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話タイトルのお悩み相談ですが、諸事情により大幅に削られています。
雷暁響とのお買い物イベントや、電との会話イベント、電のレベルのお話などをずっぱりさっぱり切ってしまったので、かなり歪な感じに。
しかし上手い事処理できなかったので、この形でお送りします。
実力が足りなかったのです。この場を借りてお詫び申し上げます。
残り十話ほどの本作ですが、もう少しの間お付き合いいただければ幸いです。
「好きなモノは好きなんだって 何十回でも言っちゃお~」
「……その気の抜ける歌はなんなの?」
ベッドの縁に腰かけて、連装砲ちゃん達と戯れながら先日吹雪が歌って聞かせてくれた曲を口ずさむと、テーブルの前に座ってお茶を飲んでいた叢雲が顔をしかめて問いかけてきた。
「ひみつ~」
『キュ~』
しー、のポーズを取れば、連装砲ちゃん達も真似して鳴いた。手が短いから口まで届いてないけど、仕草がかわいいので許す。ねー、と顔を見合わせてみせれば、叢雲は露骨に嫌そうな顔をした。
今日は、夕立は上機嫌な様子で出かけていて、吹雪は例によってダンスに夢中みたい。なので、今この部屋にいるのは俺と叢雲だけ。
叢雲が港や娯楽室に行ってないのは珍しい。そろそろお休みも終わるから、なんだって。たぶんこの後はトレーニングルームとかに行ったりするんだろう。
体の準備を整える叢雲だけど、明日に予定されている出撃にはついてこないみたい。第十七艦隊には、代わりに那珂ちゃん先輩が入る事になっている。
そういえば、今までは第十七艦隊での出撃しかした事がなかったけど、今回は第四艦隊と一緒の出撃だ。朝潮のいる艦隊。由良水雷戦隊。なぜ彼女達と共に海に出る事になったのかと言えば、まあ、なんというか……俺のせい?
朝潮を探し求めて徘徊する俺を見かねた提督が、一緒にいられる機会を作ってくれたのだ。
会っちゃいけないと言われている訳でもないし、会えない訳でもないのに、話す機会を逸し続けるのは、ひとえに俺の弱さゆえである。
なんか、顔を合わせづらい。自分でも理由はわからないけど。
朝昼晩と食堂に赴いた際も、姉妹艦や同じ艦隊の子と食事をしている彼女の下へ行く気にはなれず、それ以外では自分から会いに行くしかないから、今日まで一言も話してない。まともに言葉を交わしたのは、前に彼女に俺が戦う理由を話した時が最後だ。
もっと強くなったら、とか、ちゃんと砲雷撃ができるようになったら、とか、胸を張って朝潮の前に立てるよう考えてしまうのは、彼女に自分の良いところを見せたいからなんだと思う。
で、なかなか強くなんないし、どころか最近あまり調子が良くないので、会いに行こうと思えず……提督に気を遣わせてしまった。
彼への礼は戦果で返そう。深海棲艦をたくさんやっつける。それが俺の仕事でもあるしね。
……とはいっても、さっきも言った通り、ここのところ不調続きだから、良い働きができるか不安なんだよな。
体調が悪い訳じゃない。たしかに少し頭が重かったり、怠かったりするけど、動くのに支障はない。それより気になるのは、
調子が悪いのと関係があるのかはわからないけど、計測の結果がどうにも芳しくない。トレーニングや演習、出撃がそのままパワーアップに繋がるはずなのに、数値は上がるどころか徐々に下がり始めている。夕張さんも明石も原因はわからない、と言っていた。現状そこまでのパワーダウンにはなっていないので問題ないけど、このまま際限なく落ちていくのは勘弁願いたい。
どうすれば下降を止められるのか。……専門家がわからないと言ったのだから、俺が考えても仕方のない事だ。成り行きに身を任せよう。滲む恐怖は胸の内で握り潰してしまって、今は前だけを見て、未来の事だけを考えていく。
うん、それがいい。
……さて。
「あら、どこかへ行くの?」
「ちょっと散歩に」
部屋の中にいたらなおさら体が鈍ってしまう。トレーニングルームに行くか、敷地内をぶらぶらしよう。
さんざん戦っても
……風を感じたいな。敷地内を走って回るか。
用意するものは特にない。出入り口に腰を下ろしてブーツを履いて、膝の上に飛び乗ってきた砲ちゃんを抱けば、準備完了。出発進行!
