『あ、島風だ。譲ってくれ、頼む』
モニターに映った男の第一声がそれだった。
張りつめていた空気が途端に
大きな画面の向こうから、『なに言ってんのよ、このクソ提督!』という怒鳴り声と、わたわたと慌てる気配がこの部屋まで伝わってきて、なんというか、なんだこれ? って感じだった。
退室しようとしていた俺達も、それぞれ動きを止めてモニターを見上げている。
花の髪留めでサイドテールにした女の子がちらちら映ってるんだけど、あれは曙かな。画面から男性が消えたのは彼女の手によるものだろう。
画面には立派な机だけが映り、機械越しに打撃音が続く事しばし。男性の弁明の言葉に『あぁ?』『は?』『あー?』という相槌――相槌と言うには些か怖すぎるが――が重なり、やがて頬に真っ赤な手形をつけた男性が、何事もなかったかのように椅子に腰かけ、手を組んだ。どうやら曙を説き伏せる事に成功したらしい。
……今さらかっこつけても、全部筒抜けなんだよなあ。
「緊急通信とは何事かと思ったが……島風はやらん。大事な戦力だ。そんなくだらない事を言いたいだけだったなら、悪いが切るぞ。いいな?」
『ああ待て待て、待ってくれ! そうじゃない。話は終わってない!』
提督がなんだか嬉しい事を言ってくれてるんだけど、それよりも、向こうの提督の言動になんだか引っ掛かるものを感じた。
……どっかで会った事あったかな。いや、ありえない、か。でも、なんか、さっきの言動には覚えがあるというか……。
あ。
……ひょっとしてこの人、前に俺を所有してたって嘘ついてまで島風を欲しがってた人かな。おしおきされた人。服飾というか、罰の期間は終わったのかな?
彼の言葉を聞く限りでは、まだ手に入ってないみたいだ。
『おっほん。聞いたぞ、仁志。お前んとこ、海休暇だかいう休みを勝手にやってるらしいな』
「……よく知ってるな。他所に知られるような制度ではないと思うのだが」
身を乗り出して問いかける男性に、提督は、どこで聞いた? と静かに問い返した。
『あー……さっきのは、言葉の綾だ。調べたんだよ、いろいろとな』
「なぜ」
『そりゃお前……そりゃーよ、お前んとこが大変な事になってるって聞いたから、どうにかコンタクトとれないかってやってたからさ』
腰を下ろした男性が、目をつぶって腕を組み、うんうんと頷くのを、嘘くさいな、と思いつつ見上げる。……まあ、今のが嘘でも、なんの問題もない……のか? 海休暇ってここだけでやってるお休みらしいけど、お上に内緒でやってる訳でもないんでしょ?
それに、休暇と言っても、鎮守府が停止する訳でもない。半分はいつも通りに働いて、半分が海へ、を二日間に渡って繰り返す、となってたはず。
『まあそんな事はどうでもいいんだ』
自分達を心配してくれていたという彼に何か思うところがあったのだろう、提督が何かを言おうとすると、男性は画面いっぱいに手を広げてそれを制し、だん、と机を叩いた。
『お前らだけお休みなぞずるぅぅい!!』
無駄に勢いのある叫びが、きんきんと響いた。
男性は、いかに自分が苦労しているのか、仕事が山積みなのか、曙が苛めてくるのかを身振り手振りを交えて語りながら、藤見奈提督に訴えた。
休み欲しい。休みくれ。
……そんなの、彼に言ったってしょうがないじゃん。
「…………そうか、大変だな」
『ぐあー! 切り捨てられた!』
いちおう話を聞いていた提督は、自分に叶えられる望みではないとわかると、溜め息を吐いて椅子を軋ませた。電が労わるように提督の肩に触れると、提督はもう一度大きな溜め息を吐いた。
『くっそー、涼しい顔しやがって! ……ふっふっふ、だがな……俺には秘策があった』
なぜに説明口調なのか。
名前も知らない提督のドヤ顔を見つつ、あの人のところで働く艦娘は気苦労が多そうだな、と思った。だってこの人、なんか
だが、それはほんの少しの間だけ。すぐにきりっとした表情になって、画面に指を突き付けた。
『お前に演習を申し込むぞ!』
「何?」
演習……ああ、そういえば、演習って、幻影との戦闘だけじゃなく、別のところへ行ったり、または招いたりして行う生の戦いもあるんだったね。
それを申し込む……どういう意図だろう。俺が働いてるんだからお前も休むな、とかそんなんかね?
