七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
網走番外監獄にて。





第百十三話「はっ、二度と御免だぜ!」

 

 所長室を出た私達は出口へと走る。

 幸い、ここから出口までの道順はそれほどまで複雑ではないので容易く建物を出ることは可能だろう。

しかし、私は前を走る二人。

すなわち、提督と天龍に声をかけた。

その足を止めるよう、言葉を発した。

 

「なっ! お前、状況わかってんのか!? 10分後にはあいつらが追ってくるんだろうが! なら、今は少しでもあの門に近づかなくちゃならねぇって時――――」

 

 空気が震えるほどの天龍の怒声に気圧される私を庇うように隣の提督が彼女を手で制してくれる。

 

「矢矧、重要なことでなんですね?」

 

 提督の目はまっすぐ私を見つめる。

 思わずその眼鏡の奥の瞳に吸い込まれそうになるのを抑えながら、私は大きく頷いた。

 

「まずは落ち着いて状況を整理すべきです」

「そんなことをこの死ぬほど貴重な時間を割いてまでやる気か!?」

「この死ぬ程貴重な10分で勝利の道筋を作るために! それが今、必要不可欠よ!」

「――――っ!?」

 

 今度は天龍が私に気圧される番だった。

 

「わかりました、矢矧。では、急いで作戦会議を始めましょう」

「お、お前ら、正気かよ……!」

「天龍、あなたも私達を信用すると言い切ったなら、覚悟を決めるべきよ」

 

 数瞬の睨み合いの末、天龍の方が折れた。

 

「……確かに、ただ門まで走るだけなんて考えなしで、あいつら出し抜けるなんざ俺も思っちゃいねぇよ!」

「ありがとう。じゃあ、早速、天龍、ここの刑務官は全部で何人いるのかしら?」

「網走監獄内にいるのは朝風、春風、松風、旗風の四人の刑務艦だけだ。一応所長の神風も元刑務艦だが」

「たったそれだけなの?」

「ああ、他の刑務官は新たな囚人の入獄手続き、情報収集、物資の補給だとか諸々の雑務で門の外に出払ってるらしい。それに、たった四人でも十分過ぎることはもうわかったんじゃねぇか、特に提督さんはよぉ?」

「ええ、まぁ」

 

 天龍に話を振られ、提督は苦笑いを浮かべる。

 まだ、出会って三カ月も経たないが、提督の底の知れない実力の片鱗は何度か見てきている。

 彼が何者なのか、そんなこと私にはわからないが、只者ではないことだけは確信がある。

 そんな彼が、先刻、春風、朝風、松風の三人がかりとはいえ、容易く鎖で拘束された挙句、まるで抵抗できずに無力化されてしまった。

 あの光景は、私に刑務艦の脅威を植え付けるには十分だった。

 

「正直、勝つどころか撒ける気すらしません。私では見つかってしまえば一分程度で制圧されるでしょう」

「逆に言えば一分は持つ、ということですね?」

「……そうですね。先ほどのように三人がかりで来ようとも、今度は一分持たせて見せましょう」

 

心強い。何より信頼できる言葉だ。

 

「わかりました。次に天龍、この建物以外に隠れられそうな場所、あるいは障害物が多いような場所はある?」

「いいや、基本、ここら辺は所々木が生えてる以外はだだっ広い平地だ。一応、囚人村まで行けば小屋はあるが、門とは逆側だし、そこまでたどり着く前に多分追いつかれる」

 

 なら、身を潜めながらゴールを目指すのは無理か。

 よし、私達の状況がわかってきた。

 現状、刑務艦に見つかれば逃げ切ることはほぼ不可能なうえに一分程度で全滅する可能性が高く、かつ身を隠せるような場所はない。

 成程、これではいくら門が開いていようが逃げ切れる目はない。

 うん、勝てる。

 

「天龍、確認したいことがあるのだけれど――――」

 

 

「さて、彼らは一体どうやって私達の手を逃れようとするのかしら」

 

 所長室の椅子に深く腰掛け、神風は刑務艦三名の方を見やる。

 

「はてさて……今回は神姉さんもいないことですし私達だけでは出し抜かれてしまう可能性もあるやもしれませんね」

 

