島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

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遅くなってごぬんね



色々誤字脱字を修正しました。
夕張を湯張りと誤字るとか許されざるね。


第十六話 案内

お腹が満たされたせいか、少しばかり眠くなってしまって、目を擦りつつ食堂を後にした。廊下を行く叢雲の背をぼんやりと眺めながら追う。

 お皿を返す際に見た、お礼を言った時の鳳翔さんの微笑みや、部屋を出る時に見た、数枚のお皿が積み上がった前で静かにカレーを食べ続ける赤城の顔なんかを思い浮かべて、笑みを零す。穏やかな光。……廊下に差し込む陽光の事だ。まだ昼前の爽やかな光は、先程の食堂と同じ暖かさを感じさせてくれた。

 建物を出て、T字の道を今度は左へ。『修理・建造ドックの反対側。寮の前を通って、その先。妖精の(その)の向こう側』。そこが、夕張が構える工廠のある一画。

 

 コンビニエンス妖精とやらは、前を通った時に見た限りでは、やたら大きなコンビニというだけだった。はたして何が売っているのだろうか。燃料とか、鋼材とか? そのすぐ隣、コンクリート壁に囲まれた場所が、妖精の園と呼ばれているところだろう。普通の人が通れそうな扉の脇に妖精さんサイズの小さな扉があって、傍に建つ2メートルほどの番小屋らしき物には小さな窓があって、その向こうには、門番役なのか、警備員みたいな格好の妖精さんが一人座っていた。……うつらうつらと舟を漕いでいたけど、あれは……あれで、大丈夫なんだろうか。

 

 さて、やってきた夕張の工廠は、明石の工廠と外観は同じだった。ただ、周りを囲むようにある塀には、ゲートの代わりか、地面に続く道の先に長方形の穴が開いていて、右への(くだ)り階段と、奥の方に巨大なクレーンがあるのが見えた。海がすぐ傍にあるのか、ほのかに(しお)の香りがする。もう嗅ぎ慣れた匂いだ。

 工廠の前に角材木材が置かれているのは明石の方と一緒。でも、中の様子は結構違う。トラックやらはないし、大型のよくわからない機械もない。ただ、壁際に沿って銀色の台があり、その上にずらっと艤装のような物が置かれていた。天井からは吊り電球に混じって、艦載機の模型みたいなのが吊り下げられていて、展示会みたいだな、と安直な感想を抱いた。

 

「とりあえず……入ってみます?」

 

 入り口を前にして立ち止まった叢雲がこちらを振り返るので、それがどういう意図なのかを考えつつ問いかけると、頷いて返された。……ああ、彼女が動くのを待たずに行動を起こさねば。ここにいるであろう夕張と約束しているのは俺だから、彼女に先導してもらうってのは変だ。案内してもらう流れでここに来たから、同じように動くと思ってしまっていた。叢雲が歩き出したら後を追う、みたいな。

 建物内に足を踏み入れる。外から見えていた通り、中はさほど広くなく、ここは単に物を運び込んだり置いておいたりするだけの部屋なのだろうとわかった。入って右側にスライド式の扉がある。夕張がいるのはその奥だろうか。

 扉の前に立ち、少し迷ってからノックすると、「はいはい!」とくぐもった声。ぱたぱたと慌ただしい足音がして、曇りガラスに影が映る。ガラリと扉が開けば、夕張が姿を現した。何も装備していない身軽な体に、深緑色のエプロンをかけている。胸元にある『yubari』の刺繍が可愛らしい。その名前が()()()()()というのは悲しい事なのだろうか。

 

「あ、来たのね。入って入って! ……あ」

 

 女性に対して結構失礼な事を考えていれば、彼女は俺に手招きしつつ部屋の方へと体を向けようとして、そのさなかに動きを止めた。ゆっくりと振り向いて顔を向けた先は、俺の後ろ。そこには叢雲がいるだけだけど……どうしてか夕張の表情が少し硬くなった気がして、気になった。

 

「……叢雲ちゃんも上がって」

「……ええ、お邪魔するわ」

 

