1月2日以降になるかな。
あの日。
レ級を倒したあの夏の日以来、俺は、時折自分の声を聞いていた。
――『自分の声』。何かの比喩ではない。勘違いや気のせいでもない。ましてや、俺の気が狂っている訳でもない。
聞こえるのだ、心の奥底、暗い海の向こう側にいる島風の声が。
深く深く、ずっと深く。
くぐもった声が、俺と同じ声が、俺を誘うように呼びかけてくる。
壁一枚を隔てたかのような低い音が、しかしはっきりと聞こえて、何にも遮られたりはしない。
彼女の声は、恐ろしいくらいに、いつでも俺の耳に届いた。
『おはよーございまーす!』
「ふにゃぁー」
胸の内から響く声が、頭の中にまでがんがん響く。
朝っぱらから――いや、夜っぱら?――かまされた挨拶というか音の暴力に文句を言う気力もなく、突きだした手で布を掴んで布団をひっかぶれば、おはようございます! おはようございます! の大合唱。やめて、音撃やめて。脳みそ破裂しそう。
仕方なく起き上がって、しょぼしょぼした目を腕で擦る。あくびをすれば、涙が出てきて、頬を伝った。それも袖に吸い取らせて、頬に擦り付ける。ん、と声を出せば、少しだけ目が覚めてきた。
おはよう、と胸の内、その先にいる島風に挨拶を返す。
『起きた? 今日は良い天気みたいだよ。ねー、走ろ?』
「んー……」
重い頭を振るって、今の言葉の意味を考える。良い天気……良い天気だって? 真っ暗なんですけど?
遮光カーテンに遮られた外は、隙間を見ればまだまだ暗い事がわかる。
あー、またこんな時間に起きちゃった。
別に彼女が呼びかけてこなくたって前からこれくらいの時間に起きてたけど、自然に起きるのと誰かに起こされるのでは、すっきり度が違うのだ。ていうか、何も起こさなくたっていいじゃないか。彼女の睡眠時間はどうなってるんだ。
走ろう走ろうと急かす彼女に根負けして、お布団と涙の別れをする。いつもの制服を用意してシャワールームへ。脱いだパジャマを丸めて洗濯器に投げ入れ、誰もいない浴場に入り、手早く温水を浴びてさっぱり目を覚ましてから、おニューの制服に袖を通す。うさみみリボンのカチューシャを装着すれば、シマカゼベースフォームの完成。一度部屋に戻って(三人ともぐっすりだから、起こさないようにそっと動いて)連装砲ちゃん達も叩き起こし、強制的にお供させる。君達と俺は一蓮托生だ。寝こけてるなんて許さない。
キューキュー鳴いて愛らしい仕草を見せる連装砲ちゃん達を一通り構ってから、今度は外へ向かう。日課の、朝のジョギング。
今の俺のスピードだと、何も考えずに動くと並の人間が結構な速さで走っているのと変わらないくらいになってしまうから、日に日に周回数が増えている気がする。日の出まで走るって決めちゃったからそんな事になるのだ。いや、そもそもぼうっとしてなければいいのか?