行ってきます、の挨拶に、叢雲は湯呑みに口をつけて、答えなかった。でも、目をつぶる事が挨拶を返してくれたみたいに思えて、少し嬉しくなった。
木造の廊下を歩いて抜け、外へ出る。今日も相変わらず暑い。近々近辺で花火大会が行われるらしいけど、俺達艦娘にはあまり関係のない話だ。……外出許可を取りつければ……いや、ここからでも見れるかな?
ちなみに情報の出所は青葉の広報紙だ。掲示板に貼ってある新聞みたいな紙は、立ち止まって読んでしまうくらいには有益だ。でもこれって勝手にやってる事なんだよね。お仕事だったらお給金が出そうなクオリティだけど。俺の事だって、広報誌が各寮に貼られたからこそ、ほとんどみんなに知られる存在となった訳で。初対面の相手が自分の名前や顔を知っているのは結構大きい。広報誌の話題から自然に話せるようになっていくし、青葉さまさまだ。感謝の妖精さんフィギュア十七種コンプリートセット送りつけたらわりと普通に喜んでくれた。気に入ってくれたようで何よりだ。
花火は……んー、どこかにいいスポットはないだろうか。そもそもどの方面でやるのかまでは覚えてないな。後で広報誌を確認しよう。今は走るの優先。
たったか走っていると、流れてくる風にふわりと包まれて、それが気持ち良くて、いつも気付かない内に笑顔になってしまう。悪い事ではないけど、知らない内に、というのが厄介だ。誰かに見られたら恥ずかしいし。
夕張さんの工廠の前を突っ切り、道すがら作業している妖精さんに挨拶をして、港の方に出て裏手をぐるーっと回るルートを行く。縁のすぐ傍の海面を泳いでくる潜水艦娘達を発見。でっち先輩に伊19、それから、伊168だ。急いでいるという様子ではなく、海面に顔を出して平泳ぎしていた。……帰投したところかな。だとしたら、地下通路を通ってきていないのはなぜだろう。こっちの方が楽なのかな。
速度を緩めて眺めていれば、俺に気付いたでっち先輩が手を振ってきた。小さく振り返せば、他の二人もこちらに顔を向けて手をふりふりする。でっち先輩に負けずフレンドリーそうな人達だ。話した事はないけど、もし話す機会があれば、すぐに打ち解けられそう。
彼女達と話す事なく先を急ぐ。忙しなくする理由なんてないけど、今はなんとなくそうしたい気分だった。明石の工廠の方へ入って、そこでも働く妖精さん達と挨拶を交わしつつ、今度は本棟の前側へ。石畳みたいな地面や整えられた地面に、切り揃えられた芝生などが多くなって、見栄えの良い道。ここを走るのもなかなか楽しい。景観というのも大事なんだなー、とか思ったりしていると、その中に丸っこい大きな何かがあるのを見つけた。端の方。芝生の生えた、その中央辺りに植えられている木の根元。白いセーラー服を纏った、薄紫色の髪を短く切った艦娘。
……さっきからぴくりともしていないような気がするんだけど、あれ、大丈夫なんだろうか。日射病とか? 具合悪くて休んでるのかな。
考えている内に不安になって、足を止めてしまった。本棟の正面の広場。ここは静かだ。遠くから聞こえてくる重く響く船の声や、人々の息づく気配以外には、風が木々や葉を揺らす音くらいしかない。
歩み寄ってみれば、その少女の寝息が聞こえてきた。安らかなもので、何か悪い事があってそこに寝転がっている訳ではないらしい。肩も緩やかに上下しているし、たんに涼んでいたら寝てしまっただけ、とかなのだろう。心配する必要はなかったな。
「
ぱたぱたと騒がしい足音が近付いてきた。振り返れば、軽巡洋艦の
木の根元で寝ている少女へ走って行った球磨は、そのまましゃがみこむと、多摩と呼んだ少女の肩を揺らして起こしにかかった。
「こんなところで寝てると風邪ひくクマ。起きるクマ!」
「にゃぁ……寝てないにゃ……」
「寝てるクマ! 鼻提灯出てるクマー!」