「まあ……受けない手はない、が」
『よしきた。話がわかるねぇ仁志君』
んー、提督が演習を受けたのは、やっぱり練度を上げるのにうってつけの行事だからだろうか。
幻影との戦いだって臨場感あふれるものだけど、あれはしょせんデータに基づいた動きしかしない。それが生身になるなら、秒単位で状況が変わるような、まさに戦場と同じ経験が積める戦いができるのではないだろうか。
そういった、メリットの大きい生身どうしでの演習があまり行われないのは、交通の便が原因なんだろうな。
深海棲艦がわんさかいるこの時代、飛行機が飛ぶのも頻繁ではなくなっているし、電車や車でとなると、往復に時間がかかる。艦娘という戦力が他所に行ってしまうのだから、その間鎮守府などの防衛能力はずっと下がってしまうという問題もある。それは、どこの提督だって避けたいはずだ。
だからこそ、データを収集し反映させる演習システムが発達したんだと、俺は思う。
『演習の細かい内容はそっちに任せる。場所もな』
「……ああ、なるほど」
『期待してるぜー』
にっこり笑顔で手を振る男性を最後に、通信が途切れ、モニターが消える。
提督は、大きく息を吐いて、頭を振った。三回目の溜め息だ。幸せが逃げていく。
誰にともなく、今のが彼の
「海休暇に演習って、大丈夫なん?」
「ああ。あいつも遊びたいだけだろう、あわよくば演習の名目で海水浴をしようとしているんだと思う。それを、向こうの艦娘が納得するかは知らないが」
だからこそ、場所を任せる、か。
こっちから海水浴場での演習を申し込めば、向こうさんは大手を振って遊びに来れる、と。
ああ、勝負内容もこちらで決めるんだったな。
それは何も、六対六の艦対戦に限らず、たとえば用意された的を制限時間内により多く破壊した方が勝ちとか、極端に言えばじゃんけんでもなんでもいいんだろう。
……たぶんあの海棠って人は、その勝負内容が遊びになる事を期待してるんだろうな。
真面目な提督がそういった内容にするだろうか? 普通に演習をして終わりそうなんだけど……。
「そもそも海休暇とは?」
大淀が、怪訝な顔をして提督に問いかける。彼女も俺と同じで、それの存在を知らなかったみたいだ。
軽く概要を説明する提督に、大淀は表情を変えず耳を傾けている。
「着任早々悪いが、大淀、君に一時ここを預ける事になる」
だが提督がそう言うと、彼女はぱっと笑顔になって、お任せ下さい、と頷いた。
うわ、嬉しそう……大役を任せられたからかな。龍驤は、あまり良い顔をしていない。秘書艦の電の方は、自分の地位が確固なものだからか、普段通りの気弱な顔だ。……あんまり何も考えてなさそうな気がする。
「休暇の日程はわかっているな? 初日のメンバーは追って連絡する。君達は一度退室してくれ」
「了解。家具の方はいつ頃できそうなの?」
「妖精さんの仕事次第だが、夕方過ぎまでには仕上がると思う。それまでは不便な思いをさせてしまうが……許してくれ」
「う、ううん! 大丈夫だよ提督さん。感謝してるよ、すっごく!」
リベッチオへ向けて話しかけた提督に、彼女は俯きがちだった顔をはっと上げて、手を振りながら答えた。
ん……なんで今、この子、下向いてたんだろう。話しが退屈だった……とか? そんな理由で下見てるもんかな。
「それじゃ、失礼するわ。龍驤さん、あんまり根を詰め過ぎないようにね」
退出前の挨拶に一言付け足した叢雲に、龍驤は渋い顔をして、「わかっとる」と答えた。
◆
さて、九月も目前、海休暇はすぐだ。
どんな水着を着ていくか、という話になって、そういえば水着なんてものは持ってなかったな、と思い至った。それは吹雪も夕立も、リベッチオも一緒だ。意外な事に、叢雲は所有しているみたいだったけど……。
「どんな水着なの? 叢雲ちゃん」
「……別に、今見せる必要はないと思うんだけど。どうせ後で着るんだから」
「あたし達の水着の参考にしたいっぽい!」
ちゃぶ台を囲んでお茶をしつつ、吹雪と夕立が叢雲を攻める。叢雲はあまり見せたくないみたいで、なんとか話題を別に移そうと奮闘していたけど、二人に押し切られて、重い腰を上げた。わーい、ぽーいと
だって、センスのないダサい水着で泳ぎになんて行きたくない。見栄を張りたい気持ちくらい、俺にだってあるのだ。
『ねぇ』
「ん、何?」
ふいに声をかけられ、思考を終えつつ聞き返す。右に座るリベッチオは大人しいままで、左に座る夕立と向かいに座る吹雪、それに、ベッドの上のどこかから透明な手提げ袋を手にして下りてきた叢雲が俺の顔を不思議そうに見てきていた。
あれ? なにその反応。
『わたし、わたし』
「あ、ああ、そっか、島風か」
「……島風ちゃん、大丈夫っぽい?」
っとと、声に出してしまった。慌てて誤魔化し笑いを浮かべて、なんでもないよ、と夕立に言う。
ええと、胸の中でだけ話すようにすれば、不審がられないよな。
(なんか用?)
