島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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第四十話 襲撃

 完全休暇二日目。

 一仕事終えた俺が少し疲れた体を揺らして部屋に戻ると、ルームメートが全員揃っていた。

 部屋の中心にあるテーブルを囲んで、お茶を飲みつつ休んでいる夕立と吹雪に、俺のベッドに腰掛けて腕を組んでいる叢雲。……あー、叢雲さん、なんだか不機嫌そう。でも、叢雲の膝の上や、体の周りにいる連装砲ちゃんが彼女の気分を和らげてくれているみたいだから、ひとまず安心して、テーブルに近付いた。

 

「島風ちゃん、お疲れ様っぽい」

「ありがと。……吹雪ちゃんは、どうしたの? なんかやたら気合入ってるみたいだけど」

 

 振り返った夕立が労ってくれるのに笑顔を返しつつ、昨日から今さっきまで起こっていたちょっとしたトラブルの事を思い返す。ある意味俺の憧れの人が来てたんだけど、もう帰っちゃった。本当にいたのかも怪しく感じるのはどうしてだろうか。あの人から強奪したお菓子が右手になければ、本当にそう思えてしまうような気がした。

 ああそうそう、叢雲が不機嫌そうなのも、そのトラブル関係だろう。十中八九そうだ。昨日も怒られたばっかりだったもの。

 

「島風ちゃん、私ね、もっともっと強くなりたい」

 

 吹雪を見れば、彼女は胸元で拳を硬く握り込んで、燃え盛る炎を瞳に灯して、そう言った。それがどういう意味かはわからないけど……それもまた、さっきまでのトラブル関連かな。

 

「そう。じゃ、頑張ってね」

「うん! 一緒に頑張ろうね、島風ちゃん、夕立ちゃん!」

 

 あんまり突っ込んで聞く事でもないだろう。無難に応援の言葉を投げかければ、ありゃ、巻き込まれてしまった。改二目指すっぽい、と息巻く夕立と吹雪が身を乗り出し、手を取りあって盛り上がる。

 

「あら、私は仲間はずれなの?」

「うぇっ!? あっ、や、そ、そうじゃなくてね? む、叢雲ちゃんは、私達より強いし」

「そうでもないわよ。()()なトラブルに対応するのも一苦労するくらいの強さしか持ってないわ」

 

 『一緒に』、か……なんて黄昏ていたら、叢雲に睨まれた。皮肉……。色々押し付けちゃったの、めっちゃ根に持ってるみたい。なんとかしてご機嫌を取らねば。

 

「だったら、叢雲も一緒に頑張ろう、ね?」

「『だったら』って、あん、む!?」

 

 俺の言葉に怒った風に口を開いたその瞬間、俺の右手が閃き、手にしていた小箱から飛び出したミルクキャンディーが見事彼女の口へ収まった。

 さすがの動体視力ですぐさま口を閉じた叢雲が、手を口に当ててもぐもぐやりつつ、半眼で見てくるのから逃げるように顔を逸らす。お行儀の良い彼女は口の中のものを飲み込むまでは喋れないだろう。この隙に吹雪と夕立のまったりゾーンに逃げ込んでしまえ。

 

「って訳で、吹雪ちゃんと夕立ちゃんにも、ミルクキャンディーのお裾分け~」

「あ、ありがと。島風ちゃん」

「ひとやすミルク……? コンビニエンス妖精の商品じゃないっぽい?」

 

 受け取った一粒を手の平に転がしてしげしげと眺める夕立に、まあね、と頷きつつ、座る。

 それは貰い物だから、コンビニには売ってない。鎮守府の外には……どうだろう。売ってんのかな?

