真っ白な世界。幼い自分の体以外には何もなく、影も、人も、物もない。
「退屈だなー」
左足の傷が気になったので見てみたら、なぜかそこには何もなかった。傷跡すらも残っていない。
そうか、たぶんここにいる限りは、ケガや傷は関係ないのだろう。
ネルソン提督の話を思い出す。確か砲弾で出来た傷は、この場所では綺麗になくなっていたはずだ。それと同じ事だろう。
十二㎝単装砲の妖精が姿を消してしばらく経つ。俺を召喚しきると言っていたが、あれから何も変化がない。
暇なので少し歩いてみる。
「…………」
何もない。バカみたいに同じ景色が続くだけ。こんなところが職場だったら頭がどうにかしてしまいそうだ。
…………それは妖精さんに失礼なことかな。ここが職場だって言ってたし。
「誰もいないし、退屈だなぁ」
生前――――かどうかはわからないが、前の世界の自分の声とは似ても似つかない声を発する。
思えばこの二、三日でいろいろなことがあった気がする。主に気絶して、回復して、話を聞いただけだけど。
時雨お姉さんは優しい人だ。扶桑さんも優しい人だ。
ネルソン提督も、軍人とは思えないほど優しい人だ。
軍人はみんな怖い人っていうのは、俺の勝手な妄想だろうか。
でも教科書に載っていた話なんかを思うと、やっぱりネルソン提督はとても優しい人だと思う。
「敵を助けて親友になる…………不思議な話だけど、でもフレンダさんには会ってみたいなぁ」
そう言えば今はどうしてるんだろう。十年程前からネルソン提督は軍に戻ったから、フレンダさんも鎮守府に帰ったのかな?
でも一緒にいたいって言ってたんだから離ればなれにはならないよね。
ネルソン提督に聞いてみようか。でも、ここは戦場だって言うし、その、まさか…………うん。やっぱり聞くのやめとこう。
あえて言わなかったのかもしれないし、もし聞いて怒られたら嫌だもんな。
それにしても、戦争か。
日本は平和だとばかり思ってた。戦争なんかとは全くの無縁で、これっぽっちも自分が参加することになるとは思わなかった。
いや、まだ戦うわけじゃないかな。でも戦場にいる以上は巻き込まれてるんだから、結局は戦うことになるのかも?
「なんだか怖いけど、でもあんまり実感がないなぁ」
ここは名前のない孤島だってネルソン提督は言っていた。じゃあ日本の本土もあるわけで、そこに行けば一般人として平和な生活が送れるらしい。
…………ん?
あれ、じゃあなんで戦ってるんだ?
平和な生活が送れるなら、どうして戦争をする必要があるのだろう。なんかおかしな話だな。
空襲とか、空爆とか、資源枯渇で危険が迫っているのなら戦う理由もわかるけど、別にそう言うわけじゃないならどうして戦争なんかしてるんだろう。
それも六十年以上も続く戦争を。
何か見落としているのかな。ネルソン提督の話か、ノートか、それとも授業の内容か。
えー……っと、あ、そうか。ネルソン提督が軍に戻ってきた理由があった。
たしか最終防衛線まで深海棲艦が来たからだ。そこを破ってくるって事は、やっぱりほっといたら危険があるんだ。
防戦一方だけど守れてる間は問題ない。危険が去らないだけであって、危険が及んでくることはない。
でも嫌だろうね。休む間もなく守らなきゃいけないんだもの。それに自由に海が渡れない。
戦う理由は、探せばいくらでもありそうだな。
「なるほど、自由のために戦うとかかな。かっこいいかも」
『うん、全くその通りね!』
「わわわわぁぁぁっ!!!」
『あ、びっくりさせてごめんね!』
突如頭の中に声が流れた。十二㎝単装砲の妖精じゃない。
頭の中に直接声が聞こえるって事は、
「君が、俺を召喚した妖精なのかな?」
『その通りね! まぁ、一人じゃ召喚しきれなかったから、あの子に手伝って貰ったけどね』
あの子、と言うのは十二㎝単装砲の妖精のことか。
「あれ、その妖精、どこへ行ったの?」
『疲れたから寝るって言ってたのね! もう君の頭の中に入ってるから、叩き起こしたかったら呼べばいいのね』
俺は鬼か。そんな事するわけ無い。
『それで、わたしはあなたと話がしたいのね! いい?』
「…………ちゃんと事情を説明してよ」
『そのつもりね!』
俺はその場に腰を下ろす。膝を抱えて、体育座りをする。この体は小さいので、あぐらをかくよりこの体勢の方が楽だ。
「なにから話を聞かせてくれる?」
『まず、君の記憶がないことについてね』
あ、そういえば、もう召喚が終わっていることになるんだよね。
俺の――――おれ――――僕は――――。
「…………え?」
僕の名前、なんだっけ。
あれ、でも、僕の召喚はもう終わってるんだよね?
