島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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長くなっちゃった。



・艦これ
眠る軽巡棲鬼……ケイちゃんを体育館に運び込んだ那珂と吹雪は
初ライブの準備に取り掛かった。
マイクオッケー、ミュージックオッケー、那珂の準備も万事オッケー。
だが肝心のケイちゃんは眠ったまま。
起こしたら、暴れ出してしまうかもしれない。
その不安を抱えたまま、吹雪は、那珂がケイちゃんの肩に手を触れるのを
固唾を呑んで見守るのだった。


7.結成・その胸の音楽

「明石さんも、妖精さん達も、凄く嫌な顔してましたね」

 

 風呂から上がり、明石の工廠へ戻った那珂と吹雪は、まず軽巡棲鬼……ケイちゃんの服を見繕った。色づいた肌は、しかしまだ青白く、今着ている那珂の服では配色がミスマッチだ。色に目をつぶれば似合わない事はないのだが、やはり服の明るい色と肌の色がチグハグであまり良い印象が得られない。

 最初に着ていた彼女の服を修繕できれば良いのだが、明石も、それを手伝う妖精達の誰も手を付けていなかった。あまり触れたくないものなのだろう。吹雪にもその気持ちはわかった。

 那珂は明石と妖精に服の修繕とある物の製造を頼み込むと、押し切って体育館へとやってきた。

 

「ん、大丈夫。中に人はいないみたい」

 

 扉をスライドさせて頭を突っ込み、中の様子を窺った那珂は、吹雪を手招きしながら扉を開いた。

 体育館は半ば川内型の所有物になっている。あまり使おうとする艦娘はいない。それに今は、駆逐艦はともかくそれ以上の艦種は肝試しに向けての準備で忙しくしているだろう。自分の持ち場に戻っているのは、たとえば明石だったり鳳翔だったり助秘書だったりだけだ。

 なのでこのがら空きの体育館は他の艦娘に見られないよう初ライブを行うにはうってつけという訳で、しっかり扉を閉めた那珂はステージの方へ走っていくと、パイプ椅子を二つ取り出してステージから程近い位置に置いた。

 

「さ、吹雪ちゃん、こっちこっちぃ!」

「あの、私も座るんですか?」

 

 てっきり自分も一緒になって歌うと思っていた吹雪は、椅子にケイちゃんを座らせてズレそうになる体や頭を支えてやりながら、そう問いかけた。

 

「うん。吹雪ちゃんには悪いんだけど、最初は那珂ちゃんにやらせて?」

「それは、良いですけど……」

 

 吹雪は、別に一緒に最初のライブをやれない事はそこまで気にしていない。ただケイちゃんの横に座っている事になるのがちょっと嫌だったのだ。

 なんて思いつつも隣に座って体を支えてやる辺り、吹雪も中々にお人好しというか、言うほどケイちゃんに忌避感や嫌悪感を抱いていないように見える。やはり『ケイちゃん』などという馴れ馴れしい呼称がそうさせるのだろうか。

 体の上に頭が安定して、そろそろと手を離してもかっくりなったりはしなくなり、ほっと息を吐いた吹雪は、改めて目の前に立つ那珂を見上げた。

 ライブの準備にそう時間はかからないだろう。マイクはスピーカーに繋がるし、バックミュージックは楽器や何かを用意するまでもなく録音したものを放送で流せば良いだけなのだから。

 でもいくら歌う側の準備ができたからってそれで始まりにはならない。

 観客が……このライブの目的であるケイちゃんが目覚めなければ、歌を聞かせる事はできない訳で。

 つまりそれは、今からこのすうすうと気持ちよさそうに眠っている女の子を起こさなければいけないという事になるのだ。

 いつその体が倒れるかもしれないので、吹雪はそっとケイちゃんの肩を手で押さえて支えた。さらりと流れる髪は、那珂と同じ洗髪剤のほのかな甘い香りを漂わせている。ドライヤーと櫛でよく整えられているから、さらさらで手触りも良く、手の甲に触れる髪にこそばゆさを感じながら、吹雪は『どうするのか』と那珂に目で問いかけた。

 

