ホレーショ=ネルソン。
白銀の髪に隻眼隻腕。
天真爛漫で勉強家。
日本海軍に突如現れ、初の作戦立案にも関わらず、史上希に見る大勝利を飾った上、敵を二体も生け捕りにするという類い希なる活躍を見せた美女。
そんな噂は瞬く間に海軍軍令部に広まっていった。
ゴーヤとハチが敵の拿捕作戦に成功したさらにその半年後。
私は晴れて正式に、この国、日本での海軍将校へなることが出来た。
敵の拿捕。
それも生きたまま捕らえたことは、相当に大きな戦果だったらしい。
研究と作戦。
そのどちらにも大きな功績を残した私は、士官学校へ在学することもなく、その能力を買われて一発で将校へとなることが出来た。
階級は大尉。
この鎮守府の指揮官も私と一緒に昇格し、今では大佐となっている。
様々な権限も与えられ、正式に海軍の将校となったため、私が望めば艦娘と鎮守府をすぐにでも用意する。
そうまで言われるほどに私はこの世界、この時代へと立場を擁立することが出来た。
この半年間は、長いようで短かった。
しかし同時に私は様々なことを発見した。
まずは艦娘について。
彼女たちには「妖精」というものが見えている。
否、彼女たちだけではなく、どうやら私にも見えている。
大きさはまちまちで、手のひらサイズの者もいれば、膝に頭が届くくらいの奴もいる。
彼女たちの存在は、艦娘に関わるありとあらゆる所に見え隠れしていた。
艦娘の艤装。艦娘の工廠。艦娘の私室に至るまで、本当に、あらゆる所へ。
そして私も例外ではない。
私に至っては、私の頭の中にその妖精がいる。
名前は応急修理女神。私をこの世界に引き込んだ張本人である。
彼女が妖精の一種だと気がつくのにそれほど時間は掛からなかった。
ひっきりなしに金剛が、
「ネルソン参謀は絶対に艦娘デース! きっと艤装をうっかりなくしちゃった娘なだけデース!!」
と騒ぎ立てて大事になってしまったからだ。
私は艦娘ではない。
女神にも直接聞いた。
間違いはない。
ただ、艦娘が私を艦娘だと思ってしまうのは、この女神に原因があるらしかった。
艦娘は艤装と一心同体である。
体の半分は艤装であり、彼女たちが〝艦娘〟であるためにはその艤装が必要不可欠である。
そして艤装には妖精が宿り、彼女たちはその妖精を体の一部として受け入れている。
体の一部に妖精が宿る。
そういう解釈をしても良い。
そしてこの場合私は〝体の一部に妖精が宿る〟という状態になっている。
それ故に金剛は私が艦娘に見えて仕方がないのだろう。
当然だが私に艤装はない。
鎮守府にいる全ての艦娘に、私がどういう人間なのかを説明した。
別に隠すことでもない。
この世界でやっていくからには、いずれ全てを話さなければならないのだ。
無理矢理艤装を付けられて海に放り出される前に明かしておいた方が良い。
驚いた者もいれば、知っていたようなそぶりをする者もいる。
様々な反応であったのだが、みんな等しく私のことを認めてくれた。
私は受け入れられたのだ。
別に受け入れられるかどうかが問題なのではなかったが、それでも、改めて彼女たちと何かがつながれたような気がした。
応急修理女神がどういう存在なのかは私もわからない。
私の味方で、艦娘の妖精で、一種この世界の神のような存在である。
わかるはずはない。
だから別にわからなくても良いのだろう。
仲が良ければそれでいい。
味方がわかって、敵もわかる。
ハチとゴーヤが連れ帰ったヲ級のうち、ハチの方は研究機関へ引き渡した。
眠りが深く、こちらの方が研究個体として適正だったらしい。
もう一体の、ゴーヤの方は鎮守府に残った。
残ったと言っても半ば拘留。
装備は取り上げ、手足は拘束し、少しでも怪しい動きを見せたらすぐに処分できるよう準備をした。
私は捕らえたヲ級と話をした。
ゴーヤが連れ帰ったヲ級の方だ。
「…………」
ヲ級は怯えていた。今にも泣きそうな瞳をこちらに向ける。
小刻みに手足が震えている。私から目を反らさない。
ベッドに手足を拘束され、頭の発着艦装備を取り上げられ、装備という装備をはぎ取られた状態である。
まるで人だった。ただの、恐怖に怯える少女に見える。
見た目は限りなく人の造形。
髪もあれば手足もある。
私の容姿と比べてしまえば、よっぽど私よりも人間である。
