島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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遅れてしまって申し訳ないです。
その上短いです。
次回で一区切りつくところまで書きたいと思います。


第三十一話 未知との遭遇

 

『敵艦見ゆ。十時の方向。各員戦闘態勢』

 

 船周囲の護衛について十数分経った頃に、妖精さんからの通信が入った。頭の中に直接飛び込んでくる意思に、多いな、と呟く。

 深海棲艦の襲撃は、行き帰り合わせてこれで五度目だ。

 攻略済みと、比較的安全な海域と言われているだけあって、現れる敵艦の戦力は小さいけれど、こんなに頻繁に出てくるものなんだろうか?

 この広い海、敵と出遭う可能性って、そう多くないと思うんだけど……でも、この船が何度もこの航路を行ったり来たりしてるのを相手側も理解してるのだとしたら、狙って現れているのかもしれない、とも考えられる。

 ……この思考に意味はない。敵さんが船の行方をわかっていようがいまいが、来る時は来るし、来たら戦う。それだけの話。

 そして今、俺は船を守るためにこの船の側面という位置から動けないので、戦闘に参加できない。

 艦種、軽巡級二、駆逐級一と告げられた敵戦力と、船から飛び降りて来た由良水雷戦隊が交戦するのを遠目に眺めるしかない。時折飛んでくる砲弾も、船には掠りもしそうにないので、応援するくらいしかやる事がないのだ。つまりは、暇。あの赤い軽巡、こっちに来ないかなあ。来たら叩きのめしてやるのに。……あ、由良の放った砲弾が赤い軽巡に直撃した。今の凄いな。波間に隠れて回避行動をとっていた相手の動く先を予想して、狙い撃ち。さすがベテランなだけはある。

 ベテラン? ……って、そういえばひょっとして由良……さんって、大先輩?

 ええと、深海棲艦が現れたのは2010年で、艦娘が現れたのは2013年頃……鎮守府の設立はそれよりも後だろうから、十年近く鎮守府に籍を置いているという由良さんは……考えるまでもない。かなりの古株だ。

 そんな相手を由良由良と心の内で呼び捨てにしていたのを知られたらどうなる事やら。本人には怒られなさそうだけど、周りに怒られそう。先輩は敬わねば。上に倣え。

 いや、今からさん付けするようにしたのに他意はない。……純粋に、彼女の優しさには惹かれていたし、今の戦闘も目に焼き付く鮮やかさがあったから、呼び方を変えたってだけで、そこに下心はない。今まで敬称をつけていなかったのは、提督時代の名残と、これまでそう呼んできたせいで変える機会がなかったというだけだ。だから、他意はないんだってば。

 

『軽巡撃沈、駆逐二隻撃沈……確認完了。攻撃チームは直ちに帰投せよ』

 

 なんて自分に言い訳している内に、敵は全滅したようだ。今回も損害なし。俺達はもとより、由良水雷戦隊の面々の練度はかなり高い。この海域の深海棲艦に遅れをとるはずがない。思い返せば、朝潮って砲撃外した事なかったし。……最初の、大破状態の時を除いて、だけど。

 この中で一番被弾の危険があるのは、俺だろうな。もちろん、体調不良のせいだ。

 こうして海の上を走っている際にも、時折くらっとくるし、視界が白ばむ時がある。

 原因も、発症のタイミングもわからないから、戦闘中に何かが起こってもおかしくない。特に俺は戦い方を理由に相手に近付く事が多いから、そんな場所で立ち止まってしまえば被弾の確率はぐっと上がる。

 今日まだ一度も攻撃を受けてないのは、ひとえに仲間が優秀なのと、俺のスピードはまだまだ奴らを上回っているからってだけだ。

 たとえちょっとくらっときても、立ち直り、瞬時に状況を把握し直し、避けるために移動の方向を修正する程度訳ないし、俺が何かする前に連装砲ちゃん達が察知して支援砲撃を開始してくれる。この子達も心強い味方だ。

 頼もしいね、と砲ちゃんの頭を撫でてやると、腕の中の砲ちゃんは俺を見上げようとしながら手をぴこぴこさせて喜んだ。かわいい。

 さ、敵がいなくなったからって気を緩めないで、しっかりしよう。何か失敗しても、体調不良だから、なんて言い訳もしたくないし、キバっていこう。

 ザアー、と、風が海を撫でていく音。船の前の方から、由良さん達が戻ってくるのが遠目に見えた。小さかった人影が大きくなり、はっきり顔が見えるくらいになると誰も手傷を負っていないのが確認できて、内心ほっとした。さっきは彼女達は手練れだから大丈夫だ、みたいな事を言ったけど、攻撃を受けたら、を思うと、多少なりとも心配してしまう。たとえあらかじめ『損害なし』を伝えられていたとしても。

