島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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酷かった誤字脱字を修正しました。
まだ残ってるかも。


第二十三話 俺の見たいもの

 勇気を持って一歩を踏み出す。

 いざ、朝潮の部屋へ。

 二人には、先に部屋に戻ってもらった。一人で行かなければならないと思ったのもあるし、朝潮に会った時の自分の感情がどう変化するか予測がつかないから、それを見られたくないというのもあった。

 動揺したり挙動不審になったり、どもったりする姿を友達にみせる勇気……なんてものは、さすがにいらないよね。

 

「すぅー……はー……」

 

 駆逐寮、二階。奥まった場所に、朝潮の過ごす部屋がある。階段の方から見て、右側。七番目の扉。

 この部屋が正解だというのは夕立から聞いている。

 重ねた手を胸に押し当てて、静かに深呼吸して気持ちを落ち着け、扉を見上げる。それから、二度、扉をノックした。

 さっと手を背に隠し、反対側の手で忙しなく横髪を()く。手袋と髪の毛が擦れるこそばゆさに、口先をすぼめ、ぺろりと唇を舐める。

 朝潮が出てきたら、どうしようか。どんな顔をすれば良いんだろう。……出てくるのは、朝潮じゃないかもしれない。ルームメイトは誰なんだろう。それは聞いてなかった。見知らぬ艦娘だと、ちょっと困ってしまうな。対応とか。

 そんな風に悶々と考えたりして、数分。

 カチューシャの位置を気にして弄ったのは、もう何度目だろうか。

 ……誰も出てこない。

 

「…………」

 

 再度ノックしても、反応はない。ノブを捻ってみれば……開いた。

 そうっと中を覗いてみると、室内はもぬけの殻だった。整頓されたベッド、窓際にたてかけられた折り畳み式の机、化粧台……。思わず見回してしまったけれど、この部屋には誰もいない。

 出かけているのだろうか。この部屋の全員が。……もしかして、出撃してしまった?

 

「…………」

 

 冷たい汗が背中を滑り落ちた。

 ……俺は、無駄に迷ったり悩んだり、そうやって会うのを先延ばしにしている内に、彼女と話す機会を無くしてしまったかもしれない。

 現状を正しく認識すると、鼻の奥がつんとして、視界がぼやけてきた。

 後悔や自責の念がわいてくるのを、頭を振って振り払う。目を(ぬぐ)って、一歩、後ろに下がる。部屋の外に出れば、支えを失った扉が独りでに閉まり、小さな音を響かせた。

 

 

 

「会えなかった?」

「うん……」

 

 部屋に戻った俺は、こみ上げてくる辛いものを堪えながら、二人に報告した。テーブルの前に膝をつき、そのまま正座をして、俯く。頭の中に靄がかかったみたいにぼんやりして、上手くものを考えられなかった。

 

「部屋には誰もいなかったっぽい?」

「……うん」

 

 夕立の問いかけに頷けば、彼女はううん、と唸って思案に耽った。

 

「朝潮に出撃の予定はなかったはず。だから、きっとこの鎮守府内のどこかにいる可能性が高いっぽい」

「……それ、ほんと?」

「嘘は言わないっぽい」

 

 俺へと向けられた夕立の目には、嘘や冗談の色は見られなかった。今ここで彼女がそんな事をする意味はない。でも、聞き返さずにはいられなかった。自分の過ちで、自分のミスで、したかった事や見たかったものが見れなくなって。

 でも、そうじゃないと、夕立が言った。そうならないかもしれない、って。

 (にわ)かに活気が戻ってくる。

 朝潮と話せない訳じゃない? 探し出して会う事ができれば、このままおしまいにはならない?

 

「島風ちゃん。一緒に朝潮さんを探しにいこ?」

 

 立ち上がった吹雪が、俺に手を差し伸べた。手の動きを目で追って、そのまま吹雪の目を見上げる。輝く瞳が、まっすぐに降り注いできていた。

 

 

 出撃や業務なんかがない艦娘は、トレーニングルームに行く事が多い。……夕張さんが教えてくれた事だ。

 だから俺達はまず、本棟のトレーニングルームに向かう事にした。食堂がある階と同じ、二階。資料室がある廊下とは、食堂を挟んで反対側。二部屋分の広さを確保した大きい所が、トレーニングルームだった。壁や柱の白が眩しく、降り注ぐ電気の光もまた眩しい。窓の少ないこの部屋の光源はそこみたい。

 室内にはダッダッダッと重い音が断続的に響いている。大きな機械や黒い長椅子(背もたれの無いやつ)などの向こう側。たぶん、扉からは見えない一番奥の方に、誰かが何かをしているらしい。朝潮……だろうか。

 

「入ってみなきゃわからないっぽい」

「そうだね……よし」

 

