島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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第二十六話 シマカゼ改

 最近同じ夢ばかり見る。

 暗闇の中、ただ何もせずに立っているだけの、退屈な夢。

 自分が立つ周りだけがほんのりと明るく、暗がりと明かりの境目に浮かぶ島風がこちらを見つめてきてて……でも、何か話しかけてきたりはしない。

 退屈に負けてそこから移動しようとすると、ぬっと伸びてきた手に腕を掴まれて止められる。

 その場に(とど)まれば手が離れ、彼女を見やれば、じーっと見つめ返される。

 

 まるで監視されてるみたいだ……なんて、起き抜けのぼやけた頭でよく考えた。

 

 

 俺が他の島風より平均的な能力が上回っている事が判明してから十数日。夏真っ盛りで、強い日差しが鎮守府にも海にも降り注いでいる。

 あの日からたびたび提督の指示で、夕張さん監督の(もと)に何度か計測を行った。速度だけでなく、パワー、反射速度、判断力……。そういった様々な事が順次試されていったのだけど、なんというか、結果は微妙なものだった。

 たしかに力や速度は無印どころか、改の島風をも上回っているところがあるらしい。でも、他の能力は新人そのもの……練度の高い島風とサシでやりあったら、負けると断言できるくらいには。

 戦場での判断力観察力は、演習や実戦で培わなければ高まらないようだ。

 だから提督は、俺を含め、第十七艦隊の新人駆逐艦、吹雪と夕立と共に、攻略済みの比較的近海での実戦投入を決断した。

 まあ、そんな大袈裟なものではなくて、普通に駆逐イ級や軽巡ト級やらをぼこぼこにして、時々流れてくるようになった潜水艦をきゅっと絞めるだけのお仕事。

 もちろん海に出るのは俺達駆逐艦だけでなく、川内先輩と神通先輩も一緒に来てくれるのだから、怪我をするのも稀だった。今日までに二十一回の出撃をしているけど、一番の損害は俺の小破だった。

 背に備え付けた爆雷を用いたフルパワーキックを放った際の怪我。厳密にいえば、敵からの損害はない事になる。……無茶するなって、みんなに怒られたけど。

 その場では反省して、もう危ない事はせず、真面目に砲雷撃の練習をしようと誓ったけれど、鎮守府に戻って、夜、布団に潜り込んだ頃には、次はどんな必殺キックをしようかと考えていた。

 ……要するに、俺はそういう人間だったのだ……なんて。

 近接格闘のみで戦うしかない事は、何度も一緒に出撃する内にみんなわかってくれたし、俺がキックで敵を仕留めてVサインやサムズアップをすれば、それぞれ同じように返してくれた。

 そんな風にしてると、朝潮と一緒にあの孤島で過ごしていた日々を思い出す。

 たった数日間、でも、俺にとっては、長く濃い時間。

 共に海に出た回数も、今では正規の出撃回数を下回ってしまったが、初めて連れ立って波の合間を滑った時の緊張は忘れられない。

 朝潮がまっすぐ前を見て、慣れた様子で警戒と航行を同時にこなす、その横顔を見ているのが精いっぱいだった。自分なりに出撃というものにいろいろ考えるところがあったから、もっとうまくやれると思っていたのに、警戒か朝潮を見るかのどちらかしかできなくて、凄く手間取った。

 朝潮が時折思い出したように俺のやったポーズについて聞いてくるのは、逆に俺の体から硬さを取り除いてくれていた気がする。

 度を過ぎれば毒なのは、何にしても同じだけど。

 

 出撃を重ね、敵とまみえれば、練度も上がる。

 こうやって戦い続ければ、俺に足りなかったものも得る事ができるだろう。

 順調に力をつけ、今日、ついに俺は改へと改造された。

 吹雪と夕立も同じタイミングで改になった。

 「どうせなら、みんな一緒に改造されたいね」と約束していたから、それが実現して嬉しかった。

 この世界では艦娘の練度はレベルのような数値では表せてはいないみたいだけど、ならどうやって進化のタイミングを知るのかと言えば、改造可能レベルになると、こう、胸がぽかぽかして、なんとなくわかるようになるのだ。

 特段光ったりだとかはしなかったけど、その温かさのおかげで俺達は自分が強くなれる事を知った。

 肝心の改造だけど、寝て起きたら終わっていた。

 明石の工廠に向かった時は、それはもういろいろ想像を働かせて怖くなってしまっていたのだけど――ドリルとかペンチとか手術台とか――、ベッドの上にうつ伏せになって、明石に整体マッサージを施されれば、痛くも気持ち良くて眠ってしまって……目が覚めれば、気分はすっきり爽快、パワーアップしていた、という訳だ。

 足とか肩とか、変に癖がついていた部分を直してくれたらしくて、体中から疲れや凝りが抜けて、まるで生まれたばかりの体になったみたいだった。

 工廠内で肩を回して調子を確かめつつ、吹雪と夕立の改造が終わるのを待っていた俺は、妖精さん達が施術室にノコギリやバーナー……そしてお醤油とおにぎりを持ち込んでいる事にはついぞ気付かなかった。

 ……香ばしい匂いには気付いたけど。

 

 二人の改造が終われば、姿は変わらずとも、何かがたしかに変わった事を二人と喜び合った。

 吹雪は単純に強くなった事を、夕立は改二に一歩近づいた事を。

 そして俺は、誰かを守る力を得た事を。

 ……守るなんて言ったって、具体的な事は何も考えてないけど、強くなって、戦って、一体でも多く敵を倒す事ができれば……それが速ければ速いほど、仲間を守る事に繋がると思ったから。

 結局戦うだけなのだから、今までとやる事は変わらないんだけど。

 

 問題は、その後に起こったのだ。

 改になった俺の力を計測するために(もちろん、あらかじめそういった指示をもらっていた)夕張さんの下に足を運び、海に出て、速度から計測を開始した。前にやったのと同じ、1km走。

