島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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第三十二話 船上の戦い

 

 鳴り響く警報は、船が悲鳴を上げているかのようだった。

 

 僅かに揺れる船の上で、俺は二体目のリ級と対峙していた。

 禍々しい赤い光は、照明弾の強い光と混ざり合って、揺らめいている。大きな艤装に覆われた両腕をゆっくりと持ち上げたリ級の動きにはっとして、俺は右手を背中の艤装に伸ばした。……よし、連装砲は無くしたりしてない。これなら!

 ドォン、と腹の底に響く大きな音がした。それは、背後……船の外からだった。

 先程見た光景が目の表面を撫でるように流れていく。五月雨を船から弾き落とし、自身も追った最初のリ級が、異形の砲を、波に翻弄されて立ち上がれずにいる五月雨に向けていた光景。

 心が後ろへ傾く。船の外。意識が逸れたその一瞬は、五月雨の事が頭から離れず、振り向きそうにさえなったくらいだった。

 敵を前にしてそんな行動。殺してくれと言っているようなものだ。

 馬鹿な隙を晒す俺を敵が見逃すはずもなく、向き直った時にはもう、赤い揺らめきを纏って伸ばされた腕は俺に向けられていた。

 この距離で砲弾は避けられない!

 

 ――そんな事ない。

 そんな事なくって、俺のスピードなら、体を傾けて、せめて直撃は免れるくらいはできるはずだ。

 だというのに、刹那の間で俺が下した判断は、『避けられないのだから衝撃に備える』だった。

 重巡の放つ砲弾を受け止めろ、と自分に命じたのだ。命知らずにもほどがあった。

 もっとも、俺の思考にそんな傍観の念みたいなものは紛れていなかったので、その判断が正しいと信じて……いや、信じる暇さえなく、交差した腕で顔を庇った。

 直後に、さっきと同じ砲撃音。同時に、ドッ、と肉を打つ音。

 

「っ、……?」

 

 衝撃は……ない。かざした腕の合間から覗き見える視界には、由良さんだろう足がリ級の下へ駆けていって、そのままぶつかるのが見えていた。

 タックルで押し倒そうかというくらいの勢い。きっと、そうでもしないと、たとえ相手の注意が他に向けられていて、不意打ちだったのだとしても、軽巡の由良さんではリ級を相手にして力で圧倒する事なんてできないのだろう。だがそれで砲の狙いは逸れた。

 砲弾が近くを飛び去っていく。押し退けられた風が横髪を巻き上げ、引き千切らんばかりに掻き乱した。痛い痛い痛い! 根元どころか頭皮ごと持っていかれそうな激痛に片目をつぶって頭を下げ、風の暴力が過ぎ去るのをただ待つ。踏ん張りが弱かったのか、よろけて手すりに背をぶつけ、体勢を崩しかけてしまった。慌てて反転して手すりにしがみつく。滲む涙が零れそうになるくらいになってようやく風が止んで、ふわりと髪が下りた。

 うぐー、髪が、頭が……じゃなくて、由良さんは、リ級は!?

 冷たく嫌な汗が吹き出すのを感じながらも、手すりから下を覗き込んだ。由良さんを心配しているのに、五月雨の事を先に確認せずにはいられなかった。

 

 激しく波立つ海面で体勢を整えた五月雨は、砲撃を警戒しつつ後退しようとしていたが、波に浮かぶ白い線から読み取れる軌跡では、その後退は少し斜めにずれてしまっていた。そのためリ級は船を背にする形になって、五月雨は、船への損害を気にして撃つに撃てなくなってしまっているようだった。砲を構えてはいるものの、牽制するに留まっている。……いや、リ級がお構いなしに砲撃したのを見るに、なんの抑止力にもなっていなかったのだろう。

 慌てて横へ体を投げ出して回避する五月雨に、リ級は何を思ったのか、煙を吐き出す異形付きの腕を勢いよく振り下ろして体の後ろへやると、重心の移動に合わせて駆け出した。あいつ、自分の手で直接とどめを刺すつもりか!