『何もなかったりして』
……なら急に話しかけてこないでよね。
膝に乗せた砲ちゃんの頭を撫でながら秘かに憤慨していれば、彼女はごめんごめんと謝った。
『今起きたばかりなんだ。だから、挨拶』
(はいはい、おはようね)
『おはよーございまぁーっす!』
(うるさいよ)
不思議と耳に響く自分の声に眉を寄せ、なんとなしに叢雲の方を見やる。彼女は机の上に手提げ袋を置いて(中にはタオルやゴーグルが入っている)、水着を取り出して体に当てて見せていた。白いセパレートタイプだった。スポーツブラと普通のパンツみたいな上下で、胸の下からお腹の下辺りまで肌を出している。薄桃色のリボンやフリルが上下にあしらわれていて、シンプルだけどかわいらしい仕上がりだった。叢雲が手提げ袋に腕を突っ込んで、もう一枚何かを取り出す。薄い布……それを腰に巻くみたい。んー、その布はいらないんじゃない? 動きにくそう。
「叢雲ちゃん、それすっごく良い! 似合ってるよ!」
「そう? ……そうかしら」
「馬子にも衣装っぽい~」
「……褒めてないわよね、それ」
きゃっきゃと楽しそうに話す三人に置いて行かれていると、島風が話しかけてきた。
『そっちの子、元気ないね。どしたの?』
(そっちの子……?)
言われて横を見れば、リベッチオが俯きがちになって座っていた。いちおう視線は前に向いていて、控え目に手を合わせて話に参加しているように見えるんだけど、なんだろう……部屋を掃除していた時のような元気さがない気がする。
どうしたの、と声をかけて良いものか悩む。たんに疲れてたり、眠くなってるだけかもしれないし。
なんて俺が悩んでいれば、俺の視線に気づいたリベッチオが顔を向けてきた。
仕方ない。ほっとくより、聞いた方が良いだろう。
「どうかしたの?」
「ん……んーん」
ふるふると首を振られて、顔を逸らされてしまった。う、話す気はないって?
そんな態度されると、なおさら気になっちゃうんだけどな。
……それに、リベッチオは……笑顔が姉さんに似ていたから、どうにも気になってしまう。
あんなに素敵に笑えるのに、今は少し曇っている。
俺が拭い去ってあげなきゃって気にさせられる。
「疲れちゃった?」
「リベは、元気だよ?」
めげずに話しかければ、再度彼女は俺を見て、そう言った。
薄く綺麗な赤茶色の瞳が、揺れずにそこにあって、だから、俺はその言葉が本心ではないと悟った。
……なぜ、彼女は俯いてしまったのだろう。
疲れているのでも眠いのでもなければ、いったい……?
「もしかして、海休暇が嫌?」
「…………」
リベッチオは、何も言わないながらも、否定もしなかった。ただ、薄く口を開いて、すぐに閉じた。俺の膝元に乗る砲ちゃんが『キュー?』と鳴いて首を傾げる。
「リベッチオは海が嫌いっぽい? ひょっとして、カナヅチっぽい!?」
「あ、そうしたら、泳ぎに行っても……だもんね」
ここまでくると、話していた三人もリベッチオに注目した。六つの視線を新たに受けた彼女は、動揺したみたいに身を揺らして、それから、夕立の言葉に微かに頷いた。
海が嫌い、か。泳げないから?