 結果は、前より多少タイムは伸びていたものの、ほとんど変動なし。

 力の検査だって、専用の機械を押し上げて計るのだけど、叩き出された数値は改になる前と一緒だった。

 ……全然成長してない。

 それはきっと、改造直後だから……なんて言い訳はきかない。その後の出撃でわかったけど、吹雪と夕立は、目に見えてパワーアップしていたのだから。してないのは俺だけ。

 

「おかしいわね……改造が失敗したなんてないでしょうし……」

 

 改になって二度目の検査。四角い小さな端末を弄りながら唸る夕張さんに、俺は不安を抱えて彼女を見上げていた。

 何か、この結果が間違いだったような言葉が出てくるのを期待していたのだけど、夕張さんが「ひょっとして」と前置きをして話したのは、まったく反対の内容だった。

 

「普通の島風と違う、あなたの特異な能力値(ステータス)のせいかもしれないわね」

「私の……ステータス?」

「憶測なんだけどね」

 

 俺の力は異常だ。近代化改修も施していないはずなのに、日々少しずつ伸びる記録。

 艦娘にはあり得ない成長が、俺にのみ起こっていた。

 前例のない事だった。

 だがその成長の代わりに、俺には正規の手段……普通の艦娘が強くなる方法が適用されないのではないか。

 荒唐無稽、とは言えない。俺は艦娘の体には詳しくないし、その点で言えば夕張さんは半分専門家のようなものだ。彼女がそう言うなら、きっとそうなんだろう。

 

「……なんだ、悩むような事じゃなかったみたいですね」

「そう……かしら? 普通と違うというのは……」

「誇らしい事です。それに、成長しない訳じゃないみたいですから、これから地道に力をつけていきたいと思います」

 

 そう。何を不安がる必要があるというのだ。

 たしかに、通常の艦娘のように、一気に火力や装甲を上げたりはできないが、その代わり、限界がくるまで、自分のペースで、素材もなしに強くなれるというのだ。デメリットはあるがメリットもあるし、困る事もない。

 だから、笑みを浮かべて、不安が晴れた事を夕張さんに伝えれば、「前向きな子ね」と苦笑された。

 

「うん、考えてみれば、心配は何もなかったわね。ただ、あなたは他に前例がないから、無茶だけはしないでね」

「気をつけます。お心遣い、感謝します」

「……なんか、硬くなってない?」

 

 最近サマになってきたらしい敬礼をびしっと決めながら返答すれば、夕張さんは苦笑を困ったような笑みに変えて、砕けてても構わないわ、と言った。

 こうして促されるのはもう何度目になるのか。

 恩のある人だし、尊敬している人でもあるので、夕張さんに対して敬語を崩すつもりはない。

 あ、タメ口で話している相手は尊敬してない、という訳ではない。もしそうだったら、俺は叢雲の角みたいなので突き殺されてしまうだろう。怖い。

 

「これからもデータ取りは継続して(おこな)っていくから、聞きたい事があったら遠慮なく聞いてね」

「はい。ありがとうございました」

 

 お礼と共に頭を下げると、両脇に立つ連ちゃんと装ちゃんもぺこっと頭を下げてそのまま倒れた。

 

 

「むむ~、見よ、このパワー!」

「力がわいてくるみたいだよぉ~」

「……そう、凄いわね」

 

 部屋に戻れば、ご機嫌な光を撒き散らす吹雪と夕立に挟まれた叢雲が虚空を見つめて同じ言葉を繰り返していた。

 あの、二人共……無事改になれたのが嬉しいのはわかるけど、叢雲を巻き込まないでやってあげて……。

 

「島風ちゃん、見て見て! 夕立、こんな大きなダンベル持てるようになったっぽい!」

 

 うわ。

 夕立は、腕より太いダンベルを軽々と上下させていた。危ない。……それ、値札ついてるけど、ひょっとして衝動買いしたのかな。

 

「島風ちゃん、近代化改修って凄いね! こんなに強くなれちゃうなんて知らなかったよ」

 

 あー……なるほど。

 二人はめいっぱい近代化改修されてとても強くなれたのが嬉しいみたい。

 花の幻影を飛ばしながら半透明のゴムボールをにぎにぎしている吹雪に、とりあえず「お疲れ様」、と声をかけておく。

 それから、二人に挟まれて目が死んでいる叢雲さんの手を引いて救出した。

 力が増した喜びを注がれた叢雲は、かなり参っている様子だった。

 無遠慮に手を取った俺に睨みの一つでもくれるかと思ったけど、彼女はふぅっと深く息を吐くと、するりと手を抜いて、ふらふらとした足取りでベッドに歩み寄り、数秒はしごを眺めてから、緩慢な動作で(のぼ)り始めた。

 

「つっぎのえんっしゅうっが、たっのしっみぽーい」

 

 妙な節をつけて歌う夕立に、こくこくと頷いて同意する。

 俺は性能などは変わってないから力を試したいとかそういう欲求はないけど、成長したい、強くなりたいとは思っているので、そこら辺は夕立と同じ気持ちのはずだ。

 

「明日の授業に演習があるから、その時に確かめてみようね」

 

 ゴムボールをテーブルの上に転がした吹雪が、にこにこ笑顔のままで提案した。

 新しい力を試そうだなんて、かなり舞い上がってるなあ、吹雪。普段なら言わなそうな事だ。

 でも、今日じゃないんだ? トレーニングルームに行けば、すぐにでも力を試せると思うんだけど……近代化改修って、やると疲れるのかな。……いや、二人共つやつやしてるし、そういう訳じゃないんだろう。

 じゃあ何か、と考える前に、吹雪が立ち上がった。制服からジャージへ着替える吹雪に、「今日も鍛錬っぽい?」と夕立。

 ああ、なんか走り込みとかしてるらしいね、吹雪も。

 朝のランニングとか、お昼にどこかへ行って何かの練習をしてるみたいだし、張り切ってるね。さすが真面目さん。

 ランニングは、あいにく俺とは時間帯が違うから一緒に走る訳じゃないけど、同じ事をしている分、頑張りを共有しているみたいで、なんか俺まで頑張ろうって気持ちになってきてしまう。