 

「味は普通っぽい。……んっ? し、島風ちゃん、ちょっとその箱貸して!」

「え、いいけど」

 

 キャンディーを口に含んで転がした夕立は、片頬を丸く膨らませながら俺に感想を言うと、ん? と怪訝な顔をした。小箱を差し出せば、それを手にすると、裏返したり上部の蓋や下部の蓋を眺め回す。

 

「あ、大丈夫、賞味期限はまだ先っぽい」 

「そりゃそうだよ。今朝手に入れたばかりだもん」

「見間違えてびっくりしたっぽい」

 

 賞味期限切れと勘違いして焦ったのかな? 吹雪と叢雲は、これが安全なものとわかると、止まっていた体を動かしてもごもごを再開した。

 返してもらった箱を裏返し、なんとなく俺も期限を確認してみる。うん、大丈夫。まだ二ヶ月くらいあるよ。

 あんま先の事を考えると辛いので、テーブルの上に箱を置き、後ろに手をついて体を傾けた。ふー、と息を吐いて感情を逃がす。

 叢雲が、上から覗き込んできていた。

 

「…………」

「…………」

 

 まだもごもごやってるけど、怖い顔してる。このままではお小言を言われてしまいそうだ。

 

「さて、私はそろそろ三原先生のところに行こうかな」

「三原先生? なんで?」

 

 さっと体を起こし、そう宣言すれば、吹雪も夕立も不思議そうに見てきた。昨日約束したんだ、ケーキ作りを教えてもらう、って。

 

「まちのケーキ屋さん! 先生、ケーキ作りもできたんだねー。凄いなあ」

「夕立は知ってたっぽい」

 

 説明しつつ立ち上がると、吹雪は純粋に感心しているように手を合わせ、夕立は、ミルクキャンディーの小箱を指でつつきながら、少し得意気に呟いた。知ってるよ、夕立が物知りさんなのは。

 

「…………」

「あー」

 

 ぽん、と肩に手が置かれる。もちろん叢雲だ。逃がす気はないって事かな。

 握る力はそんなに強くないのに、抜け出せそうにない気がして……でも残念、俺にはあまり時間がないから、そんな圧力は無視して抜け出してしまうのです。

 跳ねるように扉の方へ跳び退けば、叢雲は諦めたように手を下ろした。素早くブーツを履き、連装砲ちゃんを呼び寄せる。……あっ、砲ちゃんが捕まったっ!

 

「……わかったよ、砲ちゃんは叢雲の相手しててね」

『キュ~』

 

 叢雲に抱えられてふりふり手を振る連ちゃんに笑みを返しつつ、装ちゃんを持ち上げて抱え、床に爪先をぶつけて靴の調子を整える。

 ノブに手をかけたところで、はたと動きを止めた。振り返って、三人の顔を見回す。

 

「なあに、島風ちゃん」

「忘れものっぽい?」

 

 俺の視線に気づいた二人が顔を向けてきた。叢雲も、ベッドに歩いて行ってボスンと腰を落とすと、砲ちゃんを撫でつつ横目で俺を見た。

 

「ううん、そういう訳じゃないんだけど……」

 

 それぞれの顔を一つ一つ見ていく。

 素朴なかわいさを持つ吹雪は、真面目でまっすぐで、一生懸命。

 夕立はお嬢様みたいだけど、結構好戦的で、物知りさん。

 叢雲は気難しいけど、ほんとは優しくて世話焼き。怒ると怖い。

 ほんの一ヶ月ちょっとの付き合いの彼女達だけど、間違いなく、友達とか、親友とか、そういう風に言える間柄になれてるって思ってる。

 だから、せめて、これくらいは言っておこう。

 

「吹雪ちゃん、夕立ちゃん、叢雲。仲良くしてくれてありがとね」

「いきなりどうしたの、島風ちゃん。そんなの……お礼を言うような事じゃないよ。好きでやってるんだから。仲良くしたいって思ってるから、お友達なんだよ」

 

 きょとんとした吹雪が、ゆっくり話し出した。話すうちに柔らかい笑みを浮かべて、最後には、ね? と同意してきた。

 うん。俺も、好きだから、仲良くしたいから、友達になった。

 

「島風ちゃんは違うっぽい?」

「ううん、違くなんかないよ。吹雪ちゃんとおんなじ気持ち」

「あたしも同じっぽい。一緒にいると楽しいから、一緒にいるっぽい」

 

 俺を見上げる夕立が、小首を傾げて問いかけてくるのにそう返せば、頷いて、そんな言葉。

 楽しい。……そう、この一ヶ月くらいの間、楽しい事ばかりだった。素敵な時間。

 だからもう、悔いはない……かも。心残りはまだあるから、今から消化しに行くんだけどね。

 

