島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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人によっては合わない描写があるかもしれません。


第四十七話 返事

 孤島。

 仮の拠点、その二階部分。

 建物の後ろ半分は工廠の爆発によって見るも無残な姿に変わったものの、シマカゼと朝潮が寝起きしていた部屋は一つの損傷もなく無事だった。

 ゆえに朝潮は、急いでシマカゼをこの部屋まで連れてくると、木製のベッドの上に寝かせ、少しでも体温を取り戻せるように、埃を払った布をかけた。

 できれば清潔な布を使いたかったが、何日も放置されていたこの建物にそう綺麗な物はないし、あったとしても取りに行く時間はない。

 

 ――彼女は、シマカゼの体は、冷たかった。

 

 レ級を倒し、改二の状態が解けてしまって倒れてからは、彼女の体温は急速に失われていった。それはまるで生きる活力さえも同時に抜け出てしまっているかのようだった。

 背負ってここまで運んできた朝潮には、それがはっきりとわかっていて、刻一刻と弱っていく彼女の状態に気が気でなかった。

 

『キュ~』

 

 連装砲ちゃん達がベッドの上に乗り、朝潮とは反対側からシマカゼに寄り添うと、心配そうに覗き込む。目を閉じたシマカゼは、ぴくりとも動かない。いくら連装砲ちゃんが鳴こうと、朝潮が声をかけて揺らそうと、息一つしなかった。

 心臓も、止まっていた。

 

「シマカゼ……」

 

 力無く座った朝潮は、沈痛な面持ちで彼女の名を呼んだ。

 握った手の、細い手首に指を当てて脈が無いと知ると、壊れ物を扱うようにベッドの上へ手を置く。意思無き肉体はどこか軽く、朝潮にはそれが普段とはまったく違った感触に思えた。

 

 返事はない。当然だ。

 彼女はもう、生きてはいないのだから。

 

「シマカゼ……!」

 

 じわりじわりと暗い影が頭の中を侵食していく。

 閉じたままの目。動かない胸。急いで寝かせたために、乱雑に広がった肢体はぴくりともせず、だから。

 朝潮は、シマカゼが、自分の恩人が、死んでしまったのだとようやく認識し始めた。

 

 自分のために。

 そう思うのは自惚れかもしれない。だが朝潮には、形容しがたい感情をやり過ごすには、自分を責めるくらいしか思いつかなかった。

 無様にも攫われて、自力の帰還も叶わず、ただ助けられた。無力な少女のように。

 膝に当てた拳を音が鳴るほどに握り締めて、唇を噛む。

 友と言っても差し支えの無い艦娘が死んだというのに、なぜ悲しくもならず、冷静にものを考えていられるのだろう。自分はそこまで非情だったのだろうか。

 自責の念の片隅に、そんな考えまで混じり始める。

 今の朝潮は、上手く現実を受け止められていない。いわば、ショックを受けて心神を喪失しているような状態だ。呼吸は浅く、視界は薄ぼんやりとして焦点が定まっていない。今外敵に襲撃されれば、たとえそれが非力な人間だったとしても、容易く倒されてしまうだろう。動揺は、激しい。

 それでも艦娘としての機能か、彼女の実直な性格のためか、生死の確認をし、その結果に直面しても、大きく心を乱してはいない。

 いつなんどきも冷静にあるように。

 戦う者であるならば。そこが戦場であるならば。

 自身に根付く考えが、焦りや、他の感情を抑制する。常の冷静さを取り戻させようとする。

 それさえ、朝潮は自分を責める材料にした。

 どうして。

 ただ、どうしてという言葉が浮かんできて、でもそれに続く言葉は見つからない。答える声も、ない。

 だって、シマカゼは死んでしまったのだから。

 

「…………」

 

