Infinite Stratos 学園都市最強は蒼空を翔る   作:パラベラム弾

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十二話

ごうごうと、雨が降っていた。

 

秋という時期を考慮すれば差程珍しくもない、全てを洗い流すような豪雨が叩き付けるように学園に降り注いでいる。夜という時刻も相俟って、配置された街灯が雨粒のカーテンの向こうでぼんやりと光っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな雨の中、更識楯無は佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

濡れ鼠という表現が相応しいのだろう。頭に顔に腕に手に体に脚に、傘も持たない彼女を雨は容赦なく濡らしていく。既に下着まで侵食した水気は多大な不快感を与えてくるが、それを気にすることもなく、彼女はただ只管に雨に打たれ続けていた。

 

どれくらいの時間が経ったか分からない。

 

それでも、こうして冷たい雨に体を晒していれば、無理やりにでも思考を止めることが出来た。耳朶を打つ激しい雨音と、視界を遮る闇。勝手に回り始める頭を掻き乱し、集中力をぶつ切りにしてくれるそれらが今はありがたかった。

 

ぱしゃり、と。

 

耳が、雨音とは違う音を拾い上げた。

 

けれど楯無は其方を向かない。どうせ、音の主など分かりきっているのだから。

 

その音は真っ直ぐこちらに近付いてくる。そして、楯無のすぐ側にまで到達した直後、降り注いでいた雨が、頭上に翳された傘に遮られた。

 

「―――お体に障りますよ」

 

更識家第十七代目頭首である己の専属従者にしてIS学園整備科のエース、布仏(のほとけ)(うつほ)が心配そうな声音で忠言を呈する。

 

しかし楯無はその言葉に反応を返すこともなく、微動だにしないまま夜の闇を眺めていた。普段の彼女からは考えられない態度であったが、虚は主の心中を理解しているのかそれ以上何も言うことはなく、傘を携えたまま静かに傍らに控えている。

 

十分か、二十分か。

 

互いに何も言わぬまま、時間だけが過ぎていく。

 

雨は、まだ止まない。

 

「―――私は」

 

先に口を開いたのは楯無だった。

 

「私はこの学園が好き。この学園に在籍している以上は誰も傷つけさせないし、誰も不幸にしたくはない。その為の努力は惜しまないし、その為の努力はしてきたつもりよ」

 

「存じております」

 

「でも、どうしてかしらね。あの子は、進んで傷を負いに行っているように見えるの。『誰かを守りたい』っていう想いはある。それは確かよ。けどその裏に、まるで自滅願望でもあるんじゃないかって思うくらいには、自己犠牲を厭わない。……いいえ、きっとあの子は、自分の生命の価値を低く設定している。あの子の思う『大切なもの』と自分を天秤に掛けた時に、躊躇うことがないように」

 

「それは……」

 

「ええ。はっきり言って異常よね。真っ当な価値観を持っていれば、まず辿り着くことのない考え方。誰だって死にたくはないし、自己犠牲にだって限度があるわ。でも……彼が守りたいと思う未来の中に、きっと彼だけが居ない。自分はいつ終わってもいいと本気で思っている。私には、それが許せない」

 

度を超えた自己犠牲。聖人君子でもなければ不可能なそれを平然と行うあの少年に対し、楯無が感じたのは燃え盛るような怒りと心を抉るような悲しみだった。

 

人の価値観はそれぞれだし、幸せの形も違う。自分が感じているこの感情もただの綺麗事で自分勝手なものだと理解している。

 

けれど、それでも楯無は受け入れられなかった。仮にそれが彼にとっての幸せなのだとしても、それ以外の幸せの形を見つけてやりたかった。色々な事を経験して、色々なものを見て、この世界はまだまだ広いのだと教えてやりたかった。

 

だからこそ、あのような別れなど絶対に認めない。彼が目を覚ましたら頬を引っぱたいて、ありったけのお説教を叩き付けて、それからだ。もう二度と自分の生命を擲つなんて考えられなくなるくらい、楽しい思い出を作ってあげたい。

 

