七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
矢矧、七丈島艦隊から横須賀艦隊へ


第二十三話「でも、私がどうなろうとも、大和は必ず守ってみせる」

 数刻前、執務室前。

 

「矢矧さん、横須賀鎮守府に来る気はありませんか?」

 

 その神通の言葉に矢矧は扉にかけた手を止めて、後ろに向き直った。

 

「断るわ」

「あら、即答ですか」

 

 神通は驚いて目を丸くした。

 

「だって訳がわからないもの。私にあなた方のお眼鏡にかなうような所があったとは思えないのだけれど」

「ご謙遜を。立ち振る舞いを見ればすぐにわかりますよ」

 

 神通は口元に手を当てながら笑って言った。

 

「先程私があえて皆さんを挑発したのは、それを受けての皆さんの動きを見るためです」

「…………?」

「皆さん、様々な形で素早く迎撃態勢に入られていて、とても数年間島に引きこもっていた艦娘とは思えませんでしたよ」

「それはどうも」

「でも、あなただけは違いました」

 

 私を真っ直ぐ見つめて神通は続けた。

 

「他の艦娘達が臨戦態勢に入るよう動く中、あなた一人だけは動かなかった。否、動く必要がなかったと言うべきでしょう。私が挑発する以前から、私の姿を認知した瞬間に、既にあなたは私の間合いから外れつつ迎撃行動を取れる位置へと既に移動していた。私すら気付かない内に」

「買いかぶりね」

「噂には聞いていました。ここに来るまでは半信半疑でしたが。でもあなたの動きを見て確信しましたよ。やはりあなたは『あの』矢矧さんなのですね?」

 

 私の否定の声など意にも介さず、神通は確信の籠った笑みを向ける。

 

「矢矧さん、あなたのいるべき場所はこんな所じゃない筈です」

 

 そう言って神通は私に手を差し伸べる。

 私はその手を見て小さく笑うと、ゆっくりその手を振り払う。

 

「わかってないわね、何回も言わせないで。断るわ」

「……理由を聞いても?」

「別に大した理由じゃないわ。ただ、一度始めたことを途中で投げ出すのは性に合わないのよ。ここの監察艦として、まだ七丈島(ここ)を離れる訳にはいかないわ」

「……困りましたね」

 

 その返答を聞いて、神通の顔から笑顔が消えた。

 その彼女の素の表情に多少なりとも恐怖した自分がいたことを私は否定できなかった。

 

「……そういえば、すみません。さっきの言葉は誤りでした」

「は?」

「もう一人いましたねぇ。あの時、あなたと同様に私の挑発に対して動かなかった艦娘が」

 

 急に何の話を始めたのかと私は困惑の表情を隠せない。同じ仲間の夕張ですら今の神通が一体何を意図してそんな話を始めたのか理解できていないようだ。

 しかし、その後神通から放たれた言葉で私達ようやくその意図を理解することになる。

 

「大和さん、でしたか。彼女、もしかして戦えないのでは?」

「なっ!?」

「ええ!?」

 

 私と夕張が驚愕を声に出すのがほとんど同時であった。

 

「彼女、戦意と敵意は他の方々と同じかそれ以上に伝わってきていたのに、全く微動だにしていませんでした。まるで、動こうにも動けないみたいでしたね。そして、私は似たような症状を見たことがあります」

 

 ここまで言えば、私と夕張にも神通が何を言わんとするのか理解できた。

 私の額に汗が滲み始めた。

 

「PTSD。心的外傷後ストレス障害。大和さんのあの様子、まさにそれなのでは?」

「…………」

 

 戦争下におかれる兵士がいつ命を失うとも知れない極度のストレスから精神に異常をきたしてしまうという事例は数え切れないほど存在する。

 艦娘も元は人間。無論例外の筈もなく、深海棲艦との戦いの激化している前線では特にこの障害を発症する者が多いと聞いている。

 戦闘になると自分の意思とは関係なく身体が硬直して動けなくなるなどよく聞く症状である。

 

「……そんな報告はなかったわ」

「本人が無自覚なだけかもしれませんね。でも、私の目は誤魔化せません。確実に今の彼女に戦闘能力は皆無です」

 

 神通は確信の籠った声でそう断言した。

 

「さて、その上で問いたいのですが、この七丈島鎮守府に在籍している艦娘達は罪人にも関わらず島内でのみ自由を許されていますね? それは、何故でしたか?」

 