 見ていられなくて、加勢しようと瞬時に思考を巡らせる。だけど手すりを乗り越えて下に()りるのでは間に合わない。俺の砲撃じゃ当たらない。それでも注意を引く事はできるか? 引けなかったら?

 思考の行き着く先は五月雨がどうなるかの想像だった。顔から血の気が引くのを感じる。今さら砲を手にしようったって遅い。すでにリ級は五月雨の間合いに入り込み、腕を伸ばしていて――。

 

 横合いから掴みかかった那珂ちゃん先輩に軽々投げ飛ばされ、海に叩きつけられていた。何が起こったのか理解できなかったのは、俺だけでなく五月雨も同じのようで、きっと、魔法みたいに投げられたリ級だって、目を白黒させているだろう。

 追撃と腕に備えられた連装砲を至近距離から放つ那珂ちゃん先輩。砲火に照らされた彼女の顔は真剣そのもので、いつもの彼女とはまるきり様子が違っていた。

 ボボォン! 直撃弾が二発。反動で後ずさった那珂ちゃん先輩の背を五月雨が支えた。

 流れるように攻撃されたリ級は、黒煙を上げてはいるものの沈む気配はなく、どころか立ち上がった。輝く眼で二人を睨みつける姿に固唾を呑んで見守って――。

 

「たぁっ!」

『フン』

 

 はっとして振り返った。

 腕に直接嵌め込んだ20.3cm連装砲(由良さんの規格に合わせられている)ごと腕を振った由良さんの攻撃が、立ち直ろうとしていたリ級の横面にぶつけられようとして、しかしあっさりと腕を捕まえられて止められた。腕を引っ張られ、勢いのまま投げ飛ばされた由良さんの体が甲板の木板を跳ね、擦り、跳んでいく。そのさなかに放たれた砲弾がリ級の頭頂部を掠った。あんな体勢から砲撃するなんて! でも、惜しい。今一歩のところで当たらなかった。リ級の傍の建造物にも影響はない。船に損害を出さないよう、できるだけ空を狙って撃ったのかもしれない。他の建造物の陰に入ってしまった由良さんの真意は窺い知れなかった。

 

 煩わしげに倒れた由良さんへと腕を向けるリ級に、ヒュンと風を切って飛来した小さな何かがぶつかった。後頭部に当たったのだろう、衝撃に僅かに背を丸めたリ級を跳び越して、船の外からやってきた川内先輩が俺の前へ下り立った。大きな着地音とともに広がるスカートと、運ばれてきた強い潮の香り。活き活きとしてツーサイドアップを跳ねさせる川内先輩の目線は背後に向けられている。たぶん、俺の姿は映ってない。

 振り返りざま、ぶれる勢いで腕を振るった川内先輩から(つぶて)のような物が放たれ、怯んでいたリ級の頭を打つ。ダン、と鈍い音。たまらずリ級は一歩後退し、怨嗟の声を上げた。遅れて地面に落ちた何かがころころと転がり、止まる。光を反射するあれは、コイン……いや、百円玉?

 

「なになになに、なんだってーの! なんで夜になってんの!?」

 

 立ち止まっている場合ではない、と砲を引き抜こうとして、肩越しに振り返った川内先輩が問いかけてくるのに、一瞬固まってしまった。

 うわ、川内先輩ってば、喜色と戸惑いが混じった凄まじい変顔してる。

 じゃなくて、ええと、彼女の言動を見るに、やっぱりこうして夜がもたらされたのはおかしな事なのか。てっきり俺は、ゲーム中で短時間で夜戦に持ち込まれるのはこういった理由なのかと自分を納得させようとしていたのだけど、その必要はないらしい。そもそも今まで深海棲艦にそんな特殊能力があるだなんて聞いた事もないし……考えには無理があるし。という事は、あのタ級は……なんなんだ?

