お止めくださいエスデス様! 作:絶対特権
狩り、と。将軍に任官したばかりのエスデスはそう表現した。
が、それはあながち間違ってはいないという程度のみで、正しくはない。正確に言えば南方で起こった叛乱の鎮圧である。
まずこの叛乱を説明するにあたって最も重要なのは、帝国の地理と周囲の状況だ。
帝国は『現在は』単一民族国家である。
王朝の頃はシンと呼ばれたこの国は、様々な手法を凝らして敵対勢力を味方につけ、靡かぬ者は東西南北に軍を派遣して征討するという手法で領土を拡げてきた。つまり、発祥の頃は連合政権らしい要素を含む多民族国家である。
が、その『様々な手法』の中には婚姻もあった。血が混ざり、国の土台である民と民とを融和させることによって懐柔し、対等の盟を結んだ筈の元・敵対勢力を取り込み、呑み込んできた結果が後期のシンであり、それを土台にして飛躍したのが始皇帝である。
この始皇帝は帝具という遥か人智を超え、何万もの兵たちが鎬を削っている戦局すらを一瞬で変えうるような力を持った道具を作ったことからもわかるように、英明であった。その英明さは政務に於いても多いに発揮され、征討した民族に単一民族としての結束を自然に植え付けるという偉業に成功した。
余談だが、単一民族の癖に髪の色が中々にカラフルなのはこの時に血が混ざった名残だと言われている。
ともあれ。最強を誇ったシン王国が帝国となってからも征討しあぐねた勢力が三つあった。
北方の異民族。
西方の異民族。
そして、南方の異民族。
元々が単一民族であった彼らは連合を行い、締盟し、合併した。眼前の脅威に対して、三方に割拠する彼らはいずれも同じ行動をとったのである。
少数民族がいきなり大国になったことを受けた始皇帝は、考えた。
彼らの宣撫政策に時間をかけるよりは、内部を一枚岩にするほうが大事だろう、と。
こうして始皇帝の統治する時代におけるシン帝国の領土拡張は終わりを告げ、三方と締盟した始皇帝は全知全能をかけて護国の為の四十八の兵器を作り始める。
人は死に、朽ちる。しかし、兵器は死なない。管理が良ければ朽ちもしない。
そう考えた始皇帝最後の一大事業は、見事成功に終わった。最初に材料収集に役立つ『一斬必殺』村雨が造られ、帝具と呼ばれ始めたそれらは次第にその数を増やしていく。
今は各地に四散しているが、一時期は四十八もの超兵器が完成し、始皇帝の元に集まったと言うが、今全てが現存しているかは定かではない。
あくまでも四十八、と言う数は伝承であった。
ここで唐突に話は変わるが、南方にバン族と言う一族が蟠居している。
この一族の説明に辿り着くまで非常に長くなったが、彼らは始皇帝が征討・宣撫を諦めた三連合の内の、南。南方連合の中心的存在であった。
彼らを含む三連合とはシン帝国は長い間締盟していたのだが、ある帝の御世にそれが破られる。
その皇帝は、始皇帝を超えたかった。故に帝具を新たに作ろうとしたが、失敗した。
一応作れてはいるが性能においては帝具に及ばない為、この皇帝の御世に作られた二世帝具は臣具と呼ばれている。またしても、余談である。
失敗した皇帝は考えた。どうすれば始皇帝を超えられるのか、と。
帝具もどきを作るという正気ではない事業に金を注いで国が傾かなかったことからわかるように、この時代の帝国は豊かだった。だからこそ時の皇帝に『始皇帝を越える』と言う邪念が生まれたとも言えるが、非常に豊かだった。
そして遂に、彼は閃く。
『三連合を征討すればよい』、というふうなベクトルに。
始皇帝の偉大さは宣撫の巧さにあったことを脳から消し去った彼は、盟約を破棄して三方に一気に攻め込んだ。この奇襲はもの見事に成功し、南方連合は帝国に吸収され、北方連合は従属し、西方連合は負けを重ねた。
この滅んだ、南方連合。彼らは帝国が盟約を破棄してしまい、常に周りに敵を抱えて泥沼になってしまったことにつけ込み、ゲリラ戦を開始した。
最も豊かで隆盛を極めた時代に、滅亡の端緒がある。
一端泥沼化した戦線は容易に固まらず、帝国が疲弊し切った今も休戦したり戦ったりを繰り返していた。
今回の狩りは、その休戦の盟約を破ったバン族そのものと言える。
「わかったか、ハク」
「はい」
道中の時間を消費し切るほどの長い長い話を終え、エスデスは一つ溜息をついた。
何故好きな男と久しぶりに会ったのに、こんな黴の生えそうなほどに真面目な話をせねばならないのか。答えは久しぶりにあって嬉し過ぎて『何から話せばいいかわからない』と言うことに尽きる。
「征北―――何だかの私も動員するあたり、帝国も本気だ。愉しもう」
「爵大良造征北将軍兼北方方面軍統括将軍では?」
「正直どうでもいい」
武を志す者誰もが夢見る栄誉の職を『正直どうでもいい』の一言で一蹴し、エスデスは湿気を含んだ温風に髪を靡かせて立ち上がった。
「ハク」
「はっ」
