島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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第三話 奇しくも流れ着いた少女

「すぅー……」

 

 胸の奥まで息を吸い込む。

 深く深く、息を吐く。

 繰り返し、二度の深呼吸。

 両手を前に。

 交差させた手を左右に開いてゆく。緩く曲がった肘の先は、右手は空へ、左手は地面へと向けて。

 左足を、一歩前へ。

 腹の底に力を溜めるように、ゆっくりと腰を落として構える。

 そのさなかに、右手を前へ、左手を握りつつ、腰だめに。

 視線は目前の木に。体の向きも、そちらへ。

 後ろへ一歩。体勢を整えるために左足を下げ、上体を斜めに。重心を、前に。

 それで準備は整った。

 風に揺らめく葉の茂る、人一人よりも太い木へ、いざ。

 

「――っ、とりゃーっ!」

 

 地を蹴り、砂を巻き上げて前へ跳ぶ。一度両足を(たた)み、それから、右足のみを突きだして、矢のように突き進む。

 靴裏が木の表面にぶち当たれば、僅かにしなる幹に、ヒールがめり込み、削る。木片を飛び散らせ、ベキベキと音を鳴らして半ばまで埋まった足を、再度木を蹴りつける事で引き抜き、元の位置へと下り立つ。

 残心。

 最初と同じ構えで腰を落として、体の向きを左へ。そうすると、ミシリと木が折れ、重い振動とともに地面に横たわった。

 

「ふぃー」

 

 ぐいと額を拭ってから、背を伸ばして立ち、倒れている木を確認する。

 うむ、人造人間でもないのに、素晴らしいパワーだ。

 むん、と力こぶを作りつつ、自分のなした事に興奮する。正直ここまでの力が出せるとは思ってなかった。ただのキックで、自分よりも太くて大きい木を倒せるなんて。

 つい先日まではどんなに頑張っても細い木一本倒す事もできなかったのに、なぜ今は倒す事ができたのかには、秘密がある。

 今、俺の体を覆っている、目に見えない防護フィールドの力だ。

 どれくらいの力が出せるのか、試しにやってみたのだけど……結果はこの通り。

 

「ふっふふ~ん」

 

 上機嫌で鼻歌なんかを歌いつつ、自分の両手を眺める。何もないけど、たしかに何かを感じる。

 これこそ、艦娘が持つ技能だ。砲弾を受けても簡単には沈まない秘密。人とは違う部分。

 人から船へ。元となった船の性能をより引き出し、パワーもスピードもぐんと上げた姿だ。

 ぴょん、ぴょん。足を揃え、トントンと小さく跳ねる。マラソンのランナーとかがスタート前によくやるあれだ。重心を元の位置に戻す効果があるらしいが、俺にそんな意図はなく、ただ気分が良いから跳ねているだけ。

 そう、防護フィールド……生体フィールド? を纏っている状態だと、気分が高揚するのだ。というよりも、自分の体力や体の状態を詳しく把握できるというか。だからこそきっと、士気や疲労が艦娘のパフォーマンスに直結するのだろう。……それは人間も同じかな。

 

「びゅんっ! っと!」

 

 抉るように地面を蹴りつけ、跳ねる土など気にせずに森の中へ入っていく。びゅんびゅんと過ぎ去る景色。ぐるんぐるんと回る足に、大きく振るう腕。

 

「速い速い!」

 

 木を避け茂みを飛び越え、ヒールで地面を削って急ブレーキ。左へ方向転換し、走り出す。

 素晴らしいスピードだった。動体視力も良いので、木や何かにぶつかったり、足を引っ掛けたりはしない。よっぽど不注意でもしなければ、転びやしないだろう。

 

「はい、とうちゃーっく!」

 

 今度は両足をくっつけてブレーキをかければ、つんのめるように体が前に出て、転びそうになる。おっとっと、と軽い声を出しつつ両手を前に突きだしてバランスをとれば、無事に止まる事ができた。

 自分の体をぐるりと見回しても、どこにも怪我など無い。森の中を走り抜けてこうなのも、防護フィールドの賜物だ。

 

「ただいまー!」

 