「これは水風船にゃ……多摩はお祭りを楽しみにしているだけ……にゃ」
「多摩ちゃん! ……眠ってしまったクマ」
ころんと転がされた多摩は、話している間ずっと目をつぶっていた。それがまるで寝言で会話しているように見えてしまって、浮かんでくる笑みを抑えるのが大変だった。だってなんか、奮闘してる球磨を前に笑ってしまうのは失礼かなって。
そういう気遣いは必要なかったみたい。球磨は俺など気にせず、大胆にも多摩を担ぐと、そのまま本棟の裏へ走って行った。
彼女達が完全に見えなくなるまで見送ってから、反対方面へと顔を向ける。
俺も、走るのを再開するか。
「大丈夫? 休憩は必要ない?」
『キュー』
特に意味のない問いかけを連装砲ちゃん達にしてから、再び駆け出す。先程の光景を思い出すと、足裏から伝わる衝撃もいっそう心地良く思えた。
あまり進まない内に、また一人の少女が蹲っているのを見かけた。本棟の横面。校舎裏みたいなとこ。
煉瓦に似た壁の傍にいるのは、球磨や多摩の同型……その末っ子の木曾だろう。後姿からもなんとなく察せた。白い帽子に短めの黒髪。姉妹と同じ白いセーラー服を覆い隠すように、黒く重厚なマントが背中を覆っていた。つまりは、改二。マントは左肩には少しかかる程度で、右肩の方はすっぽり埋まっている。ううむ、ただそこに座っているだけなのに、妙な貫禄がある。マント格好良い。サーベルを帯剣しているのもポイントが高い。
知識では口調が硬く、天龍と同じように怖い印象のある艦娘だからお近づきになりたいとはあんまり思えないけど、遠巻きに眺める分には良いだろう。
と言う訳で、距離を取って芝生の上に逃げ込み、高い塀の傍、植樹されたのだろう大きな木の裏に隠れ、幹に手を当ててそっと覗いてみた。俺の足下に集った連装砲ちゃんも、だんご三姉妹となって木曾の動向を窺う。
……彼女は一体何をしているのだろう。ミカン箱……大きめのダンボール箱の前に片膝をついて、眺め回しているみたい。宙に浮いた片手が所在無さげに揺れている。捨て猫でも見つけたのかな。ベタすぎる。この鎮守府に猫を捨てる人なんていないから、違うだろうけど。
……まさか、ダンボール箱相手に話しかけてる?
格好良い彼女がそんな事をしていると想像してみると、なかなかにシュールだ。真偽を確かめるために、耳を澄ませて艦娘イヤーをフル稼働させる。想像通り彼女は何やらダンボールに話しかけているようだった。
…………。
隠密性に長けたこだわりの逸品……落ち着く……何時間でも入っていられる……。
風に乗ってきた声からは、妖精さんの意思のように断片的な言葉しか読み取れなかったけど、なんかおかしな事言ってるってのはわかった。
なんでそんなにダンボールに構うのだろう。意外な趣味? 青葉が黙っていなさそうな。
しかしなんというか、異様な事をしているのに、彼女に対して幻滅するだとか、そういったものは何もなかった。
格好良いイメージが崩れないのは、姿による影響も強いけど、一番はあれかな。元々そんな感じのイメージも抱いていたから、かな。末っ子ってそんなもの。
「木曾っちー、何やってんの?」
うんうん、と一人で納得していると、上の方から声がした。二階の窓を開けた北上が覗き込むようにして木曾を見下ろしている。……今日は球磨型デーなのかな。やけに同型の子を見かける。これで大井も見る事ができたらコンプリートだ。
「姉さん……なんで」
「んー? あー、大井っちが探してたよー。なんか怒ってたみたいだけど、なんかしたの?」
上を見上げて固まる木曾は、どうやら呆然としているようだった。ここからでは表情までは窺えないが、声音からそう察する事ができた。それに、北上の問いに答えないままでいるし、間違ってないと思う。なぜ彼女が呆然とするのか、その理由がわからなくて、覗き見しているこっちとしてはもやもやしてしまう。ただ、少しばかり面白そうな気配がしたので、息を潜めて様子を窺う事にした。