 いや。

 死んではいない。

 たしかに、急激な温度の変化に、まるで氷に触れるような錯覚を得て、もうどうにもならないのだと思い込んでしまっていたが、そうではない。そうでないはずだ。

 心肺停止しているからといって、まだ十分も経ってない。血の巡りは完全には止まっていないだろうし、脳だって生きている。

 ならば素早い救護が必要だ。シマカゼは、死んでない。死んでないのだから、助けられる。

 片膝立ちになって毛布を捲った朝潮は、胸元まで破けて、ボロボロになった衣服の、焦げている端部分へ手を当てると、硬い布越しに柔らかな膨らみを感じて、そっと左へ手をやった。体の中心線をなぞるように、正しい位置へと手を動かす。鳩尾の上辺り。

 剥き出しの肌に当てた右手にさらに左手を押し当て、肘をまっすぐに伸ばして、ベッドに膝を乗せる。体重をかけて数度、心臓マッサージ。

 

 朝潮は、心肺蘇生を試みようとしていた。

 あの日シマカゼが朝潮にそうしたように、手を押し当て、ふっ、ふっと息を吐きながら体ごと上下する。手だけを注視して、機械のように正確に、肌に手を押し込んでいく。

 次は、と身を起こした朝潮は、そこで止まってしまった。

 シマカゼの顔へ伸ばそうとした手は空中に縫い止められたみたいに固まり、朝潮の顔には、戸惑いが浮かんでいる。

 彼女が止まってしまったのは、もちろん、何をすれば良いかわからなくなったからなどという理由ではない。

 艦娘としての戦い方や軍の規律……生まれもった知識にあるその二つ以外の必要なものは、『授業』で習い、習得している。誰かを救うための技術もその一つだった。

 だから彼女が心肺蘇生法を知らないなんて事はありえないのだ。真面目な彼女が手順を忘れてしまったなどの可能性もない。こういった局面に立ち、焦っているのは確かだが、それで教えられた事を忘れるほど彼女は素人ではない。発生して数年経つ、ベテランだ。

 ではなぜこうして固まり、じっとシマカゼの顔を見ているのか。

 シマカゼが目を覚ましたから……というのでもない。

 ただ、朝潮の頭の中には、この建物の地下に当たる工廠で、シマカゼが自分に向けて言った言葉が浮かんでいたのだ。

 彼女は自分に、こう頼んだ。

 

『この気持ちに答えをくれるのなら、口づけをしてくれ』

 

 自分の目を真っ向から見つめて、熱のこもった声で、真剣な言葉。

 その台詞を聞いた時、朝潮の中に言葉では言い表せない、複雑な感情がわっと溢れて、だから少しの間固まってしまった。硬直はすぐにとけたが、生まれた感情は膨れ上がるばかりで、どうしようもなかった。あの時レ級が来ていなければ、朝潮は……。

 

「…………」

 

 好意を向けられているのは、知っていた。

 彼女の言動から窺い知れたのではなく、花火の上がる夜空の下で、想いを告げられたから。

 もっとも、色恋の絡まない好意であるならば、彼女(シマカゼ)が着任するその前、この孤島で過ごしていた時から、いっそ過剰であるくらいに受け取っていたのだが……。

 

 シマカゼが朝潮に向ける好意は、朝潮が命の恩人であるシマカゼに向けるものとはどこか違っていて、とても大きなものだった。

 それに気づかないほど朝潮は鈍くない。会うたびにとびきりの笑顔とたくさんの言葉を貰って、気付くなという方が無理がある。新人としてシマカゼが着任した直後にも、彼女が朝潮の話を多く口にするというのは聞いていた。それもあった。

 だがそれが、あたかも異性に向けるような感情であるとは、さすがにわからなかった。

 自分に向けられる好意の大きさが普通でない事には気付いていた。朝潮が感じるシマカゼへの恩と、その人格や言動から得た好意と信頼。そのすべてを合わせたって、シマカゼが朝潮へ向ける好意の大きさを越える事はない。だから、過剰。その気持ちの正体がわからなかった。

 