 俺も何かやってみようかな。トレーニングルームで。……そこにいる誰かに砲雷撃の師事を仰いだ方が良いだろうか。今のところ俺の腕は改善されてないし……。

 どうにも、砲雷撃だけは上手くいかないんだよなあ。

 それに、連装砲ちゃんとの連携も練習しなきゃ。

 こっちは俺の意思を汲み取ってくれる連装砲ちゃん達のおかげで、最初から高水準の行動ができたけれど、俺のスピードが上がるにつれて、連携に齟齬が生じ始めてきてしまっている。

 彼女(?)達の速度アップも今後の課題かもしれない。

 ……夕張さんにお願いしたら、チューンナップしてくれるかなあ。ワンツースリーで、はい、ぽんと……なんて手軽さでできるものではないだろうし、難しいか。

 でも、歩調が合わないのはちょっと困るんだよな。

 前の演習の時、戦艦大和の下まで全速力で駆け抜けた数分。砲弾が飛んできていなければ、連装砲ちゃん達との距離は離れるばかりだっただろうし、そのまま大和の下まで辿り着いてしまったら、せっかくの連装砲ちゃん達のサポートをなくして戦わなければならなくなってしまっただろう。

 だから、彼女達にも成長して欲しいんだけど……俺みたいに、何かすれば能力が上がるって訳でもないみたいだし……夕張さんか明石に頼んで改修してもらう? それにはお高いネジが必要、かもしれない。

 手柄を上げて、その報酬に提督にネジを要求してみようかな。

 

「それじゃ、行ってくるね」

「行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃいっぽい」

 

 連装砲ちゃん強化計画の算段をつけていると、準備を終えた吹雪が部屋を出て行った。その背に見送りの言葉を投げかける。

 少し静かになると、夕立もようやく落ち着いてきたみたいで、小さな缶をどこかから引き出してきて、その中に入っていた飴をくれた。おお、コーヒー飴。ありがたくいただきます。

 ころころと口の中で飴を転がしつつ、テーブルの傍に腰を下ろして足を投げ出し、後ろに手をついて思考に(ふけ)る。

 連装砲ちゃん達のパワーアップばかり考えていて、自分が怠けていたらしょうがない。

 でも、今の成長スピードでは、みんなを守れるくらいの強さになれるのはずっと先になってしまいそうだ。それこそ年単位でかかりそう。

 そりゃ俺は速いけど。速いは正義だけど、それだけじゃ駄目な事って、きっとあるんだと思う。

 俺も強さを求めないと。

 ……と一口で言ってみたはいいものの、さて、何をしたら強くなれるのだろうか。

 地道に、ではなく、ある程度の速度でもって成長したい。

 光よりも速い進化などは望まないから、何かないかなー。

 砲雷撃が得意な先輩……って、ええと、計測の際夕張さんにはお手上げされちゃったし、十七艦隊のみんなも同様。朝潮も駄目だし……潜水艦や空母の方に見てもらうのは、どう考えても違うよな。

 

「……夕立ちゃん、私が砲雷撃をちゃんとできるようになるには、誰に習うのが一番良いと思う?」

「んー……。んん-……」

 

 こういう時こそ物知り夕立の出番だ、と問いかけてみれば、飴でほっぺたを膨らませてながら雑誌を読んでいた夕立は、顔を上げると、酷く悩み始めた。

 ……ああ、俺の腕は、すぐには言葉が出てこないくらい悪いって事ね。わかってるけど。

 

「……先生っぽい?」

「先生……って、三原先生?」

 

 各種授業を担当する俺達の担任。

 

「砲雷撃戦じゃないけど、素手での戦いなら、先生がいいかもしれないっぽい。噂では、那珂ちゃん先輩や金剛先輩なんかは、先生に師事していたらしいっぽい」

「……何を習ってたのかな。先生、人間だよね?」

「それは間違いないっぽい。夕立も、この噂は半信半疑だけど……島風ちゃんに教えてあげられるのは、これくらいしか……」

 

 眉を下げて申し訳なさそうにする夕立に、慌てて「ううん、すっごく助かるよ」と笑ってみせた。

 せっかく俺の事を考えて教えてくれたのだから、まずそこから当たってみる事にしよう。

 ……あんなに細い先生が、艦娘である先輩方に何を教えたのかは想像もつかないけど、教わったらしい那珂ちゃん先輩は、実際凄い速さで強くなったらしいし。

 

「すぐに行くっぽい?」

「うん。善は急げっていうし、今なら先生もお仕事ないかもしれないからね」

「じゃああたしもついて行くっぽい。先生の手品には前から興味があったっぽい」

 

 おっけーっぽい。ぽーいぽいぽい。

 夕立の口癖を真似ながら頷いて、立ち上がって伸びをする。ちょこちょこと髪を整えながら夕立が缶や雑誌をしまうのを待って、出発した。

 目指すは本棟、その四階。

 

「本棟って、三階までしかないんじゃなかったっけ」

「その通りだけど、上に続く階段は島風ちゃんも見た事ある?」

「あるけど……屋上とか、屋根裏に続くのかなって思ってた」

「屋根裏から時計塔に行けるっぽい。先生の過ごす部屋は、そこにあるっぽい」

「……なんでそんなとこにいるのかな」

「そこまではさすがにわからないっぽい。……先生がこの鎮守府に来た時期も、その経歴も、誰も知らないっぽい」

 

