プリンツVS那珂ちゃん
アイドルなのよ! 顔はやめて!
からの、顔面右ストレート。
私は臆病だ。
私は自分が、酷く臆病であることを自覚する。
昔から先が見えぬことが恐ろしかった。
薄暗い森の奥が恐ろしかった、曲がり角の先が恐ろしかった、電気の消えた部屋の暗闇が恐ろしかった、どう動くか見当のつかない動物や虫が恐ろしかった、自分の将来が恐ろしかった。
私は艦娘には向いていないと思った。しかし、向いているか向いていないかという問題は艦娘の適正があるかどうかとは関係はないのだ。
いくら艦娘になりたくてもなれない者がいるのと同様に、なりたくなくても艦娘になってしまう人間もいる。
それが、私だ。
『また、逃げたのか、伊勢』
予想していたことではあったが、最初の提督は臆病な私にすっかり失望していた。
臆病な私はよりにもよって戦艦という対深海棲艦における主戦力となるような艦種に選ばれていた。
しかし、当然、私に正面から深海棲艦と撃ちあうなどできる筈がなかった。
艤装による保護があるとはいえ、命がけの戦闘には変わりない。
自分の数分先の生死が見えない。
それがあまりに恐ろしかったから。その恐怖があまりに耐え難かったから。
私は一人、戦場から逃げた。
『いくら戦艦とはいえ、これでは話にならないな。仕方ない、解体だ』
提督の期待を裏切り、仲間からは嘲笑され、後ろ指を指されながら私は艦娘としての任を解かれた。
当然のことだとは思っている。しかし、だからと言って何も思わないわけじゃない。
私だって好きで艦娘になったんじゃない。適正があるからと、半ば強引に艦娘にされたのだ。私は最初から向いていないとわかっていたのに。
勝手に期待した癖に勝手に失望されても困る。私は何も悪くないじゃないか。
私は提督と艦娘が大嫌いだった。
――そして、そんな言い訳で変わろうとしない自分を正当化する私自身がもっと大嫌いだった。
こんな性格に生まれなければ、こんな苦しい思いをせずにすんだのに。
変わることができれば、私はもっと幸せだったはずなのに。
――臆病とは、私が生まれつき罹った不治の病だ。
『――違う、その臆病は才能だ。お前が解体されたのは役立たずだからじゃない。ここの提督が無能だっただけのこと。来い、お前は私が使ってあげよう』
犬見提督は私の臆病を初めて褒めてくれた人だった。
☆
「艦載機を放って突撃、これだ……!」
「うおっと!」
二機の瑞雲が突進してくるように向かってくるのを一歩下がって慌てて避ける。
しかし、その間隙に日向が刀を振り上げ踏み込んできた。
「むん!」
「チッ、地味に厄介だな」
サイドステップで日向の斬撃を躱して再び距離をとりながら天龍は呟いた。
戦術としては至極単純。瑞雲で相手の動きを制限し、隙を作り、日向が一方的に攻撃できるように立ち回る。
しかし、言うは易し、行うは難し。通常、艦載機の操縦とは中に乗っている妖精さんが行っている。その場合、夜は暗すぎて飛ぶことができない。故に、空母などの艦載機を伴う艦は夜戦では戦力にならないのが現状だ。
しかし、それを打開する方法が一つだけある。
艦娘自身による艦載機のマニュアル操縦だ。
飛行機を操縦するゲームが数段難しくなったとでも考えればいい。この方法なら艦娘自身に夜目が効けば艦載機を発艦することは可能になる。
ただし、その場合、ほとんどの艦娘は艦載機の操縦に意識を集中させる必要があるため、艦娘自身で戦闘はまずできない。
また、同時に複数機を操縦する場合は両方に意識を集中させる必要があるため、その難易度は跳ね上がり、処理情報のあまりの密度に立っていることさえ困難になるだろう。
加えて言えば、艦娘の視界に変化はないため、視認不可能な距離まで離れたり、雲などに隠れて見えなくなったりすれば、感覚だけで操縦するしかない。目を瞑って艦載機を操縦しているのと同じだ。
故に、艦載機のマニュアル操縦など普通の艦娘にはとても手が出ないし、できた所で難易度に見合う程の恩恵もないのだ。
「いや、スゲェな、お前」
天龍は素直に日向を賞賛した。
二機の瑞雲を自在に操り、かつ自身も刀を抜く。
それを可能にしたのは、一体どれだけの執念、あるいは狂気なのか。
日向も、天龍の言葉に他意はないと悟ったのか、誇らしげに笑みを浮かべた。
「瑞雲への愛さえあれば、この程度造作もないさ」
「今、心の底から先行していったのがお前じゃなく、あの気の小さそうな奴で良かったと思ったぜ。お前ほどの艦娘をここで足止めできたことは戦術的に大きな成果だ、と俺は判断するぜ」
「気の小さい――ああ、伊勢のことか。確かにあいつは臆病だがな」
日向は瑞雲の二機を再び、弧を描くように天龍の右斜め上、左斜め上から交差するように飛ばすと、不敵に笑いながら言った。
「だが、臆病故に、あいつは強いのさ」
「何……?」
☆
プリンツと那珂の一騎打ちの決着から数刻前。
(駄目だ……もう逃げよう! 無理! こんな奴と一騎打ちなんてする必要なんてない! 一旦戻って日向を連れて万全の態勢で――――)
「早く、決断してくださいッ!」
「ひっ! わ、わかった! わかったよ、ここは退く! だから主砲を向けないで――――」
そう言ってすぐさま逃げるように身を翻したところで、私の足は止まった。
そして、もう一度ゆっくりと首を回して大和の方を見る。
相も変わらずこちらを睨んで主砲を向けている。
(あれ、主砲?)
