島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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第五十二話 重ねないで

 何を話すか、と悩み始めて、はや数十分。

 俺と朝潮は、会話の一つもなく、ただ向かい合って座っていた。

 鳳翔さんが気を利かせて入れ直してくれたお茶もすでに空っぽだ。温度の無い湯呑みを弄りつつ、カウンターの方から聞こえてくる楽しげな声に耳を傾ける。

 

「アラシオー、これ、なに?」

「あら、占いみたいねぇ……ちょうどここに百円玉があるわよぉ」

「うふふ、それは私の私物ですから、お金が必要ではないようにしてありますよ」

「ああ、コインの投入口にテープ貼ってあるわね」

 

 六角錐の置物を手にしたリベッチオが軽く振りつつ荒潮に聞けば、かき氷をつついていた荒潮がそれを受け取り、プレイするかを問いかける。

 ……あれって、一昔前のファミレスなんかでよく見かけた機械だ。鳳翔さん、そんなの持ってるんだ。なんか意外だな。

 意外というか……俺の中で、彼女はずっと食堂のカウンターの内側でゆったりと料理を作っているイメージがあったから、そのためだ。ええと、あんまり外食しないイメージ? 外出もしなさそうな。

 鳳翔さんは食堂のおばちゃ……料理を作る専門の人って訳でもないはずだし、仕事でない時は寮にいるだろうから、こうして海休暇について来ていてもおかしくない。艤装を持って来てないって事は、彼女も海水浴に来てるはずなんだけど、なぜここで海の家をやってるんだろうか。

 美味しいものが無料で食べられるこっちとしては助かるんだけど……。

 まあ、鳳翔さんが水着を着て海に浸かってる姿ってあまり思い浮かばないし、彼女はここでこうしているのが正しいんだろう。

 

 そういえば、鳳翔さんが今ここにいるって事は、食堂の切り盛りはあの女性が一人でやってるのかな。

 今向こうには、鎮守府に住まう人は全体の半数しかいないし、そのほとんどが出撃とかしてるだろうから、一人でもなんとかなっていると思う。

 

 朝潮に顔を戻すと、彼女もまた、俺と同じ方を見ていた。そして、俺に遅れて、顔を戻した。

 ばっちりと目が合ったが、それで会話が始まる訳でもなく、お互い何も言わずに手元に目をやったりした。

 うー、話したい事はたくさんあったはずななのに、いざこうしてチャンスが巡ってくると、何を話せば良いのか全然わからなくなってしまった。

 これじゃ、こないだと同じだ。

 俺が彼女や満潮、荒潮、それから吹雪達に手料理を振る舞った時の話。

 朝潮とケーキを食べた時も、始終会話はなかった。

 おいしいとか、凄いですねとかあったけれど、てんぱってたり満潮と荒潮と無言の攻防をしていたらいつの間にか終わっていた。

 あの時もっと話せていれば……。

 いやまあ、俺は彼女に最高のオムライスを届ける事に必死になっていたから――ついでに言うと、作っている時の姿の綺麗さも意識していたから――、ついぞ会話らしい会話ができなかった。

 吹雪達とはわりと話してたんだけどね。

 あー、デザート前のご飯を、なんてノリでオムライスなんか作らなかったら、朝潮と言葉を交わせていたんだろうか。

 ……なんて過去に想いを馳せるより、今目の前の彼女と話すために、どう言葉を切り出すかを考えよう。

 それが思いつかないから、困ってるんだけど。

 

「んー……」

 

 目を伏せて、どうにか言葉を作ろうと脳をフル回転させる。

 なんと言おうか。

 

(なんか良い案ない?)

『……お腹空いた』

(自分で考えろって事ね)

 

 というか、あんたお腹空いたりするんだ?

 今まではどうしてたんだろ、なんてどうでもいい事に思考が傾きかけて、慌てて修正する。今考えるべきは島風の生態ではない。俺の第一声だ。

 『おはよう』とか『こんにちは』、はおかしい。もう向かい合っていて、挨拶は済ませているのだから。

 『良い天気ですね』? たしかに良い天気だ。分厚い雲と澄み渡る晴れ空。時折吹き込む潮風が髪をなびかせる。鼻にかかった髪の毛に、くしゅんとやると、彼女に笑われてしまった。

 

「……ふふ」

「……へへ」

 