反応が得られない事に首を傾げた北上は、垂れた三つ編みおさげを手の甲で押し退けつつ体を戻すと、んじゃね、早く行きなよー、とのんびりした声で言って、それきり顔を出さなかった。……窓開けっ放し……。
「……いない」
窓の方を気にしていると、木曾が呟くのが聞こえた。見れば、ダンボールを持ち上げて、壁を見ている。……何をしてるのかさっぱりわからないけど、哀愁漂う背中を見ているとなんとなく切なくなってきたので、意味もなく応援した。いや、ほんとに意味なんてないけど。
頑張れ木曾っち。負けるな木曾っち。マント着てみたいよ木曾っち。
眼帯とかマントとか着けて格好つけたいお年頃なんて、もうとっくの昔に過ぎているんだけど、俺の心はまだまだ若く、そういったものを求めがち。特に今は、何をしようが咎められない姿をしているから、なおさらだ。かけっこをしようがライダーごっこをしようが、子供の姿なら許される。木曾は……中学生くらいかな。ぎりぎりごっこ遊びもいけるだろう。マントを翻して悪の大幹部ごっことか……いけない。変な妄想してた。きっと調子が悪いせいだね。時折立ち眩みが起きるようになったのも、時々吹雪を弄っちゃうのも、クリームソーダを六杯も飲んじゃうのも、全部調子が悪いからだ。そうに違いない。
ねー、と小声で連装砲ちゃん達に同意を求めれば、キュー? と見返された。あれ? 無条件で同意してくれないんだ……。
不思議そうに俺を見つめる連装砲ちゃん達に苦笑を返し、木曾の観察に戻る。……あれ、なんか……こっちを見ているような。
えーと……。
「おい」
……私は木。私は木。私は木。
「おい」
なんと、俺の隠密術が通用しない。
なんて馬鹿言ってる場合ではない。ひょっとして、怒ってるのかな。薄いブルーの目が細められているのは、陽射しのためだろうか。金の装飾が施された眼帯の威圧感が半端じゃない。というか、サーベルに手をかけてない? 手首引っ掛けてるだけ? いずれにせよ超怖いんですけど。
……さっさと出て行くのが得策かな。
「お前、そこで何を――」
「そこにいたのね」
何を、と問いかけながらも、俺が何をしていたのかは想像がついているのだろう、やや気に障っているかのような笑みを浮かべてこちらへ来ようとした木曾は、二階の窓から降ってきた声に固まった。
きっとそれは、緊張からくるものなのだろうなと、なんとなくわかった。
「大井姉さ、っ!?」
振り仰いだ木曾は、窓から飛び出してきた大井に言葉を途切れさせて、咄嗟に受け止めた。どさっと重量感のある音がしたものの、大井が地面と激突するなんて事はなく、その体は木曾の両腕にすっぽり収まっていた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。うわあ、凄いもの見ちゃった。
「危ないだろ」
「危なくないわよ。受け止めてくれるでしょ?」
地に足を着けた大井は、木曾と向き合うと、当然といわんばかりに言い切った。強い信頼が窺える言葉だ。でも、だからって飛び降りるのはよくないと思う。論理的な観点からと言うよりは、精神的な意味で。艦娘の頑丈な体だからできる荒業だ。それゆえに、俺みたいに普通の精神を持ってる人間からしてみれば、ひやっとするどころじゃないくらいびっくりした。
受け止めた木曾はそうでもないみたいだけど、なんか、それとは違う感情でも抱いているのか、微妙な顔をしていた。不満そうというか、ふてくされたような顔。それはすぐに消え、さっきと同じ凛とした表情に戻る。彼女が何を思ったのかは、俺にはわからなかった。
「怒って……ないのか?」
「どう見える?」
「どうって……」
