島風の唄   作:月日星夜(木端妖精)

16 / 93
艦娘ラッシュ。効果:私の頭がパンクする
みっちゃんは良い子だよ、ほんとだよ。



第十四話 着任

 

 広い部屋だった。

 内装は小奇麗で、クリーム色の壁紙が柔和な雰囲気を作っていた。

 扉から見える正面の壁には窓があり、右の壁の前に、立派な机と白い制服を着た青年。それから、机の両脇に立つ少女二人。茶髪に金目のアップヘアーが(いなづま)で、薄紫の目で紺色の髪のロングストレートなのが暁だ。こっちは髪と同色のツバ付き帽子をかぶっている。

 電の方は、灰色の画板のような物をスカートの辺りで両手に持っていて、二人共に白と紺からなるセーラー服を着ていた。よく見なくても幼い少女だった。

 おそらく提督だろう青年を含め、三人の視線が一瞬、俺……の横の朝潮に向けられる。ちょっと……紛らわしい目の動きだな。どきっとしちゃった。

 

 入室したのに誰も何も言わないまま足を進めていく。最後に入った夕張が扉を閉め、俺と朝潮の前に立つ日向・菊月の横に並んだ。机の横に立っていた暁も、ちょこちょこと小走りで夕張の隣に来る。くるんと回って前を向く。その一瞬、視線が合った気がした。

 

「艦隊帰投。まあ、一人を除いて、だが」

「うん、ご苦労様」

 

 細目の青年は、顔に似合った爽やかな声で日向を(ねぎら)った。黒髪の短髪で面長。髭なんかはなく、どこか幼さの残る顔。海軍……の制服なのだろうか、白くきっちりした服と、白手袋。を着用していて、そういう制服の場合にセットになっているだろう帽子は……部屋の隅にある帽子掛けみたいなのにかけられていた。

 机に両肘をついて手を組み合わせながら言う姿は、なんだか妙な貫禄がある。俺とそう年は変わらないように見えるのに。

 一目と一言目の印象だけで自分より凄い人なんだろうと思えてしまって、だけど、不思議と悔しさとかはなかった。それは彼に欠片も嫌味な感じが無いからだろう。好青年って、きっとこういう人の事を言うんだ。

 

「それで……ああ、それで、彼女が帰ってきたんだね」

「ああ。朝潮」

 

 前に立つ四人が左右にずれて、朝潮が二歩前に出るのに、俺も前に出た方が良いのかと迷う。……一人後ろに残るのもおかしな話だろう。朝潮に少し遅れて隣に並んだ。青年は組んでいた手を解いて立ち上がると、「よく帰ってきてくれた」と最初に言った。

 

「駆逐艦朝潮、ただいま帰還しました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「構わない。君が戻ってきてくれて嬉しいよ」

 

 びっ、と敬礼する朝潮に、青年は軽く手を挙げて答えた。複雑な表情が浮かんだ顔は、しかし微笑んでいる。

 

「さて……そうだな」

 

 青年は何か逡巡するように日向達の方へ視線を巡らせると、そのまま電へと顔を向けた。そうすると、電も青年を見上げ、控え目に頷いた。

 

「……日向、菊月、夕張、それと暁。すまないが、先に寮に戻って体を休めていてくれ」

「ええっ、なんでよ!?」

 

 そこにどのような意図があるのかはわからないが、退室を促す青年に大きな声を上げたのは、夕張の横に立つ暁だった。胸元で両手を握って抗議する彼女に、青年は困ったように日向を見て、意図を察した日向が、変わって暁に呼びかけた。

 

「暁、行くぞ」

「で、でも、話はこれからって感じじゃない!」

「菊月も、ほら」

「ああ……話というのが気にならない訳ではないが、仕方ないな」

 

 食い下がろうとした暁は、同じ年頃に見える菊月が素直に頷いて、退室しようと歩き出した日向に続くのを見ると、あわ、と慌てたように青年と菊月を見比べて、「しょ、しょうがないわね!」と出口に向かった

 

「また後でね」

 

 去り際、夕張が俺の方を見て囁いたので、頷いて返しておく。

 