 森の中の開けた一角に、素材そのまま、木で組まれた小屋があった。

 風雨を凌ぐためにここ数日をかけて作り上げた、俺の傑作だ。

 じゃんじゃんじゃん、と口に出しつつ、スキップ混じりに我が家へ足を踏み入れる。ちゃんと靴を脱いで上がらなきゃ。床を汚す訳にはいかないしね。

 我が家の床には、カーペットの代わりに毛布が敷かれていた。あとなんかよくわからない緑色の薄い布。

 これらはすべて、海岸で拾った物だ。壊れたカンテラや綺麗に洗った瓶なんかも置いてある。波に流されてきた物達だろう。毛布なんかはかぴかぴに固まっていたが、あれこれ試行錯誤して汚れと一緒に落として、使える状態にする事ができた。これで地面の上で寝なくても良くなったのである。

 

 一息ついてから、防護フィールドを解く。そうすると、体がずっと重くなったような気がした。たぶん気のせいだろう。すぐに慣れる。

 試してて気付いたのだけど、フィールドを展開して動いていると、体力とかとは違う明確な何かを消費していくのがわかった。燃料だろうな。それ以外に思い当たる物がない。

 特に激しい動きをすれば、多くの燃料を消費する感覚があった。補給の当てのない現状、そういう行動は控えた方が良いだろう。だというのに、さっきは思わず全速力で走ってしまった。反省……。

 

「…………」

 

 今にも崩れそうな、ちょっと隙間のある壁の方へ歩いていって、傍に座って膝を抱える。

 口を閉ざすと、先程までの高揚が消えて失せ、どんどん暗い気持ちが甦ってきた。

 あー、あー、あー。だから無理矢理キャラ作って明るくしてたのに。黙るとこれだ。

 ……考えないようにしていても、男だった時の――つい数日前までの――事を思い出しては、泣きそうになってしまう。たくさんの人に迷惑をかけている事だろう。姉さんには特に心配をさせてしまっているはずだ。

 ……そういった思いの何もかもを割り切って、振り切らなければいけない。

 だって俺はシマカゼなのだ。人と艦娘の融合体、艦娘の新たな可能性なのだ。

 ……とかてきとうにでっちあげて言ってみたけど、あーもう、馬鹿馬鹿しくてたまらない。全然そういう気分にならなかった。

 さっきライダーキックをしてみた時は、あんなに楽しかったのに。

 無邪気な女の子みたいにきゃぴるんとすれば、翔一という男から離れていけていた気がしたのに。

 

「……ふー」

 

 息を吐く。

 駄目だなあ、こんな事ばかり考えてちゃ。もっと建設的な思考をしよう。ほら、これからどうするんだい? まだ寝るには早すぎる時間だし、また島の探索でもする? 海岸に行って、何か有用な物が流れ着いてないか確認しに行く?

 それとも…………海に出る?

 

「…………それは」

 

 ……まだちょっと、無理かな。

 海ってのは広大だ。指針が無ければあっという間に迷ってしまうだろうし、海を走るには燃料を消費しなければならないから、常に燃料切れの恐怖が付き纏う。何もない海の上でいきなり補給ができるはずもないので、そうなったら沈むしかない。それは嫌だ。

 補給と言えば、鋼材モドキっぽいのならこの島にもあるし、怪我や疲労は温泉に浸かれば不思議と治るし、やっぱり今はここで過ごすのが一番だろう。

 ……海に出るのは、怖いし。

 

「…………」

 

 二の腕を(さす)って、自分の中の弱気を押し込んでいく。

 シマカゼに弱気は似合わないよ。俺ならいざ知らず、今は、そうじゃないんだから……強気で行こう、強気で。

 ふるふると頭を振り、頭の上で揺れる二本のリボンの重みに意識を集中させる。それから、別の事へ考えをスライドさせた。

 この島は、あんまり広くない。数時間も歩けば端から端まで行けてしまう。鳥や蛇は確認したけど、今のところ大型の獣は見ていない。ところどころに隕石の欠片みたいな、金属? 交じりの石を見つけて、とりあえず持ち帰ってきて溜めておいてある。はたしてこれは鋼材の(もと)だったりするのだろうか。それともただの石ころ?

 本物だったとして、たぶんこのままじゃ使えないよな。精製しないと。そのための施設や設備なんてないし、作れる訳もないから、言うだけ無駄なんだけどね。

 ボーキサイトなんかは影も形もない。ここら辺にはないのかもしれない。……あれは日本では取れなかったはずだから、もしかしたらこの孤島は日本に程近い位置にあるのかも。……沖縄の方とか?