 ……過剰だろうか、こういうの。

 いや、こういった気持ちに過剰も何もないか。

 

「お疲れ様です」

「うん、ありがとう」

 

 船上に飛び乗るために、船の側面――今回は俺のいる方へ彼女達がやってきたので、先頭の由良さんに声をかければ、優しい笑みが返ってきた。……なんだか照れてしまう。後続の五月雨、深雪、朝潮と、軽々とした動作で、船上へと跳び上がっていく、その一つ一つに声をかけ、言葉を返された。深めのお辞儀と一緒に「ありがとうございます」、得意気な笑みと一緒に「次こそやってやるぜ」、俺を気遣う眼差しと一緒に、「何かありましたら、我慢せず仰ってください」。

 曖昧な笑みを、それぞれへの返事として、最後に跳んだ朝潮の姿を目で追った。手すりの向こうへ行ってしまえば、ここからではもう、甲板上は見る事ができない。一抹の寂しさを表すように、すでに姿の無い彼女の靴から離れていた水滴が、後ろの方に落ちていった。

 

 腕で口元を拭う。なんとも煮え切らない気持ちがあった。背中が寒くなったり、暑くなったりするような、嫌な感じのやつ。

 それはどーにもこーにもならないもので、だから、せっかく彼女と言葉を交わしたっていうのに、ちっとも気分が優れない事にいらいらして……こんな時は、思いっきり、胸が苦しくなるまで走って、うんと疲れた後に深呼吸すれば、二酸化炭素と一緒にやな気持ちも吐き出せると思うんだけど。

 今は任務中だ。持ち場から離れる訳にはいかないし、スピードは、船に合わせなきゃならない。難儀なものだ。

 速度を落としていた船が元のスピードに戻るのに合わせて、ギアを上げる。

 風が流れた。

 生体フィールド越しに感じる、爪先が波を切り裂いていく感触。跳ね散る海水が足や指先にぶつかって弾ける衝撃。冷たい風が太ももを通り過ぎていく爽快感。吹き上がる白煙さえ、ほんとは気持ちの良いもので、なのに今は、そう思えなかった。

 ……こればっかりは体調不良のせいにしても良いよね。

 額を手で押さえ、二度頭を振ってから、ふう、と息を吐く。気持ち悪さや吐き気に似た微かな何かには、なんの助けにもならない動作だけど、気持ちは少しだけ晴れた。

 頭の中に朝潮の顔を思い浮かべる。俺を心配している顔。それでも直立して、びしっとした小さな体。

 目は前に向けたままだったから、そんな彼女の姿が目の前の海に現れて、立ったまま俺の前をぴったりくっついてきた。

 嬉しい。

 彼女が、俺を気遣ってくれるのが。

 彼女の心が、俺に傾けられているのが。

 なぜ、なんて疑問は浮かばなかった。ただ、心がそう感じて、頭もそれで埋まって……でも、それを邪魔するものもあった。

 憤り。

 自分に対するもの。

 だって、彼女を心配させている。不要な気を遣わせてしまっている。

 俺が元気なら、彼女は俺の事なんか気にせず任務に集中できるのに、俺がこんな風になっているせいで、困ったような、悲しい顔をさせてしまった。

 ……彼女には、笑っていてほしい。

 だって、だっていつも……いつだって笑ってた。

 あの日も、そうだ。

 あの日……俺を呼んだ――。

 

『――ザ――ザザ――』

「っ」

 

 う、なんだ、今の。

 ざらついた手で脳を直接撫でられたような不快感。それと、耳鳴りみたいな雑音。

 ……妖精さんの意思? 今のみたいなのは……感覚は、妖精さんからの通信でしか感じた事の無いものだった。

 でも、今まで通信に失敗した事なんてなかった。理解できない意思は、こんな気持ち悪いものじゃなくふわふわとした曖昧なものとして届いたし……。

 じゃあ、今のはなんだったんだろう。

 首を傾げるのと、その原因だろうものがビリリとした空気と共に広がっていくのは、ほとんど同時だった。

 

『霧……』

 

 空まで覆い隠す巨大な白壁。質量と圧力を持っているかのような分厚い白煙が、どんどんこちらへ迫ってきていた。

 

「あっ……」

 