 お互い、何か思うところがあるかのような声音だ。二人の間には何かがあったのだろうか。喧嘩してる……とかではなさそう。俺の考えの及ばないような、何か深い事情でもあるのだろう。安易に触れない方が良さそうだ。しかしふと、『あれ、どうしたんですか二人とも。そんな怖い顔しちゃって』なんて笑顔で問いかける自分の姿が脳裏をよぎったのだけども、さすがにそれは能天気すぎるし、それで空気が重くなったら嫌なので、ここは部屋の中に興味がある振りをして二人の様子には気付いていないという事にした。いや、興味があるのは事実だから、嘘ではないか。

 今度こそ部屋に入った夕張に続く。部屋の中は結構広かった。全体的に鈍色で、鉄みたいに重い雰囲気がある。それはあちこちにある工具や作りかけの物体Xだったり、大きな魚雷を抱いているピンク頭の艦娘のせいだったりするのだろう。

 ……ん? いや、ピンク頭は華やかだけど……。

 

「適当なところにかけて待ってて。すぐ準備しちゃうから」

 

 エプロンで手を拭きつつぱたぱたと駆け、部屋の奥にある扉の向こうへ行った彼女を見送ってから、窓際のパイプ椅子に座っている少女を見る。ぱっちりとした目と目が合った。

 

「およ」

 

 提督のいたあの部屋でも見た、潜水艦の艦娘、ゴーヤだ。スク水にセーラー服という出で立ちは変わらず、首に下げていた望遠鏡の代わりに大きな魚雷を抱えて撫でていた。……撫でていた。見間違いじゃない。ペットや何かにするような優しい手つきだった。その動きは、俺と目が合った今でも止まっていない。

 

「新入りさんだ。こんにちはー!」

「こ、こんにちは?」

 

 大きな声で元気な挨拶。少々戸惑いつつ答えると、あ、まだおはようでした、と訂正された。ああ、うん。おはよう。

 

「ゴーヤはゴーヤでち。新入りさんの大先輩なのでち。だいっだいっだいっだいっ大、先、輩! なのでち!」

 

 あ、うん。先輩として敬って欲しいんだなー、ってのは痛いほど伝わってきた。

 とりあえず自分の艦種と名前を言うと、ゴーヤはむふんとふんぞり返って、薄目でこちらを見てきた。……なんか催促されてる気がする。なんだろう……えーと。

 

「……よろしく、先輩さん?」

「うんうん。新入りさんはお利口さんでち。いーい? ゴーヤはずーっとこの鎮守府にいる大先輩なんだから、でっちなんて気安く呼んじゃ駄目なんだからね!」

「でっち……?」

「でっちじゃないでち!」

 

 一瞬それが、語尾からきた渾名なのだとわからなくて聞き返すと、彼女は椅子を倒しそうな勢いで立ち上がって抗議してきた。呼ぶなとむくれられても、その振る舞いにでっち先輩と気安く呼びかけたくなってしまって困る。親しみやすい雰囲気というか……ああ、ひょっとしてそのせいででっちって呼ばれてるのかな、ここのゴーヤは。

 

「ゴーヤ、先輩?」

「ん! そうそう、ゴーヤ先輩、だよ。新入りさんは以後、口の利き方に気をつけるよーに!」

「はーい」

 

 なんだろう、室内なのに風を感じる。でっち先輩の方から。

 ……なんだろうな、片手を腰に当てて偉そうにしているのが微笑ましくて、全然嫌味じゃない。話していて欠片も緊張を感じさせない相手というのは貴重だ。だからか、俺はもう、でっち先輩が好きになり始めていた。

 

「そういえば、でっ……ーヤ先輩に聞きたい事があるんですけど」

「質問? いいよ。なんでも聞いて?」

 

 彼女の横へ移動しつつ、前から気になっていた「潜水艦娘は水中で呼吸ができるのか」を聞いてみた。

 

「当然! 水の中で息ができなくっちゃ、溺れちゃうでしょ?」

「潜水中の移動って、やっぱり泳ぎなんですか?」

「そうでち。ゴーヤの泳ぎは誰にも負けないでち!」

「泳ぎ比べ……ううん、魚雷はどうやって放ってるんですか?」

「魚雷さん? 魚雷さんは、こう……こう……でち!」

 