 と、春風。

 

「はぁ? 別に余裕でしょ。むしろ私一人でもいいくらいよ」

 

 と、朝風。

 

「姉貴――いや、朝風一等刑務艦の肩を持つわけじゃないけれど、僕も大方同じ意見かな。取るに足らない、それだけだよ」

 

 と、松風。

 

「……そういえば旗風に知らせるのを忘れていたわね」

 

 三人の意見を聞いて旗風にこの『ゲーム』のことを伝え忘れたと気付き、面倒そうに頬杖をつく神風。

 それに対し、即座に春風が着物の裾を片手で抑えながらゆっくりと手を挙げた。

 

「では、私から伝えておきますね。五分もあれば私達と合流できるはずかと」

「ん、任せた」

 

 手をひらひらさせながら春風の提案に了承の意を送る。

 その目線は手元の懐中時計に向いていた。

 

「……時間よ。刑務艦一同、速やかに対象の捕縛に移りなさい」

 次の瞬間、まるで局所的に嵐が吹き荒れたかのような風圧が室内を襲う。

 乱暴に扉がひとりでに開け放たれたかと思えば、嵐は止み、室内からは朝風の姿が消えうせていた。

 

「……どうにも乱暴ね」

「まったくもって、優美さの欠片もないよね」

「松風さん、フォローに回ってもらえる?」

「うん、了解したよ」

 

 春風の言葉に頷くと同時に、松風の姿も一瞬にして消え失せた。

 

「春風。わかっているとは思うけれど、これは『ゲーム』。でも、やるからにはしっかりね」

「承知致しました、所長」

 

 春風はソファから立ち上がって丁寧に腰を折る。そして、まるで散歩でもするかのような緩やかな歩みで、彼女は所長室を出ていくのだった。

 

 

「ふん、三人まとめて私がひっ捕らえてやるわ!」

 

 屋敷内の柱に鎖を巻きつけ、体を手繰り寄せる。

 鎖を外して、次の柱に鎖を巻きつけ、再び体を手繰り寄せる。

 なんのことはない、ただのワイヤーアクション。

 しかし、それもここまで高速に行えば飛行しているようにしか見えない。

網走監獄刑務艦は全員がこの鎖を用いた特殊な体術を習得している。

その名も『網走鎖縛流捕手術』。かつてその流派の達人が鎖で大地を縛り、地震すら収めてみせたという神話じみた伝説の残る捕縛術である。

今朝風が行っているのはその基礎機動術であった。

 この屋敷を含めこの網走監獄内にはこうした鎖を巻きつけるための支柱がおおよそ万遍なく存在している。

 この屋敷の木柱、外には不規則に生えている樹木、囚人村の小屋だって支柱になる。

 この監獄内で最も移動速度の速い生物はこの鎖術を使いこなす刑務艦なのである。

 

「こんなのは茶番! この監獄内で私達から逃げることなんてできやしないのよ!」

 

 この先の通路は真っ直ぐ行くか、左に曲がるか。

 朝風の脳内に屋敷内の構造が明瞭に浮かび上がる。

 

「当然、真っ直ぐね。出口に近いものねぇ!」

 

 束の間に訪れるであろう勝利の余韻に既に入り浸る朝風。

 その目端が、左側の通路の僅かな影の揺らめきを捉えた瞬間、その顔から笑みは消え、その背筋は凍りついた。

 

「――今よ」

「あ、網走鎖縛流――――」

「おせぇッ!」

 

 黒点が朝風の眼前に迫る。

 それが木刀の先端だと理解したのは、攻撃を受けた直後であった。

 

「っらあああッ!」

 

 天龍の咆哮と同時に額に木刀の突きを受けた朝風は頭から壁に叩きつけられる。そのあまりの威力に木製の壁は朝風の身体を受け止めきれず、巨大な破砕音と共に大穴を開く。

 木刀を肩に乗せて一息つく天龍の横に、したり顔で微笑む矢矧の姿もあった。

 

「まさかここまで予想通りとはね」

「俺はお前以上にびっくりしてるぜ、おい」

 