 と言う間に、俺の体も、船も、霧の中だった。

 ごおお、と静かなうねりが耳元で鳴り続ける。いちだんと涼しくなった空気が、手袋や袖に覆われていない素肌に触れると、ぶるりと体が震えた。

 ちょっと、寒いな。

 ……なんて考えている場合ではない。異常事態だ。

 こういう場合は、通信を試みれば良いのか? あ、でも俺、自分から通信繋げようとした事ないや。やり方がわからない。ええと、耳に手を当てて……どうするのだろう。

 霧に飲まれ、誰の声も聞こえないのに、こんな風に冷静にものを考えられたのは、すぐ横に船の横腹が見えていたからだった。

 船が押し退けている海水が海面に落ちる音は絶えず聞こえてきているし、駆動音も遠くにある。恐怖に飲まれたりだとか、パニックになったりする気配は自分には無かった。

 

 不意に、霧が晴れた。

 局地的に。

 船の周りだけ……船の向かう先が、少しだけ。

 その現象には覚えがあった。記憶は薄く、本当にあった事なのか、よく覚えていないけど――。

 薄暗くなった視界の先に、赤い光がぼうっと浮かび上がった。

 あれは……。 

 

『――ザ――敵艦見ゆ。十二時の――ザザ――。各員戦闘態勢』

 

 五つの人影があった。

 船の進行上にあるそれは横並びになっていて……こちらに、背を向けていた。

 

『……?』

 

 でもそれは、船が速度を緩めるまでだった。

 音か、気配か、他の何かか。要因はともかく、向こうは俺達の存在に気付いて、ゆっくりと振り向いた。

 黄金の光が揺らめいていた。

 ずらりと並ぶ女性型の化け物、その中心に立つ異形が放つ、初めて見る光。

 駆逐級や軽巡級に比べて、格段に人に近付いた容姿。

 戦艦タ級……フラグシップ。

 白く長い髪。黄金色の光を流す濁った瞳。真一文字に引き結ばれた唇。女性的なフォルムの体を包むセーラー服に、場違いにも見えるブルマ。ボロボロの布が、マントのように彼女の背にあって、それから……左肩に、異形が食らいついていた。魚のような、されど機械のような冷たさを持った物体。ヒレのように伸びる物が、それをただの尖った肩当のように見せていた。

 

『敵六隻。艦種……戦艦一、空母二、重巡二、駆逐一』

 

 六体?

 戦艦タ級だけでも異常だというのに、遠くに並び、こちらを静観している深海棲艦のメンバーは、錚々(そうそう)たる顔ぶれだった。

 大きな艤装を布の中に隠すように立つタ級の左右に、伸ばした両手を重ねて杖に置いて佇むヲ級が二体。頭に大きな異形をかぶった女性型の空母だ。白い髪はそう長くなく、頭の……左右に四門の砲を備えた円形の異形から垂れる布が、マントのようにヲ級の背を覆っていた。青白い光を目にたたえて、杖をついて立つ姿は圧迫感がある。頭のそれから生える白いのは、牙か髭か。その二体の左と右、それぞれに、赤い光を纏った重巡リ級がいた。一番左にイ級flagshipみたいなのもいる。が、こいつはどうでもいい。

 ……この海域に軽巡や軽空母以上の敵が出てくるなんて聞いてない。というか、そもそも出現の仕方がおかしかった。

 こいつらは霧から出てきた。しかも、最初はこちらに気付いていないようだった。それが何を示すかは正直わからないけど、不気味なのは確かだった。

 ……どうするべきか。

 俺が判断に迷った、その時。タ級が両腕を広げ、空を見上げた。

 すぅっと息を吸い込む動作。

 

『――――――ッッ!!』

 

 分厚い鉄を引き裂くような、悲鳴染みた咆哮が響き渡った。

 長く長く、耳を覆いたくなるくらいに長く声が続く。

 風が吹き、霧が流れ、薄暗さがどんどん増していって……僅かに見える空は、青さをどんどん失っていき、やがては星々が輝く黒となった。

 

『――――。行ケ』

 

 風に乗って、誰かの声が聞こえてきた。底冷えのする、生気を感じさせない声。それはタ級が言った言葉なのだと、すぐにわかった。奴がこちらを指差したからだ。俺を、ではなく、船を。

 すると、二体のリ級が前傾姿勢をとり、ドン、と重い音を残して走り出した。

 船の周囲を固めている場合ではない。というか、わけがわからない。あいつが叫んだ。そしたら、夜になった。理解できない。いっそう暗くなっていく周囲に、不安と焦りが募る。

 奴らが走ってくる。水音が聞こえる。なのにもう、音でしか判断できないくらいに辺りは闇に包まれていて、混乱した。

 どうすればいい? どうすればいいんだ? 先輩に判断を仰ぐのが正しい? 言われていた通りに船を守っているのが正しい? リ級達を迎撃するのが正しい?