 「って、あんたに聞いても仕方ないか!」と前へ向き直った川内先輩が、弾んだ調子で続ける。

 

「なんでもいーや、私と夜戦しよっ!」

『――――……』

 

 嬉しそうに走り出す川内先輩の声が聞こえているのかいないのか、リ級は自らに走り寄る敵を一瞥すると、横へと砲を向けた。由良さんのほうじゃない。壁……建物の方だ!

 

「おーい、無視すんなー!」

 

 船を傷つけられるのはまずい。川内先輩もそう思ったのか、腕を振って袖から滑り出てきたコインを握り込むと、リ級めがけて素早く投げつけた。が、三度目はさすがに通らない。掲げられた異形の砲の丸い外殻に弾かれてしまう。

 そして、川内先輩がの手が届かないままに、リ級が砲撃してしまった。

 

「あぐっ!」

 

 ボォン、と直撃する音。扉を押し開けて飛び出してきた朝潮が、射線上に体を割り込ませたのだ。

 数瞬遅れてそれを理解した俺は、頭が熱くなるのを感じた。なんて無茶をするんだ。そういう思いと、リ級への怒りが吹き上がって、わななく手でどうにか砲を引き抜いて胸元に持ち上げた。

 

「おりゃっ!」

 

 動きを止めているリ級へ飛びかかった川内先輩が、蹴りや掌底を何度も見舞い、砲の盾で防がれながらも、なんとか船の外へ押し出そうと奮闘し始めた。持ち直した由良さんもそこに加わってリ級を押し出す。船の上じゃ、俺達はむやみに攻撃できない。だからどうにかして、奴にはご退場願わないといけない。

 俺も二人に加勢するべきだろう。そう思ったのに、朝潮の事が心配で、彼女の方へ駆けだした。

 砲弾の勢いを殺し切れずに壁に激突してしまった朝潮は、ボロボロになった服のあちこちで肌を露出させて、ぐったりとして壁にもたれかかっていた。きっと死んではいない。でも、中破か、大破状態になってしまっている。もう一撃くらったらどうなるかは、想像したくない。

 そんな姿を見てしまえば、もう、加勢よりも彼女を守る事ばかりが頭を埋め尽くしてしまう。

 彼女の笑顔を奪われる訳にはいかない。死ぬなんてありえない。また笑いかけてほしい。

 激情に似た熱く苦しい気持ちが駆け巡っていく。床板は激しく軋んで、俺の足を跳ね返していた。

 

「このっ……!?」

「ううっ!」

 

 川内先輩の苦しげな声が聞こえてきた。同時に、硬い物同士がぶつかりあう鈍い音。ズダダンと、誰かが床に叩き付けられる音。

 そっちに視線を向ける暇も余裕もない。だから、何がどうなっているのかなんてわからなかった。俺に見えているのは、痛ましい朝潮の姿と、罅が広がり、陥没した建物の壁が崩れかかっている事だけだ。

 彼女との距離はそうなかった。だからすぐ傍まで行けると思っていた。

 邪魔が入らなければ、実際そうなっていただろう。だがそうはならなかった。俺を狙ったリ級の砲弾が建物に当たり、壁だったものを撒き散らした。

 回避のために体を傾け、(いちじる)しく速度を落としながら、素早く壁とリ級を確認する。建物への損害は、扉のかなり上の外壁が完全に崩れ落ち、中の部屋と明かりが見えてしまっているのと、今なお壁が崩れようとしているところ。リ級の方は、攻撃を外したのを忌々しく思っているのか、呻き声を出して腕を振った。再び腕が持ち上げられた先には、朝潮がいる。

 撃たせるか!