 それで、わかった。

 無理に言葉を交わそうとしなくても良い。

 こうやって、ただ向かい合って座って、穏やかな時間の流れに身を任せても良いって感じた。

 だから、笑い返した。

 そうすると、朝潮の笑みが、寂しげなものに変わった。それがなぜかはわからなかった。前に理由を聞いた事がある気がするけど、すぐには思い出せなかった。

 彼女が海の方を向くと、黒髪に光が流れる。

 綺麗だ。

 とても綺麗で、素敵だった。

 

 ……いつだったか。

 あれは、そう。こんな風に晴れた、少し暑い夏の日。

 両親が死んでから二年目の夏。三回忌を終えた帰り、俺と姉さんは、海の見えるレストランで、食事をしていた。

 八月の末。学生なんかは夏の長期休暇も終わっていて、お昼時でも、店内には人が(まば)らだった。オープンテラスに席を取って、微かな風に運ばれてくる海の雰囲気を感じながらのランチだった。

 父さんと母さんを亡くしてから、もう二年もの月日が流れている。それでもこの日ばかりは、俺も姉さんも少し沈んでいて、普段より会話も少なかった。

 それが嫌だったのだろう。

 俺より速く食べ終わった姉さんが、背もたれに背を預けてぐーっと伸びをする。

 行儀が悪い、と注意するのは俺ではなく姉さんの役目のはずなのだが……しかし俺は、なんとなく頼んだパスタサラダを食べ散らかすのに忙しく――俺の食べ方は、そう表しても良いくらいに乱暴らしい――、注意する暇はなかった。さすがに、口の中に物を入れた状態で喋ったりするほどマナーを知らない訳ではない。

 テラスからは、砂浜に続く、短い階段がある。席を立った姉さんは、靴もソックスも脱いで裸足になると、顔を上げて、いつもの笑顔を見せた。良い年して、悪戯娘みたいな笑み。踊るような軽やかな足取りで階段の前まで行った姉さんが、くるりと回ってスカートを翻し、とんとんと階段を下りて、砂浜へ出る。

 テラスや店内には、少ないながら客もいるというのに、人目も憚らずあれなのだから、姉さんという人は、幾つになっても無邪気だ。どこか危なっかしいのは、社会人になっても治らなかった。

 ここから海に下りる事自体は珍しい事でもないのか、客も店員も、目もくれなかった。それは、俺の精神的には大助かりだったが、逆を言えば、その時その瞬間、俺以外に姉さんを止める人間は他にいなかったって事だ。

 

『こっちにきて』

 

 青と白が打ち寄せる砂の上で、姉さんが手を振った。

 

 俺はなんと返したのだっけ。

 ただ視線を向けて、むぐむぐとレタスを咀嚼していたような気がする。

 とにかく、俺は、そこから動かなかった。

 だって、そうだ。

 俺は姉さんと違って、まだ食事を終えてなかった。だから席を立つ訳にはいかなかった。

 姉さんの誘いに応える事はできなかったのだ。

 

『翔一。こっちにきて』

 

 それがわかっているのかわかってないのか、姉さんは繰り返し、俺を呼んだ。

 からかうような声音。ぱしゃぱしゃと聞こえてくる、涼しげな水音。

 後でお店の人にタオルでも貸して貰おう、と思いながら、俺は残っていた料理を全て平らげて、それから、席を立った。窓越しに、カウンターで会計をしていた店員を見る。顔を上げた彼と目が合うと、彼は納得したように頷いた。

 そこで水遊びをしても良いって事だろう。ならお言葉に甘えて……。

 ……?

 遠くにある窓を見ていて、酷い違和感に襲われた。

 窓の向こうに、客を見送る店員の姿。店内の落ち着いた茶色。机や椅子。テラスに続く出入り口。薄く映った俺の姿……。

 背後にある、砂浜と海。

 寄せては返す波が、砂の上に泡立ったものを残していく。

 言いようのない焦燥が胸の内にせり上がる。

 俺の目は、おかしくなってしまったのだろうか?

 そんなはずはない。そう思って、確認しようと振り返った。

 

 姉さんは、いなかった。

 波の音が遠くまで響くと、耳の奥で、俺を呼ぶ姉さんの声がした気がした。

 

 

 カタン、という音に、唐突に意識が戻る。

 白んだ視界が元に戻ると、目の前では、朝潮が席を立っているところだった。

 俺を見る目はまだ寂しげで、だからか、海の方から聞こえてくるリベッチオのはしゃぐ声が、やけに大きく聞こえていた。

 店内を見回せば、カウンターの向こうで鳳翔さんがかき氷機を拭いていた。他に人はいない。浜へ顔を向ければ、波の合間に、満潮と荒潮がリベッチオと泳いでいるのを見つけた。波に体を浮かせ、黄色い声を上げていた。