 飛行機とかが上空を飛んでたりしてくれたらわかりやすいんだけど……残念ながら、深海棲艦が存在する場合、海も空も危険な領域になっているだろうから、飛行機なんて飛んで来ないだろう。つまり、ここがどこかなんて確認のしようがない。……ああ、艦載機でも飛んでれば少なくとも俺以外の艦娘や深海棲艦がいるって事はわかるのに。

 

 ……たとえわからなくても、深海棲艦がいるって可能性は消えない。だからこそ海に出るのが怖かった。海に出たくない理由の半分が未知の外敵との接触だ。

 未知の、とはいうけど、そりゃ、PCの画面越しになら見た事はある。自らが指揮する艦娘達が戦う黒い奴らならば、嫌と言うほど。でも現実ではまだ見た事が無いのだ。艦娘ならあるんだけども。

 ……ちょいと腕を見れば、ほら、艦娘を見た事になる。

 馬鹿な事を考えつつ、それで少しリラックスして両足を投げ出し、意外としっかりとした壁に背を預けた。木そのままなのでおうとつは激しいが、そこら辺考慮して細い木を使いまくったので、背中に伝わる感触に痛みなどは含まれていなかった。

 今の俺……駆逐艦・シマカゼのレベルは、1か2程度だろう。戦闘経験どころか航行経験さえないので練度は極低。……川の上を走ったのは経験に含まれるだろうか? とにかく、そんなよわっちい奴がたとえ駆逐でもエリートやフラグシップ級なんかに遭遇してしまった日には目も当てられない。

 いちおう自身の名と能力にプライドを持とうと誓ったのだから、どんな相手でも負ける気はないが、限度というものがある。それに、敵が一隻で現れるという保証はないのだ。たとえ戦艦でも一隻ならなんとか逃げ出せる自信があるが、二隻ともなるとちょっと怪しい。戦艦でなくとも、軽巡を旗艦とした駆逐艦の集まりである水雷戦隊なんかが現れた日には、絶望的だ。

 それに、そもそも俺は艦娘の武器たる艤装を所持してないし。

 念じれば出るのかと思ってここ数日色々試してみたけど、出てこないって事は装着型なのだろう。装備などそこら辺に生えていたり落ちてたりなどしないから、現状武装できそうな見立てはない。

 武装できなくとも、この身は艦娘だ。防護フィールドを纏った状態の艦娘は常軌を逸した力を発揮する。言ってしまえば、この体そのものが武器なのだ。

 そういう思考の下に、俺は考えた。島風(彼女)を尊重し、俺を残し、それでいてシマカゼとしてやっていくために必要なすべての要素を満たした俺の戦闘スタイルとは何か。

 それが、先程木にかましたキックに行きつくのだ。

 先程は格好つけてポージングからのキックなどしたが、深海棲艦との戦闘ではそんな事をしている余裕はないだろう。艦娘が船であるのと同じように、相手も船だ。航行速度はおそらくかなり速いだろうからただ跳ぶだけでは当たるとは思えないし、相手には砲撃という遠距離攻撃があるのだから、立ち止まっていたら良い的になるだけだ。

 

 膝に肘を乗せて手をぶらつかせつつ、向こう側の壁を眺めて、考える。

 キック……ライダーを前面に押し出すのなら、スピード重視のスタイルの方が良いだろう。

 まあ、速度に優れる島風とはいっても、アクセルフォームやクロックアップ程のスピードはさすがに叩き出せないだろうけども。キックなら、エフェクトなしの回し蹴りくらいはできるかもだけど、クリムゾンスマッシュは再現不可能だな。……スピードロップ……いや、既存の技に括る必要はないか。このシマカゼ専用のライダーキック……シマカゼキックを編み出してしまえば良いだけの話だ。

 

「ふふっ……」

 

 酔っぱらっているみたいな稚拙な思考の末に導き出したのが、「必殺技を考えよう!」なのだから、自分でちょっと笑ってしまった。意識して口元に手を持って行って、お上品にくすくすと笑ってみる。

 怖気が走るほど自分に合わない笑い方だったが、外面だけを見るならばなかなか絵になっている事だろう。なにせ島風だからな。中身がこんなでも美少女である事に変わりはない。

 

 つらつらと考えに(ふけ)っていれば、太陽は真上を通過して落ち始めていた。昼過ぎ。体内時計では午後一時くらいだ。……まあ、てきとーに言ってみただけだけど。そこに意味などない。

 

 数時間単位でじっと考えてみて、思いついた事がある。

 シマカゼとしての自分にとって、重視するべきはスピードだ。そこにヒーローごっこを組み込むなら、攻撃方法はおのずと浮かび上がってくる。全速力で走ってからのライダーキック。これだ。

