島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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2024年、花火大会に繰り出したシマカゼ一行は、
それぞれ縁日に向かい、出店を回った。
ふとしたキッカケで朝潮に本心を打ち明けたシマカゼは、
拒絶を恐れて逃げ出してしまう。
そんな彼女の前に、ダークローズ・シードモンスターが立ち塞がった。



やりたい事やったもん勝ち。そう、二次創作ならね。



第三十六話 枯葉怪人と告白と花火大会

「……あの、私、気にしてませんから」

「……」

 

 喧騒から少し離れた広場で、街灯の下のベンチに座ってフランクフルトをやけ食いする俺に、朝潮が言い辛そうにそう言った。

 いいもん、どうせ俺は格好つける事もできないダメ男だ。だから彼女なんかできた事もなかったんだ。俺が情けない男だからだ。うじうじ。

 というか、あの熊さんも熊さんだ。あんなの絶対とれっこない。せっかく朝潮がやる気になって、一緒に撃ってくれたのに、結局取れずじまいだった。

 ああいうのも、昔なら手前に落として手に入れてたんだけどなあ。

 奥に落とさなきゃゲットにはならないよ、と言われても、向こうだって取れない風に意識して置いてある訳だからそこの所を聞きつつお願いすれば頂けるのだ。

 今日はそこまでいけなかった訳だけど……。

 あーあ、なんでこの体だと、上手く当てらんないのかなあ。遠近感が狂ってる訳でもないし、両目とも視力は同じなのに。

 静かになってしまった朝潮を気にしつつ、フランクフルトと、それが入っていたパックに目を落とす。半透明の底についた赤と黄色。『止まれ』と『今すぐ止まれ』の色。

 半分ほどやっつけたフランクフルトの横腹を唇で挟んで先端まで引っ張り、でこぼこの断面を、ケチャップとマスタードに擦りつけて口に運ぶ。しょっぱい。辛い。舌が痺れる。チープな味だ。……嫌いじゃない。

 

 大事な事を言う前に、何か朝潮の気を惹くような事をしたかったのに、失敗した。逆に格好悪いところを見せてしまった。あんなところで熱くなってしまうなんて、ガキ過ぎるというか……とても大人とは思えない振る舞いだった。

 まあ、そもそもそーゆう駆け引きとか、俺には向いてないのかもしれないなぁ。

 

「…………」

 

 食べ物もやっつけてしまうと、やる事がなくなってしまって、遠くの星空を眺めながら足をふらつかせた。星を眺めているようでいて、その実、すぐ隣に座る朝潮の様子を窺っている。彼女は今、どんな顔をしているのだろう。つまらなさそうな顔をしてたらやだな。そんな事を考えながら、静かな息遣いに耳を傾けていた。

 

「ねえ……楽しい? 私といて」

 

 沈黙に耐え切れなくなって、いきなりそう切り出した。表情の変化を知りたくなかったのに、つい朝潮の方を見てしまって、その一瞬、後悔する。

 もし、嫌だって顔をしていたら?

 そうだったら、今までの全部が崩れてしまうだろう。俺が楽しいって思った時間も、何もかも。

 だから、見なきゃよかった。僅かな時間の間に、強く深く、後悔した。

 

 朝潮は、僅かに目を開いて、驚いているようだった。なぜそんな事を聞くのかわからない、みたいな顔。

 胸の内を冷たい水が滑り落ちる。直前まで盛り上がっていた気持ちをどん底まで突き落とすような、嫌な一滴。

 瞬きをした朝潮は、髪を揺らして、笑った。

 

「楽しいです。とっても」

「本当に?」

 

 彼女がそう言うのだから、そうであるはずなのに、俺はなぜか信じられなくて、言葉を重ねた。彼女は気分を害した様子もなく、ええ、凄く、と、笑みを浮かべたまま頷いた。

 ようやく、理解できた。朝潮は、俺と過ごす時間をちゃんと『楽しい』と思ってくれている。

 嬉しい。

 それが凄く嬉しくて、彼女の手を取り、両手で包み込んで、微笑みかけた。

 

「朝潮!」

「はい」

「好きだ! 付き合ってくれ!」

「……はい?」

 

 腰を浮かせて、気持ちを吐き出した瞬間、『あ、駄目だ』と直感した。

 目を丸くしてぽかんと俺を見る朝潮の顔は関係ない。

 俺が、勢い任せにこれを言ってしまった事に、駄目だと感じたのだ。

 