風と一つになるのは楽しいから、それに専念したいんだけど……まあでも、最近は同居人がねえ。
『んー、風が気持ち良いねぇ。絶好の海日和かな』
さあね。なんなら、曇ったら俺が散らしに行っても良いよ。
最近は、彼女が引っ切り無しに話しかけてくるために、無心で走るって事ができてない。まあ、話し相手がいるのは退屈しないですむから良いのだけど、ひょっとしなくてもこれって、傍から見ればかなり寂しい奴というか、痛い奴だよね。
何周かしたくらいに、寮の裏で足を止める。暗い海を眺めて、頭の後ろに腕をやって伸ばし、ぐぐーっと伸びをする。追いついてきた連装砲ちゃん達が足下にまとわりついてぐるぐるして、見上げてきた。
『走らないのー? ねーねー、走ろーよー』
「……。ちょっと休憩、ね」
『ぶー』
不貞腐れたような声を出して黙った島風に、自分の胸を見下ろして、それから、縁の方に寄って腰を下ろし、足を投げ出す。冷たい地面に手を付け、夜明け前の水平線を眺めた。
島風……。
あの孤島から帰って来て、数日経ったくらいから急に話しかけてくるようになった、この体の本来の持ち主。……彼女が言うには、厳密にはそうではないらしいけど、俺の意識的にはそうだと思っている。
彼女の呼ぶ声に応え、この体を救った俺だからこそ、この体はもはや俺のもの……なんて言われても。
朝潮も、同じような内容の彼女の言葉を俺に伝えてくれたけど、それでもやはり素直に受け入れられなくて、今でも間借りしている気持ちだ。
いつか俺が消滅してしまうかもしれないなんていう心配はなくなった。それは良い。でもその代わり、奇妙な同居人ができてしまった。
最初からいたらしいけど……――それこそ、俺があの孤島で目覚めたあの瞬間から、俺の中にいた、って。ではなぜあの時話しかけてこなかったのか、そしてこれまで長い事何も言わなかったのか。
言わなかったのではなく、言えなかった、が正しい。
彼女が外に……まるで人格が変わるみたいに、俺の代わりに表へ出られるようになったのは、つい最近なのだと言う。初めての護衛任務の時。それが、島風が覚醒した時。つまりそれまではスリープモードで、喋る事はおろか、目を開けて、あの海の中を動き回る事もできなかったんだって。
ただ、眠っている間は、夢の中で自分とそっくりの少女の動く姿をずっと追っていたという。たぶんそれは俺だったのだろう。夢の中でなら、何度か会った事もあるって言ってたけど……あったっけ、そんなの?
夢の内容なんて覚えてないなあ、俺。
ともかく、島風は俺が沈みそうになったあの時に表に出れたは良いものの、不完全な目覚めだったらしく、またすぐ眠ってしまった。それまでの俺の不調……眩暈とか、吐き気とか、頭痛とか、
再びこの胸の中の海に沈んだ島風だけど、次の目覚めは速かった。
一度意識がはっきりしたのだ、それ以来は海面を見上げるようにして外の情報を得ながら、俺の行く末を見守るつもりだったらしい。つもりだった、とは、彼女が表に出ざるを得ない、もしくは、出られる瞬間ができてしまったって事。
――ああ、つまりは、その……俺が朝潮とちゅっちゅちゅっちゅしてるところも見られていた訳で……うわー!
あー、あー、あー!
あーあーあー!
んっん、えほ、げほごほ、おっほん。
……彼女が次に目覚めたのは、仮の拠点で俺が気を失った時。
俺の誤解を解きたいからと、これ幸いと表に浮かんだ、という話。
誤解って……俺の考えは間違ってないと思うんだけどな。
この体は島風のものだ。本当なら、俺が好き勝手して良いものじゃない。彼女はいいんだって言うけど、駄目だ。
……とかいいつつ、誰かを好きになったり、肌を重ねたりしたのだから、俺も
感情は時に制御できないものなのだ、と言い訳するにしても、人の体で……それも、清い少女の体でそういう事をするのは、なんというか……まあ、いけない事だよね。
ただ、俺がこの体についての見解を述べると、島風はへそを曲げるから、口には出せない。胸の内で会話する事も可能だから、ふとした時に考えが漏れそうな気もするけど、今のところそういうのは起こってないな。わざわざ諍いを起こす必要はない。俺の中だけで、この体は彼女のものなんだって認識してればいい。俺の中に、彼女がいる。それは変わらないのだから。
……朝潮と二度と二人きりになれないっていうのは辛いな、なんて考えてしまうのは、どうなんだろう。
『んー? 島風も四六時中監視してる訳じゃないよ。だいたい寝てる』
う、今の、伝わってた? 声に出してはいないはずなんだけど。
……まさか、彼女が反応してないだけで、胸の内で呟いた言葉は全部筒抜けとかじゃないだろうな。
戦々恐々としつつ、声に出して、彼女に返事をする。
「……そんなものなの?」
『損なものー。なんちゃってー』
……夏とはいえ、朝は寒いなあ。
あーさぶさぶ。
でも、だとすると彼女が眠っているうちは誰の目もないって事になる。
安心して朝潮と………………いやいや、何をするつもりだ、俺は。
浅ましくも一線を越えそうになったあの時は、なんとか朝潮が俺を正気に戻してくれたけど、落ち着いた今それをやろうって気にはならない。
したくないという訳じゃないし、彼女を好きになったのは確かだけど、俺にそっちの趣味はないのだ。
……とか言ってても、迫られたりしたら押し切られちゃいそうだけど。
朝潮が迫ってくるとかないだろうから、そんな心配は無用だろうけどな。
『あのね、島風はー、この海で揺蕩っているだけでも満足なのです』
「本当にそうかな。走りたいんでしょ? 自分の足で」
俺が走ったって、彼女には過ぎ去る景色しか見えてない。
髪を引く風も、はためく服が体に張り付き、肌を打つ感触も、地面が足を押し返す重みも、その音も、心地良い疲労も、息を整えるまでの苦しさも、彼女が感じる事はできない。それで満足なのか? 本当に?
