島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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第二十二話 勇気

 朝潮には、朝食の時に会えるかなって思ったけど、寝坊助さんの出現に阻まれて会う事はできなかった。

 三人だけで部屋に戻る。叢雲は、どうやらまた港の方に行っているらしい。確認した事が無いから本当にそうかはわからないけど。

 

「ねえ、島風ちゃん。本当に昼食の時間まで待つの?」

 

 困ったように問いかけてくる吹雪に、頷いて返す。昼なら夕立も起きているし、二人とも、今日は授業が無いらしいし、それならすぐに食堂に行けるだろう。

 

「ほんとのほんとにお昼まで待つの? もしかしたら、お昼前にここを出る事になっちゃうかもしれないんだよ」

「……うーん」

 

 そう念押しされると、弱ってしまう。

 二人がどこかから持ってきてくれた真新しい手提げ袋に衣服を詰め込む手を止めて、傍に立つ吹雪を見上げる。

 俺の準備が終わって、向こうとここの準備が整えば、きっとすぐにでも発つ事になる。提督も、ええと、前の提督も、それを望んでいるみたいだし。

 そう考えればたしかに今すぐにでも朝潮の下に行かなければならない気がするけど、でもやっぱり、心の準備が……。

 

「……あ」

「行く気になったっぽい?」

 

 ベッドに背を預けてファッション誌を読んでいた夕立が顔を上げる。二人とも、どうしても俺に今すぐ行かせたいみたい。

 でも、俺が声を上げたのは、違う要因だ。

 

「夕張さんや明石……さんに、今日ここを出る事になったって伝えなきゃ」

「どうして?」

「装備の開発を頼んでたの。明日までには仕上げるって言ってたけど、ほら、今日になっちゃったから」

 

 何が、を省いて説明すれば、納得したように頷いた夕立は、雑誌を閉じてベッドの上に置くと、立ち上がって俺の前にやってきた。

 

「吹雪ちゃんについていくっぽい」

「私に、じゃなくて?」

 

 俺を見ているのに、俺じゃなく吹雪の名前を出す夕立を不思議に思ったけど、吹雪ちゃんは島風ちゃんについて行く気満々っぽい、と指差した。

 横にいた吹雪は、何やら服を正したり、髪を撫でたりしておめかししている様子。

 やがて「よし!」と気合を入れると、「さあいこ、島風ちゃん!」と俺を急かした。……いや、別に、ついてくるのは構わないけども。……今の吹雪の毛づくろいみたいなのはなんだったんだろう。

 

 

「明石さんも夕張さんも、凄く忙しそうだったっぽい」

 

 寮を出て、明石の工廠へ向かう道すがら、夕立が昨日の明石の様子を話して聞かせてくれた。妖精さんもびゅんびゅん飛び交っていて、まさにフル回転! といった感じだったらしい。来客に対応しようとした夕張さんが小さな缶を踏んづけて転んでいたんだとか。……その話は必要だったのだろうか?

 明石の工廠に近付くにつれ、騒がしさが増してくる。工廠前の木材が積み重なっているエリアには、妖精さんが忙しなく行き交っていた。見慣れた工廠妖精さん……がうじゃうじゃ。同じ顔があっちにこっちに……。ちょ、ちょっと貧血が……。

 

『おお君達か。無事で何よりだ』

「ひゃ!?」

 

 突然後ろから飛んできた意思にびっくりして、思わず飛び退いてしまう。うわ、今俺の喉から凄い恥ずかしい声が出た。

 ばくばくいう胸を押さえつつ、意思の出所を探して背後の地面を見回す。……いた。工廠妖精さん。……ひょっとして彼女は、あの孤島で俺達と共にいたリーダー妖精さんだろうか。

 

『中に用事かね。……呼んだから、そこで待っていると良い』

「あ、うん。ありがと……ございます?」

 

 なんとなく敬語でお礼を言えば、可愛らしい敬礼をしてくれた妖精さんが背を向けて仲間達の下に行こうとして、途中で足を止め、俺達を振り返った。

 

『そうそう、コンビニに新メニューの妖精フィギュアが入荷しているから、ぜひ味わってくれたまえ』

「……うん」

 

 ……味わう? たぶん、味わい深いだとか、じっくりと、的な意味の意思だったのだろう。

 それにしてもどこかで聞いた事のあるような言い回しだ。……ひょっとして、妖精さんの意思を文章にするのって、聞いた者によって違ってくるのだろうか。たとえば、金剛さんが妖精さんと意思を交わしたとして、妖精さんの言葉が全部カタコトになっていたりだとか……。