 キュ、と靴裏を擦らせて、バネみたいに飛び出していく。

 

「どああっ!」

 

 その時だった。

 扉を壊すかのような勢いで出てきた男が、床に倒れ込んだのは。

 水上バイクを整備していたあの青年だった。なぜ彼が飛び出してきたのか。なぜ、危険なこの場所に出てきてしまったのか。

 彼へと注意が逸れる。それは一瞬の事。三秒にも満たない中で、倒れ込む男と、その頭上の壁が崩れて瓦礫が落ちようとしているのと、ぐったりしている朝潮を見て、思考した。

 

 どちらを助けるか。

 

 距離的には男の方が近い。少し方向を変えて駆けていけば、落下してきた瓦礫から彼を救い出す事が可能だろう。でもその場合、朝潮は間違いなく撃たれる。

 彼を捨てて走っていけば、朝潮を庇う事はできる。でもその場合、男は怪我をするだろう。タイミングが悪い。良くて重症か、最悪死ぬかもしれない。どうなるかまではさすがにわからない。

 どっちを切り捨てるのか。どっちを助けるのか。

 伸びに伸びた時間の中で、緩やかに動く体と共に、思考を回さなければならなかった。

 

『――――!』

 

 ずきずきと頭が痛む。

 人間を助けるべきだ。そのために俺達はここにいる。彼らが安全に海を渡るために。

 俺達の失敗は艦娘の、ひいては軍全体の信用の損失に繋がる。なんとしてでもそれは避けなければならない。艦娘なら替えが効く。だから人間を助けるのが正しい。

 流れるように、人の方へと思考が傾いていく。おかしなくらい、自然にそう考えていた。

 そう気づいたいのは、視界から完全に朝潮の姿が消えていたからだった。

 ハイスピードカメラで捉えられた映像みたいに、壁だった瓦礫は埃と欠片を引き連れて男へと落ちていっている。

 助ける。

 助けよう。

 人間を。

 

 耳鳴りに似た空気のうねりの中で、それは違う、と私の声がした。

 

「はっ!」

 

 床板を蹴りつけ、前へ跳ぶ。左腕を朝潮へ向けて伸ばす。彼女へ届かせるために、守るために。

 体を投げ出すさなかに、右腕は、背負った艤装にかけられた連装砲を引き抜いていた。手の内に握り込んだグリップは熱くも冷たくもなく、ただ、きつく握った手の痛みと、そこからくる熱だけが感じられた。

 重なって二度、砲撃音がした。軽い音、重い音、その二つ。

 放った砲弾が、青年を襲う瓦礫を吹き飛ばす。その時には、視界の端に朝潮の姿があって――。

 

「――――」

 

 めちゃくちゃに乱れた視界に、降り注ぐ白い壁と何かもわからない色々があって、ぶつかって、ぶつかって、ぶつかって。

 気がつけば、痛む体を丸めて、狭い部屋の中に横たわっていた。

 

「いっ! ……くぅ……!」

 

 慌てて腕をついて体を起こすと、ずきりと背中が痛んだ。背中の、左の真ん中あたり。そこが凄く痛い。

 昔に腕の骨を折った時よりはマシだけど、心臓みたいにリズムを刻む痛みには、涙を滲ませずにはいられなかった。膝を出して体を運び、傍の机の影に隠れる。相変わらず警報は鳴り響いていて止む気配はない。大きな声と砲撃の音がして、船が揺れた。パラパラと埃や何かが落ちる音を聞きながら、お腹に触れる。いつも露出させているお腹。ゆっくり擦り付けながら手を上へやっていくと、胸に当たった。……露わになった胸の下半分と、千切れた服の端。視線を落とせば、少し張った胸と、スカートに垂れるパンツの紐があった。

 ……砲撃を受け、中破、もしくは大破。

 生体フィールドを抜けた痛みが体を襲っている。身動ぎすれば、刺すような痛みがあって、思わず息を吐いた。

 

「朝潮……」

 

 彼女の名前を呟く。

 壁に背を預けて動かなくなっていた彼女は、長い髪が垂れていたゆえに顔が見えなかった。青白い顔をしていたのではないか。泣いていたかもしれない。一度頭に思い浮かべてしまうと、不安と心配が胸に満ちて、這うようにして壁際に寄っていった。壁に開いた大穴からは、外の様子がよく見えた。

