他所様の建物……艦娘が住まう場所ってのはなんだか新鮮で、でもどこか懐かしくもあった。
綾波に案内されるまま、私は昔に思いを馳せて敷居を跨いで……あれっ、と首を傾げた。
どうも、違う。
すんごい違和感。
その正体は、たんにここが私が昔過ごしていた鎮守府とは違う場所ってだけの話で、勝手に期待していた私は意味もなく落胆した。
どうしてそんな気持ちを抱いたのかは自分でもわからなかったけど、せっかく招いてもらっておいて暗い顔すんのは失礼だってくらいはわかる。
ので、にっこりスマイル。参考は農家な那珂ちゃん。
どーよこの万点スマイル。私も女の子だかんね、これで男の子とかイチコロっしょ。
……あ、前世(?)は男の子だったとか、そういうのはもう忘れた。
今は朝潮に恋するただの女の子なのだ。男であった私、つまり福野翔一とかいう人はもう欠片ぐらいしか私の中に残ってないって訳で。
さて昼食。
食堂は、やはり私の記憶の中にあるものと違っていた。
そりゃ別の施設なんだから当たり前なんだけど、雰囲気が似てるから勘違いしちゃうんだよなあ。調子が狂う。
あー、調子が狂いすぎて出された野菜炒めからピーマンを退けてしまうー。
いそいそ。
「何やってるんですか」
お隣にぴったりくっついて座っている綾波さんが、心底呆れ果てたみたいな溜め息を吐いた。
「ピーマンは残す、それが艦娘だ」
「………………艦娘にそんな常識はありませんよ」
あっ、綾波さんが凄いジト目になっておられる……艦娘時代にも見た事ない顔だ……。
綾波はどの子も基本的におだやかな性格で喜怒哀楽の喜びと楽しい以外は滅多に表情に上らないから、珍しいものを見た気分だ。
なのでそんな綾波さんにはピーマンを進呈しよう。よきにはからえーみなのしゅー。
……さすがに、そんな死ぬほど失礼な真似はしないけどね。
出された物は残さず食べる。それが人間のルールだ。常識ってやつ。
ただ……私は本当にピーマンが苦手で、……いや、アレルギーとかそういうのではないんだけど……でも……。
うーん、泣きそう……。
「はぁ……仕方ない人ですね」
「あっ」
お箸を握り締めてむんむん唸っていたら、横から伸びてきた手にお皿を取り上げられてしまった。
何をするかと思えば、代わりにピーマンを食べてくれるらしく自分のお皿に取り分けている。
……なんだ、神か。
「………………。……サラダの方の面倒は見られませんよ」
山と積まれたピーマンを見下ろす綾波さんは、抑揚の無い声でそう言った。
あれっ、ちょっと怒ってる?
怒らせるような事は……してるね、うん。
……う゛っう゛ん。おほんおほん。
気を取り直してご飯をやっつけちゃうとしよう。
大丈夫、私パプリカは食べられるから……。
ひーん、苦いよう。
ちらっと横目で見た綾波さんはもりもりピーマンを食べていた。
……意外と美味しそうに食べるもんだから、ちょっと食い意地が張って一つ分けてもらった。
自分から退けた癖してねだるなんて、とんだ気分屋さんだと呆れられてしまったけど、無事炒められたピーマンは彼女のお箸から私の口へ、どーん。
つら。
◆
お腹も膨れて、食休みだー、とゆったりしていたら、数分もせず案内が続行される事となった。
おっと、そうか。艦娘は食べてすぐ動いても平気だもんね。長い事人間やってたからすっかり忘れてたけど。
「……はい、ここが我が前線基地を支えてきた工廠です」
「ほへー」
お次にやってきたのは工廠だ。
夕張さんの工廠とも明石の工廠とも違った印象を受けるその場所で、綾波さんは実際に稼働しているところも見せてくれると言った。
……え、建造とか開発する場面を見られるの?