「日向。この事は……」

「内密に、か。まあ、そうなるな」

 

 意味深な言葉を提督と交わした日向が軽く頭を下げてから扉を開け、退室する。それに続く少女達の背を見送っていると、パタンと扉が閉められるのを確認してから、さて、と青年が声を発した。顔を戻せば、かっちりと目が合う。ぴょこりと頭のリボンが揺れた。

 

「改めて、お帰り、朝潮」

 

 ついに俺に声がかけられるかと思ったら、青年はまた朝潮にそう言って、ぐるりと回るようにして机の前へと歩を進めた。後ろ腰に両手を回して立つ。

 

「そしてようこそ。君が彼女を助けてくれたと聞いている」

 

 あ、話しかけてきた。

 てっきり朝潮が何かしら返答すると思っていたから、反応が遅れて、ただ目を向けるだけになってしまう。

 

「俺は藤見奈(ふじみな)……藤見奈仁志(ひとし)。……大佐。この鎮守府を任されている」

 

 不死身な……? 富士? ……ああ、つまりは提督さんという訳だ。

 緊張の汗を手の内に握りつつ、彼の青い瞳を真っ向から見つめ返す。

 自己紹介……ここは名乗りを上げるべき場面か。

 なら。

 

「駆逐艦、シマカゼです。スピードなら誰にも負けません。速きこと、()()のごとし、です!」

 

 やや強張った体とは裏腹に、声は非常にのびのびとしていて、緊張なんて欠片も感じられないものだった。朝潮を真似た敬礼をすると――内心失礼に当たりませんようにと願いながら――提督も敬礼で返してくれた。その事にほっとして笑みを浮かべれば、彼もまた、どうしてか下げかけた手を見ながら笑って、すぐ表情を引き締めた。

 

「島風。君のおかげで朝潮が帰ってこられた。感謝する」

 

 気をつけの姿勢で深く頭を下げる提督に、そんなに大した事は、と腰が引けそうになっていれば、「司令官さん」、と、電が咎めるように囁いた。

 それに何を言うこともなく顔をあげた提督は、「君達の身に起きた事を詳しく教えて欲しい」と、真剣な表情で言った。

 

 

 朝潮が経緯を話す。

 対潜警戒任務中に霧に呑まれた事。その中で出遭った未知の深海棲艦の事。孤島に流れ着き、俺に介抱された事。そこで傷を癒し、俺と妖精さんの助けを借りて海に出た事。そして、再び霧の中で同じ個体と出遭った事。

 そのさなか、高級そうな布のかかった机の上に置かれた電話機がプルルと鳴って、電が受話器を取っていた。艦隊帰投の報告。……あの通路の電話はここに繋がっていたのか。

 

「やはり、神隠しの霧か……」

「神隠し……?」

 

 椅子に座り、再び手を組んで肘をついた提督は、深く考え込むように目を伏せた。

 霧……あの霧の中の出来事は、朝潮が言葉に出して説明しても、なんだか夢の中であった事みたいに曖昧だ。実際にあったはずだっていうのはわかってるけど……でも、明確な意思の(もと)に断言はできない。

 

「由良の報告を聞いてすぐ、海に発生する濃霧について調べたんだ」

 

 キィ、と椅子の軋む音。

 取り寄せた資料によると、その霧はたびたび海上に現れて艦娘を飲み込んでは、消し去ってしまう恐ろしいものらしい。いついかなる時に、どのような条件で発生するかはわかっていないが、その脅威は凄まじいものがある、と提督は語った。

 

「大規模作戦で活躍したような練度の高い艦隊が一度に消えた事もあったという」

 

 一艦隊、六人の艦娘が一度に霧に呑まれ、帰ってこなかった。……あのレ級が霧の中で艦娘を沈めたというのだろうか。……一人で? それは、いくらなんでも。

 

「まさか霧の中に未確認の深海棲艦がいたとは……これについて、すぐに問い合わせる事にする。情報を持ち帰ってきてくれてありがとう、朝潮、島風」

「いえ……」

 