『ほんとほんと。だから不満も言わないでしょ?』
「言ってる気がするなぁ」
『……たまにしか言わないでしょ?』
あ、言い直すんだ。
足をふらつかせて、流れる波を見下ろす。海に吹き付ける風が縁の方で跳ね返ると、スカートの布が揺れ動いた。
『今は、必殺技のお手伝いをするので十分かな』
「必殺技?」
『ダブルエクストリームとか、ウェイクアップフィーバーとか……私が言ってたんだけど、気付いてなかったでしょ』
「うそー……」
『なんで? 嘘なんかつかないよ?』
いや、だって、そりゃ、君がライダーネタ知ってるとは思わないじゃん。
この世界に仮面ライダーは実在しない。映像作品もない。調べてわかってる事だ。だから、彼女が仮面ライダーを知っているのはおかしい。
ただ技名を俺の心中から読み取って声に出してるだけだったりするのかもしれないけど……。
『言ったでしょ。島風とシマカゼは一つだよ。あなたの記憶も、島風には見える。……穴だらけだけど』
「……なんか、変な気分だな、それ」
なんでも、でなくても、いろいろとお見通しって訳だ。困るなあ、人の記憶を勝手に読んじゃ……。
あんな何もない海じゃ、俺の記憶を見るのが娯楽だったのかもしれないけど、それでも……いや、今さら何を言っても無意味か。
むしろ、この世界で唯一ライダー話に花を咲かせられる友を得られたと喜んでおこう。
そういう訳で、少しの間彼女と話し込んで、島風が眠い寝ると宣言してダウンするまでそれは続いた。
日が昇ろうとしている。煌めく海は、いつ見てもとても綺麗で、心を動かされる。
「さて、と」
いつまでもここに座っている訳にはいかない。
お尻を払って砂利を落とし、スカートの位置を直してから、連装砲ちゃん達を伴って寮に戻る。もう一回シャワー浴びようっと。
少しだけ掻いた汗はもう乾いてるけど、走った後にシャワーを浴びるのは確定事項。
「あ、島風ちゃん」
「吹雪ちゃん。今から走り込み?」
階段で吹雪と鉢合わせた。緑色のジャージ姿がダサかわいい。うんと頷いた彼女と手を振りあって別れ、着替えを取りに部屋へ向かう。
夕立と叢雲は、まだ眠っているみたい。
レ級の件が決着ついてから、叢雲は早起きしてまでどこかに行ったりしなくなった。寮の裏手で海を眺めてる事もしない。前の鎮守府の事、吹っ切れたのかな。だといいんだけど……。
行動を共にしてくれてるって事は、少なくとも俺達や他の艦娘と仲良くしようって気にはなったのだろう。
二段ベッドの上を見上げながら歩いて、その一段下、俺の寝床へ連装砲ちゃん達を戻そうとして、何やら掛布団が膨れているのが見えた。
……動いてる!