 同性にそういった感情を向ける事があるというのは、知識の上でなら知っていたが、それが自分の身に起こるなど露とも思わなかった。

 しかしシマカゼが自分に打ち明けた秘密を(かえり)みれば、これはあっておかしくない気持ちなのかもしれない。元々男であった彼女……いや、彼であるなら、自分に好きだという気持ちを抱くのも変ではない。

 好きというのは、大きな気持ちだ。大切で、無碍に扱ってはいけないもの。だからこそ、朝潮は中々受け入れられなかった。色々な考えを巡らせて、何か違う気持ちなのではと思い込もうともした。

 その好意は、誰かを自分に重ねて見ているからだと思っていたのだが、二度目の告白でそれもなくなり、そうすると朝潮は、シマカゼの気持ちと真正面から向き合わなければならなくなった。

 告白なんてどれほどの勇気が必要なのだろう。その大変さは、恋愛話などに疎い朝潮にだって想像できて、それを自分に三度もしたシマカゼは、どれだけの勇気を振り絞ったのだろうと考えてしまう。

 その努力に報いるためだけに頷いてやろうと思えるくらいだったが、朝潮はそうはしなかった。彼女の気持ちに、ちゃんと考えて答えを出したかった。

 

 それが今、心臓マッサージの次の行為へ移ろうとして、固まってしまった理由。

 人工呼吸。息を吹き込むための動作。

 

 人工呼吸の仕方は幾つかあるが、朝潮が知っているのは直接唇を合わせるものだ。

 それは、言ってしまえば口づけだ。キスをする……それって、彼女の気持ちに答えた事になってしまうのではないのか?

 そう思って、躊躇った。

 この瞬間に限っては、朝潮の頭からは意識のないシマカゼにそうしたところで返事にはならないだとか、そもそも口づけだなんだと意識している場面ではないなんて事は抜けていて、ひたすらシマカゼの唇に視線を注いで、迷っていた。

 その行為はとてもデリケートなもので、早々して良いものではなくて、する勇気もなくて。

 それでいてその感触や気持ちを想像してしまうのだから、朝潮も恋愛ごとにまったく興味がないという訳ではないようだった。

 躊躇っている時間はないのに、焦りからくるドキドキと羞恥や何かからくるドキドキで顔が熱くなって、くらくらする。

 出てもない汗を拭うために額に腕を押し当てた朝潮は、動こうとしても動かない体に、積もっていくドキドキに、どうしようもなくなっていた。

 

『キュー?』

「……はっ!」

 

 悩める乙女に、連装砲ちゃんの不思議そうな声が届く。一気に現実に引き戻された朝潮は、現状を正しく認識すると、胸中で激しく自身を非難しながら、背を折ってシマカゼの顔に、自分の顔を近付けた。

 意識しないように、意識しないように、意識しないように。

 何度強く念じても、そうするたびに逆に意識してしまって、顔に血が上るのがわかってしまう。頭を振って邪念を払えば、黒髪が揺れて、すぐ下にある彼女の体をくすぐった。

 頬に手を添える。クリーム色の髪を外側へ退かし、人工呼吸の際の障害物をなくす。

 

「……すみ、ません……!」

 

 その謝罪がどういった意味のものであるかは、朝潮自身にもわからなかった。

 意を決して、シマカゼと唇を重ねる。縦に対して横向きで合わせ、添えた手と口で彼女の口を開けさせると、息を吹き込む。

 一連のプロセスがやけに長く感じられた。

 想像していたよりずっと柔らかいだとか、鉄の味がするだとか、長く合わせていれば唾液が伝ってしまいそうだとか――もっとも朝潮は緊張していて、口内はからからに乾いていたのだが――余計な事ばかり考えてしまう。

 横目にシマカゼの胸が、送り込んだ空気によって膨れているのを確認した朝潮は、やっと顔を離し、体を戻した。唇にあった温かさと滑らかな感触が消え、少しの寂しさが残る。体感では何分も唇を合わせていたが、実際には十秒とちょっとくらいだった。頭がショートしかかっている朝潮にはわからない事。ただ、長いことキスをしていたという記憶だけが残る。それを不謹慎だとか不埒だとか考える余裕もなかった。