 それ、先生が凄い不審人物だって言っているようなものじゃ……。

 さすがに提督は知っているだろうな。じゃなきゃここにいられないだろうし、授業なんてできないだろうから。

 それに先生は凄く理知的で落ち着いているし、あの人に何かやましい事があるとは考えられない。

 経歴がわからないのは……きっとたまたまだろう。

 ……ああ、もう。そんな話を聞かされると、少々不安を抱いてしまうのだけど。

 これから会いに行こうとしているのに、それはまずいよね。だから理由を考えてみた。うん、しっくりくる。

 先生は先生。不安を抱く相手ではない……はず。

 

 本棟へ辿り着き、薄暗い階段を上っていく。前にここで抱いていた不安は、当然今はない。

 見上げた視界の先、壁にある掲示板。僅かな光が差し込む窓。この空間に満ちる冷たい雰囲気。隣に友達がいるなら……腕の中に、両脇に、連装砲ちゃん達がいるなら……何も怖くない。

 こんな事を考えてしまうのって、どうしてだろう。今さらこの場所を怖いとか怖くないとか……それは、ここが不安ではなくても、今から向かう場所にいるであろう人に対して、不安を感じているから?

 ……他人の心はわからないと言うけれど、自分の心もわからないものだ。

 うだうだ考えていてもしょうがない。三階に上がり、立ち入り禁止の札がかかったロープを前に夕立と顔を合わせる。

 

「那珂ちゃん先輩や金剛先輩は、先生に会いに行くためにこのロープを跨いでいったのかな」

「んー、たぶんそうっぽい。だって、先生に会うには、ここを通るしかないっぽい」

 

 ……だよね。建物の反対側の階段には、上へ続く階段ないし……授業が終わった後や、授業の無い日の先生に会いたいならば、このロープを跨ぐか(くぐ)るかするしかない。

 だから俺達は、僅かな緊張と罪悪感を持って、持ち上げたロープの下を潜り抜けた。今この瞬間、他の誰かがこの場に現れたら、いったい自分達はどうなってしまうのだろうなんて想像が頭の中を走り、それでも、一段一段、確実に上へと歩を進めた。

 

 天井裏に出る。どこもかしこも木造で、梁や太い柱のようなものがあちこちにあって、息をすれば、そういった木材の匂いがした。でも汚くはない。埃などが見当たらないのは、先生が手入れをしているからなのだろうか。足下の感触を確かめつつ歩き出せば、結構丈夫っぽい、と夕立。

 

「うん。ちょっと軋むけど、思ってたより音とかしないね」

 

 歩いてみればわかるけど、床代わりの木板は俺の体重などないものかのようにそこにあって、普通に歩いてみても、脆い印象など無かった。走ったって大丈夫そう。

 きょろきょろと周囲を見回していた夕立は、次には小首を傾げていた。何かに疑問を抱いているみたい。それがなんなのかわからなかったけど、それなら聞くのが速い。

 

「妙に綺麗っぽい。隅の隅まで……先生は、綺麗好きっぽい?」

「そうかもしれないね。あ、あそこから廊下に出れるのかな?」

 

 扉はないけど、その形にぽっかり空いてる場所を発見した。その部屋に踏み込めば、四角い壁伝いに階段があって、ずっと上に続いていた。螺旋階段みたい。なんかお洒落だな、こういうの。

 細い手すりに手を当てながら上っていく。この階段もしっかりした作りになっている。

 五階相当の場所に、扉があった。ただしそこは壁だ。いくらこの階段のある空間が狭い作りになっているからって、これじゃあ、先生の部屋って、下手したら物置部屋よりも狭いのではないだろうか。

 質素で狭苦しい生活をする先生を想像してしまって、勝手に不憫になる。もしそうなら、部屋を移してあげればいいのに。うちとかどうだろう。駆逐寮にはまだまだたくさん空いてる部屋があるし。

 

「開けるっぽい?」

「……それしかないよね」

 

 なんとなくといった様子で確認してきた夕立に、もう少し上に行ったところに見える大きな時計の裏側を眺めていた俺は、顔を戻してそう答えた。

 鉄のノブを握り、そっと押し開ける。ノックを忘れた、と思ったのは、中の様子を認識してからの事だった。

 

 広かった。

 まず、部屋が広い事に頭がいった。

 外壁と内壁の間は一メートルもないだろうに、この部屋は、少なく見積もっても六畳以上ある。壁紙もカーペットも落ち着いた色合いで、三方の壁を本棚が囲んでいた。古びた本がぎっしり詰まった棚は天井にぴったりくっついている。部屋の奥、中央に備え付けられた机には、一人の女性が座っていた。

 長い茶髪と電探カチューシャ。耳くらいの高さの左右で髪をお団子にしていて、でも、多くの髪が柔らかに流れ、この部屋に満ちる不思議な光に照らされていた。

 俺に似たグレーの瞳は長いまつげに覆われ、物憂げに伏せられている。大人びた顔立ちはそのまま彼女の生きてきた年数を表しているかのようだった。肩出しの巫女服……に似た、和服と洋服の相の子のような、華やかな衣服を身に纏った彼女は、かつての俺の艦隊でも主力の一人だった艦娘、戦艦の金剛だった。

 頬杖を突き、ティーカップ片手に手元に視線を落としている彼女はどうやら足を組んでいるらしく、その姿に気圧されてしまう。元気で快活で、天真爛漫な彼女の姿を心に描いていた俺にとって、大人の女性そのものの彼女の横顔は、息を呑んでしまうには十分だった。彼女が座る机の前、左右に立つ三人の女性にも、気圧された原因はあると思う。金剛の姉妹艦、比叡(ひえい)榛名(はるな)霧島(きりしま)

 

 ――比叡は茶髪の女性だ。黒い帯に金のでっぱりの電探カチューシャは姉妹共通の物。短めな後ろ髪の毛先、その両端が外に跳ねている。青色の瞳は、姉である金剛に向けられている。

 服も姉妹と同じものだが、唯一姉妹と違うのは、黒い帯で締められたチェック柄のスカートだ。他の三人は袴をイメージしたスカート――フリルがついていたり色違いだったりはするが、共通の物――なのに対し、彼女のスカートは別の国の物と思えた。