「え、召喚しきったら、記憶が戻るんじゃなかったの」
『誰がそんな事を言ってたね?』
「あれ、言ってなかったかなぁ……」
いや、確か、十二㎝単装砲の妖精が言っていた気がする。召喚が中途半端だから、記憶も一部が飛んでいると。
「召喚が途中だったから、記憶が無くなってるんじゃなかったの?」
『それもあるけれど、本当はもうちょっと複雑なのね』
妖精は一度そこで区切ると、一気に説明し始めた。
『わかりやすい言葉で言えば、代償なのね。この世界に君を召喚するときに、何か代償として貰わないと、召喚することが出来ないのね』
「代償って……普通は召喚する側が出す物じゃないの?」
『どこの世界の普通なのね!』
「あ、そっか」
それもそうか。世界が違えば常識も違う…………のか?
いやいやそれはおかしいだろう。
『この世界に先に転生していた――――いや召喚かな、ネルソン提督も代償を払ってるのね!』
「何を? 右腕とか?」
『寿命なのね。彼の場合は偉人だから、それだけで召喚できたけど、君はただの凡人だから、寿命と記憶を払って貰ったのね』
「寿命って、でもネルソン提督は不死なんだよ。何でそれで寿命が代償?」
『〝寿命で死ぬことが許されない〟って事なのね。…………この世界に呼んだのは、やることがあるから呼んだのね。勝手に老衰して責務を果たさないのは、許されないことなのね』
なるほどそれで寿命が代償か。減るんじゃなくて、死なせない。そういうことか。
勝手に呼んでおいて代償にペナルティとか、ちょっと自分勝手すぎるとも思ったけど、でも妖精は妖精で命の危険も犯してるから、どっこいどっこいかもしれない。
それに、前の世界で命を落としているのだとしたら、事実上の救済措置になる。代償というのもうなずける。
ネルソン提督に関しては、どう考えても命拾いだし。
ふと、気になった。
どうしてこの妖精がこんなにもネルソン提督のこと――――もしくは、女神について詳しいのか気になった。
今の話が本当なら、女神はネルソン提督に嘘をついていることになる。
ネルソン提督の話では、女神はネルソン提督に報償として不老を与えるはずだった。
もしかすると女神なりの配慮とか? やさしい嘘ってやつかもしれない。
だいたい記憶に関しては納得がいった。それじゃあ次だ。
「召喚には妖精個人の力も大切なんでしょう? 大きければ大きいほど、存在感のある人が召喚できるって」
『その通りなのね。君の場合は、艦娘を知らないような遠い世界から呼び出したから、わたし一人じゃ失敗したのね』
「どうして艦娘を知らない僕を……ううん、ちがう、そうじゃなくて、どうして僕のいた世界から、僕を召喚したの?」
『もう記憶のことは良いのね? その質問に答えるなら、また別の説明をしなきゃいけないのね!』
「うん。なんとなく、記憶は戻らないってわかったからそれでもう安心だよ」
そう。戻らないとわかっただけでも、別に良いかなと僕は思った。
いまさら家族の顔や自分の名前を思い出しても、未練が残ってしまいそうだ。まだ僕が死んだかどうかは、不確定なことだけど。
それに思い出したこともある。
前の世界での僕の一人称は〝僕〟だ。〝俺〟じゃない。これだけでも、発見だろう。
『じゃあ説明するね。君をこの世界に呼んだ理由は、戦争を終わらせて欲しいからなのね』
「ネルソン提督と一緒の目的?」
『そう、この世界の、深海棲艦と人間の戦いに、終止符を打ちたいのね』
「わかった。それなら納得だよ。協力しない理由はない」
ネルソン提督のお手伝いが出来る。時雨お姉さんや扶桑さんと、同じ目標が持てる。
妖精が言っているのはそう言うことだ。ならば従う。力になりたい。
「で、僕には何が出来るの?」
『ずっとネルソン提督がわからなかったことを、解決できるね!』
「えっと……?」
『わたしのぐるぐるを使えばいいのね。あと、君自身も、十二㎝単装砲の妖精の力で、海に出ることが出来るのね!』
それはつまり、海域の謎が解けると言うことか。よかった。早速ネルソン提督の力になれる。