 向こうの建物の傍で、由良さんと川内先輩が二人がかりでリ級の片腕ずつを抱えて、暴れ狂うリ級を船の外に運ぼうとしていた。激しい抵抗に揺さぶられながらも、それは成功した。手すりから突き落とされたリ級を追って、二人共が下りていく。それを見届けてから、立ち上がり、背が痛むのに中腰になって、外へ出た。

 外と中とは穴があって地続きも同じだというのに、外に出ると息がしやすくなった気がして、大きく息を吸って、吐いた。左右に、呻く男と、何も言わない朝潮がいる。

 口の中で朝潮に謝罪してから男に駆け寄り、膝をつく。男は顔を歪め、足を押さえて必死に痛みを耐えているようだった。

 俺の砲撃によって粉々になった瓦礫の一部が、運悪く彼の足を打ったのだろう。傍に転がる、子供の頭くらいの大きさの瓦礫を一瞥して、男に声をかける。

 大丈夫ですか、という問いに緩く頷いた男は、それきり言葉には反応してくれなくなったので、一言断ってから、肩を貸して無理矢理ぎみに立たせた。

 

「も、もっと優しく……!」

「速く動いてください」

 

 吐く息の合間にか細く抗議する男の言葉を無視して、急かしながら歩く。足を庇って動きが遅い男を、穴を通って建物内に連れ込むと、奥の出入り口の傍に座らせた。

 なぜ出てきたのだ。そう問い詰めたかったけど、そんな暇はない。すぐに外へとって返し、今度は朝潮の前に屈んだ。

 

「朝潮……。朝潮……!」

 

 頬に手を当てて顔を上げさせると、彼女は気を失っているのだとわかった。

 声をかけ、体を揺すれば、ん……と吐息を漏らして、目を開けた。あわさったまつげが開いていくのは、こんな時なのに、目を引いた。

 

「わ、たし……は」

「朝潮! 良かった……。動ける? どこか痛いところはない?」

 

 側頭部に手を押し当てて頭を振った朝潮は、俺を見上げて目をしばたたかせると、次第に瞳に理知的な光が灯り出し、そして、俺の肩を掴んで身を起こした。

 

「状況は!?」

「朝潮、君はもう動けない。中に運ぶから。歩けないようなら言って」

「わ、私は、大丈夫です。まだやれます」

「だめ!」

 

 立ち上がろうとする彼女の肩を押さえて、声を荒げる。朝潮は、瞳を揺らして俺の顔を見た。強い語調になってしまったから、戸惑っているようだった。

 

「言葉を変える。朝潮は、中の人を守ってて。外は私がやる」

「しかし」

「うるさいよ。私の言う事聞いて」

 

 朝潮の腕を持ち上げて(かつ)ぎ、立ち上がる。持ち上げられるように、彼女も一緒に立ち上がった。怪我をしていないか心配だったが、彼女は口を閉じて俺の様子を窺っているだけで、どこかが痛んだりはしていないみたいだった。

 良かった。彼女の生体フィールドはしっかり仕事をしたようだ。代わりに服が酷い事になっているが、怪我するよりはマシだろう。ああでも、男性の警護を頼んだのに、そいつに肌を晒させるなんて駄目か。何かないかな、羽織るものとか。たしかさっきの部屋に布みたいなのがあったはず……。

 

「あの……」

「……」

 

 すぐ傍で話しかけてくる彼女の声に、唇を動かす。耳朶を打つ弱々しい声は、すぐにでも言葉を返してしまいたくなる魅力があったけど、駄目駄目、朝潮の事だ、上手い事言って俺を丸め込んでなんとか戦線に加わろうとするだろう。それはだめ。許さない。

 

「申し訳、ありません……私が不甲斐ないばかりに」

 