「あ……」

 

 手を握ったまま、お互い何も言わない時間が流れる。

 見つめ合っているのに、気持ちが通じているかなんてちっともわからなくて、少しずつ少しずつ体を締め付ける圧力に、外側にも冷や汗が流れた。背中を伝い落ちる冷ややかなひとしずく。

 

「う……」

 

 朝潮は、何も言ってくれない。

 はっきり答えてくれる……想像の中ではそうだった朝潮は、現実では、ただ俺を見上げて、黙っていた。

 もっとロマンチックなムードの中で言うべきだったかもしれない。ごちゃまぜの気持ちと思考の中で、そんな考えが浮かんだ。綺麗で、一転の汚れもない状況でなら、彼女に伝える気持ちも綺麗なままで、それならきっとすぐに受け取ってもらえたかもしれない。

 ああでも、たとえ花火の中、雰囲気万点で告白しても、きっと俺は、『駄目だ』と感じていただろう。

 わかってはいた。

 朝潮に、俺に対する恋愛感情はない。

 そもそも少し一緒に戦っただけで、あまり顔を合わせた事の無い人間……しかも同性なのだから、特別な意識を持ちようがないのだ。

 俺が一方的に思いを募らせて、それを吐き出しただけ。彼女はそれを受け取らなかった。

 それだけなのに、するりと手が離れると、これが今生の別れになる気がして――事実、そうなるのだと気づいて――。

 

 俺は逃げ出した。

 

「待って! そっちは――」

 

 石畳の上を駆ける。着物の裾を何度も膝で打ち、はためかせて、広い道を突っ切って行く。張られたロープを飛び越え、無人の屋台の合間を抜けて、その先の雑木林へ。

 どこへ向かうか、なんて考えてなかった。もしかしたら、逃げれば朝潮が追って来てくれるかもしれない、なんて淡い期待を抱いていたのかもしれない。汚い思考。薄汚い、こんなの、なんにも相応しくない、消えて当然の人間の考え。

 気持ち悪い。馬鹿。格好悪い人間の癖に。

 感情の絵の具を混ぜ合わせたみたいにどろどろになった心が負の感情を体中に溢れさせる。

 

 素足が擦れ、熱を持つ。

 吐く息さえ熱い。

 体に纏わりつく汗は粘質で、吹き付ける風もまたこの体を絡め取ろうとしているみたいで、嫌だった。

 走りにくい。

 ひたすら、走りにくかった。

 柔らかい土と草の上を走るのに下駄は向いてないし、着物も向いてない。浴衣を引っ張ると多少はマシになって、ビッと足首を草が擦った。

 喉の奥に鉄の味。

 体中を廻る血液の流れが辛くて、それ以上に、胸で膨れ上がり、溢れる悪感情が血流に乗って体中に広がっていくのが気持ち悪くて、足同士がぶつかり合って、転びそうになった。

 

 ザザザ、と草の音。

 海の上を滑るのと似た、しかし違う音。

 後ろから追ってくる気配があった。微かな呼吸の音が聞こえた。

 喜んでいいものじゃないのに、それが無性に嬉しくて、同じくらい悲しい。

 こんな経験はした事がなくて、自分でもどう感情をコントロールすればいいのかわからない。

 

 背の高い木々に囲まれた道なき道を走り抜ける。巻き上がった枯葉が着物の表面にぶつかり、蹴飛ばした腐葉土の欠片が地面を打つ鈍い音がした。

 

「っ!」

 

 気配を感じた。

 背後の朝潮とは違う、他の人間の気配。

 ……人? それにしては……何か、違う。獣……人里近いこの場所に、獣なんかいるのか?

 

「……っん」

 

 ぼやけ始める視界に、乱暴に目元を拭う。腕を覆う布越しに熱い水の感覚。

 土を蹴り上げ、近付いて来る足音に、もう訳がわからなくなって走り出す。

 

『――――』

「ひゃっ!?」

 

 二歩進んだところで、どこかにあった気配の位置を特定した。目の前。地面に続いて枯葉が積もっていた位置。そこはくぼみになっていて、気配の主はそこに潜んでいたのだ。

 鋭い呼気と共に枯葉を持ち上げて姿を現したのは、人型の異形だった。でかくて黒い頭に目はなく、大きな体や首回りに、地面に散らばっているのと同じ葉っぱみたいな大きなビラビラがくっついていた。

 両腕をこちらに伸ばしてくぼみから出てきた異形は、ぶるぶると体を振って枯葉や土を落とすと、再び俺に手を向けた。

 ええと……な、何かの撮影?