なんだろう、このミニサイズの芋虫は。いや、だいたい予想はつくんだけど……。
「……あ、やっぱり」
布団を捲れば、幸せそうな寝顔を見せるリベッチオが、我が物顔で俺のベッドを占領していた。
――リベッチオ。
イタリアの駆逐艦。マエストラ―レ級の三番艦。此度の功績を称えて提督に贈られてきた艦娘だ。
赤っぽい茶髪は、今は長く伸ばしたまま散らばっていて、健康的な日焼け肌は俺の影のためか、より浅黒く見えていた。
幼い顔は、起きている時の活発さが嘘のようになりを潜め、すぅすぅと寝息を立てている。横を向いて眠る彼女の両手は、曲げた膝に挟まれていた。
ちなみに服装は、パジャマではなく通常の制服だ。白いワンピースタイプの、ノースリーブのセーラー服。胸には赤と白からなる横縞模様のリボンタイが垂れている。スカートには『LI』の識別文字。
「こら、起きなさい」
「んぅ~……」
肩を揺らすと、眉を寄せて唸るリベッチオ。寝坊助さんだけど、うちにはもっともっと寝坊助なのがいるからね。こういう子を起こすのには慣れてる。
大きく開いた肩口から覗く腋とあばらを視界の端に、ぺちぺちと肩を叩いて数度呼びかければ、意識が浮かび上がってきたのだろう、身動ぎしたリベッチオが、薄く眼を開いて俺を見上げた。
「あ、ウサギー……ブォンジョールノ……」
「おはよ。あのね、ウサギじゃないよ。シマカゼ!」
にへ、とだらしない笑みを見せる彼女に、小声で訂正する。
この子、なぜか俺の事をウサギと呼ぶのだ。カチューシャのせいかな。何度訂正しても聞きやしない。
たしかにセーラー服を着てるし、髪の色もどことなく似ている気がするが、俺はウサギではないのだ。
なぜそんな呼ばれ方をしているのか、というか、彼女がここで寝ているのかは、昨日の記憶を掘り起こせばわかる。
昨日。
新しい艦娘に挨拶をしに行こうと言う事になって、俺と吹雪と夕立と叢雲の四人で、隣の部屋に突撃した。
ノックをすれば、はぁ~い、とちょっと焦った、間延びした声。
返事があってから数分くらいして、ようやく扉が開かれた。出てきたのは、海外艦の名にふさわしい、外国人風の女の子――もっとも、外人風味なら俺もそうだし、夕立と叢雲もそうなんだけど――だった。
頭の左右で長髪を結んでツインテールにしている(頭の右側にくっついてるのは、方位磁石だろうか?)リベッチオは、背の低い朝潮よりももうちょっと背が小さい、完全な子供だった。腕も足も細っこくて、これを戦場に連れていくってのには抵抗を覚えてしまうくらい。
彼女は、部屋の片づけに苦労していたみたいだ。長く使われていない部屋なために埃が積もっていて掃除が必要だったし、壊れた家具や何かが置かれていたので、それの除去に悪戦苦闘してるようだ。
艦娘なのだから、大きな家具の一つや二つ運べるだろうけど、どれを移動させて良いのかわからないんだろうな。でも、なぜ今になって掃除してるんだろう。彼女は今日着任したばかりって訳でもないだろうに。
「
「はいはい、手伝いに来たわよ」
叢雲は彼女と面識があるんだったね。リベッチオが最初に話しかけたのも叢雲だった。叢雲が先導するので、部屋の中に入る。内装は俺達の部屋と変わらないね。でも、右側にベッドがない。広々としてる。反して、左側はベッドに棚にダンボールにと、雑多な物がてきとうに置かれている。隅っこの、汚れていない場所に手提げ袋がある。あれが、彼女の荷物だろうか。
「
「私は吹雪。リベッチオちゃん、よろしくね」
「夕立は夕立っぽい。駆逐艦で一番強いっぽい」
あ、夕立のやつ、新人相手だからって自分を盛ってやがる。
夕立改二の最大火力は確かに駆逐艦最強と言っても過言ではないけど、今の夕立はそうじゃないでしょ。
駆逐艦最強はシマカゼだよ。
一歩前に出て、俺も自己紹介をする。
「私はシマカゼ。これからよろしくね」
「ぴょんぴょん! ウサミミー! ……ウサギ?」
なぜかウサギ認定された。前に出た際にカチューシャのリボンが揺れたのがそう見えたのだろう。彼女の目は、俺の頭上に釘付けだった。
「シマカゼ! アンダスタン?」
「んー」
「さ、あんた達。準備は良い?」
あれ、スルーされてない?