 清潔というか、健全な雰囲気の満ちる室内に入れば、機械の駆動音や、人の息遣いがよく聞こえた。複数。この部屋にいるのは、一人ではないみたい。

 

「わあー……トレーニングルームって、こんな風になってたんだ」

 

 吹雪が目を輝かせてきょろきょろと機械達を見回す。場所は知っていたけど入った事はなかった、だって。夕立は何度かここを使用した事があるそうだけど、吹雪の方は、先輩がたくさん来るだろう場所だからと気後れしていて、覗く程度しかした事がなかったみたい。

 それでも、朝潮を探すために一緒にここへやってきてくれたのだから、吹雪には感謝しなければならない。俺にできるせいいっぱいは、笑顔でありがとうを伝える事だけだけど……きっと、それでいい。下手に物で返すより、この気持ちの全部を渡した方が、きっと喜んでくれる。

 ……今は朝潮を探す事を優先しよう。恥ずかしいとか、そういう多くの邪魔なものが俺の心を阻んでいる。時間を置かないと取り除けなさそうだ。

 

 機械の点検をしているらしい一匹の妖精さんを横目に、奥へと進む。

 自転車みたいなペダルのついた横長の、だけど車輪のない機械や、椅子とハンガー……と言っていいのだろうか、棒がついてる機械とか(たぶん背筋を鍛える装置だろう)、そういうのにはあまり人がいなかった。

 あまり、というか、一人だけだ。

 一人だけ自転車っぽいやつでじゃこじゃこやってる艦娘がいたんだけど、それが、初対面にも関わらず苦手な印象を持っている人だったので、傍を通るのに少し躊躇ってしまった。

 

「龍田さん、怪我治ったっぽい……?」

「どうなんだろう。まだ腕に包帯してるよ?」

 

 歩きながら、吹雪と夕立が内緒話をするようにひそひそやる。

 龍田、そう、龍田だ。紫がかった暗めの髪を肩まで伸ばしていて、すらっとした体を白い薄手の……病衣? みたいなのに包んでいる。見慣れない格好。制服みたいな、黒くて、だけど胸元は白く胸を強調するようになっているあの服ではない。でも、頭の上に天使のわっかが浮いている。いやに機械的だけど。

 表情は窺えなかったけど、吹雪か夕立のどちらかの声が届いてしまったみたいで、ギッとペダルを止めた龍田が振り返った。

 左右にわけられた前髪。気弱そうに垂れた眉。紫色の瞳はどこか暗い。左目の端に泣きぼくろ。……一目ではおっとりとした印象しか抱けないが、彼女に目を向けられて足を止めた二人の様子を見るに……その印象は間違っているのだろうと確信できた。二人とも、少し体を硬くしているのがわかったから。……それはもしかしたら、先輩に会ってしまったから緊張しているだけなのかもしれないけど、たぶんそれだけじゃない。

 かくいう俺も足を止めて、彼女の顔を見返した。

 

「もうほとんど、怪我は治っているわよ~」

 

 間延びした声だった。耳に浸透するような、ゆっくりした声。ハンドルから手を離して体を起こした龍田が、腰を捻って右腕を見せる。右腕は、指先から、袖に隠れた肘の方まで包帯でぐるぐる巻きになっていて、肩から吊り下げられていた。骨折した人みたい。……え、艦娘ってこんな大怪我するの!?

 

「でも、天龍ちゃんが大人しくしてろって言うから~……もう大丈夫なのにねぇ」

「……その、それ、やってて大丈夫なんですか?」

 

 唇に指を当て、ふい、と天井を見上げて誰にともなく言う龍田に、おそるおそるといった様子で吹雪が問いかけた。あ、勇気あるなあ。俺なら絶対話しかけられない。

 それ、とは、その自転車みたいなやつの事だろう。大人しくしてなきゃいけないのなら、それをやっていていいのか。

 龍田は、だって、と不満気にこちらを見た。

 

「体を動かしたくてたまらないんだもの~」

「気持ちは……わかりますけど」

 

 ね、しょうがないでしょう? みたいに人差し指を立てて笑う龍田。彼女がやっていたいと言うなら、俺達が何かを言う意味はない。本当に駄目なら、誰かが止めるだろうし、天龍だってすっ飛んでくるはずだ。

 だからほら、早く先に行こう。すぐそこに朝潮がいるかもしれないんだよ。ほらほら!