「…………」

 

 叢雲に目を向ければ、彼女はまだミルクキャンディーをやっつけきれていなかったみたいで、もごっと頬を動かすと、下を向いた。

 それから、砲ちゃんを両手で抱えると、顔の前まで持ち上げて、ふりふり左右に傾けた。

 

「あはは。……それじゃ、行ってくるね」

「……うん、行ってらっしゃい」

「いつか夕立達にもケーキをご馳走してほしいっぽーい」

「オッケー。作っとくよ。叢雲の分もね」

「……ん」

 

 再度皆の顔を見回してから、廊下に出た。

 後ろで扉が閉まると、これでお別れでもないのに、なんだか寂しい気持ちが胸の中に浮かんできた。廊下が静かだからかもしれない。木造であっても、防音は結構しっかりしているのだ。さすがに暴れ回ったらその限りではないけど。

 長めの廊下を歩きながら、装ちゃんの重みを意識する。砲ちゃんより一回り大きいから、重さもこっちの方が上。ずっと抱えていられそうにはない。生体フィールドを纏えば話は変わるけど、日常生活で無駄に燃料を消費できないからなぁ。

 

「…………」

 

 コツコツと、硬い足音が耳に届く。歩幅の狭い連ちゃんの歩む音と時折重なって、離れる。

 ……実際のところ、どうなんだろう。

 俺の中にいる本物の島風が目を覚まして……完全に覚醒したら、俺は、どこにいくんだろう。

 自宅の浴室で、鏡を前に座っているのだろうか。それとも、島風のいたあの暗い海の中に落とされるのだろうか。

 どっちにしろ……嫌だな。

 ……ああ、でも、姉さんの帰りを待たなきゃ――。

 

「島風ちゃん」

 

 速めの足音が後ろから近付いてきて、左右に並んだ。吹雪と夕立だ。

 

「どうしたの、二人共」

「大した理由はないんだけどね。……私達も、一緒に行っていいかな?」

「うーん、まあ、大丈夫だと思うけど」

 

 三原先生は、たぶんそんな事で怒ったりしないだろうし、人数が増えるくらいは大丈夫だろう。駄目だったら、二人には帰ってもらうしかないけども。

 

「叢雲は?」

「叢雲さんも、きっとすぐに来るっぽい」

 

 ふと気になって聞いてみれば、夕立が笑みを隠そうともせずにそう言った。

 ついて来ようとしたけど、何かあって遅れてるのかな。いずれにせよ、叢雲も俺を追おうとしているのがわかって、ちょっと嬉しくなった。

 こんな事で喜びを感じるのってどうなんだろうとは自分でも思うけど、やっぱり、人に想われるってのは嬉しいものだ。

 それに、人が本当に死ぬ時は、誰からも忘れられた時だって話もあるし、この子達が覚えてくれえるなら、もし俺が全部なくなっちゃうとしても、怖くない。

 艦娘寮を出て、砂利道を歩く。本棟への道。

 

「夕立は定番、苺のショートが好きっぽい」

「あ、私も。クリームの甘さと苺の酸っぱさが好きなんだ」

 

 話題は、ケーキは何が好きか。俺は特にどれが一番好き、というのはない。姉さんはレアチーズケーキを好んで食べてたな。だから俺が一番得意なのもそれだ。他の種類は、イベントごとがある時に作ってた。買うより安上がりだったし。

 それに姉さんも……。

 …………。

 

「……?」

「島風ちゃん?」

 

 立ち止まる俺に、吹雪と夕立も止まって、振り返った。その向こう。遠くの空が暗いのを見上げて、ぼうっとする。

 ……一雨くるかな。

 なんて考えている内に、どんどん空が雲に覆われていき、同時に、冷たく湿った風が頬を撫でると、数度気温が下がった気がした。

 遠くに壁が立ち上がった。

 白く分厚い霧の壁。濃霧が、鎮守府を包む。

 

「なになに、異常気象っぽい?」

「これって……」

 

 きょろきょろ辺りを見回す夕立に、思い当たる節がある素振りを見せる吹雪。俺も、この現象には覚えがあった。

 だってこれは、海の上で起こる敵性の現象。この霧のために俺達は完全休暇をとっているのだ。

 