「太刀合え」
「御意」
九年前までの空気を取り戻せないことに少し焦ったエスデスの一言に寡黙に頷き、二人は静かに幕舎を出た。
彼女は腰に佩いた細剣の柄を二度叩き、彼は黒い槍を一回廻す。
戦闘準備は、整った。
「殺す気で行く。殺す気で来い」
「無論」
死んだらそれまで。殺したらそれまで。弱肉強食の単純明快な世界観で生きてきた二人の太刀合いは、いつもそうだった。
下手な言葉を何万遍交わすより、殺し合った方が余程わかり合える。
間合いに於いて優位を誇る槍が喉に目掛けて繰り出され、蒼銀の幕を潜り抜けた。
狙われる部位を承知していたエスデスが横に身体をずらし、残った髪の隙間を黒槍が穿ったのである。
「避けますか」
「当たり前だ」
視界で蒼銀の幕を穿つのを確認する前。穂先から伝わる空気の微細な変動を読み取ったのみで手早く手元に戻した槍が間合いを詰めに来た細剣を迎撃し、圧倒し始める。
細剣が一手攻めるごとに、槍は二手。
尋常一様な白兵戦に於いては負けを知らないハクの技量が、更に壁を超えていた。
「やはり、接近戦では私の負けだな」
わざと空けさせた幕舎付近で響く剣撃に釣られて来た兵たちは、二人を囲むようにしてただただ眺める。
口の挟む余地もなく、一言を発する前に動く戦況。肩の動きしか見えないような絶技の応酬に、彼らは只管に圧倒されていた。
「白兵戦は負けだ。だが、最後には私が勝つ」
細剣に比べれば槍の方に間合いの利があるにも関わらず、エスデスは一跳びに間合いを取り直す。
帝具。その存在を知らないのが、ハクの第一の不利であった。
「……なるほど、危険種でも喰いましたか」
間合いを取り直した彼女の背後から無数に出現する氷の剣をしげしげと眺めながら、ハクは静かにそう呟く。
流石にこのような大規模ではないが、こんなことをしてくる危険種を殺したことがあったのだ。
「惜しいな」
彼女の帝具は『魔神顕現』デモンズエキス。北の魔神と謳われた超級危険種の生き血その物である。
危険種を喰ってはいない。飲み干すことで、彼女は体内にその力を宿したのだ。
降り注ぐ剣の雨を砕き、躱し、掴んで捌いていくハクの美しさすら漂う体捌きを見惚れる思いで見物する彼女に、流星の如き速さを以って氷剣が迫る。
「見事だ……」
槍を地面に突き立て、氷剣を掴んでは後続の氷剣を折れるまで砕き続け、二刀流に、一刀流、無手。
目まぐるしく様々な型を過不足なく使いこなし、円熟した強さを魅せるハクは若年にして一種の境地に達していた。
「お前ならば受け止められるだろう、ハク!」
迫った氷剣を細剣で微氷へと変えて防ぐ。
当たり前のように絶技を見せつけ、一層弾幕を濃くした後に、彼女は叫んだ。
現れたのは、巨大な氷塊。
剣刃の弾幕を凌ぎきった後に、特級危険種すら潰せるであろう質量を持った氷塊。
一回でも受け損ねたら即死するであろう状況で、ハクの心は湖面の如く凪いでいた。
刃を掴み、伐ち、捌き、とどめの氷塊を槍の石突で打ち砕く。
そこまでは誰にでもできる。
そこまでは彼女も読み切る。
ならばどうするか。
思案を終え、降り注ぐ剣刃を掴み、捌き。氷塊を打ち砕いた時、ハクの姿はエスデスの視界から消えた。
(何?)
ハクが槍を逆手に持ったと同時に白兵戦に切り替えたエスデスは、斬り掛かった残心のままに気を抜かれた。
居ない。
帝具使いではないから、摩訶不思議な現象は起こせないはず。つまり、選べる選択肢はそう多くない。
砕けた氷塊の欠片が陽光に燦めき、大粒の雹となって地面に落ちる。
一秒にも満たない思考の合間にその光景を目の端で捉え、エスデスは直感的に悟った。
「上か!」
「御明察」
氷を纏わせ、盾の如く肉厚にした細剣が落下速度をも味方につけた槍の一撃をギリギリで耐え抜く。
あまりの重みに砕けそうになる肩を力を僅かに抜くことで崩壊を防ごうとした瞬間、黒い槍兵か地に立った。
「―――ッ!」
細剣を咄嗟に放棄し、掌から大雑把な氷剣を出して刺突を防ぐ。
一瞬でも躊躇い、決断力を鈍らせれば死んでいたであろう一撃を繰り出したハクの表情に、油断は無い。
自分が自ら追い立てて苛烈に喰らうタイプの狩人ならば、淡々と盤面を閉塞して詰めていくような狩人。
それが、この槍兵だった。
幾度も補強しつつ戦っていたとはいえ、今まで使っていた氷剣が三度目の突きで砕け散る。
右半身、中段。
必殺の構えになったハクに、エスデスはこの手が届けとばかりに新たに精製した剣を持つ手を伸ばした。
あと、僅か進めば氷剣が彼の胸に届く。
その、僅かが稼げない。
「あなたを傷つけるわけにはいきませんから―――」
石突で胸元の印を軽く小突かれ、僅かが更に延ばされる。
「―――これでどうか、御勘如いただきたい」
窘めるような、小突き方。
「私の、敗けか」
小さな頃から幾度となく受けてきたその一撃に含まれた温かさは、何も変わってなどいなかった。