 

「わ、わ、島風ちゃん、押さないでっ」

 

 まだ何か言いたげにしていた吹雪の背を押して、奥へと進む。ごめん吹雪、俺、あの人ちょっと苦手みたい。彼女に悪いところはないんだけど……ただ、俺があの人の笑顔を苦手だって思ってしまったってだけで。

 だからあまり、彼女の前に立っていたくなかったのだ。かなり失礼な事を考えているとはわかっているものの、気持ちの問題は如何ともしがたい。どうしたの、と声をかけてくる吹雪に首を振って曖昧に誤魔化し、隣を歩く夕立に目をやる。夕立は、龍田の方を気にして振り向いていた。背後からじゃこじゃこと音がしだす。

 

 奥には、ランニングマシーンがずらっと並んでいた。その内三つが使用中。一番奥の壁際にいるのは、緑色の制服に身を包んだ……たぶん、大井? 何やら必死の形相でマシーンの手すりをがっちり掴み、ひたすら足を回している。……あれって降りられなくなってる訳じゃ……ないよね。

 小さな窓の前には、窓越しの空を見上げながら緩やかに走る鈴谷と、その横で、壁をじっと見つめて同じ速さで走る青葉がいた。二人共緑色のジャージを着ている。……艦娘の裏側を見ている気分になってきた。いやまあ、ずっと同じ服って方がありえないのはわかってるんだけど。

 

「……いないね、朝潮」

「そうっぽい。ここじゃないみたいね」

 

 お目当ての人物がいない事に肩を落とす。……すぐに会えるほど話は甘くないか。

 

「どうしよう。次は、体育館に行ってみる?」

「体育館は――」

「おや、あなた達は……」

 

 夕立が何かを言いかけた時、ふと気配が近付いてきた。ランニングマシーンから下りた青葉だった。首にかけた白いタオルで、額に滲む汗や首筋をささっと拭いた彼女が俺達をぐるりと見回し、それから、俺の顔を見て動きを止めた。

 

「島風さん。すみませんねー、まだ記事は書けてないんです」

「はあ……そうなんですか」

 

 いきなりなぜ謝ったのかと思えば、一昨日の取材の話か。それで広報紙を作るつもりなんだ。

 

「あ、みなさん、ちょっとそのまま!」

「え、あの、私達急いでるんですけど……」

 

 はっとした青葉は、俺の両隣に立っていた吹雪と夕立の肩を押して俺にくっつけると、さっと両手を広げた。床に向いた両手の傍に、どこから現れたのか、妖精さんが二匹駆け寄って、抱えていたものをぶん投げた。手帳と鉛筆。その二つをキャッチした青葉は、立てたえんぴつをこちらに突き付け、片目をつぶって三歩ほど下がると、何やら手帳に書き始めた。……いや、だから、急いでるんですけど……。

 と思っていたら、できた! と青葉。……記事が? 速いなあ。

 

「見せてほしいっぽい」

 

 そそっと寄って行った夕立につられてか、吹雪もついていって青葉の横から手帳を覗き込む。わあ、と感嘆の声。俺も気になってしまって、二人にならって青葉の傍に移動し、手帳を見た。

 

「……これ、私達の絵?」

僭越(せんえつ)ながら描かせていただきました。これを記事に掲載しても、よろしいでしょうか?」

 

 横並びに三人立って、少し見上げた形の俺達が描かれている絵。さらさらっと鉛筆を動かしていただけだというのに、結構細かいところまで描き込まれている。俺達のぽかーんとした間抜け面とか。……いや、夕立だけなんか決め顔してる。にやりと口の端を吊り上げて悪そうな笑みを浮かべている。

 

「お上手っぽい」

「光栄です! ちらっ」

 

 ちら、と青葉が俺を窺ってきた。……擬音を口に出してなかった? 今。

 

「こんな素敵な絵なら、こちらからお願いしたいくらいです」

「ありがとうございます! あとは文章を思いつくだけ……それでは失礼します!」

 

 笑顔から一転、真剣な表情でランニングマシーンに飛び乗った青葉は、そのまま動く床の上を走り出した。あれは、あれかな。走ってるとアイディアが浮かぶ的な……。そういえば、手にしていた手帳やらがいつの間に消えている。妖精さんが回収したのだろうか。

 

 目をつぶって走る青葉を横目で見た鈴谷が、くすりと笑みを零していた。

 

 

 本棟を出た俺達は、今度は体育館へと移動した。

 

「……どうしたの? 夕立ちゃん」

「んー、んんー……それが思い出せないっぽい」

 

 さっきから指先で額をとんとん叩いて難しい顔をしている夕立に声をかければ、そんな言葉が返ってきた。思い出せない病にかかっているらしい。あんまり話しかけてもっと忘れさせたりしちゃったら悪いし、そっとしておこう。

 

「ここだね」

「そういえば吹雪ちゃん、体育館って鍵かかってないの?」

 

 扉の前に辿り着いた時に、ふと浮かんだ疑問を吹雪にぶつける。ないよ? どうして? と首を傾げられた。

 

「それは、ほら、勝手に入っちゃう子がいたり……」

「……?」

 

 ……あれ? 俺、何か変な事言ってるかな。吹雪が理解してないような顔してる。

 必要ないのかなあ、鍵。悪い事をする人はいないって事?