『――――』

 

 気配があった。

 道の右側。通路の向こうの、海の上。

 波の間に流れる霧の中から人影がせり出すと、あの深海棲艦が姿を現した。

 レインコートみたいな黒布を見に纏った、赤い光を纏う、戦艦レ級。

 前を開いて露出させた胸元やお腹、顔なんかの色がはっきり見えるくらいに霧が退くと、そのまま、俺達の周りからも霧が引いていって、円形に開いた。

 

『アア……ヤット戻ッテコレタ。気紛レナ霧メ』

「ね、ねえ、島風ちゃん、あれってひょっとして……」

 

 提督が言ってた、霧に潜む強敵っぽい?

 夕立の言葉に答えた訳ではないのだろうが、レ級は肩に手を当てて首を回すと、俺達を見て、口の端を吊り上げた。

 

『オ前ガ進化シテイルカドウカ、ソノ体ニ聞カセテ貰ウトシヨウ』

「っ……!」

 

 彼女の腰から生える尻尾がくねると、海面に叩きつけられた。跳ね上がったレ級の体が襲い掛かってくるのを、俺はただ、見上げていた。

 

 

「ぐぅっ!」

 

 硬い石畳の上を転がって、広場の中央まで来た時に、腕をついて無理矢理体を起こした。勢いを殺すために素早く後退し、構えをとる。

 

『ホレ、ドウシタ』

 

 本棟を背後に、レ級が歩み寄ってくる。脇の道から追って駆けて来た吹雪と夕立が、身を固くして立ち止まるのが視界の端にあった。

 

『キュ~!』

 

 傍に放り出されて転がっていた装ちゃんと、寄って来た連ちゃんがレ級に砲身を向け、しかし、撃てない。それは俺を守るように俺側に立ったせいで、砲弾の届く距離に本棟を含めてしまったからだ。

 位置取りを変えようにも、迂闊には動けそうにない。レ級はそれがわかっているのか、緩く両腕を広げ、尻尾を振っていた。まるで「どちらから抜けようとも跳ね返すぞ」と言っているみたいで、威圧的だった。

「敵襲ーーーーっ!!」

「ぽーーーいっ!!」

 

 二人が声を張り上げ、侵入者があるのを伝えようとする。空に上った声が霧の中に反響して遠くへ消えていくと、レ級は、尻尾の異形を二人へ向けると、躊躇なく砲撃した。

 全身の毛が逆立つような危機感。二人の間に着弾し、石畳を捲り上げる衝撃の中、吹雪と夕立は左右に跳んで難を逃れていた。

 それでも、至近弾。受け身を取りつつ地面を転がった二人はすぐに動けないだろう。追撃があったら終わりだ。ならその隙は、俺が稼ぐ。

 

「はっ!」

『オット』

 

 駆け出してすぐ、前蹴りを繰り出せば、一歩横にずれて避けられた。出した足をそのまま地面に叩きつけて踏み込みとし、レ級に掴みかかる。

 戦艦相手に力比べだなんて無謀な事はしたくないけど、注意を引くにはこれが一番だ。

 

「うっ!」

 

 伸ばした腕ごと、レ級の腕に払われて、大きく体が逸らされる。追撃の手刀は、飛び込んできた連ちゃんが代わりに受けた。地面に叩き付けられて跳ね上がった連ちゃんを腕に抱いて回収し、後退する。倒れそうになるくらいの足運び。足がもつれてしまう前に十分な距離を保つと、連ちゃんを放って、再度構えをとった。今度は夕立と吹雪を背にしたレ級が、首を傾げて流し目を送ってくる。連装砲ちゃんは、撃てない。

 ぺっと連ちゃんが吐き出した端末、カンドロイドの軌道上に左腕を差出し、滑り込ませるように装着する。そのままでは飛んで行ってしまっただろうが、端末から伸びたゴムバンドが腕に巻かれ、ちょうど良く収まった。

 端末を胸元に、右手ですぐさまスイッチを押し込んで起動し、夕張さんの持つ端末へ通信を繋ぐ。

 

『ふぁぁ~い、どーしたのぉ……?』

 

