艦娘でも提督でもない生まれ変わり方   作:奥の手

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いつもと若干毛色が違います。


第十六話 湯けむりはそんなに都合良くない

脱衣所。

 

本来そこは二種類の空間に分けられる。

 

主に男性が使うことを想定された男湯の脱衣所。

主に女性が使うことを想定された女湯の脱衣所。

 

孤島の拠点、この鎮守府の中に、上の二つはどちらとも用意されていた。

艦娘が使うのは当然女湯。

たまに客人として男性が来るので、男湯とその脱衣所も一応敷設されている。

 

そして僕はいま、女性用脱衣所にいる。

 

目の前には三人の女性。

 

一人は長身で、白銀の髪をたたえた隻眼隻腕の美しい女性。

一人はやや身長が高く、豊満な体つきに底知れぬ包容力を思わせる黒髪の美女。

一人は幼く、しかし精悍な顔つきと落ち着いたオーラがその見た目の幼さを払拭する美少女。

 

なぜ増えてるし。あ、さっき時雨お姉さんが呼んでたっけ。

 

扶桑さんはやや眠そうな表情だった。でも嫌に思っている風ではなさそうだ。

 

「…………」

 

僕は床に座っている。細い竹で作られたシートは座り心地がとても良い。

青いジャージの上の服、だいぶ余っている裾の部分を、お山座りした膝にすっぽりと掛けてみる。よく小学校の頃やっていた形。

服が伸びるからやめなさい、と母親に怒られたのを思い出す。この服のサイズなら伸びることはない。

 

そして目の前で、三人が同時に脱ぎ始めた。

脱ぎ終わりが一番早かったのは時雨お姉さん。

 

彼女は脱いだ衣服を丁寧にたたんだ後、それを脱衣カゴの中に入れた。

 

白い肌に目を奪われる。

直後、桜色の何かが見えた。見えてしまった。見えちゃった。見えちゃってしまったのであわわわわわわ――――。

 

いてもたってもいられなくなって、抱えた膝に顔を埋める。息を吸うと時雨お姉さんの香りがした。こんな時にまでそんな事を気にしなくて良いじゃないか…………。

 

「ほら、早く脱ぐよ」

 

時雨お姉さんが近づいてきた。

恐る恐る顔を上げると、その体にはタオルが巻かれている。

安堵のせいか、自然と声が出た。

 

「…………タオル、するんですね」

「え? あ、無い方が良かったかな」

 

結び目に手をかけて取り払おうとする時雨お姉さんに、急いで立ち上がり抱き付く形でそれを制止。

これ以上何かされたら僕の体はもちません。

 

「じゃあ脱ぐよ。はい、ばんざいして。そうそう」

 

時雨お姉さんはしゃがみ込み、僕と目線が同じになる。

 

言われたとおりに両手を挙げる。上のジャージを引っこ抜かれると、今度は下のジャージをずり下げられた。

 

当然だがパンツは穿いていない。何が当然なんだと思うけど。

 

いや、だって時雨お姉さんのを穿くわけにはいかないじゃん。僕のは無いんだよ…………。

 

「じゃあ入ろうか。他の二人はもう行ってるみたいだし」

 

気がつくとネルソン提督と扶桑さんはいなかった。

 

時雨お姉さんに抱きかかえられる。ふと、左足のことが気になった。

 

「時雨お姉さん、足の包帯は取らなくて良いの?」

「あ…………取った方が良いかもね。ガーゼも一応はがしておこうか」

「痛くないかな?」

「わからないよ…………でも、ネルソン提督があれを試してみたいって言ってたし、外しておいた方が良いのかも」

 

あれって何だ。すごく気になる。

 

時雨お姉さんは一度僕を床に降ろすと、そのまま座るように言ってきた。言われたとおりに座り、左足を差し出す。

しゃがみ込み、やさしい手つきで処置してくれた。

ぐるぐる巻きの包帯を取り、ガーゼをはがす。

 

グロテスクな傷口が見えている。出血は止まっているが、少しだけ痛みが出始めている。

お風呂から出たら痛み止めを貰おう。

 

「よし、じゃあ行くよ」

 

取り去ったガーゼをゴミ箱に捨て、包帯をきれいにまとめて置いてきた時雨お姉さんは、再び僕を抱き上げた。

 

タオル越しに柔らかな感触が伝わってくる。ダメだ。意識しちゃダメだ。そこを意識したら大変なことになる。主に僕の下半身が。

 

そう思えば思うほど、不憫なことにこの体は、恥ずかしさと共に男の象徴を鯉のぼりさせ――――ん?