 ……なんて決めたはいいものの、正直ただのキックが深海棲艦に効くかは怪しかった。通常兵器が通用しない世紀の怪物。唯一対抗できるのが艦娘だというのだから――正確には、そこに『妖精さん』も含まれるのだろう――この体から繰り出される攻撃も通用すると思いたい。

 というか、通用しなければ対抗する手段がなくなってしまうので、効くと考える他ない。効かなきゃ詰む。

 ……それでも、『生身の攻撃など通用しないのでは』という不安は消えなくて、眉を寄せた。

 海に出て成す術もなく沈められるくらいなら、俺はこの島に留まる事を選ぶ。そうなると永遠にこの島でサバイバルをしなければならなくなるのだが……それもまた嫌だった。

 この体(島風)にそんな生活を強い続けて良い訳ないだろうというのと、自分自身、こんな誰もいない場所で一人で過ごしていく事に抵抗があったからだ。

 今はまだ色々と考える事ややる事がたくさんあってどうにかなっているけれど、これがもう数日して本当に落ち着いてきたら、きっと自分は今よりも大きな不安や恐怖を抱えて震える日々を送る事になるだろう。それが簡単に想像できてしまうから、なんとかしてこの島を出たいのだが……その目処(めど)がいつ立つのかは不明だった。

 島を出てどこに行くのか、何をするのかもまったく考えられていないから、問題は山積みだ。

 もし実家があれば――いや、そんな考えは捨てよう。このシマカゼに帰る場所など、今のところないのだ。

 だからもし、海に出て誰か艦娘に会う事ができれば、その艦娘の手引きでどこかの鎮守府にでも所属させてもらおう。そんな漠然とした考えが浮かんだが、その前と後は何も考えられず真っ白で、そして、考える気にもなれなかった。

 望みの薄い事を考えて鬱々とするくらいなら、空元気でヒーローごっこをやり続けてはしゃいでいる方が万倍良い。そういう風に現実を直視するのを避けているから、何も行動を起こせないのかもしれない。

 いちおうここ数日で生活環境を整え、衣食住の確保はできている。

 食事は魚を中心に果物や野草を口にしているし、毎日温泉に入れるから体も服も綺麗で、疲労なんかもちっともない。入浴すれば怪我さえ治るのだから、今の俺はこの島で目覚めた時よりも健康体だった。

 人に必要な飲料水も、川の水を沸騰させてから飲んでみている。正直それだけではまだ飲み水として問題があるような気がするけど、体に異常は起きてないので平気だと思っておこう。

 

 そうだ、ぼーっとしてないで水作ろう、水。

 立ち上がり、なんとなしにスカートの裾を引っ張りつつ仕舞っておいた『薄汚れたポリタンク(小)』を引っ張り出す。中は川で汲んだ水で満杯だ。うんしょと両手で持ち上げ、靴を履いて外へ出て、木陰の下に歩み寄る。

 四角く掘った場所に葉と木の燃え屑が積もっている。中心に、手製の釜戸。

 ポリタンクを地面に下ろし、しゃがみこんで、釜戸以外の不必要なそれらをちょちょいと除けてから、先日傍に置いておいた太めの枯れ木の表面を石で穿ち、足で押さえる。細いながらもしっかりした木の棒を抉った傷口に押し当てて、両手で挟んでぐりぐり回す。原始的な火起こし法だ。ただ、これでできるのは火種だけだ。いきなりぼうっと燃え上がったりはしないので、他に木や葉が必要になる。それらは既に用意してあるので、取りに行く必要はない。

 数回もこなしていればもう慣れたもので、さほど苦労せず火を起こす事に成功した。小さな釜戸(かまど)モドキの下へ集めた木の下に移し、燃え上がらせる。

 

 この石製の釜戸は、川沿いの岩場で大きな石どうしをぶつけ合い、割れた中でそれらしい形の物を拾い集めて作成したものだ。素人仕事だが使えない事はない。実際、海岸で拾ったでこぼこ鍋で水を沸騰させたり、拾った鉄板(!)で焼き魚を作ってみたりしている。魚といえば、海水に浸してから干すだけで美味しい干物ができ上がるのだから、お魚さんは素敵だ。

 そうそう、鍋の入手によって海水から塩を精製する事にも成功している。

 とはいってもこのでこぼこ鍋はかなり小さく、一度にできる量は微々たるものだ。指先くらい。それをちまちま作って焼いた魚に振りかけて食べてみたら、かなりマシな味になった。塩を作り出す苦労も込みで、結構感動した。

 それから、焼いて食べるといえば、森林に生息する大きめの蛇も美味しかった。

 蛇。サバイバルに於いて、蛇と聞くと、もう食料としか考えられない。最初に見つけた時は、毒蛇かどうかなど考えずに、「食べよう」と思ったものだ。

 捕獲し、調理して、食べる時になってようやく毒ないかなと不安に思った。遅い。おっそーい、だ。最近自分の頭の残念さを幾度も実感している気がする。おかしいなあ、現代社会じゃ通用してきた頭なんだけど……恐るべし孤島サバイバル?