それに―――妹と仲直りできた恩返しすらも、まだできていないのだから。

 

(『他人の幸福が自分の幸福』だとか考えてるなら、その考えは甘いと言わざるを得ないわよね。だって私の幸福は『学園に居る全員が幸福を得ること』なんだもの。キミが幸せにならないと、私も幸せになれないんだなぁ、これが)

 

我ながら随分と子供じみた考えだとは思う。けれど、自己犠牲の英雄(ヒーロー)という振る舞い(ロールプレイ)をする彼への当てつけとしては丁度いいのではないだろうか。

 

過去に何かがあったとしても、今更それを聞き出すようなこともするまい。傷口を無理矢理穿り返すよりも、別の事に意識を向けてもらう方が建設的だ。

 

しかしそれは、単なる一時しのぎでしかないことは楯無にも分かっている。過去は決して消えず、忘れることも出来ない。いずれ本人が折り合いをつけて、割り切ることができるようになるまで。

 

(―――それまでは、おねーさんが面倒見てあげないとね)

 

気付けば、雨は止んでいた。

 

分厚い雲の切れ目から、月が姿を覗かせている。

 

傘を畳んだ虚が、何処から取り出したのかバスタオルを差し出してくれていた。礼を言って受け取り、取り敢えずはたっぷり水を含んだ髪からタオルを当てていく。

 

「なんだかちょっとスッキリしたわ。やっぱり一人で抱え込むのは良くないわね。愚痴みたいになっちゃってゴメンなさいね、虚ちゃん」

 

「ええ、本当に。貴女方の悪い癖ですよ。お嬢さまも簪さまも、何でもかんでもお一人で解決しようとしますから。一体なんの為に私や本音が居ると思っているのですか?」

 

「あらま薮蛇―――っくしゅん! うー、なんか急に寒くなってきたわね……」

 

「当たり前です。このままでは本当に風邪を引きますよ。生徒会室の浴室を温めておりますので、そちらをお使い下さい。後ほど着替えをお持ちしますから」

 

「嘘……私の従者、優秀すぎ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に目に入ったのは、黒曜石のような双眸だった。

 

人形のように整った顔に能面の如き無表情を貼り付けて、黒髪の少女がじっとこちらを覗き込んでいる。目覚めた瞬間ホラー映画宛らの光景を目の当たりにすれば悲鳴のひとつも上げそうなものだが、寝起きのような頭は驚愕より疑問を優先したようだ。脳内に大量の疑問符を散りばめる己を他所に、黒髪の少女―――『夜叉』の仮想人格たる少女は口を開く。

 

「―――質問。貴方が覚えている最後の記憶は何か」

 

抑揚のない声音で紡がれたその言葉は、ぼんやりとしていた意識を叩き起すのには十分すぎた。バネ仕掛けのように飛び起きて、鋭く周囲に視線を走らせる。白い立方体で構成された大地、灰色の空、白い太陽。

 

かつて銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)と文字通りの死闘を繰り広げた際に入り込んだ、己の深層心理の具現である精神世界。何故ここに、いや違う優先するべき事は他にある。

 

心拍数の跳ね上がった仮想の心臓を押さえつけ、押し殺すように言葉を絞り出した。

 

「野郎は……アレイスターは、どうなった」

 

「解答。個体名アレイスター・クロウリーは、あの後すぐに姿を消した。他機体の活動記録(アウトログ)からも戦闘の記録は見当たらず、彼の出現時に観測された不可解な磁場の乱れと重力子、解析不能な力場と同様な現象が観測されている。恐らくは元の世界へ帰還したものと推測される」

 

「…………、」

 

「報告。アレイスター・クロウリーによる発言の記録がある。再生するか否か」

 

「……聞かせろ」

 

「了解」

 

再生開始―――と夜叉が口にした直後に、あの忌々しい男の声が夜叉の口から流れ出した。

 

「『―――成程。これもまた「失敗」……、という訳か。まあいい……いや、君も……運命―――手出しはせんよ。精々……火花が奇跡に―――証明してみせるがいい』―――再生、終了」

 