 壁に背を預けて質問を重ねれば、彼女は嫌な顔一つせず答えてくれた。手にしていた腕より太い魚雷を両手で持って、こう、と放る仕草をする彼女に、自然と笑みが浮かんでしまう。

 

「叢雲もこっちに来たら?」

 

 では、魚雷はいったいどこから取り出しているのか、を聞こうとして、不意にでっち先輩が叢雲へと顔を向けた。つられて、そっちを見る。所在なげにしていた叢雲は、ゴーヤの呼びかけにすぐには答えず、少しの間俺達を眺めていた。

 

「まだここに慣れてないの? ゴーヤは、そろそろ叢雲とも仲良くお話ししたいでち」

「別に……そういう訳ではないわ。ただ……」

 

 慣れてない、とはどういう事だろうか。

 叢雲は、俺と同じようにここに来て日が浅いって事?

 言い淀んだ叢雲は、それきり口を(つぐ)んでしまって、何も言わなかった。ただ、こちらへやって来て、ゴーヤを挟んだ反対側の壁に背を預けた。

 

「『こっち』に来て、もうずいぶん経つでち」

「……そうね」

「まだ……忘れられないでち?」

「忘れられるものではないわ。でも、大丈夫よ。気にしないで」

「なら、いいでち」

 

 やはり、叢雲には何かしらの事情があるのだろう。言葉からして考え無しに聞いてしまっていいようなものではなさそうなので、ここは黙って成り行きを見守っている事にした。

 ……そう思ったのだけど、二人の会話はさっきので終わったらしい。話している際のどこか重い雰囲気はもう無くなっていて、ゴーヤは小さな笑みを浮かべて魚雷を撫でだした。たぶん、言葉の外でなんらかの意思がやりとりされたのだろう。それは、妖精さんとするような『曖昧だけど明確なもの』ではなく、場の雰囲気や相手の言動から読み取る類のもの。今の俺では彼女達から読み取れるものは少ない。付き合いが浅いために、表面的な事しか推測できないのだ。観察眼のある人間なら、初対面でもその考えの全てを知る事ができるのだろうか。

 

「はい、お待たせ!」

 

 ちょうど良いタイミングで、奥の扉から夕張が出てきた。エプロンは外されていて、見知った服装になっている。露わになっているおへそが眩しい。……あ、俺もおへそ出してた。むむむ……もはや羞恥さえわかない。これは良い兆候なのか悪い兆候なのか。

 

「夕張、できたの?」

 

 落ち着いた色合いのポシェットを肩にかけている夕張の手には、双眼鏡が握られていた。でっち先輩の言葉はそれを指してのもの、なのかな。

 

「一応はね。最終的な調整は、やっぱり使ってみてもらわないとできないわ」

 

 でも、妖精が宿ったから、もうほとんど完成しているのと同じよ。

 ゴーヤに双眼鏡を手渡しながらの夕張の説明に、宿る? と首を傾げてしまった。それが、その双眼鏡がどういった物なのかを不思議がっているととられたのか、夕張の目が俺に向いた。

 

「これが気になるかな?」

「えーっと……。……はい」

「やっぱり? これはね、潜水艦娘専用の兵装、水中双眼鏡なの」

 

 なんだか説明したそうだったので、邪険にできず頷けば、彼女は嬉々として双眼鏡の説明を始めた。

 水中望遠鏡を改修して作り出した物で、潜水艦娘の能力をもう少し引き出し、視界をより遠くまで伸ばす事ができて、ついでに構えている間は簡単なソナーとなって敵性反応を検知し、妖精さんが伝えてくれるようになっているらしい。

 改修……夕張が開発した物、なんだ。

 ちらりとでっち先輩を見やれば、双眼鏡を覗き込んで室内を見渡していた彼女は、双眼鏡からにゅるりと出てきた妖精さんに気付いて手を下ろし、見つめ合った。声のないやりとり。お互い朗らかな笑みを浮かべているのを見るに、初顔合わせは上手くいっているようだ。

 

「それじゃ、私は行くから。後で感想聞かせてね?」

「任せるでち。この装備の性能を全部引き出してやるでち!」

 

