島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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10までには終わるかな。たぶん。



・ドライブ
ジャンプロイミュードを追って別の世界へとやってきたドライブ。
しかしそこは、なんと海の上だった。

・艦これ
流れ着いた軽巡棲鬼を陸に引き揚げた那珂には、何か考えがある様子。
彼女を明石の工廠に連れて行こうなんて言い出すものだから、
吹雪は「どうしよう」と困ってしまった。


6.接近メロディ・君の名はケイちゃん

『ナイスドライブ』

 

 テレテレ、プ、プ、プ。

 軽快なクラクション音とともにベルトさんが陽気な声を出すと、変身を解除したばかりの進ノ介は、がくっときて、腰に巻いたベルトさんを見下ろした。

 

「ベルトさん……」

『すまない、ついいつもの調子で……おほん、おほん』

「しっかりしてくれよな」

 

 進ノ介は、後ろ頭に手を当てて掻くと、この薄暗く広い謎の施設を見回した。壁際にはいくつものへんてこな機械が並んでいて、振り返れば、浅い海水がトンネルの奥までずぅっと続いていた。

 遠くに見える白い光は、トライドロンで入ってきた場所だ。

 

 次元移動装置の完成と同時に、マッハとチェイサー、そしてコア・ドライビア-Sの後押しを得て別の世界へやってきた進ノ介だったが、最初に目に入ったのは青い海に水平線。どこぞの海のど真ん中だった。

 そういえばどこに出現するかなどの説明はなかったな、なんて頭の中の冷静な部分で考えつつ、とにかく水没してしまわないようにトライドロンを走らせ、その速度を活かして海の上を走ったのだ。

 波に何度もバウンドし、車体が上下に揺れるのは、たとえ仮面ライダードライブに変身している状態なのだとしても生きた心地がしなかった。

 そこへ見えてきた、水中トンネルへの道。藁にも(すが)る思いで滑り込んだ先は、近未来的な謎施設に繋がっていたのだ。

 床の上に出て、トライドロンを停車し、降り立った進ノ介は、胸を撫で下ろして安堵した。良かった、生きてる。ちゃんと地面がある。

 そうして気持ちを整えてから、変身を解除し、この場の探索に乗り出したのだ。

 

「この世界って、未来……なのか?」

『調べた限りでは、時代についての記述はなかったね。だが、登場する機械や名称を考慮すれば、私達が生きていた時代とそう変わりはないはずだ』

 

 数歩歩けばカツカツと靴の音が響き渡る。懐から取り出した小さな懐中電灯を逆手に持って顔の高さで固定し、前方を照らしつつ探索を続けた進ノ介は、部屋の隅に奥への通路を見つけて、警戒しながら進んだ。

 何メートルか行った先にあったのは、鉄扉だけだった。

 冷たいノブを握り、ゆっくりと開く。もし何か現れても、すぐさま拳銃を握れるよう心構えをしつつ、さらに変身できるよう気構えして、扉に肩を当て、一気に押し開けた。

 

「……!」

 

 かぁっと照りつける太陽に、思わず腕で顔を庇う。

 外だ。空に遮る物のない、外。

 急な明暗の変化に、ようやく目が慣れてきた進ノ介は、周囲を見回して、おお、と声を漏らした。

 そこはまるで、特撮のセットのようなミニチュアの模型がずらっと並んだ空間だった。

 遠くにある高い塀の壁に沿うように、小さな街が広がっている。

 

「どこかの私有地に入っちゃったかな」

 

 だとしたら少しマズイなと思いつつ歩き始めた進ノ介だったが、異常に気付いたのはすぐだった。

 この模型の街……作り物にしては、やけに生活感がある。

 そこかしこの家の煙突からは煙が上り、どこかの家の塀の中には人形用なのか、服が干されていて、そしてずっと、何かが動く音や稼働する音が絶えず聞こえてきている。

 

『何かがおかしい……。! 進ノ介、気をつけるんだ!』

「どうしたベルトさん!」

 