 湯呑みを手に取り、口につける。――ああ、中身は入っていなかったんだった。

 もう、ちゃんと海への恐怖心を克服したんだな、と感慨深く眺めていれば、視界の端で動く影。

 椅子の背にパーカーをかけた朝潮は、テラスから砂浜に続く短い階段の前まで行くと、軽やかな動きで俺の方を向いた。両手は後ろ腰に回されていて、いつもよりも活発な印象を抱かせた。

 何も言わず、ただ、誘うように、後ろ向きで階段を下りていく朝潮。

 手すり越しに俺を見上げた彼女は、ふい、と顔を背けると、小走りで波打ち際へ向かって行った。

 湯呑みを置く。コト、と鳴った音は大きく、それ以上に、鼓動の音が大きかった。

 

「シマカゼ!」

 

 波に足が当たる場所でくるりと回った朝潮が、普段より少し高い声と、彼女らしい笑みを浮かべて、俺の名前を呼んだ。

 

「こっちへきて、一緒に遊びましょう?」

 

 伸ばされた手が緩く振られる。

 小さな振り幅。

 普段では見られない彼女の仕草に、ようやく俺は、いつか彼女が言っていた『朝潮が笑いかけると、寂しそうな笑みを返してしまう』というのをやってしまったのだと気づいた。

 それは、彼女に姉さんの影を見たからだ。

 彼女と姉さんの共通点を見つけると、俺はどうしても寂しくならずにはいられなくて、特に彼女の笑顔は…………だからそれが、朝潮にとって、我慢できないものだったのだろう。

 朝潮は、優しい。

 俺の想いを否定しようとせず、ただ、行動を起こして、俺の気持ちを別の場所へ運ぼうとしてくれている。

 でも、駄目だった。

 煌めく海を背にして手を振る朝潮は、笑顔どころか、そのすべてが姉さんと重なって見えて、だから。

 

「……だめ」

 

 だから、早鐘のように、鼓動が早まっていた。

 開いたままの目は強い光が入っているにもかかわらず、閉じられなくて。

 じっとりとした嫌な汗が、髪と背中の間にあって、眩暈がした。

 そこにいては、駄目。

 そっちに行っちゃいけない。

 そこで俺を呼んじゃ駄目だ。

 だって、そうしたら、君は……。

 

「朝潮!」

 

 椅子を倒す勢いで立ち上がり、そのままの勢いで手すりを飛び越え、砂浜に出る。後ろの方で鳳翔さんが息を呑む声と、機械が床に落ちる音がした。

 

 朝潮。

 俺は、俺は君までなくしたくない!

 

「わああっ!?」

「っ!?」

 

 俺が走り出したのと、盛り上がった波にリベッチオが放り出されたのは、ほとんど同時だった。

 声に振り返った朝潮が、倒れるような姿勢から駆け出し、海の上を滑っていく。受け止めようとしているのだろう。素早い判断だが、それでもリベッチオが海面に叩き付けられる方が速い。

 

「っと!」

「わ、ぁ……ウサギー?」

 

 ザァッと水飛沫を撒き散らし、滑り込む最中に彼女の小さな体をキャッチする。きょとんとした顔に笑いかけようとして、足下が盛り上がろうとしているのに気付いた。

 

「口閉じてて!」

「え、むぐ!?」

 

 海面を蹴って跳ぶ。直後に、さっきまで俺が立っていた場所に水柱が立ち上がった。

 まるで砲弾が落ちてきたみたいな、だけど、力の向きは空へ向かっていた。

 

「ヲ級!」

 

 満潮が叫ぶ。

 ぱらぱらと降り注ぐ海水の雨の中、最初にリベッチオを跳ね飛ばした水の中からは、空母ヲ級が出現し、海面に杖をついて両手を置いていた。もう一つの水柱も、収まれば深海棲艦が姿を現す。同じ、無印のヲ級だった。

 

「なぜこんな――」

 

 朝潮の戸惑いを含んだ声を遮り、二体のヲ級は頭部の異形の口を開くと、艦載機の群れを吐き出した。ブブブブ、と不気味な羽音が水を震わせ、夥しい量が空へと舞い上がっていく。

 止めよう。

 

「ぅ、う」

 

 そう思ったものの、腕の中で縮こまるリベッチオの事を思い出して、一端距離を取る事を選択した。

 それは、武器を持たない朝潮と、体の半分以上が海に浸かってしまっている満潮と荒潮も同じようだった。

 幸いというべきか、奴らは直立不動で黒い異形を放出しまくっている。朝潮が俺の下に滑り寄り、泳いできた満潮と荒潮を、二人同時に引き上げて海面に立たせるくらいは訳なかった。