 力強いでっち先輩の答えに満足したのか、うんうんと頷いた夕張は、俺達の顔を順繰りに見て、お待たせ、と改めて言った。双眼鏡の説明を受けていた俺は待ったような感じはしていないのだけど、叢雲はどうだったのだろう。ここに入って来た時と同じ表情だけど……。

 

 

「改めて、私は夕張。軽巡洋艦よ」

「シマカゼです。駆逐艦です」

 

 工廠の前まで来て、初めて彼女と名を交わす。そういえば、自己紹介がまだだったな。俺は向こうの事を知っているから気が付かなかった。普通に話していたし。

 三人並んで歩き出す。右が夕張、左が叢雲。……単横陣? あの砂利道は、三人並んで歩ける幅はあったかな。

 

「島風ちゃんって呼んでいいかしら」

「構いません。あなたの事は、夕張さんと呼んでも?」

「ううん、呼び捨てでも良いんだけど……そんな急には無理かな。ええ、どうぞ」

 

 呼び捨てか。面と向かってだと、なんだか違和感が強い。たぶん、彼女の方が俺より背が高いからだ。精神的、前の肉体的に見れば俺の方が年上だったのだけど、今は彼女の方がどう見ても年上で、その奇妙な認識の違いが、呼び捨てを躊躇わせる理由……かな。

 

「さて、案内はどこまで進んでる?」

「本棟の食堂への道と、明石の工廠とあなたの工廠だけね」

「そう。じゃあ、まずは……」

 

 俺を挟んでの、叢雲と夕張、さん、の会話。最初に顔を合わせた時の、お互い言葉を詰まらせるような感じが、今はしない。気にしないでおこうと思ってたけど、そういうところに気がついてしまうと、どうしても気になってしまう。

 

「夕張さんは、なぜ工廠を開いてるんですか? ……人手不足?」

「そういう訳じゃないのよ。ただ、ちょっとね……」

 

 気を逸らすために、コンクリート壁に開いた出入り口へと案内しようとする夕張さんへと問いかければ、彼女はどこか言い辛そうに、自分の工廠を持つに至った経緯を話してくれた。

 装備の試し撃ちや、使う事が好きで、着任当時からそういった役割を買って出ていた夕張さんは、次第にその仕組みや構造にも興味を持ち始めた。試すだけでは気が済まなくなり、明石の工廠に飛び込んで、点検や修理に携わるようになった。

 明石の所に……って、なんだろう。弟子入りでもしたのだろうか。あ、それで認められて店を立ち上げた……みたいな?

 

「そー、その、ね……? ちょっと、趣味が高じて、買っちゃったのよ」

「……何を、ですか?」

「工廠。土地と建物」

 

 ……ええー。それは、なんというか……思い切った事をするなあ。

 あ、買った、という事は、ひょっとして艦娘って、お給金とか出てるのだろうか。

 

「……引いた?」

 

 壁に四角く開いた出入り口を抜け、手すりの無い低い階段の上へ出ると、夕張さんは立ち止まって、どこか不安そうに聞いてきた。いいえ、と首を振る。そういう思い切りの良いのは好きだし、引いたりなんてしない。頭に浮かんだ言葉をそのまま言えば、彼女は「よかった」と安心したように笑った。

 

「でもこういうのって、やっぱり変な趣味なんじゃないかって時々思うの」

「素敵な趣味だと思いますよ、私は」

 

 海に向かって高く伸びるクレーンを見上げ、ただ思った事を口にする。潮風が頬を撫でて、髪を揺らした。海の煌めきは、いつどこで見ても綺麗で、素敵だ。

 そう言ってもらえると嬉しいな、と彼女は笑った。

 

「良い物を作れば作るだけ、誰かが笑顔になって、それで評価されて。そういう場所なのよ、ここは」

「……でも、不安になる?」

「まあ、そこは、ね?」

 

 今のって、この鎮守府全体の案内?