あくまで容姿だけならだが。
だが、彼女は感情を見せていた。
怯えという立派な感情である。
得体の知れないバケモノにも、人が見せる感情と寸分違わぬものを持っている。
目の前の少女はそうである。
「私の言葉が、わかるか」
ヲ級はここに来てしばらく経つ。
一週間ほどか。その間、私達は何も与えていない。
それでも何も変化はない。一体どういう構造をしているのか。
「私の言葉、わかるか?」
英語で話しかける。
この鎮守府の艦娘で、私の言葉がわかる者はそうそういない。そう考えるとこの質問はおかしいか。
「…………ヲ」
一言、そう言った。いや鳴いた、か。それは返事ではないだろう。
人間の声に酷似していた。
ただ「を」っと発音すれば真似が出来るような、そんな鳴き声であった。
つまり彼女は人間の声帯を持っている。
研究次第かもしれないが、もしかすると人の言葉がしゃべれるようになるかもしれない。
「…………私と一緒に、日本語の勉強でもしてみるか」
ほほえみかけながらそう問うと、彼女は少しだけ、警戒と怯えを緩めたように感じられた。
その他わかったことと言えば、主に海域についてだろう。
私は海域を攻め続けた。
目標開放率五十パーセントと言われた海域を、三ヶ月かけて何度も攻め、ついには九十パーセント近くまで解放した。
何度も大群と衝突したが、その度に上手く撃退、あるいは撃沈し、連戦に連勝とは言わずとも、最低でも引き分けまで持ち込んだ。
だが、解放には至らなかった。できなかった。
何度同じルートを進行させても、何度同じ方角から進撃させても、どういう訳か毎回全く違う場所から帰還してくる。
航行中に航路がずれているとしか思えなかった。これは不思議であった。
やはり羅針盤がないことが影響しているのだろうか。
そのわりにはちゃんと、艦娘は遭難せず帰ってくる。
方向感覚を見失っているわけではない。
ではなぜ……。
考えてもわからなかった。
女神に聞いてもわからなかった。
彼女にも、検討が付かないらしい。
なるべく原因は早い内に見つけたい。
そうしなければいつまで経っても海域は深海棲艦のものである。
しかし、八方ふさがりな気がしてならない。
ヲ級の研究、あるいは鎮守府のヲ級の教育が進めば、何か手がかりがつかめるかも。
その程度の期待しか出来ないのが現状であった。
故に保留である。未来の私に託してみよう。
○
そうして過ぎた半年は、次第に一年。
二年。
五年。
十年。
特に代わり映え無く、特に進歩することもなく、したのは私の日本語と、ヲ級の日本語だけである。
むろん艦娘の練度は上がり続け、私は中佐となり、指揮官は少将となった。
同じ海域、違う敵、違う航路。
訳がわからない。
十年戦って一度たりとも同じ編成の艦隊に出くわしていない。
その度に戦法を変え、作戦を変え、中には共通の戦法でも通じる者もいた。だが大半は通用しない。その度に私は頭をひねった。
攻めては押し返されている同じ海域は、どういう訳かこちらの艦隊が消耗していなくても、向こうが圧していることもある。
負けていないのに、圧されている。
一戦一戦は勝っている。
だと言うのに、まるでのれんを叩いているかのように、全く手応えを感じない。
感じなかった手応えはそのままこちらへと入ってきて、いつの間にか戦線が下がっている。
しかし深海棲艦は一定以上は踏み込めていない。
こちらの防衛線を突破してくることはない。
最終防衛線を、少なくともこの十年は破られていない。
戻された戦線を再び押し上げ、押し続け、気付けば再び戻される。
訳がわからない。
さすがの私も迷ってしまう。
何か間違えているのではないか。
根本から何か違うのではないかと。
不安になる度に指揮官や女神に相談した。
だが彼、彼女も全く原理がわかって居らず、正直完全にお手上げだった。
その事に気付いているのが、この鎮守府の、私達だけであることも問題だった。
はっきりいって、本部は無能である。
十年戦ってわかったが、彼等は何の成長もしていない。
目先の勝利。
目先の戦果。
そればかりを見ているが為に、私達の鎮守府は連戦連勝。
その功績により、全海域が人間の手に帰る未来はそう遠くないと思っている。
全くそんな事はない。
気持ちはわかる。