 ベルトさんが警戒を促すのに、すぐさまシフトスピードを手にして周囲を睨みつける進ノ介。

 

『そこかしこに動体反応がある。それも、とても低い位置だ』

「低い位置……?」

 

 足下を見て、それから、身を屈めて、街の中を見渡す進ノ介。

 だがそうしてみても、なんの姿も見つける事はできなかった。

 

『むむ……不可視のエネルギー体……これはいったい』

「ベルトさんにもちゃんと見えてる訳じゃないのか。ドライブに変身しても、見えないものが見えるようにはならなそうだな」

 

 不気味だが、今のところ実害はない。

 ゆっくりと歩き出してみても、ただ、そのエネルギー体達は、今進ノ介が歩いている道の端に集まってくるだけで、それ以上近付いて来ようとはしなかった。

 

『向こうに扉がある。とにかく今は、ここを抜けよう』

「ああ。こっからじゃ外の様子はわからないが……人がいるのなら、話が聞けるだろうしな」

 

 本当に人がいれば良いのだが……そう願わずにはいられず、進ノ介は緊張した面持ちで、遠くに見える扉へと向かって進んで行った。

 

 

「あのっ、あの、ほ、本当に、その、報告に行かなくて大丈夫なんでしょうか……?」

「……」

 

 艦娘寮の裏側、海に面した道の(ふち)で、もうすぐそこまで流れてきている軽巡棲鬼を見て、吹雪が不安げに零した。

 那珂は答えない。じっと、うつ伏せで流れてくる少女の頭を眺めて、それから、海に下りた。

 海面を歩行し、軽巡棲鬼の傍まで行くと、その体に手をかけて、ゆっくりと引き上げた。重く濡れた服をずっしりとしていて、元々青白い肌は、より生気を無くしている。頬に残る水の筋は、海水か、はたまた他の何かか。

 

「ぐったりしてるけど、うん、まだ息をしてる」

「どうします? 艤装持ってきますか?」

 

 暗にとどめを刺すか問いかける吹雪に、那珂は首を振って、軽巡棲鬼の腕を自分の肩に回すと、通路の上へ戻った。

 仰向けに横たえた軽巡棲鬼は、たしかに少しだけ口を開けて、そこからヒュウヒュウと息を吸っている。緩やかに上下する胸は、布が濡れて、その形をはっきりと見せていたから、判断は容易かった。

 熱に浮かせられているように表情は辛く歪んでいて、細い黒煙の上がる下半身……足の付け根から繋がる、異形の頭のような艤装は、下から上へ、ちょうど真ん中が、バックリと割れていた。煙が出ているのは、歯が並ぶ異形の口からである。左右についた砲は見る影もなくひしゃげて黒焦げ、使い物になりそうになかった。裂傷は肉体には及んでいないが、足の付け根や、上服のお腹や脇の部分が焦げて、穴が開いている。覗いた肌には煤汚れと火傷、それから、体液だろう黒いオイルが染みついていた。

 炭の臭いと、火薬の臭いと、潮の臭いが混ざり合って、酷い有様だった。

 それでも、那珂は気にせずに彼女の頬に触れ、首筋まで滑らせてから、髪の数本が頬などに張り付いているのを指で退け、前髪を整え、砂や汚れのついてしまった長い髪を手に持つと、ふとして、軽巡棲鬼と目があった。

 

『――……』

「……なあに?」

 

 細く開いたまぶたから覗く、薄青色の瞳。アクリル板のような滑らかさと、まるで生きた感じがしない無機物的な綺麗さ。今そこには僅かな水気があり、ほの暗い青い光が、ほんの小さな、残り香のように、漏れ出していた。

 唇の動きで、声なき声が発されているのだと気づいた那珂が顔を近付ければ、喉を動かし、掠れた息を出して、彼女はなんとか言葉を紡ぎ出した。

 

『ウ、タ……』

「…………歌?」

『……キ、キ……タ……』

 