砂嵐のような、ノイズ混じりの音声だった。内容も途切れ途切れで要領を得ず、何かの意図が含まれていたとしても到底読み取れはしないだろう。果たしてアレイスターは何を目的としてこの言葉を残したのか。

 

眉根を寄せ、険しい表情を浮かべる一方通行。熟考する主を差し置いて、夜叉は構うことなく話を進めていく。

 

「提案。貴方が倒れた後の出来事の説明。現在貴方が置かれている状況の把握を最優先するべきだと推測される」

 

(倒れた後……そォだ。俺ァ確か能力使って自殺したハズだぞ。全身の神経回路を焼き切ったンだ、普通じゃどォやっても助からねェ。それがなンで今こォしていられる?)

 

未だ尽きぬ疑問を解消するためにも、とにかく情報が必要だ。目線で続きを促せば、彼女は淀みなく喋り始める。

 

「前提。まず第一に、貴方の肉体は確かに一度生命活動を停止させている。脳も心臓も破壊され、間違いなく即死状態だった。だけど、貴方の肉体は創造主によって修復され、現在は自発呼吸を行うまでに至っている」

 

「は、ァ……? ちょっと待て、今オマエが言っただろォが! 脳死どころの話じゃねェ、脳実質そのものがグチャグチャに破壊されてンだぞ! そこから蘇生出来る可能性なンざ億に一つもありゃしねェだろ!!」

 

「詳細な説明。現在、私と貴方のコア・シンクロ率は93.62%を記録している。二次移行を行うには十分な数字。私は創造主の補助により限定的な二次移行を果たし、発現した生体再生機能を用いて貴方の肉体を修復した。現在は、私が取り込んでいた記憶・人格・意識等の情報を肉体に転写している途中。進行度は99.84%、あと6分45秒で全工程が終了する」

 

淡々と紡がれた言葉に、さしもの一方通行も驚愕を隠し通すことが出来なかった。人工的な死者の蘇生、それもあれだけズタボロになった状態から記憶や人格まで元通りに修復するなど正しく神の御業と言っても差支えはあるまい。束が常識外れなのは知っていたつもりだったが、よもやここまでとは。

 

あまりの驚愕に思考から冷静さを欠いたものの、それが収まるにつれ次第に理論的な思考が回転を始める。

 

生体再生機能そのものに関しては、一夏の駆る白式の第二形態『雪羅』が既に発現している為今更驚きはしない。流石にエネルギー供給等の補助は受けているだろうし、先程夜叉が述べた進行率から逆算すれば現実世界では凡そ三日が経過している。

 

擬似的な二次移行、これはISの創造主たる束が居るのならば難しいことでもないのだろう。記憶や人格の複製及び転写も、言ってしまえば電気信号による情報のやり取りでしかない。そも、IS自体が操縦者の電気信号で動いている以上、シナプス間の信号を受け取れない理由はないのだから。

 

問題は、夜叉とのコア・シンクロ率。

 

90%を超えたことが、ではない。

 

最初に夜叉を起動して以来、1%たりとも上昇することは無かった―――否、上昇するはずのなかった(・・・・・・・・・・・)それが、人工的にとはいえ跳ね上がっているという事実。

 

 

 

 

即ち―――能力の消失。

 

 

 

 

 

「報告。心理障壁の消失。並びに、以前まで観測されていた微弱な電磁波―――貴方が『AIM拡散力場』と呼称していたものも同様に消失している。貴方の定義する『能力』というものに関連するデータは、私の演算領域に転写した演算パターンだけ」

 

「…………、そォか」

 

感情の揺れは、自分でも驚く程に小さかった。否、どういう気持ちで受け止めればいいのか測りかねているが故と言った方が適当だろうか。

 

確かに、この力を恨んだことはそれこそ数え切れないほどある。こんな力さえなければ、普通の人生を歩むことだって出来たかもしれないのだから。けれど、能力が一夏達と出会う切欠となったのもまた事実。あの時ISを起動することが出来なかったなら、束の玩具にでもされていただろうか。

 