 妖精暗号通信とは違って、彼女の生の声が……いや、機械を通した声が、カンドロイドから聞こえてきた。レ級は怪訝な顔をして端末に注目する。

 

「敵襲!」

『へぇ? ……うん……。あー?』

「夕張さん、起きて!」

 

 凄く眠そうな彼女に苛立って、ばしばし端末を叩くと、きゃーやめてぇと悲鳴が上がった。レ級はもう、興味を失ったようにこちらに歩いてきている。じりじりと後退しながら何度も声をかけると、ようやく彼女からまともな返事が返ってきた。雑音が頭の中に響いたのは、妖精暗号通信での通信を試みてきたのだろうか。この霧の中では長距離通信はできないみたいだ。妨害電波と同じ効果を持つ霧……。

 

『て、敵襲ね! でも、ごめんなさい、まだ武器は調整中で……』

「みんなに敵が来たって知らせてほしいの!」

 

 まだ寝ぼけているのか、不明瞭な事を言う彼女へ呼びかければ、少しして、わかったわ、と返事。通信が切れ、間を置いて、夕張さんの工廠の方からサイレンの音が響いた。

 

「うらぁ!」

 

 間合いに入ってきたレ級へと回し蹴りを見舞えば、手の平でかるく受け流された。ヒールに返ってきた衝撃からするに、ちゃんと当たってたはずなのに! やっぱり戦艦って硬い。まともに組み合えば潰される。

 

「あっ!」

 

 無造作に振るわれた腕を防ごうと腕を掲げ、直後にがぁんと頭を揺さぶられた。視界が白み、それが消えたのは、地面を転がっている時だった。右腕の半ばが酷く痺れるのに呻きつつ立ち上がる。

 

『硬イネェ』

 

 自身の手を握ったり開いたりしながら言うレ級へ、お前が言うな、と吐き捨てたくなった。いちおうこれでも俺、助走なしで軽巡とか重巡くらいなら片付けられるくらいのパワーは得ているはずなんだけど。

 戦艦で、elite(上級)だ。装甲は伊達じゃないか。

 両腕を前に出し、ファイティングポーズに近い構えで横へ足を運ぶ。円を描くように、奴の横へ。とにかく本棟を背にさせる訳にはいかない。こっちは陸地側だから、どこに行ったって砲撃すればどこかしらを壊す事になるけど、くそ、本棟を傷つけるよりは……!

 

『!』

 

 唐突にレ級が腕を横へかざした。直後に腕にぶつかった何かが爆発し、黒煙を広げた。砲撃……! まさか吹雪か夕立か。飛んできた方を見れば、朝潮が砲を構えて立っていた。

 

「サポートします!」

「……! うん!」

 

 きりりと引き締まった表情は、いつもの何割増しも凛々しい戦闘時の顔だ。久し振りに見た気がする。煙を振り払ったレ級へ再度砲撃した朝潮は、同じ位置に着弾するのを確認せずに走り寄って来た。

 

『海へ誘導します!』

 

 意思が直接頭の中に飛び込んでくる。彼女が手に持つ連装砲か、手に装着した魚雷かはわからないけど、その中にいる妖精さんを介しての妖精暗号通信。の割に言葉が鮮明なのは、相手が朝潮だってわかりきってるからだろう。

 この場で戦えば不利なのは俺達だ。レ級を海へ連れ出す事が出来れば、心置きなく砲撃も雷撃もできる。

 ここは俺達艦娘のホームだ。深海棲艦が一人なら、数で押し潰せる。

 

「oh! 敵艦発見デース! 妹達、ワタシの後に続きなサイ!」

「はい、お姉様!」

「こんな場所まで入り込むなんて不届き者です。榛名が成敗します!」

「気をつけて、あれがきっと噂の『強敵』よ!」

 

 陽気な声と張り切った声が幾つか、本棟の方から聞こえてきた。三階。窓を開いて顔を覗かせた金剛先輩が身を乗り出して飛び降りる。その後に姉妹も続いた。

 立て続けに重い着地音がして、戦艦がずらっと並ぶ。なぜかみんな艤装を装着済みだった。

 