 ――――。

 最後まで言わずに目も口も閉じて、また胸を上下させるだけになってしまった軽巡棲鬼に、那珂は、顔を上げて、吹雪を見上げた。

 吹雪は、膝に拳を置いて緊張した面持ちで二人のやりとりを見守っていたが、自分に視線が向くと、わたわたと背を伸ばして、那珂と軽巡棲鬼とを何度も見た。ついに倒すのか。でも、今のが最後の言葉だと思うと、なんだかかわいそうな気もしてきてしまった。だから、()()言葉が那珂の口から出てくるのをちょっとだけ恐れた。

 

「明石ちゃんのとこに連れて行こっか」

「……! …………はい」

 

 明石の下へ行けば、艤装を手にする事ができる。

 それ以前に、彼女ならば、もうこの壊れかけの少女を、本当に壊してバラバラにしてしまえるだろう。

 吹雪はなんだか嫌な気持ちになりながらも頷いて、せめて、この気持ちに対する言い訳を作るために、軽巡棲鬼を運ぶのを進んで手伝った。

 

 

 明石の工廠には、昼時の今の時間でさえ艦娘が出入りしていなかった。現提督である藤見奈仁志が出した出撃・遠征禁止令のためである。近海にさえ現れる不気味で危険な霧を警戒しての事だった。

 そういう訳で、現在この工廠には、夜の肝試しに向けて驚かしの練習をする明石しかいないのである。

 

「あーかしちゃーん」

『はいはーい』

 

 シャッターが上がっていて、ぽっかり口をあけた大きな出入り口から声をかけると、すぐに返事が返ってきた。だが、何かおかしい。声がとてもこもっているというか、奥まって、響いているというか。そもそも彼女の声に何かしらの加工がされているみたいな不気味さで、吹雪は頭を縮込めて、得体のしれない不快感をやり過ごした。

 しばらくすると、でんと置かれた軽トラックの陰から、にょきっと黒い頭が生えた。駆逐イ級に似た、異形の頭だった。

 青く光る双眸に、鋭利な歯が並ぶ口。続いて体が現れると、薄黒い筋肉質な肉体が広がっていて、なんというか、化け物だった。

 

『お待たせしましたー。那珂ちゃん? どうし……どうしたの!?』

「ちょっと拾ったの。どう?」

 

 ガッショガッショと歩いてきたマッチョな化け物の背から、ひょこりと明石が顔を覗かせて、それぞれを視認するとすっとんきょうな声を上げた。軽巡棲鬼の足を支えていた吹雪は、どっちも『どうしたの!?』だよ、と思った。

 

「この子治したいんだけど、どうすれば良いかなぁ」

「え、倒すんじゃないんですか?」

 

 さらっとさっきとは正反対の事を言う那珂に、吹雪はびっくりして彼女を見上げた。やだなぁ、そんな人聞きの悪い事言わないでよ。ぷりぷり怒りながら、軽巡棲鬼の体を抱え直す那珂。振動が伝わると、軽巡棲鬼は苦しげに呻いて、身を震わせた。

 

「直すの? ええっと、そりゃ、たぶん、直せるとは思うけど……直すの?」

「うん、そう。入渠させるとなると記録残っちゃうし、明石ちゃんならどうにかできるんじゃないかって思って」

 

 化け物から下りた明石は、那珂と話しながら軽巡棲鬼を覗き込むと、上から下まで眺め回した。傷のある辺りの布を引いて損傷具合を調べたりしてから、那珂に目を合わせる。

 

「その言い方だと、提督の知る所ではないみたいね。これがなんなのか、直したい理由がなんなのかがわからない限り、私の方でできる事は何もありません」

「この子は行き倒れで、那珂ちゃんの歌を聞きたいっていうから、聞かせてあげたいの」

 

 きっぱり言い切る明石に、那珂は少しも怯む事なく理由を話した。

 軽巡棲鬼は、たしかに歌を聞きたい、というような内容を話していた。ひょっとしたら、那珂と吹雪がいたあの場所に流れてきたのも、練習する歌が聞こえていたからなのかもしれないが、それだけで敵を甦らせようと言うのだから、那珂という軽巡は非常識で、懐が深かった。