 たぶん、そうなんだろう。ここは、夕張さんがのびのびと、好きな事をできる場所なんだ。

 そういう場所なのと変な趣味ではないかを気にするかは別みたいだけど。

 実際どうなのだろう。機械弄りが趣味の女の子って。……うーん、普通な気がする。

 

「さ、ここを見て。ここは、昔軍艦が停泊していた場所。今はただ、海を眺めるだけの場所になってるんだけどね」

 

 階段を下り、平坦な石製の地面が広がる場所から、コ型に隔たれた海と陸地の境目を眺める。それから、水平線。遠くに島の陰影がある。……いや、あれは『近く』に分類されるのか。朝潮は、鎮守府近海には島はなかったって言ってたような気がするし。

 

「今は、軍艦はないの?」

 

 見える範囲にない、まだ見た事の無い物の名前を出す。

 もし一隻もないなら、あれやこれやの全てが艦娘任せという事になる訳だけど……。

 俺の疑問は、その通りだった。軍艦と呼べるような船は、深海棲艦が現れてから艦娘が助けに入るまでの数年の内に軒並み沈められてしまったらしい。

 そこら辺の話は、今詳しく聞くべきではないだろう。気になるけど、どう考えてもすぐには終わらないだろうし、後で自分で調べるとしよう。今が西暦何年かくらいは、聞いても良いかもしれないが……いいや。一つ知ったら二つ目が知りたくなる。

 港をぐるりと回って、海沿いに進む。煙突みたいな用途不明の建造物や、所々にあるクレーンみたいな謎の何かが気にかかるが、わざわざ説明を受ける必要性は感じられなかった。もし艦娘に必要な物なら、教えてくれるだろうし。

 遠くにフェンスが見えてくる。それから、小さなマンションみたいな建物群。その正体をようやっと聞く事ができた。あれは艦娘の寮らしい。駆逐寮だとか軽巡寮だとかが密集している。一番後ろに見える横長の建物は、空母用の修練場らしい。……弓道場? 空母の、と聞くとそんなイメージがわいてくる。

 

 俺が寝泊まりする事になるであろう駆逐寮内部の案内は、後ほど叢雲がしてくれるらしい。……当の彼女は先程からずっと黙っているのだけど、大丈夫なんだろうか。話しかければ答えてはくれるけど……。

 でっち先輩や夕張さんに会ったからこそ、改めて感じる、彼女の話しかけづらい雰囲気。こちらと一枚壁を隔てた向こう側にいるような、つまるところ……一匹狼というか。

 悪い子でないのは、ここまでのやり取りでわかっている。だからきっと、この雰囲気は、生来のものというよりは、彼女の事情によるものなのだろうと推察できた。人には人の人生がある。艦娘にも、生きてきた分だけの蓄積がある。画面の向こうならばそのほとんど全てを知れただろうけれど、今は同じ場所に立っているから、手探りで交流していくしかない。時折冷たく重い気配を発する彼女の笑顔を見てみたいと思ってしまうのは、おかしいだろうか。

 

 足を進め、ちょうど、ドック……明石の工廠の裏側へとやってきた。体育館みたいな大きな建物の傍らに、小さなお店がある。赤い暖簾に『やみま』の文字。右から読む形式だ。間宮さんのお店? 横の大きな建物はなんだろう。

 その疑問はすぐに氷解した。体育館だ、これ。外観から、扉の形状までそっくりそのまま、かつて学生の時に何度も足を運んだ体育館だった。実際の名前もそのままらしい。なんでこんな物がここにあるんだろう。……いや、用途はわかるけど、場違いというか、激しく合わないというか。これなら白いラインの引かれた運動場とかの方がまだマシだ。……別に体育館に何か悪いところがあるという訳でもないけど。

 

「出撃や業務の無い人は、ここや、本棟にあるトレーニングルームに足を運ぶ事が多いの」

 

 体を鍛えたり体力を伸ばしたりするトレーニングは、艦娘にはあまり効果が無いらしいけど、代わりに体をスムーズに動かせるようになったり、僅かに強くなったりするらしい。つまりは、走り込みなんかをすると経験値が少し溜まる……みたいな?