 

 再び胸に手を置いて何度も押す。唇を押し当てて息を吹き込む。その繰り返し。

 胸の内で暴れ回る心臓の音がうるさくて、蘇生に成功しているかどうかわからず同じ動作を続けて、何度目か。

 シマカゼの肩に手を当てて顔を近付けていた朝潮は、ぱっちりと開かれた目と目が合って、固まった。

 

「し、シマカゼ……?」

 

 むくりと身を起こしたシマカゼに、朝潮は恐る恐る声をかけた。目覚めが唐突で、理解が追い付かない。ふわーあ、と大あくびをしてから朝潮へ顔を向けたシマカゼが、眠たげな半目を瞬かせて、小首を傾げた。

 

「おはよ?」

「……っ!」

 

 違う。

 これは、シマカゼではない!

 直感だった。

 朝潮は、声も姿もまるきり同じで、ずっと傍にいたはずのシマカゼを、別の誰かだと認識してしまった。

 イントネーションの違い。些細な表情の違い。仕草の違い。自分へ向ける感情の違い。

 小さな一つ一つを、たった一言の挨拶の間に読み取った朝潮は、素早くベッドから下りて距離をとった。

 自分でもなぜそうしているのかわからないまま警戒する朝潮を、シマカゼ……目覚めた島風は不思議そうに眺めていた。

 

「連装砲ちゃんも、おはよ」

『キュ~』

 

 やがて、顔ごと目を逸らした島風は、もっとも近い連ちゃんの頭を撫でながら、一体ずつ挨拶をしていった。

 強い違和感。

 何かが違う。朝潮はそう感じて……なぜそう思ったのかを理解した。

 

「……服、が」

「ん? なに?」

 

 島風の服が元通りになっている。

 いくつか肌にあった傷もなくなり、発生したてのような姿に変わっていたなら、おかしさを覚えないはずがない。

 修復剤を使った訳でもないのに、突然の回復。常識から逸脱した現象に朝潮が動きを止めていたのは、数秒にも満たない時間だった。

 

「誰、ですか」

 

 誰何(すいか)の声。

 自分の知らない島風に、朝潮は構える事もできず言葉を投げかけるに留めた。まあ、構えるも何も、現在朝潮は丸腰も同然だ。魚雷のない発射管を向けるのがせいぜいで、威嚇も牽制もままならない。

 そのためかどうか、連装砲ちゃんの頭を撫でていた島風は、たっぷり数十秒間をあけてから朝潮を見て、「前に会ったじゃん」、と笑いかけた。

 その口ぶり。やはり彼女は、シマカゼではない。

 シマカゼであったなら出てこないはずの言葉に確信を強める朝潮。

 復活の後遺症で記憶が飛んでるとか、寝ぼけているだけという可能性も否めないが、見る限り意識ははっきりしていそうなので可能性は低い。

 だが、前に会ったと言われても、朝潮にはシマカゼが見知らぬ島風に変貌したところなど見た事ないし、この島風との面識もないはずだった。

 

「そーだっけ? ごめんごめん。すっごく眠かったからさー」

 

 会った事はない、と朝潮が言えば、島風は顎に指を当てて天井を仰ぎ見て、そういえばそうだった、とおかしそうに笑った。

 笑い方も、シマカゼとは違う。

どこか男の子っぽさを持っているシマカゼとは違い、彼女の笑顔は自然な女の子らしいものだった。自分に元は男だったと打ち明けたシマカゼではありえない表情だ。

 いや、もう数ヶ月もして、少女としての生き方に慣れてしまえば、笑い方も変わるかもしれない。それでもまだ、シマカゼはそういった段階には遠い。

 

「それで……あなたは?」

「ん? ……? ……あ、島風だよ」

 

 再度朝潮が問いかければ、彼女は膝に乗せた砲ちゃんの手を握って緩やかに振りながら、わかり切った事を言った。

 そうでなく、なぜその島風がシマカゼのいた場所に出現しているのか。朝潮はそう聞きたかったのだ。

 