 壁の向こう側まで吹き飛ばされたであろう朝風が起き上がってくる気配はない。

 そもそも天龍の感覚からして、あの感触で仕留められていないということは考えられなかった。

 握っていたものが運動用の古びた木刀でなく、真剣だったなら、確実に命を奪っている。そう断言できるだけの致命的な一撃を見舞った。

 

「まぁ、こうご丁寧に屋敷内の間取り図を置いているんじゃ、待ち伏せしてくれと言わんばかりじゃないの。普通に罠という線も想定してたんだけれど」

「ねぇよ! 間取り図一枚でこんなことになるなんて敵さんも思わねぇよ!?」

 

 矢矧が指定したのは屋敷の間取り図一枚と、天龍に武器をもたせること。丁度その両方が建物内の倉庫で手に入った。

 思いのほか時間が短縮できたので、残りの時間はたっぷり間取り図を見て、敵が辿ってくるであろうルートを絞り込み、その死角となる待ち伏せポイントの吟味に使うことができた。

 

「自分が狩人だと思っている獲物程狩りやすいものはないわね」

 

 矢矧は数分前も天龍に段取りを説明する前にそう言った。

 自分達はあの刑務艦から逃げるのではないと。

 逃げる必要などないのだと。

 戦って、全員戦闘不能にしてから、悠々と門を出れば良いと。

 

「さて、一人は仕留めたわね。次のポイント行くわよ」

「おう!」

 

 幸先の良いスタートに思わず言葉尻が浮き上がる。

 その浮足だった心の隙を射抜くかのように、それは現れた。

 

「――まったく、信じられないな。一応、追ってきて正解だったということかな」

「なっ、鎖!? いつの間に……!」

 

 天龍本人すらも気付かぬ間に、その手首を鎖が絡め取っていた。

 その鎖の先にまたいつの間にか立っていたのは松風である。

 

「姉貴の鎖術は力強くて豪快だけれど、喧しくて敵わない。僕の鎖は寝息より静かに、しかし蛇より素早く敵を絡め取る」

 

 まるで蜘蛛が巣に掛かった獲物を繭に閉じ込めるように、あっという間に全身に鎖が巻きつき、為すすべなく天龍は宙吊りにされてしまう。

 

「網走鎖縛流、繭吊――――」

「ぐ、うおお!?」

「さぁ、矢矧さんだったかな? 悪いけれどチェックメイトだよ」

「……はぁ、参ったわね」

 

 矢矧が首を振って嘆息し、両手を挙げる。

 

「ここまでやり易い敵は久々よ」

「え――――しまった、もう一人は――――っ!?」

 

 自分の身に何が起きたのか。松風がそれに気づくことはなかった。

 ただ不意に頭部を貫くような衝撃が走り、目の前の世界が歪曲し、廻り、やがて深い闇に染まっていった。

 彼女は何が起こったかもわからぬまま、倒れる。しかし、その体は提督の腕の中に優しく抱きかかえられていた。

 

「二の矢、三の矢と策を練りこむのが馬鹿らしくなってくるわね」

「良いことじゃないですか」

「私は想定以上に事が上手く運ぶことにかえって不安を覚えるタイプなんです」

「面倒くさい性格をしていますねぇ」

「は、はは……すげぇ、なんだこいつら」

 

 松風の鎖から解放され、天龍からはもう驚きの声すらでなかった。

 

「これなら本当に最後の一人も倒して――――」

「いえ、流石にそこまでは甘くないようです。空気が変わりました。こちらの動きがバレたようですね」

「あぁもう、やっとそれらしくなってきたじゃない。よし、じゃあ奇襲作戦終了! ここからは本当に追いかけっこよ、走るわよ! 天龍!」

「はぁ!? いやいや今いい感じじゃねぇか!? お前も言ったように全員ブッ倒して悠々と門まで歩いていきゃいいじゃねぇか!」

「駄目よ。この朝風と松風はあくまでも私達の奇襲に対して無警戒だったからこそここまであっさり倒せたの。正面からぶつかってたらとっくにゲームオーバーよ。というか全員倒すとか現実的じゃないわ、二人倒しただけでもかなり上出来よ」

「あ、あんな啖呵切っておいて……」

 