 作戦行動中における判断力を養うのは、主に演習だったり正規の訓練だったりするらしい。正規の……やっぱり、こういう場所って、起床時間から訓練からと、なにからなにまできっちり時間が決まってるのだろうか。

 

「そういう訳じゃないんだけど……みんな、きっちりやりたがるのよ」

 

 夕張さんに聞いてみたら、それは違うとわかった。ここは確かに鎮守府と呼ばれるれっきとした軍事施設なのだけど、WW2時代の大日本帝国海軍や、海上自衛隊と比べると規律や規定は厳しくなく、緩くぼかした規則の上で艦娘達は過ごしているらしい。これは、この鎮守府に限った話ではなく、日本各地にあるどの基地でも同じなのだという。

 

「どこの基地も泊地も鎮守府も、私達のための作りに変わったの。」

 

 目に見えない規範や規則などだけでなく、目に見える建物の位置や作り、施設なんかも、そういう風になっている。

 「私達の自由意思をできる限り優先しようとしているんじゃないかな」、と夕張さんが締め括った。

 

「体育館、ちょっと覗いてみる?」

「はい。お願いします」

 

 入口の方を指しつつ俺を見る夕張さんに、ぜひ、と答える。久し振りに中を見てみたいと思ったのと、もしかしたら内装が知っているものとはかけ離れているのではないかという期待からだ。

 入り口に手をかけた夕張さんが、ガラガラと小さな音をたてて扉をスライドさせる。弾んだ調子の歌が聞こえてきたのは、その時だった。

 

「那珂ちゃんはぁ~、ア・イ・ド・ル、だぁ~かぁ~らぁ~♪」

「いぇーい」

「いえーい……」

 

 静かに扉が閉じられた。

 ……今、少し開かれた扉の隙間から見えた限りでは、ステージ上で那珂ちゃんがマイク片手に歌っていて、ステージより下にはその姉妹艦である川内と神通が、小さな棒を掲げて左右に振っていた。

 

「使ってるみたい」

「……そうですね」

 

 夕張は、なんて事ないようにそう言って、扉から離れた。

 ……なんだかいけないものを見てしまったような気がするんだけど。

 叢雲の方を見れば、彼女もなんだか微妙そうな顔をしていた。

 撤退。そそくさとその場を離れ、甘味処間宮へと足を運ぶ。中まで案内するのか、と不思議に思っていれば、どうやら夕張さんが俺達に奢ってくれようとしていたみたい。でも、先程スパゲッティを食べたばかりだから、遠慮しようと思ったのだけど……。

 

「せっかくこう言っているのだし、遠慮なく頂いちゃいましょ」

 

 意外な事に、叢雲が乗り気になってお店に入って行ったので、言葉を重ねて断る事もないだろう、と後に続いた。店内に入れば、ふわっと甘い香りが漂ってきた。あんこの匂いかな。先を行く叢雲が適当な席に座るのを見て、その対面の椅子を引いて腰を下ろす。木製の椅子。店内は、全体的に和風だった。

 壁にかけられたおしながきや、そうそう、入り口の外側に垂れていた暖簾(のれん)だとか、古めかしい感じ。でも、店内は傷や汚れは見当たらず、綺麗なものだった。

 入って左のカウンターの奥に、間宮さんらしき後姿がある。店内の奥の方の席には、グレーの髪の少女が小さなパフェみたいなのを長いスプーンでつついていた。店内にいるのは、俺達を除けば、その一人だけだった。

 んっ、と少女がこちらに顔を向ける。ポニーテールが揺れて、それで、彼女が誰なのかがわかった。目を細めて俺を見て、次に手を翳してこちらを眺めるのは、青葉だ。

 

「何を頼もうか。なんでもいいからね?」

「トリーズンディスチャージにするわ」

「あ、じゃあクリームソ……なんだって?」

 

 なんか今、叢雲の口からよくわからない言葉が飛び出した気がするんだけど。おしながきに向けていた顔を思わずがっと叢雲へと向けてしまう。何? と怪訝そうに見られた。……聞き間違いかな。

 

「どうしたんですか?」

 

 再度おしながきを見上げようとして、夕張さんの笑みが少し引き攣っているのを見てしまって、そう聞けば、なんでもないよ、と手を振られた。どうしたのだろう。……あっ、おしながきにさっき叢雲が頼むって言ったやつ見つけた。三千円って書かれてるんだけど。