「じゃ、かわいそうだけど、起こしちゃおっか!」

「あっ、ま、待ってください!」

「えー、なあに、吹雪ちゃん」

 

 気負いなく笑顔で言う那珂に、吹雪は慌てて止めてしまった。そんな、まだ心の準備が……。胸に手を押し当て、ケイちゃんの横顔と那珂の顔をと順繰りに見る。

 頬を膨らませて両腰に手を当てる那珂は、本当に今すぐ起こすつもりだったらしい。もし暴れ出したらその手で彼女を壊さなければならないのだという事を忘れてるんじゃないだろうか。

 嫌だなあ、壊すの。吹雪は秘かにそう思って、深呼吸をすると、それで覚悟を決めた。どうぞ、と短く促す。ケイちゃんの肩から手を離し、椅子の端っこにお尻を寄せて体を離す。もしも時の事を考えての動きなのだが、椅子から立ってまで離れるのは彼女に失礼だ、なんてどこかで思っているために躊躇半端になってしまっている。

 

「それじゃ……ほらー、起きてー、朝だよー。那珂ちゃんだよー」

『…………』

「早く起きないと怒っちゃうぞー?」

『…………』

 

 声をかけられ、肩を揺すられてもケイちゃんは目を覚まさない。安定した寝息はされど深く、だからお風呂に入ったって起きなかったんだと今さらながらに吹雪は納得した。

 

「起きませんね……」

「んー。どうしよっか」

 

 ほっとしたのは彼女が起きなかったからか。実際暴れるのを目にしたら、多少ならずともショックを受けてしまいそうだった。一方的とはいえ、裸の付き合いをしたのだからそれも当然といえる。

 顎に指を当てて不思議そうにした那珂が、ケイちゃんの顔を上から覗き込んだ。ぐっと顔が近付くと、嫌に彼女が静かなのがわかった。

 吹雪は、なんだか嫌な予感がした。

 

『ガアッ!』

「うわぁっとぉ!?」

 

 その予感は的中した。

 がばっと身を起こしたケイちゃんがそのままの勢いで那珂に飛びかかったのだ!

 両腕を振りかざし、恐ろしくも悍ましい光を瞳にたたえて、獣の如く咆哮する。悲鳴を上げそうになった吹雪は、ぎゅうっと胸元で手を握り込んだ。

 

『フギュッ!』

 

 べしゃりとケイちゃんが床に落ちた。それも顔から。

 彼女が飛びかかった時、那珂はすでに身を引いて、軽やかに飛び退(すさ)っていたのだ。奇襲は失敗。はー、びっくりしたぁ、と額を拭う彼女の足下で、腕をついて上半身を反らしたケイちゃんが憎々しげに那珂を見上げた。鼻が赤くなっていて涙目だった。瞳から漏れる光越しに、潤んだ瞳がよく見える。

 

『――ウッ、クソ、ナンダコレハ! ウウッ!』

「あーもー、駄目だよー。足ないんだから」

 

 激しく体を捩りながら立ち上がろうとしたケイちゃんは、そのままころんと後ろに転がって、パイプ椅子の縁に後頭部をぶつけた。

 後ろ頭を両手で支えて、体を丸めてぷるぷると震える姿に、吹雪はいいようのない奇妙な感覚を覚えた。那珂が助け起こそうと屈んで手を伸ばせば、バシンと弾かれる。拍子に、揺れた体と頭がまた椅子にぶつかった。憤怒の表情を浮かべていたケイちゃんはぶつけた個所が余計痛むのに唇を引き結んで瞳に涙を溜めた。泣き顔である。そこに怖い雰囲気はなく、ただ、居た堪れない空気だけがあった。主に、吹雪周辺。

 

「困った暴れんぼさんだねぇ」

 

 那珂は叩かれた手の事など気にせず、やられた部分を手袋越しに撫でると、それから、もう一度手を伸ばした。反応したケイちゃんがキッと睨み上げて、手を振り上げる。

 

『死ネ!』

「こらっ、駄目でしょ、そんな事言ったら」

 