 

あれ。おかしいな。死ぬほど恥ずかしいけれど、なぜか下半身が熱くならない。鯉はいつまで経ってものぼってこない。

 

もしかして、いやもしかしなくても、これが〝体の変化は心の変化〟ってやつなのか?

幼くなったら、その、ゴールデンボールがジュリアナを踊ることもないし、鯉がのぼりまくって跳ね回ることもなくなるのか。

 

よく考えればこの年齢って、オトコノコノハジメテもまだ来てないよな。

 

なんだ、じゃあ、恥ずかしい事だけに目をつむれば、これは純粋に楽しいことじゃん。時雨お姉さんとネルソン提督と扶桑さんと一緒にお風呂に入るって言うとっても楽しいそれだけの――――。

 

そんなわけねぇ。

 

「やっぱり恥ずかしいです」

「だめだよ。お風呂に入らないと。体を洗うことだけが目的じゃないんだから」

 

時雨お姉さんは薄く笑いながら言っている。その、目的って何なんですか。僕を食べることですか。やめてください泣いちゃいます。

 

そうこうしているうちに入り口についた。なんかけっこうな距離を移動した気がする。渡り廊下的なところを歩いたような。

 

ここ一階だよね? てことは別の建物に来たってこと?

 

などと考えていると引き戸が開けられた。

カラカラカラカラ――――

 

「…………わぁ、すごい」

 

思わず声が出た。

 

目の前にはうっすらと湯気が立ちこめた、そして予想を遙かにしのぐ光景が広がっていた。

広い。めっちゃひろい。リゾート地の温泉屋さんぐらいはある。

 

「良い施設でしょ」

「はい……すごいです! でも何で軍の拠点にこんな立派なお風呂があるんですか?」

「ネルソン提督の要望だよ。艦娘の疲れを癒すのは、まず第一に風呂だろうって。たくさん拡張して、今のこれになったんだ」

「すっごく広いです。びっくりしました。…………それにたくさん種類がありますね」

 

そう、施設の広さだけじゃない。その種類も相当に多い。

 

普通の四角いお風呂はもちろん、ぶくぶく泡の出ているものから、なにやら緑色に光っているもの。屋外には露天風呂も確認できる。あ、サウナもある。

 

その様子に感動していると、横から声が掛かってきた。

 

「どうぞこちらへ来て下さい。まずは体を洗いましょう」

 

扶桑さんだ。

僕は時雨お姉さんの腕の中で、視線だけをそちらに動かし、

 

「…………」

 

言葉を失った。

扶桑さんは全裸だった。タオルの〝タ〟の字も見あたらない。

顔が熱くなるのをはっきりと感じる。

目のやり場に困った末、あたふたしながら時雨お姉さんの胸にうずくまってしまった。

 

あ、柔らかい。

 

「扶桑、何でタオル巻いてないんだい」

 

時雨お姉さんの呆れた声が飛んでいる。

 

「いつも()けてないですよ? 時雨こそどうしたんですか、急におしとやかになっちゃって」

「ボ、ボクは別にいつも通りだよ」

「ふふふ…………タオルなんて巻いてるの、始めてみましたわ。いつもはスッポンポンで満潮達とセッケンで遊んでいるでしょう。カーリングとかサッカーとか――――」

「わわわわわわっ! ダメだよ扶桑! そんな事言っちゃダメ!」

 

聞いちゃったモンは仕方ない。そうか、時雨お姉さんはセッケンでカーリングしてるのか。僕はどちらかというとホッケー派。

 

「ふふふ、まぁ、とりあえず体を流しましょう。ここにいてもしょうがないですよ」

 

扶桑さんの後を時雨お姉さんはついて行く。

ちょっと歩いて、僕に聞こえるか聞こえないかぐらいの声でささやいた。

 

「いつもはその…………ちゃんと大人しく入ってるよ。たまに遊ぶだけだもん」

「わかります。カーリング楽しいですもんね」

「い、いいもん。ボクはどうせ子供だから…………」

 

え、時雨お姉さん拗ねてるの? 拗ねちゃってる? わぁお珍しい。アンビリーバボー。

 

「少年、やっと来たか。隣に座りな」

 

ネルソン提督の声がした、なんとなく、でももうホントに、確信に近い感じでそちらを見る。

 

「…………」

 

やっぱり全裸かよコンチクショウ。

 

まっしろな肌と成熟した体。左手一本で器用に頭を洗っている。長い白髪が、頭の上でモコモコと泡を立てていた。

 