 提督が感謝の意を示すと、朝潮は表情を曇らせてしまった。それは、レ級を倒せなかったからなのだとわかった。

 無事に帰ってきただけで奴を倒す事はできず、ただやり過ごす事しかできなかった。その事が心に引っ掛かっているのだろう。

 俺は……ふとすれば思考が霞んでしまう感覚に、無意識に考えるのをやめた。

 

 もしかしたら、その深海棲艦を倒せば、霧の発生を止める事ができるかもしれない。唸りつつ呟いた提督に、電が体を寄せて何か耳打ちすると、難しい顔をしていた提督の表情が少し和らいだ。

 

「そうだな……そうだ。今は、ただ、朝潮の帰還を喜ぼう」

「なのです」

「ありがとう、電」

 

 ふっと笑って、それから俺に目を向けた提督が、「この話は、他の子には話さないで欲しい」と一区切り置いた。

 なぜ? 先程も……日向に釘を刺していたけど、注意喚起などはしないのだろうか。

 横目で見た朝潮は、疑問を浮かべるでもなく、ただ真剣な目を提督に向けていた。彼女は提督の言葉に疑問を抱いていないのだろうか。いや、例え抱いても、彼の采配を信じているから口にしないだけかもしれない。

 俺は彼とは付き合いが浅い。彼を信じて疑問を胸の内にしまうなんて事はできない。だから疑問に思った事はそのままにせず、すぐ聞いてしまう事にした。

 

「混乱を避けるためだ。未知なる深海棲艦の正体がはっきりし次第、みんなに知らせようと思う。もしその敵の詳細がわからなくても、数日中に全艦娘に通達する。『霧が現れればそこに敵がいる』と知っていれば、被害を抑える事ができるかもしれない。だがまず、敵の正体がはっきりしているかを確認する。正確な対策を練るためだ。それまでは全体で出撃を控えさせたい」

 

 なぜですか、という問いに、提督は丁寧に答えてくれた。最後の言葉は電に向けてのものだ。電は手にしていた画板を持ち上げて、おそらくは挟んであるのだろう紙をぺらぺらとめくった後に、うんと頷いて、それを提督への返事とした。

 出撃を制限するのにも色々と手間がかかるのだろう。それはきっと、書類とかだけではなく、個々の艦娘の感情だとか。

 

「……進化、か」

 

 目元に影を落として、提督が呟く。

 進化。

 それは朝潮が語って聞かせた中での、レ級の言葉だ。

 あの時俺は、異様な状態で言葉を話すレ級の声をほとんど聞いていなかったけれど、朝潮は違ったらしい。その一字一句を正しく理解していたらしく、提督に伝えた。

 人の行き着く先は滅びのみ。切り開きたいと願うなら、進化を。

 それはまるで、艦娘の……人類側の成長を、未来を願うような言葉。

  不可解で不気味だ。何か、大きな意思を感じてしまう。瞬きの中に映ったレ級の顔に一瞬恐怖が甦って、すぐに消えた。

 

「さて……今度は君の話を聞きたい。君に関しての話を、差し支えなければ教えてはくれないだろうか」

「いいですよ」

 

 やけに腰の低い言い方を不思議に思いつつ、了承する。

 最初に話すのはやはり、砂浜で目覚めた時の事か。

 時折り挟まれる質問に返しつつ、体験した事をおおまかに話していく。

 島での活動から、所属に関してまでの話。

 さすがに別世界の男の意識がこの体に宿っていて、島風の意識などどこにもないなどとは言えなかったから、砂浜で目覚めた以前の記憶は曖昧だ、で通す事にした。

 俺の記憶が砂浜に打ち上げられているところから始まっているのを考えると、もしかしたらこの島風はどこか別の鎮守府にいたっていう可能性もあるかもしれない。

 それに関して、提督は各所に問い合わせてくれると言ってくれたのだが……俺としては、できればここに着任したい。

 もし俺の前の島風を知る艦娘や人間に出会ってしまったら、色々と誤魔化しようがない気がするし……最悪解体されてしまう危険性もある。

 しかしだからといって「私は発生艦です」と断言してここにいさせてもらったとして、もし俺が他のどこかに所属していたなら、そこに問題が(しょう)じてしまうだろう。

 迷惑はかけたくない。それに、好意を無碍にする事もできない。

 俺の所属が明らかになってしまった時は……その時は素直に受け入れるとしよう。その先に何が待っているにせよ、それが最善だ。

 