 

 榛名は大和撫子だ。腰まで伸びる黒髪ロングに、橙色の瞳。大和とは毛色の違った、でも同じ正統派と言える慎ましやかな女性。胸部装甲は戦艦ゆえに主張が強いが、それを押し隠す柔和な雰囲気があって、そこに立っているだけでほっとする何かがあった。

 

 霧島は末の妹。楕円形の眼鏡をかけていて、姉妹の頭脳であるのだろうと思わせる知性的な雰囲気を纏っている。肩にかかるくらいの黒髪は疎らに切り揃えられ、組まれた腕は相応の力を秘めているのだろうと窺わせた。

 彼女の瞳もまた、長姉である金剛に向けられている。

 

「――――」

 

 先生に対して身構えていたからだろうか。扉を開けきる刹那の間に、四人全ての姿を視界に収めてなお考える余裕があった。なぜ彼女達がここにいるのか。先生はどこか。そもそもなぜこの部屋はこんなに広いのか。

 ……そこまでは、さすがに考えられなかった。木板の軋む音に四人が四人俺達へと顔を向けて、僅かに目を見開いた。きっとそこには、戸惑いの色が浮かんでいるんだと思う。

 

「ハ、ハアイ、オハヨウゴジャイマース」

「おはよう……ございます?」

 

 もうお昼過ぎだから、正しくはこんにちは、だけど……なんて思いつつ、俺へと軽く手を上げて挨拶した金剛に挨拶を返す。

 

「お姉様、噛んでます」

 

 少し腰を折って金剛に顔を寄せた霧島が囁くと、はっとした金剛は、いったんティーカップを置いてコホンとわざとらしい咳払いをすると、にっこり笑って「オハヨウゴザイマース!」と挨拶した。

 …………さっきまでここにいた凄く大人っぽい金剛はどこにいったのだろう。今俺の前にはイメージ通りの天真爛漫そうな金剛がいた。ぴょこりと頭頂部で揺れたのは、俗にいうアホ毛だろうか。

 

「お姉様、今の時間帯のご挨拶は『こんにちは』ではないでしょうか……」

「oh、そうネ……オホン、コンニチハー!」

 

 ひらひらと手を振りながら三度目の挨拶をする金剛に、膝元に右手を当てて「こんにちは」と頭を下げておく。ちょこちょこ歩いて脇を抜けた連ちゃんと装ちゃんが部屋の中に入ると、ああ、と比叡が声をあげた。

 

「広報紙の子ね」

「おおー、ワタシが任務でこの地を離れている間に着任したニューフェイスデスネ!」

 

 口を○の形にして大袈裟に驚いてみせた金剛は、次にはにかっと笑って、「帰国子女の金剛デース!」とお決まりの挨拶をした。

 広報紙? 俺と夕立と吹雪の姿が描かれたあの紙が掲示板に貼られていたのは、そう長い期間ではなく、今は別の物になっているはずだけど。

 

「第一艦隊主力戦艦の金剛先輩っぽい」

「っ!」

 

 ぬぅっと後ろから張り付いてきた夕立が耳元で囁くのに、身を強張らせてしまう。え、なんでそんな密着して……というか、俺の後ろに隠れるみたいにしてるの?

 

「出て行くタイミングを見失ったっぽい……」

「……いや、いいよ。出ておいでよ」

 

 変に怖気づいている夕立の腕を引っ張って横に立たせると、そっちの子も新人かしら? と霧島。夕立の身に僅かに力がこもったのが、掴んだ腕から伝わってきた。

 

「白露型駆逐艦、夕立っぽい」

「ユウダチッポイデスネー、覚えましタ!」

「お姉様、夕立、が名前でよろしいかと」

「フム、では、ポイとはどういう意味デース?」

「く、口癖っぽい」

 

 ああ、夕立がたじたじに……。

 

「あなたのお名前は?」

 

 榛名が柔和な笑みを浮かべて、俺にも自己紹介をしろと促してきた。

 う、さすがにこう、今の俺から見て体の大きな四人に視線を向けられると、どうしたって緊張してしまうな。特に、金剛は栄光の第一艦隊所属……つまりは赤城さんと同列な訳で。

 たぶん今の俺と夕立は、傍から見れば赤城さんを前にしてかっちんこっちんになっている吹雪みたいに見えるだろうな。

 これではいけない。緊張なんて丸めてぽいしなければ。

 横にいる夕立にも聞こえないくらい細く息を吐き、吸う。その一度でできる限り体を解し、自然体で口を開く。

 

「島風型駆逐艦、1番艦の島風です。スピードなら誰にも負けません!」

「へぇ……ワタシ達を前に、負けないと言い切るとは恐れ入りマース」

「……!」

 

 すっと細められた目は、いっそ寒気を感じるくらい冷たくなって……陽気でも間抜けでもない、恐ろしい雰囲気を発し始めた金剛に、きゅっと唇を引き結ぶ。足に寄り添った連装砲ちゃん達の冷たさがいやにはっきりと感じられた。

 

「なんてネ」

 

 ぱちん、とウィンクを飛ばされて、悪戯な笑みを浮かべる彼女を見て、はっとする。

 ……どうやら今のは、彼女なりの冗談か何かだったようだ。それにしてはちょっとシャレにならない迫力があったんだけど……。

 

「お姉様、新人に今のは少々厳しかったのではないでしょうか」

「おおぅ、そ、ソーデスカ? ちょっとしたお茶目のつもりだったのデスガー……怖がらせてしまったようデスネ」

 

 霧島が眼鏡のつるを指で押さえながら金剛に耳打ちすると、ありゃ、とでも言いたげな表情で俺達を見た金剛は、腕を広げてもう一度ウィンクした。

 

「ワタシ達は貴女方の着任を歓迎シマース!」

「比叡です。怖がる必要はありませんよー!」

「榛名です。仲良くしていきましょうね!」

「霧島です。そういう訳です。さ、緊張は解れたかしらー?」

 