 私は歯軋りをして目の前の神通を睨み付けた。わかっていて、あえて私の口から言わせようというのだ。これ以上なく性質が悪い。

 

「その、艦娘に戦術的価値が残されているから、よ」

「では、戦う事の出来ない大和さんにそれが残っているのでしょうか?」

「この……!」

「そこで一つ提案です」

 

 私が神通に殴りかかりそうになった所で、神通は彼女の目の前に人差し指を立てた。

 

「あなたが私達と共に来てくれると仰ってくれるのなら、このことは私達の胸の内に留めておきましょう。どうです?」

「――――ッ!」

「そんなに怖い顔なさらないでください。私もこんなことはできればやりたくなかったんです」

 

 その言葉と共に神通の表情にまた笑顔が戻った。

 要は大人しく横須賀艦隊に入らなければ、大和を死刑台に送り返すと堂々と脅されているのである。

 私に残されていた道は一つしかなかった。悔しいが、彼女の方が一枚上手だったようだ。

 仕方がない。私は大和をみすみす見殺しにする訳にはいかないのだ。

 

「わかったわ。あなた達と共に行けばいいんでしょう」

「ご理解感謝します」

 

 神通の満面の笑顔にこれ以上ない敵意をぶつけつつ、私は少し乱暴に執務室の扉を開けた。

 そうするしか、なかった。

 

 

 皆から、提督から逃げるように鎮守府を飛び出してから、どれだけ走り続けたかは定かではない。

 気が付けば私は港に一人立ち尽くしていた。頬に何か冷たい感触を感じて上を見上げると、鼠色の空から雨がポツリポツリと降り始めている。

 一旦どこか落ち着けるような場所に、そう思いまた足を進めた所で、目の前に立つ二人の人物が視界に入り、私はまたその足を止めた。

 

「こんにちは、矢矧さん。良い天気ですね」

 

 私の名前を呼びながら笑いかけるのは横須賀艦隊の艦娘、神通だ。

 私は彼女から目を背けながら言葉を返す。

 

「雨が降って来てるのだけれど」

「あら、私は雨、好きですよ?」

「……なんでこんな所に?」

「え、えっと、そちらの提督への挨拶も終わりましたし、ちょっとだけ島を見て回りたいなー、なんて……はは」

 

 矢矧の決して穏やかではない心情を察してか、怯え気味に話すのは神通の横に立つもう一人の横須賀艦隊の艦娘、夕張である。

 神通は私のことを見つめると、どこか満足そうにまた笑った。

 私は彼女の笑顔が嫌いだ。彼女の笑顔は友好や温厚を示すものではなく、何かしらの感情を隠すための作ったような笑顔だ。

 笑顔の裏に何かを隠している。そんな彼女の笑顔を見たくなくて私は頑なに視線を逸らし続けた。

 

「私、すっかり嫌われちゃったみたいですねぇ。全然目を合わせてくれません」

「あ、あの、神通さん。あんまり突っかからない方が……」

「何を言ってるんですか? ただのスキンシップですよ。だって、これから矢矧さんは私達の仲間になるんですから」

「…………」

「その様子だと、ちゃんと皆さんとお別れが出来たみたいですね」

 

 神通の一言一言が私の神経を逆撫でする。

 わざとにしてもよくここまで的確に相手を精神的に追い詰めるような言葉が出てくるものだと逆に感心する。

 私が彼女を睨み付けると、彼女はまるでだだを捏ねる子供を見るような困ったような笑みを見せる。

 

「これから背中を預け合う仲間としてせめてもう少し矢矧さんとは仲良くなりたいのですが」

「悪いけれど私はあなたを好きになれそうにないわ」

「私は大好きですよ?」

 

 どこまで本気で言っているのかさっぱりわからない。

 

「約束は守って貰うわよ」

「勿論ですよ。必ず守りましょう」

 

 彼女の胡散臭い笑顔で言われても全く信憑性がない。

 その意を察してか、夕張が前に出て来て言った。

 

「大丈夫です! 神通さんが変な気を起こさないよう私がしっかり見張っていますから」

「……ありがとう、夕張さん」

「つくづく信用がないようですねぇ。悲しいです」

 