 そういえばこの人は、着任してから最短で改二まで改造され、戦果を挙げた凄い人なんだったっけ、と吹雪は思い出した。一緒にいるとその陽気さと元気さに忘れてしまうけど、戦闘では重巡だって構わず放り投げてしまう豪快な戦い方をするのだ。経歴も普通と違えば、その考え方だって、普通とは違うのかもしれない。

 

「水でもかぶせれば起きると思うから、歌ならその時に聞かせてあげれば?」

「ちゃんとした状態で聞いてもらいたいの。那珂ちゃんの歌を聞いて、苦しいとか痛いって思われるの、すっごく嫌だよ」

 

 難しい顔をして渋る明石を説得しようと、なおも言い募る那珂。

 

「何かあっても、全部那珂ちゃんの責任にするから、ね? お願い!」

「……どうしてそこまでそれを気に掛けるの?」

 

 本当に歌だけが要因? と半眼で睨まれて、手を合わせていた那珂は、うんと頷いた。本当に、歌を聴かせたいだけ。彼女がそう願ったから。そして自分が、そう思ったから。そこに敵か味方かの垣根はない。

 

「だって、歌ってそういうものでしょ? 国も越えれば人種も越えて、空も海も陸も関係なく、どんな人や相手にだって聞かせるの」

 

 それに、実を言うと、初めて那珂ちゃん達の歌を聞いちゃった観客第一号かもしれないし。

 そう締め括って、抱えている軽巡棲鬼の顔に目を落とした那珂に、明石は呆れた風に溜め息を吐いた。

 

「私の判断でどうにかできる事じゃないと思うんだけどなぁ……」

「うーん……やっぱりそう?」

 

 そこまで言うなら力を貸してあげたいけど、でも、やっぱり、そういうのって。

 これが、傷ついた所属不明の艦娘だったり、外の人間だったりしたならまだ明石も、提督の許可を待たずに治療したりする事だってあっただろうけど、相手が深海棲艦では、気持ちは動かないし、手も出したくない。下手すれば、直した結果他の誰かを壊してしまう事になるかもしれないからでもあるし、単純に、深海棲艦をあまり好いていないからでもある。

 まあ、後ろの化け物のように、深海棲艦を模した人形を作るくらいはするのだけど。

 

「じゃあ、提督に許可貰ってくるね!」

「えっ?」

 

 笑顔でそう言った那珂は、明石が呆けるのも気にせずに吹雪に軽巡棲鬼を預けると、だだだーっと走って出て行ってしまった。軽巡棲鬼と真正面から抱き合うような形になってしまった吹雪は、生体フィールドを纏っていない体に冷たい海水が染み込んでいく感覚と、首筋にかかる生暖かい息に体が震えて、青い顔になっていた。

 

 那珂が戻ってきたのは、それから数分も経たないくらいだった。

 

「はいこれ、認可状! ちゃんと印押してあるし、話もしてきたよっ!」

「……ちょっと貸して」

 

 無駄にキラキラオーラを纏わせて、一枚の紙を差し出す那珂に疑わしげな目を向けつつ、明石は紙を受け取ってしっかりと目を通した。

 提督の直筆で、堅苦しい書き方でなく、されど急いで書いたような筆跡が短く並んでいた。

 

「……『ここにこれを認可する。必要なら入渠施設の使用も許可する』」

「ね?」

「……そこのについて何も言及されてないけど、ちゃんと助ける対象が深海棲艦だって言った?」

「もー、那珂ちゃんが信じられないかなー! このスマイルを見ても!? きゃはっ☆」

「……言ってないのね」

「がーん、無視された……」

 

 彼女の言動から、肝心な事を隠して、しかも若干、人の良い提督を騙すような形で許可を取ってきてしまった那珂に、明石は肩を落として、深い溜め息を吐いた。

 