 床に目を向け、気落ちしたように呟く朝潮を見る。久しぶりに見た彼女の落ち込む姿。

 自分を卑下する事なんてないのに。

 船を守るために、咄嗟の判断で砲弾に身を晒すなんて、たぶん俺にはできない。

 それに、朝潮は勘違いしてる。

 

「私は怒ってる訳じゃないよ。これ以上、君に傷ついてほしくないだけ」

「……、……はい」

 

 俺の言葉に反応して顔を上げた彼女は、口を開いて、しかし、出かかった言葉を飲み込むようにしてから、素直に頷いた。

 なんと言おうとしたのだろう。前を向き、考えを巡らせつつ、屋内に足を踏み入れる。上階と違って薄暗い部屋。物置部屋的な何かだろうか。さっきは気付かなかったが、木箱や棚なんかが多くある。でも、机と椅子もあった。床には書類や何かが散らばっている。足を引っ掛けないよう注意して歩き、項垂れている男の傍に朝潮を座らせた。

 

「そのままでいてください」

 

 俺達に気付いた男が緩慢な動作でこちらを見ようとするのを止めるために声をかけると、男は大袈裟に肩を跳ねさせて、縮こまってしまった。

 

「ちょっと待っててね、何か羽織れる物探すから」

「そのくらいは……」

「やらせて。すぐ終わるから」

 

 おずおずと話す朝潮の声を遮って、答えを聞かぬまま部屋の中へと振り返る。

 ざっと見回した感じ、布や衣類はいくつかあった。でも、床に落ちてるのは駄目だ。たぶん一度踏んづけてるし、そうでなくとも降り積もった瓦礫の残骸とかで汚れてる。チャリンと蹴飛ばしたのは、小さな何か。拾い上げてみれば、タグのついた鍵だった。……水上バイク108と書かれている。バイクのキーか。今はこれに用はない。綺麗な布はどこだ。

 棚の方はどうだろう、と開けて回れば、ちょうど良さそうな薄布を見つけた。手触りも悪くないし、変な臭いもしない。手に持って振ってみても、埃が落ちたりはしなかった。

 

「これで肌を隠して。いい、朝潮。外に出ちゃ駄目だよ」

「……了解しました。この方を連れて、中の方達に経緯を説明しておきます。……無理はなさらないでください」

「うん。ありがと」

 

 彼女の首に腕を回し、肩に布をかけてやると、布の横端を掴んで俺を見上げた朝潮は、呟くようにそう言った。微笑みかければ、薄い笑みを返される。

 よし、その笑顔でやる気は満タン。パッションってやつも満タンだ!

 

 素早く外に出て、川内先輩達が下りて行った方の手すりに駆け寄る。ぶつかるようにして鉄製の柵に手をかければ、夜闇の中を飛び回る艦載機の姿が見えた。(おびただ)しい量だ。あのヲ級二体が放った物だろう。

 わんわん飛び回り、下の海めがけて銃弾をばらまくそいつらは、船には目もくれていなかった。時折勢いつけて船の上を跳び越していくやつもいるが、向こうの方へ行くと、下から飛んできた砲弾に撃ち抜かれて爆散した。ナイスショット。那珂ちゃん先輩かな。

 と、暢気に眺めている場合ではない。海面では、吹雪、夕立、深雪の三人が、艦載機相手に奮闘していた。機銃の雨に降られて、頭を庇いがちに動き続けていて、比較的被害は少ないようだ。それでも三人とも少なからず服が破けているから、大破するのも時間の問題だろう。

 

『――――』

 

 ふいに、空が晴れた気がした。

 雨上がりの空。からっとした晴天。

 銃弾の雨に降られた日の事。

 

「…………?」

 

 自分の呼吸をはっきりと感じて、どこかへ飛んでいた意識が戻る。

 俺が下に下りたって、きっと三人の仲間に加わるだけだ。

 だったら!