 姉妹順に発言するのには何か決まりでもあるのだろうか、しかし、ここまでの歓迎ムードと敵意の欠片もない笑顔を向けられて、まだぼけーっとしているほど俺も人間慣れしていない訳ではない。……この場合は艦娘慣れか。ほんの少し混乱していたから余計に重圧を感じてしまったものの、彼女達が悪い艦娘でないのは、考えなくてもわかるはずだ。この鎮守府にいるのだから。

 

「さて、島風と夕立はなぜ先生のお部屋に来たのデスカ?」

 

 ん? と窺ってくる金剛に、どう答えるべきかと夕立の横顔を見れば、彼女は彼女で別の何かを考えているようだった。ここは俺が答えるしかないみたい。

 

「それは……先生に用事があったからです」

「当然の話デスネー、ウムウム」

 

 俺の答えの何がそうさせるのか、金剛は得意気に腕を組んで椅子の背もたれに背を預け、ギィと鳴らした。

 

「……先輩方は、ここで何を?」

「うっ?」

 

 会話する事で完全に落ち着きを取り戻した俺は、机の上に積まれた古めかしい本や筆記用具の合間に置かれたティーカップだとか、かなり小さいが 三段のトレーからなるナントカティースタンドだかいう、お菓子などが乗せられた物を見つけて、完全に寛ぎモードに入っていた彼女達を思い出し、質問してみた。

 ……のだけど、「うっ」てなんだろう。……何その、必死に話題に上らせないようにしていたのに聞かれてしまった! みたいな顔は。

 

「い、嫌デスネー、ワタシは先生に帰還報告をしようとここに足を運んだだけデース! 先生がいらっしゃらなかったので、こうして落ち着いてしまいましたガ! 決して! ヤマシイ事など何もしてないデース!!」

「そぉうです! 金剛お姉様はなんにも悪い事などしてません!」

「……お姉様『は』?」

 

 ぐっと握った拳を顔の高さまで持ち上げて力説する比叡になんとなく揚げ足取りをすると――ただ相槌を打とうと思っただけだったのだが――大仰に頷いた比叡は、得意気に笑って、

 

「お姉様の手を汚させる訳にはいきません! 家宅捜査はお姉様の妹分である我々が――」

 

 しゅばっと俊敏に比叡の後ろに回り込んだ榛名が両手でその口を塞いだ。

 ……気のせいかな。今、あんまり良くない言葉が聞こえてきたんだけど……。

 

「机の半分が片付けられていて、半分が乱雑になっているのはそのためっぽい?」

「ひ、比叡ちゃん何言ってるデース! 誤解されてマース!」

 

 顎に手を当てた夕立が鋭い目つきで推理染みた言葉を口にすると、金剛はあわあわと比叡に視線を送った。

 

「フォロー!」

 

 チャッと眼鏡を手の平で押さえた霧島さんが小声で叫べば、榛名の拘束から解放された比叡はあっちにこっちに目をやって言うべき言葉を探し始めた。

 

「えっとアレですアレ! なんだったかなー! 丸いものだったような気が! あーそうそうそう! 探し物です!!」

「! ……そう、私達は探し物をしていたのよ」

 

 今まさに思いつきましたやったぜ! みたいに深く息を吐いて額を拭う比叡の意思を汲み取ってか、霧島がそう続けた。

 …………。

 探し物……ってなんだろ。ここで何か失くしたのかな。あの慌てようから察するに、人には言えないもの? ……こっそりプレゼントとか置いて行こうとしてたとかだったらロマンティックだな。どうやら金剛は三原先生を慕っているみたいだし。

 自分を納得させる方向で話を纏めようとした俺だったけど、夕立はそうではなかったらしい。「誰の何を探してるっぽい?」と突っ込んだ質問をした。

 ゆ、勇気あるなあ……。

 

「そー、それは……榛名?」

「へっ? は、あ、いえ、そのー……比叡お姉様?」

「えっ、えーと、ええーと、こん、くっ、うう……ああ!」

 

 最初に霧島が答えようとして、思いつかなかったのか榛名にパスして、榛名も比叡にパスして、比叡は金剛にパスする事ができなかったらしく、頭を抱えて苦悩した挙句に、電探カチューシャを引き抜いて部屋の奥へと放り投げた。本棚の中央ほどでパシッと不可視の何かに弾かれたカチューシャが床に落ちると、振り向いた比叡が「私の電探を探してたんです!!」と言い切った。

 夕立は完全に沈黙した。たぶん、これ以上突っ込んでも意味ないと判断したのだろう。その方が良い。あんまり人の事情にずかずか入り込むものではない。

 しかしさっきの……カチューシャの跳ね返り方が凄く不自然だったんだけど。

 席を立ってカチューシャを拾った金剛も、手渡されて感激している様子の比叡も、ほっと胸を撫で下ろしている榛名も、眼鏡の位置を直している霧島も、横に立つ夕立でさえ、気付いていなかったみたいだけど……俺の目にはたしかに見えた。上から四段目、金剛の頭の位置の右あたり。そこへ向かって投げられたカチューシャが、棚に当たる前に弾かれたのを。

 ……いったいなんだったんだろう。目の錯覚?

