エントマは俺の嫁 ~異論は認めぬ~ 作:雄愚衛門
彼の者は、いつこの地に降り立ったのか覚えていない。否、覚える必要がなかった。生きる為、生き延びるため、他者を喰らい、排除し、成長を繰り返すのみ。
ある日、空を割り、新天地に降り立った。場所が変わった。己よりも小さき者がひしめいていた。己の牙よりも、手足よりも遥かに小さい。小さかったが、成すことは何一つ変わらなかった。
滅尽滅相。
小さき者を、自らの腕でもって喰らい尽くした。だが、それに抗う小さき者もいた。
竜だ。
牙が生えている、空を飛ぶ小さき者たちによって、共に空を切り裂いたヤツらがことごとく排除され、己は森林奥地に封じられた。
長く長く、不自由を強いられた。食事が貧相になった。だが、己の手は動かすことができた。生き延びる栄養には困らなかった。
食事をする為の手を、複数の小さき者に討ち取られたことがあった。その時、小さき者に、ザイトルクワエと名付けられた彼は、封印を解いた暁には、小さき者を全て喰らいつくし、排除することにした。
小さき者は危険だ。危険は喰らい尽くさねばならない。自らが生きる為に、小さき者を根絶やしにする必要がある。ザイトルクワエの生存本能が、そう決めた。
手を壊されてから更に幾月が過ぎた。黒い石を持った小さき者が目の前にいた。黒い石が光った。何かをした。その何かによって、封印がほんの僅かに緩んだ。ザイトルクワエの生存本能はそれを見逃さなかった。僅かな緩みを基点に、大きく体を動かした。少しずつ、体が動かしやすくなった。それを何度も繰り返した。
そして、ザイトルクワエは己の自由を取り戻した。
だから目の前の者を喰った。目の前にいたから喰った。
持っていた黒い石ごと、丁寧に咀嚼した。小さき者は何も言わない。黒い石が何か叫んでいた気がした。それでも、ザイトルクワエには関係ない。小さき者は喰らわねばならない。まずは、周辺に生えている己に似た小さき者を喰らい尽くす。自らの腕で以って喰らい尽くし、力を得て、また小さき者を喰らい尽くす。
不覚を取らぬよう、喰らって、喰らって、また喰らう。ザイトルクワエは、力を蓄える。
己に似た者を喰らっていると、また小さき者が現れた。
「こんにちは、ザイトルクワエさん」
その小さき者は空に浮いている。まるで混沌のような色をしている。何か喋っている。だが関係ない。目の前にいるから喰らうのみ。
「少し、私と遊びましょう」
自らの腕を振るい、小さき者を叩き落とす。幾千幾万と繰り返した行為だ。
「これはこれは。急ですね」
腕を振るったのに、小さき者は何も変わらなかった。砕けていない。静かになってもいない。ならばもう一度力を込めて振るう。
「よっと……。避けるだけなのもあれなので、反撃します」
何か小さく呟いた後、フッと、小さき者が消滅した。
「ノーダメ縛りなら、先手必勝で行くべきだったかな? みんな見てるからカッコ悪いとこ見せらんないし……」
どこからともなく、小さき者の声が聞こえる。つまり排除していない。だから小さき者を探す。
探していると、足に痛みが走った。
「こういうのをなんて言ったか……。足元がお留守ですよ」
足に、何かが齧りついている。今まで見てきたよりも遥かに小さき者達が、足の隙間を埋め尽くしていた。齧りつかれる度、今まで感じたことのない程の不快感に襲われる。それは痛みだった。
ザイトルクワエは痛みを知っている。それはどれも取るに足らないものだった。だが、今はその痛みが嫌だ。牙のある小さき者や、細い線が頭に生えた小さき者、光る細い物を持った小さき者よりも、ずっと痛かったからだ。
手で痛みの元を振り払おうとする。じっと留まる小さき者を潰すことなど容易い。
「大きいって、中々不便なものですよね。隙間に入り込んだ蟲を取り除くのは難しいでしょう?」
だが振り払えない。己の足の影に隠れ、潜り込んだ小さき者達が、尚も齧りつく。ザイトルクワエの足は頑丈だ。自ら砕くのは難しい。その間にも何かを流し込んでくる。
痛みが更に増した。
大きく叫んだ。
「おや、叫び声ですか。あれ、トレントって設定的には痛みに強かったような……。それより、耐性はそれなりにあるようで。その子達は麻痺攻撃と朦朧攻撃が得意なんですよ。神経毒による麻痺と、激痛毒による朦朧です。貴方、痛覚あるんですね」
小さき者の声が聞こえる。真上だ。ザイトルクワエは痛みに耐えて反撃した。あの小さき者を排除すれば、この痛みから解放されるものと、本能的に悟った。視界が揺らぐ。それでも、自らの腕を総動員し、口内から大量の種を吐き出して攻撃する。
「ああ、やはりそういう攻撃もあったんですね。まあ所謂ノーダメージ縛りというヤツなので、全部かわしますが」
それでも当たらない。腕が当たったと思えば消え、種が当たると思えば消える繰り返し。何故か当たらない。今も、足を齧られて焼ける痛みが己を蝕む。だが、当たるまで何度でも繰り返す。腕を、種を、牙を、己の全てを以って。
「ところで」
腕を振り上げる。小さき者を叩き落す為に。
「そもそも意思疎通出来てるのか分かりませんが」
ここで、ザイトルクワエは違和感を覚えた。
「一つ言っておきます」
己の動きが。
「私の蟲は」
鈍くなっている。
「その程度ではどうにもなりません」
腕だけではない、足もだ。竜にしてやられた時と違う。手足を動かそうとしても動かない。体を動かすのに必要な何かがごっそりと取り除かれたかのように。
「異常耐性を下げる子も勿論いますので、こうなることは自明の理でした」
それでも痛みは止まない。動きが鈍る。痛い。痛い。痛い。火よりも、氷よりも、雷よりも痛い。振り払いたいのに、目の前の者を排除したいのに思い通りに動かない。動けない間にも、痛みが際限なく増していく。
また大きく叫んだ。
「おや、これは不思議だ。物理的な痛みは、麻痺によって鈍るものなんですよ、普通は。麻酔のようにね。朦朧の効果を発揮する為に、痛みも継続してるんでしょうかね? ここまでくると一方的で、傍目にも面白くないでしょうが……」
早く、この痛みを取り除きたい。一心不乱に腕を振るおうとするが、体が応えない。ぶるりと震えるだけに留まった。
「お、まだまだ動けるんですね。じゃ、おかわりといきましょう」
混沌の色をした小さき者が、また消えた。その代わり、上空から更に小さき者が降り注いだ。目の前が色の違う小さき者達で埋め尽くされた。全て、己に寄ってきた。
目の前を埋め尽くしていた小さき者達が入り込んできた。痛みが増した。更に、気持ちが悪い。体内の小さき者が這い回る。身体の中まで痛みが走り回った。口は塞がらない。小さき者が入り込んでいく。体内が埋め尽くされていく。削れていく。己が削られていく。
もう叫べない。
「まぁ、切り替えましょう」
混沌の色をした小さき者がまた目の前に現れた。
「今から、色々な状態異常を試してみます」
ザイトルクワエは生存本能のみで活動している。喰らう、生きるの二通りの本能だ。己が捕食者で、それ以外の者が被捕食者。そういうものだった。そのザイトルクワエに、生まれて初めて、別の感情が芽生えた。
「なるべく耐えてください」
それは恐怖だった。