 あんなことをした矢先にどの口が言うのだ。

 まるで意外そうな顔でそんなことを言う神通に私は耐えきれなくなり、その場から立ち去った。

 

「出発は明日の昼になりましたから、準備をお願いしますね」

 

 そんな神通の声が最後に聞こえた。

 

 

 矢矧が去っていった後、神通と夕張は雨が本降りにならぬ内に鎮守府へと戻ろうと来た道を戻っていた。

 上機嫌な神通とは裏腹に夕張は不満そうに頬を膨らませている。

 

「そんなに気に入りませんでしたか? 私のやり方」

「当然です」

 

 夕張の冷たい態度に神通は困ったように笑った。

 

「卑怯ですよ。あんな風に脅して、あの人が首を縦に振らない筈がない」

「まぁ、そうでしょうね」

「なにより!」

 

 夕張は神通の前に進路を塞ぐようにして立ちはだかった。

 

「あの言い方じゃ、もう大和を死刑台に送り返すことができないじゃないですか!」

「天下の往来でそんなこと大声で叫んじゃ駄目ですよ、夕張さん」

 

 神通に冷静にそうなだめられて、夕張は自分の口を慌てて塞ぎ、その後小さめの声で続ける。

 

「一体何を考えてるんですか? 神通さんは提督の命令に背くつもりなんですか?」

 

 夕張は神通を問い詰めるように続けた。

 

「『罪人大和の処分』それが、私達がここに来た目的でしょう!」

「いや、あくまでも目的は近海に現れた深海棲艦の駆除ですから」

「でも!」

「それに、提督は危険性が認められるなら、とも仰っていました。戦うこともろくにできない今の彼女に危険性なんて欠片もないでしょう」

「でも! あいつは!」

「あなたは随分と大和さんのことが嫌いなんですね」

「当然でしょう! あいつは! あんなことを、して……まだ! のうのう、と……!」

 

 夕張は怒りのあまり過呼吸になりかけていた。

 神通が背中を叩いてやると、激しく咳込んで何度か深呼吸を繰り返す。

 

「はー、はー…………なんで、神通さんはあいつを見てそんなに冷静でいられるんですか? 大和の私達を見た時の顔見ましたか? あいつ、まるで初対面みたいな顔で私達のこと!」

「まぁ、あの時の状況下で私達の顔なんて覚えていませんよ」

「それに!」

「夕張さん」

「う…………」

 

 神通の目に気圧されて夕張は言葉を呑んだ。

 

「あなたの怒りはよくわかります。でも、もう終わったことですから」

「…………」

 

 夕張は俯いて黙ってしまう。まだ納得しきれていないと言った様子だ。

 神通は夕張の頭を撫でながら優しく笑いかける。

 

「そんなに大和さんが嫌いなら、上に報告すればいいじゃないですか」

「……それは、矢矧さんとの約束を違えることになるので、絶対に無理です!」

「義理堅いですねぇ」

 

 神通は朗らかに笑う。

 今まで他の艦娘の手前抑えていた大和への怒りがここに来て爆発してしまったのだろう。むしろ今までよく抑えていられたものだとも言える。

 先の大和の『反逆行為』から、彼女との浅からぬ因縁を持つ者は横須賀艦隊に多い。夕張もその一人なのだ。

 

「…………すみません、少し取り乱しました」

 

 しばらく神通が夕張を撫でてやっていると、そう彼女は小声で呟いた。

 

「スッキリしましたか?」

「多少は」

「まぁ、安心してください。これで大和さんを処分する機会が永遠に失われた訳じゃありません。今は、機を待ちましょう」

「はい……」

「それに、艦娘一人を処分するよりは新たな戦力を迎え入れる方が有意義というものです」

「あの、私が言うのもなんですけれど、矢矧さんはそれ程に優秀な艦娘なんですか?」

 

 その言葉に神通は不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「どんな手を使ってでも手に入れたいと思う程度には優秀な艦娘ですよ」

「本当に汚い手段まで使って手に入れてましたもんね」

 

 夕張の言葉に棘を感じつつ、笑みを崩さず神通は続ける。

 

「あなたは基本工廠に引きこもりがちなので知らないのも無理はないでしょうが、彼女は結構な有名人なんですよ?」

「そうなんですか?」

「ええ、かつて『軍神』とまで呼ばれていた流浪の艦娘。それが彼女です」

 

 