「わかった。やるわ」

「ほんと! ありがとぉー!」

「許可があって、あなたが頼むなら、拒む理由はあんまりない……けど、約束して。直した結果、その……その子が暴れ出したなら、すぐに破壊して」

「だいじょーぶ! ね、吹雪ちゃん?」

「えっ!? えー、その、……あはは」

 

 急に話を振られて、軽巡棲鬼を落とさないよう戦々恐々としていた吹雪は、誤魔化し笑いで切り抜けた。正直全然大丈夫な気がしなかった。

 

「じゃ、さっそくお風呂に行こう!」

「あの、私もですか?」

「もちろん! ふふ、お風呂で重大な発表しちゃうから、楽しみにしててね吹雪ちゃん!」

 

 全然楽しみにできないです。

 大きな不安を抱えつつも、先輩であり師匠でありアイドル仲間である那珂の言う事を断る訳にはいかず、入渠ドックへ連行される事になった吹雪。

 

(うう、こんな事になるなら、島風ちゃんと夕立ちゃんも一緒に連れてくるべきだったかな……)

 

 明石が応急処置を施すために、グリーンゼリーを溶かしたぬるま湯に軽巡棲鬼を浸し、艤装を外しにかかるのを眺めながら、誰かを探しに行くなら一緒しようか、と言ってくれたルームメイトの姿を思い浮かべる吹雪であった。

 

 

 入渠ドックは、明石の工廠のほど近くに位置している。二階建てで、一階部分に大きな浴場があり、二階ではリラックスできる設備や、長い時間を過ごすための娯楽などがあった。

 マッサージチェアだとか、卓球台だとか、浴場で言えばジャグジーだとか、冷水風呂だとか、擬似露天風呂だとか、サウナだとか……係員や飲食できる場が併設されていたなら、きっとここは銭湯としてでもやっていけるだろう内容だった。

 

 那珂は一回り小さくなった軽巡棲鬼を背負い、吹雪を引き連れて脱衣所へやってきた。木編みの長椅子に彼女を横たえると、お団子状の髪を解いてやって、それから、仮に羽織らされていたYシャツを脱がせてやった。

 

(深海棲艦って、深海棲艦なのに、なんで、こう……)

 

 軽巡棲鬼の足の付け根は丸くなって皮膚が張っている。切断された腕や足の断面がそうなるであろうように、彼女の足もそうだった。興味を惹かれてそれを見ていた吹雪は、剥かれた軽巡棲鬼の一部分に視線を移動させると、自分と比べて、そう思った。

 胸はそこそこあって、なのに腰は細くて、全体的にすらっとして理想的な体系で。これで肌が正常な色ならば、誰が見ても美少女の完成だ。

 

「なんか、こうして見ると、この子ってどこか那珂ちゃんに似てるねぇ」

「そう、ですか? そんな事ないと思いますけど」

 

 自分も手早く服を脱いで畳みながら言う那珂に、吹雪はなんとなく否定した。実際、那珂はこんなに肌の色が悪くないし、どこか厭世(えんせい)的な顔をしてないし、こんなに胸は……。

 

「そうかなぁ。お団子髪の毛とか、服だってなんだか似てた気がするんだけどなー」

「特徴だけ見てみれば、確かに似てるかもしれませんけど……でも」

 

 口に出した事はないが、尊敬している先輩と深海棲艦を一緒にしたくなくて、否定的な声音になる吹雪に、那珂は脱いだ服を近くの洗濯機に入れながら、不思議そうな顔をした。

 

「吹雪ちゃん、脱がないの?」

「あっ、すぐ脱ぎます、すぐ!」

 

 言われて初めて、自分がただ立っているだけな事に気付いた吹雪は、さっさと服を脱ぎ去ると、那珂が使用した横の洗濯機に服や下着を放り込んで、ふたを閉めると、スイッチを押し込んだ。これで数時間もしない内に服はぴかぴかに。皺も無い綺麗な状態になるだろう。

 その間は、お風呂だ。

 