 気になって気になってしょうがないので、自然な動きを装って彼女達の傍を通り過ぎ、本棚を見上げる。うんと手を伸ばせば届く位置。背伸びすれば確実に届くかな。

 

「何してるデース? あんまり触っちゃ駄目デスヨー」

「わっ!?」

 

 脇の下に手が通されて、ひょい、と持ち上げられる。お腹の下あたりがふわっとする感覚に耐え切れず声を漏らした。ちょうどその時に、伸ばした指先が本棚の中、背表紙を並べる本達の前の何もない場所を捉えた。

 カタンと音がして、四角い板が零れ落ちる。倒れるようにして床へ吸い込まれていったそれは――。

 

「ほっ、と」

 

 地に落ちる前に比叡が掴み取った。

 

「? こんなのありましたっけ?」

「写真立てでしょうか?」

 

 それはまさしく写真立てのようだった。写真が入っているだろう面を下に向けて持つ比叡に、金剛に持たれたまま手を差し伸べれば、つられたように手渡された。さて、どんな写真が入ってるのか拝見するとしようか。

 ふっふっふ、気になったものは最後まで見なければ気が済まない性質(タチ)なのだ……なんていう訳ではないけど、比叡に手を伸ばしたら渡してくれたから見てみようと思っただけ。

 金剛も写真が気になるらしく、俺を胸に抱くと、肩越しに覗き込んできた。髪が頬をくすぐってこそばゆい。

 

 写真は至って普通のものだった。薄手の洋服……黒い上着に同色のロングスカートを着た黒髪ロングの女性と、銀色の髪を肩まで伸ばし、緑を主体とした上下を着た少女が仲睦まじげに手を握り合い寄り添っている。その横に、赤毛を後ろで縛ったスーツ姿の少年――年は10歳くらいだろうか――が照れたように立っていた。

 

「おおお、髪を下ろした先生デース! これは激レアデース!!」

 

 う゛っ、み、耳元で叫ばないで……。

 って、先生? ……ひょっとして、この黒髪の女性は、髪を下ろした先生なのだろうか。うわー、縛ってる髪を解くだけでこんなに印象変わるんだ。隣の女の子は三原先生の娘さんかな。……並んで立っているとあんまり年の差がないように見えるけど、さすがに妹って事はないだろう。

 

「おめでとうございます、お姉様!」

「おめでとうございます!」

 

 金剛が喜びの声を上げたためか、下の妹三人がパチパチと手を打ち合わせてよくわからない祝福の言葉をかけた。当の金剛は写真を食い入るように見つめている。抱えられていて離される気配のない俺は、せめて金剛が写真を見やすいように写真立ての位置を調整して固定していた。

 

「何をしているの」

 

 静かな声が部屋の中に響いた。

 途端、金剛がびくりと身を跳ねさせて直立の姿勢をとるのに、予期せず解放された俺はたたらを踏んで本棚にぶつかった。棚の作りが丈夫だったおかげか、本が落ちてきたりはしなかったが、ぶつけた肩が痛い。

 反射的に閉じていた目を開けば、部屋の中の様子がよく見えた。出入り口に立つ夕立の、そのすぐ後ろに先生が立っている。怒っている訳でもなければ、眉を寄せていたりだとか、不機嫌だったりする様子でもない。ただ疑問を投げかけただけ……のようなのに、夕立は目を丸くして固まっているし、金剛四姉妹も石になったみたいに微動だにしなかった。手を打とうとしているのをそのままに固まっているから、まるで魔法のようだと思った。

 

「部屋に入るのは構わないけど……勝手に私物に触れるのは感心しないね」

「ハ、ハッ……! 申し訳ありまセン……!」

 

 素早く振り返った金剛は、叱責ともとれる先生の言葉にしゅんとしてしまった。アホ毛も萎びれてへたれている。

 

「島風」

「はひ!?」

 

 すぐ近くで声がするのに肩が跳ねる。金剛に向けられていたはずの視線が、いつの間にか俺へのものに変わっていた。

 

「宿題は終わったのかな」

「ま、まだ……です」

「提出は明日だよ。ちゃんとやっておきなさい。夕立もね」

「ぽぴ」

 

 背後からの先生の言葉に、夕立が引き攣ったような声を出した。たぶん相当驚いたんだろうな。そんな顔してる。

 

「私が部屋にいない時は出直すなりしなさい」

 

 こちらへと歩み寄りながら、みんなに注意する先生は、やはり怒っているようには見えない。でもなんでだろう。さっきから首筋がちりちりするんだけど……。

 金剛の方に行くと思えた先生は、どうしてか俺の前へやってきた。それが、俺の手から写真立てを取り上げるためだと気づいたのは、すでに先生がそれを棚に戻している時だった。

 

「金剛、比叡、榛名、霧島。お帰り。それと、お疲れ様」

「ハ、ハイっ!」

 

 この場では金剛が姉妹の代表として受け答えをしているのだろう、他の三人は硬直が解けたようではあっても、口を閉じて何も言わなかった。

 

「藤見奈君のところには顔を見せに行ったのかな」

「ハイ! テートクには一番に会いに行きマシタ!」

「ならいいんだ。用事はそれだけかな」

「うぅー……ホントは久しぶりに手合せ願いたかったデスガ、ここはいったん引かせていただきマース! 比叡! 榛名! 霧島! 行きマスヨ!」

「はい、お姉様!」

「それでは、失礼致します」

「ご迷惑をおかけしました」

 

 手早くティーセットを片し、机の上を整頓した三人が金剛を追って部屋を出ると、途端に部屋にしんとした空気が流れた。残された俺と夕立が顔を見合わせると、「君達はまだ用事があるのかな」、と先生。

 そうだった。俺は砲雷撃を……いや、強くなるための秘訣を聞きにここにやってきたんだった。

 

「強さを求めるか。なんのために」

「仲間を守るためです。そのために私は、力をつけなければなりません」

 

 そういった事を話せば、問いかけられたので答えた。先生は目を細めて、そうか、とだけ呟いた。

 

「あの子も同じ理由だ」

「……あの子?」

「……金剛。彼女も君と同じ理由で力を求め、私の下を訪れた」

 

 それがなんだというのだろう。金剛には何かを教えたんだよね。彼女に教えたから、俺には教えられないというのだろうか。

 

「その通り。君に私の技術は教えられない。精神面に問題があるからだ」

「……それ、は」

 

 精神面って、それって。

 ……いや、俺が島風の体を得てしまった事なんて、先生にはわからないはずだ。

 たとえ先生が本物の島風を知っていて、俺と本物の差異に疑問を抱いていたとしても、まさか別世界の男の意識が入り込んでいるなどとは夢にも思わないだろう。

 事実その後に続いた先生の言葉は、このシマカゼの中身とは関係ないものだった。

 

「宿題にすぐに手を付けられないメンタルでは私の技術は教えられない」

「そんな……」

「と、いうのは冗談だ」

 

 じょ、冗談?