「――――提督、お背中流しますね」

「背中じゃなくて頭を頼む」

「えぇ、もちろんです」

 

いつの間にか扶桑さんが、シャワーを持ってネルソン提督の後ろに立っていた。お湯を出し、その頭を流してあげている。

 

扶桑さんもネルソン提督も、ある一部分が結構でかい。ナイスなお山になっている。

真っ白な肌と湯気が相まって、それはもう、視線のやり場に困るけれど、吸い込まれるように見入ってしまった。

 

しかし直後に扶桑さんと目があって、僕の頬がカァァっとなるのを自覚した。微笑まないでよ扶桑さん…………。

その柔らかな笑みのまま、僕を抱いている時雨お姉さんの方を見た。

 

「時雨、洗ってあげてください」

「うん」

 

時雨お姉さんに降ろされると、ひょこひょこと飛びながらネルソン提督の左隣に着席。

 

時雨お姉さんが足下にかがんで、ケガをしている左足を持ち上げて、その下に使わない洗面器を敷いてくれた。だいぶ高さを稼いだので、直接お湯はかからない。

 

「流すよ」

 

お湯を頭からかけられる。シャワーの温度は適温。熱過ぎず、冷た過ぎずだ。

 

「目をつむって、開けちゃダメだよ」

 

言われたとおりにぎゅっと目を閉じた。別に目を開けていても洗えないわけでは無いけれど、言われたとおりにしていよう。

誰かに頭を洗われるのなんて、もう何年ぶりだろなぁ…………。

 

やさしい手つきで包まれるように洗ってもらった。なんというか、自分で洗うときの数百倍心地良い。

思わず眠気を誘ってしまう。

 

「流すね」

 

しばらくゴシゴシして、きれいに泡を流してくれた。

 

「それじゃあ次は体だね」

「いえ、自分で洗えます」

「背中は一人じゃ洗えないでしょ?」

 

それもそうだけど、このまま身を任せたら絶対に背中だけじゃ済まないでしょう。たぶん。

 

「えっと……背中だけで良いですよ」

「前は洗わなくても良いの?」

「いいです。洗えます」

 

振り返って時雨お姉さんの顔を見る。

 

イタズラする直前の子供のような表情をしていた。ニタニタした笑顔だ。

やっぱりこの人楽しんでる! 僕が恥ずかしがるの見て楽しんでる!!

 

「か、からかわないで下さいよぉ」

「だってなんだか楽しいんだよ。弟が出来たみたいでさ」

 

そりゃ、時雨お姉さんからしたら僕はじゅうぶん弟に見えるだろうけど、僕からしたらちょっと違う。

何というか、見上げる形の年下というか、おっきな妹というか、一人の女の子というか…………。

 

いや、でもやっぱりお姉さんか。間違いなくお姉さんか。疑う余地が無くなってきた。

 

そうこうしているうちに、背中をやさしくスポンジが走った。

 

ゆっくりと、上下に、でも時々早くなってマッサージのようにリズムが付いてくる。

気持ちいい…………寝ちゃダメだけど…………眠くなる……。

 

「前も洗うよ」

「…………時雨お姉さん、僕ちょっと眠たいです」

「さっきまで寝てたのに? ――――って、そっか。気を失ってても、寝てたわけじゃないもんね」

「たぶんそうです。ずっと起きてる感じでした。なので、その……ぁぅ……そこは自分で洗いますから」

「どこ?」

「今洗ってるところです」

「もうちょっとで洗い終わるから――――はいできた。流すよ」

 

ささやかな抵抗はむなしくも意味を成さなかった。もうやだ恥ずかしいよ。誰か助けて。

 

シャワーをかけられ、体中の泡が落とされる。立ち上がって片足立ちになり、おしりの泡も流して貰った。

 

「よし、じゃあ湯船に入ろうか。どこに行きたい? 好きに選んでよ」

「あの泡が出てるところに入りたいです」

「うん、わかった。おいで」

 

僕は万歳をする形になり、脇から時雨お姉さんに抱き上げられる。

 

しっかりとだっこされて、そのまま泡の出るお風呂まで来た。

 

先程から眠気がすごい。よく考えると今って夜中の三時なんだよね。

そりゃ眠くもなるよね。もうこのまま寝ちゃおうかな…………。

 

時雨お姉さんの腕の中は安心する。そのおかげで、と言って良いのだろうか、ウトウトと船を漕いでしまう。

 