「足の方で良い?」

「はい」

 

 軽巡棲鬼の脇に手を通して持ち上げる那珂に、吹雪は頷いて、その両足を抱えた。素肌が合わさると、内側の奥の方までひんやり冷えているのがわかって、これが自分達と深海棲艦の違いなのか、それともそれくらい消耗しているのか、判断に迷った。

 浴室は、いつ入っても湯気に満ちて、どの浴槽にも湯が張られている。水道・光熱費・電気代……誰もそんな事は気にしていない。艦娘にとって、妖精のテクノロジーによる夢の大浴場は、当たり前のものなのだ。

 ずっと湯が張られているからって汚い訳でもなければ、どこかに汚れがある訳でもない。妖精万歳。洗髪剤やボディソープは、各々が持ち寄って使用するのだが、それらはコンビニエンス妖精で求める事ができる。妖精万歳。

 

「那珂ちゃんはこの子を洗っちゃうから、吹雪ちゃんは先に自分をやっちゃってね」

「わかりました。何かあったら、声をかけてくださいね」

 

 シャワーの前で、椅子に軽巡棲鬼を座らせて支えながら言う那珂に、吹雪は言われた通り、先に頭や体を洗ってしまう事にした。実を言えば、明石の工廠で軽巡棲鬼に触れた際に染みた水や臭いが気になっていたのだ。

 体に湯をかけ、慣らしてからシャワーを出して、お湯になるまで待って。

 椅子の位置を気にしつつ隣を見れば、那珂が甲斐甲斐しく軽巡棲鬼の体に緑色の泡を塗りたくり、洗っている。髪は後回しにしたのか、だけど、しっとりと湯に濡れて、体に張り付いていた。

 

 吹雪が、後ろ髪を丁寧に撫でつけてコンディショナーを髪に馴染ませ、さっと洗い流す頃には、軽巡棲鬼の方も、髪を整えられているところだった。

 長く湯を浴びたおかげが、青白い肌はほんのり赤みを帯びて、頬にも朱が浮かんでいる。苦しげだった顔は緩み、安らかな寝顔に変わっている。閉じた瞳は、水滴がかかるたびにぴくぴくと動いて、今にも開きそうだった。

 

「ふんふ、ふんふふんふ~、ふ~ふふふ~」

 

 彼女の表情の理由は、那珂の鼻歌も一因かもしれない。陽気な歌は抜群に上手く、心穏やかになる力があった。それはどうやら深海棲艦にもきくらしい。

 自然と耳を傾けていた吹雪は、那珂が砲雷撃戦で砲を唸らせる代わりにマイクを持って歌い出す姿を幻視してしまい、どうか彼女がそんな発想を持ちませんようにと祈った。きっと思いついたら絶対やる。そういう艦娘なのだ、彼女は。

 

「オニ~」

「遊んじゃかわいそうですよ」

 

 髪の毛を泡で固めて、頭頂部に二本角を作ってみせる那珂に、吹雪は笑いを堪えながら注意した。軽巡棲鬼だから鬼……。

 しかし軽巡棲鬼は、自分がおもちゃにされているなんて露知らず、すうすうと眠っている。先程ボディソープ代わりに塗られていた、原液に近い修復剤が効いてきているのだろう。体にあった傷ももう、ほとんど見る影もない。が、体を弄ばれているというのに起きる気配がないのはどうなのだろう。このままでは、彼女は完全に那珂のおもちゃになってしまう。

 吹雪は何とかしようと思って、あ、とわざとらしく声を出した。

 

「そういえば、重大な発表ってなんですか?」

「ん~? それはぁ、お風呂に浸かってから発表しまーす。じゃん、サンタさん~」

「ぷっ……や、やめたげてくださいよう」

 

 軽巡棲鬼の髪の毛を口元に集めてもさっとさせる那珂に、吹雪は決壊寸前だった。なんとか再度注意はできたが、おそらく那珂は聞いていないだろう。

 吹雪が体を洗い流すと、那珂も合わせて軽巡棲鬼の髪に湯をかけてやって、泡を落とした。

 