 憶測の域を出ないし、考えてもしょうがないか。

 

「お待たせしました! あ、あなた達ね。どうしたの?」

 

 妖精さんの集団に消えて行ったリーダー妖精さんの姿を目で追っていれば、明石がやってきた。今日も頬が煤けている。位置が微妙に違うので、その日その日についてる汚れみたい。

 

「えーと、D……ごにょっていうのは、どれくらい開発が進んでますか?」

「ああ、進歩が気になったのね。夕張が頑張ってるから、形になってきてるよ。でも、まだまだ時間がかかりそうなの」

「そうですか……」

 

 兵装の名前が思い出して誤魔化し交じりに聞けば、装備の開発にはまだかかると言われて、困ってしまった。俺の様子を怪訝に思ったのか、どうしたのかと問いかけてくる明石に、今日の夕方にここを出る事になってしまったと伝えた。

 

「夕方……それはまた、急ね」

「すみません。お願いしたのに、こんな事になってしまって……」

 

 むむ、と顎に手を当てて難しい顔をしていた明石は、俺が頭を下げると、ぱっと笑顔になって「心配しないで!」と拳を握ってみせた。

 

「急ピッチで進めれば、完成までには持っていけるから。動作テストができないのが心配だけど……」

「大丈夫なんですか? えと、体の方は……」

 

 彼女達の身を案じて、でも、一言だけじゃ装備の心配をしているととられそうだったので、つけたした。

 明石は、「疲労回復はお手の物だから、三日間通しでも問題ないよ」と、俺の心配を払拭した。

 それでも悪いと思う気持ちはなくならなかったけど、そう言い切る明石を前にして俺がうじうじしていても仕方ないので、お願いします、と頭を下げた。

 

「任せて。仕上がったら提督に伝えるから、安心して待っててね」

 

 戦艦に乗ったつもりでいてね、と冗談めかして言った明石は、急いで工廠内に戻って行った。

 

「新しい装備、ちょっぴり羨ましいっぽい」

「へへ」

 

 工廠を離れつつ、夕立と言葉を交わす。夕立は、初期装備か、教材の模型にしか触れた事がなくて、そういうのを羨ましがっているみたい。吹雪はどうなのだろうと顔を向ければ、何やら考えを巡らせている様子だった彼女は、俺を見て、それから、一歩前に出た。

 

「よし、栄光の第一艦隊の赤城さんに会いに行こう!」

 

 俺達の前に出て後ろ歩きをしながら吹雪が言った。ふんすと息を吐くのは、気合いの表れだろうか。

 輝く瞳を向けられても、俺は「急に何言ってんのこの人」くらいしか思えなかった。

 

「何がどうしてその結論に至ったの?」

「えーと……秘密!」

「赤城さんに会いたいだけっぽい?」

 

 嬉しそうに笑って、理由を話さないと言った吹雪に、夕立が核心をつく言葉を投げかけた。それは俺も思った。でも、吹雪がそれだけで俺まで連れて行こうとするとは思えない。

 

「ち、ちがうよっ?」

 

 あせあせと手を振って否定する吹雪に、夕立がわざとらしく訝しげな視線を送った。おや、吹雪苛めかな。俺も加わろう。

 じとっとした視線を吹雪に注げば、彼女は眉を八の字にして弱り切ってしまった。それでも理由を話す気はないらしい。

 

「わかった。赤城さんの所にいこっか?」

「んー、賛成するっぽい。でも、赤城さんがどこにいるのか、吹雪ちゃんは知ってるっぽい?」

「あっ……」

 

 あって言ったよこの子。赤城さんのいる場所、知らないんだ。

 それでどうやって会いに行くのかなー、とじと目を再開すれば、吹雪ちゃんはまたぶんぶんと両手を振って、

 

「だ、大丈夫! きっと大丈夫だよ、たぶん! あはは……」

 

 そんなに焦ってて自信なさそうな「大丈夫」では、いくら吹雪が言ったとしても信用できないよ。夕立が横で「騙されちゃいけないっぽい」と呟くのが聞こえた。……うん、さっき「信用できないよ」なんて考えたけど、実際は吹雪が笑って大丈夫と口にすれば、本当にそんな気になってしまうから、なんでもかんでも彼女の言葉を信じてしまわないよう気をつけなければ。……とはいえ、吹雪は吹雪だし、悪い事なんか言わなそうだしやらなそうだし――広報紙の件は悪い事ではなかった――、赤城さんの場所がわからない事にしても、吹雪に責はない。いる場所がわからないなら、探しに行けば良いだけだ。

