カッカッカッと大理石の床に規則正しいリズムで歩調を刻み、勇真はゆっくりと城の中央へと向かっていた。
その歩みは力強さと同時に優美さすら備え、今、ここが戦場だということを見る者に忘れさせる。
「ふむ、流石に広いな、そろそろ時間も経ったし歩く必要もないかな?」
勇真がそんな独り言を呟いた。
そんな時、一体の邪龍が勇真に襲い掛かって来る。
それは伝説級邪龍のコピー、劣化グレンデルだった。
「また君か……いや、丁度良い」
勇真は超音速で振るわれるコピーの腕をあっさり躱すとその胸にエクスカリバーを突き刺した。
そして、勇真はコピーに『支配』の力を流し込む。
数秒後、そこには従順となった
「……よし、【私を運べ】」
そう、勇真が命じるとコピーは壊れ物を扱うように勇真を持ち上げ自分の頭に乗せると高速で走り出した。
コピーに乗っておよそ5分、コピーに走らせ自身は騎乗から適当に他のコピー邪龍達を蹴散らし、途中で現れた《グヘッ、グヘへへへ!》とか言う伝説級小物邪龍も秒殺、勇真は異常に広い大広間に来ていた。
勇真はコピーに少し戻って待てと指示し騎乗から飛び降りると、大広間で待っていた一人の男と相対する。
金と黒が入り乱れた髪に同じく金と黒のオッドアイという極めて珍しい容姿を持った青年ーー人間体を取ったクロウ・クルワッハだ。
「失礼ですが、道を通していただけますか? 私はこの先に用があるのです」
優しげで余裕に満ちた微笑を浮かべ勇真は告げる。
勇真が見たところ彼は人間虐殺に関与していない。神話では神々を虐殺したがそれは遥か昔のこと、ゆえに勇真としては彼とは戦いたくなかった。
この勇真は無益な殺生をしない主義なのだ。
「悪いな、ここから先に行かすわけにはいかない」
しかし、クロウ・クルワッハにひく気はない。彼はその背から巨大な龍翼を生やすと拳を構え臨戦態勢に入る。
瞬間、迸る龍気が勇真の全身に叩きつけられた。
強いーーそれも恐ろしいほどに。
それが臨戦態勢のクロウ・クルワッハを見た勇真の感想だった。
纏う龍気は先のグレンデルとラードゥンを足してすら半分に届かない。内包された力の総量はもはや膨大とか絶大などという陳腐な言葉では言い表せず勇真もその全て把握する事は出来なかった。
間違いない、クロウ・クルワッハの戦闘力は勇真が戦って来た者達の中でも五指に入る。
それでも勇真は静かに笑った。
「……何故笑う?」
「いえ、ただ運が良かったなと」
「運が良かった?」
この俺と戦うことがか? そうクロウ・クルワッハは疑問を述べる。
「はい、あなたは強い。それも私が戦って来た者達の中でも五指に入るでしょう、だからこそ、あなたが一人なのは好都合だ。あなたが誰か他の相手と組んでいたらあなたを殺さないで倒すなんて不可能でしょうからね」
「……舐めているのか?」
勇真の言葉にクロウ・クルワッハは殺気を高める。
何故なら勇真こう言ったのだ。
例え自分を含めた多人数でも殺す気なら勝てる、一対一なら不殺で勝利が可能。
そう、言ったのだ。
ダーナ神族の王、ヌアザすら屠り、その後も千年を超える時を鍛錬に費やし更なる力を得た自身に自分の百分の一も生きていない餓鬼が堂々と何の気負いもなく言い切ったのだ。
これを許せる訳がない。
「いえ、舐めているつもりはありませんよ」
「……そうか、ならば見るがいい」
次の瞬間、龍気が爆発した。
それは物理的な攻撃力をもって勇真の魔法障壁を揺らす。
そして、刹那と言える短時間でクロウ・クルワッハは人形から本来の黒龍としての姿を現した。
「……なるほど」
黒龍と化したクロウ・クルワッハを見て勇真は今日初めて顔を引き締めた。
「既に臨戦態勢と思っていましたが、あれはお遊びという事ですか、あなたから先の数倍の力を感じます。それがあなたの真の実力……これは前言を撤回せねばなりませんね、残念ながら殺さず倒すのは難しそうです。殺してしまったら申し訳ありません」
『不要な謝罪だ。死ぬのはお前だからな』
戦闘開始。
クロウ・クルワッハがこの豪腕を振るう。
高位人外が知覚する事すら難しい超々高速で振るう。
だが、勇真はその速度にもしっかり反応、尋常ならざる体捌きで腕を回避、カウンターで閃光の如き剣閃をクロウ・クルワッハに走らせた。