それは驚きだ。私の世界では、そういった技術は妖精さんが隠れてやるために誰も見る事の出来なかった、いわばブラックボックス的な部分。
俄然興味がわいてくる。
「では取り敢えず、最低値で……10回ほど回すか」
中央奥にある二つの機械に言葉通りの資材を投げ込んだ綾波さんは妖精さんに軽く指示を飛ばした後――私とか那珂ちゃんとかに向けるのとは違った言葉遣いだった――、私の横へ来て待機した。
最低値かー。失敗も
とか思ってたら、10回とも成功した。
おっきな艤装がぽんぽこ吐き出されるもんだから、私はまたびっくりして、どうして最低値なのにあんなのが出るのか、と彼女に聞いてみたのだけど、それはよくわかっていないらしい。
……艤装どころか、自転車みたいなのも出てきたんだけど……ええ……なんだこれ。
技術が高いと聞いてはいたけど、それは相応の資材を使ってとか、時間をかけてとか思ってたんだけど、随分お手軽にぶっ飛んだものが出てくるんだね。
……そこのでっかい椅子はなんだろう。……マッサージチェア? そっちはテレビ? ブラウン管なんてひっさしぶりに見たねぇ。骨董品みたい。
「あの、大丈夫ですか?」
「……え、うん」
ちょっと理解の範疇を越えていたので考える事を放棄していたら、綾波さんに心配されてしまった。生返事をすれば溜め息を吐かれてしまう。
いや、仕方ないじゃん。変なんだもん。
懐かしい気分全部ぶっ飛んだよ。
「ふむ……どうです、シマカゼ。ゲームでもいかがですか?」
ちょうどテレビも出ましたし、と、妖精さんの手によって運ばれていく物を指しながら提案してくれた綾波さんには悪いけど、丁重にお断りさせていただいた。
これは純粋に、私がゲームとかする気分じゃないってのが原因。
だって私今、常に非常事態だもん。
いちおう、きっとここにいる誰より年配だろうから平静を装ってはいるけれど、ひょっとしたらぽろっと涙が出てきちゃったりするかもしれないような精神状態だったりするのだ。
元の世界に戻らなきゃ、って考えは、黙って廊下を歩いていた時もご飯を食べていた時も綾波さんと話していた時も、ずっと頭の中にこびりついていた。
当然だよね。
私には私のやる事があって、時間があって、そしてここは私のいるべき場所じゃない。
私の生まれた理由はもう果たした。深海棲艦は全部倒した。
今さらでしゃばってどうこうするような理由は私にはないのだ。
でも、そんな事言ったってどうしようもないのはわかってるから、だから、じゃあ今を楽しもう、ってなってる訳で。
「不要な気遣いでしたね。では次は建造を……」
すぐ話を別の方に向ける彼女に、笑みを浮かべる。
不要ではないよ。その気遣いは嬉しいし、実際心も軽くなる。
綾波さんの口調が変わった時、なんだか嫌な感じもしたんだけど……気にする事もなかったな。
だって、良い人だ。人の事を考えられる、優しい子。
「……君のためにこの世界を救うのも、悪くないかな」
「はい? ……あ、出てきましたね」
聞こえるか聞こえないかくらいの声量で吐息と共に発した声は、建造に成功して現れた鈴谷と熊野に気を取られた彼女の耳には届かなかったみたい。
私も言ってから気恥ずかしくなったから、聞こえてないみたいで良かった、かな。
「お疲れのようですし、この辺でいったんお開きにしましょうか。その後の予定は追って連絡します。まずはあなたに割り当てる部屋に案内しますね」
「うん、お願いします」
鈴谷と熊野との挨拶を終え――私は部外者なので、隅っこに寄って見学していた――、寝床への案内。
午後いっぱいも何かするつもりのようだけど、少し休憩させてもらえるみたいだ。
……いや、やっぱ休憩はいらないかな。
一人で静かに、なんてしてたら、またヤな事ばっかり考えちゃいそうだもん。
私、ちゃんと元の世界に帰れるの? 二度と朝潮と会えないなんてなったらやだよ、とか。
……その時はまあ、死ぬからいいよ。あ、ここの人の迷惑にならないように海の上で自分の頭吹っ飛ばす感じで……いや、深海棲艦を巻き込んで自爆するくらいはやった方が良いかな。
なんてね。
帰れない訳がない。この私が、やり遂げられないはずがない。
大丈夫、私は絶対に帰れる。
だから、死ぬなんてくらぁい考えはぽいぽいぽいのぽい、だ。
「…………」
ぐっと拳を握って決意を新たにしていれば、横を歩く綾波さんがじっと私を見ているのに気が付いた。
……えへ。暗い気持ち、ばれちゃったかな?
「ぴょんぴょんっ。綾波さぁん、はーやっくおーへやっに行ーきたーいなっ♪」
「はぁ……元気そうですね」
頭のリボンに手を添えて、ウサギみたいにぴょんぴょんやったら、彼女は呆れ気味に顔を前に向けた。
どうやら勘付かれてはいないみたいね。
うんうん、それが良い。
そうそう、私はもっと、元気でいなくっちゃね。
ちょっと気分が上向きになってきたので、スキップなんかもしてみちゃったり。
……って、綾波さんより先に行っても、道わかんないんだから意味ないじゃん。
……アホであるとは思われたくないなー。反省。