 何をすれば良いのかわからない。頭はこんがらがって、使い物にならなかった。

 ――いや。

 混乱するな、冷静になれ!

 ぱしんと頬を叩く。気合いを入れる。

 やる事は一つだ。船を傷つけさせない。

 なら、俺がするべきは奴らの動向を気にしつつ船を守る事だ。

 奴らの姿が見えないというなら……見えるようにすればいい!

 

 背負った魚雷の艤装にかけられ、揺れる12.7cm連装砲を手にする。

 右手でグリップを握り、トリガーに指の腹を当て、前へ構える。狙いは……先程リ級達が見えた場所。

 船に程近いこの位置からで、なおかつ奴らとの距離が離れていたこのタイミングなら、さっき見えていた位置に撃っても当たる確率は高い。俺の場合、狙っている訳ではないからなおさらだ。

 迷っている暇はなかった。

 撃つ事によって生まれるメリット、デメリット……そんなのは頭になく、ただ、自分の考えを実践するためにトリガーを押し込んだ。

 激しい振動が手首を襲った。肘を曲げ、身を反らせて衝撃を逃がし、再び腕を伸ばして、砲撃。重低音とともに噴き出した火花が一瞬目の前を照らし、すぐに闇に塗り潰される。腕の痺れを気にせず、三度目の砲撃。――! 手応え有り!

 

「照明弾いきます! 不意を討たれないよう気をつけて!」

 

 由良さんが張り上げた声が、霧の中にうわんうわんと響き渡った。音の波が感覚的にわかるような不思議な環境下において、彼女の声は俺の心を落ち着かせた。不安と恐怖を()()ぜにした興奮が、少しだけ引く。

 冷静に。冷静に、もう一回。

 見えない敵に向けて砲撃する。衝撃に備えた体に応えた腕が僅かに上へ逸れ、砲弾は曲線を描いて見当外れの空へと飛んでいった。

 その事に落胆する前に、風を切る音を捉えて、はっとして空を見上げる。

 光が昇っていた。光の塊。シュパッと言う音とともに船から打ち上げられたそれが、ずーっと上の方で膨れ上がる。燃焼音を発し、僅かずつ落ちながら、小さな太陽として光を撒き散らす、あれが照明弾という事なんだろう。

 艦娘の装備ではない……誰も照明弾なんて持って来てなかった。ならばあれはきっと、元々この船に備えられている物なのだろう。

 

「っ!」

 

 顔を下げれば、間近に迫ったリ級が見えた。

 船に向けて砲撃するでもなく、俺に向けて攻撃するでもなく、馬鹿正直に、でかい艤装で覆われた両手を振って走ってくる。全力疾走だ。青い瞳は、確実に俺を見ていた。

 狙いは俺?

 ……かどうかはわからないけど、向かってくるなら戦うしかない。

 構えて、撃つ。先頭を走るリ級の横に着弾して、水柱を上げた。外した。でも、二体に影響が無い訳じゃない。激しく波打つ海水が迫ると、先頭のリ級は瞬時に屈伸して、水を撒き散らして跳ね上がった。

 重そうな艤装なんてないかのような、しかし重量感を伴った跳躍。着水に備えて膝を畳みながら下を向いたリ級の目と、その姿を追って顔を上げた俺の目が合った。

 何かの意思が読み取れるという事もなく、すぐ目の前にリ級が落ちてきた。巨大な波紋を広げるおまけつき。あいにくと俺は一跨ぎで避けてやったけど。

 目の前の赤いリ級に砲を向けようとして、背を伸ばすそいつを見て、やめた。どうせ当たらない。せっかく向こうが勝手に近付いてきたのだから、(比較的)得意の格闘戦で相手をしてやろう。

 このリ級の背後には、駆け寄ってきているもう一体がいるという事を頭に置きつつ、焦燥を押し隠して背の艤装に連装砲をかけた。

 キュー、と腕の中の砲ちゃんが鳴く。……あっ。

 えーと……存在を忘れてた。

 どうせ同じ当たらないなら、彼女も使ってやれば良かったな。

 ちらりと目をやった砲ちゃんは、しゅんとしたように頭を垂れていた。……後でめいっぱい甘やかさなきゃ。

 そのためには、今をなんとかしないと!