たしかに一戦ごとに見てみれば、とうの昔に世界を三つは取れている。
だが実際の現状を理解していない。
なぜ彼等がわからないのかすらもわからない。
本当に彼等は海域踏破率が伸びていると思っているのだろうか。
思っているのだ。だからこそ私達の階級は上がり続けている。
無能な本部と、不可解な海域。
どうしようもなくストレスがたまる。
十年も、精神に異常を来すこともなくやってこられたのが不思議に思う。
いや、なぜここまでやってこられたのか。
その答えはわかっている。
ひとえに艦娘と学友がいたからだ。
艦娘は、見ているだけで励みになった。
特に駆逐艦は面白い。
個性という言葉は彼女たちのためにあるのだろう。
そう思えるほどにほほえましかった。
このあいだなんかは。
駆逐艦の子たちがそろって、一緒に風呂に入ろうと提案してきた。
この鎮守府の駆逐艦全員がだ。
ざっと十五人ほどだろう。
私の手を引き、大浴場へ行き、各々服を脱いでは湯船に飛び込んでいった。
駆逐艦は元気が取り柄。
そう思ったわたしの目に、一人の少女が映っていた。
彼女は脱衣場の隅で呆然と突っ立ていた。
私の後ろを歩いていた子だ。
彼女も私と同様、手を引かれていた。
その子は今朝配属されたばかりだった。
私の所にはまだ正式な挨拶に来ていない。
来て早々、元気な駆逐艦たちの気迫に圧倒されたのかな。
私はそう思い、彼女の元まで行き、しゃがんで目線を合わせてあげた。
話しかける。
「きみも一緒に入ろう」
「ウチ軽空母や……」
名前を聞き、艦娘になる前の実年齢を聞き、再三私は頭を下げて彼女を寮へと送っていった。
面白い学友もいる。
十年前にここへ来た、一体の深海棲艦だ。空母ヲ級だ。
ヲ級が鎮守府に来てしばらくの頃。
最初の一ヶ月間は拘束していく方針だった。
食べ物と飲み物、これをどうするかが先決の問題として迫っていた。
流石に二週間、何も飲ませてやれないでいると、彼女は見るからに憔悴していた。
目はうつろになり、怯えの表情はなくなり、全体的にぐったりとしている。
ベッドに拘束されたまま、彼女はこの二週間、一時たりとも暴れなかった。
私が見に来たときも、話しかけたときも、抵抗するそぶりは見せなかった。
私は捕らえた敵兵が弱っていくのを見て、恩情をかけようとは思わない。もし情けの心を持ってしまえば、それは軍人として欠陥である。
……と、生前の私なら思っていた。
だが日本のことを金剛にいろいろと聞いて、なるほど素晴らしい国だと納得したことがある。
金剛はそれを武士道と言った。
「〝敵意なきは敵にあらず。〟
私はそれを聞き、考えを改めた。
捕虜であろうと、敵であろうと、一切の敵意も持たず、ただ怯え恐怖の瞳を向ける者に、このような扱いはあんまりだと。
甘い考えかもしれない。
拘束を解いた瞬間に、暴れ出して被害が出るかもしれない。
相手はバケモノだ。
憔悴している演技かもしれない。
そういう考えはあった。
だが、それがわかっているのなら、暴れることも考慮しながら拘束を解いてやればいい。
もとより彼女を殺すつもりはない。
これは温情ではないし、例え温情だったとしても、別に良いではないか。
暴れるかもしれないから縛っておく。
それは、暴れられたら勝つことの出来ない弱者の発想だ。
私達は違う。
たとえ彼女が暴れようとも大丈夫だ。
拘束器具をゆっくりと外す。
隣にいる指揮官は、やや距離を取っていた。
彼は警戒しているのか。
だが、彼は止めない。
目の前のバケモノを、バケモノでも、それでもこのまま拘束したまま生きながらえさせるのは道理が違う。
彼の表情はそう告げていた。
結局、ヲ級は暴れなかった。
うつろな目で私を見て、外された拘束具を見て、力なく笑った。
……笑った。
少しだけ口角を上げ、でも確かに、彼女は微笑んでいた。
「やっと信じてくれた」とでも言いたげな目で。
ヲ級の背中を支えてやり、ベッドの上に座らせる。
水を入れたコップを渡してやると、彼女は私を見た。
「飲んで良いぞ」
言葉が通じたとは思えない。
だが彼女は両手で、危なげに、コップを持って一口飲んだ。
続けて飲む。
んく、んく、んく、と幼い子供が飲み物を飲んでいるかのように、彼女は水を飲んでいた。
「……ヲ」
笑顔で、そう鳴きながら、飲み終わったコップを差し出してきた。