 カメラとかあるの? マイクは? 照明は? スタッフとか、ああ、地面に敷かれた、カメラが移動するためのレールとか……。

 混乱しながらも周囲を見回す。ない。いない。物も、人も。

 夜目が利かないとはいえ、艦娘の目をもってしても、辺りにそれらしき物は発見できなかった。人の気配だって、前後にしかない。前の異形と後ろの朝潮。

 え、つまりこいつは、本物?

 いやいや、日本はいつから特撮世界になったんだ。こんな怪人みたいな生物がいる訳……。

 

「待って――」

「――っ!」

 

 走り寄ってきた朝潮が俺に声をかけようとした時、異形――枯葉の怪人みたいなのが、ばっと両腕を広げて直立した。瞬間、周囲の地面が爆発した。

 いや、すぐ足下で起こったからそうと勘違いしただけだ。俺と、俺のすぐ傍まで来ていた朝潮の周りの土が爆ぜた。慌てて腕を出して朝潮を庇い、後退する。

 うそ、こいつ、ほんとに……。

 よく考えてみれば、深海棲艦なんて化け物がいる世界だ、今さら怪人の一体や二体出てきてもおかしくはない。でも、こんな奴が……艦娘である俺の目をもってしても見えない何かを発射する奴が、人の賑わう縁日の近くにいるなんて……世も末!

 

「あの、こ、これは」

「下がって!」

 

 困惑している朝潮に小声で呼びかけて、もう一歩下がらせる。

 怪人は、肩で息をするような動作をすると、悠々と歩き始めた。ドス、ドス、ドス。重い足取り。やっぱり、あれは特撮のスーツとかじゃない? 土に足跡がつくくらいの重量がある。大きな足が接地する際の圧に巻き上げられた枯葉達が異形の足下を渦巻き、後ろの方へ流れていった。

 

「こっち!」

「えっ、あのっ!」

 

 怪人から目を離さないまま、朝潮の手を取って走り出す。

 装備も何もない今、あんな変な奴と戦うなんて馬鹿な真似はできない。もしあれが本当に化け物なら、俺の攻撃が効くかは怪しい。

 左へ逃れる俺達に、怪人はぐいと頭を動かしてこっちを見ると、すかさず体ごと方向転換して、直立した。またくるか! 今度は見切る!

 

「くっ!」

「きゃあっ!」

 

 バチバチと土が爆ぜ、ひっきりなしに布越しの体を叩く。飛来した何かに地面はハチの巣だ。走っていたからなんとか当たらなかったけど、くそ、やっぱり見えなかった!

 なんなのあいつ。どうなってるの、日本。

 ぐるぐると渦巻く思考は、怪人が走り出すのを見て中断した。結構速い。重い足音とは違って、走り辛いとはいえ全力で逃げている俺達に追いついてきている。砲があれば遠距離攻撃でいるんだけど……ああ! どの道俺じゃ当たらない!

 

「む!」

 

 逃げる途中、再び怪人が何かを放った。目の前の地面が爆ぜ、すぐ近くの木肌が抉れ、上の方でも弾ける音。ノーコン、当たんないよ!

 なんて思ってたら、目の前に何かが降ってきた。振り払おうとして空いてる腕を出して、しかしその形状に覚えがあるのに、慌てて握る形に変える。

 パシッと音を立てて手に収まったのは、不思議な装飾が施された剣だった。

 うわ、何これ、超格好良い……じゃなくて! ……なにこれ!?

 

「ど、どうしましょう!?」

「あ、朝潮はここで待ってて。私、やっつけてくる!」

「ちょっと、あっ」

 

 鈍い銀の刀身に、細目の握り手の片手剣。カーブを描いた刀身は美しく、丸っこかった。

 なんか落っこちてきたってのは凄く怪しいけど、武器があるなら話は早い。覚悟しろ怪物め、シマカゼが相手だ!