 ここに住まう人達の善性について考えつつ扉を開き、身を滑り込ませる。外から覗き込むだけでも良かったかもしれないけど、吹雪や夕立も見るだろうから、見やすいようにと中に入った。なんの気なしに、というか、善意から起こした行動というか。まさかそれが吹雪を失う事に繋がるとは、この時の俺は思ってもみなかった。

 

「……那珂ちゃん先輩?」

「川内先輩と神通先輩もいるね」

 

 最初に目にしたのは、壇上に立つ那珂ちゃんだ。アイドルらしい綺麗な衣装――改二の衣装で、両手に持ったマイクを胸に抱いて、やや前のめりでステージ下を見ていた。ステージ下には、吹雪が言った通り、川内と神通がいる。タン、タンとリズムを刻むようなステップを踏みつつ、二人同時に左上へ腕を伸ばし、腰を揺らして……踊りの練習してる?

 ちなみに、この二人は改二の衣装ではなかった。改造されてないのかも。

 

「……?」

 

 那珂ちゃんが俺達に気付いて顔を上げ、ぱっと顔を輝かせた。なんだか嫌な予感がしたのと、「思い……出したっぽい……!」と夕立が呟いたのは同時だった。

 

「じゃじゃ~ん! ()えある那珂ちゃん親衛隊に選ばれるラッキーでハッピィーな子の発表だよ! じゃららららら……そこのキミだーっ!」

 

 びっしと白手袋に包まれた指を突き付けられたのは、はたして誰だったのか。振り返った川内と神通は、「げっ」とでも言いそうな顔をした後に、目を逸らした。……なんだろう、その反応。踊りの練習してるの見られたのが嫌だったのだろうか。なんて考えていれば、川内がこちらを見て手を上げ、ちょいちょい手招きした。

 

「そこの君。えーと、名前なんだっけ? 黒髪の君」

「わ、私?」

 

 自分を指差して驚く吹雪に、あ、俺じゃなかった、とちょっと動揺してしまう。黒髪の君、と言われて、一瞬自分の事かと思ってしまった。今は金髪みたいな髪色なんだった。

 

「ご、ごめんね、ちょっと行ってくるね」

「え、うん。……え?」

「吹雪ちゃん……骨は拾うっぽい」

 

 先輩に呼び出された後輩な感じで川内の方へ走っていく吹雪に、夕立がナムーと手を合わせた。……何やってんの?

 川内と神通に囲まれた吹雪の前に、ステージから下りてきた那珂ちゃんがマイクを押し付ける。

 わたわたと受け取る吹雪。何を教え込まれているのかわからないけど……あれって、すぐに抜け出してこられそうにないんだけど。

 そういえば、さっき那珂ちゃんは親衛隊を発表すると言って吹雪を呼んだ訳だけど……親衛隊? ……ファンの強制確保? 那珂ちゃんや川内だけでなく、神通からもそれぞれ話しかけられて、あっちにこっちに首を回して目をぐるぐるさせている吹雪は、明らかな混乱の中でこちらに手を振ってきた。中途半端に持ち上がった腕が左右に揺れ、『た・す・け・て』『ヘ・ル・プ』と信号を送ってきている。……たぶん。

 ……………………。

 とりあえず、ぐっと親指を立てて前に突きだしておいた。あの中に飛び込んで行く勇気がない。というか、飛び込んだら最後、長時間拘束されて朝潮に会えなさそうな気がするんだ。

 

『し、島風ちゃんっ、夕立ちゃん~!』

『さあ、那珂ちゃんと一緒に歌って踊ろう!』

 

 キーンと鳴ったスピーカーから悲鳴と元気な声が流れてくる。

 夕立を見れば、彼女は神妙な顔で頷いた。吹雪は置いていくしかない。そう言っている気がした。

 

「撤退!」

 

 号令をかけ、開けっ放しの扉から外に飛び出す。

 ごめん吹雪。君の事は決して忘れない……!