 港から苛立ちに任せて歩き続けた結果、私はいつの間にか倉庫街にまで来ていた。いつも仕事の合間を縫っては猫達と戯れていた場所。

 しかし、今日は雨が降っているからか猫は一匹も見当たらない。

 

「あ、雨……」

 

 そこでようやく今まで雨が降っていたことを私は思い出した。

 見れば既に本降りになっており、私の服もびょしょびしょに濡れている。

 取り敢えず倉庫の壁際に寄って、雨を凌ぐ。幸い、倉庫から少し屋根が飛び出しているためギリギリそれが傘となってその真下に雨は届いていない。

 スカートや服をしぼってから、ゆっくりと腰を下ろして、私は大きく溜息をついた。

 

「参ったわね」

 

 雨に降られて、という意味だけではない。

 今の自分は精神的にも色々参ってしまっている。

 

「でも、これで正解よね……」

「ニャー」

「あら? あなたは」

 

 私の独り言に鳴き声を返したのは以前、この倉庫街の猫達の中にいた黒猫の姿である。確か、この辺りの野良猫のボスで誰にも懐かず、誰ともつるまずいつも一匹でいると聞いていたが。

 いつの間にやら私のすぐ隣に座っている黒猫を見て、私は数時間ぶりに笑みを浮かべていた。

 

「お互い雨宿りかしら?」

「ニャウ」

「…………」

 

 そっと私は黒猫に手を伸ばしてみる。天龍の話では触る事すら難しいという話だったか、どういう気まぐれか、黒猫は何も言わず黙って矢矧の手に撫でられている。

 

「あなたも私も独りぼっちね」

 

 黒猫は矢矧の方を見る。

 

「私もね、もう長いこと独りなのよ。ここに来てからはそうでもなかったけれど、今日また独りになっちゃったわ」

 

 黒猫は黙って矢矧の言葉を聞いているように見えた。矢矧も相手が猫であると自覚しながら、まるで誰かに話すように口を開いていた。

 

「でも、私がどうなろうとも、大和は必ず守ってみせる」

 

 以前にも、同じ言葉を言った記憶がある。

 以前にも、こうして猫を撫でていた記憶がある。同じような黒猫だった。

 そう、あれは確か私がまだ『軍神』などと大袈裟な異名で謳われる前、七丈島に来て監察艦になる遥か前、まだまだ未熟な一人の艦娘として仲間達と共にあの前線の泊地で戦っていた頃――――――――

 

「――矢矧!」

「ん?」

 

 その声と同時に私は手元で撫でていた黒猫から手を離し、同時に猫は声に驚いてどこかへ逃げてしまった。

 

「やっぱりここにいたんですね! 本当に猫が好きなんですねぇ、矢矧は」

「ああ、ごめんなさい。もしかして私のことを探していたの?」

 

 私は後ろで腰に手を当てる彼女の方に顔を向ける。しゃがみながら彼女の方を向くと丁度ギラギラと照り付ける太陽の方向に視線をやらなければならないため目がくらんでしまう。

 彼女は手で目の上にサンバイザーのように傘を作る私の手を強引に引っ張り上げる。何故かその手は酷く汗ばんでいた。

 

「探しましたよ! 一時間はこの照り付ける太陽の下を走り回りましたね!」

「……あの、私別に非番じゃないからすぐ招集に駆けつけられるよう無線持ってきてるわよ? まずはそれで連絡とろうとは思わなかったの?」

「へ?」

 

 彼女は慌てて自分の腰についている無線を確認してから、頭を抱えて静かにしゃがみこむ。

 

「気が付かなかった……!」

「相変わらずね」

「あはは、すみません。私バカですから」

 

 そう言いながらまた立ち上がると彼女は恥ずかしそうに笑って頭を掻いた。

 

「それで、提督からの招集?」

「あ、はい! 第一艦隊は全員至急、作戦会議室まで来て欲しいとのことです!」

「既に一時間は経過しているけれどね」

「ほんとにすみません!」

「まぁいいわ、急いでいきましょう、大和!」

「はい!」

 

 大和。この少し天然な糸目の少女のことを私はそう呼んでいた。

 八年前。私はどこにでもいる平凡な、まだ孤独を知らない、哀れで愚かな、しかしそれ故に幸せな一人の少女だった。

 

 

 




色々と書いてたら過去編導入までで限界でした。
次回から本格的過去編。

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