「ワタシ達が艤装のお手入れをしている時に現れるなんて、運のない奴ネ!」

「一気に捻り潰してやりましょう!」

「ここで勝手は、榛名が許しません!」

「さぁ、行くわよー!」

『…………』

 

 腕を伸ばす金剛を中心に騒がしい姉妹達へ、レ級は鬱陶しそうな顔をして尻尾を持ち上げた。異形の頭部に備えられた砲身がすべて金剛先輩達に向く。止めようにも届かない位置。朝潮は、今まさに俺の隣に来たところだ。照準を合わせる暇はない。

 砲撃音が連続して響く。本棟を背後にした先輩達は避けれないし、弾けないだろう。だからか、比叡と榛名の二人が金剛を庇うように前へ出て、腕で体をガードした。

 砲弾が直撃した二人の体が吹き飛びそうになると、後ろに控えている金剛先輩と霧島が支える。足が地面を擦り、だけどすぐに止まった。

 

「反撃です、金剛お姉様!」

「霧島、力を合わせていきましょう!」

 

 腕の袖が焼け焦げて破れているのを気にせずに士気を上げる二人。本棟の方では、一階も二階も三階も所々で窓が開いて駆逐艦の子や軽巡の先輩が顔を覗かせると、レ級の姿を認めて飛び降りてくる。大多数が艤装を身に着けていない。

 

「敵艦発見! 雷、響、行くわよ!」

「飛び出したは良いものの……装備がなければ戦えないぞ」

「たしかあっちの方に錨を置いといたわ! とりあえずそれで……」

 

 電以外の暁型の子達が外へ出てくると、わちゃわちゃしながら明石の工廠の方へ走り出す。

 二階から飛び降りてきた天龍が、同じくその横へ着地した木曾と同時に剣を抜くと、鏡合わせのように構えた。

 

「どうする。突っ込むか?」

「それ以外に何かあるか?」

 

 前を向いたままの会話が遠くに聞こえた。

 本棟だけでなく、その両脇からも仲間達がやってくる。体育館で集まっていたのだろう川内型の三人や、反対の方の建物の陰からは、弓道着姿の赤城さんと加賀さんが出てきた。明石の工廠にひとっ走り行ってきたのだろう、フル装備の吹雪と夕立も駆け込んできて、本棟の正面には、ぞくぞくとこの鎮守府に所属する艦娘が勢揃いし始めていた。

 

『私ガ用ガアルノハ、オ前達ダケナンダガナ』

「知るか。こんなとこにのこのこやってきたお前が悪い」

 

 隣に立つ朝潮が砲を構え、その横で俺が拳を構える。彼女が作った隙を俺が突くスタイルだ。

 俺の言葉の何がおかしかったのか、レ級は狂気的な笑みをいっそう深めると、すっと腕を持ち上げた。握り拳は、人差し指と中指だけが揃って立っていて……それが朝潮に向けられるのに、直感的に軌道上に割って入った。

 

「っ!」

「きゃあ!」

 

 肩を穿つ痛みと衝撃。咄嗟に朝潮を守ろうとした体勢のために踏ん張りがきかず、体が浮いて、朝潮にぶつかって倒れ込む。同時に奴は、そのまま体を捻って腕を振り切った。

 たくさんの悲鳴があった。硬い物を削る音と、柔らかいものを裂く音。肘をついて本棟の方を見れば、誰もが膝をつくか、ふらついていた。服が破れている……中破や大破している者がたくさんいる。

 どういう事だ……!? 今、レ級は砲撃なんてしなかったはずだ。それに、こんなにいっぺんにたくさんの相手を攻撃するなんて……!