「それは島風が、あの子を呼んだからだけど」

「呼んだ……とは」

 

 聞けばすぐ答えてくれる島風だが、その言葉の意味はいまいちわからなかった。

 布を退けてベッドの縁に腰かけた島風が、髪を弄りながら説明する。

 

 島風が海の上で目を覚ました日。

 連装砲ちゃんとともに波間を彷徨い動いていた時、突如として深い霧に包まれた。

 それはすぐに晴れたが、晴れ空には敵の艦載機が何機も飛んできていて、おまけに戦艦まで現れて……。

 生まれたばかりで練度も何もあったものではなかった島風は、その戦艦の手で僅か半日の生を閉じようとしていた。

 機銃の掃射に雷撃の連打に至近からの砲撃。木端微塵になれという意思が感じられる猛攻に敗れて、沈んだ島風は、海底にあった岩に寄りかかる形で力尽きた。

 意識はあったが、体は指一本動かず、壊れかけの生体フィールドからは留処なく白い泡が浮かび出て、溺れ死ぬのも時間の問題だった。

 五体満足でいられたのはなんの慰めにもならなかった。

 岩から僅かに滲み出る修復剤の原液……グリーンゼリーも、彼女の体を治しきるには至らない。

 

 意識が遠のく中で、一度も戦いらしい戦いをできなかった島風は、こう願った。

 戦いたい、と。

 単純な願いは、それゆえに強く胸にあり、半分闇に包まれた暗い視界の向こうに、何度もそう呼びかけた。

 戦いたい。まだ、戦える。戦える体を。誰か――。

 応える声などあるはずもないのに、意識を繋ぎとめるように同じ言葉を繰り返して、何度目か。

 細い視界のずっと遠くに、自分を見つめる人影がいるのに気付いた。

 だから今度は、その人影に向けて嘆願したのだ。

 お願いだから、戦わせて、と。

 資材となって誰かの力の一部になるのでもいいから、私を戦わせて。

 私が壊れる前に、速く、こっちにきて。

 はたして、呼びかけられた誰かは、確かに島風の体へ入り込んだ。

 波が体を浚う。

 揺れ動く海の中で、意識は切り替わり、体もまた新たなものとなった。

 その瞬間に、島風は再び誕生したのだ。

 逃しきれないダメージが体に残ってしまっていたが、付近の島に流れ着き、生き延びる事ができた。

 

「そこからは、ずーっとこの子の心の奥底から、外を見上げてたの。あなた達が戦ってるの、ずっと見てたんだ、私」

「そんな……」

「信じられない? いいよ、別に。私にだって何がどうなってるのかなんてわかんないもん。沈んだ船の戯言だって思って貰ったって構わないよ」

 

 荒唐無稽な話だ、とは、朝潮には言えなかった。

 むしろ、シマカゼが変な艦娘だった理由に、これほどわかりやすい答えを示されて、落ち着いてしまったくらいだった。

 そうなると気になるのは、シマカゼはどうなったのか、だ。

 朝潮は、逸る気持ちを抑えて――なにせ、目の前の島風は、今はのんびりとして足をふらつかせているが、轟沈を経験した艦娘なのだ――、できるだけ穏やかにシマカゼの安否を聞いた。

 生きてるんじゃない? と、島風はなんて事ないように言った。

 

「ほ、本当ですか?」

「嘘ついてどうすんの。島風にはね、あの子が生きてるくらいの事はわかるの。凄くない? 凄いよね」

「……え、ええ、まあ……そうですね」

「だよね! うん、私ちょー速い」

「……はい」

 

 満足気にうむうむと頷く島風に、朝潮はなんと返事をすれば良いのかわからず、ただ頷くばかりになってしまった。

 何がどうして速さの話になっているのかわからなかったし、凄さというのもよくわからなかった。

 だが、彼女が嘘を言っていない事だけは理解できた。

 シマカゼは生きている。生きて、たぶん、彼女の中にいる。

 