 

 

「最近体育館は那珂ちゃん先輩の練習場に変わっているのを思い出したっぽい」

「……何か思い出そうとしてたのは、それだったんだね」

 

 そういえば、トレーニングルームでも何か言いかけてた気がするし。

 吹雪と涙の別れをした俺達は、次はどこに向かうかを話しつつ本棟へと向かっていた。

 トレーニングルームにも体育館にもいなかった。演習でないならABCのどの海域にもおらず、遠征や出撃はない。いるだろうと予測できる場所は、後は入渠ドックか娯楽室か。

 入渠ドックはお風呂代わりにもなるし、くつろげる場所もある。娯楽室にはダーツやビリヤードだとか、ちょっぴり大人の遊びが多く取り揃えられているらしい。

 

「そういえば、由良さんがみんなと休むって言ってたような」

「むむむ……もしかしたら、外に出てるかもしれないっぽい」

 

 執務室での由良と提督の会話を思い出しつつ夕立に伝えれば、朝潮がこの鎮守府にはいないかもしれないという予測がなされた。まさか。それだと、夕刻までに朝潮が帰ってこなかったら……。

 

「まだそうと決まった訳ではないっぽい。とりあえず、娯楽室に行ってみるっぽい!」

「うん……」

 

 もしそうだったらを考えると立ち止まりそうになってしまったけれど、夕立がことさら明るい声で元気づけてくれたので、止まる事はなかった。

 

「安心して。あたしは最後まで一緒に探してあげるっぽい」

「夕立ちゃん……ありがとう!」

 

 優しい言葉に、胸が詰まってしまって、ちょっと泣きそうになってしまった。

 俺なんかのためにそこまで言ってくれるなんて。嬉しくて、だから夕立に笑いかけると、彼女も笑みを返してくれた。俺の肩をぽんと叩き、先に行こうと促す。

 

「……それにしても、吹雪ちゃんには悪い事しちゃったね」

 

 歩き始めると、いい年して感極まって涙ぐみそうになっていた自分を恥ずかしく思い、誤魔化すように吹雪の名前を出した。

 助けを求めてきたのに置いてきてしまったのは、ちょっと恩知らずだったかな。反省……。

 これで嫌われたりしないといいんだけど。この埋め合わせは……ううん、できるのだろうか。

 

「見つけたわ!」

 

 吹雪の怒る姿が思い浮かばなくて眉を寄せていると、後ろから声がしたので、足を止めた。……なぜ夕立はホールドアップしているのだろうか。

 

「夕立! あなた、宿題は終わってるのかしら?」

「……ぷぉい」

 

 ずんずんと歩み寄ってきたのは、(いかずち)だ。電の姉妹。わ、近くで見るとほんとにそっくりだ。髪の色も、目の色も似てる。違うのは、あふれ出る元気さと勝気さ? 左の髪にあるヘアピンや、襟についたⅢの形のバッチも、電とは違う部分。

 

「明日の宿題係私なのよ? ちゃんと提出してくれなきゃ困っちゃうわ!」

「……了解っぽい」

 

 曖昧な返事をした夕立の前に回り込んだ雷は、腰に手を当てて夕立の顔を覗き込み、鼻先に指を突き付けた。

 ……夕立、目を逸らしながら言っても説得力ないよ。

 

「またマコトに怒られてもいいの? ほら、私が手伝ってあげるから、宿題終わらせちゃいましょ!」

「えー、夕立は島風ちゃんのお手伝いで忙しいっぽい~。ね?」

 

 雷に腕を掴まれた夕立が、ね、ね、とウィンクして俺に必死のアピールを飛ばしてくる。……ひょっとして夕立、俺と一緒に朝潮を探す事を名目に宿題をサボろうとしてた?

 …………。

 

「いいよ、後は私一人で探すね。ここまでありがと、夕立ちゃん」

「だって! さ、行くわよ!」

「まま待って欲しいっぽい! 夕立の知識は必ず島風ちゃんの役に立つっぽい! だから――」

 

 なんか命乞い染みた言葉を口にしながら雷の手によってずるずると引きずられ、夕立は連行されて行った。なむー、と手を合わせておく。

 

「さて、気を取り直して……」 

 

 とりあえず、この本棟にある娯楽室に行ってみよう。場所は三階だったかな。……さっそく夕立の知識が欲しくなってしまった。ええと、どこかに案内図はないのだろうか。

 三階に行って端から端まで探してみたり、一階に戻って、広々としたロビーにびっくりしてみたりをして、数十分かけて娯楽室に辿り着いた。三階の入ってすぐにあったので、あれだけ探したのはなんだったんだ、と自分の不注意さに落ち込んだ。

 再度気を取り直し、娯楽室に入ってみる。中は薄暗く、窓が少ない。三つ並べて置かれたビリヤードの台には、遊びに使うのだろう棒を手にした叢雲が立っていた。

 

「あ、ど、どうも」

「…………」

 

 俺に目を向けた叢雲は、なぜだか知らないが怒っているみたいだった。

 いや、この暗さのせいでそう感じているだけだろうか。叢雲は、体を折って棒を構え、先の方に手を添えて、台の上の球に狙いを定めた。

 彼女を見ていると気まずくなってくるので、部屋の中を見回す。

 壁も床も、赤と黒からなる柔らかな布……カーペットや壁紙になっていて、まさに大人の遊び場、という感じがした。壁にかかってるピザみたいなのは、ダーツだろうか。部屋の奥の方には、大きなピアノと、遊技台がいくつかあった。