 

「水圧カッター……?」

 

 同じく身を起こした朝潮が、呆然として呟く。カッター……確かに本棟の壁には真一文字に削られた跡ができているし、艦娘達が傷つけられた場所は、高さが一致している。

 でも、レ級がそんな能力を持っているだなんて聞いた事がない。

 

『面倒ダナ……マア、調度良イカ』

 

 指を戻したレ級は、今度は尻尾を持ち上げた。

 

『ココハ馬鹿ミタイニ、オカシナ艦娘ガ沢山イルシナ』

「させるか!」

 

 俺が叫ぶと同時に朝潮が砲撃する。尻尾にぶつかった砲弾が奴の攻撃を中断させ、同時に、地面を蹴った俺が体ごとぶつかっていく。

 言葉の意味を考える必要はない。とにかく今はこいつを海へ連れ出さなければならない。

 腰に組み付いてぐいぐい押す。力いっぱい足を動かし、地面に足裏を擦りつけて、でも段々とびくともしなくなっていく。

 

「危ない!」

「っ! ぐ!」

 

 朝潮の呼びかけに咄嗟に飛び退き、横薙ぎに振るわれた奴の手刀を躱し、しかし、レ級が回転した際に振り回された尻尾をぶつけられて、弾き飛ばされた。片目をつぶりながらも、地面にぶつかる瞬間に受け身を取り、跳ねるようにして体勢を整え、両足で着地して屈んだ状態のままザリザリと後退した。すぐさま朝潮が駆け寄って来る。

 

「はーっ!」

『ン?』

 

 飛び込んでくる影があった。

 細長い針……アンテナそのものを槍に見立ててレ級へ突きかかったのは、叢雲だった。コートを翻して避けたレ級の傍へ着地した叢雲は、自分の身の丈もあるアンテナを振り回して腰だめに構えると、憎々しげな目をレ級へ向けた。

 

「あんたがこの霧の主ね……!」

『オ前ハ……アア、見覚エガアルゾ』

 

 朝潮に腕を引かれて立ち上がる。生体フィールドを纏っているおかげで傷はないし、服が破けるほどのダメージは貰ってないが、右腕なんかがじんじんと痛んでいた。

 

『進化ノ可能性ガ無イ艦娘ダナ』

「黙れ、みんなの(かたき)よ!」

 

 覚悟!

 先端に青白い電気が走るアンテナを振り回した叢雲は、再度跳び上がると、突き差すように両腕を突き出した。レ級も腕を伸ばしてアンテナの先端を掴むと、走る光を気にも留めず、握り潰して()し折った。

 

「なっ!」

 

 もう片方の腕が振られて、叢雲の体が打ち返される。戦艦の攻撃をまともに受けた体はあっという間に限界を超えたのだろう。破れた服の断片が散っていく。

 落下地点に身を滑り込ませてなんとか受け止める。

 

「く、そ……」

 

 叢雲は苦しげに呻いて、だけど、息を荒げるばかりで、体に力が入らないみたいだった。半ばから折られたアンテナだけは離すまいと握っていて、力んだ手が震えている。

 

『戦ウ事ヲ忘レテ自分ノ意思ヲ優先スル……ソコノ軽巡、軽空母、駆逐艦……。ナンナンダココハ。馬鹿ガ多スギル』

 

 本棟の前に立つ那珂ちゃん先輩や……ああ、鳳翔さんまで……指差していったレ級は、呆れたように首を振ると、俺を見た。

 

『オ前モダ。オ前モ、オ前モ』

 

 言っている意味はわからないが苛立ちと怒りを段々と募らせているのだろう、声は次第に強まって、指を突き付けられた俺達は、すぐには動けなかった。腕の中の叢雲が転がって地面に倒れ伏すと、腕をついて身を起こす。歯を食いしばり、拳だけでなく、その体もまた震えていた。

 

『守ル、逃ゲル、戦ワナイ……オ前達ハ、不要ダ』

「ふざけるな!」

 

 何が不要だ。不要なのはお前だ!

 

「はっ!」

 

 両足を揃え、跳び上がる。助走なしで蹴りの威力を上げる一つの方法。空中での回転の後に、運動エネルギーを全て相手に向けて急降下キックをぶちかます。――そうしようとして、向けられた二本指に胸を穿たれた。勢いは相殺されるどころか、逆に押し退けられ、体が宙に浮く。胸で弾ける痛みに身を捩ると、一気に地面に叩きつけられた。

 息が詰まる。全身を痛みが駆け抜ける。

 

『フザケテイルノハ、オ前ダロ? ナンダソノ戦イ方ハ』

「う、く……」

『艦娘ナラ艦娘ラシク戦エ』

 