「……その、シマ……あの人は、眠っているのですか?」

「んー、ぐっすり? お疲れさま? たくさん戦ったからね、今は私の中で寝ちゃってる」

 

 私だって眠いのにー、と不満気にぼやく島風に、朝潮は重ねて質問した。

 シマカゼは戻ってこれるのか。そうだとして、あなたはどうなるのか。

 目の前の島風の中では、それは疑問に思うような事ではなく、決まっている事のようで、怪訝な顔をしながらも二つに答えた。

 そろそろ戻ってくるし、あの子が表に出れば自分はまた心の底へ沈んでいくだけ。

 沈む、という言葉は、艦娘にとってあまり歓迎すべき言葉ではないのだが、島風は表情も変えず、リラックスしたままにその言葉を口にしていた。

 きっとその現象は、苦ではないのだろう。そうである事に文句はないのだろう。朝潮には、そう思えた。

 轟沈に際して呼び寄せた、この場合はどこかの普通の人間・福野翔一であるが、その彼が表だって体を使い、シマカゼとして生きている事に不平不満を抱いていない。

 それは島風の望みが、どんな形であっても戦いたかったから、というのも関係しているのだろう。

 

「私の仇も討ってくれたし、文句なんかないよ。それにどうせ島風は、ずっと外に出ているなんてできないし」

「そう……なのですか?」

「うん。無理矢理こんな形になっちゃったからかな。表に出てるとすっごく疲れるの。今だって、眠いんだ」

 

 そう言って目を擦ってみせる島風に、朝潮は同情を寄せた。本当だったら沈んでいたとはいえ、こうして生きているのに、普段は自由に動く事もできないなんて、かわいそうだ、と。

 そう考えるのが失礼だとわかってはいるのだが、どうしても、そういう気持ちがわいてきてしまった。

 

 彼女が敵や何かではないとわかったのだから、いつまで距離をとっていてもしょうがない。歩み寄った朝潮は、連装砲ちゃんと戯れる少女を見つめながら、ふと、一つの疑問を浮かべた。

 表に出ているのが疲れるような事ならば、なぜ今もこうして外に出ているのだろう。

 シマカゼが危険な状態だから、休養のために代わりに彼女が出ていると考えられるが、それは憶測だ。聞けば教えてくれる島風に、朝潮はすぐに聞いてみる事にした。

 

「あ、そうそう。言いたい事があるから出てきたんだった」

「言いたい事、ですか?」

「この子ね、なんかずーっと島風に遠慮してるの」

「それは……当然なのではないでしょうか」

 

 シマカゼにとって、彼女の体に宿ったのは意図しての事ではなく、また、島風の考えもわからないのだから、元の体の持ち主に対して色々と考えてしまうのは仕方ない。

 

「ね、あの子に伝えといてよ。島風の中にシマカゼがいるんじゃない、シマカゼの中に島風がいるの。私達は一つだよ、って」

「……わかりました。必ず伝えます」

 

 真剣な顔をして、その体がシマカゼのものだと語った島風は、言い終わってすぐ気の抜けた顔になると、ベッドに倒れ込んで、お腹の上に乗せた砲ちゃんを構い出した。言いたい事はそれだけ、らしい。

 彼女の言葉を伝えれば、シマカゼの心の負担を大きく取り除く事ができるだろう。大きな役目を受け取った朝潮は、少々緊張した面持ちで姿勢を正すと、ぽんぽんと放り投げられている砲ちゃんを目で追った。

 そろそろ限界、と彼女が呟いたのは、数分もしないくらいだった。

 

「それじゃ、また会えたら、その時はよろしくね」

「はい。その……ありがとうございました」

「ん? なんでお礼言われたかわかんないんだけど……まあいっか。じゃね、おやすみー」

「おやすみなさい」

 

 寝転がった島風は、別れの挨拶を済ませると、目を閉じて脱力した。着地した砲ちゃんが連ちゃんと装ちゃんの隣に移動する。

 島風がいなくなれば、衣服も体もボロボロのシマカゼが出現した。瞬きせずに見ていても、移り変わる瞬間は捉えられない。唐突に肌色が増えるのは、心臓に悪い。

 