 ここにも朝潮はいないみたい。なら、長居は無用だ。

 そう思って部屋に背を向け、外に出ようとしたのだけど。

 

「待ちなさい」

「へぅ!?」

 

 鋭い声が背中に突き刺さるのに、思わずぴーんと背を伸ばしてしまった。はっとして口を塞ぎ、さっきの変な声を無かった事にしようとする。

 おそるおそる振り返れば、叢雲は棒を布で拭いているだけだった。目は伏せられている。痛いくらい、静かだった。だから俺は、先程聞こえた彼女の声が本当にあったものなのかわからず、しばらくの間、直立していた。

 

「アンタは」

 

 どれくらい固まっていたのだろうか。

 キュ、キュと音が鳴るだけの空間に、水滴が落ちるように冷たい声が広がった。

 細く開かれた目が俺に向けられる。電灯が発するオレンジ色に照らされて輝く夕日色の瞳。いっそう寄せられた眉は、彼女が何かに対して強い不快感を抱いているのを表していた。

 呼びかけられたまま、また少し沈黙があった。俺も彼女も何も言わずに、ただ目を合わせて立つだけの、辛い時間。そろそろ変な笑いが出そうになってきた頃に、ふっと叢雲が目を逸らした。

 ほぁー、と止めていた息を吐く。心臓が脈打つ音が耳の奥に響いていて、それで、自分が凄く緊張している事を自覚した。

 

「……何をしているの?」

「えーと、それは……」

 

 なぜ、そんな事を聞くんだろう。それはわからないけど、でも、答えない訳にはいかないだろう。

 それがたとえ、明らかに彼女が最初に言おうとした何事かではない言葉だとしても、だ。

 

「朝潮を探してるんです。その……会いたくて」

「朝潮を?」

 

 腰の後ろに回した両手でスカートのゴムを弄りつつ、一言付け足す。オウム返しに言った叢雲は、それなら、外に出てるわよ、と思わぬ情報をくれた。

 

「そ、外って、この鎮守府の外……ですか?」

「ええ。ここで言う外とは、そういう事よ」

 

 あ、そうなんだ。

 たぶん正式に決まった呼び方ではなく、艦娘達の間でそういう風に言われているのだろうけど、俺はそれを知らなかった。外って言う機会はそうなかったし。

 ……じゃなくて。

 そ、外に出てるって事は……じゃあ、もう、俺は……彼女の。

 

「……お昼頃には戻ってくると話していたわね」

 

 目の前が暗くなるような感覚に俯いていると、ぼそりと叢雲が言った。

 ……それは、本当の話なのだろうか。ほんとに朝潮はお昼前に帰ってくるのだろうか。……もう一度、会えるのだろうか。

 

「……正面ゲートの前で待っていたら?」

「そうします。……ありがとうございます、叢雲さん」

 

 教えてくれて。

 頭を下げると、叢雲は何も言わずに棒を構え、こつんと球を突いた。

 これ以上話す気はないみたい。彼女の邪魔をしないよう、外に出るとしよう。

 再度頭を下げて、ノブに手をかける。扉の方に向き直る一瞬、叢雲が俺を見た気がした。

 

 

 本棟正面玄関から真っ直ぐ、舗装されたコンクリートの道路を少し行ったところに、クリーム色のゲートがあった。叢雲が言うには、ここから帰ってくるらしいけど……外の人間には秘匿されているはずの艦娘が、正面から堂々と帰ってくるものなのだろうか。

 一本の木の下でゲートを眺める事、十数分。ビー、と大きくなったブザーに肩を跳ねさせ、開き始めたゲートを見る。やがて一台の乗用車が入って来た。ピンク色の、小さな車。気のせいか、運転席に由良がいたような。

 ……そ、そういう風に来るなんて想定してなかった。だから、車が本棟の方へ走って行って、広場で右に曲がり、進んでいってしまうのを見送る事しかできなかった。

 ……あっ、追いかけなくちゃ!