「では、確認が取れるまでは……第十七艦隊に身を置いてもらおう。数日中に結果が出るはずだから、その時にまた、ここに来てもらう事になる」

「了解しました」

 

 言葉と共に頷いて、何も反対意見がない事を伝えつつ、十七艦隊、というのに胸の内だけで首を傾げる。

 だいぶん数字があるけど……いったいどういう艦隊なのだろうか。

 

「ここまでの旅路で疲れているだろう。長く時間を取らせてすまなかった。君達に食事を用意してある。艤装を外してきたら、食堂に行くと良い」

「お心遣い感謝します」

「この程度の事はさせてもらうよ。それと、朝潮。実はもう一つ、話があってね」

 

 そろそろ話も終わりか、という時に、提督がそう切り出した。用意されているというご飯に頭が持っていかれそうになっていたけど、やけに穏やかな彼の顔を見ていると、そっちが気になってきた。

 

「君の帰りを心待ちにしていた子達がいる。その子達を、ここに呼んでいる」

「……!」

 

 朝潮が僅かに動揺するのが横目に見えた。と同時に、タイミングよく、コンコン、とノックの音。

 入ってきたまえと提督が直々に声をかければ、少し間を置いてノブが捻られ、ゆっくりと扉が開いていく。俺の方に少し寄った朝潮が、黙って扉を見つめるのが気配でわかった。

 

「てーとく、艦隊が戻ったよ」

「……あれ?」

 

 はたして、入ってきたのは伊58……ゴーヤだった。彼女が、朝潮の帰りを待ち望んでいた子……という訳ではなさそうだ。今、提督「あれ?」って言ってたし。

 

「……なに? ゴーヤの顔に何かついてる?」

 

 スクール水着に、セーラー服の上着だけという格好で、明るいピンクの髪が特徴的な潜水艦娘。望遠鏡らしきものを首から下げている少女。

 若干疲れた顔のゴーヤは、部屋の中を見回すようにしてそれぞれの顔を見ると、自分の頬をぺたぺたと触りながらそう言った。

 

「いや、別に……」

「そう?」

 

 後ろ手に扉を閉めて机の前へ歩いてきたゴーヤは、提督に言葉を返しつつも、その視線は俺の方に向いていた。気のせいとか、朝潮を見てるとかじゃない。がっつり俺を見ている。薄紅色の不思議な輝きに見つめられると、なんだか気恥ずかしくなって身動ぎをした。

 が、それもすぐに逸らされる。

 

「ね、てーとく。報告報告!」

「どうしたんだ。何かあったのかい?」

「うん。対潜警戒任務中、領海外に潜水カ級率いる敵潜水艦隊を発見、これをやっつけました!」

 

 えへん、と大きめの胸を突きだすように背を反らしてふんぞり返るゴーヤに、何? と提督は怪訝な顔をした。今の話に何か引っ掛かるところでもあったのだろうか。……ああ、潜水艦が潜水艦を撃破したってとこ? たしかにそれは変だ。

 

「ずっと遠くに黒い点がぐるぐる回っててね、なんだろうなー怖いなーって思いながらこの水中望遠鏡を覗き込んだの。そしたらね、敵だ! ってわかったんでち!」

 

 提督の困惑をよそに、ゴーヤが得意気に望遠鏡を持ち上げてみせた。

 結構距離があったけど、同じ場所を回り続けていたから、どんなに遠くからでも魚雷を当てるのは難しくなかった、と続けたゴーヤが、今度は身振り手振りを加えて話す。

 

「魚雷さんを放ってすぐ、ゴーヤは海面目指して急速浮上! ざっぱーん! 海の上に飛び出て、衝撃を回避したでち! 凄いでしょ!」

「あ、ああ。凄い……うん、凄いな。大手柄じゃないか」

「でしょ! ゴーヤ、ちゃんと頑張ったでしょ?」

 