 ……真顔で冗談言わないでくださいよ……びっくりするじゃないですか。

 はー、と息を吐いて後ろ髪に手を通す。手袋の中の手は僅かに汗に濡れていた。

 

「だが君にとって、危険のあるものというのは確かだ」

「……だから、教えていただけない?」

「知りたいのなら自分の手で模索しなさい。そうした方が身に染みてわかるだろう」

 

 ……それだと本当に、俺には扱えない技術って事なんだろうか。

 そもそも技術って、なんの技術だろう。先生ができて、強くなれるといったら、格闘技とか?

 人間の頃より遥かにパワーアップした今の俺なら、それくらいできそうな気がするんだけど……。

 危険……危険、かあ。先生に言われちゃうと、怖気づいちゃうな。無理に技術とやらを追う必要もないし、砲雷撃の練習を手伝ってくれる相手を探した方が良いかな。

 

「砲雷撃か……こんな事を言うのも酷だけど、君にはその適性はないようだね」

「え、それって……私って、砲も魚雷も使えないって事、ですか?」

「……そういう艦娘は時々いるみたいだね。実際何人か見た事がある」

「その人達は、どうやって戦っていたんですか?」

 

 もしそれを知る事ができれば、俺にも反映できるかもしれない。期待を込めて先生を見上げれば、先生は緩く首を振った。

 

「砲と魚雷を使い続けた。君のように身一つで挑もうとする艦娘は早々いない」

 

 俺のように戦う艦娘がいない? でも、戦艦の人達は接近戦を……いや、違うか。そもそも最初から接近戦を挑むつもりで近付いたりしないだろうし、キックだってしないだろう。

 ……では、その人達は。

 先生は、その先の事は何も言わなかったけど、適性がないのに砲と魚雷を抱えて戦場に出た艦娘がどうなったかは想像に難くなかった。

 

 今のところ、君には今のスタイルが最も合っているのだろう、と先生からお墨付きをもらった。

 ……それだけで十分かもしれない。今まではただ砲撃や雷撃が下手だからって理由でキック主体に戦っていたんだし、それをちゃんとした人に認められるのは、自信に繋がる……はず、だから。

 

「夕立も私に何か用事かな」

「……あっ、あたしは、先生の手品が見てみたいっぽい!」

 

 今の今まで出入り口の傍で佇んでいた夕立が、急に声をかけられたために、少し遅れて反応した。

 手品か……。写真立てが隠れてたのも手品かなあ。

 

「手品? ……ああ、そういう事か」

「見せてくれるっぽい? 何が飛び出すか楽しみっぽい!」

 

 何かを納得している様子の先生の前に駆け寄った夕立が、目を輝かせて先生の一挙手一投足に注目し始めた。先生、まだやるとも見せるともいってない気がするんだけど……。

 と思っていたら、先生に手招きされた。手品、やってくれるんだろうか。それなら俺も見てみたい。テレビとかでマジックショーなんかは見た事あるけど、生でってのは経験がないし。興味ある。

 右手を俺達の前に差し出した先生は、手の甲と手の平を二度ずつ見せて何も持っていない事を知らせると、それを俺達の目線の高さに持ち上げた。何か出すマジックかな。花とか出てくるのかな、とわくわくしていると、ふっと手がぶれて、パチンと指を鳴らす音がした。

 

 

「島風~。大丈夫デスカ~、し~ま~か~ぜ~」

「……?」

 

 視界をひらひらと遮るものがあって、瞬きをすれば、それが金剛の手なのだとわかった。

 あれ、ここって……寮の前の砂利道?

 

「島風ちゃん、具合悪いっぽい? 医務室に行く?」

「いや……大丈夫。ちょっとぼーっとしちゃってただけ」

 

 数度素早く目を瞬かせて、それから、足下を見る。連装砲ちゃん達三体が足下に寄り添って俺を見上げてきていた。

 ……えーと、なんでここにいるんだっけ。

 

「那珂ちゃん先輩のところに行く途中っぽい」

「金剛さんがいるのはなんで?」

「もー、島風ったら何言ってるデース! 強くなりタイ! そう願う島風のために、ひと肌脱ぐと言ったデショ?」

「そう、でしたっけ」

 

 ほんとに大丈夫? と寄り添ってくる夕立に頷いて返しながら、目だけで周囲を見回す。ここにいるのは金剛と夕立と連装砲ちゃん達と、俺だけ。他の姉妹や先生はいない。……先生? ああ、そっか。先生のところから戻ってきて、寮の前で金剛さん達とまた会って、それで少し話をしたんだった。

 そうしたら金剛さんが、先生の技術の一端を見せてくれると言ったから、それを今から見に行くところだったんだった。

 

「さあ、ついてきてくださいネー!」

「島風ちゃん、行こ?」

「うん」

 

 たったか走り出す金剛についていくために、一度頬を擦って意識をはっきりとさせる。

 よし、もう大丈夫。今日は日差しが強いから、熱中症か何かになりかかってたのかもしれない。対策をしっかりとっとこう。

 でも艦娘の体ってそんなに(やわ)だったっけかな、なんて考えつつ、俺は夕立と一緒に金剛さんの後を追った。

 

 この後に待ち受ける艦娘との衝撃的な再会なんて、この時の俺達は考えもしなかった。




TIPS
先生は金剛達が私物に触れた事には本当に怒ってない。
よくある事だし、微笑ましいとも思っている……らしい。

・写真立て
写真に写っていたのは、真と、少し成長して髪が伸びている三原深月と、ネギ先生。

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