 

『オ――――』

 

 吐く息とともに声を発したリ級が、俺を見る。交わった視線は、しかしすぐに外される事になる。

 身を屈め、屈伸したリ級によって。

 

「っ、させないよ!」

 

 何をしようとしているのかはすぐにわかった。

 こいつ、跳ぼうとしてる!

 判断のままに体を動かす。最低限バネ代わりの足に力を溜め、全力の跳躍。やや後ろ向きに跳び上がると、同時に跳んだリ級がぐんぐんと俺より上へ(のぼ)って行った。

 させるかって言っただろ!

 伸ばした手が、冷たい肌に触れる。リ級の足。細いと思っていた足は全然そんな事なくて、きっとそれは、俺の手が小さいからだろうな、なんて思考が流れていった。余裕からじゃない。でも、他の理由でもない。

 思考が途切れた時には、俺はリ級の足首辺りをがっちり掴んでいた。

 

「おりゃーっ!」

『クッ!』

 

 肘を曲げ、文字通り足を引っ張る。奴の跳び上がる力と、俺が引く力。どちらが強いかは、はっきりしていた。

 このシマカゼに決まってる!

 

『オオ――!』

 

 息を吐き出すような声がすぐ傍でする。俺を見下ろしたリ級は、ぐんと体を引っ張られるのに呻いて、直後に海面に叩きつけられた。

 俺が投げ飛ばしたのだ。さすがはシマカゼ。能力値(ステータス)が下がってるっていっても、このぐらいはまだできるみたい。

 元々怖い顔を歪ませて起き上がろうとするリ級の前へ着水する。小さな波が奴の体を揺らすと、その後ろの方からもう一体のリ級が走ってくるのが見えた。

 距離が近い。ちょうどさっき、先頭のリ級が跳び上がろうとした場所――っ!

 

『――!』

「ああもう!」

 

 屈伸し、跳ね上がったリ級を追って俺も跳び上がる。さっきの焼き直し。

 こいつら、俺が目的じゃなくて、船の上に行くのが目的か!

 でも、なんのために?

 疑問に思考を廻らせられたのは、そこまでだった。

 俺の手がリ級の足を捕まえ、力任せに引こうとして、視界がぶれた。

 引き落とそうとしたリ級に、逆に引っ張り上げられたのだ。

 ぐんと持ち上がった体は、船の上へ。胃がふわっとする浮遊感に体が包まれたのも一瞬、リ級が乱暴に足を振ると、俺はあっさりと弾かれて、甲板の上を転がる羽目になった。

 肩をぶつけ、肘を擦って、体が無理な方に曲がろうとして。回転する視界の中で、なんとか正常を取り戻そうとして背中から硬いものにぶつかるのに息を詰まらせた。

 

「いっ、たぁー……」

 

 手すりだ。鉄製の手すり。その下の壁。

 どうやら反対側の縁まで吹き飛ばされたらしい。

 軋む艤装と、投げ出された砲ちゃん、船の下に取り残してきてしまった連ちゃんと装ちゃんの事が次々と頭に浮かんで、今が戦闘中だという事に体が強張り、さっと立ち上がる。

 瞬間、砲弾のように飛んできたものが真横を通り過ぎた。

 視界の端に星のように流れる長い青。

 

「きゃああ!」

 

 船から落ちていったのは、五月雨だった。悲鳴が聞こえた直後に派手な着水の音が聞こえる。

 それを()した敵がいるはず、と前を向こうとして、今度は黒い砲弾が横を通り抜けていった。

 尾を引く赤い光の残滓。リ級が船の外に飛び出していったのだ。おそらく、自身が吹き飛ばした五月雨を追って。

 勢い良く振り返って、手すりに体を押し付けて下を覗く。霧は遠巻きに船を囲んでいる。夜闇も、照明弾によって払われている。今ならはっきりと、船の下が見えた。

 立ち上がろうとした五月雨が、降ってきたリ級が着水した際に起こした波に転がされていた。そんな彼女へ大きな異形がついた腕を向けるリ級。

 

「まずっ……!」

 

 助けなきゃ。

 そう考えて、手すりを飛び越えようとして……でも、できなかった。

 ずぅん、と大きな音。船が僅かに揺れ、体勢を崩しそうになって、一歩下がる。

 振り向けば、もう一体のリ級が船上に上がっていて、赤い光を揺蕩わせていた。


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