さんさん日光。
強烈な太陽光がプールに降り注ぎ、揺れ動く水面が光を乱反射する。
流行りの曲がかかる園内は人でごった返して大盛況で、流れるプールの上に浮かべたバナナ型の浮き輪の上にうつ伏せになった島風――私と瓜二つの双子の……姉?――がゆらゆらと体を上下させてぼうっとしているのを、私はプールサイドから眺めていた。
『シマカゼ』
やがて島風が向こうの方へ流れていくと、後方から優しい声が投げかけられる。
振り返れば、水着姿の朝潮がいた。両手に飲み物や食べ物の入った容器を持っていて、隣まで歩いてきた彼女は一つを私に手渡すと、流れゆく人達を眺めた。
きゃあきゃあと、黄色い声。
楽し気な声が暑さを緩和して、胸にくすぐったさと喜びをもたらす。
手の内で冷えるジュースに口を付けて唇を湿らせていれば、ふと朝潮が身を寄せてきた。
窺えば、目を細めて空を見上げている。その視線の行方はどうやら太陽みたい。
どういった理由かはわからないけど、彼女は太陽を見つめていて……そして私も、太陽を見ていた。
太陽みたいに輝いている綺麗な女の子の事。
光の輪が下りる黒髪が愛しくて、小さな横顔に今すぐ口づけしたくなるような、そんな気持ちを持て余す。
つつっ、と空色の瞳が私に向けられた。こぢんまりとした割れ目の口が花開く。
どきっとする。
彼女は子供なのに、その動きはとても色っぽくて……いつだって私の胸を掻き立てて、ときめかせた。
『あの太陽では、恐ろしい怪物が焼かれ続け、今でも死と再生を繰り返しているのだとか』
……。
彼女が口にしたのは、十年くらい前に私が吹き込んだ話だった。
もちろんその出所が私な事くらい朝潮は覚えているだろう。
だからこれは、なんの気なしに出てきた特に意味の無い台詞で、なので私は微笑んで「そうだよ」と答えた。
『そろそろあの子を呼び戻して、お昼にしようか』
『そうしましょう!』
笑いあって、それから、並んで歩き出す。
じりじりとした夏の暑さの中でも、彼女の体温ははっきり感じられていて、そして心地良かった。
◆
「ふう、ふう」
「ふひー」
中腰姿勢でもう何十分経ったか。
数束纏めた若緑の苗を左手に、私は田植えに勤しんでいた。
両足は泥んこ塗れで重く沈んで水の中。支給された半そで半ズボンは汗みどろで、腰なんかはそろそろ悲鳴をあげそうな具合。
炎天下とはいかないまでも、きつい日差しは水につかないよう一つに縛って纏め上げた髪まで汗に濡れさせて、額に浮かんだ玉の汗を右腕で拭った。
「なあんで、私まで、こんなことぉ」
泣き言を言うのは、私と同じ格好をして隣に並ぶ川内さんだ。彼女もまた田植えを強いられ……いや、自主的に頑張っている。
「しかもこんなのまでつけてくれちゃってさぁ。ヒドイよねぇ、この島から離れたら、ドカン! だってさ」
チャラ、と首輪に触れる川内さん。鍵穴のついたハートの錠前がチャームポイントなそれは、私がこの田植えに立候補して、ついでに川内さんを巻き込んだ時に開発された爆発物らしい。うーん、どう見ても艦娘保護機能。
しかしそれは自業自得の賜物だ。捕虜として収監されている間もどのようなジツを使ったのか、抜け出して情報収集に勤しんでいた彼女の所業はつい先ほどあっさり綾波さんにばれ――綾波さん、またまた特大の溜め息を吐いていた。凄い苦労人だね――牢に入れておくのが無意味ならば労働力として使ってしまえ、と、こうして駆り出されるに至った訳である。
それで、ええと、なんだっけ。首輪なんてヒドイって?