 バシーン! 手と手がぶつかる音。ケイちゃんの手に、那珂が合わせて手を振ったのだ。同じ力で相殺されて、空中で止まった手に自分の手を絡ませた那珂は、彼女の手首を捻ると、そのまま肘を曲げさせてケイちゃんの背へ手を押し込んだ。逃れようとしたケイちゃんは体の構造上、向かう方が限らていたために転がされて、うつ伏せになる。腕を押さえながら背に跨ってもう片方の腕を膝で縫い止めれば、拘束が完了した。

 いくらケイちゃんが呻いて暴れようと、那珂はびくともしなかった。

 

「吹雪ちゃん、何か縛る物ない?」

「ええっと、す、すぐに持ってきますね!」

 

 言われて吹雪はステージ横の準備室へ駆けだした。後ろから、『フーッ! フーッ!』と猫みたいに威嚇する声が聞こえてきたが、気にする余裕はなかった。

 大縄跳び用の綱を持ってくると、那珂は手早くケイちゃんを持ち上げて椅子に押し込み、雁字搦めに縛り上げた。

 両腕は椅子の後ろに、胸を強調するようないかがわしい縛り方で、露わになった足の断面は扇情的なのか猟奇的なのか判断に難しく、いったいなぜその縛り方にしたのかはわからなかった。

 おそらくこの縛り方は誰かに習ったものだろう、と吹雪は予想した。誰、の部分は意図的に考えないようにしておいた。

 

『ムググー! ムグー……ムガー!』

「……あの、口を塞ぐ必要って、あるのでしょうか」

 

 いっちょあがりぃー、と手を払う動作をする那珂に、見かねた吹雪が質問すると、それもそうだね、と、彼女に噛まされていた綱が緩められた。途端、大音量で喚きだす。

 ハナセだのコロセだの、そういった内容である。彼女からしてみれば憎々しい敵に捕らわれて無力化されてしまったのだから、無理もない話だ。

 

「えへっ、それじゃーいくよ!」

 

 ガッタンガッタン椅子を揺らして抗議の言葉をあげまくるケイちゃんなど気にせず、ステージへ上がった那珂がくるんと回ってスカートを広がらせ、マイク片手に決めポーズ。指でっぽうを観客席へ向けて、すっと天井へ持ち上げると、指を鳴らして、ミュージックスタート。

 

『いち、に、さん、はい――』

 

 最初は喉慣らしに持ち曲の中でも古い方を歌い始める。といっても、これも披露した事はない。

 この曲には観客の合いの手が必要不可欠だが、いつもは姉妹艦である川内や神通、それと吹雪にやってもらっていた。今日もきっと、吹雪だけ。だってケイちゃんはまだ敵意剥き出しだし、そもそも腕が縛られている。手を打つ動作はできないだろう。

 合いの手どころか歌を聞いてくれる保証だってない。全部歌い切ったって何も変わらないかもしれない。

 それでも構わない、と那珂は思った。

 歌いたいから歌うんじゃない。変えられなくても良いって思ったんじゃない。

 自分の歌で、絶対何か変えられるはずだと思いたいから歌い続けるのだ。

 一番を歌って、二番を歌って、練習通りの振り付けを練習の時以上に力強く柔らかに。

 ケイちゃんは怒っている。椅子ごと体を揺らして暴れるから、斜めになってしまっている。吹雪が合いの手をいれながら椅子を押さえてくれているが、倒れてしまいそうだった。

 

『おー、おー、おー……』

『フザケルナッ! ナンノツモリダ!』

「わ、わ、わ!」

 

 一曲終えても、ケイちゃんは歌を聞く気にはなっていないようだった。

 事前の説明もなし、そもそもお互い敵同士だ。混乱しているのかもしれないし、話が通じないのかもしれない。

 気にせず、二曲目。

 長めの前奏で始まり、体でリズムを取りながら、那珂は両手で握ったマイクを胸元に持ち上げ、じっとケイちゃんを見つめていた。

 気持ちは違えど、ケイちゃんもまた那珂に視線を注いでいる。憎悪と憤怒と訳のわからないごちゃごちゃとした感情が纏めて宿った、薄暗い綺麗な瞳に、アイドルの姿を映していた。

 

『きーづーいー――』

『ヤメローッ! ヤメロヤメロヤメロ!!』

 

