長袖の制服に夏の日差しはキツイ。しかし艦娘の服装が全て夏冬で分かれているわけでは無いらしい。今着ている長袖制服は冬服ではなく、弥生と卯月の制服にデザインを合わせただけらしい。つまり何が言いたいのかというと……
「暑いわ」
そう呟くと同時に汗が顔を伝って落ちていった。今いるのは鎮守府の敷地内でも端にある出撃用の埠頭だ。エアコンが効いていた屋内とは違い、日陰すらない埠頭は日光が直撃し、居るだけで体力を消耗する。身に着けた艤装の重みも疲労感を加速させていた。
「わかりきっていることを改めて言わないでくれよー」
「今日は暑い日ー」
隣で深雪と子日がぼやく。表情の変化が少ない霰も気だるげな顔をしながら手で顔を扇いでいた。俺たち第八八四二駆逐隊は訓練の為にここに来ていた。しかし訓練教官を務めるはずの軽巡艦娘が現れないのだ。訓練が始まったところで暑さが改善されるわけでは無いが、せっかく来たのに何もなしというのは不満だ。
「ちょっとみんなダラダラし過ぎかもです」
旗艦と言うだけあってか、高波は行儀よく腰かけている。服装は俺たちの中でも一番暑そうだが大丈夫なのだろうか。出会って少ししか経っていないが彼女はどこか無理をしているように見える。確かにこの駆逐隊で一番旗艦に向いているのは彼女だろう。だが彼女も本来旗艦を務めるような性格をしていないのかもしれない。
*
「ごめんごめん、遅くなっちゃった。昨日寝て無くてね」
教官が到着したのは開始時間から二十分も経ってからのことだった。二つに結んだ髪にオレンジの制服、たなびくマフラー。そして格好いい服装を台無しにするようにだらしない姿勢でやって来たのは、軽巡洋艦の川内だった。艦これでは夜戦好きというキャラ設定だったが、昨晩寝ていないというのもそのせいだろう。
「じゃあ、沖まで行くよー。ついてきて」
川内はあくびをしながら海面に降り立った。眠そうにしながらもその動きは俺たちの何倍もスムーズだった。揺れる海面に降り立った筈なのに体の軸がほとんどブレていない。俺たちも続いて降りるが俺も含めて全員着地の瞬間はどうしてもぐらついてしまう。
「川内さん、今日は何の訓練をするんだ?」
「今日は砲撃の日?それとも雷撃の日?」
訓練が待ちきれないのか、深雪と子日は川内に訓練内容を聞いていた。高波や霰も口には出さないが興味はあるようで視線を川内に向けていた。俺もそれには興味がある。授業は簡単だったが訓練がそうであるとは限らない。昔読んだ小説では神通が厳しい訓練を駆逐艦に課していた。もしかしたらこの川内も同様の可能性がある。
「今日は好機を待つ訓練をするよ」
陸地からある程度離れたところで川内はくるりとターンして停止した。俺たちも停止し、横一列に並んだ。
「駆逐艦は主砲の威力が弱いから大型目標を相手にするときは魚雷を使うことになるよ。でも魚雷の射程は短いから相手に肉薄しなければならない。戦艦や空母は副砲が充実しているし、護衛も多いから近づくのは簡単じゃない。じゃあどうする?はい!そこの睦月型」
川内が説明の最中にいきなり俺を指名した。答えろということだろう。厳重な守りに固められた大型艦に接近する方法。いくら厳重な守りがあっても見つからなければ問題ない。闇に紛れれば接近の難易度は下がる。つまり……
「夜戦を敢行する……ですね」
俺が答えると、川内はにっこり笑って手を叩いた。俺が答えたことがよほどうれしいらしい。というか俺を同志を見るような目で見ている。残念ながら俺は夜戦マニアではない。
「そう!夜戦!夜戦なら小型の艦船でも大型艦を仕留められる。でも夜は見通しが悪いからあらかじめ敵を見つけておかないとこの戦法は使えない。敵を見つけるのは昼ってこと。夜戦までは敵を前にしても待たなければいけない。今日はその訓練だよ」
川内が説明を終える。しかし俺を含めて全員ぽかんとしながら話を聞いていた。彼女の言うことはわかるが、具体的に何をするのかが想像できない。
「つまり……何をすればいいんですか?」
「何もしないよ」
「え……?」
ますます訳が分からない。彼女は何もしないことが訓練だと言っているのだろうか。
「何もせず、周囲を警戒しながらじっと待つ。まあ実際には相手も動くわけだけどそこまではやらないよ」
「それって、いつまでやるんだ?」
「うーん、まあ七時間くらいかな」
川内は何でもないことの様に答えた。時間を聞いた深雪も聞き間違えたと思ったのか俺たちの方を振り返った。大丈夫、お前の耳は正常だ。そう目で合図を送ると深雪がさあっと顔色を変えた。
「七時間って、日が沈んじゃうよー!」
「晩御飯……食べられない……」
他の仲間からも不満が漏れる。俺だって嫌だ。夜更かしすると肌が荒れてしまう。いや、何で俺は肌の心配なんてしてるんだ?
「みんな何言ってんの?日が沈んでからが本当の訓練だよ?」
不満の声が止んだ。もちろん夜に訓練が行われることがうれしかったわけでは無いだろう。あっけにとられて思考が停止しただけだ。
「それって、夜も訓練するってことかもですか?」
高波が川内に聞いた。この駆逐隊の中で唯一夜戦で沈没した艦が高波だ。高波はルンガ沖の夜戦で敵の集中砲火を浴びて沈没した艦だ。結果的に戦闘には勝利したものの、高波は四隻もの重巡洋艦、護衛の駆逐艦と一隻で戦うこととなった。彼女が夜を苦手とする原因は間違えなくこの戦闘だろう。
「もちろん。戦闘の本番は夜だからね」
「でも……やっぱり基本の昼の戦闘から始めた方が良いかも、です」
「えー、そうかなあ」
深刻な顔で言う高波とは対照的に、川内は能天気な調子を崩さない。夜戦が嫌いであるということ自体が信じられないのか、それとも高波に気づいた上で無視しているのか。いずれにせよ川内は夜間の訓練をやめるつもりは無いらしい。
確かにここは軍隊。個人のトラウマが優先されるような場所では無いかもしれない。それでもやはり初訓練が夜だというのは非常識ではないだろうか。
実際に戦争を生きていない俺が口を挟める話ではない。昨日はそう言って遠慮していたが、本当にそれで良かったか。ここに配属されてから一番親切に接してくれた彼女に対してこのまま何も返さなのか。
「やっぱり訓練は昼から始めた方がいいと思います」
気が付けば声を出していた。自分でも驚いたが大丈夫だ。川内の事はよく知ってる。それこそこの駆逐隊のなかの誰よりも詳しいだろう。川内に言うことを聞かせる最も簡単な方法、それは夜戦に誘うことだ。
「お願いします。その代り、今夜私と夜戦しましょう」
『夜戦』という言葉を聞いた川内の耳がピクリと動く。やはり反応している。
「ふーん、そういうこと……。いいよ」
川内は俺を見てニヤリと笑うと言った。作戦成功だ。そう思って喜ぶ俺に川内はもう一言、致命的な一言を付け加えた。
「夜戦で私を『満足』させたら、これからの訓練メニューを考え直してあげるよ」