 胸元の服を握り締めて体を丸める。熱い。撃たれた場所が焼けるように痛む。

 足音が近づいてくる。かつかつと、速くないのに、速い音。

 立たなきゃ。そう思ってもすぐには体が動かなかった。そんなにダメージは受けてないはずなのに、痛みが邪魔をする。

 

「……!」

『……オオ』

 

 俺の前へ、朝潮が出た。朝潮が俺を庇って、レ級の前に立ちはだかったのだ。

 足を止めたレ級が感心したような声を出すと、両手を顔まで持ち上げて、撃ってみろ、と促すように振る舞った。

 

「っ、!」

 

 砲撃音。重なるように着弾音。

 朝潮は、寸分違わずレ級の顔に砲弾を当てた。

 だというのに、レ級は僅かに背を反らしただけで、頭を振って黒煙を振り払うと、にたりと(わら)った。

 

「そんな……くっ!」

『ハハ、無駄ダ』

 

 複数回続けての砲撃は、全てが命中した。レ級は傷つかない。余裕のある声を出して、両腕を上げてやられるがままにしている。

 いくら駆逐艦の砲だからって、この距離で、何発も当ててるのに、損傷なしだと……?

 おかしい。それは、どう考えてもおかしい。

 

「うあっ!」

「朝潮!」

 

 首を掴まれた朝潮が持ち上げられると、そのまま引っ張られて、レ級の腕の内に持っていかれた。肘で首を絞めるような体勢。もがく朝潮に、立ち上がる。

 

『ドウシタ。オ前ガ(チカラ)ヲ見セナイナラ、大切ナオ友達ガ死ヌゾ?』

「ぐぅっ……、う、ぅ」

 

 足をばたつかせ、どうにか腕を外そうと両手で剥がそうとしている朝潮に、歯を噛みしめる。意味がわからない。何言ってんのか、ぜんっぜんわかんない!

 

『進化シタノデハナイノカ? ソノ力ヲ見セテミロ』

「進化……? なんの話だ!」

『アー……。シテナイノ?』

 

 じゃあもう用はない。そう言って腕に力を込めるレ級に、慌てて待ったをかけた。

 進化だかなんだか知らないけど、それ、してる。俺は進化してる。だから朝潮を……!

 

『ナラソノ力デ奪イ返シテミセロ』

「……!」

 

 くそ、そんな事言われたって、どうすれば……!

 進化というのがどういう事なのかわからず、ただ朝潮を奪い返す隙を探す俺に、レ級は溜め息を吐いた。

 

『待テ、待テト? イツマデ』

「……?」

『……ナゼオ前ナノカガワカラン』

 

 さっきにもまして意味がわからない言葉だった。

 なぜ俺なのか? ……なぜ? ……わからない。その言葉の意味は、ちっとも。

 

「朝潮ーっ!」

『…………』

 

 満潮が大声で朝潮の名を呼びながら走って来た。そちらへ顔を向けたレ級の額に、飛来した矢がぶつかる。赤城先輩だ。遅れて加賀さんが放った矢は、かち上げられていた顔を戻したレ級が眉を寄せて掴み取り、走り寄る満潮へ向けて投げ返した。

 手首の捻りによって真っ直ぐに飛ぶ矢の先が満潮の腹に当たれば、矢で射られたように倒れて、転がった。一連の動きの隙に朝潮を取り戻そうと飛びかかれば、尻尾に打ち返されて踏鞴を踏む。

 

『……ドノ道、オ前ノ進化トヤラヲ見ナケレバナラナイヨウダ』

 

 空いている片手を掲げたレ級の背後に霧が集まる。白い靄の幕が晴れれば、そこにはたくさんの深海棲艦が立っていた。海の上でないせいか、人型のものが多い。リ級、ル級、その上級や最上級……。それらが一斉に俺へ砲を向けた。

 

『ソレマデ壊レルナヨ』

 

 光が瞬く。幾つもの砲口が唸りを上げると、目の前の地面が爆ぜて、俺の体は、舞い上げられていた。

 塀に叩きつけられた俺が最後に見たのは、目を見開いている朝潮の顔と、霧に呑まれていくレ級の姿だった。




TIPS

・海に誘導
当初の予定ではレ級は海に移動するはずだった。

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