 

「今日の赤城さんは出撃の予定も演習の予定もないっぽい。いるとしたら、食堂か寮か修練場っぽい」

 

 ……夕立が物知りなのは昨日おとついで十分わかっていたつもりだけど、さすがに個人の行動を押さえているとまでなると、少し引いてしまうのだけど。

 

「それはわかってるんだけど」

「あ、わかってるんだ」

 

 吹雪は夕立の言葉に、当然といった様子で頷いた。……ひょっとして、おかしいのは俺なのだろうか。

 でも、他の艦娘の行動や日程なんて知らないし……ああ、そこは、ここで過ごしていれば自然と知れるようになってくるのかな?

 

「とりあえず、空母寮に行ってみよ?」

「おっけー。……競争する?」

「かけっこ? 夕立ったら、結構速いっぽい!」

 

 行き先が決定したので、ふとなんの気なしに道中の遊びを提案する。夕立は即座に乗り気になって、不敵な笑みを浮かべた。吹雪も、自分の性能には自信があるみたい。特型の意地、と言うとなんか格好良い。

 まあ、かけっこは俺が一番だったんだけどね。

 

 

「おお、おはよう。……キミら、そんなに急いでどうしたん?」

 

 敷地内に入ってすぐの駆逐寮と違って、空母寮は修練場が併設されている関係上、一番奥にあるので、わりかし距離があった。だから、結構な体力が持っていかれて、ぜーはーと息を荒げる俺達に、一つの寮の入り口前にいた龍驤が声をかけてきた。紙飛行機を手に首を傾げた龍驤は、しかし次に、ああ、と納得したようだった。

 

「ほほーん、わかったで~。キミ、戦艦じゃなくて空母を目指す事にしたんやな~」

 

 ならうちを目指すといいで! これ程の船は他におらん! とない胸を張る龍驤に、いやいや、違うよと頭を振って否定する。う、リボンが揺れるのさえ苦しい。遊びに全力を出す必要はなかったか? でも、みんな全力疾走してたから、手を抜いて走るなんてできなかったんだ。結果、遠い空母寮まで駆けっぱなしで、ふう、ふう……よし、そろそろ息が整ってきた。

 

「赤城に用事? 赤城なら今朝がた弓道場に向かってそれっきりやけど……」

 

 んく、と空気を飲み込んでしまって、少し咳き込みながら、まだ苦しげに膝に手をついている二人に変わって質問する。よし、弓道場……修練場ね。

 

「ありがと、ございます。ふ、吹雪ちゃん、夕立ちゃん、行ける?」

「う、うん。はぁ、ふぅ」

「…………」

 

 夕立が息してない。

 と思ったら、ぷはぁ、と大きく息を吐いて、その後にゆっくり深呼吸をしだした。そういう呼吸法? 夕立がすぐに息を整えたのを見て、吹雪も真似して息を止め、顔を赤くしている。……あ、我慢できずにぷはっとやった。魚みたいに口をぱくぱくして酸素を求めている。

 吹雪が落ち着くのを待っていると、ふと、誰かが近付いてくる気配がした。

 

「戦艦でも空母でもないものを目指していると言うのなら……そうか。君は航空戦艦志望なのだな」

 

 日向だった。今日は艤装を身に着けておらず、なんだかすっきりとしている。言葉はちょっと意味が分からなかったが、彼女の真面目な顔を見ていると、たぶん幻聴か何かだったのだろうと判断できた。

 

「だが、駆逐艦の君には艦載機は乗せられないんだ。残念だけど……」

 

 幻聴じゃなかったらしい。こちらに憐れむような眼差しを向けてくる日向は、どうやら本気で言っているみたいだった。いや、航空戦艦も目指してないけど……なんでそんなに残念そうな顔をしているのだろう。

 

「それはそうとして、私は龍驤に話があるのだが」

「うち? うちは全然構わへんけど」

 

 ちら、とこちらに視線を向ける日向。どうやら俺達はお邪魔のようだ。吹雪もだいぶん楽になってきたみたいだし、さっさと修練場の方に行くとしよう。

 日向と龍驤に挨拶してから、俺達は修練場へと移動した。

 

