島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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前話に加筆修正してあります。



次回の更新は2月25日か2月26日かな。



第六十話  変貌

 雪の合間を飛ぶ艦載機達が、疲れ果てた様子でそれぞれの主の下に戻っていく。

 

 倒した敵の残骸が集いに集ってできたのが、あの山のようなイ級……。

 聞こえてきたみんなの声を鵜呑みにするなら、奴は、そうして出現した……らしい。

 夜を呼ぶ巨大な、いや、超巨大な深海棲艦の出現。誰しもが呆けていて、だけど、奴が動き始めた事により起こった高い波に、正気に戻らざるを得なかった。

 転ばないよう身を丸めて波が過ぎ去るのを待つ。巨大なイ級は、生まれたてのように動作が緩慢で、なのにそれだけで脅威になっていた。体勢を乱されれば移動もままならない。だがあの巨体ならば、どれだけ砲撃が下手でも当てる事ができるだろう。

 そのためには接近しなければならないが……いったいどれほどの距離があるのか、遠近感が狂ってしまってよくわからなかった。

 足下を何かが通っていく。

 黒や焦げた色の鉄……火を残す敵艦載機の残骸や、ヲ級やル級の体の一部が不自然に流れていく。

 誰に聞かずともわかった。それらの行き先は、あのイ級なんだって。

 

「なに、あれ……」

 

 よろけながらも隣に寄って来た吹雪が、完全に気を取り戻せていないのか、力の入っていない声を発した。

 あれが何か、か。姿だけならイ級だけど、あんなでっかいの、今まで確認された事はないし、というかあれは本当にイ級なのか?

 目を凝らせば、奴の体表には複雑な線模様が走っているのが見える。遠くからだと線に見えるだけで、おそらくは近くで見上げれば、深い溝となっているのがわかるだろう。そういうの、なんて言い表せば良いんだっけ。

 

『継ぎ接ぎ?』

「そう、それ。継ぎ接ぎ」

 

 胸の中に響いた島風の声を繰り返すように口にする。寄り添っていた朝潮は、イ級の姿を眺めながら頷いた。彼女もそう思ったみたいだ。

 

 幾度となく波が過っていく。残骸が海を流れ、奴の体に吸収されていく。

 ……まだ大きくなるつもりなのか?

 もはや一メートルや二メートル大きくなろうとも、輪郭を見るだけでは判断できないでかさになっているが、なんとなく、そんな予感があった。

 奴は貪欲にこの海に漂う残骸を取り入れ、巨大化しようとしている。それでどうするつもりかは知らないが……なら、俺達のやる事は一つだ。

 

「そうなる前にぶっ壊せ、ってね」

「第一、第二主砲、斉射始め!」

 

 数いる艦娘達の中心で、誰かが砲撃した。ぐんぐん空へ伸びていった幾つかの砲弾が巨大なイ級の額に当たれば、奴は僅かに仰け反り、しかし、それだけだった。

 複数直撃で得られた成果は、ただ少しだけ奴の装甲を剥がしたくらいで、ダメージらしいダメージはない。イ級は水色に光る瞳を揺らして、たぶん、俺達を見下ろした。

 ……あれ? ここからでも、零れ落ちる黒い塊――奴の装甲?――が結構はっきり見えるんだけど……ひょっとしてあれ、かなりの大きさなのでは……?

 予想は的中した。高い水柱が上がり、付近の艦娘が弾かれるのが粒のように見えた。

 あれでは攻撃なんかしたら間近にいる艦娘の身が危ない。みんなただでさえさっきの戦いで消耗してるのに……!

 だからといって、奴から離れようとするのも難しい。そうするためには、全艦娘が後退の意思を持って、まず俺達のいる最後列から下がっていかなければならない。それには非常に時間がかかるし、何より奴の巨体なら、数メートル数十メートル離したところで身動きで追いつかれてしまうだろう。

 ……けど、攻撃しないなんて手はもっとない。あんなのを野放しにしておけない。

 どうしよう。どうしたらいいと思う? 朝潮!