時雨お姉さんは僕をだっこしたまま湯船に浸かった。腰の上に僕を乗せて、いわゆるコアラだっこの形になる。

 

左足の傷に染みないか気になったけど、不思議と全く痛くなかった。何だろうこれ、ほんと不思議だ。

 

下からすごい数の泡が出ている。ボコボコいってる。

横の壁にも穴があって、そこからも勢いよく空気が出ているらしい。

 

これが、泡風呂か。ニュアンスが違うような気もするけど。

 

「気持ちいいね」

「はい。すごく……ふぁぁ…………」

 

あくびが出てしまった。

 

「眠たい?」

「とってもねむたいです」

「寝てもいいよ」

「え、でも……」

「上がるときになったら起こしてあげるから。起きなくても、ちゃんとベットまで連れて行ってあげるよ」

 

そうまで言われたら甘えちゃおうかな。

時雨お姉さんの温かい腕の中で、心地良い泡の刺激に背中を打たれながら、僕は、

 

「それじゃあ…………おやすみなさい」

「うん、おやすみ」

 

眠りに落ちた。

 

 

――――○――――

 

露天風呂。

 

ここで飲む日本酒は格別である。

私はこの世界に来て気に入ったものがたくさんあるが、その中でもこの〝露天風呂と日本酒〟は最高の部類に入ると思う。

 

「うまいな、扶桑」

「月を肴にお酒をたしなむ…………とても風流だと思います」

 

それに一人で飲むより誰かと飲んだ方が数倍美味しい。

 

扶桑は私にお酌をしてくれた。お返しに私もなみなみと注ぎ返す。

 

今日の月は結構明るい。ここからは海も見えている。

海面に月の光が反射して、まるで真っ白な光の道が浮かんでいるようだ。美しい。最高だ。

 

「ネルソン提督」

 

少し酔いが回っているのか、扶桑は上気した顔でそっと私の名前を呼んだ。

 

「なんだ」

「あの少年は、私達にとっての何でしょうか」

「わからんな」

 

別にくそまじめな意味で質問しているわけではないだろう。ただ何となく、私も扶桑も気分が良くて、そして話題としたらあの少年のことが最適だっただけの話だ。

 

今宵は飲むぞ。なんせめでたい日だからな。

 

「ネルソン提督は、あの少年のことは好きですか?」

「どういう意味で好きというのだ」

「子供として、です」

「いいものだと思うぞ、子供は。あんな子を戦場に出すのはやや心配ではあるが、本人が望むかそれとも――――」

「あの子の使命だったら、仕方のないことですね」

「そうだろう」

 

ぐいっ、と一気に日本酒を煽る。喉の奥から焼けるような暖かさが伝わってくる。

これだな。日本酒はやはりこの独特の強さがうまいのだろう。

 

「…………扶桑は、子供が欲しいと思ったことは?」

「ありますよ。あの少年を見ていると、自分も子育てをしたくなります」

「まぁ……それはそうだろうな。私ですらも欲しいと思った」

『だが悪いがそれは出来ない』

 

女神が急に現れた。ここ何十年と姿を見せなかったのに、さっきからちょくちょく何をしてるんだ、こいつ。

 

女神は服を脱いでいた。そして桶の中に湯を張って、気持ちよさそうに入浴していた。

 

『良い湯だな』

「鎮守府の湯だからな。ここは妖精が管理している。知らなかったのか?」

『さっき会った妖精から聞いたよ。これは礼をするべきだな』

 

とろけた顔で女神が言った。その姿を見て、扶桑は少し驚いた後に、

 

「女神さんですね? 私、たぶん初めてあった気がします」

『そうだな。いつもネルソンにお世話になっている、応急修理女神。通称女神だ』

「扶桑です。扶桑型戦艦一番艦の。よろしくお願いします」

『よろしく』

 

扶桑が指先を差し出すと、女神がそれを掴んで握手した。なんとも微笑ましい。

 

しかし、先程の話の内容が気になった。扶桑が子育てしたいとな?