 

「……よし」

 

 集中する。

 飛び回る異形共を睨みつけて、右手の砲を握り込む。空気を震わせ、空気を穿つ銃弾を吐き出す、赤い瞳の異形達が、途端にゆっくりとした動きになる。

 一ヶ所に固まって、それでもぶつからずに縦横無尽に飛び回る異形。そいつらを殲滅するために左手を背の魚雷発射管に伸ばそうとして、手の内に冷たいものがあるのに気が付いた。

 水上バイクの鍵、持ってきちゃってたんだ。

 何を考える前に邪魔な鍵は口にくわえて、再度背の魚雷に手を伸ばす。一本抜き取り、そして思い切り身を捩った。左腕を振りかぶる。限界まで引き絞る。少し離れた場所で好き勝手している異形達の下へ、直接魚雷を投げ込んだ。

 艦娘の膂力によって放たれた魚雷は、海の中を泳ぐように、しかし先端をぶれさせながら艦載機の方へ向かっていく。

 奴らに知能があるかは定かではないが、一機が気付いて離脱を計ると、周囲の物達も散開しよう動き出す。

 そんなのはお見通しだった。

 すでに構えていた砲が唸る。吐き出した砲弾は、煙の尾を引いて魚雷にぶち当たった。

 爆発。

 熱と風が巻き起こり、たまらずよろめいて尻もちをついた。

 キィキィと音を鳴らして小刻みに揺れる船に、手をついて立ち上がり、どうなったかを見る。

 大きな黒煙が浮かんでいた。もくもくと流れ動くそこから、いくつか黒い線が飛び出ている。撃墜に成功した艦載機の残滓だろう。

 

「む!」

 

 煙の中を突っ切って、生き残りが飛び出してきた。今にも機銃を使ってきそうな敵に、しかし集中力が切れた直後の俺は対応が遅れて――。

 艦載機の奥部が、ぐわっと持ち上がった。

 

「ぃよっし!」

 

 錐揉み回転して空中で爆発した艦載機から顔を庇っていれば、たぶん、深雪だろう声が聞こえてきた。今の、深雪がやったんだ。よく当てられたな。

 感心しつつ、再び手すりに身を寄せて下を覗き込む。

 

「島風ちゃん、ありがとう!」

「後は任せるっぽい!」

 

 ぶんぶんと笑顔で手を振る吹雪に、砲を構えて空を警戒しつつ、俺を振り仰ぐ夕立。遅れて深雪がお礼を言うのに、手を振って返す。

 礼には及ばない。全部は倒せなかったみたいだし。

 

「来たっぽい!」

 

 黒煙が薄れれば、追加で遠くから迫りくる艦載機の群れが見えた。それと、煙を上げながら飛ぶ生き残りの艦載機。

 まだあんなに……。

 

「元を絶たないと駄目だ」

 

 砲を艤装に引っ掛け、くわえていた鍵を手に握って呟く。

 空母ヲ級をなんとかしなきゃ、際限なく……って訳じゃないだろうけど、艦載機が飛んでくる。一刻も早く二体を倒すべきだ。

 シュポン、と気の抜ける音がして、空に打ち上がる物があった。照明弾の追加だ。

 少しもせず、横に神通さんが下り立ってきた。

 ちょうどいい、ここは彼女に任せよう。

 

「神通先輩、みんなをお願い!」

「構いませんが……何か考えがあるのですか?」

「まあ、そんなところです」

 

 短く言葉を交わし、遠くの空を見る。艦載機は、さすがの速さか、、もうすぐそこまで迫っていて、気の早い奴なんかは、もう海面に向けて機銃を撃ち出していた。

 散らばる下の三人に、船の上から艦載機に狙いをつける神通先輩。

 正直、普通じゃそれでも手が足りないだろう。相手はたくさんいるから、撃てばどれかに当たるだろうけど、それだけ。

 専用の装備じゃないから、どうしたって艦載機の相手は辛いはずだ。

 だからとっとと片付ける。

 