 

「やー!」

『グフー!』

 

 くぐもって響く不思議な唸り声を上げた怪人は、向かっていく俺を迎え撃つつもりなのか、立ち止まって頭を揺らした。

 剣を振り上げ、切りかかる。俺の姿が見えてるのか見えてないのか、防御もせずに一撃を受けた怪人の身体からバシッバシッと火花が散り、大きく怯んだ。お、効いてる? ならもう一閃!

 

『グオオ!』

 

 横薙ぎに振るう剣の軌跡に、遅れてバシバシと火花が吹き散る。振り切った隙を潰すために前蹴りを繰り出すと、両腕でガードされた。ずしっと重い重量級の防御。それでも艦娘のパワーだ、ざりざりと地面を削って後退した怪人は、驚愕の声をあげて一歩後退った。

 

「とりゃっ!」

『!』

 

 大きく踏み込んで、頭から股下までを振り切る。噴き散る火花を手の甲で振り払い、着物の袖をバタタッとはためかせて、斬り上げ。閃く線の中に赤い火の粉が咲き乱れる。

 腕で押し返してくる怪人を警戒して素早く後退すれば、揺れた怪人は、直立して発射体制になった。げ、距離とらなきゃよかった!

 剣と腕で体を庇い、飛来物を警戒する。しかし、連続して炸裂したのは、てんで見当外れの地面だった。

 やっぱりノーコン、俺とどっこいどっこいだ。

 今の内に思いっきりやってやる!

 剣を横へ放り投げ、左手に持ち替える。素早く頭を落とした前傾姿勢から、地面に手がつくくらい屈みこんで、力を溜め込む。脳内イメージで、腹の底から湧き上がる力を腕に伝わせ、剣の先まで流し込んでいく。ガルルバイト! 魔皇力(まこうりょく)代わりの気合いが全身を滾らせ、気持ちを上向きにさせる。

 

「――……!」

 

 剣の柄を口元に寄せ、口を開けて咥えようとして、ふと、艦娘の鋭敏な感覚に複数の気配が入り込むのを察知した。

 ……?

 ……あれ、なんか……囲まれてる?

 さっきまではなかった気配が、周囲の木々や茂った草むらの向こうに潜んでいる。こいつの今の射撃、ひょっとして何か意味があったのだろうか。下級怪人を呼び出すみたいな……。

 剣を構え直し、腰を落としながらも姿勢を正す。周囲を警戒しながらゆっくりと後退していると、茂みの一つにちかっと光るものを見つけた。何かの目? それとも――。

 

「っとと!?」

 

 注目していた茂みの向こうから、光る棒が飛来した。

 回転するそれをなんとかキャッチすれば、やっぱりそれは強い光を発する、丸みのある棒で……あ、でも、丸い先端とは反対側がなんだか機械的になってて、でっぱってる。なんだこれ。

 剣と棒を見比べ、眺めまわして、ピンときた。なるほど、この棒も武器なのか。で、この、剣の柄のくぼみに……かっちり!

 おおー……薙刀モード?

 上部に伸びる銀色の剣に、下部に伸びるライトセーバー。手の内でぐるんと回せば、銀と白光の帯が視界いっぱいに広がった。いいねぇ、痺れる!

 

『ウオオー!』

 

 格好良いギミックに感動していると、拳を打ち合わせて火花を散らした怪人が、駆け出してきた。向こうもやる気だ。なら……。

 よし、これで決めよう!

 

『ガルルフィーバー!』

 

 心の奥で俺の声が反響する。寝起きの間延びした声が混じって、あんまりキマってない。

 片手で持った薙刀剣を振り回し、残光を伸ばして叩き斬り、縦に持って構える。走り寄ってきた怪人が間合いに入った瞬間、両膝を軽く曲げ、高く跳び上がった。

 

「はーっ!」

『!』

 

 落下に合わせ、ライトセーバーを突き刺すようにして振るい、眩い光を閃かせる。

 バシバシッ! 連続で火花が散った。棒の部分と剣の部分を、一息に当てたのだ。怪人の前に陣取り、多段ヒットを狙って薙刀を振り回し、ダメージを与えていく。

 火花の中に白煙が混じり、怪人が仰け反って呻く。

 ん、最後!

 大きく振りかぶった薙刀を、光る棒の部分からぶち当て、剣の部分で斬りつけて、反転。朝潮の立つ方へ体を向け、横に薙刀を振り戻して、決めポーズ。背後で怪人の倒れる重い音が響いた。

 よし、おしまい!