 褒めて褒めて、と言わんばかりに机に詰め寄るゴーヤに、提督はこくこく頷きつつ背を反らした。……あの目の動きは……あ、()()()な、と察してしまって、一度目を閉じて提督の失態を見なかった事にする。いくら好青年でも、貫禄があっても、若さはどうにもならないようだ。思ってたよりゴーヤはでかかったからしょうがないね。

 などとあえて主語を抜かして曖昧に提督を擁護していれば、MVP祝いに新しい水着を買って貰える事になったゴーヤが「やった、やった」と飛び跳ねていた。

 

「それじゃあ、ゴーヤは次の出撃までお休みするからね」

「ああ、ゆっくり休んでおいで」

 

 とたたっと扉の前まで走って行ったゴーヤは、そこで一度振り返ると、小さく頭を下げた。退出の挨拶みたいなものなんだろうか。顔を上げた彼女は、また俺を見ていた。不思議そうな顔。見た事ない奴だな、とか思われてそうだ。

 何も言わずに彼女が出ていくと、途端に部屋の中が静かになった。

 あー……賑やかな子だったな。なんか、言動だけじゃなくて、雰囲気が。

 

「んんっ……えー、すまなかったな」

 

 なぜか目を泳がせながら提督が声をかけてくるのに、何が、とは流石に返せず、小首を傾げるに(とど)める。変なところを見せた、とか? それとも、ゴーヤの態度だろうか。いや、特におかしなところはなかったけど、原因はそれくらいしか思い浮かばなかった。

 提督からの説明も特になかったので、まあ、気にする程の事でもないだろうと判断しておく。

 それから数分もせず、再びノックの音がした。提督が口を開こうとして一度躊躇い、しかし「入ってきなさい」としっかりとした声で言った。今度こそ来ただろう、と顔に書いてある。その通り、入ってきたのは朝潮の姉妹艦、荒潮と満潮、それから吹雪型の駆逐艦、叢雲だった。

 どきりと胸が鳴った。

 

「失礼するわ」

 

 ツンとした声を放った叢雲を先頭に、荒潮と、荒潮に腕を取られた満潮が入室する。どうしてか満潮はそっぽを向いていた。

 この三人の中で俺の目を引いたのは叢雲だった。先頭だったから最初に目に入ったのもあるし、あまり見ない長い銀髪やぱつんと揃えられた前髪、スレンダーな体の線が出ているワンピースタイプのセーラー服(スカートに当たる部分も真っ白だ)と、思わず順繰りに見てしまうくらいには興味を惹かれる。姉さんのお気に入りだった子、という印象が強い。

 それから、頭部左右にある前向きのツノみたいな……近未来的浮遊ユニットも凄く気になってしまった。固定されてない。浮いてる。それは、現実で見ると言葉には言い表せない不思議なもぞもぞを感じさせて、彼女の頭を目で追っていれば、ジロリと睨みつけられた。うわ、怖い。

 俺の右斜め前で止まった叢雲が、後ろの二人を促す。朝潮型の二人……朝潮と同じ制服の二人が朝潮の前に立った。ただし、朝潮に背を向けている。

 ちなみに、荒潮は朝潮に似た容姿だ。髪が少しふわっとしていたり、ぱっちりと目を開いてたりと印象は違うが、姉妹だけあって大まかなパーツが同じように思えた。

 満潮の方も、部屋に入った際にこっち側に顔を向けていたからよくわかる。顔つきが朝潮とよく似ていた。

 ベージュ色の髪をお団子ツインテとでも言うべき髪型にしていて、薄黄色の綺麗な大きな目をしているのに、それが鋭く感じられてしまうのは、彼女のキツイ物言いを知っているからだろうか。……でも、目も鼻も真っ赤に腫らしている彼女を、怖いとかキツイとは思えなかった。

 

「荒潮、ただいま参りましたー」

「……ふん」

 