 そんな感じで食べるものには困っていないものの、やはり米なんかが恋しくなったりして。

 考えてたらハンバーガー食べたくなってきた。ジャンクフードの味が恋しい。あーあ、クリームソーダ飲みたいなあ。

 望んだだけで出てくる訳がないので求めるだけ無駄だけど、求めずにはいられない。これが欲望だ。素晴らしい。

 

 沸騰する鍋の中身をぼーっと眺めつつ、時折棒きれ(消毒済み)で掻き回したりする。

 しばらくして、家の中から瓶を持ってきて、鍋を火から離し、冷ましてから中身を瓶に流し込む。

 飲料水の完成。

 これを川で冷やして風呂上がりに飲むと美味いのだ。

 

「お水がやっと完成したよ。遅いよね!」

 

 とか島風の真似っこしてみたり。

 台詞が違うのはあれだ、あれ。俺パチモノだし。シマカゼだからだな、うん。

 ……恥ずかしいからって心の中で全力で言い訳しても虚しいだけだと気付いてしまったので、これ以上は何を考える事も無く、再度ポリタンク内の川の水を鍋に注いで、飲料水の作成に取り掛かる。

 

 手に入れている七本の瓶全てを水で満たした俺は、とりあえず家の前に置いて冷ましておいて、夕食にした。無名の魚の干物だ。海の栄養と塩の味が溶け込んでいて美味しい。……美味しい、と言えるくらいの味だ。ちょっと薄味で好みではない。それでも生で食べるよりはマシだ。あの時の俺はどうかしてた。生魚にかぶりつくなんて……いくらなんでも動転しすぎだろう。今も落ち着いているとは言い難いけど。なにせ二十幾つにもなってかわいこぶりっこした女の子の振りなんぞしてるのだ。

 好きでやってる。そう思わないと自分の中の矜持(きょうじ)というか、何かこう、大切なものが砕けてしまいそうな気がした。

 まあでも、実際好きなキャラクターである島風を演じる事にあまり抵抗はない。

 演じるというよりも、彼女として、さらに自分として、その二つを併せ持つ新たな艦娘・シマカゼとして生きると誓っているのだから、女の子の振る舞いをする程度、なんてことないのだ。

 いずれ俺も轟沈の危険に晒されながら、人類の自由と平和を守るために深海棲艦と戦う時がくるはず。

 それを思えば、ちょっときゃぴっとするくらい、些細な事だ。

 

「んなわけねーだろ」

 

 ぼそりと自分にツッコミを入れる。そこにもやはり意味はなくて。ただ、自分を保つためのおふざけの一巻に過ぎなかった。

 食事を終えれば天然温泉へと赴き、日の沈まない内に服を洗って干し、温泉に浸かって疲れをとる。空を見る限り、まだ夕焼け空も遠そうだ。この強い日差しなら短時間で服も乾くだろう。

 そして、昨日までは自分の体が乾くまで犬のようにぶるぶると身を震わせていたが、今日はタオルを持参しているので、わざわざそんな野生児のような事をしなくて済むのだ。

 タオルは拾った。海岸万能説が提唱できそうだ。ほんとに色々拾えて助かっている。

 ……うん、お風呂上がったら、またなんか探しに行ってみよう。

 浴槽(でいいのだろうか?)に背を預けつつ、湯の熱と(のぼ)る湯気が顔を舐めていくのを堪能しつつ、両腕を広げて縁に寄りかかる。ふぅい、と溜め息が出た。

 

()が艦娘になっても、空は青いし地球は回る。これが世界って奴だね」

 