腰に手を当てる大井に、困惑した様子の木曾。込み入った事情があるようだけど、少ない言葉だけ交わす二人からは事情を読み取る事はできなかった。
でも、大井の登場で木曾の注意は完全に俺から外れたみたい。良かったー。わりと本気で怖かったんだよね。
以降も二人がこちらに意識を向ける事はなく、腕を掴まれた木曾は、たじたじになって連れていかれてしまった。気配が遠ざかるのを確認してからふぅいと息を吐く。あー怖かった。やっぱりあんまり近付かない方が良さそうだ。ああいう感じの艦娘には。
「えーっと……」
さて、木曾がやたら気にしていたダンボール、今もそこにある訳だけど、いったい何が彼女の気を引いていたのだろう、その検証のために近付いてためつすがめつしてみたけど、別になんて事ないただのダンボール箱だった。ひっくり返しても中身が空だってくらいしかわからない。
そういえば木曾はこれを持ち上げて「いない」とか呟いてたけど、中に誰か入っているとでも思っていたのだろうか。……そんな馬鹿な話はないか。誰がダンボールの中に入り込むというのだ。そんな酔狂な人間はいない。もしいるとしたら、そうだな。かくれんぼしてる幼い子供くらいだろう。
それで、このダンボール箱はここに放置してていいのかな。かたしといた方が良い? ……連装砲ちゃん達に聞いてもわかんないか。ただ、二階の窓は閉めといた方が良いよね。
開きっぱなしの窓を見上げていた俺は、顔を戻したついでにダンボールの位置も最初に見た時と同じ位置に直すと、本棟の入口へと足を向けた。
◆
「ねえ、電は本当にそれでいいと思ってるの!?」
「知らないのです……雷ちゃんの事なんて、もう知らないのです!」
二階の踊り場に辿り着いたくらいだった。切迫した声が聞こえたかと思うと、カンカンと階段を急ぎ下りる音がして、小柄な影がすぐ横を通り抜けた。胸に両手を押し当て、顔を俯かせた電だった。
秘書艦である彼女が執務室の外に出ているのを初めて見た……なんて一瞬思って、それから、三階の方を見上げた。電を追おうとしたのか、二階と三階の間の足場まで下りてきていた雷は、俺の姿を認めるとブレーキをかけて、止まってしまった。やや赤らんだ顔に、上下する肩。強張った表情は、怒りや後悔を窺わせて、だからか、彼女は顔を背けると、俺に背を向けて猛然と階段を駆け上がって行った。
「……喧嘩かな」
「いや、そうじゃない」
腕に抱いた砲ちゃんに話しかければ、えらく静かな声で砲ちゃんが言った。
「……って、え、砲ちゃんが喋った!」
「……」
びっくりして、両手で包み込んだ砲ちゃんを高く持ち上げると、不意に背後に気配を感じた。顔を向ければ、響が泰然として立っていた。なんだ、砲ちゃんじゃないのか。残念。
というか、いつの間に後ろに?
「なんで言い合いになっちゃうのかしら。ダメダメよ」
二階の通路に続く扉を開けて出てきた暁が、呆れた風な仕草で言って響に並んだ。上階を見上げる二人にならって首を動かす。
喧嘩じゃない? じゃあ、さっきのはなんだったんだろう。ただ事でないのは確かだと思うんだけど。
「問題ないよ……とは言えないな」
「電があんなに怒ってるの初めて見たわ。……もう」
気になったので、大丈夫なのかと問えば、そんな答え。
とにかく雷を止めに行こう、と響が言う。頷いた暁と二人で階段を上っていくのを見送った俺は、連装砲ちゃん達に目を向けて少しの間考え、すぐ、彼女達の後を追う事に決めた。
あんな声を聞いてしまったら、気になってしょうがない。それに、ちょっかいを出すべきじゃないかもしれないけど、できるなら何か手伝ってあげたかった。
執務室の扉の前で、三人が顔を突き合わせて話していた。静かな廊下だから、扉を潜り抜けた時には、嫌でも会話の内容が耳に入る。
雷は今すぐにでも提督の下に飛び込むとしているようだ。理由は――電をいじめてるから?