 

「ぶい!」

 

 乱れた息の合間に、朝潮に向けて勝利のVサインを送れば、彼女はなぜかあわあわとしていた。あれっと首を傾げる。なんであんなに慌ててるんだろう。というか、珍しいな、あの子があんなに慌てるなんて。

 

「よーしオーケーイ!」

 

 ぼーっと朝潮を眺めていれば、突然大きな声がして、途端、がやがやとした人の声がぶわっと増えた。周りにあった人の気配が動き出し、茂みを掻き分けて出てくる。半袖姿の男の人とか、長い棒を持った人とか、人、人、人……。

 ついでに、さっき倒した怪人がむくりと身を起こして頭を振っている。

 あ、あれー……ひょっとして、俺、なんだかすっごくイケナイ事をしちゃってたり……?

 

「さすが俺が見込んだ女の子だ、アクションはばっちりだな!」

「長回しをミスなし一発でとは、逸材ですねーシマちゃんは」

 

 笑顔を浮かべて歩み寄ってきていた男達の姿を見ようと、光る棒を顔の前に持ち上げると、全員の足がぴたっと止まった。話し声もピタリ。

 

「ちょっと予定と違った動きもあったけど、良い動きだった……よ?」

 

 怪人が頭をスポッと引き抜いて、冴えない男の顔を露わにしながら俺を褒めるような事を言って、しかし俺を視認すると、止まった。

 ……どうしよう、凄く逃げたい。

 呆然とした人達の顔を見回していると、パチパチと拍手の音がした。

 見れば、俺と同じくらいの年代の女の子が、手を打ちながら、男達の合間を縫って歩み出てきた。

 

「すごいじゃない、あなた」

(シマ)ちゃん……」

 

 金髪の少女だった。長い髪の……でもそれは、彼女が髪を掴んで取り払うと、短い黒髪に変わった。

 

「わたしじゃ、あんなに激しく動けないよ」

「いや、そんな事は」

 

 彼女の言葉に反論しようとしたのは、半袖の男だ。一番前に出てきていた彼が、ええと、監督か何かなのだろうか。

 その男と少しの言葉を交わすと、少女は金髪のカツラを傍にいた女性に渡し、こちらに歩み寄ってきた。同時に、朝潮も近くに来る。

 

「あなた、名前はなんて言うの? 私は嶋由梨(ゆり)

 

 俺達の顔を見回した後に少女が発した言葉だ。

 名乗っていいのだろうか、と悩みつつ朝潮を盗み見ても、何もわからなかったので、シマカゼ、とだけ返せば、「ねえ、わたしと交代しない?」なんて言い出すから、びっくりして、なんで? と聞き返してしまった。

 

「だって……。わたしより、凄そうなんだもん」

 

 話の流れからして、この子が本来、ええと、こういう風に動く役目だったのかな。それを、知らないとはいえ俺がやってしまって、怒ってる……という訳じゃないみたいだけど、ていうか、知らないのに完璧にこなした俺って何者? っていうか。あ、艦娘だけど。じゃなくって、え、これやっぱ特撮的な何かだったんだ? でもあの怪人のスーツ凄く重そうだったし、中に人入ってるんだったらなんですぐ間違ってるってわからなかったんだろう?

 色んな事にぐるぐる頭を回していると、嶋と名乗った少女は溜め息を一つ吐いて監督の下に戻って行った。周りの人と打ち合わせ的な会話をしていた監督が嶋……ちゃんと話し出すのを眺めながら、隣の朝潮に小声で話しかける。

 

「もしかして、朝潮は知ってたの? ここで撮影があるの」

「ええ。小耳に挟んでましたから……」

 

 ああ、それでなんか、反応が変だったんだ。気付けよ、俺……。

 申し訳ありません、伝えられず、止められず、と謝る彼女を手で制して、恐る恐る聞く。

 

「この後、どうすれば良いと思う?」

「その……謝るしかないかと」

 

 それしかないよね。

 ああ、なんでこんな事になっちゃったんだろ。

 憂鬱になりながら、「とにかく時間が押してるから、次は花火の」と話している監督さんに頭を下げるために近寄って行く。

 

 この後滅茶苦茶叱られた(由良さんに)。

 

 