 ちなみに俺が頼む予定のクリームソーダは、三百五十円。……叢雲。

 ポシェットを開いて中を覗いていた夕張さんが、やがて俺と叢雲の分の注文を間宮さんにして、商品が来るまでの間。ふと叢雲の斜め後ろに、青葉が立っていた。

 

「ども、みなさん。青葉です。ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「よろしくないわ」

 

 夕張さんに向けた言葉だったのだろうが、彼女が答える前に、叢雲が即座に返答していた。にっこり笑顔な青葉の顔に汗が流れる。恐ろしく邪険にするような言い方だったけど、叢雲は青葉との間にも何かあるのだろうか。

 気になって眺めていれば、叢雲はそれをどうとったのか、ばつが悪そうに「冗談よ」と目を逸らした。

 どうぞ、と夕張さんが目の前の席を手で示すと、青葉は「きょーしゅくです!」と会釈して席に着いた。持参していたパフェとスプーンを置くと、さっとペンと手帳に持ち替えた。どこから出したの、それ。

 

「ではでは、取材させていただきます!」

「やっぱりそうなるのね」

 

 嫌そうな顔で溜め息を吐く叢雲。

 青葉の標的は、どうやら俺のようだ。新入りに興味がおありらしい。興味津々といった様子で名前や艦種、どこから来たのか何をしているのか、とか……おおよそ考えつくような質問をされて、別に嫌でもなかったので答えている内に間宮さんがおぼんを抱えてやってきた。

 

「お待たせしました。どうぞ」

「うわ」

 

 ゴト、とやたら重々しく置かれたのは、叢雲の頼んだなんたらとかいうパフェだ。黒紫の半透明の大きなグラスに、山のようなクリームやらシフォンやら……。うわー。凄いボリューム。

 

「やや、お祝いですか?」

「いいえ、私が頼んだものよ」

「私のはこっち」

 

 自分の前に置かれたクリームソーダに手をかけつつ、間宮さんに笑いかけておく。よろしくね、と小さく声をかけられた。

 

「あれ? 夕張さんは何も頼んでないんですか?」

「あー、私は、ちょっと、ほら。今お腹いっぱいで」

「ふむふむ」

 

 おぼんを胸に抱えて引っ込んでいく間宮さんに、青葉が疑問を零すと、夕張さんは困ったように笑った。

 さらさらっと手帳に何やら書き込む青葉。あっこら青葉、なに書いてるのよ、と夕張さん。どうやらこっちの二人の仲は悪くないみたい。……叢雲は、なんだか会う人会う人と壁を作って話してる気がする。明石とはそうでなかったみたいに思えるんだけどな。

 ちなみに青葉のこの取材は、新しい子が入ったら毎度やっている事のようで、彼女に俺が着任した事をどれくらいの人が知っているのかと聞かれてわかる範囲で答えたら、やりました! 情報の早期入手です! とガッツポーズをした。

 

「さっそく書いちゃうぞ!」

 

 何やら一人で盛り上がって、小さなパフェをかき込んだ青葉は、胸を叩きつつ席を立って風のようにお店の外に出て行った。あれ、お会計……。

 ところで、書くってなんの話だろう。やっぱり、新聞?

 

「そうそう。時々掲示板に張ってあったりするの。面白くはあるんだけど……」

「迷惑だわ」

 

 夕張さんがぼかした部分を、叢雲が補足した。率直だ。ああ、ひょっとしてさっきの青葉に対しての態度って、叢雲も取材を受けて不快な思いをしたから、とかだったりするのかな。

 クリームソーダのアイスをすくって一口食べつつ、叢雲の顔を見る。その下半分までをパフェが覆い隠しているのだから、それの巨大さが窺える。もう半ばまで削られていてこれだ。……というか、食べるペース結構速いな。

 

「……いいなぁ」

 

 みるみるうちに山が擦り減っていくのを眺めていると、横からぽそりと声がした。ちらりと見れば、夕張さんはポシェットを手で押さえて憂鬱そうな顔をしていた。……聞かなかった事にしておこう。