何にせよ単に忌み嫌うにしては、己と『一方通行』との関係は複雑に過ぎた。能力が失われたことは事実として受け止めておいて、早いうちに今後の方針を固めておかねば。

 

能力によるアシストを失った今の己は、頭は良いが身体は貧弱なただの男子高校生だ。ISを動かし続けるのにも体力は必要だし、ISを使えない状況下に陥った場合何も出来ずに死ぬ、などと笑い話にもならない。基礎能力の向上は急務だろう。能力ありきの力任せな従来の戦法ももう使えない。自身の技術と得物の相性を考え、独自の戦術を確立していくしかない。楯無かラウラ辺りから武器の扱いや体術を手解きしてもらうか―――

 

「質問。否、確認」

 

「……、あン?」

 

思考の海に潜っていた意識を引き戻す。

 

相も変わらず感情を読み取れない無表情で、夜叉がじっと此方を見据えていた。星月の無い夜空を思わせる二つの瞳に、対称的な()が映る。

 

「頼るべき力は失われた。絶対強者の名は棄てた。天界の翼は地に墜ち、泥濘に塗れ、輝きを無くした。天上へと続く道は消え、大いなる扉は閉ざされた」

 

幼い唇から、謳うように言葉が紡がれていく。

 

機会の如く平坦なその声音には、しかし今までとは異なる確かな意思が宿っていた。

 

「―――だが。翼は未だ健在である。目指す宙は未だ続いている。この先如何なる障害が立ち塞ごうとも、貴方が己が信念を貫き通すと言うのなら。誰かを護る為に立ち上がり続けるのなら。私は、この身の総てを以て貴方の願いに応えよう。我が主、我がマスターよ。

 

 

 

―――再び蒼空を翔る覚悟はあるか?」

 

 

 

「決まってンだろ」

 

即答だった。

 

答えなど、考えるまでもなかった。

 

「やる事は変わらねェ。俺の持つ全てを使ってアイツらを護り抜く。アイツらが護りてェモンまで全部含めてな」

 

胸に刻んだ嘗ての誓い。

 

能力を持った意味だとか、過去の巻直しだとか、御大層な大義名分も今となっては必要ない。

 

ああ、そうとも。

 

 

 

 

 

 

―――大切なものを護るのに、何か理由が必要か?

 

 

 

 

 

 

「―――了解した。ならばこそ、なればこそ。私は貴方の翼となって、何処までも翔くことを約束しよう」

 

そうして変化は―――否、進化は訪れた。

 

世界に彩が満ちていく。中天に輝く太陽は暖かさを取り戻し、吹き抜ける風が頬を撫で、空が蒼空へと塗り変わった。白い大地は変わらずだったが、それが今は雲ひとつない空との対比で一層映えている。

 

生まれ変わった世界の中で、黒い少女は薄く薄く笑顔を浮かべていた。

 

「報告。たった今、蘇生プログラムの全工程が終了した。同時に、正式な二次移行の完了を確認。覚醒後、機体データの確認を推奨。また、シンクロ率の上昇に伴って私との通信が可能になっている。必要があれば個人間秘匿回線の要領で呼び出して」

 

程なくして、指先から光の粒子が立ち上り始めた。己を構成するものが解けていくように、段々と向こうの景色を透過させていく。

 

「帰還を推奨。貴方の帰りを待っている者の中に、精神状態に乱れが観測できる者もいる。逆に言えば、マスターが皆に愛されている証左。私もマスターの専用機として、皆に挨拶しておくべきだと思う」

 

「変な真似するンじゃねェよ。大人しくしてろ」

 

「……そう」

 

何故そこで微妙に残念そうな顔をするのか。

 

突然感情豊か(?)になった夜叉を呆れた目で眺めながら、かつてと同じ感覚に身を委ねる。

 

落下しているようにも浮かび上がっているようにも感じる、眩暈に似た一瞬の浮遊感。

 

同時に、胸中に湧き上がる感情を知覚して。

 

それが『喜び』に連なるものだと理解して。

 

ガキかよ、と独り言ちた彼の口元は。

 

 

 

 

 

 

―――確かな笑顔に彩られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……終わりませんよ?

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