 由良さんにはこっぴどく絞られたが、監督さんからは少しの注意しかなかった。良い画が撮れたとほくほく顔だったのと関係があるのだろう。

 映像自体は、まあ、俺達の立場的な意味ですぐ破棄しなければならなかったみたいだけど、損害の賠償はすぐになされると話がついたみたいで、それに、特撮で長回し、及び定点カメラでの、まさに特撮的な画が撮れる事を実感して、この先の作品作りに意欲的になったと話された。

 10月から始まる『黄色い恋』という日曜朝の少女向けドラマをぜひよろしく、ぜひぜひよろしく、と念を押されるだけで、なんのお咎めもなし。ほんとにそれで良いんだろうか。

 監督に手を握られ、日常的の中に突然現れるスペクタクルな非日常を味わっていただきたい、と熱い眼差しで言われたのだが、まるでというか、俺をスポンサーかお偉いさんみたいな扱いにしていて、凄く不思議だった。

 

 由良さんからのお叱りも、そうなった原因は聞かれず、人に迷惑をかける事の重大さに重点を置いてのお話だった。声を荒げたりしないし、激しい怒りを見せない由良さんの怒り方はかなり堪えた。しゅんとしてしまう。

 花火の上がる時間が迫ると、急に切り上げて解放されたのはなぜだろうか。

 おまけに、また自由に行動していていいというし……問題を起こした直後なのに。……今まで積み重ねてきた信用の賜物? ……眉唾。何か事情があるんだろう。

 

「……気分を変えて、目の前の事を楽しみましょう」

 

 肩を落とす俺に、朝潮はそんな風に言って元気づけてくれた。

 真面目な彼女にそこまで言わせたのだ、これで元気にならなければ嘘だ。

 なんて、拳を握って気合いを入れてみても、彼女との間に交わした会話を思い出すと、気分が落ち込んでしまう訳で。

 ……結局答えは聞いてないし、朝潮が答えてくれる気配はないし。

 

 それならそれで良いのかな。

 断られたりして悲しくなるくらいなら、いっそうやむやのまま、普通の友達のまま消えるのが一番か。

 ……それでも、言いたい。伝えたいな。

 好きな人の中に俺という存在を遺したいと思うのは、いけない事だろうか?

 

「あ、いたいた!」

 

 土手に並ぶ人混みの中、ガードレールの前に立つために空いてる場所を探して歩いていると、黒髪の女の子が走り寄ってきた。

 さっきの、嶋ちゃんって子だ。

 

「ね、この後花火見るつもり?」

 

 俺と朝潮の前に立った彼女は、荒い息を呑み込んで整えると、にっこり笑顔で、こう誘ってきた。

 撮影のために封鎖されている場所の一角を貸すから、おいで、という話。

 なぜ俺達を誘うのだろうか。迷惑をかけた側なのに。そう聞くと、嶋ちゃんは、個人的にお話ししたいから、監督さんに頼み込んで許可を貰ったのだという。

 いいのかなあ、それ。

 まあ、ずらーっと人が並んでいるここより、そっちの方が良さそうなのは確かなんだけど、さっき叱られたばかりでまた問題起こしそうなのはどうなのかな。

 なんて。答えは決まってる。喜んで、だ。

 

「良かった。後でお話してね、約束よ!」

 

 なんだか知らないけど、そういう約束になった。指切りげんまんのオマケつきだ。

 俺は朝潮と二人きりになれればそれでいい。

 なんとかもう一度、自分の気持ちを伝えるんだ。

 格好悪くても良い。ただ、話すだけだから。

 断られたって良い。知ってほしいだけだから。

 

 嶋ちゃんに案内された一角は、少し開けた土手だった。ここには確かに人がおらず、道路にも面していない。後ろの方に行き交う人の姿を見つけたけど、あれは撮影関係のスタッフだろう。地面に何かを埋めたり、木の様子を観察したりしていた。……火薬の確認かな?