そうかなー。そんなこれみよがしに"はあとまあく"つけたお金かかってそうなごっつい首輪をプレゼントされるなんて、これってもうアレしかないよね。
アレ。
「愛だよ」
「愛かー」
むぅっと目を細めて汗を流す川内さんにてきとーに答えつつも手は止めない。
一つ植えては綾波さんのため、二つ植えては私のため、三つ植えてはアギトのため、四つ植えては人間のため。
そうそう、私はただの人間だ。もうすぐ高校生な現役女子中学生。若々しくてまいっちゃうね。若かろうが腰は痛むけど。うー、腰が痛くなるのは夜だけで十分。
「あとどんくらい? うげっ……まだ半分」
「半分とちょっと。もう一息かな」
「もおー! 全身汗でベットベトだよ。綾波めぇ、機械使いが荒いんだから」
言葉通り、川内さんの服は汗濡れで体にべったりくっついている。健康的な細いラインがくっきり見えて、実は少しだけ目のやり場に困ったり。私、朝潮一筋だけど、女の子が嫌いな訳ではないのだ。綾波さんとか川内さんとかかわいい子見ちゃうとドキッとしてしまうくらいは許されるよね。
しかし私の下心は許しても川内さんは許してくれなかったみたい。
私の視線に気づいた彼女は目で弧を描いて口の端を吊り上げた。面白い事を見つけたぞ、とでも言いたげな顔。
「ふぅ、あっついなぁ」
わざとらしく熱っぽい息を吐きながら泥濡れの手でシャツの裾を摘まみ、そろりと捲る川内さん。眩しい肌色が覗いて、思わず釘付けに……。
……いや、ならないから。そういうのシマカゼには効かないんだから。
「ちぇっ、ノリ悪いよ新人」
「どこでそういうの覚えてきたのか知らないけど、田植えは遊びじゃないんだよ」
思うような反応を返さなかったために拗ねてしまった川内さんにお説教しつつ、露わになったままの横腹を三回くらい盗み見た。細い。綺麗。太ももだって眩しい。うー、どきどき。
自分のとか朝潮のとかで慣れてるつもりだったけど、ちょっと年齢が違うだけで雰囲気変わっちゃうんだから、人間というのは神秘的で敵わない。
えっちらおっちら自分達の担当の区間をやり終え、同じく田植えをしていた熊野や鈴谷と合流してその場で各々休憩を始める。なんと、慣れない労働で小腹が空くだろうからと食べ物が用意されていた! シンプルな塩おにぎりとお茶だったけど、疲労が溜まり火照った体には最高のごちそうだった。キンッキンに冷えたお茶は時にコーラに勝るのよ。格言。
「建造されていきなりこんな仕事だからびっくりしちゃうよねー」
「だよね! 私らはここで生まれた訳じゃないし、そもそも私は捕虜なんだけど、綾波サンはお構いなしって訳で。こき使われるぅ」
「まあ、でも、悪くはないですわね。戦い以外で活躍するというのも」
地味ではありますけど、とくすくす笑いをする熊野。
この基地にいる川内とは違う、いわば偽物の川内相手に最初は警戒していた二人の艦娘も、同じ汗を流した相手で同じ飯を食べたとくれば、自然と笑い合えるくらいになっていた。穏やかな雰囲気はまるで長年一緒にいた仲間同士みたいで、それはきっと、彼女達が生まれたてであるのが原因なのだろう。
ほら、意識を持って過ごした期間が短いから、その分今こうして一緒にいる時間が濃密に記録されているって感じで。
ちなみに彼女達が畑仕事やら田んぼいじりなんかを任せられている理由は至極単純で、自分の食い扶持は自分で稼げの理念の下に水田に放り込まれたらしい。
働かざる者食うべからず。戦前かな? いや、戦争中だったね。こっちの世界の戦争はいつ終わるんだろうか。
「この後は自由に行動していいって言われてるんだけど、何すればいいんかねぇ」
「綾波さんに指示を仰ごうにも、少し遠い方の田んぼの修繕に行っているらしいですし……」
「それじゃお風呂入ろうよお風呂。一回さっぱりしなくちゃなんもできそうにないよ」
「うん、じゃあそうしよっか。その後はー……」
「こうしてもう一度集まって、もう少しお話する、というのはどうでしょう」
もぐもぐとお米を噛みしめながら三人の話を眺めていれば、熊野に同意を求められたので頷いておいた。特に否はない。私にも他にやる事は思いつかないし。
ただ、何かしら手を動かしていないと気分が落ち着かないだけで。
『強大な敵を倒す事で元の世界に帰れるのでは』という微かな期待はレ級を倒しても何も起こらない現実によって潰えて、もはや何をどうすれば良いのかわからない私には、誰かの指示に従って動くくらいの事しかできない。
だって手がかりがなんにもないのだ。
何を倒せばいいのか、どんなものを集めればいいのか、どのような言葉が必要なのか……一切わからないし思いつかない。完全な手詰まり。私はあと四手で詰む。
あっちでは友達と恋人が待っているってのに、暢気におにぎりを齧るくらいしかできないなんて、ほんと情けなくて笑っちゃうよね。
しかしうじうじしてたってそれこそ何も始まらないので、一息におにぎりを飲み込んで、お風呂へ向かうみんなに続いて移動を開始した。
◆
お風呂に入ってさっぱりした私は、一度部屋に戻って元の制服に着替え直し、少々の休憩に入った。
ベッドに腰かければ、ちゃっかり同居人と化している川内さんがすかさず隣に腰かけてきてギシリと揺らした。
「どうよ新人。ここにはもう慣れた?」
タオルを首にかけた川内さんは、まるで先輩艦娘のような口ぶりで話しかけてきた。