でも今の流れだと、戦場には出ないといけないのかな。
「その、僕はやっぱり戦わないとダメなのかな」
『男の子なのね! 戦わずに引きこもっちゃダメなのね!!』
「やっぱりそうなるよね」
覚悟を決めなきゃいけないかな。でもまだわからない。戦うって言っても、どうやるのかなんてこれっぽっちもわからない。
「戦い方は、時雨お姉さんや扶桑さんに教えて貰えばいいのかな?」
『…………』
「妖精さん?」
『え、あぁ、うん、そうなのね! 艦娘がいれば、たくさん教えて貰えるのね』
わかった。こわいけど、ひとまず戦い方ぐらいは教えて貰おう。
『君を召喚した理由は、わかって貰えたのね』
「どうして僕を選んだの?」
『適任だったから、としか言えないのね。わたしの力の限界もあったし…………』
「そっか、うん。しかたないよね」
『巻き込んだこと、怒ってるのね?』
妖精の声が弱々しい。
今の感じだと〝適任だった〟って言うのは嘘に聞こえる。正確には〝召喚できる人が君程度の人間しかいなかった〟だ。
でも仕方がないのだろう。妖精は妖精で頑張っている。命の危険を晒してまでも、自分が出せる限界の力を出し切ったんだろう。
その結果が僕の召喚。
だったら、べつに良いんじゃないかな。
戦争に参加する事になったのはちょっと怖いけど、でも、こうまでしても、この妖精は戦争を止めたいらしい。
どうして僕がこんな目に、とは、不思議と思わなかった。
「怒ってなんか無いよ。一緒に頑張ろう」
『ありがとなのね。君は優しいのね!』
「そんなことないよ。頼まれたら断れない性格なんだ」
『いじめられそうな性格なのね!』
妖精が笑った。こいつ遠慮がないな。
ずいぶんと明るい性格のようだ。喋っていてこちらも楽しくなる。
『他に質問はある?』
何となく最後の質問の気配がしたので、ずっと気になっていたことを聞いてみる。
「僕は、前の世界ではどうなっているの」
『どうって…………どうこたえればいいのね?』
「うーん、死んじゃったからこの世界に呼ばれた、とかさ」
『それはわたしにはわからないのね』
「ネルソン提督は命を落としたときに、女神がこの世界に呼んだらしいけど?」
『あの人のいた世界はそう遠くない所にあったのね。お隣さん程度の距離なのね。でも君は遠かったから、覗く余裕は無かったのね』
なるほどそうか、わからないのか…………。
まぁ、だったらこれも、あまり気にしないようにしよう。戻らない記憶と同じように、わからない事はとりあえず保留。
それにしても、世界が遠いとか近いとか、なんか聞いたこともないスケールの話だなぁ。当事者は紛れもなく僕だけど。
などと考えていると、妖精はゆっくりと伝えてきた。
『とりあえず、今まで迷惑かけたのね』
「うん、でこれからもでしょ?」
『まちがいなくそうなのね! よろしくするのね!!』
「ふふふ…………うん、よろしく!」
妖精の活発な声と共に、俺の意識は白い世界を後にした。
――――○――――
「ン…………」
柔らかな光が感じられる、薄く目を開けると、知らない部屋の知らないベッドに、自分の体は横たわっていた。
「目が覚めたか、少年」
声がした方を仰ぎ見ると、薄明かりの中に、綺麗な女性が座っていた。
部屋は薄暗い。弱々しいスタンド電気の明かりだけが唯一の光源だ。
しかし怖さや物寒さは感じられない。目の前に見知った女性、ネルソン提督がいてくれたからか。
ネルソン提督は立ち上がり、こつこつと足音を響かせながら、枕元まで寄ってきた。そのまま僕の頭を撫でる。
「ネルソン提督、今何時ですか」
「夜中の三時だ。時雨と扶桑は就寝に入った」
長い間あの白い世界にいた気がするが、何日も寝っぱなしだったわけではないらしい。いや、長いと言っても、そういえばほんの数時間か。
自分の服装に目を落とすと、衣服が替えられていた。赤いジャージと同じくらいの大きさで、今度は青いジャージだった。
気を失っている間に取り替えてくれたのだろう。ほのかに時雨お姉さんの香りがする。
視線を上げると、微笑んでいるネルソン提督と目があった。僕はゆっくりと口を開いた。