 修練場……弓道場とも呼ばれているらしい横長の建物は、木造だった。寮三つ分くらいの横幅がある。結構広い。でも、入り口はわかりやすい場所にあったので、行き先に迷ったりはしなかった。ただ、勝手に中に入っていいのか少し悩んでしまった。

 それに、吹雪がまた息、荒くなってるし……というか、なんか辛そうだし。

 どうやら緊張しているみたいだ。これから憧れの人と会うというのだから仕方ないのかもしれないけど、まだ会う前からこんなだと、いざ目の前にしたら卒倒するんじゃないかと心配になってくる。

 

 さて、中に入ってしまうと、すぐ靴を脱ぐ場所があった。玄関……やっぱりここは入り口で間違ってなかったみたい。人の気配のない廊下が前に続いている。左側の角には水道があった。水飲み場。

 廊下を進んでいけば、準備室だとか、居間のような部屋を見かけた。壁に古ぼけた避難経路の図が貼ってあって、それでこの建物に中庭がある事がわかった。

 もし赤城さんが鍛錬をしているのなら、中庭にいるだろう、と夕立が言うので、俺達は中庭に向かう事にした。……いつの間にか並び順で吹雪が一番後ろになっている。ここに来ようって言ったのは吹雪なのに。

 

「吹雪ちゃん、大丈夫?」

 

 足を止めた俺につられて振り返った夕立が、吹雪の身を案じる。

 

「き、緊張して……ふぅ」

 

 額に手の甲を当てて上を見上げた吹雪は、それから両手で顔を拭うと、もう大丈夫、と弱々しく笑った。……そんなに強い緊張を感じるなんて、赤城は吹雪に何をしたのだろう。

 

 中庭は、長方形の短辺に人の立つスペース……木板の床があって、途中から奥の方まで土と草が広がっていた。

 滑りの良いスライド式の木扉を開けて中を覗き込んだ俺は、中に立つ人を見て、はたと動きを止めてしまった。赤城……赤城さんだ。

 ちょうどこちら側に体を向ける形になって弓を構え、矢羽をつまんで弦を引いている。強い眼差しが、ここからは見えない的を見据えていた。

 ぴんと張りつめた空気。呼吸をするのも憚れるような、厳とした雰囲気に、扉に両手をかけたまま覗いていると、俺の体の下に潜り込んだ夕立が、同じように扉に手をかけて顔を出し、そっと中を覗いた。慌てて吹雪も夕立の下に体をねじ込む。……辛そうな体勢だけど大丈夫なのだろうか。

 だんご三姉妹な状態で赤城さんに視線を戻す。彼女は集中しているのか、俺達には気付いていない様子で、同じ構えのままでいた。

 艶やかな黒髪を光が流れる。凛々しい横顔が、こちらにまで緊張感を伝えてくる。手に汗を握ってしまうような、不思議な圧力。

 

「――!」

 

 やがて、ガシャンという音とともに矢が放たれ、一瞬後に的に突き立つ気持ちの良い音が鳴った。直撃。的が見えていないのにも関わらず、俺は矢が的の中心に突き刺さったのだろうと確信した。

 額に汗を滲ませ、弓を下ろした赤城さんに向けて、ぱちぱちと拍手をする。つられてか、夕立と吹雪も手を打って彼女の勇姿を称えた。

 だが赤城さんは、素早く、体ごとこちらに向き直って、鋭い目で射抜いてきた。手が止まってしまう。剣呑な光を瞳にたたえた彼女は、少し……いや、結構怖かった。

 

「あら、吹雪さん」

「あ、あっ、ひゃい!」

 

 すぐに、それが嘘だったみたいに柔和な笑顔になった赤城さんに、知らずほうっと息を吐いた。一番下の吹雪が四つん這いのままぺたぺたと部屋の中に侵入し、跳ね上がるように立ち上がって気をつけのポーズをする。わあ、がっちがち……。夕立と一緒に部屋の中に入り、吹雪の両隣りに立つ。

 

「一緒にいるのはお友達かしら。初めまして。私は赤城」

「夕立よ」

「シマカゼ、です」

 

 名前を交わすと、赤城はまず、先程睨んだ事を詫びてきた。どうにも気配なく近付かれるのが苦手らしい。彼女の眼光に晒されて肝が冷える思いだったが、こんな美人さんに謝らせてしまうと、俺が悪い気さえしてきた。……勝手に入って勝手に覗き見していたのだから、悪いと言えば悪いのだろうか。