 神通先輩に背を向け、建物の方へ走る。

 目的の物はすぐ見つかった。

 特徴的な青色の機体。水上バイク。

 鍵を差し込んで捻れば、エンジンが動き出した。うん、ちゃんと動く。

 

「ちょっと借りるよ」

 

 誰にともなく呟いて、壁に取りつけられていた水上バイクのハンドルを握り、引っ張る。メキメキと音がして取り外しが完了した。…………非常事態ゆえ致し方なし。あとで弁償させられたりは……うん。

 剥がれた壁板から目を逸らし、ハンドルを握った状態で担ぎ上げる。これくらい、今の俺ならなんて事はなかった。バイクなだけあって重さは感じるが、持ち運びに苦労はしない。

 

『キュー』

「あ、砲ちゃん」

 

 バイクの位置を調整していれば、小さな砲ちゃんがちょこちょこと走ってきた。

 抗議のつもりか、ぴこぴこ手を動かすのに苦笑して、ごめんね、と謝罪する。

 今はちょっと、抱えて上げられそうにない。

 首を傾げた砲ちゃんは、俺の足元までくると、ぴょんとジャンプしてお腹辺りにしがみつくと、そのままよじ登ってきた。……ちょっと今の動きは、かわいくなかったかな。

 肩に乗った砲ちゃんを見れば、キュー、と鳴かれた。さっさと行け? いや、んな事は言ってないと思うけども。

 

 ぶるぶる震えているバイクを持って手すりの方へ走っていけば、そこで断続的に砲撃を繰り返していた神通先輩がちらりと俺を見て、すぐ前を向いた。

 

「……それは?」

「バイクです」

 

 と思ったら、目を丸くして顔だけで振り返ってきた。綺麗な二度見。

 彼女の問いに答えれば、見ればわかります、とぴしゃりと言われてしまった。

 

「それで何をするつもりですか」

 

 手すりの外へ跳び出そうとして、神通先輩の問いに動きを止める。ドォン、と至近距離で砲撃音。耳を塞ぎたくとも、両手が塞がっている。耳鳴りに眉を寄せて、

 

「空母を叩きます」

「正気ですか」

「大丈夫です。バイクの使用許可はすでに頂いてます」

「……そういう事ではありません」

 

 ドォン。砲撃の音。また一つ、敵艦載機が煙を噴き上げて落ちていった。

 前から目を逸らさないまま溜め息を吐いた神通先輩は、あなたは本当に無茶ばかりしますね、と残念そうに囁いた。

 ……なんでそんな声音なのかわからないけど、まあ、俺は普通じゃないみたいだし、ちょっとくらい無茶しないとちゃんと戦えないんだ。許して欲しい。

 口には出さず、心の中だけで言うと、聞こえている訳でもないだろうに、神通先輩が頷いた。

 

「わかりました。行ってください」

「ありがとうございます」

 

 神通先輩の許可が出たので、バイクを担ぎ直して、一度下を見て人がいないのを確認し、手すりに足をかけた。大股。再度砲撃した神通先輩が、気をつけて、と注意するのに頷いて返し、飛び降りた。

 着水までの短い時間で、体の下に下ろしたバイクを蹴りつけるようにして立ち、思い切り右のハンドルを捻った。

 エンジンが唸り、吸水口が稼働し始める。海面に下りれば、大きな波が広がった。一拍の間。その間に、船付近で働いていた連ちゃんと装ちゃんが飛びついてきて、直後にぐんと体が引っ張られた。慌ててハンドルを握り込む。よじ登った二匹は、砲ちゃんと同じで、両肩で落ち着いた。ちょっと重い。

 

 いきなりフルスロットルだけど、なんの問題もない。吹雪達の声がした気がしたけど、すぐに後ろの方へ流れていった。ほんとに速いな、これ。

 暴れ馬のように跳ねるバイクを御そうとしつつ、暗闇の向こうを睨みつける。

 こっからは私のショータイムだ!

 ……なんてね。


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