 

「扶桑、お前、艦娘になってからどれくらい経つ」

「十年と少しでしょうか。老化は止まっていますので、ネルソン提督と同じように不老ですよ」

「知っている。しかし、その…………子供は、どうなのだ?」

「たぶん産めないと思います。月のものがありませんし、そもそも体の成長が止まっているので、やっぱり機能そのものも停止しているかと」

『扶桑の言うとおりだよ。ネルソン、君と同じ原理なんだ』

「そうなのか…………」

 

今まであまり考えなかったが、そう言われればそうなのだな。艦娘は自分の子供が抱けないのか。

そう考えると、少しだけ不憫に思ってしまう。欲しいと思っても作れないのか。

 

まぁ、作戦に支障をきたすので、しょうがないというか仕方ないのだが。

艦娘の使命は戦うことだ。艤装を解体し、普通の体に戻ったら、子供を作ることも出来るだろう。

 

それまではガマンだ扶桑。あの少年もいる事だし。

いや、その考えは少年にとって失礼か。…………でも愛情から来る考えだから、別に問題ではないのだろうか。

母性愛というやつか。

 

『ネルソン』

「なんだ、女神」

『そろそろいい時間じゃないか?』

「ん? あぁ、そうだな」

 

女神が催促するように言ってきた。酒も少しまわってきたし、続きの晩酌はまた後にしようかな。

 

「扶桑、ちょっと試したいことがあるから行ってくる。付いてくるか?」

「そうですね、あの少年のことですよね」

「そうだ」

「拝見させて下さい」

 

扶桑と私は立ち上がる。女神は、いつの間にか消えていた。私の頭に戻ったのだろう。

 

露天風呂から屋内へと入る。

外気のひんやりとした空気とはうって変わって、湿度の高い、風呂場独特の空気が肌を舐める。

 

辺りを見回し、程なくして少年を抱いている時雨を見つけた。

エアーバスに浸かっている。

近づいてみると、時雨の腕の中で少年は気持ちよさそうに眠っていた。

 

後ろから声をかける。少年を起こさないように、あえて声量を絞ってから。

 

「時雨、あれをやってみよう」

「うん、わかった。起こさない方が良いよね?」

「そうだな、寝かしといてあげてくれ。疲れているだろう」

 

言うと、時雨は湯船の中で自分の巻いていたタオルをほどき、少年の体に巻き付けた。

 

湯冷め防止のためか。細かいことに気が利くな。

 

立ち上がって、私を先頭に時雨、扶桑の順である場所に向かう。

 

そう歩く距離ではない。

浴場の一角、ひと一人が入れるだけの小さな浴槽に、時雨はゆっくりと少年を浸けた。

 

扶桑は私と時雨の意図を察したらしく、浴槽の近くにおいてあるバケツ(高速修復材)を取ってきて、私の左手に渡してくれた。

 

「もしこの少年が艦娘、あるいはそれに準ずる存在なら、この治療法が適用するはずだ」

 

私の言葉に二人は頷く。

 

そうだ。この少年は、この少年を召喚した妖精が言うに、十二㎝単装砲の妖精の力で、限りなく艦娘に近づいているらしい。

ならばバケツ(高速修復材)が効く。

 

しかし、これが効いてしまうということは、この少年が戦場に出ることになる理由になってしまうんじゃないか、と思いが巡る。

艦娘と同じ治療が効くのであれば、この少年がこの世界で負った責務は、つまり戦場に出て戦うことだ。

 

私はハッキリ言ってそれを望むわけではない。身勝手な考えだが、この子にはまだ早すぎる。あまり危険な目には遭わせたくない。

 

「…………」

 

だからといって試さないわけにはいかない。いずれ決まることなのだ。この少年が戦場に出るか、出ないのか。

それは今ここで、この瞬間に決まるわけではない。だからこそ、今、小さな傷で試してみるのだ。

 

間違ったタイミングで実験して、取り返しの付かないことになるわけにはいかないからな。

 

「いくぞ」

「うん」

「はい」

『やってみてくれ』

 

女神も見てるのか。一瞬そう思い、私はバケツを少年に傾けた。

 

薄く緑色に光る液体が、少年の浸かっている温水に溶け込む。

 

「ちょっと見てみるね」

 

狭い浴槽に時雨が入った。少年の体が小さいので別に窮屈なわけではないのだが、くつろげるようなスペースではない。

 

時雨はそれでも一瞬、湯につかった瞬間幸せそうな顔になり、しかしすぐに引き締めて少年の左足を覗き見た。

 

「…………完全にではないけれど、傷は小さくなってるよ。しばらく浸かってたら、完治すると思う」

 

時雨の言葉は、淡々としていた。

 

そうか。じゃあ、やはり艦娘に近いのだろうな。

 

私も大概に艦娘に近いが、こうまで如実に傷が回復するわけではない。一般の人では高速修復材なんぞ全く意味を成さないが、私には、ちょっと傷の治りが早くなる程度には機能する。

 

そしてこの少年は、その数倍の効力を受けたようだ。

 

少年が戦場に出る理由が、一つ確実になってしまったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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