 

「それで、どうしたの?」

 

 着ている物の関係か、両腰に手を当てるような格好で吹雪に問いかける赤城さん。袖が捲られて腕が露わになっているのが涼しげだ。

 

「あ、あのっ!」

 

 余裕があって、立ち姿も表情も穏やかな赤城さんに対して、吹雪はテンパっているようだった。両手を前で揃えて、気持ちが逸っているかのように大きな声を出す。落ち着かせた方が良いのだろうか。背中を撫でてやる、とか。

 なかなか言葉が出てこないらしい吹雪だったが、赤城さんは、そんな彼女の言葉をじっと待ち続けてくれた。急かしも促しもしない。そうすると、その内吹雪は落ち着いてきたようで、一度大きく息を吸って吐くと、赤城さんを見上げた。

 

「前に私に言ってくださった事を、もう一度……聞きたいんです」

「私が、言った事を……?」

 

 ふむ、と思案顔になる赤城さん。

 吹雪の言う『前』とは、前に一度会った時の事だろう。というか、一度しか会ってないって言ってたし、それしかないか。

 それを聞くためにここまで来たのか。……でも、なんで俺達を連れて?

 赤城さんは、わかりました、と頷いた。あの日貴女(あなた)に言った事を、そのままね? と確認を取る。吹雪は、はい、と大袈裟に頭を振った。

 

「ある人が言った」

 

 目をつぶり、その言葉を思い出すように、また、誰かに想いを馳せるように、赤城さんが言う。鮮やかな唇が、優しくも確かな言葉を紡ぎ出す。

 

「明日会えなくなるかもしれない私達だから、大切な気持ちは今伝えよう」

 

 ――――。

 心に冷や水を浴びせられたかのように、一瞬思考が止まった。

 クールだけど、ほんとは誰よりも熱い心を持つ人の言葉です。そう言って笑う赤城さんを見上げ、それから、吹雪の後姿を見やる。

 

「貴女が海を怖いと思っても、それは咎められる事じゃない。その気持ちを誰かに伝える事を怖がらないで。私達は、いつでも、いつまでも貴女の味方なのだから」

「はい……!」

 

 感極まったように返事をする吹雪に、赤城さんは笑みを零して、これで良いかしら? と俺達を見回した。頬に朱が差している。同じ言葉を繰り返すのは恥ずかしかったのだろうか。でも、躊躇いや何かはなかった。彼女の言葉は本物だったから。

 ……吹雪は、もしかして。

 

「赤城さん」

 

 ふと、冷たい声が聞こえた。

 囁きのような声量。あまり感情のこもっていない、なんだか怖い声。

 

「あら、加賀さん」

 

 出入り口を見れば、加賀(かが)が立っていた。どこかキツイ印象のある無表情を赤城さんに向けている、サイドテールの女性。赤城さんと同じような格好だけど、袴の色は青い。前に見た加賀はクールな人ってイメージだったけど、実際に見ると、暗めで怖いと感じてしまうのは、彼女がまさに暗がりに立っているからだろうか。ちょうど出入り口の辺りは窓がないから、日の当たらない場所になっている。大きめの窓がある室内とは結構違う。顔に影がかかっていて、目つきの悪さがいっそう際立っていた。

 

「赤城さん、ちょっといいかしら」

「ええ、少し待ってて」

 

 出入り口から動かないまま呼びかける加賀に待ったをかけた赤城さんは、俺達を……吹雪を見下ろした。まだ何かあるかしら、と聞いてきているみたいだ。吹雪は、びしっと背を伸ばして「そのっ、あ、ありがとうございました!」と敬礼した。

 

「それでは、私は行くわね。あまりここに長居しては駄目よ」

「はい。すぐに出て行きます」

 

 そう言って加賀の方へ向かって歩き出した赤城さんは、出入り口で振り返ると、吹雪さん、と呼びかけた。

 

「貴女の活躍に期待しているわ。頑張ってね」

「は、はいっ!」

 

 焦りと喜びが混じったような吹雪の返事に満足したのか、赤城さんは目を細めて微笑むと、加賀に連れられてどこかへと行ってしまった。

 

 