強烈な斬撃がクロウ・クルワッハの脇腹を直撃、その鱗を抜き彼の身体を傷つける。しかし、その傷は予想以上に小さい。
「硬いですね」
『俺の鱗を一撃で抜くか』
勇真とクロウ・クルワッハはこの攻防で互いの実力を上方修正、警戒心を高めると超々高速の剣打混合の接近戦を演じ始めた。
聖剣と豪腕がぶつかり天地を揺らす。
今の勇真の運動速度は修行前の倍以上、それもほぼ時間制限なしで魔法、神器、聖剣による三重強化が可能というもはや反則と言っていい最速具合だ、今の彼には英雄最速のアキレウスすら及ぶまい。
しかし、その最速も『人類の中では』という但し書きがつく。
そう、クロウ・クルワッハはその勇真よりも速いのだ。
一瞬千撃、速度重視で振るわれたクロウ・クルワッハの両腕が連続で止め処なく勇真に襲い掛かる。その攻撃を悉く勇真は受け流すがあまりの速度に反撃の隙がなく、その超威力に彼の腕が悲鳴をあげる。
「………ッ!」
速度重視とはいえクロウ・クルワッハの拳はその一発一発が数百メートルのクレーターを作り出す超威力、いかに勇真でもクロウ・クルワッハと真正面からの接近戦は無謀だった。
ならば、と勇真は戦術を変える。
いくつかの攻防の後、隙が出来た勇真にクロウ・クルワッハの爪が迫る。
その爪は勇真の防御を巧みにすり抜け、回避不可能というレベルまで彼の身体に接近した。
当たる。そうクロウ・クルワッハが確信した豪腕が何故か空を切る。それと同時にクロウ・クルワッハの背筋に盛大な寒気が走った。彼は本能が教えるままに自分の危機に咄嗟に身体を傾ける、その次の瞬間、今まで自身の首があった位置を鋭い斬撃が斬り裂いた。
『瞬間空間転移か?』
「御名答」
振り払う様に放たれたクロウ・クルワッハの尻尾を躱しながら勇真は答える。
「すみません、あなた相手に普通の接近戦は厳しそうなので小細工させてもらいます」
他にもね、そうつけ加えた勇真の姿が一瞬にして分裂する。そして五人に分かれた勇真が一斉にクロウ・クルワッハに襲い掛かった。
『実体を持った分身……聖剣の力の混合か?』
「「「「「その通り、博識ですね」」」」」
クロウ・クルワッハの身体に次々と傷が生まれていく。いかに彼でもこの数の勇真を相手にするのは難しい。とは言え与える傷はどれも軽傷、まさにかすり傷といった有様だ。
『ずいぶん攻撃力が落ちたものだな』
「ええ、でも確実にダメージは溜まるでしょう?」
『フッ、確かにな、だが小賢しいッ!』
瞬間、クロウ・クルワッハを中心に猛烈な爆発が巻き起こる。この爆発で大広間が消し飛び、城の半分を崩壊した。
クロウ・クルワッハの近くに居た勇真の分身は抵抗すら出来ずに全滅、残ったのは魔法障壁で耐えた本物だけだ。
『終わりだ!』
その勇真にクロウ・クルワッハは瞬時に接近、爆発の余波で回避行動を取れない彼に渾身の拳を叩き込んだ。
攻撃力すら伴った轟音が結界内に鳴り響く、次の瞬間生まれたのは結界全土を丸々陥没させた超巨大クレーターだ。
いかに勇真の魔法障壁が強固といえどこの攻撃は耐えきれない。
そう、この瞬間、勝負は決したのだ。
ーークロウ・クルワッハの敗北という形で。
「………ッ?」
痛みを感じ、クロウ・クルワッハが無言で自身の拳を見定める。
そこにあった光景は拳に刺さる。勇真の聖剣。
つまり勇真は……
『避けたというのかッ!?』
次の瞬間、拳に刺さった聖剣から強力な呪詛が流れ込みクロウ・クルワッハの動きを鈍らせる。同時に呪いで動きが落ちた彼に幾重もの拘束魔法が掛けられた。
『この程度ッ!』
クロウ・クルワッハは全身に力を漲らせ拘束魔法を砕いていく。その力は常軌を逸していた。勇真のとっておき、龍王だろうと完璧に縛っておける超強度の拘束魔法が行動阻害の呪詛を受けた身体で砕かれようとしているのだから。
だが、それでも、既にチェックメイトなのだ。
縛られたクロウ・クルワッハに凶悪な魔弾が突き刺さる。
『グォッ!?』
長い龍生のなかでも数えるほどしか感じたことがない猛烈な激痛、それに思わずクロウ・クルワッハは声を上げた。
痛くて当然、魔弾の名は魔帝剣グラム、並の龍なら掠っただけで消滅する龍滅の魔剣なのだから。