 滅茶苦茶に暴れようとするケイちゃんの声が歌声を塗り潰す。どんなに声を響かせようと、それに合わせて大声を出し邪魔をした。

 顔を歪め、歯を噛みしめて悲鳴のような声をあげるケイちゃんは、まるで歌を聞いて苦しんでいるかのようだった。

 それが那珂には苦痛だった。

 自分の歌を聞いて、『嫌だ』とか『痛い』とか『苦しい』とか、そういった負の感情を抱かれるのを一番恐れていたのに、今、ケイちゃんはそうなってしまっている。

 無茶だったのだ。深海棲艦に歌を聞かせるなど。

 奴らは常に怨嗟の声を上げ、言葉は通じないし、会話も成り立たない。たまにやり取りができたとしてもそこにその場限りである以外の意味はなく、その先に繋がる要素は一つとしてなかった。

 ゆえにこの歌でもしケイちゃんを落ち着かせる事ができても、きっとまたすぐに元に戻ってしまうだろう。

 那珂は、なんとなくそうなるんじゃないかと気付いていた。気付いていて、歌い続けていた。

 三曲目。

 曲の切り替わりの僅かな時間。息を整えながら見下ろす那珂をケイちゃんは変わらず睨みつけて、何度も否定的な言葉を口にしている。

 ふと那珂は目を瞬かせた。体でリズムを取りつつケイちゃんを眺めて、あっと口を覆った。

 白手袋に包まれた手が退いた時、那珂の口はにんまりと三日月模様を描いていた。

 

『とおっ!』

『クッ、ヤルナラヤレ!』

 

 マイクで声を響かせつつステージからひとっとびでケイちゃんの前へ着地した那珂は、彼女に抱き付くようにして、腕の結び目を解きにかかった。ザリッと床を擦った椅子が吹雪の座る椅子とぶつかる。位置の修正もされたのだ。

 

『……!? ……!?』

「あのっ、な、那珂ちゃん、何を!」

「はい、これ!」

 

 那珂の肩に首を当てる形になったケイちゃんは目を白黒させて、次には、さっと離れる体と、手首の中をどっと血が流れていく感覚に呆けてしまった。

 吹雪の疑問に答えず、ケイちゃんの胸にマイクを押し付ける那珂。思わずといった様子で零れ落ちるマイクを両手で押さえたケイちゃんは、それを持ち上げると、なんのつもりだと抗議しようとして、顔を上げた時にはもう那珂はステージ上へ舞い戻っていた。歌も踊りも続けるつもりなのだ。

 前奏が終わり、曲が始まる。マイクなしでもよく通る声が耳朶を打つ。

 観客席へ半身になって、左手は腰に、右手は曲げて、顔の高さでひらひらと。足踏みで四拍子。ウインクのパフォーマンス。淡い光の星がぴこーんと飛んで、綺麗に散った。

 

『…………』

「…………」

 

 緩やかに右へ左へステップを踏み、体を揺らして踊る那珂をケイちゃんも吹雪も、黙って見上げていた。

 

 なぜマイクを渡したのだ。

 なぜマイクを渡したのだろう。

 二人は同じ事を思っていた。

 

 三曲目が終わると、新曲に入る前に再び一曲目に再突入。一際(ひときわ)盛り上げるように汗を流して歌い上げる那珂は、ステージのライトも合わさって輝いていた。

 

「みんないくよーっ、せーの!」

 

 彼女の呼びかけに応えて、後に続いてコールする部分。

 吹雪が慌てて那珂の声を繰り返し、再度那珂が促して、繰り返し。四度しかない共同作業の、その内の二つ。

 

「それっ、ケイちゃんも一緒に!」

『……ッ? ……?』

「あの、ケイちゃん、ケイちゃんです」

 

 はーい、と両手をあげて跳ねる那珂に、いったい誰の事を言ってるんだと吹雪を見るケイちゃん。そんな彼女をおずおずと指差して教えてあげる吹雪。

 ケイちゃんは目を丸くして那珂を見上げた、うんうんと頷いている。三度目のコールは、この動作のために行われなかった。

 四回目、最後の呼びかけ。

 