叢雲が手を打って俺達に呼びかけると、吹雪と夕立はいつでも良いとばかりに返事をした。あの、俺の名前……。
いや、今すぐ覚えさせなくてもいいか。交流している間に勝手に覚えてくれるだろう。
初めてできた後輩に吹雪も夕立も大張り切りだからね。きっと今後も構っていくはず。
かくいう俺も、後輩ができてちょっと嬉しかったりする。学生時代を思い出すね。
そうして始めた大掃除は、叢雲が部屋内の荷物の用不用を教えてくれたのでスムーズに進んだ。時折、部屋内に連れ込んだ連装砲ちゃん達にリベッチオが意識をとられて追いかけ回したりしていたが、誰かが一声かければすぐに掃除に戻った。
彼女は、素直で、良い子だ。元気が溢れてるし、笑顔も多い。
でも、その無邪気な笑顔を見てると、無性に不安になる。
なんだろう、思い出すんだよな、その表情見てると……姉さんの事。
誰かに人の影を重ねて見るのは駄目だって思い知ったはずなのに、どうしても重ねてしまう。
彼女の笑顔が少し苦手になった。
「ウサギー、レンちゃん触っていい?」
「後は軽く掃くだけだし……まあ、いいよ」
「
ぐらっちえー? どういう意味だろう……英語はわかんないんだけど。あ、イタリア語か。
こっそり夕立に聞いてみたら、ありがとうって意味なんだって。素直にお礼を言える良い子だねー。好感が持てる。
「ウサギのウサギもウサギだよね。ウサギっぽいよー!」
『キュー?』
ウサギウサギ連呼しすぎだ。……彼女の中で俺への認識がウサギで固まりつつあるのを感じるんだけど、どうにかなんないかなーこれ。
連装砲ちゃん達と戯れるリベッチオを眺めていると、叢雲に箒を手渡された。
「あんたが――」
「彼女の代わりにやれって事ね」
「……そうよ」
あーあーみなまで言うな。
彼女が遊ぶ許可を出したのは俺なので、俺が始末をつけろ、と、そういう訳だね?
それに否はない。俺が掃き掃除をしてあげよう。
といっても、もう粗方終わってるんだから、軽くやる程度ですぐ終わった。
あとは、ベッドのシーツを洗濯して新しいものに取り換えるのと、少しの間換気しておくくらいかな。
「ヤッホー、もう終わっちゃった!」
「まだ掃除しただけよ。必要な物を揃えないとね」
砲ちゃんを抱き締めたまま駆け寄って来た彼女が、喜色満面で万歳した。感情表現が豊かだ。叢雲は、冷静に答えているつもりでも、視線が砲ちゃんに向けられていて上下にぶれている。……連装砲ちゃんの魅力にやられすぎじゃないかな。
「ムラクモさん、ユーダチさん、ブッキーさん、ウサギー、アリガトね、助かりました!」
「お互い様よ」
「後輩さんのお世話をするのは、先輩の務めっぽい」
「ブ……え、待って、ブッキー……え、私のこと?」
「私、敬称略されてるんですけど。……あの」
「それじゃあリベッチオ、この後何するかわかってるかしら」
「提督さんにご報告!」
「正解」
それじゃあ行くわよ、とリベッチオを引き連れて部屋の外に出る叢雲に、夕立が続く。
俺と吹雪は顔を合わせて、溜め息を吐いた。
なんで俺達だけあんな呼び方なんだろう……。
◆
執務室へやってきた俺達は、入室の許可を得ると、叢雲を先頭にして部屋に入り、それぞれ敬礼をした。リベッチオも俺達に続いてたどたどしい敬礼を見せてくれた。あの慣れてない感じ、前にいた場所では入退室の際の挨拶はなかったのか、それとも彼女が発生か建造したてなのか。
「部屋の片づけは終わったみたいだね」
「うん! みんなが手伝ってくれたのよ!」
部屋の中には、提督と電に、助秘書だろう龍驤と、それから、見慣れない艦娘がいた。
提督とリベッチオの会話を他所に、龍驤の横に立って、手にしたクリップボードを読んでいる女性を眺める。
彼女は……
黒髪は腰まで伸びる長髪で、ヘアバンド代わりに白い鉢巻を巻いている。セーラー服は標準的な物だけど、スカートの両側は、明石みたいに切れ込みが入っていて肌色が覗いている。
下縁眼鏡をかけていて、とても利口そうに見える、有名な人だ。
任務画面やイベント時の解説を担当してたから、うん、よく覚えてる。
でも、その彼女がなぜここにいるのだろうか。うちの鎮守府に大淀はいなかったはずだ。
……隣で仕事している龍驤がむすっとしてるのはなんでだろう。
俺だけでなく、みんなが大淀を見ていたのだろう。視線を向けられていた彼女が顔を上げ、
「おっと、君達にも紹介しておかなきゃな。こちらは、本日本部から転属してきた大淀だ」
「どうも」
クリップボードを下げて、丁寧に頭を下げる彼女に、つられてお辞儀をする。あ、吹雪とリベッチオもつられてる。仲間だ。
「ご紹介に預かりました、軽巡洋艦の大淀です。本部では三年、艦隊指揮と運営に携わってきました。貴女方のお力になれるよう尽力していきたいと思っています」
「丁寧な挨拶やな」
「ここでは私は新参なので」
ファイルを閉じた龍驤が顔を上げてそう言うと、大淀は微笑んで返した。……火花が散ってるように見えるのは気のせいかな。
ていうか、やっぱり龍驤、機嫌悪い?