それからの彼女の回復は早かった。
飲み物も食べ物も、人間と同じ物で良かったのだ。
なんでも嬉しそうに食べるし、何でも美味しそうに飲む。
私が鉄砲飴を一つくれてやると、彼女はよほど美味しかったらしい。
私の真似なのかはわからないが、両手を頬に当てて嬉しそうに飛び回っていた。
相変わらず「ヲッ!」としか言わないが、上機嫌の時には必ずそう言っている。
気に入ってくれて何よりだ。
そして当初の目論見通り、私は彼女と日本語を学んだ。
教えて貰うのは鎮守府にいる艦娘たちからだ。
作戦指揮で深海棲艦を沈めた後に、ヲ級と一緒に勉学に励む。
複雑な気持ちが最初はしたが、彼女は気にかける様子はない。
と言うより、鎮守府陣営にいる事の方がまるで楽しいかのようなそぶりを見せる。
一度モニターを見せたこともある。
ある程度私も日本語がしゃべれるようになった時。
ヲ級もまた、片言だが日本語がしゃべれていた。
確かヲ級が来てから五年が経過していたはずだ。
あのときは、ヲ級から提案してきた。
「ワタシモ、ミタイ。タタカウノ、ミタイ」
といった感じで。
作戦司令室に入れるのには迷った。
倒される深海棲艦を見て暴れるかもしれない。
だが一方で、もし何ともなければ、海域の謎が解けるかもしれない。
深海棲艦なら何か知っているかもしれない。
リスクはあるがリターンもある。
そう思い、護身用に武装した艦娘と共にモニターを見せた。
「コンゴウ! コンゴウ! ガンバレッ!」
モニターの中では、金剛が戦っている。
先頭に立って戦艦ル級と撃ち合いをしている。
その光景を、ヲ級は、両手を胸の前で握ってぷるぷると上下に振りながら、
結果は良い方向に傾いた。
艦娘と日本語の勉強をしていたのが大きくプラスに働いた。
金剛には特にお世話になっているからな。
海域の謎も、もう少し日本語が上手くなって、高度な会話が出来るようになったら聞いてみよう、とあのときは思った。
十年経ってもまだ上手にはしゃべれないので、もう数年待つことになるけどな。
彼女は完全に鎮守府側だ。
もはや容姿以外に深海棲艦だと言える物がない。
いや、その容姿すらも、金色に光る瞳を含めてだんだんと真人間らしくなってきた。
私とおそろいの白銀の髪に、金色の瞳。
実は服装も、日によっては深海棲艦の服ではなく、ジャージやセーラー服を身に纏っている。
彼女が自分で選ぶのだ。
今日はこれが良い、と私に見せてくる。
彼女は私の部屋に住んでいる。
一緒に勉強しているうちに、私と一緒が良いと言い出した。
そう言うのならば、別に断る理由もない。
そして毎朝起きると、
「ネルソン、コレ、キョウハコレ」
とクローゼットから引っ張り出してくるのだ。
たまに水着を持ってくるので、そう言う日は風呂場で水浴びをさせる。
別の服を持ってきてやっても良いのだけどな。
たぶん泳ぎたいのだろう。
その水着が、私の部屋のではなく、潜水艦娘の部屋から持ってきた物であったときには、流石に変えざるを得なかった。
入らないからな。いろいろと。
○
そんな感じの十年間であった。
ストレスや悩みも深かったが、それを埋めるように楽しい仲間と友人が出来た。
願わくはずっと共にしたい。
ずっと共に生きていたい。
十年経った。
指揮官もそれなりに貫禄が出て来た。
寡黙で冷静で適切に戦場の指揮を執る。
唯一、私が鉄砲飴に舌鼓をうっているとき、その、私を見ているときの顔が欠点だが。
せっかくの貫禄も台無しになるほど、頬を赤らめるからな。
彼は若いが、青臭くはない。
もう立派な指揮官だ。
だが私は、ホレーショ=ネルソンは年を取らない。
貫禄も小じわも出てこない。
それを知っているのは私自身と、指揮官と、この鎮守府の艦娘だ。
――――そう。本部の人間は、私が不老であることを知らない。
私が別時代、別世界から来ていることを、一つも知っていないのだ。
本部に知らせるのはまずい。
何かされるかもしれない。
艦娘にそう言われ、指揮官にもそう言われ、私は転生した身分を隠すことに決め込んだ。
これからは内緒だ。
謎の美人。
ホレーショネルソン参謀の生い立ちは、もう誰にも話さない。
そう決めた時から二十年。
私がこの世界に来てから三十年。
あっさりとバレた。だって年取らないもん。