「体冷えちゃうとまずいし、先に湯船に浸かってて?」

「……この、人と、ですか?」

 

 はい、と押し付けられた軽巡棲鬼に、禁断の果実が当たっているのを感じながら。吹雪はおずおずと問いかけた。彼女の事をなんと言えば良いのかも、一瞬悩んだ。

 

「うん。そういえば、その子、名前がなくて呼び方に困っちゃうねぇ」

「軽巡棲鬼、でしたっけ。初めて見ましたけど……呼び方はそれで良いんじゃないですか?」

「えー、あんまりかわいくないなー。そだ、名前つけちゃおう」

 

 そんな、拾って来た猫や何かに名づけるみたいなノリで……。

 困惑する吹雪など視界に入っていない那珂は、シャワーを胸元に向けつつ、高い天井を見上げてうーんと唸った。

 

「軽巡棲鬼だから、ケイちゃん?」

「…………」

 

 安直だなあ、と思ったけれど、賢い吹雪は何も言わずにぱちぱちと手を叩いた。

 本人の知らぬところで名前が決定した瞬間であった。

 

 

 湯船に浸かって、しばらくして。

 縁にもたれかけさせた軽巡棲鬼改めケイちゃんが水没しないように注意深く見守りつつ、僅かな警戒心を抱いて、されどかわいい名前がついてしまった事で、深海棲艦だとか軽巡棲鬼だとか口にするよりも大分親近感を得てしまって、微妙な気持ちを持て余していた吹雪は、那珂がやってくるのを見てほっと息を吐いた。

 

「遅くなってごめんね~」

「いえ、気にしないでください」

 

 ちゃぽちゃぽんと音を鳴らして踏み入って、腰を下ろした那珂が、目をつぶってふへーと脱力する。

 ケイちゃんと那珂が並ぶと、今はどちらも髪を解いているから、本当にそっくりに見えた。

 

「それで、重大発表ってなんです?」

「へへー、ケイちゃんのために、初ライブ開いちゃうんだよ~」

「はあ。……えっ?」

 

 蕩けた溜め息交じりに言うもんだから、吹雪は一度聞き流して、それから、改めて那珂の顔を凝視した。

 いや、だって、最初にちゃんと歌を聞かせる相手が深海棲艦になろうとは、思いもしなかった。

 じゃなくて、そもそも、彼女……ケイちゃんが目を覚ました時、暴れ出さないとも限らないのだ。そんな計画を立てて、いざ倒さなければならなくなった時、ライブに向けて整えた心にどう言い訳をすれば良いのだろうか。

 そうやって吹雪が指摘しても、那珂は表情を変えず、薄く目を開いて吹雪に長し目を送ると、

 

「暴れたって、組み伏せてでも聞かせるよ。聞きたいって言ったのはケイちゃんだもん」

「……それって、なんだか……ひょっとして那珂ちゃんが歌いたいだけでは」

「良い練習台を見つけたなぁなんて那珂ちゃん思ってないよ!」

 

 思ってるんだ。

 ずいぶん邪なアイドルもいるもんだな、とジトッとした目で見れば、那珂は慌てて手を振ると、いやいや、と弁解した。

 

「ちゃんと、聞かせてあげたいって気持ちもあるよ! だって、ケイちゃんも歌好きだもん!」

「そんなの、わからないじゃないですか。まだ起きてないし……言葉だって、交わしてないですし」

「そんなのしなくったってわかるよ。那珂ちゃんにはわかるもん。だって……」

 

 あの時聞こえた綺麗な音色は、きっとケイちゃんの歌だったから。

 そう言われても吹雪にはぴんとこなかったのだが、那珂の言葉には妙な説得力があって、なんとなく、すとんと心に嵌まってしまった。

 だからもう、彼女に歌を聞かせるんだって事には、反対するつもりは起きなくなって、だから、ただケイちゃんが目覚めた時には、暴れださきゃいいな、と思った。


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