違和感があったのは、主砲の数だった。
大和型には合計で四つの装備を装着可能だが、今、目の前の大和には主砲一基しか見当たらない。
弾着観測射撃を行えるように主砲は多くても合計二基、残りの装備には水上観測機と副砲もしくは電探や徹甲弾や三式弾などが装備されるのが大型艦装備の通例だ。
主砲が一基のみとはどう考えても不自然だ。
(装備不足かな? 七丈島鎮守府は出撃を想定していないらしいから大型艦の主砲は足りていなかったり?)
最初はそれで納得しかけた。
しかし、すぐにそれにも疑問が生まれた。
(でも、天龍とプリンツ、磯風はしっかりフル装備だったよね? 特にプリンツは火力重視の重装備に見えたし。でもそれなら、駆逐艦や軽巡洋艦の装備を売り払ってでも大和型の装備を優先して揃えると思うんだよね。戦力的に大違いだしさ……)
軽巡洋艦や駆逐艦の装備は整っていて目の前の大和の装備は不足している、その理由はわからないが、事実として大和は今装備が不十分な状態にある。
そう考え始めると、先の大和の発言も違う意味に聞こえてくる。
(私を誤って殺してしまうかもしれない、無駄に殺したくないとか言ってたけれど、逆なんじゃ? むしろ、今の装備じゃ殺せないからああやって脅して私に撤退させようとしているんじゃないの?)
いくら大和型とはいえ、こちらも戦艦なのだ。46cm三連装砲一基で沈められる程やわではない。
犯罪者でしかも大和型、加えてあの威圧的な台詞にすっかり委縮していたが、もしかしたらそれはあちらに戦闘をする余裕がないことの裏返しなのではないか。
(……いや、違う)
私は更に、その先に思考を巡らせる。
(戦闘をする余裕がないなら、ますます私に撤退を促してどうする? 私を撤退させた所で、後になって再度侵攻してくるのは向こうもわかってる筈。こういう時、私なら味方の戦力が追いつくまで逃げ回りつつ牽制して足止めだけすることを考える。じゃあ、そんなリスクを冒してまで私を撤退させて戦闘を避ける理由は何?)
そこまで考えて、私は一つの可能性の閃きに思わず身震いしてしまった。
確証はない。確かめるなら一種の賭けになる。だが、どちらにせよ大和は装備が不十分で火力は格段に下がっている。
決して分の悪い賭けではない。
「どうしました? 撤退するのでは?」
苛ついた様子で大和が私に問いかける。
恐ろしい。
相手にその口上程の力がないとわかって尚も、あの大和からは依然として圧力を感じる。
臆病な私にこの重圧はかなり堪える。
だが、私は勇気を振り絞り、口を開いた。
「私はさ、臆病者だよ」
「え?」
「先が見えないっていうことが、怖くてたまらない。皆が勇敢に戦っている時に、私だけが体を震わせて前に進めないでいる。それが私なんだよ」
「……そうですね。あなたに艦娘は向いていないと思います」
「うん、私もそう思ってたよ。この臆病な性格、自分でも大っ嫌いだった――――」
私は35 cm連装砲を大和に向ける。
彼女の表情が驚愕に包まれたのが良く見えた。
「――でも、今は違うッ!」
先刻まで大和に委縮しきっていた私が、この僅かな勝機を見いだせたのは、相手を恐れ、先が見えぬことを恐れ、故に、少しでも見えぬ先を見ようとその一挙一動に必死で目を凝らしていた他でもない、勤勉なる臆病の成果だ。
病ではない、これは提督が認めてくれた私の才能だ。
それを私は今から証明してみせる。
私は、大和に向けて主砲を一斉射した。
「な……!? ぐぁっ!」
小さな悲鳴と共に、大和は砲撃の直撃を受け、爆炎に包まれる。
「ぐ……」
(堅っ!? 主砲直撃で小破すらしないの!?)
