戦いの記憶を共有している。

 

仲間を残して沈んだ最期。

助けようとして助けられなかった過去。

護衛対象に自らの手でとどめを刺した記憶。

 

それら様々な光景が自分の追体験として重なって、まるで、自分が海の上でそんな運命をたどってきたかのように感じてしまう。

 

時雨も例外ではない。

 

ことさら、彼女の場合はあの地獄の光景を終始見ることになる。

 

レイテ沖、スリガオ海峡戦。

 

山城を旗艦とする西村祥治(にしむらしょうじ)中将指揮下の囮艦隊は、10月25日未明に単独での突撃作戦を決行した。

結果は惨敗。生きて離脱できたのは駆逐艦「時雨」のみであった。

 

日本が深海棲艦との戦いに旧日本海軍艦の名を持つ彼女達を登用した当初から、意図的に、海軍は太平洋戦争時の編成になってしまうことを避けてきた。

 

理由は記憶のフィードバックがあるからだ。

トラウマや心的外傷ストレスが引き起こされることを極力避けるため、海軍はあえて編成をバラバラに砕いていた。

 

だが、大戦期の編成全てを避けることは不可能に近い。

連合国との戦いで沈没や除籍を繰り返し、度重なった再編成の全てをかいくぐることは出来ない。

 

今の我々海軍にも、都合でやむを得ず相性の良い艦娘を固めることがある。

 

ゆえにどこかにしわ寄せが必要となり、結果として私の持つ艦隊は最悪とも言える形で編成されている。

 

扶桑、山城、最上、時雨、満潮、朝雲、山雲。

 

時雨を除いた彼女達は、先の戦いで地獄の中に倒れ伏し、10月24、25日はその記憶が彼女達を苛んでしまう。

 

ゆえにこの2日間は戦いから遠ざける。私なりの配慮である。

 

場合によっては私が助けるが、多くは、彼女達自身でどうにかして乗り越えてきた。

 

身を寄せ合って一晩を過ごすことで乗り越えられる者。

扶桑、山城、朝雲、山雲がそうである。

 

また最上は幸いなことに、あまり苦しむ様子がない。

きっと沈む間際、乗組員が救助されているからだろう。

本人に一度聞いたことがあるが、そうかもしれないと言っていた。

 

扶桑、山城、朝雲、山雲、最上。

彼女達は乗り越えられる。

つらい記憶は、この一晩だけで収められる。

 

例外が二人いるのだ。

 

そのうちの一人、満潮の場合は少し境遇が違う。

 

彼女は艦娘になる前は孤児だった。

親を事故でなくし、親戚をたらい回しにされたあげく、虐待を受けていたことが発覚して福祉施設に引き取られた。

 

その数年後、艦娘としての適正があることが分かり、本人も望んで艦娘となった。

 

だがなってしまったのは駆逐艦「満潮」だ。

その艦暦は、運が悪いことに、孤児であった彼女にあまりにも酷似しすぎていた。

 

大戦期の〝満潮〟は修理中に仲間が全滅。

転属された先でも次々に仲間を失い、結果的に〝満潮〟は所属部隊を点々としていた。

そうして迎えた最期が、西村艦隊でのレイテ沖海戦だ。

 

孤児だった頃の彼女。

艦船としての満潮。

 

その二つのつらい記憶ゆえに、頭では理解していても、心の奥底で居場所を求めて探してしまう。

艦船としての命日である今日は特に。

 

だが、もう大丈夫だ。

 

今の彼女は違う。居場所は必ずここにある。

 

私が責任を持って、彼女の席を守ってみせる。

 

「…………すこし、風が冷たくなってきたな」

「うん。明日は冷えるかもしれない」

 

それぞれで折り合いを付けて、過去の記憶と向き合っている。

今日のこの日だけは苦しいかもしれんが、ただ一人を除いて、私の艦隊も乗り越えられるだろう。

 

そう、一人を除く。

放って置いてはいけない娘がいる。

 

時雨は違う。

彼女はダメなのだ。

この日だけは、この夜だけは。

もう何度目かになるこんな夜も、時雨だけは――――。

 

 

 

 

「提督、コーヒーまだ残ってる?」

「あるぞ。飲むか」

「うん」

 

月は先程よりも心持ち明るく光っており、時雨の儚げな笑顔を照らしていた。

私が飲みかけの缶コーヒーを渡すと、時雨は残りを一気に飲んだ。

 

「眠れなくなるぞ」

「もう寝る気はないよ」

「朝までいる気か?」

「…………そうだよ。朝まで、死ぬまで戦ってた人達がいる」

 

始まった。

ここでもしアプローチを間違えれば、時雨はしばらく、今日の状態を引きずってしまう。

 

今まで何度か失敗してしまった。

その度にもう二度とこんな時雨は見たくないと心に誓った。

 

だから間違えてはいけない。

彼女の心を壊してはいけない。

 

「時雨」

「あの夜に目を瞑ることはしちゃだめなんだ」

 

時雨は小さくそう言った。缶コーヒーを握る両手が、僅かに震えている。

 

静かに目を伏せた彼女に、次の言葉をどう掛ければいいのか躊躇った。

 

躊躇ったが、続けるほか無かった。そのままにしてはいけない。

 

「君のその記憶は、君自身の体験ではない。負い目を必要以上に感じることは――――」

「それじゃダメなんだよ!」

 

叫び、抗議の目を向けるように、時雨は揺れる瞳で私を見た。

 

「みんなが忘れても、みんなに忘れられてても、ボクだけは…………忘れちゃいけないんだ」

 

その声は震えていた。目に、月の光が弱々しく反射する。

彼女の呼吸が少しだけ乱れた。

 

その僅かな揺らぎは止まらなくなり、あふれ出した涙が頬をつたう。

嗚咽混じりに、止められない涙を袖で拭いながら、彼女は言葉を紡いでいた。

 

「ボクは…………ボク、は…………ヒグッ……エッ………グッ………」

「もういい、時雨。もう、いい」

 

細い肩を抱き寄せる。

力なく震えている。

 

「ごめんなさい、みち……しお……ヒグッ……ごめんなさい……ごめんなさいッ……みんなぁ……」

「大丈夫だ、時雨」

「ボクだけ……ッ……ボクだけ、生きて」

「…………」

 

頭を撫でる。震える肩を抱きとめる。幾度となくしゃくりあげる小さな背中を、絶え間なくさすってやる。

 

何度も、何度も許しを請う時雨に、私は掛ける言葉が見つからなかった。

 

月明かりは、代わり映え無く残酷に、時雨の涙を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ私は、彼女達を――――。

 

 


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