「ん……」

「シマカゼ……?」

 

 声を発した彼女に、朝潮は恐る恐る呼びかけた。ひょっとしたらまだ島風なのかも、という考えと、彼女が生きているという安堵が混ざって、どう動けばよいのかわからなくなってしまっていた。

 目を覚ましたシマカゼは、しかし起き上がろうともせずにじっとしている。

 宙を見つめた瞳に活力はなく、連装砲ちゃんが心配そうに鳴いた。

 朝潮は、その現象に見覚えがあった。

 補給の当てがなく、燃料の減少が危険域に達した艦娘は、みな一様に意思のない人形のようになってしまうのだ。

 声を発したという事は、燃料が尽きかかっていると言っても、それほど危険な状態ではない。すぐに補給すれば、そう時間の経たない内に意識もはっきりしてくるだろう。

 この場に燃料などないが、朝潮には、彼女に補給してやる当てがあった。

 ベッドへ駆け寄り、仰向けになっているシマカゼの背に腕を入れて抱き起すと、その手を包むようにして握り、生体フィールドを纏った。

 艦娘間での燃料の譲渡を行おうとしているのだ。

 同じ艦種ならばできる荒業。これで相手が回復できる量は微々たるものだが、今のシマカゼにはそれで十分だろう。朝潮自身もだいぶ燃料が減っていたが、ある程度余裕を残してシマカゼに意識を取り戻させる事に成功した。

 

「……あさしお?」

「はい、朝潮です!」

 

 まだ意識が明瞭ではないのだろう、シマカゼは朝潮へ顔を向けると、舌足らずに呟いた。それに元気よく返す。助かって良かった。朝潮の胸には、喜びが満ちていた。

 その気持ちに押されるように、朝潮はシマカゼの顔に接近すると、軽く触れる程度に口づけをした。

 

「……え、あの、何を……?」

 

 一気に意識が覚醒したのだろう、肌に赤みが増して体温も取り戻したシマカゼは、それに留まらず真っ赤になって、口元を手で覆った。

 寝ぼけの代わりに混乱しているらしい。仕方なしに朝潮は、身を寄せて、再度同じ事をした。

 

「これが、答えです」

 

 顔を離し、一言一言、ちゃんと伝わるように言う。朝潮も、真っ赤な顔をしていた。

 ベッドに置かれたシマカゼの手に自身の手を置いた朝潮が、まっすぐ目を見つめれば、ようやく事態を飲み込めたのだろう。シマカゼはにっこり笑って、ありがとう、と言った。

 お互いの胸の中で、嬉しさが膨れ上がる。気持ちを受け入れた、と、受け入れてもらった。同じベクトルの気持ち。

 朝潮がシマカゼの想いを受け入れたのは、状況に流されたからだとか、恩に報いるためになどではない。

 ちゃんと考えて答えを出した。

 そもそも朝潮は、彼女の事は嫌いではなかったし、好いていた。それが性別の垣根を越えるものなのか、そもそも恋愛の情なのかもわからなかったが、こうして気持ちをぶつけられて、自覚した。

 

 告白されて、性別を明かされて、ずっと大きな好意を寄せられて。

 意識してしまうのは当然の流れだった。

 大事な事を自分だけに教えてくれた。信頼されている。

 それは嬉しい事だ。

 思えば、最初からそういった艦娘としてはおかしい部分に惹かれていた気がする。

 きっと自分は、この人が好きなのだ。

 好き。

 どこかにあった正体不明の感情に名前を付けると、それは一気に表へ出てきて、朝潮を動かした。

 三度目の口づけ。想いをぶつけるように、この気持ちが本物なのだと示すために、唇を重ね、体を押し付ける。肩を掴んでいた右手は、いつの間にか、シマカゼの手と絡み合って胸元にあった。