……あれかな。前に言ってたやつ。助秘書に任されるのは、提督の信頼の証だっていうの。大淀は新入りなのに、この場にいる事を許されているのが気に食わないとか、かな。
詳しい事はわからないから、なんとも言えないんだけどね。
「提督、これからは、雑務は私が引き受けます」
「ああ、それは……助かるが」
これからは、というのが妙に引っ掛かる言い方をする大淀に、提督は頷いて、しかし、と続けた。
「うちには秘書艦の他に助秘書もいるからな。君の手はあまり煩わせないさ」
「助秘書というシステムは、私のような役目を持つ艦娘を作り出す仮のものでしょう」
「ああ、そうだ。すまないが、このシステムの廃止はない。俺の着任当時からやっている事だ。……これは、俺の我が儘にしかならないが……やめた方が良いって事は、何かしらあるんだろうな」
言外に助秘書はいらないと言う大淀に、提督は必要だと返した。結構昔からあるんだ、この制度。
「……敢えて挙げるほどの不備はありません。すみません、少々やる気が空回りしてしまったようです。私は他の仕事に専念しますね」
それは例えば送られてくる任務の整理だとか、通達だとか、そういうの。
眼鏡の位置を直しながら言う大淀は、やっぱり有能そうだった。まだ張り詰めたみたいに空気を纏ってるけど、緊張してるのだろうか。……それはないか。本部に所属してたって事はエリートさんって事だし、ああ、たぶん彼女の雰囲気は、そういう特有のものなのだろう。
「それで……君達の事だったね」
ようやっと俺達……リベッチオの話題に戻る。
提督は、必要な家具や生活用品はこちらで手配する、と言った。手の空いているらしい大淀が率先して関連の仕事を引き継ぐと、何をいつにどれだけ運ぶかを簡潔に話してくれた。
机だとか、欲しいのなら新しいベッドとか。リベッチオはいまいちわかってないみたいだったけど、大淀は二、三質問して、リベッチオから要望を引き出し、纏めてみせた。同時進行で、手元のクリップボードで必要書類を作成していたらしい。あとは提督の印が必要なだけのものを提出すると、端の方で待機した。
……一人だけ別のゲームしてる人みたいだな。
ともかく、報告はおしまい。退室許可も得たし、リベッチオの部屋に戻ろう。
部屋の外へ移動しようとした時だった。
独特の通信音が響くと、電が手を止めて、提督の机に置いてある機械を弄った。
そうすると、空中に光の板が投射され、そこには、提督と同じ格好をした青年が映し出されていた。
TIPS
・島風の声
この小説を書く前から出すと決めていた要素。
本当ならもっと前から出てきていたはずだった。
・ウサギ
第一印象で決められた愛称。
たぶん本名は呼んでくれない。
美少女戦士ではない。
・大淀
大本営最強の刺客、大淀が軌道エレベータで待ち構える。
できるスーパーエリートさん。
此度の功績を称えて、という名目で送り込まれてきた。
・龍驤
新入りがでかいツラしてるのが気に食わないらしい。