おかしそうにしている顔を見れば、それがおふざけの演技である事がわかる。
黙ってじーっと見上げていれば、川内さんはもう一度腰を落としてスプリングを軋ませると、いつもと同じ笑顔で問いかけてきた。
「また悩み事?」
「……まあ、そんなところ」
鋭く私の胸の内を指摘してくる川内さんに、緩く息を吐いて自分の膝に目を落とす。
昨日の夜、私はちょっとだけ川内さんに自分の事情を話した。
話の流れで、ほんの少しだけ。
私がどこから来て、どうしたいのか。
何を思っていて、何がしたいのか。
だからだろうか、悩みがあるのと問われて、すぐに相談する気になった。
「何すればいいのかわかんなくなっちゃって」
「どうして? 綾波のやつは色々計画立ててるみたいだよ」
「ほんとかなぁ。綾波さんなんにも言わないから、よくわかんないよ」
「ふぅん……」
わからない、と答えた事が意外だったのか、川内さんは納得いかないように頷いた。
あんたら結構親し気に話してたじゃん? と言われても、うーん、たしかに趣味の話で盛り上がりはしたけど、それだけじゃ全部わかる事なんてできっこないよ。
「じゃあさ」
ギシリ。
軋む音とともに体を寄せてきた川内さんは、私の顔を覗き込むようにして覆いかぶさってきた。
顔にかかる影のせいか、いつもと同じはずの笑みが妖しく感じられた。
「代わりに……私の事、もっと知ってみない?」
伸びてきた手が頬に添えられて、すりすりと擦られるのをくすぐったく思って身を捩る。至近で見つめ合った彼女の吐息は、熱いのかそうでないのかわからなかった。
「そうすれば、あなたのするべき事も見つかるかもね?」
「それは……」
さらに近く、顔が寄る。揺れる錠前が澄んだ高い音を発した。
はっきりと頬に息がかかる感覚がして、私は困ってしまって目を伏せた。
そんな事言われたって、元の世界に帰る方法を考えつけるとは思えないんだけど……彼女はどうやら私に自分の事を知ってほしがっているみたいだから、無碍にはできなかった。
暫くの間口をつぐんで身動ぎしないでいてみたけど、川内さんがどく気配はない。
ずーっと吐息がかかるのに我慢できなくなって、何かを言わずにはいられなくなった私は、とりあえず今の悩みの原因を話した。
「あー、
「うん、そう。どこかでレ級は特別な敵だって確信してたから、当てが外れて残念だなぁって」
お悩み相談が始まれば、ようやく彼女は私から退いて横に座ってくれた。
それでもほとんど密着していて、微かな汗が混じり合ってしまうくらいだったけれど、これくらいの距離感なら大して気にならなかった。
「でも、本気で帰れる! って思ってた訳じゃないから、大ショックって程ではないかな。ただ、もう誰を倒せばいいのかわかんなくなっちゃって」
レ級じゃないなら、どの深海棲艦を倒せばゲームクリアになるのかな。
姫級? 水鬼? それとも深海棲艦を根絶やしにすれば私の役割は終わるの?
それってどれくらい時間がかかるかな。一年? 二年?
……そんなに待てないよ。私の青春がかかってるんだから。
「だから、本当は今すぐ帰りたいんだけど……」
「けど、倒す相手が見つからない、と」
後ろに両手をついて体を伸ばし、天井を見上げる。電灯の真っ白い明りは目に痛くて、そっと隅っこの方に目を逸らした。
「甘いなぁ新人。見落としてるよ」
「見落とし? ……何を?」
不意に笑いながらそう言われて、少しムッとしてしまった。
こんなに頭を悩ませてるのに見落としなんかあるもんか。そう思って川内さんを見れば、にっこり笑顔に出迎えられる。
「誰を倒せばいいのか、なんていいながら、自分で相手を絞って限定しちゃってるじゃん」
「え?」
相手を……限定?
その相手というのは深海棲艦の事だろうけど、しかしそれら以外に倒すべき敵なんて……ロイミュード?
目の前の
彼女達を撲滅する事が帰還に繋がるというのだろうか。
「もしくは……」
ギシ、ギシ。
這いながら足までベッドの上へ引き込んだ川内先輩は、ゆっくりと私の後ろへ回り込んで、しなだれかかってきた。
柔らかな肌がほとんど全部密着するように、腕に首を回してもたれかかってくる。
彼女の首輪の鉄の部分が肌に押し付けられて、冷たかった。
「新人がこの世界で最初に出会った子が、倒すべき相手かも……」
耳元で囁かれた言葉に、目だけで後ろを窺えば、彼女の横顔がすぐ傍にあった。
何を考えているのかわからない、ずっとおんなじ笑顔。
……ああでも、何考えてるのかわからないのは、綾波さんも同じか。
「……それって」
「さあてね? でもありがちじゃん、そういうの」
案外最初に出会った敵がラスボスだ、とか。
……でも、私がこの世界で最初に会ったのは。
私が、最初に目にしたのは。
「本気で帰りたければ、そいつを倒しちゃえばいいだけじゃん」
甘い囁きに耳が痺れる。
「なんなら……」
それは、単純に息を吹きかけるようにして話されているからで、そこに特別な感情はないはずで。
「手を貸すよ、友人」
親し気な彼女に、私は――。
「さ、そろそろ行こっか。いつまでも二人を待たせちゃ悪いしね」
ぴょんとベッドから飛び降りた川内さんが出入り口の前で振り返って呼びかけてくるのにゆっくり頷いて返し、私もベッドから下りる。
それから、廊下に出た川内さんの後を追いながら、耳に手を当てた。
妙に、耳の奥に彼女の声が残っている……気がした。