 大して時間もかからず巨大パフェはやっつけられ、俺達は店を後にした。青葉の代金はいつの間にか(から)のグラスの横に置かれていた。彼女の動きは見ていたはずなんだけど、いつの間に置いておいたのだろう。この俺の目をもってしても見抜けぬとは。

 案内は続く。明石の工廠の方へ出て、ゲートの外の説明。外は、軍に従事する一般の人達の活動の場、らしい。艦娘は秘匿された存在であるから、こんな風に隔離染みた配置になっているんだって。その割には、外出許可はすぐに出るらしい。……そんな簡単に外に出られるものなんだ。

 本棟と呼ばれる立派な建物の横をずっと行くと、入渠施設に辿り着く。ここも大きな塀に囲まれた場所だ。明石の工廠が艤装のドックだとしたら、こちらは艦娘のドック、らしい。中も少しだけ見せてもらったけど、雰囲気やイメージはあれだった。スパ……じゃなくて、えーと。温泉施設? ……そんな感じ。マッサージチェアとか並んでたし。

 舗装された道を行けば、本棟の正面に出る。左右に広い立派な建物。中央から一本の四角い塔みたいなのが伸びていて、大きな時計が埋め込まれていた。時計塔というやつだろうか。目の前の両開きの扉の向こうには玄関ホールや受付なんかがあって、艦娘はこの正面玄関から入る事は滅多にないそうだ。建物の前……俺達の立つ後ろの方に道が続いていて、ゲートで途切れている。ゲートは頻繁に開かれているのだろうか、手入れされているらしく、真新しい鉄扉だった。

 

 鎮守府前の道を進めば、港へ繋がっている。ここもやはりコンクリート壁で遮られ、壁は海の向こうまで続いていた。そこから、夕張の工廠に戻る。鎮守府の敷地内の案内は、これでだいたいおしまい。本棟内の『教室』やトレーニングルームの話は聞いてるけど、実際には足を運んでない。でも、夕張さんが言うには、話だけ聞いていた場所はすぐに向かう事になる、らしい。教室……教室、かあ。授業でもするのかなあ。教師はやっぱり足柄さんなのかな。

 

「さて、私とはここでお別れね」

「今日はありがとうございました。助かりました」

「気にしないで。何かわからない事があったら、いつでも頼ってね」

 

 とん、と胸を叩いてみせる夕張さんに、間宮でも、ありがとうございました、と手を揃えて頭を下げる。クリームソーダが飲めて感激。甘味を口にしたのは二週間ぶりくらいのはずだけど、体感では数年ぶりだと思えたから、なおさら。

 

「ふふ、なんならいつかまた、一緒に間宮に行きましょうね」

「ふっ」

「……今鼻で笑わなかった?」

「いいえ。良いお姉さんだなって思ったのよ」

 

 お姉さん……? 確かに夕張さんはよくしてくれるし、優しい人だけど、姉さんかといえば、違う。姉さんはもうちょっと能天気で馬鹿っぽくて、いつも笑ってて……。

 

 月の光が差し込む窓の前で、空を見上げる朝潮の姿が頭に浮かんで、あれ、と首を傾げた。

 ……朝潮はあんまり笑わないけど……でもどうしてか、異様にしっくりした。

 

「わ、私は別に、そういう打算があって案内した訳じゃないのよ? ね?」

 

 おっと。考え事をしていたら、何やら話を向けられた。曖昧に笑って誤魔化すと、本当なんだからね? と言葉を重ねられる。……何が? とは聞けなかった。

 

「さあ、次は寮へ案内するわ。ついてきなさい」

「あ、はい。あの、本当にありがとうございまし、たわっ!」

 

 叢雲が俺を促しつつ踵を返して歩き出すのに、再度夕張さんへお礼を言いながら叢雲の後を追おうとして、どん、とその背にぶつかってしまった。よろけた体を持ち直して顔を上げれば、彼女はこちらを振り向くでもなく立ち止まっていて、耳に手を当てていた。

 

「……。……どうやら案内はお預けのようね。救援要請よ」

「え?」

 

 振り返った叢雲は、真剣な表情で俺と夕張さんを見ると、出撃するわ、と端的に言った。




時間の関係で那珂ちゃんのファンになるイベント(強制)が没になりました。

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