 関係のない事に意識を向けていれば、袖を引かれた。朝潮だ。足下の荷物に一度視線を落としてから、朝潮を見やる。彼女は何も言わず、遠くの空を見上げた。

 しばらくして、光の線が空に昇り、爆発した。花火。火の花。

 最初の一発は大きく、徐々に落ちていく中でも強い輝きを発していた。

 紫の光が咲き、赤い光が緑色になって、次々と打ち上げられていく花火達と交代していく。

 

「……綺麗ですね」

「うん」

 

 なんというか、何度見ても、花火というのは重厚な感動をもたらすものだった。

 でも、俺が朝潮の言葉に少し遅れて反応したのには、別の理由がある。

 見惚れていたのだ。移り変わる儚い光に彩られた、彼女の横顔に。

 言ってしまおうか。言うまいか。

 最初はこの場面で言うことを想定していたのだ。言った方が良い。むしろ、今言わないでいつ告げるというのだ。

 すぅっと息を吸って、昇る花火の爆発に合わせ、ふぅー、と吐く。

 

「君の方が綺麗だよ」

「え?」

 

 きょとんとして俺を見た朝潮の目をしっかりと見ながら、再度、花火より君の方が綺麗だ、と伝えた。

 ドォン。降り注ぐ光が、朝潮の顔を赤く染め上げた。

 陳腐な言葉だ。でも、俺にはこれが限界だった。

 気の利いた言葉なんて思いつかない。気持ちをただ真正直に吐き出すだけ。ロマンティックなムードを利用したって、しょせんこの程度だ。

 お腹の下で指を絡め合わせて、羞恥心を逃がす。恥ずかしがっちゃいけない。顔を逸らしちゃいけない。

 ずっと見つめて、ちゃんと、言葉にする。

 

「朝潮」

「……はい」

 

 吹く風に、顔の横に手を当て、指先で髪が顔にかからないようにした朝潮は、俺に体を向けて、見上げてきた。真剣な瞳が真っ直ぐに向かってくる。

 逃げ出したい。

 膨れ上がる気持ち。恐怖。羞恥。よくわからない何か。

 そういったものに弾き飛ばされて、この場からいなくなりたくなってしまう。

 なんとか抑え、押し込めて、目を逸らさずに口を動かす。

 

「俺は……」

 

 ドォン、と花火が上がった。緑色の光。青色の光。薄暗さが戻り、星明りが下りる。

 

「君の事が好き……みたい」

 

 パラパラと火の粉が落ちる音の中でした告白は、なんとも情けないものだった。

 言い切ってないし、これじゃあ、やっぱり駄目だ。

 それでも、一度気持ちを吐き出すと、今度は流れ出す言葉を止められなかった。

 

 いつからかはわからない。

 気づいたらそうだった。

 だって、ずっと君の事を考えていた。

 あの日、倒れ伏す君を見つけた時から、今日まで、ずっと。

 俺の生きる理由の全部が、君だったんだ。

 君と会うため。君と話すため。君の笑顔を見るため。君の笑顔を守るため。

 そのためなら、たとえ明日俺が消えるんだとしても、受け入れられるって思った。

 この気持ちを知って欲しかった。

 

「……あなたの気持ちは、わかりました」

 

 全部を吐き出して、少しすると、朝潮は真っ直ぐ俺を見つめたまま、静かに話し出した。

 

「でも、駄目です」

「……そう」

 

 駄目。

 そう答えられて、一瞬で頭の中がぐちゃぐちゃになった。

 色んな気持ちが入り乱れて、ぶつ切りの単語が飛び交って、でも、声には動揺なんてなくて。

 こんな時に限って格好つけなくてもいいのに。

 

「駄目なんです。だって……あなたは、私を見ていないじゃないですか」

 

 ……え?

 体が強張って、全身が硬直した。無意識に目を逸らして、近くの地面を見る。

 息が苦しくなって、目が閉じられない。

 どうしたんだろう。なんで俺、こんなに緊張して……。

 

「私を通して、別の誰かを見るのはやめてください」

「ゃ、ちが……そ、そんなこと、し」

「してますよね? ……してます。だって」

 

 私が笑うと、いつも寂しそうに笑い返してくるじゃないですか。

 

 遠くに響く声。

 俺は、朝潮を直視する事ができなかった。

 

 

 花火大会から戻ると、疲れた体を引き摺って部屋に戻った。

 お土産を渡しに行くのは、明日でいいだろう。ああ、シャワーを浴びる気力もない。

 ベッドに倒れ込み、ふかふかを堪能する。転がって仰向けになると、着物が乱れて、胸元が大きく開いてしまうのがわかった。

 構わない。どうでもいい。

 

『キュー?』

 