「――よいしょっ、はい!」

『カンコッ……!』

 

 しゅばっと手を差し向けられて慌ててマイクを口元に寄せたケイちゃんは、那珂の言葉を繰り返そうとして、しかしそう上手く声が出ないのに愕然とした表情になった。

 悔しげに顔を歪ませると、俯いて、マイクを持った手も揃えた足の付け根へ落としてしまう。

 

「どんまいどんまい! 次お願いねっ!」

『…………』

 

 元気づけるように言って続きを歌い始める那珂の声に、ケイちゃんはそっと顔を上げて、彼女が振り撒く笑顔を眺めた。

 びりびりとした空気の振動が僅かに伝わってくる。音を拾うマイクの習性か、それが手を震わせて、内側がこそばゆくなった。

 最後まで曲を歌うと、那珂は間を置かず指を鳴らしてもう一度同じ曲を流した。それが自分のためなのだとわかって、ケイちゃんは腕を強張らせてマイクを強く握り締めた。ぎゅうと音が鳴る。スイッチに当てた指の布が僅かにずれて、緊張の汗が体の内側を流れ落ちていった。

 一番目が終わる。二番目が終わる。

 今日だけで三度聞いた歌。明るく、日々の生活と、提督への秘かな想いを跳ねる調子で歌い上げる、素敵な曲。

 

「さあっ、みんな行くよ!」

「はい!」

『……!』

 

 那珂ちゃんが呼びかけ、二人が応える。

 (つたな)い声。震えて、伸びず、途切れ途切れの合いの手が混じる。

 誰もそれを気にしない。だってそれは、立派な歌だった。

 那珂も吹雪も、歌が好きだ。一緒に歌ってくれる人の事を悪く言ったりしない。この場合は深海棲艦だから、なおさらだった。

 合いの手を越えて、その先の歌も三人の声が重なった。那珂と吹雪の声を頼りに、マイクを持ったケイちゃんが二度聞いた曲を辿って声を響かせる。

 

『――――……』

 

 曲が終わる。

 ケイちゃんは瞳を閉じて余韻に浸り、それから、ふぅと息を吐いた。

 目を開ければ視界いっぱいに那珂の顔。

 

『ウワッ!』

「今日は那珂ちゃんの初ライブに来てくれてありがとーっ! あなたが那珂ちゃんの艦娘生初の、ファン第一号だよ!」

『ファン……? 何ヲ言ッテ……』

 

 一歩後退ろうとしたケイちゃんへ、那珂は続けざまに言葉を並べた。来てくれて、なんて、自分が無理やり連れてきた事を思い切り棚に上げた発言が紛れ込んでいたが、今この場にそれを指摘する艦娘はいなかった。

 困惑する彼女の手をマイクごと包んだ那珂は、顔を近付けて、こう問いかけた。

 

「ケイちゃん、歌は好き?」

『…………』

 

 ケイちゃんは、答えなかった。

 それで、那珂が顔を離し、一歩引いて――手を包んだままでいると、ケイちゃんは、おずおずと頷いた。那珂はぱっと笑顔になって、「うん、いいねぇ!」と再び顔を近付けた。

 

『ヤメロ! 離セッ!』

「ありゃ」

 

 嫌がって手を振り払うケイちゃん。手からマイクがすっぽ抜けると、彼女はあっと声を漏らして手を伸ばした。ぐらりと傾く体。倒れそうになる彼女の腰に腕を回して支えたのは、吹雪だった。

 マイクが床に打ち付けられる鈍い音と、キィンと金属質な音がスピーカーから漏れる。

 

『ア……フ、フン』

「あ、う、すみません……」

 

 咄嗟に手を出してしまった吹雪は、彼女の体を引っ張って元の姿勢に戻してやりながら、一瞬向けられた顔を背けられるのに、弱々しく謝罪した。

 

「もぉ、素直じゃないなぁ、ケイちゃんは!」

『サッキカラ……ソノ、ケイチャンッテナンダ』

「ケイちゃんはケイちゃんだよ? ね?」

『ネ? ッテ……』

 