「僕、妖精に会いました。僕を召喚した妖精です」
「私も会ったよ。話は全て聞いた」
ネルソン提督はベッドの縁に腰掛けて、やさしい視線で見守りつつ、頭をなで続けてくれた。
「これから、よろしく頼むぞ少年」
「必ずお力になれるように頑張ります」
「ははは、なるほど。その見た目でそう言われると、こちらが申し訳なく思ってしまう」
「でも中身は15歳です」
「今の私からすれば、どちらも子供だ。もう百年以上生きていることになるからな」
自慢げな笑顔を浮かべるネルソン提督は、その笑顔のまま立ち上がる。僕の体をゆっくりと起こしてくれた。
「さて、それじゃあ正式にこの世界にやってきた祝いに、一緒に風呂でも入るかな」
「え、お風呂ですか?」
「なんだ嫌いか? 風呂」
「いえ、その、そんな事はありません。むしろ好きなほうです」
「あ、あぁ! もしかして恥ずかしいのか?」
ニタニタと意地悪げな笑みを浮かべた。
「そ、そんなわけ無いじゃないですか!」
「そのわりには顔が赤いようだぞ」
「こ、これはその…………あ、そうだ! 足! 足のケガがあるんで、お風呂に入るのはまだ早いと思います!」
「だから私が一緒に入るんだろう。一人じゃ危ないからな。なんなら、時雨と扶桑も呼んで入るか? ほら、私だけじゃ腕が足りんし」
「い、いやそれは流石に! 起こすのはよくないです!」
「では私と入ろうか。こちらに来て、風呂はまだ一度も入ってないだろう?」
「そ、そうですけどその、ひとりで入れますから…………」
「そう言わんと、ほらおいで。というか一人は危ないだろう」
左手一本で抱えられ、抵抗しようとじたばたするが全く脱出できそうにない。力の差がありすぎる。
「小さな子供はいいものだな……私も欲しくなってしまう」
『悪いが子供は産めんぞネルソン』
「わかってる女神。この子で充分だ」
どこかから聞き慣れない声がした。
ベッドの足下のやや広いところで、はっぴ姿の大工みたいな妖精がゴロゴロしていた。そうかあれが女神なのか。
いやそれよりちょっと待ってくださいネルソン提督。あなた今「この子で充分」とかおっしゃいましたか。
僕を小脇に抱えたまま、ネルソン提督は部屋を出た。
廊下は明かりが付いたままで、木造の天井に白熱灯が白く光っている。
「…………ネルソン提督、本当に、恥ずかしいんです、認めますからやめてくださいぃぃ」
「認めても変わらんよ。せっかく風呂があるんだから、体を拭くだけじゃいかんだろう」
「あ、足の傷は……」
「それも、実は一つ試したいことがあるからな。悪いが協力して貰うぞ」
「そんなぁ」
恥ずかしい。すごく恥ずかしい。時雨お姉さんに体を拭かれたときよりも恥ずかしい。
顔から火が出て来そう。
「おや?」
しばらく歩いていると、ネルソン提督が声をあげた。
僕は小脇にぶら下げられた状態なので床しか見えていなかった。ので、何があったのかわからなかった。
願わくは何か起きていて、このまま羞恥のイベントを回避できたらいいなと思っていると、
「あ、提督! 大丈夫だったの!?」
時雨お姉さんが起きていた。
「問題ない。危険は去ったぞ」
「そっか、よかったぁ……」
時雨お姉さんの安堵の声が聞こえてくる。
その声に続いて、今度はネルソン提督が質問した。
「こんな時間にどうしたんだ。トイレか?」
「うん。それに、その子が心配で眠れなかったんだ。でもよかった。無事なんだね」
「少年がちゃんとこの世界に入れたからな。詳しい話は明日しよう」
「わかった」
「で、だ。問題は去ったし、これから記念に風呂へ入れようと思ってな」
ネルソン提督の嬉しそうな声。
さっきは祝いとか言ってたじゃないですかヤダー。
しかし直後に後悔した。大人しく、もっと早くに連れて行かれていれば良かったことを。
時雨お姉さんは、
「提督一人じゃ大変でしょ? ボクも一緒に入るよ!」
今まで聞いた中で一番嬉しそうな声でそう言った。
もうお気づきの方もいるでしょうが、作者は時雨が大好きです。扶桑さんも大好きです(あまり活躍していませんが)