 矢矧は平然と天龍の提案に首を振る。

 提督も同じ意見のようであった。

 

「それに、あの春風さんは別格です。とても警戒されている状態で戦っていい相手ではないかと思います」

「ったく、余裕なのか、ギリギリなのかまるでわかんねぇな!」

「戦いってそういうものでしょ? ほらわかったらダッシュ! 三十六計逃げるにしかず!」

「それらしいこと言ってんじゃねぇぞ!」

 

 矢矧が天龍の背中を押しながら走り始める。

 それに合わせ、提督も走りだし、天龍も足を動かす他にはなかった。

 

 

「矢矧! 天龍! もっと早く走って!」

「ぬあああああああッ! 今、俺の耳元を鎖が掠めていったぁああああ!」

「あららぁ、お待ちになってくださいなぁ」

 

 背後は振り向けない。振り向いた瞬間に心が折れる確信がある。

 今、背後に迫る春風の殺気が針のように刺さりながらも、天龍達は門の手前300メートル程の所を駆け抜けていた。

 

「ぬおおおお、今度は一瞬足に鎖が当たったぁあああ! 超怖ぇええええッ!」

「うっさい! 黙って走りなさい! ぜぇ……はぁ……」

「おまっ、こんな所でばててんじゃねぇぞ!?」

「肉体労働は……私の領分じゃな、い……」

「ここ一番で頼りねぇなぁ、糞が!」

 

 ここでペースが落ちるのはまずい。

 天龍は矢矧を背負おうと腰をかがめる。

 しかし、その前に同じことを考えていたらしい提督が矢矧を抱きかかえ、速度を落とさぬまま器用に背中に乗せてみせる。

 なんだか嬉しそうに笑いかける提督と目が合い、天龍は即座に視線を前方に戻す。

 

「ニヤニヤしてんじゃねぇぞ、この非常時に!」

「やっぱりあなたは思った通りの人でした、天龍」

「どういう意味だよ」

「やっぱりあなたは『暴れ天龍』なんかじゃない。あなたは助かるべきだ!」

「……うるせぇ! 俺が一番そう思ってるよ!」

「あはは! それは頼もしい限りです!」

「ったく、能天気な野郎だ!」

 

 絶えず伸びてくる鎖の追撃を器用に躱し続け、この小丘を登りきればようやく門の出口が目と鼻の先に見えてくる。

 いよいよここまでくると本当に逃げ切れるという希望が湧いてくる。

 誰もがそう思っていただろう。

 丘を登り切った先で、門の目の前に立つ最後の刑務艦、旗風の姿を見つけるまでは。

 

「こ、ここはお通しできません! 刑務艦の誇りにかけて!」

「流石旗風さん、完璧な位置取りです」

「ここまで来て……ッ!」

「前門の虎、後門の狼というやつですか」

「ぶっちゃけ後ろは狼どころか龍に匹敵する感じがするけどなぁ」

 

 自分でも驚く程に、この絶望的な状況を前に天龍の心境は穏やかで、軽口を叩く余裕すらあった。

 

「ここまで、か」

 

 その時、天龍の右頬に弱い衝撃が走る。

 見れば、いつの間にか提督の背から降りていた矢矧の拳によるものだった。

 

「諦めることに、慣れるなッ!」

「――っ!」

「足を止めるな、肩の力を抜くな、真っ直ぐ前だけを見なさいッ! でなきゃ、あんたは始まらないっ!」

 

 矢矧の怒号が天龍の身体をのけぞらせるのではないかというほどの衝撃を与え、すぐに止まりかけた足が回転を始める。

 天龍自身も理由はわからないが、折れかけた心が、今再び立ち上がり、逆境に立ち向かう覚悟を決めたのである。

 

「あら、まだ諦めませんか。ええ、よろしいですとも、挟み撃ちに致しましょう」

 

 背後からの殺気がより強くなる。

 天龍の額に脂汗が滲むが、隣を走る提督と矢矧はまるで意に介していない。

 

「提督、分かってますよね?」

「ええ、二言はありませんとも。任せてください」

「それでこそ私達の提督です。じゃあ、行きますよ!」

 