 のそのそとベッドの頭部分からやってきた連ちゃんが胸の上に乗ってくるのに、う、と声を漏らす。重い。重いよ連ちゃん。装ちゃんと砲ちゃんも、顔の傍に寄ってきて、身を寄せてくる。冷たい体が、火照った頬を冷やした。

 

「連装砲ちゃ~ん……」

『キュー!』

 

 砲ちゃんを手で寄せ、目元に当てる。腫れた目にひんやりボディが気持ち良い。

 ぱたぱたと手を振ってもがく砲ちゃんに、風に前髪が揺れて、ふぅい、と息を吐いた。

 

「どうしたのよ、ジメジメしいわね」

 

 ギシリとベッドを鳴らして上の段から覗き込んできた叢雲が、鬱陶しげに言った。悪い感じなのは声だけだ。眉を寄せた叢雲は、薄眼で見る限りには、こっちを心配しているようだった。

 

「なんでもないよ。ちょっと失恋しただけ」

「シツレン……? ……司令官と何かあったの?」

 

 司令官? なんで提督の事が出てくるんだろう。

 かんけーない。その人はこれっぽっちも関係ないよ。

 

「あーもー、わかんない。わかんないよ、俺」

「…………何があったか知らないけど、相談くらいなら乗るわよ?」

 

 自棄になって足をばたつかせると、叢雲の声が優しいものに変わった。

 下着見えてる、と言いながらはしごを下りてきた叢雲が、腰に手を当てて俺を眺め、それから、連装砲ちゃんが俺をぺしぺし叩いて約束の物を催促しているのに気付くと、私があげてもいい? と一言断ってきた。

 構わない。今はちょっと、動く気になれない。

 

『キュ~』

「こら、たくさんあるんだからがっつかないの!」

 

 現金なもので、叢雲の手にわたあめの袋が渡ると、連装砲ちゃん達は甘えた声を出して俺から退いて行った。酷い。裏切り者。

 ふんだ、いいもん、俺は一人でふてくされてるから。

 

「で、なんでそんなにいじけてるのよ」

 

 腕で目元を覆ってしくしく泣き真似をしていれば、連装砲ちゃん達にわたあめを与えていただろう叢雲が、呆れた声で問いかけてきた。

 朝潮とどんな顔して会えばいいかわからないの。もう、碌に時間も残ってないのに。

 たしかに俺は、彼女の笑顔に姉さんの影を見ていた。だって、似てたから……。

 ……ああ、ああ、もう。

 どうせ、もう帰りを待つ事もできないんだから、いっそ姉さんの事は忘れて、朝潮に告白すれば良かった。

 姉さんの事を、忘れ――。

 

「っ!」

「なに、してるのよ。もう」

 

 馬鹿な事を言う自分の頬を打とうと手を振り上げたら、叢雲の手に掴まれて止められた。

 

「……泣いてるの?」

「泣いてないよ」

「泣いてるじゃない。待ってて、ハンカチ取ってくるわ」

 

 おかしいな。今日に限って叢雲が優しい。いつもはツンツンしてるし、怖いのに。

 ハンカチを手にした叢雲は、キューキュー鳴いて催促する連装砲ちゃん達を制してから、ベッドの上に乗って、覆いかぶさるようにして俺の目元を拭い始めた。子供みたいな扱いに嫌がって顔を背けようとすれば、無理矢理固定される。わかったよ、されるがままにすればいーんでしょ。

 

「……涙は私が拭いてあげるから、好きなだけ泣きなさいな」

「だから、シマカゼは泣いてなんかないったら。……ぐす」

 

 こんな風に朝潮の事を拭いてあげた事もあったな、なんて思い出すと、目から何かが溢れてハンカチを熱く濡らした。俺の頬にかかっている髪を指で退かした叢雲の言葉に反論してみたけど、喉が詰まって、上手く息が吸えなくって、ちゃんと話せなかった。

 

 彼女がそうして俺に優しくしてくれたのは、吹雪達が帰ってくるまでだった。

 シャワー帰りの吹雪達ががやがやと楽しげに部屋の扉を開けると、俊敏な動きでベッドから飛び降りた叢雲は、次にはもう、連装砲ちゃん達にわたあめをあげるエサやりの達人に早変わりした。

 

 俺は微妙な気分になりながらも、うつ伏せになって、吹雪と夕立の視線から逃れた。




サイバロイド ハウリング・スラッシュ
(剣撃必殺技)

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