 のんびりとした声で提督に敬礼してみせた荒潮に、腕を組んで窓の方に顔を背ける満潮。提督は苦笑しつつ手を挙げて応えた。

 挨拶を終えた荒潮が満潮を覗き込むようにして腕を取り、一緒にこちらを向く。ちょっと! と声を荒げて抗議の視線を送る満潮をどこ吹く風と受け流しながら、荒潮は朝潮と向き合った。

 朝潮は、顔こそ逸らしたり俯かせたりする事はないものの、瞳を揺らして唇を引き結んでいた。

 今、彼女の中でどのような感情が渦巻いているのかは想像に難くない。ので、少し右へずれて、叢雲と並ぶ形を取った。姉妹の再会に俺はお邪魔だろう。

 

「朝潮ちゃん」

「荒潮……」

 

 名前を呼び合い、見つめ合う二人。何も言わずとも伝わってくる、無事を喜ぶ気持ち。傍から見ていてそう感じるのだから、正面に立つ朝潮には、その気持ちがより強く伝わっているだろう。

 

「無事に帰ってきてくれて嬉しいわぁ」

「心配、かけたわね」

 

 のんびりした口調なのに、そこに乗った感情は大きく、でも、穏やかで。

 朝潮が答えると、窓の方を見ていた満潮の肩がぴくっと小さく跳ねた。お団子から垂れる髪が揺れる。たぶん、朝潮の方を向こうとして、(とど)まった?

 しかし、次の荒潮の言葉にはさすがに反応してしまったようだ。

 

「心配したわよぉ~、私も、満潮ちゃんも」

「はぁ!? 私は心配なんかぜんっぜんしてなかったわよ!」

 

 ガッと音が出そうなくらいに荒潮へと顔を向けた満潮が捲し立てる。必死だ。でも目も鼻の頭も赤い。心配してなかったというにはちょっと説得力が足りなかった。

 

「あら~、じゃあ、満潮ちゃんはどうしてお布団の中で泣いていたのかしらぁ?」

「なっ、泣いてないわよ! ちょっと涙ぐん……あっ、ちが……!」

「うふふふ」

 

 語るに落ちるというか、墓穴を掘った満潮は腕組みを解いて否定しようとして、しかし何も思いつかなかったらしく、キッと朝潮を睨みつけた。

 

「だいたいあんた、よくもまあノコノコと帰ってこれたものよね!」

「……帰って来なかった方が良かったって言うの?」

「そんな訳ないじゃない!!」

 

 羞恥や怒りの矛先が朝潮へと向かってしまったのかと思ったけれど、彼女は朝潮の言葉に大きく頭を振って否定した。つぶった目から散った煌めきは、たぶん見間違いじゃない。

 

「私がどれだけ……またっ、また何もできないままなくしちゃうんだって……!」

「満潮……」

 

 感極まったように息を詰まらせて言う満潮の瞳は、やはり涙に濡れていた。言葉の途中から朝潮の肩の辺りを掴んで胸に頭を当て、肩を震わせて……そんな彼女の肩を、朝潮はそっと抱いた。

 

「心配、したのよ……! 悪い……!?」

「……ううん、悪くなんかないわ」

「っ、…………」

 

 しばらく、満潮のすすり泣く声だけが室内にあって、しんみりというか、湿っぽい空気にあてられて鼻の辺りにじんときていると、不意に肩を小突かれた。何事かと横を見れば、俺に顔を向けていた叢雲が「行くわよ」と短く言って、扉の方へ歩き出した。え、行くってどこに。というか、俺? あれ、叢雲は朝潮との再会を喜ばないのだろうか。

 疑問は尽きないが、ちら、と提督に目をやると頷かれたので、彼女の後を追う事にした。まあ、あの空気の傍にいるのもあんまり良くないかもしれないし、退出するのが正解なのかも。

 扉の前で提督に体を向けて、会釈するように頭を下げる叢雲にならい、俺も退出の挨拶をする。彼女が扉を開けて俺を促すので、先に廊下に出た。窓から差し込む明かりは柔らかくも暖かいのに、廊下はひんやりとした空気に満ちていた。

 

「ついてきなさい。歩きながら話すわ」

「あ、はい」

 