 たったかと追いかけていくと、駐車場に辿り着いた。大小様々な車が止まっている。……こんな場所、あったんだ。ここを案内されなかったのは……する必要がないから、か。

 

「朝潮!」

 

 奥まった一角に止まった車のエンジンが止まり、ぞろぞろと人が降りてくる。深雪に五月雨に、満潮に荒潮、そして朝潮。最後に運転席から、由良。呼びかけながら走り寄れば、全員がこちらを見た。みんな外行き用なのか、普通の服を着ている。

 

「朝潮!」

「どうしたのですか?」

 

 いつかの新入り、とか、誰かしら、とか、朝潮以外の声は耳に入らなかった。

 驚いている彼女の手をはっしと掴んで両手で包み込む。彼女はますます目を丸くして、どうしたのかと聞いてきた。

 白いシャツに黒いスカートといったクラシックな洋服。おしゃれなベルト。朝潮の装いは、彼女の魅力を引き立てて、お人形さんみたいに仕立てていた。

 

「ちょっと! なんなのよあんたは!」

 

 息を整えつつ彼女の姿を視界に収めていると、横合いから伸びてきた手が俺の手をはたいて、朝潮の手から離れさせた。満潮だ。朝潮と似たような、やや幼い服装の彼女は、俺と朝潮の間にずいと割って入ると、まなじりをつり上げて俺を睨みつけてきた。

 

「満潮、この人は……」

 

 すぐにでも俺の胸倉に掴みかかってきそうな勢いの満潮を、朝潮がなだめる。俺が朝潮を救った張本人なのだという説明がなされると、はあ? こいつが? とあり得ないものを見る目で満潮に見られた。視線の先はうさみみリボン。

 

「満潮ちゃん? 間違ってしまったら、言わなければならない事があるわよね~?」

「う……す、ご、しつ…………でした」

 

 荒潮に促されて苦い顔をした満潮は、素直に……素直に? 何やら謝罪らしき言葉を口にした。言葉を選んでたみたいだけど、あれ? 結局そういった類の言葉は話されなかったような。

 でも、恨めしそうに、しかしどこか恥ずかしそうに頭を下げた彼女に言及する気にはなれず、彼女が横に退いた事で見やすくなった朝潮の顔を真っ向から見た。

 どうしたのですか、と再度の問い。

 

「私ね、ここを出て、別の鎮守府に行く事になったんだ」

「! ……それは、いつですか?」

 

 今日。今日の、夕方。そう告げると、朝潮はびっくりしてしまったみたいで、少しの間何も言わなかった。

 

「それはまた、急ですね。……おめでとうございます。帰る場所が見つかったんですね」

「……素直に喜べないかな」

 

 寂しそうな顔をしてくれる彼女に強い安堵を抱きながら、そんな事を言ってしまう。

 こんなの、わざわざ人に伝える気持ちではないのに。だけど俺は、朝潮に何か言って欲しくて、わざと口に出した。そうすれば彼女は、俺を気遣ってくれた。

 

「ねえ、この鎮守府を出てく前に、お願いしたい事があるんだ」

「なんでしょうか。この朝潮にできる事なら、なんでも言ってください」

 

 とん、と胸を叩いてみせる彼女に、思わず笑みを浮かべてしまう。頼もしくも微笑ましい。きりりと引き締まった表情は格好良く、かわいい。

 

「笑って欲しいんだ。朝潮に」

「……?」

 

 笑顔を見せてほしい。

 それが、俺が朝潮に会った時に言いたかった事で、俺の見たいものだった。

 これを言うのには勇気が必要だ。だから、胸の中にある色々な力を振り絞って彼女に気持ちを伝えたのだけど、彼女はあまり理解していないみたいだった。『それは新しい暗号なのでしょうか?』とでも聞き返してきそうなくらい。

 

「なあなあ、笑って欲しいってどういう意味だ?」

「さあ……?」

 

 傍で成り行きを見守っていたのだろう深雪と五月雨が小声で言葉を交わすのが聞こえた。……俺の言葉、誰にもわかってもらえてない?

 いや、ちらりと横目で見た由良さんは微笑ましげにしていたから、きっと理解してくれている。でも、肝心の朝潮は駄目みたい。

 だったらわかってもらえるまで言葉を重ねるだけだ。

 

「私、朝潮の笑顔がとっても好きなの。真面目な君がはにかんでくれるのが好き。その笑顔を、別の鎮守府にまで持っていきたいの」

「私の……笑顔を、ですか?」

 

 最初の一言でさえ顔が真っ赤になってしまいそうなくらい恥ずかしいのに、それだけではまだ理解してくれなさそうだからと、言えるだけ言ってみれば、ようやく良い反応が得られた。

 そう、朝潮の笑顔。目を細め、柔らかく笑う君の顔が見たい。姉さんに似た君の笑顔が。

 ――いや。姉さんは今、関係ない。朝潮だけを見なきゃ。彼女の笑顔だけを望まなきゃ。朝潮に姉さんの面影を見るだなんて、そんな事しちゃいけない。

 

「その……まっすぐそう伝えられると、恥ずかしくなってしまいますね」

「う、ごめん」

 

 頬に朱が差した朝潮が、照れたように少しだけ顔を(そむ)けた。その仕草さえかわいらしい。

 

「……ふふっ。私などの笑顔でよければ、いくらでも持っていってください」

 

 作り笑いではなく、どうやら心底からの笑顔で彼女がそう言うのに、こくりと頷いた。

 