 目をつぶれば、熱っぽい息と、小さな声と、口に触れる柔らかい感触がはっきりと感じられた。

 

 気がつけば朝潮は、ベッドの上に仰向けに寝ていて、その上に島風が乗っていた。顔の両側にある腕。影のかかった顔。太ももに擦れ合う両足。

 ……あれ、と、朝潮は内心で首を傾げた。

 好きだという気持ちを確かめ合うためにキスをしていたのに、いつの間にこんな状況に。

 というか、さすがにこれはいけないのでは。

 キスの先、となると、朝潮には何をするのかなんてあんまりわからなかったが、肌まで合わせていれば感じられるシマカゼの気持ちの昂りと、自身の火照った体に、してはいけない事をしようとしていると思った。

 それは、正しかった。

 寝起きにラブコールを受けたシマカゼは、衝動のまま朝潮を押し倒した。

 このままでは一線を越えてしまうだろう。連装砲ちゃんは目を覆う仕草でキューキュー騒ぎ、囃し立てている。頭の横にぽとりと落ちたうさみみカチューシャが、彼女が本気なのだと窺わせた。

 慌てて朝潮は、シマカゼの肩に手を押し当てて、起き上がろうとした。

 そうは問屋が卸さない。ここまできて、シマカゼはもう止まらない。

 

「し、シマカゼっ、なぜ乗っかってるんですか!?」

「中指と薬指だけは死守したから。爪もちゃんとやすって綺麗にしてあるから……」

「それとこれとどう関係があると言うのですか!」

「大井さんが言ってたんだよ。こんなの基本よ、って」

 

 大井、という名前に果てしなく嫌な予感を覚えながら、抵抗する朝潮の手を、シマカゼの手が絡め取ってベッドへ押し付ける。溢れた感情ゆえか、涙に濡れ、熱のこもった視線を向けられて、朝潮の抵抗も弱まりつつある。

 いや、でも、これは。

 駄目。駄目です。これ以上いけない。

 

「しっ、シマカゼ、駄目です、こんな場所で……あっ」

 

 首元に埋まったシマカゼの頭を無意識に抱きしめて、朝潮は甘い声を出した。

 危機感や焦りよりも、好意と好奇心が勝ってしまった。

 勝ってしまったのだ。

 誰の邪魔も入らない孤島。二人だけの時間は、まだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

『島風ちゃ――…………うわ』

 

 ……訂正。

 端末に入った通信越しにいけない音を聞いてしまった夕張さんは、最初の一声以後は息を潜めてすべての神経を耳に集中させていた……のだとか。

 

 

 シマカゼと朝潮が鎮守府へ帰還したのは、レ級を倒してからおおよそ十日後の事だった。

 霧がなくなったために、海上を移動しなければ日本へ帰れなかったためだ。

 常に燃料切れの恐怖が付き纏い、未知なる海域を進むのは精神を削る険しい道のりであったが、二人の仲がより親密になったのは言うまでもない。

 端末との通信により途中からは捜索隊も加わっての帰路だったが、その一員である満潮は無事の帰還を祝う催しの際、取材にこう答えている。

 

 ――――ぜっっっっっったいに認めないんだから!!




TIPS
・朝潮の気持ち
実は最初から結構惹かれていたけど
誰かの影を重ねて見られていると薄々勘付いていたので
告白を受ける事はしなかった。

・真夏の夜になにがあったのか
何もなかった。

シーツ(掛け布)の乱れはなにを意味するのか
なんにもなかったってば。

・夕張さん
真っ赤に熟れて机に突っ伏している姿を発見された。
よろしくないです、とひたすら呟いていたらしい。

・島風
長いこと表に出る事はできない。
今後とも翔一が主導権を握る事を了承している。
わりとものぐさなので心の海の底でのんびりしているのが
(しょう)に合っているんだとか。

・名前の呼び方
朝潮だけが島風の事を「シマカゼ」と呼ぶ。

・満潮
姉とウサミミがなんか仲良くなってるのが気に食わない。

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