 

「……近付かなければ、話になりません」

「でも、あんなのに攻撃されたら、ひとたまりも……ないかも」

 

 弱音を吐く吹雪に、朝潮は言葉を返しはしなかったけど、目を伏せて俯いた。

 たしかに不用意に近付きたくないな。体当たりだけで粉微塵にされそうだ。ただ、朝潮の言う通り、ある程度近付かなきゃ俺達の砲では届かないし、魚雷は誤爆が怖いし。……もう一回、改二になれれば、朝潮か吹雪を抱えて飛んでいけるんだけど……体、持つかなあ。

 鎖骨の下へ手を這わせれば、横一文字を描く疵痕はでこぼこして、血は止まり、固まり始めているようだった。これなら飛翔したって、失血死なんて間抜けな最後を迎える事はないだろう。ただ、弾薬はまだしも燃料がどれくらい残ってるか、ちょっとわからない。感覚的には半分より下ってくらいだけど、なんか体に力入んないし、というか体中痛いしで、あまり無茶な事はしたくなかった。

 今無茶せずいつ無茶するんだって話だけどね。

 つまりはまあ、俺の体の事はどうでも良い。島風には悪いけど、みんなを守るためなら、シマカゼは死ぬ気でやらせてもらうとするよ。どうあっても死ぬ気はないけどね!

 ひゅ、と息を吸い込み、強張った体を伸ばし、両腕を左右へと広げる。強い風が背中から吹き付け、瞬間的な加速感の中で瞬時に改二への改造を終えれば、酷い頭痛に襲われた。

 

「シマカゼ……?」

「島風ちゃん、大丈夫!?」

 

 思わず額を押さえれば、二人の心配する声。……いや、朝潮は心配するというより、戸惑っているといった方が正しいかな。たぶん、この状況で俺が改二になる事を選択するのはわかっていたのだろう。

 二人を手で制して顔を上げる。頭痛はほんの一瞬のみのもので、今はもう何もなく、やや脳が重いってくらいだった。

 うん、大丈夫そう。いける。いけるって。

 

「よーし、私の体、頑張ってよね」

『だーいじょぶ! まっかせて!』

 

 小声で気合いを入れると、島風の能天気な合いの手が入った。いつでもこんなんだから、調子狂っちゃうよ、もう。

 息を吐けば、喉の奥に鉄の味。結構長い事立ち止まってたはずなのに、まだ肺が疲れている。痛む胸に、胸元の服を掴んで握り締めながら、曇天の空を見上げた。

 暗闇の向こうに浮かぶ黒い雲。はらはらと降る冷たい結晶。

 

「待ってください」

 

 顔を見ずに朝潮の腰に手を回そうとすれば――抱えて飛ぼうと思った――、待ったをされた。拒絶されたのかと彼女を見れば、朝潮は鋭い目つきで巨大深海棲艦を眺めていた。

 と、暴風。

 

「きゃっ!」

「む、掴まって!」

 

 引き込まれるような風に激しくはためく服。よろめいて、そのまま飛ばされそうになっている吹雪へ呼びかけながら、艦橋をがっしり掴んで引き寄せた。言葉選びを間違えたが、彼女を留める事ができたので良しとする。すぐ傍に立っていた朝潮は腰を抱き寄せて手放すまいと力を籠めておく。

 

『―――――ッッ!』

「ぅいっ!?」

「っ!」

「~~~~!!」

 

 キィィ、と耳の奥が震え、裂けるような痛みに襲われた。二人に手をかけている関係上耳を塞ぐ事ができず、もろに巨大深海棲艦の咆哮を受けてしまう。と、バチリと左腕に電気が走った。カンドロイドが火花を散らせている。というか、掴んでいる吹雪の艦橋も表面に電気を這わせ、黒煙まで上げ始めた。

 まさか、今の咆哮が原因?

 

「どうやら、そのようです」

「うわ……」

 

 朝潮の声に前を向けば、どの艦娘も装備や艤装から煙やらを(のぼ)らせて、困惑していた。う、俺のブースターユニットまで……!

 翅を噴かせて確認してみようとしたけれど、背部の艤装からは桜色の光の欠片がぱらぱらと落ちるばかりで、思い通りに動かせそうになかった。

 ……飛んでなくて良かった。空中であれ食らって飛行不能になってたら大参事だ。朝潮が声かけてくれてなきゃ、そうなってたよね。……ひょっとして、こうなる事がわかってて……な訳ないか。でも、最初の暴風――たぶん、奴が息を吸い込んだ時の副産物は察知できていたのだろう。

 困った……これじゃ飛べない。奴の下まで向かえない。

 姿は見えてるのに手が出せないってのは歯痒い。

 でも、なんとかしなきゃ、みんなが。

 イ級が口を開け、暗い口内から砲弾を吐き出す。大気が震え、空気が穿たれる。あれ、砲弾なんて大きさじゃない。というか、砲弾じゃない!?

 ボロボロと何かを零しながら、球状の黒い塊が艦娘達の上空へ届くと、まるで耐え切れなくなったみたいにばらばらになって降り注いだ。

 あれ、奴が取り込んでた残骸だ!