なんか、違う気がする。他に理由があるような……ただの勘だけど、そう思った。
「海が、『怖い』?」
「……!」
あ、と声を発した吹雪が、姿勢を正して問いかけると、リベッチオはびっくりしたみたいに顔を上げて、吹雪の顔をまじまじと見た。
それだ。
海が怖い。たぶん、だから、海休暇を怖がってる。
これが海休暇でなく、一緒に出撃するだとか、遠征に行くとかだとしても、きっと彼女は俯いて、元気をなくしてしまっていただろう。
理由はわからないが、海が怖いのだから、その上に出る行為を嫌がらないはずがない。
「おかしい、よね……。でも、リベ、生まれた時からそうだったから……」
「ううん、おかしくなんかないよ」
消沈したように……それから、艦娘が口にして良いような言葉ではないと思っているのだろう、縮こまってしまったリベッチオに、吹雪は優しい声で否定した。
そんな事ない。そう言えるのは、吹雪だからこそ、だろう。
「なんで……? リベは艦娘なのに、海が怖いよ……戦うのも、怖いよ」
「うん。怖いよね。……わかるよ、その気持ち」
私もそうだったから。
そう言ってほほ笑む吹雪に、リベッチオは、目を丸くしていた。
彼女から見れば吹雪は先輩だ。その先輩が、自分と同じ気持ちを持っている事に驚いているのだろう。
正確には、そうではない。吹雪はもう、その恐怖心を乗り越えている。
「『貴女が海を怖いと思っても、それは咎められる事じゃない。その気持ちを誰かに伝える事を怖がらないで。私達は、いつでも、いつまでも貴女の味方なのだから』」
「味方……」
指を立てて語った吹雪の言葉は、赤城先輩の言った事と、たぶん一字一句違いない。声のトーンも言い方も一緒……完コピだね、吹雪ちゃん。
心を動かされたのか、リベッチオは瞳を揺らして、言葉を繰り返した。
「えへへ。私の、尊敬する先輩の言葉なんだけどね?」
てれてれと頬を掻きつつ注釈を入れた吹雪は、だから、と言葉を続ける。
「怖いのなら、私達が傍にいるよ。その気持ちを乗り越えられるようにお手伝いするよ。ね、一緒に頑張ろう?」
「…………」
リベッチオは、しばらくの間、何も言わなかった。
その表情を見る限り、吹雪の言葉が届かなかった訳ではないのだろう。ただ、生まれたての彼女には、なかなか浸透しない言葉なのかもしれない。
時間が経つにつれて、リベッチオの顔に笑顔が戻ってきた。目尻が下がって、口の端が緩やかに上がって、えくぼができて。
「グラッチェ! ブッキー、ありがとね!」
満開100%。とびっきりの笑顔で、お礼の言葉、吹雪も嬉しそうに笑った。
「怖がってばかりじゃ駄目だよね! まだ、海に出た事だってないし……キューカの時は、よろしくね!」
「うん、任せて!」
とん、と自らの胸を叩いた吹雪は、もうすっかり先輩だった。着任の時期を考えると、俺から見ても先輩に当たる人なんだけど、当時は彼女も新人同然だったから、そういった印象はなかった。
でも今は、頼もしいお姉さんだね。
「ぶ~、吹雪ちゃんばかり先輩っぽくなっててずるいっぽい! 夕立も先輩風吹かせたいっぽい!」
「せ、先輩風? そ、そんなつもりじゃないよ!?」
「夕立からもリベッチオにありがた~いお言葉を与えるっぽい!」
「なになに? 聞きた~い!」
ああ、リベッチオ、そんなに目を輝かせる必要はないし、万歳までする必要もないんだよ。
きっと夕立はくだらない事を言うに違いないんだから。
俺の占いは当たる。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。わからない事があったら、恥ずかしがったり遠慮したりしないで、大先輩たる夕立に聞くと良いっぽい!」
「うんうん、ダイセンパイたるユーダチね!」
「……そこは、聞くところじゃないっぽい……」
俺の占いが、ようやく外れる……。
なんて馬鹿な事を考えるのはやめよう。
「ふぅ、それじゃあ、あなたたちの水着を買いに行くとしましょうか」
「コンビニエンス妖精に売ってるっぽいから、みんなで見に行くっぽい!」
「リベも水着選びに行くよ! 準備準備ー♪」
それぞれが立ち上がる中で、俺も腰を上げ、スカートを払う。
リベッチオが元気を取り戻したようで良かった。
暗いまま海休暇になったって、良い事なんて一つもないからね。
まだ問題が解決した訳じゃないけど、吹雪や夕立が言った通り、彼女には俺達がついてる。
困った事があるならサポートしてあげれば良いし、海が怖いなら、怖くなくなるくらい楽しい思いで塗り潰させてあげれば良いのだ。
その後、俺達はコンビニにて、意外な品揃えを前にあれやこれやと相談しつつ、それぞれの水着を購入した。
ああ、はやく海休暇にならないかなぁ。
朝潮の水着が見たいです。
……なんて、欲望駄々漏れな昼下がりであった。
TIPS
・海棠
前に藤見奈を騙して島風を奪おうとした提督。
根は悪い奴ではないのだが、馬鹿。
ストッパーに曙や霞、不知火がいる。
初めは手を出したりしなかった彼女達も、この男の性格に感化されて手を挙げるようになった。
本人は過激なスキンシップに喜んでいる様子。
・「へび?」
元ネタの人物より。
・赤城語録
加賀語録とともに吹雪の心に刻み込まれた名言となっている。
ゆえにたびたび引用される。
吹雪「赤城先輩が言っていた……『腹八分目とは、富士山の八合目までの事』だと」
・ブッキー
吹雪のあだ名が確定した。
もう本名は呼んでくれないだろう。
・コンビニエンス妖精の水着の品揃え
前任の提督の熱いリクエストに応えて増量しました。
・リベ
海を怖がる艦娘なんて、艦娘じゃない。不要だ……って、レ級なら言いそう。
幸い、始末しにくる怖い敵はもういない。