砲撃を一旦止めてから数秒して煙が晴れ、依然健在な大和の姿を見て私は想定以上の彼女の装甲に少なからず驚愕を隠せなかった。
しかし、同時に私は自分の推測が当たっていたことを確信する。
「はぁ、はぁ……やっぱりだ。やっぱり――――」
緊張のせいで息があがっているのか、肩で息をしながら私は笑みを浮かべた。
――反撃が来ない。
あれだけ軽微な損害で、不意打ちとは言え、私に撃ち返す余裕がない筈はない。しかも、こうしてあからさまなクールタイムまで入れて隙を見せているのだ。大和が反撃するなら今しかないはずだ。
しかし、彼女は主砲を受けただけで、私に対して依然撃ち返してはこないでいる。
これが、大きなリスクを負ってまで、私を撤退させたかった理由だ。
「や、やっぱり、あなた、艦娘が撃てない、のね……?」
考えられるのは罪艦の制限か何かだろうか。とにかく、これで彼女が私を撃つことができないことが判明した。
私は臆病者だ。先の見えないことが恐ろしくてすぐに逃げてしまう。しかし、それは裏を返せば、
揺るがぬ勝利を確信した時なのだ。
「主砲、四基八門、一斉射ッ!」
☆
数分立たずして、形勢は逆転した。
「が……っはぁ……はぁ……」
「本っ当に堅いね……結構撃ち込んだつもりなんだけれど、まだ倒れないの?」
脅しのための主砲を一基、その他は全てバルジに装備を回した。
おかげで、戦艦の砲撃に対してここまで耐え続けることができたが、流石にそろそろ限界だ。痛みで意識が朦朧とし始めている。
やはり、火力が桁違いだ。矢矧の時のように相手の弾切れまで持ちこたえられる気がしない。
(参りましたね……これは駄目かもしれません……せめて、彼女が近づいてきてくれれば、大和型の馬力で足止めすることはできるんですが……)
「悪いけど、あなたが倒れるまで近づくことはしないよ。私は臆病者だからね、万が一その大和型の馬力で掴みかかってこられたら厄介だなって嫌でも警戒しちゃうんだよ」
(臆病、それ故にこんな状況でも油断してくれない……完全に手詰まりじゃないですか、これ)
私はチラリと一門だけ奇跡的に無事な主砲を横目で見る。
幸い、まだ動く。
(撃つ……しかないんでしょうか……? でも、これ以外に鎮守府を守る手は――――)
そこまで考えて私は首を横に振った。
私は今、何てことを考えていたのだ。
そんなことしたら、鎮守府を守るどころか、この
「悪いけれど、そろそろ倒されてよね。私はこれから、あなたの鎮守府を制圧しにいかなきゃならないんだからさ」
「……通しません」
依然として、私は伊勢を睨みつけてその目の前で両手を広げる。
その姿に、僅かに伊勢の目に恐怖の色が浮かんだのが見えたが、しかし、その砲撃に隙ができるほどではなかった。
「じゃあ、そのまま何もできずに、尽き果てろ!」
「う、うわああああああああ!」
一か八か、私は伊勢に向かって一直線に走る。
彼女の身体に掴みかかって動きを止めるしかもう手はない。
砲撃が次々と着弾し、最早、その機能を半分以上失いかけている艤装保護膜から私の身体に直接ダメージが与えられる。
皮膚が焦げ、抉られ、血を噴き出し始める。しかし、足は止めない。真っすぐに伊勢を目指し、突き進む。
「ぐ、ああああああああっ!」
「ひっ! く、くそおおおおおおおお!」
伊勢が私の咆哮に体を震わせたかと思うと、砲撃がますます激しくなる。
後、10 m、あと少しで、手が届く。
もう、損傷が激しすぎて走ることもできない。一歩、一歩、歩みを進め、彼女の身体に手を伸ばす。
「あ……と…………少し…………」
「ひっ!」
そこで、私は力尽きた。
結局、伸ばした右手は指先は伊勢の着物に僅かに擦れただけで、そのまま、私の身体ごと、海面に落ちていった。
「……は、はは、勝った! 勝ったんだ! やった! やってやった……! 私の、勝ちよ!」
――このままじゃ、私のせいで、七丈島鎮守府が…………。
『ネェ、ソロソロ代ワッテ?』
意識が消える寸前、身体の奥底からどす黒い何かがせり上がってきたのを感じた。
まさか、年内に磯風編終われないなんてそんなまさか