 雨のように降り注ぐ様々な物が艦娘を襲う。普段ならそれしき避けるか跳ね返せるだろうけど、ほとんど密集していて、かつ消耗している今では、下手すれば致命打を受けてしまうだろう。

 巨大なイ級は一発に留まらず、連続して三つ、同じ塊を吐き出した。そうするたび、奴の体がもぞもぞと動いて縮まっているような気がしたけど、そんなのを気にしている余裕はなかった。

 たくさんの悲鳴が上がる。どんな原理か、艤装の使えない今、一方的にやられるしかなかった。

 波のように、みんなが移動を始める。ばらけて! 誰かが叫んだ。もっともっと広がって! 呼応するように、他の子の声。

 俺達もイ級を睨みつけながら後退を開始した。

 

『――ッ! ――ッ! ――ッ!』

 

 狂ったように塊を吐き出し続けるイ級は、そうしながらも前進しているようで、空に気を取られていれば波に足を絡め取られ、転んでしまいそうになった。――イ級の方を向いていた俺達でさえそうだったのだから、奴に背を向けて動いていた艦娘は……。

 四の五の言ってる暇はない。さっき自分の体がどうなっても良いって言ったばかりだ。だったらやるしかない!

 

「……試してみるか!」

 

 誰にともなく呟き、二人を離してから、意識して改二化を解く。放り出された連装砲ちゃんが海面につく前に、再度自身を改造し、シマカゼ改二に到達する。ブースターユニットから光の翅が突き出した。

 

「ん……よし、艤装直ってる!」

 

 肩越しに背中を見ながら言えば、それでどうするのですか、と朝潮。どうもこうも、突撃してあいつぶっ倒すの!

 

「ま、待って島風ちゃん! またあいつが叫んだら、島風ちゃん落ちちゃうんじゃ……!」

「落とされるより速く飛べば良いだけだよ。なんの問題もないでしょ?」

 

 それに、ちんたらしてたら奴から離れていく一方だし、ほんとに誰かが沈んでしまうかもしれない。これだけ激しい戦いだったのだから、俺の知らない艦娘が沈んでいてもおかしくないのだ。これ以上は無理。これ以上は見過ごせない。

 大丈夫だよ、あいつでかいだけで装甲なんて無いに等しいみたいだし。すぐやっつけてくるからさ……。

 軽い声音と口調で言おうとした事は、どうしてか口を開ける事ができなくて、言えなかった。

 疲れてるからかな。胸が痛いからかな。

 わかんないけど、気にしてなんかいられない。二人に声をかけられないから、代わりに足を止めて、下がっていく二人に向き直り、顔の横で小さく手を振った。

 背後に迫る艦娘の気配。波が来て、俺の位置が少しだけ高くなった時に合わせて跳躍する。真下をみんなが列をなして後退――いや、進んで行く。

 翅を噴かして、イ級の方へ体を向け、急加速。奴はまだ塊を吐き出している。たまに塊のまま海に落ちると、巻き込まれた艦娘は――沈まないまでも、ボロボロになって海面を転がったり、他の艦娘に受け止められたりしている。

 

『――ッ!』

「ん……」

 

 耳元を通り抜けていく風の音に、鈍いものが混じる。イ級が俺に向けて塊を吐き出してきたのだ。あんなガラクタの集合体みたいな奴の癖して、意思があるとは驚きだ。少し体勢を変え、両足キックで突っ込んでいく。避けるより粉砕してやる方がみんなの助けになるだろうという判断だった。

 

「っ!?」

 

 迫りくる巨大な塊に恐怖心を煽られながらも、負けじとキックをぶちかます。そう意気込んでいたのに、塊は足に当たった傍から瓦解(がかい)していく。柔らかいどころではない。手応えがほとんどない。欠片や頭丸々一つやらがばしばし体に当たり、スカートの内側に入って捲り上げ、背部のユニットや顔にまでぶつかってくる。引き裂くように塊の中を突き抜ければ、背後で崩壊する気配があった。

 驚異的なのは速度だけか……それも、俺の跳ぶスピードの方が勝っている。あの変な咆哮のせいで反撃できないからみんな離れて行ってるけど、そうでなければこんな奴、あっという間に倒せるだろうに!

 

()っ……く……!」

 

 ずきりと脇腹が痛んだ。筋肉が引き攣っているみたいな痛み。体勢を戻し、飛翔を続行する。体や布に引っ掛かっていた残骸が零れ落ちていく、その感覚が気持ち悪い。

 

『オ―――――オオ―――――』

 

 でっかく開いた口から意味をなさない声を発する巨大なイ級の前へ辿り着き、付近から艦娘が退避し終わっているのを確認する。よぉしオッケー、あとは全力で蹴るだけ!