 何の話か天龍には分からないが、矢矧と提督の間では既に段取りが付いているようであった。

 途端に、矢矧と提督の速度が上がり、二人が天龍の前を走る形になる。

 まるで天龍の盾となるかのようにさえ見えた。

 

「天龍! ただ門の外へ向かって走り抜けなさい! それ以外は何も考えなくていい!」

「私達が道を開きますッ!」

「な、お前ら、まさかッ!?」

「後門は龍に違いないけれども、前門は果たして虎かしら? 私には猫くらいにしか見えないわねッ!」

「え、全然足を緩めない……? え、まさか私に突進して? ええええええ!?」

 

 提督と矢矧の意図を察した旗風が思わぬ状況にパニックになる。

 旗風としては自分がゴールである門の目の前に陣取っていた以上、相手は諦めて降参すると踏んでいたのだから当然と言えば当然ではあるが、この想定外の事態へのメンタルの弱さと未熟さは天龍一人を通り抜けさせるには十分過ぎる隙となった。

 

「旗風さん! 落ち着いて!」

「――っ! は、はい! 網走鎖縛流、土竜縛り!」

 

 旗風の緊張に震えた声と同時に彼女の足元の地面から鎖の束が這い出て襲い掛かってくる。

 それを提督と矢矧が真正面から受け止め、そのまま体重を乗せて旗風を押し倒さんと突進する。

 二人の猪突猛進の勢いが凄まじかったのか、あるいはその覇気に気圧され鎖術の方が鈍ったか、旗風の繰り出した鎖は提督と矢矧を絡め取ったものの、その突撃を阻むことまではできなかった。

 

「ひ、ひえええええええ! お助けぇ!」

 

 二人が鎖の束と共に覆いかぶさり、旗風の動きを止める。

 

「まだです、逃がしはしません! 網走鎖縛流、縛弾!」

 

 鎖が束ねられた球体が春風の手から放たれる。

 それは門の外へ手を伸ばす天龍の背中の少し手前で大きく膨らみ、次の瞬間、爆発のようにその球体は無数の鎖をその周囲に無差別に飛ばしながら拡散した。

 本来は集団捕縛用の鎖術ではあるが、天龍との距離、鎖の拡散速度と捕縛範囲の広さから最適な鎖術を使った。ギリギリ脱獄には一歩半間に合わなかったはず。

 息を切らしながら春風は土埃の舞い上がった門周辺を見つめ、そう結論付ける。

 

「――な、なんという……」

 

 土煙が晴れて最初に見えたのは、無数の鎖に雁字搦めにされ、もはや人型の鎖と成り果てた提督の姿。

 次に、おそらくは提督に押し出されたことで間に合ったのだろう、門の外に尻餅をついてこちらを唖然と見つめる天龍の姿。

 そして、全てを察し、勝ち誇った顔で旗風の上から体をどかす矢矧。

 

「まさか、あの状況で尚も天龍さんを庇えるなんて……」

「1分は私一人で対処できると言いましたから。まぁ、かなりギリギリでしたが」

 

 春風の脱力と共に地面に落ちていく鎖を払いのけながら提督はずれた眼鏡を直しつつ、薄く笑うのであった。

 

 

「――さて、天龍には逃げられたけれど、お二人は捕まった、と」

「申し訳ありません、神姉さま。全ては私の失態です」

「そんな! 全てこの旗風の不甲斐なさが原因です!」

「いや、それを言ったら私なんてもっとダメでしょうが……」

「はは、自分の情けなさに涙がでそうだよ」

 

 再び所長室に連行され、結果を聞く神風は特に驚くでもなく静かに春風達の謝罪に耳を傾けていたが、全員が自分こそ悪いと主張するので最後には耐え切れず吹き出してしまった。

 

「各々課題が見えたようで大変結構。今日という失敗を胸に刻むことで、あなた達刑務艦のますますの練度向上に期待するわ、以上!」

「はい!」

 

 神風はそうまとめて刑務艦達を下がらせると、何も言わず座ったままの提督達を興味深そうに見つめる。

 

「さて、今後の話をしようか、少将殿、矢矧殿」

「あの、私はいいので矢矧は帰していただくことはできませんか?」

「提督……!」

「はは、それはダメですよ、少将殿」

 