「離れたって、朝潮の事は忘れないからね」

「私も、あなたの事は忘れません。受けた恩も……いずれお返しします」

 

 空色の瞳が瞬く。そっと手を握り合った俺達は、互いに互いを忘れないと約束し、笑いあった。

 これでもう、怖いものはなくなった。いつでもここを発つ事ができる。

 大丈夫。たとえ島風(ほんもの)を知る誰かに会ったとしても、俺は(シマカゼ)だ。問題なんてきっとない。

 だから、大丈夫。

 

 

「――所属が判明したというのが間違いだったとは、どういう事ですか!?」

「すまない。ほんっとうにすまない」

 

 放送が入ったので、荷物を纏めて執務室にやってきた俺に最初にかけられた言葉は、謝罪だった。

 

「ごめんなさいなのです。電のせいで……」

「いや、電のせいじゃない。俺がろくに確認もせずあいつの言葉を信じたからで……」

「ちょ、ちょっと待ってください! じゃあ、私が前にいた鎮守府って……!?」

 

 手提げ袋を取り落として机に詰め寄る俺に、申し訳なさそうにした提督が事情を説明した。

 昔の俺を知っていて、俺を探していたどこかの提督というのは藤見奈提督の血縁で、その人がすぐにでも引き取りたいと言うのを真に受けて俺に通告した。だが実際は、その提督の(もと)に過去に島風が着任していた形跡はなく、建造やドロップしない事に悩んでいた矢先の問い合わせに飛びついて、嘘を並べ立てたらしい。藤見奈提督が聞かされた島風の過去話も、電が今手にしている書類も全部うそっこで、藤見奈提督は相手が血縁ゆえにころっと騙されてしまったという訳だ。

 机に両手をついて何度も頭を下げる提督を、電も咎める事なく、むしろ電さえも頭を下げている。

 べ、別に、どこにも所属してなかったって事がわかったのはいいし、謝らなくたって怒ってないけど……あ、あはは……俺、あの、朝潮に……ああー!

 

『朝潮の笑顔がとっても好きなの』

『離れたって、朝潮の事は忘れないからね』

 

 頭の中に響く自分の声。握った朝潮の手の温かさ。照れたように笑う彼女の顔。

 だ、だめ。はずかしすぎて死ぬ。はずか死にする。

 あああー! 間違いだってわかってたなら、あんなに恥ずかしい事は言わなかったのに!!

 

「すまなかった。最大の便宜は図る。補償もする。どうか、許してほしい」

「……顔をあげてください。いいです。いいですよ、提督」

 

 私をここに置いていてくれるなら。

 ただそれだけ言った俺に、提督は困惑した様子で、できうる限りの補償を、と言葉を重ねた。

 ……よくよく考えてみれば、今回の件は、彼がそんなに謝るほどの事ではない気がする。咎められるべきは嘘を吐いた血縁の提督の方だ。書類を偽造してまで藤見奈提督を騙した。きっと、俺の知らない島風の過去話は、提督が早期に決断してしまうような、そういう同情心を煽るようなものだったのだろう。たしかにその判断力や決断力を彼の欠点として責める事はできるだろうが……。

 ……なんて推測に意味はない。大事なのは、俺はここにいられるのか、という事への答えと、次に朝潮に会った時にどんな顔をすれば良いのか、だ。

 さよならを交わしたのに、あんな事を言ったのに、次の日にばったりなんてしたら、居た堪れなさ過ぎる。そ、そうだ。俺の異動はなしになった事をみんなに伝えてもらおう! それがいい。それが俺の求める補償だ。

 

 なんとか自分を納得させて提督に伝えれば、彼は二つ返事で俺がこのまま第十七艦隊に身を置いていて良いと言ったし、俺の知り合いに俺がここで過ごす事を伝えてくれると約束してくれた。ついでにとってつけたように頼んだシュガータールも調達してくれるみたい。

 そこまでしてくれるなら、もう俺に言う事はない。荷物を戻すのは少し面倒だけど、幸い量は少ないし。

 

 それにしても、ほんっとーに良かった。

 俺はまだ、ここにいられるんだ。

 この事をさっそく吹雪や夕立に伝えるために執務室を退出し、手提げ袋を抱えて走った。

 二人が今地獄に身を置いている事など、この時の俺の頭からはすっかり抜け落ちていたのだが……それは些細な話。

 二人は大いに喜び、一緒に笑ってくれた。

 手を取りあえば、この場所と、この子達と繋がっている、一緒にいられるって実感がわいてきて、少々うるっときてしまった。

 

 こうして俺は、正式にこの鎮守府の一員となったのだった。




ようやっとスタート地点に立てました。
これからも様々な事が主人公の身に起きていきます。
引き続きお楽しみください。

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