 どうやら自分に向けられているらしい呼称の意味を問いかけたのに、要領を得ない答えを返されて、ケイちゃんは助けを求めるように視線を彷徨わせた。隣の常識人っぽい子は、ケイちゃんと目が合うと、気まずそうにそっと逸らす。これにはさすがにケイちゃんも弱ってしまった。

 

『ソノ……ス、スマナカッタ』

「え……あっ、い、いえ! そんな、謝るような事じゃ……」

 

 謝られたのが余程意外だったのだろう、吹雪は少しの間呆けて、それから、慌てて両手を振った。まさか深海棲艦に謝罪されるとは……ひょっとして、艦娘史上初の出来事なのではないだろうか。

 謝ったケイちゃんの方も、自分がなぜそんな事を言ってしまったのかわからないようで、口元に手をやって瞳を揺らしていた。

 

「ケーイちゃん」

『……』

 

 二人の戸惑いなどまるで気にせず、弾んだ調子で呼びかけてくる声に、ケイちゃんは思わず『ナンダ?』と返してしまいそうになって、すんでのところで言葉を飲み込んだ。返事をしたらその名前を認める事になってしまう。それはなんだか、嫌だった。

 

「ケイちゃんには、お名前はあるの?」

『……ナイ、ガ』

 

 不可解な事を聞く。

 ケイちゃん……軽巡棲鬼は生まれたばかりだ。生後二日も経ってない。名前などある訳もなかったし、人類がつけた『軽巡棲鬼』という呼称も知らなかった。だから彼女にとって自分とは、正真正銘名無しだったのだ。

 

「じゃあケイちゃんでいいね!」

『ナニ?』

 

 当然とばかりに名付けられて、ケイちゃんはすぐさま不服そうな声を出した。この女に名付けられるのは気に食わない。なぜだかわからないが……押し付けられる感じがする。

 

「でも、名前ないんでしょ? だったらケイちゃんで良いよね、ねー? 吹雪ちゃん!」

「はっ、はい! 良いと思います……です!」

『……ソウ、ナノカ?』

 

 吹雪が肯定すると、途端にケイちゃんは気持ちが傾いて、ついでに体も傾け、吹雪の方に顔ごと向けて、問いかけた。吹雪は素早く三度瞬きをすると、先程とは違って落ち着いた様子で、かわいいじゃないですか、と言った。

 

『カワイイ……?』

「えと……はい。かわいいです……お名前」

 

 再度問いかければ、吹雪は少し顔を逸らした。落ち着かない風だったものの、嘘を言っている様子はなかった。

 

『私……ケイ、チャン』

「そうそう、ケイちゃんだよー!」

 

 自分を指差し、確認するケイちゃんに那珂が声をあげる。うんと、ケイちゃんが頷いた。

 

『私ハケイチャンダ。……オ前ハ?』

「那珂ちゃんはぁー、那珂ちゃんだよぉー」

『エエイ、オ前ジャナイ座ッテロ!』

「私ですか?」

『ソウダ』

 

 言われた通りぺたんと座り込んだ那珂を無視し、吹雪の名を問うケイちゃん。

 吹雪は、椅子から下りて、びしっと背を伸ばした。

 

「特型駆逐艦、吹雪型の1番艦、吹雪です! ……よろしお願いします!」

『吹雪……。私ハ……『軽巡』……ケイチャンダ。ヨロシク』

 

 ケイちゃんは立てないので、そのままの姿勢で吹雪を見上げて、名乗り返した。自分とは何か、と考えた時に浮かび上がった言葉は、妙にしっくりきた。

 那珂ちゃんは那珂ちゃん、と同じ言葉を繰り返す置物アイドルはスルーして、吹雪にお辞儀をするケイちゃん。体が揺れて、落ちそうになっても、吹雪が支える。危ないですよ、と注意されて、ケイちゃんはなんだか不思議な気持ちを抱いた。

 

「ううー、スルーされてもアイドルはめげない! ここらで一つ、新曲いっちゃうぞー!」

「あの曲ですね。一緒に歌っても良いでしょうか?」

「もちろん! さ、ミュージックスタートぉ!」

 