 部屋の中と外の雰囲気の違いに頭が切り替わらない内に、叢雲がスタスタと歩き出してしまうので小走りで後に続いた。歩く速度はそう速くなく、すぐに追いつく事ができた。話すと言うのに後ろにつくのはどうかと思って、隣に並んで歩調を合わせると、彼女は横目で俺を見て、すぐ前へと視線を戻した。

 

「私は叢雲。司令官にアンタを案内して回るよう頼まれたの」

「私はシマカゼ。……よろしく」

 

 俺の、案内役。

 どこか冷たさを含む声で告げられたのは、つまりそういう事だった。

 かつて聞いた声と違って突き放すようなものを彼女に感じてしまって、でもそれはたぶん気のせいだと判断し、名乗りに一言つけ加えたのだけど、彼女はふんと鼻を鳴らすだけで言葉を返してはくれなかった。

 踊り場に出て、階段を下りていく中でも、これ以上話す事はないとでも言うように、カツカツと音を鳴らしてどんどんと下りていってしまうから、なんだか気圧されてしまった。

 叢雲ってこんな子だったっけ。俺はあんまり育てたりしてなかったからわからないけど、ええと、どうだったかな。

 

 ――この子、可愛いわね。

 

 記憶を探ろうとして、ふと後ろから聞こえた声に足を止める。

 俺の後ろからパソコンの画面を覗き込んで、姉さんが言った事……。

 

「何をしているの?」

 

 俺が立ち止まってしまっているのに気付いた叢雲が、不機嫌そうに俺を見上げてそう問いかけてくるのに、どこかに飛んでいた意識が戻る。その間に彼女の表情は不機嫌そうなものから怪訝そうなものに変わっていた。

 

「……」

「そういえば、案内といえば、夕張と約束してるんだけど」

「なんですって?」

 

 何かを言いかけたような彼女へ、ふと思い出したように夕張との話を伝えると、彼女は一転して眉を寄せて不機嫌顔に戻った。う……凄く威圧的だ。身が竦んでしまうような迫力がある。

 

「ここに来た時に、夕張が色々案内してくれるって」

「……アンタ、それを司令官に伝えた?」

「伝えて、ない……です」

 

 ……圧力が増した。

 今にも叱責されてしまいそうな事に内心びくびくしていると、彼女は眉間に指を当てて深く溜め息をついた。

 

「仕方ないわねぇ。次から気をつけなさい」

「は、う、うん」

 

 あれ、怒られなかった。許されてしまった。

 ……やっぱり、冷たいという印象は間違っていたのだろうか。

 しかし、叢雲の不機嫌顔は治っていないので、本当に間違いはこれっきりにしようと心に誓った。ほうれんそうは社会人の心得だ。それを怠った俺に非があるので、ここは謝るのが正解だ。

 なので、彼女がまた歩き出してしまう前に謝罪の言葉を投げかければ、叢雲はしばらく俺の顔をじっと見つめた後に、誰にでも失敗はあるわ、と囁くように言った。

 背を向けて階段を下りていく彼女を追う。この靴でも階段の上り下りには苦労しない。彼女の横に並ぶと、彼女は俺を見ないまま口を開いた。

 

「約束の時間は何時(いつ)?」

「配属先が決まったらって話してました」

「そう。その前にまずドックへ案内するわ。艤装を外したら食堂ね。夕張さんの所へ行くのはその後になさい」

「そうします。あの……ありがとうございます」

 

 冷たい声音なのは変わらないのに、気遣われているのが凄くよくわかってしまってお礼を言うと――シマカゼには合わないかも、とは思いつつも――、彼女は立ち止まって少しの間俺の顔を見てきた。俺も足を止めて、その夕日に似た色の瞳を見返す。

 何秒かして、彼女はそのまま何も言わずに前を向いて歩き出した。……さっきからなんなんだろう。俺の顔に何かついて……って、これゴーヤと同じリアクションだ。

 また彼女の横に並ぶ。

 気のせいかもしれないけど、彼女の纏う雰囲気が少しだけ和らいでいる気がした。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。