そして、痛みだけで済まないのがこの魔弾だ。
この一撃でクロウ・クルワッハの右腕が大きく抉られる。魔法で加速投擲されたグラムは勇真の剣速の10倍という驚異的な速度、いかに彼が圧倒的な防御力を持とうともグラムの斬れ味とこの速度の前には意味をなさない。
だが、それでもクロウ・クルワッハは倒れない。彼は超々高位のドラゴンだ。世界でも五指に入る強大な龍はこの程度では死なないし、まだまだ、戦闘力は保たれている。そしてこの怪我さえも数分もすれば完治させる事が可能なのだ。
しかし、クロウ・クルワッハにとって不幸な事にこの魔弾は単発ではないのだ。
勇真は
そして、三撃目、今度はクロウ・クルワッハの左腕が千切れ飛ぶ。
更に四撃目、今度は脇腹が抉られる。
ここに至りクロウ・クルワッハは悟った。
……もはや逆転の目はないと。
『……見事だ、勇者よ』
己の敗北を認めたクロウ・クルワッハは勝者である勇真を讃え目を閉じた。
そして彼は魔弾の雨に撃たれ、その長い長い生涯に幕を閉じるのだった。
「…………」
勇真は大地に降り立つと、目を閉じ亡骸すらないクロウ・クルワッハに黙祷を捧げた。
「………さて、行くか」
そう小さく呟くと勇真はクロウ・クルワッハが死した場所に背を向けて半壊した城へと戻るのだった。
「うへぇ、なにあれ、ほんとに人間?」
遠見の魔法で勇真を見ていたリゼヴィムが呆れたように呟いた。
「………おそらくは」
ユーグリットはそんなリゼヴィムの呟きに曖昧な答えを返した……まあ、無理もあるまい。
「ユーグリットくん、あれに勝てる?」
「クロウ・クルワッハが敗北した以上、私一人では難しいかと……いえ、聖杯さえあれば可能でした」
その言葉にリゼヴィムは舌打ちする。
「……クソ邪龍くんめッ!」
リゼヴィムの手に今、聖杯はないのだ。
間の悪いことに僅か半日前、自らが蘇らせ使役していた伝説級邪龍のアジ・ダハーカとアポプス、伝説級邪龍の中でもクロウ・クルワッハと並び別格とされる二体がリゼヴィムに反逆し持ち去ってしまったのだ。
「………ヴァーリくんは?」
「強者漁りに出かけております。通信も張られた結界で出来ません」
「やだ、俺の孫、肝心な時に使えな過ぎッ!………まぁ、いいか♪ なんとかなるんじゃね? 俺とユーグリットくんで掛かれば、さすがにあれもかなり消耗してるだろうし」
そう、リゼヴィムは楽観的に言う。
だが、確かに彼の言うことにも一理ある。勇真は連戦に次ぐ連戦でかなり消耗している。肉体面は回復魔法で癒しているがその魔法力は既に4割を切りかなり心許なくなっていた。
「はい、無傷で勝利は難しくとも勝利自体は可能と思われます……それに、あれが神器に頼るならばリゼヴィムさまは無傷で済むかもしれません」
「よしよし、んじゃ、もうちょっと削ろっか? ヴァレリーちゃん出番だよ〜♪」
そのリゼヴィムの言葉に一匹の邪龍が二人の前に姿を現す。
「おうおう、なかなか良いオーラ放ってるじゃん♪」
他の量産型とは明らかに違うその強力なオーラは平均的な伝説級邪龍に匹敵していた。
「はい、元々神滅具所持者ということでスペックが高かったようです。聖杯の強化とも相性が良くグレンデル程度の実力はあるかと思われます」
ユーグリットの言葉にリゼヴィムは微妙な顔をする。
「グレンデルかぁ、確かに強いんだけどさぁ、あれに瞬殺されたよねぇ?」
「はい、しかし、あれば油断があった為でしょう、油断さえなければもう少し善戦したはずです。これに伝説級のコピー体を複数つければかなり彼を削れると思われます」
「そっか、まあ、多少でも削ってくれればいっか♪ あ、確かこの子 “嫌がらせ機能” がついてたのよねぇ?」
「はい、つけてあります、ついでに死亡した際は人型に戻る様に設定してあります。もっともこれは彼相手ではあまり効力が見込めませんが」
「うひゃひゃ、いいよ、いいよ別に嫌がらせ機能だけでじゅうぶんじゅうぶん♪ もしかしたら優しい勇者さんはこの子を殺せなくなっちゃうかもね〜そうすりゃ楽でいいんだけど♪」
そう言ってリゼヴィムはワインを煽ると邪悪な笑みを浮かべるのだった。
コピーさん「あれ……俺への黙祷は?」