 マイクは良いのか、と聞くケイちゃんに、那珂ちゃんは微笑んで、ウィンクした。生の声で合わせよ、という提案の意味はわからなかったが、エレキギターの速弾きから入った前奏に、今さらマイクを拾いに行くのも無粋か、と思い直した。

 

「始まり、足が竦んでた――」

 

 

 時間にして数時間ほど。

 同じ曲を繰り返し繰り返し何度も歌う事で、ケイちゃんはすっかり新曲である『High Speed Love』の歌詞を覚えてしまった。吹雪がまだ完璧に歌えていなかったのも一因だろう。彼女と調子を合わせ、確認し合い、歩調を合わせて覚えていく事で、ゆっくり着実に、一つ一つ歌えるようになっていった。

 そんな時間がとても楽しく、愛おしく感じられて、はたと気づいた時にはケイちゃんは二人と笑い合っていた。

 元々薄かったとはいえ、憎しみやあの胸の奥底から体を焼き尽くすように昇ってくる吐き気と怨嗟の声は、艦娘を前にしているにも関わらずわいてこず、あるのはただ、喉の奥から声を出す爽快感と、三人の声が重なって一つの音となった時の嬉しさと喜びに、歌い切った後の充実した疲れだけだった。

 

「二人とも、歌はもうばっちりだね」

「はい。どんどんスピードが上がってく激しい曲だから、難しかったですけど……なんとか」

 

 息を乱し、額や頬に汗を浮かべ、上気した頬で向かい合う二人は、楽しそうに笑ってケイちゃんにも言葉をかけた。

 ケイちゃんは声が綺麗だね。何もしてなくても深く響いて、素敵な歌声。

 

『ソンナ事ナイ……オ前達ノ方ガ、ヨッポド上手カッタ』

「年季が違うもん! 那珂ちゃんより上手く歌えちゃったら、ショックだよー」

 

 お世辞でもない、ストレートな褒め言葉に恥ずかしくなったケイちゃんは、謙遜しつつ二人を持ち上げた、吹雪は「いえ、そんな」と照れて謙遜し返してくるのだが、那珂ちゃんはえへんと胸を張ってそう言った。自信満々の顔にげんなりするケイちゃんだったが、しかしよく考えてみれば、作詞作曲、ダンスの振り付けと、ほとんど一人でやっているのだというこの女は、本当に凄い奴なんだなと思えた。

 合間合間の雑談で聞いた曲の作り方や発想、それを姉妹と擦り合わせたり聞いてもらったりしてアイディアを発展させるという話。無から有を作り出すような、途方もない作業。

 聞く事全てが新鮮で、知らない事で、それに、自分が何を考えるでもなく歌った鼻歌もそういうオリジナルの凄い音楽だというのだから、感慨深くて何度も頷いてしまった。

 

「ケイちゃん、生まれたばかりだって言ってたね」

『……アア。私ハ、暗イ海ノ中デ目覚メタ。ソレ以前ノ事ハ覚エテナイシ、ソレ以降ノ事ハ……』

「わかってるよ。怖い思いをしたんだね」

『…………』

 

 霧の海で見た、ずっと泣いている艦娘。

 そして現れたあの女……尻尾を備えた、見知らぬ深海棲艦。

 同胞のはずの自分に攻撃を仕掛けてきた。今考えてみると、意味がわからず混乱してしまう。いったいあれはなんだったのだろうか。

 

「生まれたばかりで、そんな素敵な歌を歌えるなんて……きっとケイちゃんの胸の中には、そんな音楽が流れてるんだろうね」

『私ノ胸ニ……音楽ガ?』

「だって、そうでしょ? なんにも知らない状態で、なんにも考えてない時に、自然と出てきた曲なんだもん。胸の中にあった音楽が、そのまま出てきちゃったんだよ」

 

 胸の中の、音楽……。

 それってなんだか、とっても……ああ、とっても素敵だ。

 自分の胸に手を当ててその音を聞き取ろうと耳を澄ませるケイちゃん。

 那珂と吹雪は、優しい目をして、少しの間彼女を見守っていた。

 

「うん、ユニット組もう!」

 

 静かになった体育館に、那珂の声が響く。

 いきなりの事だったから、吹雪もケイちゃんも何も言えずにただ那珂の顔を見上げた。

 