 敵は手強いね、連装砲ちゃん。

 ドラマかアニメのワンシーンみたいに、声に力を入れ、撮影カメラを意識した神妙な表情で言う。

 ただの悪ふざけだ。そうしていると、自分が一人なのも、現状の何も変えられていないのも忘れられて、ただ熱い湯の気持ち良さに浸っていられた。

 暖かな揺らめきの中に意識が半ば溶けあって、そんな中で、この島風の艤装はどこへいったのだろうと、ふと思った。

 ……それはもう、何度か考えた事だ。壊れたか、失くしたか、最初からなかったか。

 失くした説が今のところ一番ありそうだ。そして、もしそうだとしたら、俺がシマカゼとしての俺になる前は、この体は島風として動いていた事になる。

 何の因果かそれを奪ってしまったのだから、大きな責任の下に、この体で生きていかねばならない。たとえいずれ、始まりと同じように、突然に俺の意識が消えてしまうかもしれないという恐怖を抱いていても、今を全力で生き抜くほかないのだ。

 このまま走り続ける。最大スピードで。過去の何もかもを置き去りにして。

 姉さんや、翔一だった頃のしがらみを持ち続けていては速度が落ちる。

 振り返る事もできない。振り返るには足を止めなきゃならないから。立ち止まれば、きっとまた走り出す事は俺にはできないだろう。俺が強い人間でないなんて事は、嫌というほど知っている。

 だから走り続ける。その先で俺が俺でなくなっても、決して足は止めない。

 

「気分はいつもぐるぐるー……とか」

 

 ……言ってみたりして。

 やっぱり、生きていく上では、重く難しく考えるより、お気楽に、楽しく生きていく方が良い。

 非常識にふざけて、子供みたいにはしゃいで、たぶんそうすれば、辛い現実もその内そうでなくなると思う。

 その時には色々振り切れて酷い事になっているかもしれないけど、このまま鬱の海に沈んで出られなくなるよりはマシだ。

 

「んー……」

 

 ふるふると頭を振る。揺れる髪が湯面を揺らした。

 そもそも、艤装についての疑問を思い浮かべたのは、先程自身が口にした『連装砲ちゃん』についてだ。

 いずれ自分が艦娘の武装を手にする時がきたとしても、島風専用の装備、『自立稼働AI搭載兵器連装砲ちゃん』が手に入るかは怪しい。数に限りがありそうだし……。

 ……冗談。自分で動く艤装ではあるだろうけど、AIだとかが入ってるかは正直わからない。

 

 ちゃぷんと音を鳴らして、湯面で手を泳がせる。

 手に入れば嬉しい。自分をもっと確立できる。

 手に入らなければ残念。しかしシマカゼとしての役割を果たす(ロールプレイ)には支障はない。

 でもそれは俺が選べるような事じゃない。結局天に任せるしかないのだ。

 一つ息を吐いて空を見上げた。

 空はまだ、青一色に広がっていた。

 

 

「ふんふー、ふんふふー、ふーん」

 

 鼻歌をしつつ海岸を歩く。波打ち際の砂浜。

 ヒールとつま先がざくざく砂を突きわけて、足間近まで伸びてきた波の色を映す。

 収穫は上々。大小二本の瓶に、四角いアルミ缶を入手している。拾うたびに「お゛ぅっ」と言ってみたりするくらいには機嫌が良かった。

 

「ふふふふーん、ふんふふーん」

 

 泥の上に散らばる海草や貝殻の破片を眺めつつ、抱えている瓶やらをよいしょと持ち直す。波の中に煌めきが見えた。

 ん、そこで波に弄ばれてるのって……。

 

「あー」

 

 波に攫われていってしまう前にと、小走りで駆け寄って拾ってみれば、『修復』の二文字。

 

「おおー……」

 

 高速修復剤。入渠した艦娘に使用すれば、残りの修復時間が十何時間であろうと瞬く間に風呂から叩き出すアイテムだ。ただし、中身は入ってない。当然か。

 こんな物があるって事は、やっぱり艦娘はいるって事か……?

 微妙な感動に気の抜けた声を出しつつ、とりあえずこのバケツも貰っていく事にする。瓶も缶もバケツにイン。銀色が眩しい半円状の取っ手を掴んでぶら下げる。

 その後もふらふらと散歩するような足取りで砂浜を行けば、向こうの方にまたぞろ大きな何かが落ちているのが見えた。

 粗大ゴミ? 不法投棄されたなんかでも流れ着いたのかなあ。

 

「うっ!?」

 

 なんて思いつつ目を凝らして見れば、それは人の形をしていた。

 水に濡れた長い黒髪が散らばり、腰までを波に飲まれて僅かに揺れるのは、どこから見ても人間の女の子だった。


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