初耳だ。そんな事するような人には思えないし、そういう関係には見えなかったんだけど。
「そうじゃないって、わかってて言ってるでしょ」
「それは……」
「私達相手に意地を張る必要はないよ」
「……わかってるわよ」
いや、どうやらそうじゃないみたい。
歩み寄っていくと、三人は、連装砲ちゃんを引き連れて来た俺に目を向けて、しかし何も言わずに会話に戻った。この問題に俺が参加しても良いという事だろうか。雷は少し話し辛そうにしているけど……。
それでも、響と暁が促すと、雷は観念したように首を振って、言い合うつもりはなかったんだけど、と前置きした。
「電ったら、なんにも話してくれないし……私相手にもよ? 変だ、変だってずっと思ってたから、頭に浮かんだ事をそのまま言ったの」
「『秘書艦をやっているのは嫌じゃないか、ひょっとして苛められているのではないか』……って?」
「でも、でもそれは本気の言葉じゃなかったのよ。私はただ、電の気持ちを聞きたかっただけで……」
「わかってるわ。最近、あの子は部屋に戻ってきたって、思いつめた顔をしてたもの。暁だって、『どうしたの?』って聞きたかったわ」
それでも聞けなかったのは、電が聞かれたくなさそうだったから。それでも雷は問いかけた。一番付き合いが長く、一番近しい間柄だったから……自分には教えてくれる、と、そう思っていたらしい。
現実はそうではなかった。雷相手でも電は何も語らなかったらしい。さっきあんな風に言い合っていたのは、ひょっとしたら、憤りや、何か他の感情のせいだったのかもしれない。
ちょこちょこ口を挟んで成り行きを聞く俺を、三人は鬱陶しがったりせずに話してくれた。おかげで事情は呑み込めたものの、しかしこれは親しい間柄の者にしか解決できなさそうな案件だったので、首を突っ込む必要はなかったな、と反省した。電が思いつめていたなんて、執務室で何度か顔を見る程度の俺にはまったく気付けなかったし。
これ以上はただの野次馬になってしまうか。
「謝らなきゃ……駄目よね」
お腹に当てた両手の指を絡めて、伏し目がちに言う雷は、でも、なぜ電が怒ったのかがわからない、と言った。
「たぶん、司令官の事を悪く言ったから……だと、思うんだけど」
悪く言った、なんて言っても、雷が口にした司令官への悪口にあたる部分なんて、電にいじわるしてるんじゃないか、の一言だけだ。
それだけであんなに怒るはずがないから、きっと他にも理由があるんだ。雷だけでなく、響も暁も、そういった結論に達していた。
謝るのならその原因を探るのは必要だ。雷は眉を八の字にしたまま、響と暁は腕を組んだり顎に手を当てたりしてうんうん唸って考え始めた。
……けど、そんなに考えるような事だろうか、これ。単純な理由だと思うんだけど。
「好きだから、じゃない?」
「……?」
そう口にすれば、三人ともが不思議そうに俺を見上げた。……そんな顔で見られると、自分が間違った事を言ったんじゃないかと錯覚しちゃいそうなんだけど。
いや、事実、確証のない推測ではある。でも、話を聞いただけの俺にはこれくらいしか思いつかなかった。
「好きな人の事を悪く言われたら、誰だって気分が悪くなるし、怒るよ」
「たしかにそうだけど……でも、それだけであんなに……」
あれ、なんか上手く伝わってない気がする。
なおも考える素振りを見せる雷に、悩んでいたから、余計苛立ってしまったのかも、と響が言った。雷の言葉だったからこそ、あんな風に怒ったんじゃない、と暁が続ける。
「そっか、そうよね。……悩んでるのに、問い質したりなんかしちゃ駄目よね」
こくりと頷いた雷が、こういうの、自分で気づかなきゃいけなかったんだろうけど、と呟いて、俺の顔を見た。
「教えられないとわからないなんて、まだまだね」
まだまだ、という言葉には、きっと様々な意味が詰まっているのだろう。
やはり俺は口を出すべきではなかったのかもしれない。彼女達の間で解決するのが良かったのかも。
三人を見ていると、そんな風に感じてしまった。
謝ってくる、と言い残して、三人が去っていく。今度は追わなかった。好奇心や興味は、自制しなければならない時がある。それを忘れるだなんて。……これは、調子の悪さは言い訳にはできないな。
それでも彼女達が仲直りできるなら、良いんだけど。
……ああ、気になってしょうがない。
意味もなく天井を見上げて無心でいると、すぐ横の扉が開いて、提督が顔を覗かせた。気まずそうな顔をしているのを見るに、ここでの話が聞こえていたのだろう。あ、と声を漏らす提督を見上げれば、彼は廊下の向こうに目をやって、それから、一言だけ零した。すまない、という短い謝罪。
それが何に対するものかはわからなかったけど、提督に、電が何に対して思い悩んでいたのかとかを聞く気にはなれず、俺もその場を後にして部屋に戻った。
少しの間、他の何かをする気にはなれず、ベッドに横になっていた。
夕食の時に、人のごった返す食堂内で俺を見つけた雷達が、結果を報告しにきた。
仲直りは成功。話も、少しだけど聞けた、って。
「私達に話してくれなかったのは、自分でも気持ちの正体がわからなかったからだって言ってたわ」
それはきっと、大きいものだったのだろう。
その想いの正体には勘づいたけど、なんというか、ちょっと不思議な感じだった。
現実味がないというか、夢心地というか。
笑顔で手を振って自分達の席に戻っていく彼女達を見送ってから、席についてコップを手に取り、水を飲む。
そういうものって、ほんとにあるんだなあ、なんて思った。