 矢矧が抗議する前に神風が提督の申し出を却下した。

 

「じゃ、お二人は今日からうちの刑務官ということで働いていただきます」

「…………」

「あはは、そう怖い顔しないでください。あなた達には、監獄外での情報収集任務を命じます。期間は無期限です」

「は?」

「え?」

 

 神風の言葉に二人そろって素っ頓狂な声があがった。

 

「あれ、天龍から聞きませんでした? うちの刑務官は監獄外で任務に就いているのも多いんですよ」

「え、あの、じゃあ、もしかして七丈島に帰れたり……」

「しちゃいます」

「情報収集任務っていうのももしかしてわざわざここに来なくても」

「定期的にレポートを郵送してくれればおっけーですよ」

「よ、よかったああああああ!」

「もうダメかと思ったぁあああああ!」

 

 提督と矢矧、今日一番の脱力ぶりを見せる。

 

 

「本当に何も考えてらっしゃらなかったんですか? じゃあどうするつもりだったんです?」

「まぁ、なんとか脱獄するしかないかな、と」

「あははは! いい度胸ね! ますます気に入ったわ!」

 

 提督の傍若無人な発言に神風はかえって気分を良くしたようであった。

 

「まぁ、正直人手は足りてますしね。ただのゲームですよ、ゲーム。ついでに刑務官になってもらうことでコネクションを形成させてもらってるだけです」

「スリリングすぎるゲームでしたね」

「ええ、多少は危機的じゃないと、本性が出てきませんから。天龍を任せられる人間かどうか見極められないじゃないですか」

「私達が信用できるか試すテストというわけですか」

 

 神風は怪しく笑った。

 

「お二人が良い人なのは十分に理解しました。終始天龍を見捨てず、三人で逃げようとしてましたし、何より気絶させた刑務艦を人質に使わなかった。悪人には程遠いですね」

「ご理解いただけて何よりです」

「悪人だったら心置きなくこの監獄に一生幽閉しておくんですけれどねぇ。残念です」

 

 安堵に綻んでいた提督と矢矧の口角がその一言でひきつる。

 

「何はともあれ、あなた方になら任せられるわ。天龍をどうかよろしくお願いします」

 

 神風はそう言って、深く頭を垂れた。

 そこには本当に心から天龍のこれからの幸福を願う慈愛の心があった。

 それに対し、提督達も同様に深く頭を下げる。

 

「謹んでお引き受け致します」

 

 

「ああ、これ天龍の日本刀です。手入れはしてあるので、持ってってください」

「ご丁寧にありがとうございます」

「それと、これも」

 

 神風は日本刀を渡すのと同時に、周囲にばれないように提督の手にUSBを握りこませる。

 

「天龍をここで保護するよう要請した提督様からの預かりものです。中身は見ていませんが、何かお役に立つかと」

「……ありがとうございます」

 

 耳元で囁かれたUSBメモリの説明に提督も小声で礼を返す。

 

「では、門もこれ以上開いていられませんので。また機会があればお立ち寄りください、いつでも歓迎しますよ」

「二度と御免です」

「二度と御免だわ」

「あはは、これは残念」

 

 提督と矢矧が門をくぐる。既に一足先に門の外で待っていた天龍は門が閉まり始めると神風に一度頭を下げた。

 

「世話になった!」

「また立ち止まりたくなったらいらっしゃい」

「はっ、二度と御免だぜ!」

 

 天龍の言葉に、満面の笑みを返す神風。

 そのまま、門は重厚な音を立てて完全に閉じられ、開くことはなかった。

 

「行きましょうか、天龍」

「帰るわよ、私達の鎮守府へ」

「おう、よろしく頼むぜ! 俺の再出発、あんたらに預けた!」

 

 これが、長らく立ち止まっていた天龍が再び歩き始めるまでの物語。

 諦めることに慣れた剣士が、諦めることをやめるに至った物語。

 彼女の運命との決着までには、ここからいましばらくの時を要するのであった。

 

 




天龍の前日譚はこれにて終了となります。
次回普通のギャグ回の予定です。

更新ペースめっさ落ちてるので早いところ長編入りたい今日この頃……

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