 場所を移して、甘味処間宮。四人席に三人で座った俺達は……いや、俺と夕立は、向かい側に座る吹雪が、両肘をつき、両手で頬を押さえて完全にどこかに旅立ってしまっているのを眺めていた。

 

「はぁ~ん……赤城さん、格好良かったなぁ……」

「その気持ちは、まあ、わからないでもないけど」

「吹雪ちゃんが赤城さんに憧れる理由もわかるっぽい。あんな姿を見せられたら、魅了されない訳がないっぽい。一寸のずれもなく的の真ん中に射られた矢……一航戦の誇りは伊達じゃないっぽい?」

 

 饒舌に赤城を評する夕立に、しかし吹雪はトリップしたままだ。大丈夫なのかな、この子。色々と。

 このままではなんにも話ができないので、彼女の手を掴んで揺すり、現実に引き戻す。

 

「あ、あれ? 赤城さんは?」

「吹雪ちゃん、大丈夫?」

 

 間宮まで自分の足で歩いてきたというのに、まるで覚えてないとでも言うような言葉に呆れてしまって、思わずそう問いかけたのだけど、吹雪ははっとして誤魔化し笑いで切り抜けた。

 

「それで、吹雪ちゃん。私を赤城さんの所に連れて行ったのって、ひょっとして……」

「うん。あの言葉を聞いてもらいたかったんだ」

 

 やっぱり。

 大切な気持ちは今伝えよう。それは正確には赤城さんの言葉ではないみたいだったけど、彼女の言葉は、たしかに俺の胸に響いた。

 

「私が言っても、きっと説得力なんてなかったから……どうしても赤城さんの言葉で、赤城さんの声で伝えたかったの」

「島風ちゃんが消極的に朝潮に会おうとするのを変えたかったっぽい?」

「そうだよ。だって、島風ちゃん、そんな風にしてて、もし最後まで朝潮さんと話せなかったらって思うと……」

 

 悲しそうに目を伏せた吹雪は、次には、力強い目を俺へと向けた。

 だから、なんとかして勇気を持ってもらいたかったの。一歩を踏み出す勇気を。

 俺の手を取った吹雪の言葉には、熱がこもっていた。それらはすべて俺に向けられたものだった。

 

「吹雪ちゃん……」

 

 ……勇気、受け取ったよ。

 君がそこまでしてくれたのに、朝潮と会える機会を待とうだなんて言えないよ。

 だから、勇気を持って、俺から会いに行く。

 『大丈夫』だよね。きっと朝潮は、嫌な顔なんてしない。だから、大丈夫。

 

 俺が自分から朝潮に会いに行くと宣言すると、吹雪と夕立は、頑張って、と俺を励ました。

 俺と朝潮の間にわだかまりがある訳でもなく、喧嘩したりしている訳でもないのに、ここまでさせてしまった。それを申し訳なく思うと同時、嬉しくも思った。だって、俺のために動いてくれたのだ。俺の事を考えて。

 

「それじゃあ、朝潮さんに会いに行こっか」

「うん!」

「でもまずは、その前に腹ごしらえするっぽい。せっかく間宮に来たんだし」

 

 あ、それもそうだね。お店に入ったのに、お水だけ飲んで帰るなんて失礼だ。

 でも、俺、お金持ってないから、なんにも注文できないんだけど。

 なんて思っていたら、事情を察した吹雪が奢ってくれる事になった。

 なんか情けない。

 

「ありがとう、吹雪ちゃん。……でも、お金、大丈夫?」

「うん、大丈夫!」

 

 お財布事情を心配してそう聞けば、彼女は明るく笑って「大丈夫」と言った。隣で夕立が何か言いたそうにしていたのが気になったけど、吹雪の言葉を信じて、運ばれてきたクリームソーダに舌鼓を打つ事にした。

 

 ……赤城さんの言葉。

 吹雪は、自分が言ったって説得力なんてなかっただろう、なんて言っていたけど、そんな事ないって思った。

 きっと吹雪がそう言って、そして「大丈夫」と笑ってくれれば、俺は勇気を持てていただろう。

 長いスプーンで氷を掻き混ぜながらひっそりと考え、それから、間宮のアイスに蕩けている吹雪を見る。

 ……彼女達と別れるのは寂しいけど、永遠のお別れじゃない。……きっといつかまた会えるよね。

 別の鎮守府に行ったら、早くそうなれるように精進しよう。

 そのためにまずは、ちゃんと『島風』として生きるようにしなくちゃね。


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