 二人が生体フィールドを纏えば、体に付着していた海水が飛沫となって周囲に跳ね飛ぶ。俺と朝潮にかかったけれど、俺達も当然生体フィールドを出しているために、濡れたりはしなかった。

 腕の中のリベッチオは、わぷ、と目をつぶっていたが……。

 彼女を下ろそうとすれば、その足は海に浸かってしまう。生体フィールドを纏っていない。それは先程の様子を見れば明らかだったが、この時の俺には、そうとはすぐに判断できなかった。

 練度というものの重要性を初めて理解した気がした。

 

「リベ、戦闘態勢だよ!」

「えっ、う、うん。……はい!」

 

 ぼうっとヲ級を眺めていた彼女に声をかけ、発動を促す。それを確認しない内に海に下ろし――今度は、ちゃんと立った――二体のヲ級を睨みつけた。

 奴らはこちらに目もくれず、まだ艦載機を放っていた。それで空を覆い尽くしでもするつもりか。だが、もうそろ搭載数まるまる吐き出しきるはずだ。

 赤いオーラも黄色いオーラも纏っていない奴らの限界は浅いはず。それでも、二体がかりで出した空飛ぶ異形の数は、対処に苦労するだろうと容易に想像できた。

 出す前なら、ヲ級程度それこそワンパン……いや、ワンキックで倒せるはずだけど、そうする時間はなかった。

 悔やむ時間もない。提督達の方でも深海棲艦の出現は確認できただろうが、ここに武器を持った艦娘は一人もいない。俺だって連装砲ちゃんを連れてきてはいるものの、彼女達は体を焼くので忙しかったから、ここにいない。装備はないも同然だ。

 近くを哨戒しているはずの金剛達が戻ってきてくれるのを待つべきか……それとも、俺がやるか。二体程度なら、たぶんすぐ倒せる。でも艦載機はどうにもならない。俺が奴らを倒している間、無防備になった朝潮達がやられない保証はない。

 彼女達だって避けはするだろうが、この数だ。それにも限界はある。

 だったら俺が盾になって、金剛達が来るまでの時間を――――。

 

 ドォン、と空気の壁を打つような音がした。

 並んで立っていたヲ級が左右に吹き飛んでいく。それは、いつか見たよりも大きい水柱が、盛り上がった海面から噴き出していたからだった。

 波に足を取られ、バランスを崩しかけるも、なんとか堪える。転びそうになったリベッチオの腕を掴んで引き寄せつつ、波の勢いに任せて後退していく。

 

「……あらぁ」

 

 こんな時でも、荒潮の声は通常運転だった。ただ、表情はその限りではなく、現れた深海棲艦を目を丸くして見上げていた。

 

『――――……』

 

 大量の水が流れ、海面を打つ。霧が広がり、霧散していった。

 

「戦艦……棲姫?」

 

 呟いたのは、朝潮か、満潮か。

 海面を突き破って出てきたのは、護衛任務の時に出遭った戦艦棲姫だった。……いや、違う。

 黒いドレスの皮衣を着た女性がその身を預ける巨腕の異形は、以前見た時は頭が一つしかなかった。だがこいつは、それが二つある。

 非生物的な二つの頭が、並んだ歯を噛み合わせ、開く。赤い光が漏れ出し、息に乗って流れた。

 

『フフフ……ワタシガ、シズメテアゲル』

 

 一本角の女が、巨腕の異形の手の平の上で寝そべっていた体を起こすと、縁に腰かけて、俺達を見下ろした。

 ひぅ、と息を吸い込む声。

 背後に庇ったリベッチオは、恐らく初めて目にしたのだろう深海棲艦に畏縮してしまっているようだった。

 二体のヲ級が奴の両側に戻ってくる。空で蠢いていた艦載機の群れが一度は向こうの空へ向かうと、旋回して、勢いを増して向かってきた。

 空からも海上からも目を離せない。どちらに注意すれば良いのか、すぐに判断できない。

 いつもはサポートしてくれる朝潮も、今はただ、隣で身を強張らせていた。

 

『サァ、コイ!』

 

 黒い長手袋に覆われた両腕を広げた戦艦水鬼が歌うように叫べば、呼応した異形が、空いている片手をギシギシと握り締め、振り上げた。

 振り下ろされた拳が海面に叩きつけられる。それが開戦の合図となった。




TIPS
・戦艦水鬼
以前遭遇した戦艦棲姫の上位体。
カタコトで喋る。

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