「新曲の練習までしたんだもん。これはみんなで一緒にお披露目するしかないよねぇ!」

『ナ、何ヲ言ッテルンダ……ソンナ事……』

 

 一緒に歌おう。

 そう言われてケイちゃんの胸に溢れたのは、戸惑いと、困惑と、ひとさじの嬉しさ。

 そんな風に誘ってくれるのが嬉しかった。嘘も下心も恐怖も敵意もなく、純粋に、一緒に歌おう、と。

 

「そんな事できる訳ないじゃないですか!」

『エ……?』

 

 だから、吹雪が叩き付けるように言った時、ケイちゃんは固まって、声を漏らした。

 吹雪は怒ったように目をつり上げていた。そんな表情を見る事になるだなんて、ケイちゃんは露とも思っていなかった。

 それも、自分に対して、否定的な事を言って。

 ケイちゃんは少なからず、この真面目で素直な少女に心を開いていた。どこか怖がりながらも優しくあろうとする姿勢が鼻につくような気持ちもあったけど、でも、好きになっていた。

 『一緒に歌おう』と那珂が言った。だからきっと、吹雪だって、笑顔で賛成してくれると思った。

 なのに違った。彼女は、そんな事できない、と……自分とは歌えない、と言ったのだ。

 

「だって、彼女は――」

 

 酷くショックを受けて俯いてしまったケイちゃんに、吹雪の声が届く。

 彼女は、敵だから。

 そう言うのだろうと思った。

 聞きたくなくて、体を丸めようとして。

 

「足が、ないんですよ……?」

『……ア』

 

 言い辛そうで、そして、辛そうな声だった。

 気遣わしげに自分の足を見る吹雪に、そこで改めてケイちゃんも思い出す。自分には足がない。生まれつき、そうだった。

 だから二人とは一緒に歌えない。なぜなら、披露するのは歌だけではないからだ。

 ダンスと合わさって、パフォーマンスがあってこそ、アイドルは完成する。近年の歌って踊れるアイドル。

 足のないケイちゃんにアイドルになる資格はなかったのだ。

 そもそもの話、自分は『深海棲艦』だ。艦娘の敵。そして、人類の敵。他の誰かの前で歌うなんて、初めからできっこなかったのだ。

 だから吹雪は怒った。自分を蔑ろにするためではなく、自分のためを思って、先輩である那珂に物申したのだ。

 彼女はずっと自分に優しさを向けてくれていた。

 ツンと鼻の奥が熱くなるのに、手で口元を覆うケイちゃん。

 

「もぉー、何言ってるの、吹雪ちゃん。那珂ちゃんが明石ちゃんに何を頼んだのか、忘れちゃった?」

「え? ……ケイちゃんの服と……あっ!」

 

 ああっ、と口を覆って目を開く吹雪に、那珂がうんうんと頷く。

 

「って、ひょっとして那珂ちゃん、最初からこうなる事を予測して……?」

「とーぜん! だって那珂ちゃんには、ケイちゃんのその胸の音楽が聞こえてたもん」

『……?』

 

 話を向けられてケイちゃんは顔を上げた。潤んだ瞳は二人の顔をぼやけさせていたが、那珂も吹雪も悪い顔はしていないとだけはわかった。

 

「それじゃ、ケイちゃん。……行こっか」

 

 そう言って那珂は手を差し出した。

 一つの汚れもない純白の手袋。純粋な気持ちが、向けられている。

 どこに、なんて聞く必要はない。

 ケイちゃんは確信していた。

 その手を取れば、きっとどこにだって行ける。

 だから、手を伸ばして、手を取って。

 

「明石ちゃんのとこにレッツゴー! だよ!」

「はい!」

『……ゴー』

 

 那珂に背負われたケイちゃんは、そっとその首元に顔を当てると、優しい声で囁いた。




TIPS

・一曲目
初恋

・二曲目
弾薬-燃料-鋼材

・三曲目
新曲。

・作詞作曲
全部那珂。

・音楽
演奏は妖精さん。

・その胸の音楽
人の心は音楽を奏でている。
深海棲艦もそうなのだろうか。

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