 近くで見ればよくわかる、この巨大深海棲艦の歪さ。遠目に見ればたしかにイ級に見えたのに、至近距離だと、形作るパーツが残骸なためにでこぼこしすぎていて、非生物にしか見えない。海面へ向かって頭から落ちていく中で、真横にあるイ級の体を見つつ――体の一部になっているリ級と目があった、気がした――、ようやっと海上付近へ。減速はせず、思い切り体を回転させてイ級の顎下を蹴り上げる。

 

『――!!』

「もう一発!」

 

 ぐらり傾いて持ち上がる奴の下へ潜り込みながら、限界までブースターユニットを使って加速し、再度顎下を蹴り上げた。固まっていない体はそのたびに大量の残骸を吐き出し、それで撃墜されないように動くのは神経を使う。

 ようやく体の下に潜り込む事ができたら、あとは繰り返しキックして持ち上げていくだけだ。突き抜けてしまわないよう、両足を上手くぶつけてその場で衝撃を発生させ、浮き上がらせていく戦法。不思議なのは、同じ個所を蹴っても、体表として機能しているらしい残骸がごっそりなくなる事はなく、何度蹴りつけても同じくらいの量の鉄やら何かがザアザアと落ちてきた。

 

「ん、この、くらいで……!」

 

 曇天が近い。もはや雪が降っているかいないかすらわからないくらい残骸に(まみ)れてしまったけど、雲の近さから、どれだけ海面から離れたかくらいはわかった。もう一度蹴りつけ、その反動で海へと落ちていく。途中で頭と足の位置を入れ替え、さらにスピードを上げていく。奴の巨体を蹴って浮かせていられる時間は少ない。その前に、こっちが最大速度を出せる距離を稼がなければならない。だから速度命!

 ほとんど減速する事なく海面に着水、直前で一回転しつつ勢いを殺してみたけど、殺しきれなかった衝撃は広がる波と水飛沫として現れた。

 空を見上げる。イ級の巨大な体が影となり、辺り一帯はいっそう暗くなっている。黒い点々とともに落ちてくる奴の体は遅く、でも、とても速いとわかった。

 足に力を込める。海面についた手にも、めいっぱい力を。翅を閃かせて、跳躍、そして飛翔する。

 加速、加速、加速。体が伸びて千切れてしまいそうな圧力にも耐え、体の中が溶けそうなくらいの熱にも耐え、トップスピードに突入する。

 風が俺を避けるように流れていく。雪が物凄い速さで視界を過ぎ去っていく。奴に近付くごとに影が濃くなり、暗くなる。

 

「っ!」

 

 体を丸めて半回転。急降下キックの体勢は、いつもと違って空へ向く。鈍色のブーツはデカブツを指し、広げた両腕にかかる圧は、しかしスピードに影響しない。

 

「だぁーーーーっっ!!」

 

 気合い一声(いっせい)、今度は何も考えない全力のキックで、落下してくる巨体を蹴り貫く。全開で噴かせた翅はぐんぐん敵の体内に俺を押しやり、伸ばした足先はたとえ大きく硬いものがあっても砕き、突き進む。

 やがて、空が見えた。

 

「……ぁ」

 

 快晴の空。

 左の、ずっと遠くの方に眩しい光があって、いつの間にかイ級だけでなく雲まで突き抜けてしまったのだと気づいた。

 ……呆けている暇はない。まだ仕事は残ってる。自由落下に任せていた体の制御を取り戻し、翅を繰って雲を抜ける。二つに分かれた巨体が落ちていくのを見つけた。

 

『オ――――』

 

 頭の方に狙いを定め、急降下キックで目を貫く。青い光に実体はなく、その先の残骸を砕きながら進んだ。可燃性の何かでもあったのか、もう片方の目から出て行った時に、背後で爆発が起こった。一つではない。小さな爆発が、何度も何度も巻き起こって、俺の体を吹き飛ばした。

 向かう先は海面しかない。だが、ブースターユニットの位置上、この体勢では加速はできても減速はできない。凄まじい圧力が方向転換も許さない。

 

「くっ!」

 

 防御も何もなく、俺は硬い海へ叩き付けられなければらなかった。一瞬迷って生体フィールドを解いてみたけど、高高度からの落下では地面扱いの海を砕くのと、ただの海に叩きつけられるのとにそう違いはなかったらしい。

 意識が途切れた。

 

「――!」

 

 気がつけば冷たい海の中だ。胸の傷に染みる海水に表情を歪め、ボココ、と口元から昇っていく気泡を頼りに、手足をばたつかせて泳いでいく。体が千切れてしまったのか、手足の感覚がなかった。……視界に自分の両腕が映ったり見えなくなったりしているから、腕の方は無事だと思うけど。

 黒い鉄の塊や、異形の亡骸が落ちていく中を必死になって昇っていく。緩やかに頭から沈んでいく駆逐棲姫と擦れ違った。ほとんど傷はないが、動き出す気配もない。ポコポコと口から泡を出しながら、どこか安らかに見える表情で暗い水底へ消えていく。

 その姿を最期まで見送ってから、水面(みなも)を見上げ、気をつけの体勢とバタ足で上を目指す。

 

「ぷはっ!」

 

 幸いにして息が切れる前に外気に触れる事ができた。はひはひと喘いで肺に酸素を取り入れる。近くにいた誰かに引き上げられた。

 

「大丈夫ですか? 島風ちゃん」

「げほっ、ぁ、榛名さん」

 

 間近に見えるのは、榛名さんの気遣わしげな顔。頬が煤けて、前髪が乱れて、電探カチューシャなんかは原形を留めていないほど傷ついているが、瞳の闘志は消えていない。彼女は袖の綺麗な部分で俺の目元と口元を拭うと、生体フィールドを纏い直すまで腰を支えてくれていた。

 

『――――!!』

 

 イ級の咆哮がすぐ傍から聞こえてきた。でもそれは、耳をつんざくほどの声量ではなかったし、何より『咆哮』と言えるほどの迫力も無かった。

 ずいぶん小さくなってしまったイ級が海面に横たわり、徐々に沈んでいる。時折体をびくびくと動かしているが、それ以上何かできそうにもない。

 やったんだ……なんとか、倒せたみたいだ。

 いや、まだ息がある……生きてるんだから、倒したとは言わないか。

 とどめを刺すべきか、それとも手を出さず見ているべきか。これ以上攻撃して、何か予想もつかない、不気味な事にならないか。

 そう不安に思い、悩んでいると、榛名さんが肩に手を置いてきた。

 今やれるのはあなたしかいないから、どうか、お願い。纏めれば、そのような事を、細い声で言われた。電気が這い周り、黒煙が燻る彼女の艤装では、攻撃はできそうにない。直接攻撃しに行くのなら砲はいらないが、満身創痍の彼女をアレに近付けるなんて、彼女自身が許しても俺が許せそうになかった。

 俺なら、近付かなくても砲撃で倒しきれる。少しだけ近付いて、何度も両肩の連装砲ちゃんで撃てば、きっとそれで終わる。

 

 なんとなく振り返れば、遠巻きに眺めるみんなの姿があった。背を丸めていたり、腕を押さえていたり、壊れた砲を抱えていたり、様々だったけど、誰もが俺達を見つめて――見守っていた。

 期待、されてるのかな。俺が奴にとどめを刺し、この戦いを終わらせる事を。

 託されてるのかな。今は誰にもできない事を、代わりに俺に、って。

 プレッシャーを感じないと言えば嘘になる。ただでさえ俺は砲撃が苦手なのに、この、今も沈んでいる大きなイ級へ、砲弾を当てて倒しきらねばならないというのだから。

 本当なら、重圧に震えていたかもしれない。だけど不思議と、俺は気楽にイ級へ向き直った。肩に置かれた榛名さんの手の温もりに、凄く安心した。

 死に体の相手には一発で十分かな。むしろ、一発でなきゃ当てられない気がする。

 

「んっ!」

 

 榛名が手を置く左肩とは反対の、右肩に備えられた砲でイ級を砲撃する。集中した甲斐あって、命中した。

 それで終わりだった。

 俺はてっきり、砲弾を当てれば爆発して、奴の一部が吹き飛ぶだろうと予想していたのに、実際にはその一撃が致命打になったみたいに、残骸を落とすどころか砂のようにさらさらと崩れて、波間に消え去った。

 近付かなくても不思議な現象が起こったから、少しの間呆けてしまったが、夜が明けると奴を倒したのだという実感がわいてきて、自然と笑みが浮かんできた。

 この喜びを共有したくて榛名さんを見上げる。

 

「やりました、榛名さ――()っ!」

 

 ずきんと、肩が痛んだ。砲撃に使用した右肩ではなく、榛名さんが手を置く左肩。

 反射的に細めた視界を開けば、俺を見下ろす昏い橙色の瞳は、一片の輝きもなく淀んでいる。

 ただ、憎々しげに歪んだ表情が、突き刺すように俺へ向けられていた。

 

「は、るな……さん?」

「…………』

 

 肩に置かれた手は、肉も骨も握りつぶそうと言わんばかりに指が食い込んでいて、小刻みに震えていた。


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